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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

地方の意思を示す

 2月2日付東京新聞朝刊4面に、「「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。今日の筆者は、立教大学大学院教授・哲学者・内山節氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「現代的な課題を研究している人たちにとって、民主主義は悩ましい問題になってきている。民主主義は不完全にしか機能しないことが、明らかになったからである。
 正確に述べれば、小さな組織なら民主主義は成立しうる。村の集落で行われている伝統的な会議とか、小中学校の一クラス程度のものなら、議論を重ねながらよりよい方法を決めることもできるだろう。ところが国のような大きな組織になると、民主主義は代議制民主主義になってしまって、それはしばしば多数派の横暴を生むことになる。
 前回の衆院選でも、秘密保護法や環太平洋連携協定(TPP)への前提なき参加、原発の有無を言わさぬ推進などは、自民党の公約にはなかった。しかし、多数派をとってしまえば、やりたい放題である。少数派の意見など聞く耳を持たないのが強い政治だと言わんばかりの暴走が続いている。」と指摘した。
 つづけて筆者は、「こうしたことが起きるのは、代議員制民主主義が、選ばれたものに全権を委任する制度になっているところにある。それが権力を手にした者の暴走を生む。
 とすると選挙民は、この不完全なシステムにどう対応したらよいのだろう。
 制度としては、できるだけ小さな単位に決定権を委譲していくことが必要だろう。つまり地方分権を徹底させ、人々の監視が行き届くところに決定権を持たせることである。とともに重要な課題については、住民投票を活用することも必要だろう。大事なことは議員に全権委任させない方法を確立することである。
 だが、今の制度の下でどうしたらよいのか。そのひとつは、国政の問題を地方の課題として考えることだろう。現実の問題としても原発事故が起きてしまえば、原発政策は国の課題だなどと言ってはいられないのである。国に全権を委任しないためには、たえず地方の課題として国の政策に発言していくことが必要だ。TPPにしても、それは国の課題だなどと言っていたのでは、農村地域は衰退の道を歩むことになるだろう。国と地方の分業など、成り立ちえない。このような視点からみれば、沖縄の名護市長選は、国の政策を地方の課題に落としたという点で、地方主権のあり方を示したと言ってよい。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「「もう一つ、次のような視点ももつ必要が」あるだろう。代議制民主主義が権力の暴走を生む欠陥がある制度だとするなら、選挙は自分たちの代表を選ぶものではなく、むしろ自分たちの拒否権を行使することに意味があるということである。今日の課題としては、政府の暴走に「ノー」という意思を突き付けることであり、たとえば原発の推進を拒否するという意思を明確にすることである。
 重要なことは、暴走させないように権力の手足を縛ることの方にある。」とも教えてくれる。
 最後に筆者は「もう一度述べるが、代議制民主主義は不完全な制度である。にもかかわらず、それに代わるもっと有効な方法が見つからない以上、私たちはこの不完全な制度とうまくつきあうしかない。
それは拒否権行使としての投票であり、ときにデモや集会、さまざまな手段を使っての直接的な意思表明をすることであり、国の課題を地方の問題としてとらえなおすことなのではないだろうか。今回の都知事選も、東京という地方の意思を示す選挙である。」と締めくくった。
 読んで、代議制民主主義に絶望しかけていたところに、あらたな光明を見たような気がする。通信手段の発達によって、直接民主主義への移行を真剣に考えなければならないと思っていた。
が、筆者の主張のような対処の仕方で、今の制度を活用することがより現実的対処の仕方のような気がした。それにしても、選挙制度は、誰でも立候補でき、落選のリスクをなくする、制度改正をして、優秀な人材が多く集まる「国会」にできないものか?
by sasakitosio | 2014-02-06 20:14 | 東京新聞を読んで | Trackback