7月7日付け東京新聞朝刊6面に、「視点」という欄がある。筆者は、論説委員・熊倉逸男氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「中欧の国ハンガリーのオルバン政権が、中国の大学誘致を進めている。新型コロナウイルスでも中国製ワクチンの供給を受けるなど、中国への接近を図る。
欧州連合(EU)や英国、フランス、ドイツなどが中国への警戒を強めているのと真逆の動きだ。
誘致に対しハンガリー国内では中国による建設費融資への不安、人権問題などへの反発から反対の声も強まる。
EU加盟国ながら、ハンガリーは反EU姿勢を強め、メディア統制や司法への介入を進めている。6月には、性的少数者(LGBT)についての表現や議論を制限する法律を成立させた。
同じ中欧のEU加盟国ポーランドも強権化が目立つ。メディアへの締め付けを強め、広告収入への追加課税をもくろみ、言論の自由を脅かしかねないと懸念されている。
両国とも社会主義時代に比べ豊かになり、EU加盟のメリットを享受している。何が気に入らないのだろうか。」と切り出した。
続けて筆者は、「発端は1989年11月のベルリンの壁崩壊だった。
自由主義が共産主義に”勝利“して唯一の選択肢となり、ハンガリーなど東欧の共産主義国にとって、自由主義を「模倣」することが義務となった。EUへの新規加盟の条件を満たす努力も、この動きを加速させた。
自由主義は、欧米化、民主化、統合、グローバル化などの美名でも呼ばれた。バラ色の未来が訪れるはずだった。
しかし、恩恵と共にもたらされたのは、社会的不平等と、汚職の蔓延だった。
何よりも、模倣される自由主義の西欧を「優れた者」。模倣する東欧を「遅れた者」とする位置づけが東欧の人々の怒りを買い、強権者の台頭につながった。
ブルガリアの政治学者、イワン・クラステフ氏らの著書「模倣の罠」(中央公論新社)の分析だ。
自由主義への反乱は東欧に限らない。
ドイツでも、反難民を掲げる右派政党「ドイツのための選択肢」が支持を伸ばしている。
米国でもトランプ大統領が登場し、日本でも政治不信が強まっている。
ドイツの作家トーマス・マンは第一次世界大戦時、民主主義を憎悪し、帝政ドイツの参戦を支持した。しかし、民主的なワイマール共和国が保守派や右派の攻撃を受けるのを見て、民主主義擁護の姿勢に転じ、政権を奪取したナチス批判の論陣を張り続けた。」と教えてくれる。
最後に筆者は、「ナチスにような圧政、人権や言論の自由をおろそかにされがちな中国やロシアの現状を見ると今のところ、自由主義や民主主義以上に、最大多数の最大幸福を目指せる制度は見当たらない。形骸化しないよう理念を実現していく努力を続けるしかないだろう。
ただ、自由主義を至上とするあまり独善に陥り、他国の尊厳を貶めてはならない。怒りを招き、「新冷戦」を加速させかねない。これも東欧の強権化が物語る教訓だ。寛容さも自由主義の要件である。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「中欧の国ハンガリーのオルバン政権が中国の大学誘致を進めている。新型コロナウイルスでも中国製ワクチンの供給を受けるなど中国への接近を図る」との指摘、
「誘致に対し、ハンガリー国内では中国による建設費融資への不安、人権問題などへの反発から反対の声も強まる」との指摘、
「EU加盟国ながら、ハンガリーは反EU姿勢を強め、メディア統制や司法への介入を進めている。6月には、性的少数者(LGBT)についての表現や議論を制限する法律を成立させた」との指摘、
「同じ中欧のEU加盟国ポーランドも強権化が目立つ。メディアへの締め付けを強め、広告収入への追加課税をもくろみ、言論の自由を脅かしかねないと懸念されている」との指摘、
「両国とも社会主義時代に比べ豊かになり、EU加盟のメリットを享受している」との指摘、
「発端は1989年11月のベルリンの壁崩壊だった。自由主義が共産主義に”勝利“して唯一の選択肢となり、ハンガリーなど東欧の共産主義国にとって、自由主義を模倣することが義務となった。」との指摘、
「バラ色の未来が訪れるはずだった。しかし、恩恵とともにもたらされたものは、社会的不平等と、汚職の蔓延だった。」との指摘、
「何よりも、模倣される自由主義の西欧を「優れた者」模倣する東欧を「遅れた者」とする位置づけが東欧の人々の怒りを買い、強権主義の台頭につながった。ブルガリアの政治学者、イワン・クラステフ氏の著書「模倣の罠」(中央公論新社)の分析だ」との指摘、
「自由主義への反乱は東欧に限らない。ドイツでも、反難民を掲げる右派政党「ドイツのための選択肢」が支持を伸ばしている。米国でもトランプ大統領が登場し、日本でも政治不信が強まっている」との指摘、
「ナチスのような圧政、人権や言論の自由がおろそかにされがちな中国ロシアの現状見ると今のところ、自由主義や民主主義以上に、最大多数の最大幸福を目指せる制度は見当たらない」と指摘した。
そして筆者は、 「ただ自由主義を至上とするあまり、独善に陥り、他国の尊厳を貶めてなならない。怒りを招き、「新冷戦」を加速させかねない。これも東欧の強権化が物語る教訓だ。寛容さも自由主義の要件である」と提言した。
筆者の提言を是としながら、考えた。
中欧のハンガリーとポーランドに強権化の帰し方行く末が、気にかかる。
筆者は、両国にもたらされたのは「恩恵と共にもたらされたものは、社会的不平等と汚職の蔓延だった」と教えてくれる。
では、社会的不平等と汚職の蔓延が、強権政治のもとなのだろうか。民主主義国家では、社会的不平等や汚職の蔓延を防ぐために、民主的に選ばれた代表者が権力を行使し、それが不十分ならば選挙で交代すればいいことだと思うのだが。そうでなくて、強権政治が生まれるのは、統治者も非統治者も、独裁政権時代の心地よさの中から抜けきれないだけではないか、と思った。
この両国の現象を見る限り、いまだ自由主義が共産主義に“勝利“したと、決めつけてはいけないのではないか、とも思った。