憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

 11月20日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「今年は市長選挙、衆院選挙と、選挙運動によく参加した一年だった。

 街宣活動の時に特に注意したのは、点字ブロックを踏まないこと。ビラをまく時、演説を聞く時、決してこれを踏んではならない。みんなで声掛け合い、注意し合った。」と切り出した。

 続けて筆者は、「選挙から日がたち、私は点字ブロックのことを思うと、とても嫌な気持ちになる。もちろん、点字ブロックは踏まない方が良い 。

 だが、問題は私が注意を払った理由。

 恐れたのは、踏む写真がSNSを通じて拡散されることだった。

 この動機はあまりに自分本位。障害のある人に対して、やましく、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 確かに、選挙期間中、「00の運動員が点字ブロックを踏んでいる」的な写真付きのツイートが、無数に飛び交ったのは事実。注意せざるを得なかった事情はある。けれども、突き詰めて考えれば、点字ブロックを踏んだ踏んだと写真を撮って拡散する人は、視覚障がい者に関心を寄せる人なのだろうか。

 恐らくほとんどの場合、答えはノーだろう。」と指摘した。

 最後に筆者は、「それは極めて政治的な揚げ足取りにすぎない。自分の主張を通すために点字ブロックを利用するのはひきょうとも言える。

 納得できない批判に委縮するのは悔しい。それらと一線を画した上で、アリバイ的ではない、自然な配慮を積み重ねていきたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「街宣活動の時に特に注したのは、点字ブロックを踏まないこと。」とのこと、

 「恐れたのは、踏む写真がSNSを通じて拡散されることだった。」とのこと、

 「選挙期間中、「00の運動員が点字ブロックをぐんでいる」的な写真付きのツイートが無数に飛び交ったのは事実。」とのこと、

 「突き詰めて考えれば、点字ブロックを踏んだ踏んだと拡散する人は、視覚障がい者に関心をよせるひとなのだろうか?おそらくほとんどの場合ノーだろう。」とのこと、

 「それは極めて政治的な揚足取りにすぎない。」とのこと、等々を知り、理解できた。

 だから筆者の「納得できない批判に委縮するのは悔しい」という気持ちは本当によくわかった。

 しかし、運動員の自分の行動がいささかでも「候補者本人のマイナス」になっては申し訳ない、という気持ちが先に立って、「納得できない批判に委縮」して、悔しい気持ちを味わっている。 


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# by sasakitosio | 2017-11-21 06:33 | 東京新聞を読んで | Trackback

11月19日付東京新聞新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。

 筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「人間は人から褒められたい、批判されたくないという習性を持っている。

 毎日、魔法の鏡に向かって政界で一番美しい女性はだれかと問いかけ、それはあなたですと答えてもらって満足している白雪姫の継母は、そうした自己中心的な人間の極端なモデルである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「しかし、そうした自己愛は政治家の大敵である。おとぎ話ではなく、現実の世界では人間は常に誤る存在であり、国全体を誤りに巻き込めば国民が迷惑する。

 権力者に対しては、あなたは美しいとお世辞を言っていい気にさせる取り巻きではなく、理非曲直を正す目付け役が必要である。

 議会とは、権力者が誤っていないかどうかを詮議する目付け役の仕事場である。

 与党が野党の質問時間を大幅に減らそうとしているのは、国会の最も重要な機能を停止させることを意味する。

 先日の衆院文部科学委員会の審議を見るかぎり、与党議員は権力者のたいこ持ちである。

 政府の閣僚と与党議員が大半の時間を費やすなら、国会は国権の最高機関ではなく、最高権力者に向かって世界で一番美しいのはあなたですとお追従を言う、魔法の鏡のようなものになり下がる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「審議時間の配分は目立ちたい政治家同士の駆け引きなどではない。与党が野党の発言の機会そのものを奪おうとすることは、議会政治の危機なのである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「人間は人から褒められたい、批判されたくないという習性を持っている。」とのこと、

「権力者に対しては、あなたは美しいとお世辞を言っていい気にさせる取り巻きではなく、理非曲直を正す目付け役がひつようである。」とのこと、

 「議会とは、権力者が誤っていないかどうかを詮議する目付け役の仕事場である。」とのこと、等々の指摘はその通りだと、思った。

 「先日の衆院文部科学委員会の審議を見るかぎり、与党議員は権力者の太鼓持ちである」との指摘は、与党議員に「自らの権力者に対する目付け役」の自覚が全くないことを教えてくれる。

 そしてまた、野党の議員の質問に、権力者を飲み込んだような「大きくて先を見据えた」質問が、ほとんど見られないのは、目付け役の「能力・資質」が問われるような気がしてならない。

 それもこれも、現在の選挙制度で当選した議員であるところに、民主主義に「広さと深さと甘さと曖昧さ」があるということか?

