憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

814日付東京新聞朝刊19面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ある日の訪問看護で、精神障がいがありながら親の介護をしている利用者さんが不安そうに言った。

 「この間の選挙で、地元のことを全然知らない人が都会議員になって不安でたまりません」

 彼女は私と同じ武蔵野市民。今回、都民ファースト

公認の候補者に敗れ,次点となった民進党の松下玲子さんを応援していたという。私もまさに同じ気持ちである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「松下さんは民進党の公認を受け、共産党などが推す野党共闘の候補者だった。二期目の前職で実力は十分。しかし、民進党への批判が票を減らす一方、自民党への批判票が都民ファーストに流れてしまった。

 公約を見ても武蔵野市に関心を寄せているとは思えない人を選んだ武蔵野市民に、私は強い失望感を感じている。

 また、都民ファーストという政党の質も不安材料だ。都知事の傘下にいる都議会議員が、しっかりとの行政と対峙できるのか。ここも不安な点である。

 実際当選後、都民ファーストの議員たちは自由な発言は禁じられ、都知事の言うなりに見える。しかし、こうなることは最初から予想がついていたはずである。」と指摘した。

 最後に筆者は、「こんな時期というか、10月には武蔵野市長選挙がある。ここでは本当に武蔵野市に関心を寄せ、市民の立場に立って市政に取り組む人を選びたい。市民としての良識が問われている。」として締めくくった。

 読んで考えさせられた。

 「民進党への批判が票を減らす一方、自民党への批判票が都民ファーストに流れてしまった」とのこと、

 「公約を見ても武蔵野市に関心を寄せているとは思えない人を選んだ武蔵野市民に、私は強い失望を感じている」とのこと、

 「実際、当選後、都民ファーストの議員たちは自由な発言を禁じられ、都知事の言うなりに見える」とのこと、等等の指摘で筆者の気持ちはよくわかった。

 その上で、いかなる状況であろうと「現職」が落選するということは、特に新人に後れを取ることは、候補者本人の任期中の活動が有権者から「オンリーワン」との評価を頂けなかったことの証明ではないか。だから酷なようだが、現職で落選した本人が一番深く反省し、熱烈な支援者の期待に応えるべく、落選の翌日から運動を再開すべきではないか、と思った。

そして、選挙の結果は、良くも悪くも選挙時の「市民の良識」を表している、と率直に受け止めるしかないのではないか、と思う。

 


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# by sasakitosio | 2017-08-15 19:35 | 東京新聞を読んで | Trackback

813日付東京新聞朝刊社説横に、「時代を読む」という欄がある。 筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「三つの言葉の真の意味」このところ、気になっている言葉が三つある。

 ポピュリズム、コーポラティズム、コミュニズム。この三つである。

 この三つの言葉には、共通点が一つある。

 それは誤解されやすいということだ。

 そして、そこから派生するもう一つの特徴も、共有している。それは本来の意味から大きくかけ離れた嫌なイメージが、すっかり定着してしまっている点である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ポピュリズムは、このところのはやり言葉だ。メデイアにもよく登場するようになった。日本語では大衆迎合主義という訳語が良く使われる。

 だが、これは納得できない。

 いかにも大衆を愚弄した言い方だ。

 せめて大衆扇動主義と言ってほしい。

 要は世の中が喜びそうで盛り上がりそうなことを言って人々を鼓舞し、自分がゆきたい方向へに誘導する。そんな行動を取るやからをポピリストと呼ぶ。

 人気を得たい。すなわちポピュラーになりたい。だからポピュリスト。こんな感じだ。

 これはこれで良く分かる。

 いかにも正義の味方、庶民の救世主のような顔をして人気取りばかりする。そんな人間をポピュリストと呼んで、その真意を疑う。

 この感性は決して悪くない。そこには、知的に健全な懐疑心が働いている。それは大いに結構だ。

 だがポピュリズムという言葉の本来に意味は少し違う。

 ポピュリズムを最も素直に翻訳すれば人民主義だ。人民の思いに基盤を置く。人民の願いを代弁することが基本だ。

 「人民の人民による人民のための政府」。これを唱えた第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンこそ最も純粋な意味でのポピュリストだったと言えそうである。

