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by sasakitosio

「スパイの家族」 呪縛今も

 2月25日付東京新聞28面に、「こちら特報部」のページがある。中で、「「スパイの家族」呪縛今も」・「宮沢・レーン事件遺族「秘密法は危険」訴え」の見出しで、戦時中、北海道帝国大生・宮沢弘幸が軍機保護法違反罪に問われた」「宮沢レーン事件」。この「スパイ冤罪事件」に巻き込まれた宮沢さんの妹の秋間美江子さん(87)のことが記事に載った。
 筆者は、出田阿生氏だ。
 今日はこの記事を勉強することにした。
 記事は、「「特高警察が家に押しかけてきて、棒でドンドンと天井を突っつくんです。ほこりだけで、何もないことが分かっているのに。二、三日して、黒いコートの男たちが後ろをついてくるのに気づいた時は本当に気持ち悪くて・・・」
 美江子さんにとって事件は、本当に思い出したくないつらい出来事だった。米コロラド州在住。がんで五度の手術を繰り返し、主治医にも止められていたが、弘幸さんの追悼集会に出席するため帰国した。特定秘密保護法を廃止したいという一念からだ。」と切り出した。
 つづけて記事は、「軍機保護法違反罪に問われた弘幸さんは、懲役15年を科せられた。裁判は非公開。家族には何が罪に問われたのかも知らされないままだった。極寒の網走刑務所に投獄された弘幸さんは結核を患う。敗戦後の1945年10月に釈放され、療養したが、47年2月22日に衰弱死した。27歳であった。
 漏らしたとされた軍の飛行場などは、新聞などに報道されていた周知の事実だった。スパイはぬれぎぬだった。特高が外国語堪能な弘幸さんに目を付け、見せしめで検挙したのだ。当時、スパイは国賊扱い。うわさが広がり「家族まで殺されかねない雰囲気」だったという。14歳だった美江子さんにも、下校時に特高警察の尾行がつきまたった。
 その後、いくつもの縁談が壊れた。
 美江子さんは「二人の兄をなくした」と語る。弘幸さんが刑務所に送られた43年、慶応大学だった次兄の晃さんは、明治神宮外苑の陸上競技場で開かれた「学徒出陣」の壮行会で、在校生代表として壮行の辞を述べるはずだった。だが、別の学生に交代させられた。
 その後、晃さんは海軍航空隊に学徒志願して戦闘機のパイロットに。長崎に原爆が投下された直後、被害調査のため上空を飛行し、被爆によるとみられる白血病で、40歳の若さで亡くなった。壮行の辞を読めなかった屈辱については、生前、家族にも話さなかった。晃さんの死後、それを知った美江子さんは泣いた。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「事件との関係を隠すため、転居を重ねた。母とくさんが戦争協力団体「大日本婦人会」の活動に熱心に取り組んだのも、晃さんの学徒志願も、世間の偏見や迫害から逃れるためだったという。
 美江子さんはその後、結婚し、夫の仕事先の米国で、千人以上の日本人留学生を支援してきた。
 「家族で私だけが幸せに生きてきた」と話す。
 だが、「スパイの家族」の呪縛からいまだに逃れられないという。
 「今でも他人から疑われるのが怖い」と打ち明ける。」と、教えてくれる。
 最後に記事は、「秘密保護法も、第三者が「秘密」の妥当性を検証できない点では軍機密保護法と同じだ。
 冤罪の温床となりうる。何よりも恐ろしいのは、人間同士の信頼関係を破壊することだ。
 美江子さんは訴える。「聞くことも、話すことも自由な日本であってほしい。」」と、しめくくった。
 読んで、よく分かった。記事にあるように「何よりも恐ろしいのは、人間同士の信頼関係を破壊する」のが、生きにくい社会をつくることになる。今の平和と自由を守るために、秘密保護法は廃止しなければならない、との思いを強くした。
 
 
by sasakitosio | 2014-02-28 20:07 | 東京新聞を読んで | Trackback