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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

「不戦兵士」の声は今

 5月3日付東京新聞社説に、「「不戦兵士」の声は今」という見出しで、今日の憲法事情を考える記事が載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「昨年は集団的自衛権の行使容認。今年は集団的安全保障体制・・。政権の次の狙いは憲法改正でしょう。戦後70年の今こそ、しっかり憲法を考えたいものです。
 昨年暮れに「石見タイムズ」という新聞の復刻版が京都の出版社から出されました。。社屋が島根県浜田市にあった。この小さな地方紙の創刊は1947年で、今のところ53年までの紙面が読めるようになったのです。
 故・小島清文氏が主筆兼編集長を務めました。小島清文氏が筆を振るったのは約11年間ですが、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していました。
 「自由を守れ」「女性の解放」「文化の存在理由」「文化運動と新しき農村」・・・。社説を眺めるだけでも、新時代の歯車を回そうとする言論の力がいかがえます。
 例えば「民主主義の健全なる発展は個人の教養なくして望めないし、自らの属する小社会の改善から始めねばならない」などと論じます。二度と戦争しない国にするという思いがありました。なにしろ経歴が異例の人です。」と切りだした。
 つづけて社説は、「小島氏は戦時中、慶応大を繰り上げ卒業し、海軍に入りました。戦艦「大和」の暗号士官としてフィリピンのレイテ沖海戦に従います。その後ルソン島に配属され、中尉として小隊を率いました。
 でもこの戦いは米軍の攻撃にさらされ、同時に飢えや病気で大勢の兵隊が死んでいきました。ジャングルの中は死屍累々のありさまです。「玉砕」の言葉の出るほどの極限状態でした。
 小島氏は考えました。「国のために死ね」という指揮官は安全な場所におり、虫ケラのように死んでいくのは兵隊ばかり・・・。連合艦隊はもはや戦う能力もない・・・。戦争はもうすぐ終わる。考えた末に部下を引き連れて、米軍に白旗をあげ投降したのです。
 この投降を誰が非難できるででしょうか。むしろ「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」により、死なずに済んだ命は無数にあったはずです。白旗は無責任な戦争指導への非難に思えます。
 小島氏の名前が世間に知られるようになるのは、新聞界を退いてからずっと後です。88年に「不戦兵士の会」を結成し、各地で公演活動を始めたのです。ひたすれ「不戦」を説きました。
 92年にだした冊子ではこう記しています。
 <戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであった、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である>
 憲法の平和主義のことです。戦後日本が戦死者を出さずに済んだのは、むろん九条のおかげです。
 自衛隊は本来あってはならないものとして正当性を奪い、軍拡路線にブレーキをかけてきました。個別的自衛権は正当防衛なので、紙一重で憲法に整合しているという理屈が成り立っていました。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「しかし、安倍晋三政権は従来の政府見解を破壊し、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めました。
 解釈改憲です。今国会で議論される安全保障法制は、他国への攻撃でも日本が武力行使できる内容です。「専守防衛」を根本から覆します。九条に反してしまいます。
 権力を縛るのが憲法です。これが立憲主義の考えかたです。
 権力を暴走させない近代の知恵です。権力が自ら縛りを解くようなやり方は、明らかに立憲主義からの逸脱です。
 小島氏は2001年の憲法記念日に中国新聞に寄稿しました。
 <権力が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない>
 <われわれは、国歌や国旗で「愛国心」を強要されなくても誇ることができる「自分たちの国」をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。
 主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は滅びの道を歩むからだ>
 権力が改憲をめざす以上、主権者は傍観してはいられません。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「小島氏は02年に82歳で亡くなります。
 戒名は「誓願院不戦清文居士」です。晩年にラジオ番組でこう語っています。
 <戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で自分のことになっている>
 「不戦兵士」の忠告が今こそ、響いてきます。」と締めくくった。
 たしかに、響いてくるものがあった。
 「国のために死ね」という指揮官は安全な場所におり、虫けらのように死んでいくのは兵隊ばかり・・・」
 「戦争は<中略>国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決にの役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり・・」
 「権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない」
 「「愛国心」を強要されなくても誇ることのできる「自分たちの国」をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡びの道を歩むからだ」、等々は、いまにそのまま通じる考え方だ、と思った。
 傍観者でいる言い訳は、いくらでもあるし、傍観者でいることは楽チンだ。ただ、みんなで名ばかり主権者に甘んじていると、「権力者の手中で日本国が亡びの道を進む」との小島氏の警告。自分は、今、何を具体的にすればいいんだろうか?年を取ったことが、傍観者でいることの、いちばんいい言い訳にはなるが?
by sasakitosio | 2015-05-06 11:54 | 東京新聞を読んで | Trackback