 コーポラティズムはどうか。その本来の意味は、協調主義。協同組合主義という訳し方もある。協調して協同する。対立と競争から、融和と共生へ。 グローバル時代の生き方にピッタリの方向感だ。

 だが、このコーポラティズムという言葉にも、ともすれば、ネガティブなイメージが付きまとう。談合と癒着。強き者同士、巨大なもの同士が結託し、物事を自分たちにとって都合のいい形で決着させてしまう。なれ合いがもたらす既得権益の保持・保存。コーポラティズムにはそのような構図の映像が重なる。

 強き者たちの癒着ほどおぞましいものはない。本来の意味での人民主義をもって、そのような化け物は退治することが必要だ。だが化け物退治の中で協調主義という概念そのものまでが破壊されてしまうのはまずいだろう。

 コミュニズムは共産主義だ。この言葉も、実に誤解されやすい。

 共産主義は一種の理想主義だ。

 共同生活の中で、人々は能力に応じて労働し、必要に応じて分配を受ける。

 弱肉強食の世界から、人類を脱却させようとする発想だ。

  だが現実には、共産主義を標榜する国々が、一様に専制的で全体主義的な国家体制を打ち立ててきた。だから、コミュニズムという言葉にも、ダークなレッテルが貼られてきた。」と教えてくれる。

最後に筆者は、「偽ポピュリズムと偽コーポラティズムと偽コミュニズム。

 われわれが今日まで目の当たりにしてきたのは、偽物ばかり。そういうことだと思う。

 今、もしわれわれが真のポピュリズムと真のコーポラティズムと真のコミュニズムを実現することができれば、21世紀は人類にとって打開の世紀となるかもしれない。ちょとした夏の世の夢。」として締めくくった。

 読んで大変勉強になった。

 「ポピュリズムを最も素直に翻訳すれば人民主義だ。人民の願いを代弁することが基本だ」だとのこと、

 「「人民の人民による人民のための政府」。これを唱えた第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンこそ最も純粋な意味でのポピュリストだったといえそうである」との指摘、

 「コーポラティズムはどうか、その本来の意味は強調主義だ」とのこと、

 「共産主義は一種の理想主義だ。共同生活の中で、人々は能力に応じて労働し、必要に応じて分配を受ける。弱肉強食の世界から、人類を脱却させようとする発想だ」とのこと、等々を知ることができた。

筆者指摘のように、「ポピュリズムは大衆迎合主義」に、「コーポラティズムはなれ合いがもたらす既得権益の保持・温存」に、「現実には共産主義を標榜する国々が、一様に専制的で全体主義的な国家体制」を打ち立て、それぞれにダークなレッテルが貼られてきた。そして、自分的にも、ダークなイメージの方が定着しているのが情けない、と思った。

 そして、「筆者指摘の」真のポピュリズムと真のコーポラティズムと真のコミュニズムに「真の平和主義・非暴力社会」を加えて、その実現をめざすことで、いまの閉塞状態を打開することができるかもしれない、と思った。

 


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# by sasakitosio | 2017-08-15 07:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

812日付朝日新聞朝刊7面に、「在キューバの米国とカナダの外交官やその家族に、耳が聞こえなくなるなどの原因不明の症状が出ている」ことが載った。

 今日はこの記事を学習することにした。

 まず記事は、「在キューバの米国とカナダの外交官やその家族に、耳が聞こえなくなるなど原因不明の症状が出ていることが分かった。

 米連邦捜査局(FBI)などの捜査では、音波などを使った高性能な機器で攻撃された可能性があるという。米国務省は9日、対抗措置として5月に在米キューバ外交官2人を国外追放した。」と切り出した。

 続けて記事は、「米国務省報道官は9日「首都ハバナに住む数人の外交官に症状が出た」とだけ述べ、詳細を明らかにしなかったが、AP通信によると、症状が出たのは外交官5人前後とその配偶者。

