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by sasakitosio

「想定外」を一蹴  IAEA(福島原発事故)最終報告書

 5月25日付東京新聞朝刊2面に、「福島事故IAEA報告書」に関する記事が載った。今日は、この記事を学習することにした。
 ウイーン=共同で三本。
 初めの記事は、「「勧告した安全評価を十分実施しなかった」「国際的慣行に従わなかった」。国際原子力機関(IAEA)がまとめた東京電力福島第一原発事故の最終報告者は、東電や規制当局の認識の甘さを痛烈に批判している。
 事故当時、東電や日本政府から「想定外」との弁明が相次いだ。 
 しかし、IAEAは日本が何十年にもわたり原発の安全性を過信し、発生の確率が低い災害などに十分備えてこなかったと一蹴した。
 IAEAは福島の事故前から、加盟国に対し原発の安全性を評価する際、機器の故障などが大事故に至るすべての可能性を把握する確率論的安全評価(PSA)の適用を勧告。2007年の専門家による訪日調査では「日本には設計基準を超える事故について検討する法的規制がない」と指摘し、過酷事故に十分備えるよう求めていた。
 しかし、IAEAの勧告や助言を受けた抜本的な対策は取られず、報告書によると、第一原発ではPSAを適用せず、非常用デーゼル発電機などの浸水対策が不足。
 十年ごとの定期安全レビューでも地震・津波予測の再評価が義務付けられておらず、過酷事故への対応や安全文化の見直しも含めて「国際的な慣行」に十分したがっていなかった。
 福島の事故後、中東のヨルダンが「原発の建設予定地を地震が少ない場所に変更」(同国原子力委員会幹部)するなど各国は新設・既存の原発の安全を強化している」と教えてくれる。
 次の一本は、「IAEAが東京電力福島第一原発事故を総括する報告書で、日本の安全対策を厳しく批判した背景には、日本で原発再稼働への動きが進み、世界でも原発建設が増える見通しの中、再び過酷事故が起きかねないことへの強い危機感がある。
 福島の事故前にも1979年にスリーマイルアイランド(米国)、86年にチェリノブイリ(旧ソ連)で原発の大事故が生きたにもかかわらず、日本では「よそごと」として原発の安全神話にあぐらをかき、電力会社と政府の規制当局は真摯な対策を怠ってきた。
 原子力技術の”優等生“だった日本での事故により国際的に原発への信頼は大きく揺らぎ、ドイツが2022年までの全商用原子炉の稼働停止を決定、スイスやベルギーなど先進国を中心に脱原発へかじを切る国が続いている。
 しかし日本では安倍政権が「原発回帰」を推進、今夏にも九州電力川内原発が再稼働する見通しで、トルコなど海外への原発輸出も進めている。
 世界全体を見渡しても、電力需要が急増する新興国を中心に原発は増える見通しで、日本を含め世界各国で原発の安全意識を徹底できるかが問われている。
 近い将来、いづれかの国で再び過酷事故が起きれば、国際的な原子力平和利用への信用が崩壊しかねない。
 IAEAの天野之弥事務局長も報告書で「第一原発事故が人間に与えた大きな影響を忘れてはいけない。安全が最も大切だ」と強調し、教訓を生かした事故防止に努めるよう訴えている。」と、教えてくれる。
 さらに次の一本は、「「十分に防護思い込み 報告書の要旨」という見出しで始まった。
 IAEAが東京電力福島第一原発事故を総括した最終報告書の要旨は次の通り。
 1、(自然災害など)外的な危険要因に対する原発の脆弱(ぜいじゃく)性について、 
  体系的で総合的な方法で見直したことがなかった。
 1、事故当時、国内や海外の原発運転の経験は規制の中で十分に考慮されてなかった。
 1.東電は福島県沖で、マグニチュード(M)8.3の地震が発生すれば最大約15 
  メートルの津波が第一原発に達すると試算していたが、対策を取らなかった。原子 
  力安全・保安院も迅速な対応を求めなかった。
 1.2007年の訪日調査で「日本には設計基準を超える事故について検討する法
  的規制がない」と指摘、保安院が安全規制の向上に中心的な役割を果たすように求 
  めた。
 1.第一原発の設計は、津波のような外的な危険要因に十分対応していなかった。I 
  AEAの安全基準で勧告された確立論的安定評価(PST)による審査は十分実施 
  されず、非常用デーゼル発電機の浸水対策などが欠けていた。
 1.原発で働く東電社員らは津波による電源喪失や冷却機能の喪失に十分な備えがな
  かった。適切な訓練を受けず、原発の状況悪化に対応できる機器もなかった。
 1.「原発の安全に関する問題に遅滞なく対応する方法について、どの組織が拘束力 
  のある支持を出す責任と権限を持つのか明確ではなかった。
 1.事故当時の規制や指針、手続は重要な分野で国際的な慣行に十分従っていなかっ
  た。十年ごとの定期安全レビューでは外的な危険要因の再評価が義務付けられてい
  なかった。 過酷事故の管理や安全文化でも国際慣行との違いが目立った。
 1、日本では原発が技術的に堅固に設計されており、十分に防護が施されているとの
  思い込みが何十年にもわたり強められてきた。その結果、電力会社や規制当局、政
  府の予想の範囲を超え、第一原発事故につながる事態が起きた。
 1.原発事故と自然災害への対応では、国と地方の計画がばらばらだった。事故と災
  害の同時発生に協力して対応する準備がなかった。
 1.日本の国内法と指針は、緊急対応に当たる作業員の放射線防護の措置に言及して
  いたが、詳細な取り決めが不足していた。
 1.子供の甲状腺被ばく線量は低く、甲状腺がんの増加は考えにくい。一方、事故直
  後の被曝線量に関しては不確かさが残る。
 1.避難住民の帰還に備え、インフラの再構築やその実行可能性、地域の持続的な経 
  済活動を検討する必要がある。
 1.汚染された原子炉建屋への地下水流入を制御することが依然必要。汚染水問題 
  では全ての選択肢を検討することが必要。
 1.復興活動に関する国民との対話が信頼醸成には不可欠。」とも教えてくれる。
読んで、日本の原発関係者、東電、規制当局の国際的非常識、十分に防護の思い込みが何十年にもわたり強められてきた、こと等に驚きとともに、日本国・日本国民が世界的に恥をかいたと思った。
 報告書の要旨は、一から十まで、指摘は当たっているのではないか。この指摘が、完璧に対応できなければ、原発を再稼働してはならないと思った。国会で、徹底的に規制当局と東電を「過去のの事実については」厳しく糾弾し、再稼働に当たっては「報告書要旨のすべてを」完璧に実践させることで追及し、再稼働前に政府・東電の無責任を国民の前に明らかにしてほしいと思った。
 そして、国会の議論が、再稼働の問題性を、広く深く多くの国民が考える大きなチャンスになることを期待したい。
by sasakitosio | 2015-05-30 06:20 | 東京新聞を読んで | Trackback