解散のかの字 <今回は、言葉通りダブル選挙はなしになったが?>
2016年 06月 02日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「安倍首相が夏の参院議員選挙にあわせて衆院を解散するかしないのか。自民党内部からも、さまざまな声が漏れ、報じられている。
一方、これまでの安倍総理は「解さんのかの字も考えていないのでありまして、、、」。同じ答弁を繰り返してきた。
選挙に関する情報には曖昧な部分が多々ある。それでも、この状況で「解散のかの字もかんがえていない」とは。いったい、どこに信じる人がいるだろう。」と切り出した。
つづけて筆者は、「政治の世界では、衆院の解散は総理大臣の専権事項。人をけむに巻くためなら、どんなうそも許されるというのが定説らしい。
だが私は「解散のかの字」のフレーズを聞くたびに、ああ私たちはなめられているのだなあ、と情けなくなる。
平気で言っちゃう人間も、言わせっぱなしの人間も、完全たがが外れている。政治家もメディアも。国民そっちのけで盛り上がられては、興ざめである。」と指摘した。
最後に筆者は、「私たちは皆、その職業特有の感覚を身に付ける。
たとえば医療者の中には、急変に際して気分が高揚する人が少なくない。それでもいい仕事をする場合もあれば、不謹慎と見える場合もある。閉じた世界の感覚には要注意である。
政局をめぐる政治家やメディアの振る舞いにも同じことが言える。自分の姿が 人にどう映るか考えてみよう。
自分の姿が人にどう映るか考えてみよう。
自分は特別と思ったらそこでおしまい。」として締めくくった。
読んで、ためになった。
筆者は、「「解散のかの字」のフレーズを聞くたびに、ああ私たちはなめられているのだなあ、と情けなる」とのこと。
また筆者は、「平気で言っちゃう人間も、言わせっぱなしの人間も、完全にたがが外れている。
政治家もメディアも。国民そっちのけで盛り上がられては」、興ざめであると。
その通りだ。
「自分は特別と思ったらそこでおしまい」との筆者の指摘は、いい戒めになった。