 


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# by sasakitosio | 2017-11-20 07:10 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月12日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「表情ゆたかなその顔を、春先からニュースで何度も見た。13歳の時に広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんである。

 12月にはノーベル平和賞の授賞式でスピーチするというという。

 サーローさんは、今年の平和賞を受ける国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の「顔」として国際会議で発言し続けてきた。3月に国連本部で語った証言は忘れがたい。「広島を思い出すとき、認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた4歳だったおいの姿が、脳裏に最初によみがえります」。

 核兵器のむごさをこれほどに訴える言葉があるだろうか。

 同僚の記事で読み、かってどこかで似たような言葉と行き会ったように思い、記憶をたぐってたどり着いたのが、林京子さんの小説[祭りの場]の一節だった。長崎原爆のすさまじい体験を、30年の歳月を経て紡いだ芥川賞受賞作には、こうあった。「原爆は即死が一番いい」

 「なまじ1.2日生きのびたため苦し紛れに自分の肉を引きちぎった行員がいた」と

文章は続いていく。いったんは助かったと思った者も、急性原爆症に苦しみ抜いて次々死んでいった。

 林さんは14歳で被爆した。「人間を殺すのになぜここまで峻烈な兵器が必要なのか」。

 むごい描写のなかに差し挟まれた言葉には、尊厳をはぎ取られたおびただしい死を見た人の、核兵器の非人道性に向けた眼差しが光る。」と言いり出した。

 続けて筆者は、「その峻烈きわまる兵器の開発をリードし「原爆の父」と呼ばれたのは、米の物理学者オッペンハイマーだあった。

 この人には、しかし悔恨があった。

 戦争が終わってホワイトハウスにトルーマン大統領を訪ねた時「自分の手が血に染まっている気分です」と訴えた。大統領はハンカチを取り出して、「拭いたらどうかね」と差し出したという。

 この場面の子細は文献によって異なるが、ともあれトルーマンはオッペンハイマーの「良心」が気に食わなかったらしい。

 のちに国務省の高官にあてた書簡で「泣き虫科学者」とこき下ろした。

 科学者の葛藤と政治家の冷酷、と言った分かりやすい話ではあるまい。立場の違い以上に、二人の人間の想像力の違いだったかもしれない。

 それから時は流れて、いま、このシーンにいやでも重なる人物がトランプ大統領である。

 訪日中は上機嫌だったが、笑顔の下から鎧がのぞいている。おそらくは核をも含めた兵器や武器を、自国の雇用を広げて経済をうるおす「金のなる木」と見ているのは記者会見からも明らかだ。

 銃問題に対する氏の持論から察するなら、「武器を持ち悪いやつを止められるのは、武器を持つ良いやつしかいない」の論法になるのだろうか。

 北朝鮮に対して力ずくとなれば、深刻なダメージを受けるのは日本や韓国だが、安倍政権の追従ブリを見ると大事な時に「ノー」といえるのか心配になる。トランプ氏への忖度か、この政権は核廃絶への姿勢も被爆地を怒らせるほどに後ろ向きだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「長崎への原爆投下の翌日、オッペンハイマーはふさぎ込んで、同僚にこう問いかけた。

 「広島や長崎を生き延びた人は、死者を羨むだろうか」。

 落とした者の思念と、落とされた者の地獄がここに重なっている。

 「原爆の父は」はキノコ雲の下の非人道性を正確に想像していた。

 今年の2月18日はオッペンハイマーの没後50年となる命日だった。あくる19日に林京子さんは世を去った。亡くなったあと、文芸評論家の富岡幸一郎さんが本紙への寄稿文で、林さんからお聞きした言葉を紹介していた。 

 「わたくしはいつも思うの、わたくしのものを読んで下さる方は、もうすでに読まなくてもいい人たちなんです。でも、引っ張ってきてでも読ませたい人たちは読んでくれないいんですね」

 遺された言葉は、核兵器をめぐる一つの真実を静かに照らしている。読ませたい人々の顔が心に浮かぶ。核に対するモラルをこの国で緩ませないためにも。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「13歳の時に広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんは、12月にノーベル平和賞の授賞式でスピーチする」とのこと、

 「3月に国連本部で語った証言は忘れがたい。「広島を思い出すとき、認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた4歳だったおいの姿が、脳裏に最初によみがえります」。」とのこと、

 「林京子さんの小説「祭り場」の一節に「原爆は即死がいい」「なまじ一、二日生きのびたために苦し紛れに自分の肉を引きちぎった工員がいた」と文章は続いていく。」とのこと、

 「林さんは14歳で被爆した「人間を殺すのにここまで峻烈な兵器が必要なのか」。むごい描写のなかに差し挟まれた言葉には、尊厳をはぎ取られたおびただしい死を見た人の、核兵器の非人道性に向けたまなざしが光る。」とのこと、

