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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

77年前の違憲論 元老が敗れしものは

 7月9日付朝日新聞朝刊社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・曽我豪氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「1938年(昭和13)年の、今と少し似た話。日中戦争が泥沼化するなか、近衛文麿内閣が国家総動員法を上程した。
 国民の基本権、帝国議会の権限をも有名無実になしうる法案に対し、軍部の重圧の下ですでにまったく無気力に陥っていた当時の議会でさえ、さすがに議論は起った。
 そのとき元老・西園寺公望は、秘書原田熊雄から憲法学者清水澄が法案は憲法違反とはいえないといっていたと聞いて、こう語った。
 ・・・清水なんかに憲法がわかるもんか、この法案は実質上憲法無視の法案である、議会を通過しない方がよい、何か手段はないだろうか、と。
 「近代日本の政治家」(岡義武、岩波書店)の評伝「最後の元老・西園寺公望」が記す挿話である。ここで軍国主義時代の統制を今日の安保法制と関単に並べて「いつか来た道」などと言いたいのではない。
 ただ、明治憲法のリベラルな面の成長と国際協調を夢見たその「内閣の製造者」が時代の波に抗して何を守ろうとし何に敗れ違憲論に至ったか。同書は、今日にも通じる大切なことを教えてくれるように思う。
 民主主義を壊すものは何なのかを。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「それにしても、この夏の政治の光景は後世どう思い出されものだろうか。
 憲法の解釈は法制局ではなく内閣が判断を下すとの意見を持った首相がいて、戦後日本の安全保障の仕組みを一変させる安保法制が国会にかかる。
 選挙権を20歳以上から18歳以上に引き下げることが決まり中高生ら若者の政治教育もまた、戦後のそれからの脱却が議論される。そして、与党・自民党の政治家から、自分たちに不都合な言論の自由を否認するがごとき言動が続く。今のところ代表的光景はその三つであろう。
 つまり、自らが戦争抑止の歯止めとなるというのであれば、安倍晋三首相ら権力者には当然、これまでとは比較にならないほど健全なバランス感覚に基づく政治観と歴史観、緻密な政治技術が必要になる。
 次世代を育てる政治教育が目指すものも同じであろう。
 それなのに、あろうことか、それらすべてに責任を負う政権党に、肝心要のバランス感覚を損なって国民の不信を助長する動きが出た。そういうことではないか。」と指摘した。
 さらに筆者は、「翻って、有事に臨んで西園寺は違った。
 日清戦争下の第2次伊藤博文内閣で文相に就いた西園寺は独自の教育論を語る。
 庶民の気性は「活発、爽快」「正大、有為」であれ、「慷慨,悲壮」「偏曲、奇癖」に陥ってはならぬ・・・・そして教育方針を「国家主義一色」から「リベラル」にすべく、第二の教育勅語の発令を考え、明治天皇の内諾を得ていたのだという(内閣が倒れ、実現はしなかったが)。
 さらに、日露戦争。政友会総裁として西園寺は、ポーツマス条約に対する日比谷の騒擾事件が勃発するわずか3日前、勇気ある演説に及ぶ。「ある種の講和条件が貫徹されなかったからといって、戦争継続を叫ぶことは、列国に対し果たしていかなる印象を与えるであろうか・・・・。今日は戦勝のあと、政治経済の発展を図り、持って大帝国の基礎を確立すべきの時である」」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「健全な権力批判を自ら求め、「偏極」を戒め「正大」を志す努力こそが内外世論の信を得る道であり、それは今日も変わらぬ定理だ。あんな怖い顔は初めて見たが、責任者の党青年局長らの処分を発表した谷口禎一幹事長が語ったことにも一脈通じよう。「与党政治家は、自分の思ったこと、言いたいことを言いつのればいいという、そうゆう責任の浅いものではない。とにかく物事が進み世の中がそれなりに収まる、そういう状況をつくることが与党政治家だと思います」
 だがすでに失われたものはあまりにも大きい。その意識はいま、与党政治家にあるのだろうか。あるいは歴史に学ぶ意識は。
 同書は最後、西園寺氏が抵抗し、みじめに挫折した相手は「国際平和への侮辱」と「自由の否認」という時代の怒涛だったとしたうえで、評伝をこう結んでいる。
 「悲劇は、しかし、彼ひとりのものであったであろうか。・・・・我々がそこに発見するものは正に近代日本そのものの悲劇なのである」」と締めくくった。
 読んで大変勉強になった。
 「近代日本の政治家」(岡義武 岩波書店)の評伝「最後の元老・西園寺公望」が記す「挿話」を知って感心した。
 「日清戦争下の第二次伊藤博文内閣で文相ついた西園寺が、教育方針を「国家主義一色」から「リベラル」にすべく、第二教育勅語の発布を考え、明治天皇の内諾を得ていたという(内閣が倒れ、実現しなかったが)」とのこと、
 また、「さらに、日露戦争。政友会総裁として西園寺は、ポーツマス条約に対する日比谷の騒擾事件が勃発するわずか3日前、・・「ある種の講和条件が貫徹されなかったからといって、戦争継続を叫ぶことは、列国に対して果たしていかなる印象を与えるであらうか・・・。今日は戦勝のあと、政治経済の発展を図り、以て大帝国の基礎を確定すべきの時である」と、演説したとのこと、等等を今知れば、西園寺公望氏の先見性がよく分かった。
 さらに、「同書は最後、西園寺が抵抗し、みじめに挫折した相手は「国際平和への侮蔑」と「自由に否認」という時代の怒涛だった」としている。
 その時代の怒涛は、人類の歴史の必然なのか?
 それとも日本固有の歴史的必然なのか?
 はたまたそれとも当時の日本の為政者のミスリードだったのか?
 すくなくとも、そこのところの見定めがきけば、平和と人権と国民主権の現行憲法下で、西園寺公望の悲劇、近代日本の悲劇を繰り返さないで済むような気がするが?
by sasakitosio | 2015-07-11 07:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback