日中韓 試される包容力
2014年 04月 12日
筆者は、「中国ハルピン市を訪れ、開館したばかりの安重根記念館を見てきた。
<中略>
むしろ驚いたのは、記帳簿で読んだ来館者たちの強烈な日本批判だった。
「中韓人民は団結して日本を倒す」
「日本が消滅すれば平和が訪れる」
<中略>
専門家を除けば、安について私たちは多くを知らない。ところが韓国では、その名を口にするだけで世代を超えて反日闘争心に火かつく。
実感したのは20年ほど前、日本の教科書に登場して韓国内で賛否の大騒動になったころだったか。あるいは、サッカー日韓戦の客席に巨大な肖像画がはためいた時だったか。」と切り出した。
つづけて筆者は。「安重根、南京事件、強制連行―――――。
中韓が日本の歴史認識を揺さぶり続ける。官房長官らが同じ土俵で反論すれば、いっとき国内世論の溜飲は下がる。けれども対外的には紛糾の度を増すだけである。むしろ今の日本は、土俵を超え、国境を超えるような包容力を見せる時なのかもしれない。
たとえば、なでしこジャパンの選手たちが反日一色の中国観客に向けて感謝の横断幕を掲げたことがある。
「ARIGATO 謝謝 CHINA 」
強烈な印象を与えた。中国紙は「日本の選手は不快な感情を乗り越えた」と論評。「負けた」と反省する声がネットにあふれた。7年前のことだ。」と教えてくれる。
さらに筆者は、「案と接した日本人の中にも大きな人物がいた。1885年宮城県生まれの陸軍憲兵、千葉十七は、旅順の刑務所で安の看守を務めた。
最初は憎しみを抱くが、監房や尋問室の行き帰りに話して感銘を受ける。教養が深く沈着で、暴漢に殴られても動じない。「みずからの罪だ」と死刑判決すら従容として受け入れた。
10年後に退役し帰郷した千葉は、安の遺墨を仏壇に供える。50歳で亡くなるまで朝晩手を合わせたが、世間には隠した。韓国の大罪人と友情を結ぶことなど許されない時代だった。
この話は、千葉が眠る宮城県栗原市の大林寺境内で、斎藤泰彦住職から教わった。住職は元朝日新聞記者で、毎秋二人の追悼法要をを営んできた。韓国からの訪問客は途切れず、安の孫らも来日して千葉の墓前で頭を下げた。」とも教えてくれる。
最後に筆者は、「日韓で安について意見がぶつかるのは避けられない。私が強く打たれるのは、国境を越え、恩讐も越えた千葉十七という日本兵の生き方である。」と結んだ。
記事を読んで、筆者が苦い味が残ったという「応酬」は理解できる。また、なでしこジャパンの行動には、大人を感じ、千葉十七の行動には、安の信念と覚悟を、垣間見ることができた。そして、千葉十七の隠れた行動が、かえって日韓の信頼を生む歴史的事実になると思った。
日中韓の為政者も国民も、歴史問題を言う時に、楽しかったこと、仲良かったこと、を探し出し、その友好の歴史を共有する努力が足りないような気がした。