 2016年秋ごろから、突然耳が聞こえなくなるなど原因不明の症状に悩まされ始めたという。

 中には頭痛や吐き気なども伴い症状が重い人もおり、一部の外交官は予定の任期を切り上げて帰国した。その後、FBIの捜査で攻撃の可能性が分かった。

 カナダ政府も10日、少なくとも一人の在キューバのカナダ人外交官が、耳が聞こえなくなる症状を訴えたことを明らかにした。

 AP通信によると、米政府は、キューバ政府が関与しないところで第三国が攻撃した可能性も視野に入れて捜査しているという。」と指摘した。

 最後に記事は、「キューバ政府は9日、「在キューバの外交官やその家族がキューバ国内で危害を加えられることは許されない」との声明を発表し、調査を約束した。

 カナダは15年に米国とキューバが国交を正常化した際、交渉の仲介役となっている。」として締めくくった。

 読んで驚いた。

 「在キューバの米国とカナダの外交官やその家族に、耳が聞こえなくなるなどの原因不明の症状が出ていることが分かった」とのこと、

 「AP通信によると、症状がでたのは外交官5人前後とその配偶者。2016年秋ごろから、突然耳が聞こえなくなるなど原因不明の症状に悩まされ始めたという。中には頭痛や吐き気などを伴い症状が重い人もおり、一部の外交官は予定を切り上げて帰国した。FBIの捜査で攻撃の可能性が分かった」とのこと、

 「カナダ政府も10日少なくとも1人の在キューバ外交官が、耳が聞こえなくなる症状を訴えたことを明らかにした」とのこと、等々を知ることができた。

キューバとアメリカの国交回復を、手放しで喜んでいる人ばかりでないことに気付かされた。

 国家間の有効は善、紛争は悪、と単純に考えていたのだが?

  

 

 


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# by sasakitosio | 2017-08-14 07:51 | 朝日新聞を読んで | Trackback

813日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「もうすぐ終戦の日を迎える。安倍首相が唱えた9条改憲の動きは世論の支持を得られていない。

 終戦から70年以上がたち、戦争を直接経験した人々が少なくなる中で、9条の理念が戦争を知らない世代に引き継がれていると思う。

しかし、戦争を決定、遂行した日本の政治あるいは官僚組織の体質は、民主主義が定着したはずの現在にも引き継がれている。

 その意味で、本当の意味での戦後を迎えることができていない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「戦後政治学の先駆者、丸山真男は日本を戦争に引きずりこみ、抜け出せなかった組織の体質を無責任の体系と呼んだ。

 功名心にかられて無謀な作戦にのめり込む指揮官、個人的に疑問を感じながら自分には止める権限がないと逃避した要路の指導者、主観的願望に基づいて破局への道を進んだ指導者などが無責任の体系を構成していた。

 防衛省における情報の隠蔽と大臣の責任の曖昧化は、現代版の無責任体系である。国民を代表する国会に対しても、問題をごまかす政府与党は無責任集団である。

 政府だけではない。東芝では原発投資の失敗についてごまかしを重ね、生き残りを図る悪あがきが続いている。無責任の温存は亡国への道である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「無責任の体系から決別するには、情報公開と、さまざまな立場による自由な討議こそが必要である。われわれの決意が問われている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「戦争を決定・遂行した日本の政治あるいは官僚組織の体質は現在にも引き継がれている」とのこと、

 「戦後政治学の先駆者、丸山真男は日本を戦争に引きずり込み、抜け出せなかった組織の体質を無責任の体系と呼んだ」とのこと、

 「功名心にかられて無謀な作戦にのめり込む指揮官、個人的に疑問を感じながら自分にはとめる権限がないと逃避した要路の指導者、主観的願望に基づいて破局への道を進んだ指導者などが無責任の体系を構成していた」とのこと、

 等々を知ることができた。

 筆者は、「防衛省における情の隠蔽と大臣の責任の曖昧化」は現代版無責任体系で、「国会にたいしても、問題をごまかす政府与党」は無責任集団と断定する。

 また、筆者は「無責任の温存は亡国への道である」と指摘し、無責任体系から決別するには「情報公開とさまざまな立場による自由な討論こそが必要である」と指摘した。

 共感しながら、功名心にかられる指揮官、逃避する要路の指導者、主観的願望に基づき破局の道に進んだ指導者、とうとうが組織の中に生まれない仕組みづくりに「AI」を活用できないものか、と思っている。なんたって「AI」には、功名心も、逃避も、主観的願望も無縁だろうから!

