戦後が水泡に 今が岐路
2014年 07月 01日
記事は、「画家だった私の父は、後に張鼓峰事件と呼ばれた戦闘で、急病の上官に代わり小隊を率いました。
恐怖でパニックの兵士らは命令を待たずに銃撃を始めた。
「まだだ」と制止した父はソ連兵に胸を撃たれ、死線をさまよいました。92歳で亡くなるまで、父の胸にはえぐれた深い傷痕が残った。しみじみ言ったものです。「撃たれてよかった。おかげで一人も殺さずにすんだよ」と。」と教えてくれる。
つづけて記事は、「自衛隊があるから、日米安保があるから、70年近く戦争せずに済んだと、いう人がいます。でも抑止力はそれではない。不戦を掲げた憲法9条の精神を守る。だから日本は戦場で銃を取らずにすんできた。
その解釈を曲げ、戦争ができる時代に巻き戻そうとする人たちがいます。劇作家の井上ひさしさんは「日本人は既成事実に弱い。政治家はそれを知っている」とおっしゃった。
知恵を集め、歩み寄る手段のはずの議論すら勝ち負けで考える人たちが、決めてしまえばこっちのものと、異見も反論もねじ伏せる姿が浮かびます。」と教えてくれる。
最後に記事は、「戦時に社会主義思想の本を預かり検挙された父は、平和が訪れるとアトリエのドアに日本国憲法を貼りました。表現や言論の自由を認め、戦争の放棄がある。得たものの象徴だったのでしょう。
特定秘密保護法が成立し、9条が踏みにじられようとする絶望を知らずに逝き、よかったとすら思う。
でも、諦めれば、父たちが命懸けで築いた戦後が水泡に帰す。今が岐路です。」と締めくくった。
記事の「諦めれば、父たちが命懸けで気付いた戦後が水泡に帰す。今が岐路です。」という思いは共通です。ただ、挽回の機会は、これからいくらでもある。なにせ、国民主権です、選挙があります。国民が、次の選挙まで、「特定秘密保護法」・「集団的自衛権の行使」に賛成した「政党・議員」を決して忘れず、次の選挙で「落選」させる。その気持ちを持続させ、選挙の機会が、本当の「帰路」のような気がします。