朝日新聞・記者有論「阿部首相ー祖父の(柔)も備えよ」
2013年 05月 19日
、、、、、岸氏は、生前「やらなければならない時期が必ず来る」と二つの課題を挙げたこと。その一つは「憲法改正」、今一つは「北方領土返還」だとのこと。とりわけ憲法改正は首相に返り咲いても自らやり遂げたい、と考えた宿題であるとのこと。
岸氏が、Å級戦犯として、巣鴨刑務所に収監されたのち、その理由は私は寡聞にして「不知」ですが、釈放され今の憲法のもとで「総理大臣」なった。そのことに、私は50年も前の学生時代から「不思議」に思っていました。
なぜなら、国民を塗炭の苦しみに陥れた、「第二次世界大戦」の日本政府の大臣が、国民に対する戦争責任を感じていたら、切腹・または隠棲しているはずだと思ったからです。
結果から推測すると、巣鴨刑務所からの釈放によって、岸氏は戦争を推し進めて事の責任は「免除」されたとおもったのか、そもそも戦争遂行責任は自分にないと思っていたのか、戦争責任をほとんど感じていなかったのではないか?
現行憲法については、戦争による惨禍を絶対に「政府の手」で起こしてはならない、反省であり、教訓であり、歯止めである、と考えたことがなかったのではないか?
戦争にまけたために、アメリカに押し付けられた憲法であるが、不本意ながら、それを受け入れてきた。ようなきがしてなりません。
そして、今なお「自主憲法」を主張し、戦争のできる国「日本」にしたいと、主張する人たちは、政府の行為によって「戦争」が行われ、敗北して多くの国民の「命・財産・将来」を破壊したことの「第二次正解大戦の反省」を感じない人たちなのではないか?と気が付きました。