 「長崎への原爆投下の翌日、オッペンハイマーはふさぎ込んで、同僚にこう問いかけた。「広島や長崎を生き延びた人は、死者を羨むだろうか」」とのこと、

 「林京子さんのことば「わたくしはいつも思うの、わたくしのものを読んで下さる方は、もうすでに読まなくていい人たちです。

 でも、引っ張ってきてでも読ませたい人たちは読んでくれないんですね」」とのこと、等々を知ることが出来た。

 私は、新潟県の田舎にいて、当時2歳だった。新潟に原爆が落とされていたら、火ぶくれになって水を欲しがっていたのは自分かも知れないと思うと、ぞっとする。

 戦争をなくして、兵器をなくして、原爆を不要にしなければならない、と思った。

 でないと、原爆で人類は地球上から絶滅しいなくなることになる、と思った。


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# by sasakitosio | 2017-11-19 16:44 | 朝日新聞を読んで | Trackback

11月9日付朝日新聞朝刊社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「10月21日、東京は雨だった。

 1943年のこの日も雨が降っていた。

 現在、東京五輪に向けて新国立競技場が建設中の地に明治神宮外苑競技場があった。

 午前9時20分から「出陣学徒壮行会」が始まった。観兵式行進曲に従い、地面に

水しぶきを上げて進む、8列縦隊、一列100人の隊列、約2万5千人。

 東条英機首相が訓示。

 「御国の若人たる諸君が、勇躍学窓より征途に就き、祖先の遺風を昂揚し仇なす敵を撃滅して皇運を扶翼し奉るの日は来たのである」。

 東京、神奈川、埼玉、千葉各都県の大学生らを戦地などに送った。「学徒出陣」である。

 無知な私は壮行会はこの外苑だけかと思い込んでいたが、最近、大阪、京都、名古屋、仙台など国内各地や外地と呼ばれた台湾や旧満州でも開かれたいたと知った。

 大阪では同年11月16日に出陣学徒と激励の女子生徒ら1万3千人余が市役所や中央公会堂などが並ぶ中之島公園に集合。

 天神橋から松屋町筋の繁華な街中をミナミ方向へ行進した。

 同日付の朝日新聞大阪本社版の夕刊の見出しは「今ぞ征で立つ学徒兵」「撃敵の意気天を衝く壮行式」。戦意をあおる新聞人の罪深さ。慚愧ざんきに堪えない。

 行進経路を歩いた。人車が忙しく行き交い、しのぶよすがは見当たらなかった。

 ペンを銃に換え、学舎から戦陣に向かった学徒兵は、10万人とも13万人とも。

 元々、大学、旧制専門学校在学生には徴兵適齢の20歳を超えても、在学中は猶予される特典があった。

 太平洋戦争勃発後、戦域の拡大とガダルカナル島などの激戦の結果、兵員の不足が深刻化し、猶予は撤廃された。

 大きな国力差がある米国と戦い始めたこと自体愚かだが、じり貧になった段階で和平を模索するのが最低限の良識だ。

 この国は未来を築く「宝」を、「一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生を受けたる諸君の進むべきただ一つの途」(東條首相)と消耗戦の捨て駒にした。戦死者は全学徒兵の約1割との推定もあるが実数は不明である。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「その下の世代も戦力だった。

 労働者不足を補うため、旧制中学や高等女学校などの生徒らが軍需工場の仕事や土木作業、食糧生産に投入された「学徒動員」だ。

 働く工場が米軍機の攻撃目標となり、焼夷弾の爆撃や機銃掃射で命を落とす生徒もいた。文部科学省の「学制百年史」によれば、それぞれの職場で終戦の詔勅を聞いた動員生徒は340万人超。一方で死者10966人、傷病者9789人に達した。

 志を奪われ死んだ彼ら彼女らを、我々はどれだけ記憶し、追悼してきたのかーーーー。」と指摘した。

 最後に筆者は、「兵庫県淡路島南端、福良港を見下ろす大見山に、ペン先の形の塔が天空に向かって立つ。周囲は戦場の塹壕のような石積みの外壁。戦争で亡くなった男女学徒を追悼するため、67年に建設された「戦没学徒記念若人の広場」の記念塔と展示資料館だ。

 圧倒的な存在感を示す造形は、広島平和記念資料館や代々木第一体育館などで知られる世界的建築家、丹下健三の設計だ。

 その事実は、長く一般には知られなかった。丹下氏自身が作品として発表せず、建物のオープニングの式典にも参加しなかった。

 建設に岸信介元首相や奥野誠亮元文相ら戦中に指導的な地位にあった政治家が関わったのを嫌ったのだという。

 建物は変転の歴史を歩んだ。

 開館直後は年間5万~6万人が訪れたが、やがて減り始め、95年1月の阪神・淡路大震災の被害を受けて20年近く閉鎖状態が続いた。

 建物がある南あわじ市が改修工事を施し、2015年3月に再公開した。 同年10月21日、外苑の壮行会と同日に、同地で終戦70年全国戦没学徒追悼式典が開かれた。

 神戸大の前身、神戸高等工業に入学し、45年6月に召集された元学徒兵、島一雄さん(93)は「過酷な戦闘に倒れた学友を思うと万感胸に迫り言葉がない。今日の平和と発展が貴い犠牲の上に達成されたことを決して忘れないでほしい」と呼びかけた。

 先の大戦に対する主義主張を越えて、私は彼ら彼女を悼みたい。そして、いまを生きる若い人にも訪ねてほしい。

 戦争の犠牲者に聖域や例外はない。世代を超えた非情な心理を、思い知る手がかりが、そこにある。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1943年10月21日9時20分から「出陣学徒壮行会」が始まった。<中略>約2万5千人。東条英機首相が訓示。「御国の若人たる諸君が、勇躍学窓より征途に就き、祖先の遺風を昂揚し仇なす敵を撃滅して皇運を扶翼し奉るの日は来たのである」。」とのこと、

 「大阪では同年11月16日に出陣学徒と激励の女子生徒ら1万3千人余が市役所や中央公会堂などが並ぶ中之島公園に集合。天神橋から松屋町筋の繁華街をミナミ方向へと行進した。」とのこと、

 「ペンを銃に換え、学舎から戦陣に向かった学徒兵は10万人とも13万人とも。<中略>

 この国は未来を築く「宝」を、「一切を大君の御為に捧げるは皇国に生を受けたる諸君の進むべきただ一つの途」(東條首相)と消耗戦の捨て駒にした。」とのこと、

 「文科省の「学制百年史」によれば、それぞれの職場で終戦の詔勅を聞いた動員生徒は340万人超。一歩で死者10966人、傷病者9786人に達した。」とのこと、

 「兵庫県淡路島の南端、福良港を見下ろす大見山に、ペン型の塔が天空に向かって立つ。周囲は戦場の塹壕ののような石積み外壁。戦争で亡くなった男女生徒を追悼するため、67年に建設された「戦没学徒記念若人の広場」の記念塔と展示資料館だ。」とのこと、

 「建物は変転の歴史を歩んだ。開館直後は年間5万~6万人が訪れたが、やがて減り始め、95年1月の阪神・淡路大震災の被害を受けて20年近く閉館状態が続いた。」とのこと、

 「建物がある南あわじ市が改修工事を施工し、2015年3月に再公開した。同年10月21日、外苑の壮行会と同日に、同地で終戦70年全国戦没者学徒追悼式典が開かれた。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 1943年4月生まれの自分には、同年の学徒壮行会は小さい頃「ニュース映画」で見た記憶がある。いま74歳である。第二次世界大戦の記憶はそれほど昔のことであるが、沖縄では今日只今でも戦争の後遺症で苦しんでいる。沖縄米軍基地である。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-19 12:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 11月18日付東京新聞朝刊社説横に、「風来語」という欄がある。筆者は、主筆・小出宣昭氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「1963年11月22日(日本時間23日)、ケネデい米大統領が暗殺された時刻に、自分がどこで何をしていたかを鮮明に記憶している人は多い。

 学生だった私も深夜放送を聞いていた友人から「おい、ケネディが殺されたぞ」と明け方に叩き起こされたことをはっきりと覚えている。

「えー、なんてこった」。

 背中から水を浴びせられた様な感覚だった。その後も、衝撃的なニュースは何度も起きた。

 95年1月17日の阪神淡路大震災、2001年9月11日のニューヨーク同時テロ、11年3月11日の東日本大震災。近年での忘れられない三大悲劇には、不思議な偶然がある。

 阪神の発生時刻は午前5時46分、同時テロは午前8時46分(米東備時間)、東日本は午後2時46分、まさに「魔の46分」というべきか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「冒頭のケネディ暗殺については、英紙サンデー・タイムスがかって報じたリンカーン暗殺とのぎょっとする符合がある。

 リンカーン大統領の就任は1861年だが、ケネディは100年後の1961年に就任。

 二人とも妻の目前で頭を打たれて殺され、跡を継いだ大統領の名前はともにジョンソンだった。

 リンカーンを継いだアンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ、ケネディの後のリンドン・ジョンソンは1908年生まれで100年違い。

 さらに、リンカーンの暗殺者ブースは1839(38年説も)生まれで、ケネディ暗殺の容疑者オズワルドは1939年生まれ、とこれまた100年違いだ。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「リンカーンの秘書の名はケネディ、ケネディの秘書の名はリンカーンだった。

