「不可逆的解決」
2016年 01月 06日
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「元旦。NHK海外放送の「映像の世紀」再放送を見つづけていた。暮れにも日本でこの番組を見たから、年越しの境界線を20世紀の悲劇とともに超えたことになる。
それにしても、憎悪と恐怖に満ちた前世紀だった。
新世紀の15年を過ぎてもその負のサイクルから脱却できていない。
米ソ二大国間の水爆実験競争がどれほど環境を破壊し、どれだけ多くの被ばく者をだしたか。実験は「アトミック・ソルジャー」と呼ばれる、自国の膨大な兵士たちをも被ばくで苦しめた。
憎悪と恐怖は、朝鮮、ベトナム、カンボジア、旧ユーゴの分断など、戦争と大量虐殺を拡大させた。
その前にも重慶、南京、沖縄で虐殺があり、ヒロシマ、ナガサキがあった。植民地・朝鮮での従軍慰安婦問題は年末、「政府の責任」を認めたが「最終的かつ不可逆的解決」と念を押した。一方的に過去を遮断し、「もうこれっきりだぞ、あとはないからな」との加害者の押し殺した声がこもっていて率直でない。」と指摘した。
最後に筆者は、「「富国強兵」をいまだに夢想する政治家たちがいる。
戦後の平和主義と小国主義は日本人の生き方のはずだ。
政府は沖縄ばかりか日本の未来も奪う米軍基地建設をカネと暴力で攻めたてている。
民主主義とは平和の精神であり、平和主義は対話と寛容、相互扶助の追及である。それが20世紀の総括であり、自省のはずだ。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「それにしても、憎悪と恐怖に満ちた前世紀だった。」、
「戦後の平和主義と小国主義は日本人の生き方のはずだ」、
「民主主義とは平和の精神であり、相互扶助の追求である」、等等、筆者の指摘は理解し納得した。
このところ十数年、人間とは何かの手掛かりを探りにという口実で、年末年始外国の街を一市連泊一人旅をしている。今年は、20世紀の人間とは何かを深刻に考えさせる、ヒットラーの遺跡、ヒトラーが活動したベルリンの町に、その上に自分の身を置いて、「見て・感じ」てくることにした。
出かける前に、「ザクセンハウゼン強制収容所」、「ホロコースト記念碑」、「ヒトラーが自殺した地下壕跡」、等ここだけは見てこようと決めて行った。ドイツ人の深い反省とその徹底ぶりに、感心・敬服した。