  


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# by sasakitosio | 2017-08-14 07:26 | 東京新聞を読んで | Trackback

812日付東京新聞朝刊19面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「バイクで街を走行中、帽子が飛ばされた。一瞬迷ったが、取りに戻った数秒後、その先でテロが発生。帽子が飛ばされなければ、巻き込まれていた。

 「危険すぎる。中止しようか」と考えていた短編映画の撮影を、アリー・カリーム(33)は続行すると決めた。九死に得た一生だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「米軍による侵攻以来、50万超の市民が死亡したというイラク。テロ件数と犠牲者数は世界最悪だ。そこで撮影された「不思議の国ハッサン」が日本で上映され、カリーム監督も来日、NHK国際放送でも紹介された。

 作品を通じてカリームが訴えようとしているもの、それは非暴力だという。アラブは古くから、かたき討ちを容認する文化だ。

 暴力には暴力で対抗する権利があると考える人も多い。「許すほうが良い」と教えるイスラムをもってしても、その文化は変えられなかった。

 だから私はカリーマのメッセージに共感しつつも、戦争や宗派対立で多くの人が肉親を奪われた傷の癒えないイラクでそれがどう受け止められているか、懐疑的だった。」と指摘した。

 最後に筆者は。「だが手ごたえは確かにあるという。ある中年男性は「私たちの世代ではもう遅い。子どもたちに非暴力を教えてくれ」と彼を激励した。不条理な戦争の犠牲を重ね、かって日本人がそうだったように今、イラクの人々も平和を渇望している。終戦記念日には、彼らにも思いをはせたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米軍による侵攻以来、50万超の市民が死亡したというイラク。テロ件数と犠牲者数は世界最悪だ」とのこと、

 「そこで撮影された「不思議の国のハッサン」が日本で上映され、カリーム監督も来日。NHK国際放送でも紹介された」とのこと、

 「アラブは古くから、かたき討ちを容認する文化だ。」とのこと、

 「暴力には暴力で対抗する権利があると考える人も多い。「許すほうが良い」と教えるイスラムをもってしても、その文化は変られなかった」とのこと、等々を知ることができた。

特に、アラブのかたき討ちの文化は、イスラムの「許すほうが良い」という教えを持ってしても変えられなかった、との指摘は意外であった。

 筆者の指摘から考えると、中東発で頻発するテロは、イスラムの教えからではなくアラブのかたき討ちの文化からだということになる。

 目からうろこの思いだ。

 そして筆者の「不条理な戦争の犠牲を重ね、かって日本人がそうだったように今、イラクの人々も平和を渇望している」とに指摘を素直に受け入れることができた。


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# by sasakitosio | 2017-08-13 06:40 | 東京新聞を読んで | Trackback

811日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。 
 筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「政府が沖縄県民の生命と安全を考えていないことがよくわかった。

 米軍普天間飛行場所属の垂直離陸輸送機MV22オスプレイが25日、豪州で墜落し、乗員3人が死亡。

 二日後、沖縄でオスプレイが飛行を再開した。

 <当初は、米軍が日本政府の飛行自粛要請を無視し、飛行機を強行したとみられていた。だがそうではなかった。政府は「運用上必要なものを除く」との条件を付けていたのである。

 これでは、飛行再開を米側に促したも同然だ>(9日「琉球新報」社説)。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「軍用機を遊びで飛ばすことはない。運用に必要だからオスプレイは飛んでいるのだ。「運用上必要なものを除く」という条件を普通の言葉に言い換えれば「どうぞ自由に飛んでください」ということだ。

