ブレグジットの次に来るもの<狭くなった地球と世界、離脱も脱出も、おしゃか様の手のひらでは?>
2016年 07月 24日
筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「この間、「ブレグジット」(Burexit)についてたくさんの取材を頂戴した。ご存じ、英国の欧州連合(EU)離脱問題である。懸命に対応しているうち、連想言葉がひとつ浮かんだ。それは“Brexodus“「ブレクゾダス」と呼んでいただきたい。
この連想言葉を持って考えたいのは、英国のEU離脱が英国からの企業や人の脱出につながりるかというテーマだ。
“exodus”は脱出の意だ。
旧約聖書中の「出エジプト記」の原題が“exodus”である。
当時のイスラエルの民はエジプトの配下にあった。彼らの大脱出物語が「出エジプト記」だ。
ブレグジットは、ギリシャの脱ユーロ圏すなわち「グレグジット」が取り沙汰される中で生まれた言葉だ。
どっちも、誰が最初に使いだしたか分からない。だが、「ブレグゾダス」は筆者が知る限り、筆者の発明だ。知的所有権を確立しておく必要ありか?
それはともかく、ブレグジットがブレグゾダスをもたらすか否かは一重にブレグジット後の英国の対応いかんだ。そして、それを規定するのが何のためのブレグジットだったかという問題である。
彼らは解放を求めてEUからの離脱を選んだのか、閉鎖にための選択だったのか。」と切り出した。
つづけて筆者は、「実を言えば、ブレグジットについて筆者はいささか複雑な思いを抱いている。
離脱等選択は正しかったと思う。だが、正しい選択は、果たして正しい判断に基づくものだったか。そこに、どうも一抹の不安が残った。
少し時間が経過する中で、不安の要因がかなりはっきりしてきた。
要するに今回の離脱派の中には、二種類の離脱支持者が混在していたのである。
名づければ、かたや「従来型良識的離脱派」。そして、かたや、「にわか型発作的離脱派」である。
前者は、開放を求めてブレグジットを選んだ。
後者は、閉鎖願望にしたがってブレグジットを叫んだ。
従来型良識的離脱派は、統合欧州がどんどん窮屈な均一化の世界になっていくことに懐疑の念を深めた。海洋国である英国は、常にその内なる多様性と包摂性を誇りとしてきた。
相異なる者たちが、相異なったまま、お互いを受け入れあう。それができる経済社会の解放性に、英国らしさを見出してきた。島国だからこそ開放的でなければ生きていけない。おおらかで融通無碍でなければ、安泰ではいられない。そう確信する従来型のEU懐疑派には大陸欧州的「お仕着せワンサイズ」の秩序が、何としてもしっくりこない。世界に向かって常に開かれた英国を復権させたい。それが彼らの思いだ。
一方の「にわか型発作的離脱派」は、日頃の不満や不安をEUにぶつけた。犯人探し型離脱派だ。
押し寄せる移民に職を奪われる。
彼らが英国の社会保障制度にただ乗りするのは我慢ならない。
いわば英国版ドナルドトランプ信奉者たちだ。
二つの離脱派のどちらが主導権をにぎるか。それで、ブレグジット後の展開が決まる。」と指摘した。
最後に筆者は、「ここで日本に思いが及ぶ。
「強い日本を取り戻す」ことばかりに政治が固執すれば、日本は共生のグローバル時代からジャパジットの道をたどる。
そうなってしまったら、筆者はジャパダゾスを考えなければならない。
問題は行く先だ。流浪の民になりたくないが・・。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
筆者は、「英国の離脱派を二つに仕分けしてみせる。
かたや「従来型良識的離脱派」。
かたや「にわか型発作的離脱派」。」
確かにわかりやすい。
また筆者は、「二つの離脱派のどちらが主導権を握るか。それでブレグジット後の展開が決まる。」という。すなわちその結果次第で、英国の離脱が英国からの企業や人々の脱出につながると、筆者は指摘する。
さらに筆者は「「強い日本を取り戻す」ことばかりに政治が固執すれば、日本は共生のグローバル時代からジャパンジットの道をたどる」と警告している。
地理的に日本は、アジアの端であり、欧米の端でもある。天に昇るか地に潜る以外、逃げ場がないような気がする。
文化的にも東洋と西洋が絶妙に融合している。
だから、「強い日本を取り戻す」ことに異議はないか、「平和な世界を取り戻す」ことによってこそ、「強い日本」が実現できるのではないだろうか?