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by sasakitosio

脱原発 ドイツはなぜできた

 12月24日付東京新聞朝刊24面に、「ニュースの追跡」という欄がある。筆者は、中山洋子氏だ。
 今日はこの記事を学習することにした。
 まず記事は、「福島第一原発事故を機に、ドイツは脱原発に踏み切った。一方、いったんは原発ゼロを目指した日本は、自民党政権の復権とともにエネルギー政策を転換。原発再稼働を急ぐ。ドイツと日本はどこが違うのか。原発史に詳しいドイツの歴史学者ヨアヒム・ラートカウ氏に聞いた。(中山洋子)」と切り出した。
 つづけて筆者は、「ラートカウ氏が1983年に発表したドイツの原子力産業の興亡史は、原発史の世界的な古典とされる。
 今秋、30年ぶりに大幅に改稿した新版「原子力と人間の歴史」が日本でも出版された。ドイツの原子炉安全委員会委員長を経験したロータル・ハーン氏との共著で、新たに福島原発事故の経緯やドイツの脱原発の動きなども盛り込んだ。
 「70年代に研究を始めたときには、原子力平和利用を支持していた。原発はベストなエネルギーだという考え方。だが、原子力コミュニテイーの内部資料などを調べるうちに、徐々にスタンスを変えざるをえなくなった」と振り返る。
 1957年のゲッテンゲン宣言で、西ドイツの原子力研究者たちは核兵器保有に反対した。そのかわりに掲げたのが原子力の平和利用だった。世界中の注目を集めたが、「核兵器開発と完全に離れた研究というのは幻想にすぎなかった。
 ドイツの原発も軍事的な下心で進められた」という。
 米国を皮切りに70年代ごろから、平和運動として反原発の機運が起こる。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「ラートカウ氏が原発に疑念を抱く理由は、その無責任体質にもある。「原子力の本当の秘密は、誰もコントロールしていないことだった。例えばドイツでは57~74年に策定された4つの長期計画は全くの机上の空論で、責任の所在は混とんとしていた」
 福島原発後、原発推進派だったメルケル首相は2022年までに国内の全基を廃炉にする方針を決めた。原発にこだわる日本との違いはどこにあるのか。
 ラートカウ氏は「福島原発事故の後で急に脱原発にかじを切ったわけではない。実はドイツでは82年から一基も原発は増えていない。ひそかに脱原発は進んでいた。
 ドイツではなぜ反原発運動が粘り強く続いたのかの決定的理由はまだはっきりしないが、ドイツの電力産業は、最大の投資の失敗を防いでくれた反対運動に感謝すべきだろう」と指摘した。
 原発に懐疑的なドイツ人の姿勢はしばしば「ドイツ的不安」と揶揄されるが「原子力業界のプロパガンダに過ぎない」と一笑に付す。
 「世界中が原子力の平和利用に陶酔していたときもドイツの原発技術者は懐疑的であることを「理性的」と自負していた。
 社会、政治的背景として、「68年世代」と呼ばれる学生運動に加わった層が政治や経済の中枢に入っていることも無視できないという。
 「当初の思惑はさておき、ドイツは核保有国ほど原子力ムラ支配は強力ではなかった。非核保有国であるが、軍事的オプションとして留保しようとしてきた日本と比べても全く無害。これもドイツの政治文化の長所かもしれない」
原発にこだわることで、新しい発想や技術の芽が摘まれると危ぶむ。」と教えてくれる。
最後に記事は、「 「ドイツもすべてが模範にはならない。未来は誰にもわからないし、明治維新のような抜本的な転換が起こるかもしれない」と話しながら、最後に繰り返した。
 「原子力はとてもリスクの高い技術でひとたび間違いが起これば国が亡びる。再生可能エネルギーは仮に失敗しても大事にはいたらない。原子力に未来がないことだけははっきりしている」として締めくくった。
 読んで大変勉強になった。
 「ラートカウ氏が原発に疑念を抱く理由は、その無責任体質にある。「原子力に本当の秘密は、誰もコントロールしていないことだった。例えばドイツでは57~74年に策定された4つの長期計画はまったくの机上の空論で、責任の所在は混とんとしていた。」との指摘は、福島原発事故の経緯を見れば、一目瞭然だ。ドイツの学者に分かったことが、何故に日本の有識者・科学者に分からなかったのか。まさか、日本の科学者・有識者がこぞって、無知・無能・無責任であるはずがないと思うが?
 「当初の思惑はさておき、ドイツは核保有国ほど原子力ムラ支配は強力ではなかった。非保有国ではあるが、軍事的オプションとして留保しようとしてきた日本と比べて全くの無害。これはドイツの政治文化の長所かもしれない。」との指摘は、日本の原子力ムラ支配の構造と歴史と秘密と根深さを理解するのに大いに役立った。
 また「原子力はとてもリスクの高い技術でひとたび間違いが起これば国が亡びる」との指摘は、日本の為政者や有識者・科学者に聞かせて、考えを正してみたいところだ。
 それにしても、ドイツと日本のこのちがいは、いったいどこからきているのか?
 今年の年末年始はドイツ・ベルリン一人歩きをしながら、東西ドイツの遺跡の空間に身を置きながら、想像してみることにした。
by sasakitosio | 2015-12-28 06:33 | 東京新聞を読んで | Trackback