 ブースはリンカーンを劇場で撃ってから倉庫へ逃げ、 オズワルドは倉庫からケネディを撃って劇場へ逃亡。二人とも裁判の前に殺されてしまった。

 事実は小説より奇なり。10月末に公開されたケネディ暗殺の2000余件の機密資料、今後の分析で何を語り出すだろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「95年1月17日の阪神淡路大地震、2001年9月11日のニューヨーク同時テロ、11年3月11日の東日本大震災。近年での忘れられない三大悲劇には不思議な偶然がある。<中略>「魔の46分」というべきか。」とのこと、

 「ケネディ暗殺については英紙サンデータイムズ紙がかって報じたリンカーン暗殺との符合がある。」とのこと、

 「リンカーンの秘書の名はケネディ、ケネディの秘書の名はリンカーンだった。」とのこと、

 等々を知ることが出来た。

 筆者の指摘のように「事実は小説より奇なり」を証明するような「符合」を知らされ、驚いた。

 2001年9月11日のニューヨーク同時テロ、2011年3月11日の東日本大震災、と11続きが気にかかる。

 1923年9月1日の関東大震災の後に、いつか必ず来るといわれている「首都直下型大地震」はいつ来るのだろうか?生きているうちには来ないでほしいが!まちがっても2021年0月11日なんてことはないと思いたい!!

 


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# by sasakitosio | 2017-11-19 07:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月12日付朝日新聞朝刊15面に、「科学季評」という欄がある。

 筆者は、京都大学総長・山極寿一氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「けいはんな学研都市で先月「けいはんな情報通信フェア2017」が開かれた。

 会場には自動運転に備えるドライバーモニタリングシステムやスマートシティセンシング、カメラと人工知能(AI)を用いた商品識別技術など、多言語自動翻訳技術、災害情報分析技術など、新技術を紹介するブースが並び、超スマート社会の到来を予感させる催しだった。

 その初日、私は「AIにはできない人間の幸せ」と題する基調講演をした。一見、AIを用いた情報通信技術の発展に水を差すように思われるだろうが、水ではなく棹さすような発言をしたつもりだ。

 人間は700万年間の進化史のすべてにわたって情報通信革命を進めてきた。方向性は一貫していて、近年それが加速したに過ぎない。

 だが、残念ながらその変化の速度に人間がついていけない。そのため、近年増えている心臓病、脳卒中、アレルギー性疾患、糖尿病などの慢性疾患と同じように、情報通信技術と人間の身体はミスマッチを起こした弊害が発見し始めている。

 いまそれをきちんと見定めたうえで、賢く技術を開発し応用できれば、人間にとって、幸せなソサエティー15.0(新たな経済社会)を構築することにつながる、」と切り出した。

続けて筆者は、「そのためには、人類の歴史をさかのぼって、なぜ情報通信技術を拡大する必要が生じたかを理解しなければならない。

 多くの人は、言葉の発明が情報通信技術の始まりだったと考えているのではなかろうか。

 しかし、人類の脳が多きくなったのは200万年前から40万年前の間で、まだ言葉を話していなかった。

 言葉が登場したのは7万年前ごろと考えられている。言葉は脳の増大に貢献したのではなく、脳が大きくなった結果として現れたのである。

 脳が大きくなった理由を問えば、他の霊長類と同様に集団の規模が拡大したためだという「社会脳仮説」がある。

 霊長類ではそれぞれの種がつくる集団の構成人数が多いほど、脳に占める新皮質の割合が高く、脳容量が大きいという傾向がある。

 つまり、日常的に付き合う仲間の数が増えるに従って、脳は多きくなる必要があったということだ。

 現代人の脳容量は約1500ccでゴリラの3倍だ。これは150人程度の集団で暮らすのに適合する。

 面白いことに、現代に暮らす狩猟採集民の平均的な村の規模は150という。40万年前から人類は150人程度の集団で暮らし、脳はそれ以上大きくならなかった。

 だが、約1万2千年前に農耕や牧畜が始まり、自ら食料を生産し貯蔵するようになって、人口が急に増え始めた。

 農耕が始まったころの地球上の人口は500万人~800万人。

 産業革命の起こった18世紀に7億人を、電話が発明された19世紀に10億人を超え、今や70億人を突破している。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「情報通信技術の発展は、この人口規模の急速な拡大に伴うものである。

 時間と距離を無視して多くの人々と交信でき、膨大な量のデータを瞬時に解析して的確な情報を送り続ける技術があるからこそ、私たちは人と物があふれる現代社会に生きて行ける。

