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by sasakitosio

「ゆがんだ関係」正す努力を <ゆがみはどこから来て、人にもたらすのは幸か不幸か!?>

 6月5日付東京新聞朝刊4面に、時代を読むという欄がある。筆者は、哲学者・内山節氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「古代の日本の人々を恐れさせていたものに、怨霊があった。
 謀略などによって無実の罪を着せられて死んだ人人の霊が、怨霊となって祟るという考え方である。
 最も有名なのが菅原道真の怨霊だが、人々は恐れる霊を鎮めるためにさまざまなことをしている。
 その怨霊は、関係の歪みが生み出したものだった。歪んだ関係の中で死を迎えたために成仏できず、怨霊になったと考えられたのである。だから怨霊を鎮めるためには、歪んだ関係を自然な関係に戻さなければならなかった。怨霊を神として祀ったり、官位を授けなおしたのは、歪んだ関係を修復し、自然な関係に戻すための努力だった。
 古代の人たちは、関係のゆがみをなによりも気にしていたのである。
 もしも関係のゆがみが怨霊が生み出すものであれば、今日の社会は、怨霊だらけになってしまうだろう。
 自然と人間のかんけいもゆがんでしるし、
 非正規雇用が4割に近づいている雇用関係もゆがんでいる。
 人間同士の関係も、地域社会の関係も、
 自然な関係を探す方が難しいくらいだ。
 そして、このゆがみが、ときに自然や人間を追い詰める。」と切り出した。
 続けて筆者は、「日本の伝統的な道徳観や倫理観は、ゆがんだ関係を自然な関係に戻そうとする意志とともにあったのである。そのことを通して、自然と人間の関係のあり方や、人間同士の関係、一人一人と社会との関係のあり方を見つけ出そうとしてきた。
 とすると、私たちは問わなければならない。今日の企業や労働の世界に、ゆがんだ関係は発生していないだろうか。最近では企業のデータ偽造や、実質的な粉飾決算が問題になったりしているが、そういうことが生じてしまうのは、企業組織のなかに、ゆがんだ関係が定着してしまっているからではなかったか。
 日本の米軍基地の大半を沖縄に押し付けている現実は、ゆがんだ関係をつくりだしたものと言えないだろうか。
 そもそも日米地協定自身が、ゆがんだ日米関係の産物ではないだろうか。
 後世の人たちに国の借金を押し付けいる現状も、ゆがんだ世代間関係をあらわしてはいないだろうか。
 今わたくしたちに求められているものは、ゆがんだ関係を自然な関係に戻す努力なのである。
 それが政治の課題であり、経済や経営の課題でもあるはずだ。
 とともにそれは私たちの課題である。そのためには、ゆがんだ関係に気付く力、と自然な関係を見つけ出す構想力が求められている。」と指摘した。
 最後に筆者は、「戦後の日本は、ひたすら経済発展を追い求めてきた。
 経済が発展すれば、誰もが豊かになり、日本も大国になっていくと考えてきたと言ってもよい。
 だが現在では、さまざまなゆがんだ関係が社会のなかに堆積し、それが人々に不安や苦痛を与えるようになってしまった。
 子どもを育てられない社会はどこかがゆがんでいる。年を取ることに不安を覚えなければならない社会はどこかおかしい。社会を作りだしている関係のどこかがゆがんでいるから、そういう問題が起こるのである。
 もしかすると、ゆがんだ関係が怨霊を生み出すということの怯えていた古代の人たちの方が,正常な精神をもっていたのかもしれない。
 いま私たちに必要なことは、ゆがんだ関係を正していく精神をもちながら、政治や経済、社会と向きあうことである。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「日本の伝統的道徳観や倫理観は、ゆがんだ関係を自然な関係に戻そうとする意志とともにあった」との指摘は、刺激的で考えさせられた。
 自然な関係は、どうやって誕生し、どこにあるのだろうか、どうすれば発見できるのだろうか、知りたくなった。
 また筆者は、「今私たちに求められているものは、ゆがんだ関係を自然な関係に戻す努力なのである」と指摘し、「そのためには、ゆがんだ関係に気づく力と、自然な関係を構想力が求められている」と指摘し、
 「子供を育てられない社会はどこかがゆがんでいる。年をとることに不安を覚えなければならない社会もどこかおかしい。社会をつくり出している関係のどこかがゆがんでいるから、そういう問題が起こるのである」としてきしている。それぞれ何となくわかったような気がした。
 
 
by sasakitosio | 2016-06-09 06:12 | 東京新聞を読んで | Trackback