 前出の「琉球新報社説は、政府の姿勢を[気脈を通ずる日米両政府が「運用上の必要なものを除く」との条件を意図的につけた可能性がある。

 「日米共犯」の飛行再開は看過できない。
 強く抗議する。
 オスプレイの飛行再開の口実を米側に与えていたことをただちに説明しなかった小野寺五典防衛相の姿勢は不誠実極まりない。

 小野寺氏が国内での飛行自粛を米側に求めたのは、要請事態が目的だったと疑わざるを得ない>と厳しく指摘する。その通りだ。

 政府は拙い詐術で沖縄人を騙そうとした。

このツケは高くつく。」と指摘して締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MVオスプレイが5日、豪州で墜落し、乗員3人が死亡。二日後、沖縄でオスプレイが飛行を再開した」とのこと、

 「政府は「運用上必要なものを除く」との条件を付けてある(9日「琉球新報」」とのこと、

 「オスプレイの飛行再開の口実を米側に与えていたことを直ちに説明しなかった小野寺防衛相の姿勢は不誠実極まりない」との指摘、

 等々を知ることができた。

 それにしても、オスプレイは落ちすぎる。その原因が沖縄県民を始め日本国民に全く説明されていない。機体設計・機体製造に欠陥があるのか、操縦者がへぼなのか、明らかにされないまま、そしてまた、飛行再開だ。

 戦争でもないのに、オスプレイの墜落で命を落とす若者がつづく。失われた若者の命について、アメリカ政府は、アメリカ国民は、アメリカのマスメデイアは、どのように思っているのだろうか。

 戦争は究極の罪悪で、兵器は究極の税金の無駄遣いで、戦争は究極の環境破壊で、兵器産業関係者以外には何の恩恵ももたらさない。

 だから、戦争無き世界、戦争無き地球を一日も早く実現することが、為政者の究極の仕事であり、地球と人類を長持ちさせる究極の政策のような気がしてならない。


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# by sasakitosio | 2017-08-12 07:18 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月3日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・上田俊英氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「高知県西南部の黒潮町。入野松原は延長4キロもの砂浜に沿った、広大な松林だ。数十万本のクロマツの林は、国の名勝に指定されている。7月20日、早朝の松林はひっそりと静まり返っていた。

 この辺りは、鎌倉期ごろまで、海沿いに広がる湖、「潟」だったらしい。今から1300年以上も前の684年、日本列島を巨大地震が襲う。

 「白鳳地震」。

 「日本書紀」に「土佐の国では広大な土地が水没して海になった」とする記述が残る。

 黒潮町域の被害は不詳だが、今の町の前身の一つ、旧大方町の「町史」は「大方は大潟の転字ではないか」と記す。

 白鳳地震で陥没した入野平野に海水が浸入し大きな潟になったというのである。

 松原を進むと、一角に加茂八幡宮があった。境内に二つの石碑が立つ。

 「安政津波の碑」は幕末の1854年、「南海大地震の碑」は」敗戦直後の1946年、それぞれこの地を襲った巨大地震を伝える。

 「満眼に全家なし」

 「家の漂流する事数を覚ず」と、安政津波の碑は記す。見渡す限り家はすべてなくなり、無数の家が漂流した。津波は7度に及び、田やあぜは「海と成る」とある。当時の土佐藩では、この地震と津波で370余の命が奪われた。

 神社のそばに、真新しい「津波避難タワーが見えた。太い鋼管をくみ上げたやぐらのような構造で、上部の避難フロアは標高17.5メートル。百人を収容できる。

 そう、ここは巨大津波の町、太平洋沖の南海トラフ沿いで巨大地震が起これば、最大で34.4メートルの津波が襲うと想定されている。その高さは全国最大だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「黒潮町の浜町地区は、もう一つの町の前身、旧佐賀町の中心だ。カツオの一本釣り漁の拠点として栄えてきた。