 だが、これらの技術は多くの人々をつなぐ役割を果たし切れているだろうか。

 言葉は見えないものを表し、別々のものを一つにまとめる。持ち運び可能で効率的なコミュニケーションである。

 言葉は人間が広く分散しながらも、情報を交換し合いながら信頼できるつながりを保つ仕組みだった。

 でも信頼関係は言葉だけでは紡げない。

 他の霊長類と同じように人間は五感を用いて他者とつながり合う。

 共有しやすい視覚や聴覚ではなく、嗅覚、味覚、触覚の方が信頼を高めることに役立つ。

 脳を大きくした人類は言葉によって視覚や聴覚を広げて情報世界を広げ、他の五感によって信頼関係を保持してきたのではないかと思う。

 近年、ネットやスマホで得られる視覚、聴覚情報は格段に増えた。センサー技術も進み、人間の五感を超える分析が可能になった。

 しかし、人間はまだこうした技術を使って、信頼する仲間を増やせないでいる。

 100万人を超える都市に暮らしながら、信頼できる仲間は150人を大きく上回ることがない。むしろ、スマホ、フェイスブック、LINEで頻繁に連絡を取り合う仲間の数は減っている。しかも、顔を合わさずに連絡を取り合うため、身体感覚でつながることが出来ず、強固な信頼関係を作れないでいる。

 これからAIを用いた情報通信技術は、あらゆる情報をデータにして物や人をネットワークを密にしていくだろう。

 それは安全な環境をつくるのに大いに役立つはずだ。だが、現代は安全イコール安心ではない。

 安心は信頼できる人の輪がもたらすものだからだ。

 いくら安全な場所にいても、仲間に裏切られたちまち危機に見舞われる。

 私たちは今豊かな情報に恵まれながら、個人が孤独で危険に向き合う不安な社会にいるのである。

仲間と分かち合う幸せな時間はAIには作れない。それは身体に根差したものであり、効率化とは正反対なものだ。

 それを賢く組み込むような超スマート社会を構成する必要があると私は思う。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「けいはんな学研都市で先月「けいはんな情報通信フェア2017が開かれた」とのこと、

 「会場には自動運転に備えるドライバーモニタリングシステムやスマートシティセンシング、カメラと人工知能(AI)を用いた商品識別技術、多言語自動翻訳技術、災害情報分析技術など、新技術を紹介するブースが並び、超スマート社会到来を予感させる催しだった。」とのこと、

 「人類の脳が大きくなったのは200万年まえから40万年前の間で、まだ言葉を話していなかった。言語が登場したのは7万年前ごろと考えられている。」とのこと、

 「言葉は脳の増大に貢献したのではなく、脳が大きくなった結果として現れたのである。脳が大きくなった理由を問えば、他の霊長類と同様に集団の規模が拡大したためだという「社会脳仮説」がある。」とのこと、

 「現代人の脳容量は約1500ccでゴリラの脳の3倍だ。これは150人程度の集団で暮らすのに適合する。」とのこと、

 「約1万2千年前に農耕や牧畜が始まり、自ら食料をを生産し貯蔵するようになって人口が急に増え始めた。農耕が始まったころの地球上の人口は500万~800万人。産業革命の起こった18世紀に7億人を、電話が発明された19世紀に10億人を超え、今や70億人を突破している。」とのこと、

 「情報通信技術の発展は、この人口規模の急速な拡大に伴うものである」とのこと、

 「言葉は人間が広く分散しながらも、情報を交換し合いながら信頼できるつながりを保つ仕組みだった。」とのこと。

「信頼関係は言葉だけでは紡げない。他の霊長類と同じように、人間は五感を用いて他者とつながり合う。共有しやすい視覚や聴覚だけではなく、嗅覚、味覚、触覚の方が信頼を高めることに役立つ」とのこと、

 「現代は安全イコール安心ではない。安心は信頼できる人の輪がもたらすものだからだ。」とのこと、

 「仲間と分かち合う幸せな時間はAIにはつくれない。それは身体に根差したものであり、効率化とは正反対のものだ」とのこと、等々を教えてもらった。

 かねがね、世界から戦争を減らすには「言語の壁」をまず取り払い、疑心暗鬼から起こる「衝突」の回数を減らすことが必要だと思ってきた。

 だから、AIを用いた多言語自動翻訳技術の発展と「自動変換装置付き電話」の商品化を急いでほしいと思った。

 あわせて、世界の何処でも「居酒屋」「喫茶店」があって、五感を用いて他者とのつながりの持てる「空間」づくりが必要、と思った。

 それを日本で、東京オリンピック開催時に実現出来たら、文字通りオリンピックは「平和の祭典」になるような気がした。

 

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-18 07:34 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 11月17日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。
 筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「キリスト教徒は自分が所属する教会を持っている。私は京都にある日本基督教団(日本におけるプロテスタントの最大教派)の教会に属している。牧師は同志社大神学部の教授を長年務めた野本真也先生だ。私は月に一回、土曜日に神学部で集中講義を行って、翌日、礼拝に出席してから東京に戻るようにいる。

