出産奨励
2015年 10月 09日
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「国の人口を左右する出産を管理したがるのは、どの国も同じ。しかし、どこまで露骨にやるかに、民主化の度合いが現われる。日本の場合、常に介入の機会がうかがわれているように思う。」と切り出した。
つづけて筆者は、「私がそれを肌で感じたのは、1981年に提出された優生保護法の改定案。人工妊娠中絶の実質的な禁止が目的だった。
人工妊娠中絶については、多様な意見がある。しかし、背後にある国家の出産管理に異を唱える人は多く、最終的には廃案になった。
当時を思い出すと、発展途上国での人口増加が問題となり、先進国は家族計画の普及等に協力していた。そのため、先進国はどこも自国の出産奨励に抑制的。発展途上国では出産を減らし、先進国で出産を増やせと言っては、差別と非難される時代だった。そんな中、露骨に出産増を志向する日本の動きは、明らかに異質だった。」と指摘した。
最後に筆者は、「その後も地球規模で見れば人口増が続く一方、先進国の多くは少子化に悩むようになった。そのため以前に比べれば、出産奨励の色合いは強まったと感じる。
それでも個人の権利を尊重する子育て支援は堅持。国家主義の印象を与えぬ配慮でもあるだろう。
翻って、日本では愚かな官房長官が出産と国家への貢献と結びつける発言。
いつからこんなことが言える国になったのか。本当に恥ずかしい人たちだ。」と締めくくった。
読んで、女性の気持ちが少しわかったような気が。
確かに、子どもを産み育てることは、夫婦の事情と自由に任せてほしい、と思う。何かがあっても国家に責任を取ってもらえることではないのだから。
最近の、少子化は、電子機器・ソフト開発の進化によって、若者同士のコミュニケーションの不足がパートナーとの交際チャンスを減らていることに大きな原因があるのでは、と言う話を聞いたことがある。
電車の中で、恋人同士が対話もせずにスマートフォンに熱中している姿を見て、彼らは将来「夫婦ゲンカもスマートフォン」で、なんてことになるのだろうか、と思うことがある。
子育ては、成長を見ているだけでも楽しいことがいっぱいあることを、子供たちに教えておきたい。そして、子どもがいなければ、かわいい孫との出会いもないことも。
家の近くに保育園があり、園児の散歩によく出くわす。どの子も皆かわいい、見ているだけで笑顔になり、元気だ出てくる。子どもは親にとっての宝だが、近所の社会にとっても宝だ。