 細い道を挟んで家々がひしめくこの漁師集落にも津波避難タワーがあった。

町内に6か所建設されたタワーの中で最後に、今春完成した。

 高さ22メートル、避難フロアの標高は25.3メートルで、230人収容できる。

 147段の階段を上って避難フロアに出ると、眼前に太平洋が広がっていた。

 東北・三陸沿岸の被災地でよく見る巨大な防潮堤や防波堤はない。ここでは人々がまさに海と一体となって生きている。

 「このタワーは町の約160の避難場所の一つ。高台へ逃げる203ほどの避難道も8割が完成しました」と、町地域住民課の吉門要さん(29)は説明してくれた。

 海の反対側を見ると、きれいに整備された避難道が裏山へと続いているのが見えた。

 浜町地区に津波の第一波が押し寄せるには、地震発生から10~20分後。タワーは、それまでに高台にたどり着けない「非難困難区域」の住民のための避難場所だ。

 「うちの地区で「想定外」とか「まさか」とか、そんな言葉は使わないようにする。そのために、とにかく避難訓練をして、足りないものは町に要望していく」と、区長の吉本幸さん(81)は言った。タワーや避難道は、その成果である。」と教えてくれた。

 最後に筆者は、「政府の検討会が2012年3月末に34.4メートルの津波想定を発表した直後、黒潮町の大西勝也町長(46)は役場の全職員を防災担当とし、町内の61地区に割り振った。

 「当時、「逃げない」「逃げても無駄」という町民が多くいたことは事実。

 でも、それは本音なのか。

 町民は何を恐れているのか。

 客観的に評価することから始めた。

 地区ごとに町民との対話集会や懇談会を重ね「助かるとはどういうことか」「助かるために何が必要か」を話し合った。

 さらに世帯ごとに「自力避難の可否」「避難先」「非難にかかる時間」「非難上の心配事」などを記した「非難カルテ」をつくってもらい、これを基に地区の人々が主体となって防災計画づくりを進めている。目標は、「犠牲者ゼロ」ある。

 「地域にとって一番大切なのは、自分たちが住んでいるところに誇りを持つこと。「こんな町 危ない」と一時は失いつつあったその誇りを町民が自らの力でとりもどしてきた」と、大西町長は話した。

 地域への誇りを、どうやって取り戻すか。それは東日本大震災の被災地が抱える課題でもある。「復興とはどういうことか」。皆で、あらためて考えたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「今から1300年以上も前の684年、日本列島を大地震が襲う。「白鳳地震」。

 「日本に書紀」に土佐の国で広大な土地が水没して海になった」とする記述が残る」とのこと、

 「加茂八幡宮の境内に二つの石碑が立つ」とのこと、

 「「安政津波の碑」は幕末の1854年、「南海大地震の碑」は1946年に、それぞれこの地を襲った巨大地震を伝える」とのこと、

 「「満眼に全家なし」「家の漂流する事数を覚ず」と安政津波の碑は記す。」とのこと、

 「当時の土佐藩では、この地震と津波で370余の命が奪われた」とのこと、

 「神社のそばに、真新しい「津波避難タワー」が見えた。太い鋼管を組み上げたやぐらのような構造で、上部の避難フロアは標高17.5メートル。100人を収容できる」とのこと、

 「地区ごとに町民との対話集会や懇談会を重ね「助かるとはどういうことか」「助かるために何が必要か」を話し合った」とのこと、

 「さらに、世帯ごとに「自力避難の可否」「避難先」「非難にかかる時間」「非難上の心配事」などを記した「非難カルテ」を作ってもらい、これらをもとに地区の人々が主体となった防災計画づくりを進めている。目標は「犠牲者ゼロ」である」とのこと、等々を知ることができた。

 町長を先頭に地域が一体となって「犠牲者ゼロ」を目指した取り組みの実戦には頭が下がった。

 

 

 

 

 


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# by sasakitosio | 2017-08-11 15:01 | 朝日新聞を読んで | Trackback

8月10日付東京新聞朝刊4面に、「太郎の国際通信」という欄がある。 筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ドイツ製のオープンカーは、ベンツもBMWもポルシェなどすべての車が時速50キロ以下の速度で幌を出したり畳んだりするようになっているらしい。

