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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

透明性ない国家に信任なし

 11月17日付東京新聞4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、立教大大学院教授・哲学者。内山節氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「特定秘密保護法案は、政府が国民に教えたくない情報を合法的に隠蔽できる法律である。しかも「秘密情報」を教えることを求めた人まで処罰されるのだから、議論する気にもなれないほどひどい法案だといわなければならない。
しかもこの法案の危うさは、国民の知る権利だけにあるのではない。その危うさは国家とは何かということ自体にかかわってくる問題である。」と)切り出した。
 つづけて筆者は、「国家はシステムに過ぎない。古代には古代国家のシステムがあり、戦前には戦前の国家システムがあった。
 国家が維持されるためには、このシステムに国民が反抗できない状態が保持されるか、国のシステムを国民が信任しているかが必要であった。前者は抑圧的な国家、後者はいわゆる民主的な国家のかたちである。抑圧的な国家は、国民を押さえつけることができなくなったとき崩壊する。とすると民主的国家はどういうときに崩壊するのであろうか。それは、国民が国家のシステムを信用しなくなった時である。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「国家は決して盤石なものではないのである。抑圧的な国家が突然崩壊の日をむかえるとおなじように、国民がシステムを信用しなくなったとき、民主的な国家もまた崩壊への道を歩む。
 とするなら、政治は国民からの信認をたえず高めるための努力を怠ってはいけないはずである。
そのために最も重要なことは政治の透明性である。どういうプロセスをへて政治方針がつくられていったのかを明らかにしながら、決して一部に人たちの利益を代弁しているのではないことを、政治家は示し続けなければならない。可能なかぎりの情報を公開し、オープンな政治を心がげなければならないのである。」、と断言する。
 さらに続けて筆者は、「ところが最近の首相の演説を聞いていると、まるで戦中の大本営発表のようだ。あの時は日本軍の勝利、勝利の連呼だったが、いまでは経済は回復しつつあるという連呼だ。そこに国民の目を引き付けながら、自分たちの都合にいいように政治を私物化していくやり方も似ている。
 そのひとつが特定秘密保護法案であり、原発事故によってもたらされた現実を直視しない原子力政策である。さらに解雇しやすい雇用制度特区なども交えながらつくろうとか、社会保障制度の変更とか。TPPにも農業政策にも同じことが言えるだろう。」と、指摘した。 
 最後に筆者は、「大本営発表的な言動や、それを支持する人たちの大合唱によって国民をひきつけながら、都合のいい国家をつくろうとするなら、その先に待っているものは、ファシズムの予兆を帯びた不安定な時代の到来でしかない。」と、不幸で辛い、予言をした。
 私も、全く同じような、心配を感じている。ただ、戦前と違うのは、国民主権の日本憲法があり、基本的人権は犯してはならないという日本国憲法があり、国民が気づき・立ち上がりさえすれば、いつでも政権を変えることができるという点だ。問題は、眠れる巨像がいつ目覚めるかだ。
by sasakitosio | 2013-11-20 19:11 | 東京新聞を読んで | Trackback