 12日の礼拝で、野本先生の前に、3歳と5歳の子どもが出てきて祝福を受けた。その後子どもたちは、千歳飴をもらった。キリスト教版の七五三だ。

 野本先生は説教で「日本のキリスト教はピューリタニズムの影響を受けた宣教師によって導入されたので、土着の習慣を迷信として切り捨てる傾向があるが、それは間違えている。日本に根付いている七五三を教会でも祝うので構わない」と話した。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「優れた神学者だから、こうしてキリスト教を日本に土着化させる努力ができるのだ。クリスマスだって、そもそもはヨーロッパ土俗宗教の冬至の祭りだ。現在のようにクリスマスのお祭り騒ぎがなされるようになったのは、第二次世界大戦後のアメリカで起きた現象で、それが世界に広がった。純粋なキリスト教は存在しない。

 それぞれの土地土地の文化に土着できるところに世界宗教としてのキリスト教の強さがあると、教会での七五三の儀式をみて再認識した。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「キリスト教徒は自分が所属する教会を持っている」とのこと、

 「野本先生は説教で「日本のキリスト教はピューリタニズムの影響を受けた宣教師によって導入されたので、土着の習慣を迷信として切り捨てる傾向があるが、日本に根付いている七五三を教会でも祝うので構わない」とはなしたとのこと、

 「クリスマスだって、そもそもヨーロッパ土俗宗教の冬至の祭りだ。現在のようにクリスマスのお祭り騒ぎがなされるようになったのは、第二次世界大戦後のアメリカで起きた現象で、それが世界に広がった。」とのこと、等々を教えてもらった。

 ある年の年末年始の休みが9日間あった時、ローマ一人歩きをした。サンピエトロ寺院の柱に一本一本抱きついてきた。ピエタの彫刻を見て、天地創造の絵を見て、ガリレオが裁判にかけられたという教会をはじめ教会のハシゴをした。

 そこで、クリスマスは24日のイブと25日で終わりでなく、一月初めまで続いているのに驚いた。そして、サンピエトロ寺院の広場に設けられた「キリスト誕生の小屋の模型」をみて、立っていたのは「馬」ではなく「牛」だったのに驚いた。

 小さいころから、キリストは馬小屋で生まれたと聞いていたので、オヤッと持った。

 そして、その後ある年の年末年始ロンドン一人歩きをしたときに、大英教会を訪れて、そこに飾ってあった「キリスト誕生の小屋の模型には、馬が居た」ので、すこしほっとした。

 野本先生の「日本のキリスト教はピューリタニズムの影響を受けた宣教師によって導入された」とのことで一応納得した。

 また、趣味の講談で「内村鑑三一代記」を口演するために、お墓参りから、文献調査、講演会への出席、などなどやってみて、内村鑑三氏は日本人として世界的な偉大なキリスト教徒であったことを初めて知った、事を思い出した。


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# by sasakitosio | 2017-11-18 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

11月16日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。
 筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「そっと肘でつついて気付かせることをナッジという。不注意や短慮や惰性から生じる人々の誤りを政府が優しく注意してやれば、法や規制に頼らずに是正できる。

 ナッジと題してこう論じた本がよく売れて、英米の前政権にも影響力を持った(邦訳は「実践行動経済学」)。著者の一人はノーベル経済学賞を得た。」と切り出した。

 続けて筆者は、「運転免許の申請書類に臓器提供する旨の項目を設けておけば、その初期設定が変更可能でも臓器提供者は増える。

 たばこの包装に肺がんの写真を載せれば喫煙者は減るし、納税督促状の言葉遣いや道路標識を工夫すれば効果が期待できる。

 カネもかからずイデオロギー的にも中立だ。

 だが、当初から強力な批判があった。

 これは結局、政治家や官僚が国民を「刺激に反応する操作可能な消費者」と見下すことではないか。討論や対話で民衆自身が学んでいくといった自立と熟慮の理想とはかけ離れた考え方だ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「事実、人々は政府のナッジを悟ると反抗する傾向があるという。労働と生活に追いまくられる低所得者層は善意のナッジにも反応薄だという研究もある。

 原発や地球温暖化や政権選択などの重大問題は本来、ナッジの範囲外だ。

 労働や格差や膨大な広告などの商品経済の経験こそ、小さなナッジを跳ね返す我々の意識と無意識の初期値なのである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「当初から強力な批判があった」とのこと、

 「討論や対話で民衆自身が学んでいくといった自律と熟慮の理想とはかけ離れた考え方だ」とのこと、

 「労働と生活に追いまくられる低所得層は善意のナッジにも反応薄だという研究もある。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 筆者の「原発や地球温暖化や政権選択などの重大問題は本来、ナッジの範囲外だ。」との指摘は、その通りだと思う。こういう重大問題は「討論や対話」で民衆自身が学びながら「自立と熟慮」が必要で、政府や官僚の優しい「ナッジ」に惑わされてはならない「事」だと思った。 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-17 06:25 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月15日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・齋藤美奈子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「吉野源三郎「君たちはどう生きるか」は1937年(昭和12)年の本である。

