先頭集団でもまれ成長
2015年 11月 30日
まず記事は「「鼻水を拭く力があるならば、一歩前へ出ろ」
1954年から55年にかけての冬、山梨大の1年生だった大村智は、クロスカントリースキーの練習で新潟の雪の中にいた。今も忘れない程厳しい言葉をかけたのは、横山隆策(77年死去)だ。横山は新潟・妙高高原に山小屋をかまえ、大学生らを集めて教えていた。。横山一門は、何人もの5輪選手を輩出した。横山の孫娘、久美子(43)、寿美子(41)はともに長野五輪に出ている。
山梨県のスキー大会では優勝する大村も、この集団に入るとただの人だ。しかし、上達のスピードは速かった。
「知らない間に、教わらなくても、ある水準まで到達できる」。レベルの高い人達に囲まれる環境の大切さを実感した。
もう一つ、「人まねはだめ」ということも知った。
優れた人に教わっても、まねだけでは結局その人を超えられない。なんとか独自の方法を確立していかなくではならない。
大村はこの経験を36歳で渡米した時に生かす。
名の知られた学者の間に身を置き、努力することで、自ら成長させて行った。
培った人間関係は、米製薬大手メルクとの共同研究に結びついた。人が目をつけない動物薬に的を絞って開発を進め、抗寄生虫薬に的を絞って開発を進め、抗寄生虫薬「イベルメクチン」によって、世界の名だたる大学や研究所に先駆けることができた。
ノーベル財団から受賞の電話を受け3日後。再びスウェーデンから電話が入った。電話の主は、1960年の米国スコーバレー冬季五輪に出場した松橋高司(83)=スウェーデン在住。60年前の練習仲間からお祝いの言葉を受け、大村は「びっくりした」と心からうれしそうな笑顔を見せた。(文中敬称略)」と締めくくった。
読んで、ためになった。
大村は横山一門内でのスキーの練習で「「知らない間に、教わらなくても、ある水準まで到達できる」と知り、そしてレベルの高い人達に囲まれる環境の大切さを実感した、とのこと。
その経験を、36歳で渡米した時に生かし、名の知れた学者の中に間に身を置き、努力することで自らを成長させていった、とのこと。そこで培った人間関係は、米製薬大手メルクとの共同研究に結びついた、とのこと。
これらは、たぐいまれなる「明るさと、向上心に満ち満ちた」大村智氏の「人間性」のたまもののような気がした。