誰が責任を負うのか、同意した「川内市・鹿児島県」に負わせる気か?
2015年 08月 14日
今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「誰も安全とは言わず、責任を負える人もいない。なのに、九州電力川内原発1号機(鹿児島県)がきょう、再稼働する。3.11の災禍が消えぬこの国で。
この朝、中央制御室からの操作で核分裂を抑えていた32本の制御棒が引き抜かれ、原子炉が起動する。
関西電力大飯原発4号機(福井県)が定期点検のため停止して以来1年11カ月ぶりに、日本の原発ゼロ状態が終わる。
このようなかたちの原発回帰に異論を唱えたい。
今なぜ、再稼働できるのか。
なぜ再稼働させなければならないのか、という多くの国民の素朴な問いに、政府も電力会社も、答えていないからである。」と切り出した。
つづけて社説は、「原子力規制委員会が、3.11後の新規制基準に「適合」した判断したーー。「安全」だという根拠は、ほぼこれだけだと言っていい。
ところが規制委の田中俊一委員長は「(新規制基準は)原子力施設の設置や運転等可否を判断するためのもので、絶対的な安全性を確保するものではない」という趣旨の発言を繰り返す。
田中委員長は「安全目標というのは、決してわれわれと国民が合意してつくったものではない」とも言っている。
規制委自身が、安全を保証する機関でも、再稼働の是非を論じる場所ではないと、表明し続けているのである。
政府はどうか。
安倍首相は「規制委の再稼働に適合すると認められた原発は、再稼働を進めたい」と、こちらも繰り返す。つまり「あなた任せ」なのである。
「あなた任せ」と言えば、規制委も、例外ではないだろう。
3.11を教訓に、原発から半径30キロ圏の自治体に避難計画の策定が義務付けられた。
川内原発の場合、圏内9市町に約21万人が暮らしている。
都市から離れた場所に立地される原発の周辺は、ただでさえ交通事情に難がある場合が多い。
原発事故の非常事態に、機場の避難計画に果たして効果があるかどうか。規制委は審査の対象とせず、自治体にお任せだ。
では、自治体は。
鹿児島県の伊藤雄一郎知事は、原発の必要性を明示した文書を出すよう政府に要求し、経済産業大臣名のそれを受け取ったあと、住民説明会などを経て、再稼働に同意した。
政府の要請に従ったという形式を整えたようにみえないか。」と指摘した。
さらに社説は、「事故が起こった場合の責任は役所の中で堂々巡り。結局、電力会の自己責任ということになるのだろう。法律でもそうなっている。
だが私たちは、もう知っている。
原発事故の責任は、一企業に負いきれるものではないのだと。
あの日からやがて4年半。現に11万人もの人々が、いまだに故郷を追われたままで、十分な補償も受けられず、あるいは中途半端に打ち切られ、放射能による将来の健康不安を押し殺して暮らしているではないか。
原発にはそれぞれ個別の不安もある。
川内原発は、姶良カルデラ(火山性のくぼ地)の西、45キロという位置にある。鹿児島湾の奥にある巨大噴火の痕跡だ。桜島もその上に載っている。
鹿児島湾を中心に、小林、阿多、加久藤といったカルデラが南北一直線に並んでおり、過去の巨大噴火の際に、原発がある川内川の河口にも火砕流が届いたことは、九電も規制委も認めている。
規制委は九電の主張そのままに、巨大噴火の余地は可能で、万一の際にも核燃料を安全に運び出す余裕はあると言う。
しかしほとんどの火山学者がそれを否定する。規制委の判断は、科学的にもあいまいなままなのだ。
このような状態で再稼働を推し進めるということは、3.11の犠牲に対する侮辱であり、安全神話への回帰にほかならない。」と指摘した。
最後に社説は、「3.11は世界の流れを変えた。
特に欧米は、安全対策に膨大な費用がかかる原発への依存を徐々に脱して、再生可能エネルギーの比重を高め、地域振興を進めつつ、経済的にも利益を得ようと、それを機に未来図を描き始めた。
福島のある日本はなぜ、描こうとしないのか。
川内のあとには、規制委からすでに適合としてた関西電力高浜原発(福井県)、関西電力伊方原発(愛媛県)が続いている。
再稼働に踏み込むということは、回避も全うも不可能な、重すぎる責任を背負うということだ。
国民の多くは納得していない。」と締めくくった。
読んで、情けない気がした。政府って、総理大臣って、規制委員長って、鹿児島県知事って、川内市長って、なんなんだ!
社説にある「再稼働に踏みこむということは、回避も全うも不可能な、重すぎる責任を負うことなのだ」と思うが、民主主義のシステムで「決定権」を持つ人たちに「その自覚」や「その覚悟」が、微塵も感じられない。これは、日本における「民主主義の機能不全」を、明確に証明した事実だ。
しかし、事故があれば、川内市民、鹿児島県民、近隣市町村民に、長く、広範な被害が覆う。
為政者は、無責任な自分を選んだ「市民」「県民」「国民」のせいだとでも思っているのだろうか?
また、福島後の、広範な国民の反対運動の後の、再稼働であってみれば、被災者に対する「国民の眼」は、福島の被災者へのそれと異なるのではないかと危惧している。