 旧制中学一年生のコぺル君(本名は本田潤一)と仲間たちの物語にコぺル君の叔父がつづった「おじさんのノート」を平禄した本で、私がはじめて読んだのは小学5年生のころ。油揚げは豆腐を揚げたものであることはこの本で知った。」と切り出した。

 続けて筆者は、「その「君たちは・・」が売れ行きを伸ばしているそうだ。8月にマガジンハウスから新装版と漫画版が刊行され(漫画版は50万部超!)、旧来の岩波文庫版も好調とか。

 10年程前、非正規雇用者の増大で、小林多喜二「蟹工船」が売れたのと同じような現象?

 軍国主義が跋扈する時代。「君たちは・・」が誕生した背景を、吉野源三郎は次のように記している。<この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があることを、何とか伝えておかなければならない>」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「しかし、歴史はどう動いたか。37年は日中開戦の年。この年に13~14歳だったコぺル君たちは、43年には19~20歳。学徒出陣の世代に当たる。彼らみたいな少年たちが6~8年後には戦争に動員されて命を落としたのである。

 と思うと穏やかではいられない。「偏狭な国粋主義と反動的な思想」に抗う本の好調を喜ぶべきか嘆くべきか。37年と2017年の符号が気にかかる。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 筆者は、「吉野源三郎「君たちは今どう生きるか」は1937(昭和12)年の本である」とのこと、

 「その「君たちは・・」は売れ行きを伸ばしているそうだ。8月にマガジンハウスから新装版と漫画版が刊行され(漫画版は50万部超!)、旧来の岩波文庫版の好調とか。」とのこと、

 「軍国主義が跋扈する時代。「君たちは・・」が誕生した背景を、吉野源三郎は次のように記している。<この人々には。偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化があることを、何とかして伝えておかなければならない>」とのこと、等々を教えてくれた。

 そして筆者は、「「偏狭な国粋主義と反動的な思想」に抗う本の好調を喜ぶべきか嘆くべきか。」と問いかける。

 私は、喜ぶべきだと思っている。自由で豊かな文化が壊されそうな現実に、本を買って読むことで、抗う人々が一人でも増えそうな予感がするから。


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# by sasakitosio | 2017-11-16 06:47 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月14日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「日曜日。福岡市の西南学院大学で「林えいだいさんお別れの会」があった。

 林さんとのつきあいは彼が68年に自費出版した、新日鉄など北九州工業地帯の公害を告発した写真集「これが公害だ」の直後からで、47,8年になっていた。

 北九州市は八幡、戸畑、小倉など海岸に進出した大企業の城下町の寄り合い。その市役所職員だった林さんが敢然と行政と大企業に歯向かった。彼の記録作家としての執念は、西嶋真司監督の記録映画「抗い」に活写されている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「焔炎々 波濤を焦がし 煙濛々 天に漲る 天下の壮観わが製鉄所 

 八幡市の市歌だが、溶鉱炉や製鋼工場は情け容赦もなく、濛々と煙を吐き散らし、「壮観」のもとで、子どもたちはぜんそくに苦しんでいた。空も海も真っ黒だった。

 林さんは八幡の公害告発から出発して、筑豊や軍艦島の朝鮮人炭鉱員や日本の植民地だった台湾先住民の蜂起事件(霧社事件)、特攻隊生存者の記録などを書き続け、9月に他界した。

 83歳だった。その半年前、田川市の自宅を訪問したとき、彼はあと10冊書きたいと真顔だった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「九州から上野栄信、森崎和江、石牟礼道子、松下竜一、川原一之、岡本達明など記録作家が輩出したのは、鉄鋼、炭鉱など明治期以来、資本主義の歴史の闇が深かったからだ。記録の火種を残したい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「日曜日。福岡市の西南学院大学で「林えいだいさんお別れの会」があった。」とのこと、

 「北九州市は八幡、戸畑、小倉など海岸に進出した大企業の城下町の寄り合い。その市役所職員だった林さんが敢然と行政と大企業に歯向かった。」とのこと、

 「彼の記録作家としての執念は、西嶋真司監督の記録映画「抗い」に活写されている。」とのこと、

 「林さんは八幡の公害告発から出発して、筑豊や軍艦島の朝鮮人炭鉱員や日本の植民地だった台湾先住民の蜂起事件(霧社事件)、特攻隊生存者の記録などを書き続け、9月に他界した。83歳だった。」とのこと、 等々を知ることが出来た。林えいだいさんは、偉い、頭の下がる「人物」であったことを初めて知ることが出来た。

 なかなか、まねのできない「偉人」が、現在の自分が知らないだけで、沢山いるのかもしれない、と思った。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-15 06:44 | 東京新聞を読んで | Trackback