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by sasakitosio

分配の問題を経済分析の核心に戻す「21世紀の資本」学習ノート⑩

 今日は、17頁の「分配の問題を経済分析の核心に戻す」の項目を学習することにした。
 まず筆者は、「分配の問題は重要だし、その意義は単に歴史的な興味にとどまらない。1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代水準に戻ってしまった。―――それどころか、少し上回るほどになっている。だから、この間になぜ、どのようにして格差が減ったのかを明確に理解するのは極めて重要なのだ。たしかに、貧しい発展途上国、特に中国の急激な成長は、世界レベルでの格差低減には大きな力を発揮するかもしれない。
 1945-1975の富裕国の急成長もそうした影響をもたらした。だがこのプロセスは、発展途上国に深い不安をもたらし、富裕国はもっと深い不安が生じている。
 さらにここ数十年の金融、石油、不動産市場で見られた驚異的な不均衡のおかげで、ソローやクズネッツが述べた「バランスのとれた経済成長経路(均斉成長経路)」、つまりあらゆる主要経済変数が同じ速度で推移するような成長が確実に起こるかどうかも当然ながら疑問視されるようになった。
 2050年や2100年の世界は、トレーダーや企業トップや大金持ちに所有されているだろうか、どれとも産油国や中国銀行に所有されているだろうか?あるいは、こうしたアクターの多くが逃げ場にしているタックス・ヘイブンに所有されているかもしれない。誰が何を所有しているかを問わずに、成長が長期的には自然に「バランスがとれている」とはじめから想定してしまうのは馬鹿げている。
 ある意味で、21世紀初頭の私たちは、19世紀初期の先人たちとまったく同じ立場にある。世界中で経済は激変しているし、今後数十年間でそれがどれほど大幅な変化になるか、富の世界的な分配がどうなるかは、国際的にもそれぞれの国内についても、非常に見極めにくい。19世紀の経済学者たちは、経済分析の核心に分配の問題を据え、長期トレンドを研究しようとした点で大いに称賛されるべきだ。彼らの答えは必ずしも満足いくものではなかったが、少なくとも正しい質問はしていた。成長が自動的バランスのとれたものになるなどと考えるべき本質的な理由などない。格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え始める時期はとうに来ているのだ。あまり長きにわたり、経済学者たちは富の分配を無視してきた。その一部はクズネッツの楽観的な結論のせいだし、一部は代表的エージェントなるものに基づいた、単純すぎる数学モデルをあまりに経済学が崇めてきたせいだ。格差の問題が再び中心的な物になるためには、まず過去と現在のトレンドを理解するために、できるかぎり広範な歴史的データ集合を集めることから始めねばならない。そこに働いているメカニズムを同定し、将来についてもっとハッキリしたアイデアを得るためには、辛抱強く事実やパターンを明らかにして、各国を比較するしかないからだ。」としている。
 読んで、刺激をうけた。
 筆者は、「あまりに長きにわたり、経済学者たちは富の分配を無視してきた。その一部はクズネッツの楽観的な結論のせいだし、一部は代表的エージェントなるものに基づいた、単純すぎる数学モデルをあまりに経済学が崇めてきたせいだ。」と教えてくてた。
 また、筆者は、「格差の問題が再び中心的なものになるためには、まず過去と現在のトレンドを理解するために、できるかぎり広範な歴史的データ集合を集めることから始めねばならない。そこに働いているメカニズムを固定し、将来についてもっとはっきりしたアイデアを得るためには、辛抱強く事実やパターンを明らかにして、各国を比較するしかないだ。」と、これからの研究の方向を教えてもくれた。
by sasakitosio | 2015-06-04 15:48 | 「21世紀の資本」学習ノート | Trackback