一つの記事の発信から
2013年 10月 23日
社説は、「少々古い話すですが、新聞記事から始まったこととして有名なものに、ピカソの大作ゲルニカがあります。虐殺告発の絵です。」と切り出し、「1937年4月26日、スペイン・バスク地方の古都ゲルニカは無差別空爆を受けました。スペイン共和国政府と内戦中のフランコ軍を支援するナチス・ドイツによるものです。スペイン出身のピカソは、そのニュースを家とアトリエのあるパリで知ります。新聞は2紙読んでいたそうです。その一紙、リュマニテは爆撃で亡くなった民間人の写真を載せ、また英国の新聞タイムズの特派員が書いた現地ルポを翻訳して詳細に報じました。」と指摘した。
さらに社説は、「記録によれば、ピカソがゲルニカの最初のデッサンを表したのが5月1日。彼はもともと非政治的な人間だったと言われますが、一本のニュースが彼の心に火を付けたと言えます。大作ゲルニカは、その月にパリで始まった万国博のスペイン共和国館を飾りました。今は世界の宝です。」とも指摘する。
さらに社説は、「セレンディピティーという言葉をご存知でしょうか。」と切り出し、続けて「英和辞典を引くと、いいものを偶然に発見する才能、堀り出し上手などと書いてあります。18世紀の英作家ウォルポールが、珍しい宝物をうまく偶然発見してゆくおとぎ話「セレンディップ(アラビア語でスリランカ)の三人の王子」から作った言葉です。」と教えてくれる。
さらに社説は、「新聞には、もちろん読みたい記事もあるが、自分にとって興味のないもの、利益と思われなもの、きらいかもしれないもの、そういうものもたくさん載っている。だから、宝物を発見できるかもしれない。 ----中略―――――
それはネットでももちろん可能ですが、新聞の隠れた効用に違いありません。逆に言えば、新聞の長い歴史とは、社会に欠けてはならないものを、意図せずに補ってきたのかもしれません。支えてきたのはもちろん読者です。その間にはセレンディピティを保持しようという見えざる力が働いていたんかもしれない。
政治にかんしんの薄かったピカソがゲルニカを描いた。ゲルニカは世界を震わせた、それも新聞のもたらしたセレンディピティーだったのではないでしょうか。」と締めくくった。
よんで勉強になった。5月9日から、始めた、新聞2紙を読んでの勉強は、文字通り、毎日が「宝物」の発見である。記事のキレ、深み、追及力、持続力、多様性、で東京新聞に感心している。