モニター・デモクラシー
2015年 02月 20日
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「現代の代表民主制は難問を抱えている。欧州連合(EU)と傘下の国家、国と地方などの間の対立や軋轢が耳目を集めている。住民投票も首長や議会への異議申し立てだ。国民の生活と尊厳を守るために抵抗するギリシャ新政権に、EUはかたくなに緊縮財政・構造改革・債務返済をせまる。沖縄では利益誘導に抗して三回の選挙で基地移設反対の民意が示されたのに安倍政権は強行の構えだ。対話を試みようともしない。上位の政体(EUや国政)は当事者(ギリシャや沖縄)の意思を暴力的に踏みにじってよいのか。」と切り出した。
つづけて筆者は、「J・キーンの浩瀚な「デモクラシーの生と死」は民主制を神や歴史や国家や市場などの大文字の真理から解放された、平等を求める人々の生き方ととらえ、現代の民主制を政治家や議会への不信からリコールや説明責任の追及や討論型世論調査などの無数の装置で権力を監視・牽制するモニター民主制と考える。
戦争やナショナリズムも難題だ。1930年代日本や欧州が示すように、この両者が結びつくと代表民主制はもろくも壊れて全体主義が跋扈する。」と指摘した。
最後に筆者は、「われわれは歴史を直視しもっと謙虚に進むべきだ。原発再稼働、集団的自衛権行使、労働法制改悪など、選挙に勝ったからなんでもできるなどという傲慢は民主主義に反するのだ。」と締めくくった。
読んで勉強になった。
「J・キーンの「デクラシ―の生と死」は民主制を神や歴史や国家や市場などの大文字の真理から解放された平等を求める人々の生き方」ととらえて、「現代の民主制をモニター民主制」と考えているとのこと、
「戦争とナショナリズムが結びつくと代表民主制はもろくも壊れて全体主義が跋扈する」との筆者の指摘、等は考える刺激になった。
モニター制の民主主義で「監視や・牽制する」無数の監視装置は存在すれども、その効果がなかなか出にくいというのは何故なのか?
それは、根源的に為政者側の「聞く耳」・「聴く心」に問題があるのか?
はたまた、無数の監視装置の数は有れどもみながみな「機能」がいまいちなのか?
それとも、長い歴史の間に、為政者と監視装置の間に生まれた「なれ合い」に問題があるのか?
それとも、代表制民主主義の耐用年数が来て、次の新たな「人間の団体の秩序」維持のシステムが生まれる「時期」なのか?その答えは、日本の有識者の「知恵」に期待したいのだが?