 といっても法律や規則でそう決められているわけではない。全ての自動車メーカーが話し合ってそうしたのだという。

 もし自由に競争すればその開発に時間と費用が掛かるので、ここは「平和協定」を結んだということらしいが、実はドイツの自動車メーカー五社はこの問題だけでなく多くの分野で秘密裏に会合を開き、独占禁止法で禁止しているカルテル(企業連合)の疑いがあるとして7月22日付の有力紙「シュピーゲル」電子版が伝えていた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「それによると、ベンツのダイムラー、フォルクスワーゲン、BMW,ポルシェそれにアウディ各社は1990年代からさまざまな部門の専門家による会合を開いており、過去5年間だけでも60の作業部会が千回以上開かれていたという。

 中でも問題になりそうなのが、ディーゼル車の排ガス対策を巡る談合だ。

 地球温暖化対策として二酸化炭素の排出規制が求められると「日本のトヨタなどはハイブリッド車で対応したのにドイツ自動車産業は対応できなかったので、百年前のディーゼルエンジンを引っ張り出してきた」(シュピーゲル誌)

 しかし、ディーゼルエンジンには窒素酸化物を排出するという欠陥がある。そこでドイツの自動車メーカーは尿素によって窒素酸化物を分解させる方法をとことにしたが、ここで問題になるのは尿素水を蓄えるタンクが必要になることだった。

 燃料タンクはスペースも取るしコストも上がるのでメーカーとしてはできるだけ小さくしたかったが、それでは尿素水を頻繁に補給しなければならない。

 そこで五社が集まって協議した結果、尿素タンクは欧州向けで8リットル、米国向け車で16リットルにすることで2010年に合意したとシュピーゲル誌は伝えている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「しかし、その後窒素酸化物の排出がさらに厳しく規制されると小型の尿素タンクでは対応が難しくなったため、フォルクスワーゲン社は排ガス試験の時だけ尿素水を十分補給する違法なソフトを開発し、米国環境保護局に摘発されることになった。

 他社はどう対応したかは明らかではないが、その後ドイツ政府は同国産のディーゼル車約530万台の排ガス制御ソフトをメーカーの負担で修正すると発表した。

 「メード・イン・ジャーマニ―の信頼が著しく損なわれた」と8月4日付のシュピーゲル誌は伝える。

 つまり、時代遅れの技術を談合で補おうとして失敗したようだが、それで次の電気自動車の時代に対応できるのだろうか?」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 722日付の有力誌「シュピーゲル」電子版によると「ベンツのダイムラー、フォルクスワーゲン、BMW,ポルシェ、アウディ各社は1990年代からさまざまな部門の専門家による会合を開いており、過去5年間だけでも60の作業部会が千回以上開かれたいたという」とのこと、

「中でも問題になりそうなのがディーゼル車の排ガス対策を巡る談合だ。地球温暖化対策として二酸化炭素の排出規制が求められると「日本のトヨタなどはハイブリッド車で対応したのにドイツの自動車産業は対応できなかったので、100年前のディーゼルエンジンを引っ張り出してきた」(シュピーゲル誌)。」とのこと、

 「ディーゼルエンジンには窒素酸化物を排出するという欠陥がある。そこでドイツの自動車メーカーは尿素によって窒素酸化物を分解させる方法をとることにしたが、それでは尿素水を頻繁に補給しなければならない。

 そこで、5社が集まって協議した結果、尿素タンクは欧州向け車で8リットル、米国向け車で16リットルにすること合意したとシュピーゲル誌は伝えている」とのこと、

 「その後窒素酸化物の排出規制がさらに厳しく規制されると小型の尿素水タンクでは対応が難しくなったため、フォルクスワーゲン社は排ガス試験の時だけ尿素水を十分供給する違法なソフトを開発し、米国環境保護局に摘発されることになった」とのこと、

 「その後ドイツ政府は同国産のディーゼル車約530万台の排ガス制御ソフトをメーカーの負担で修正すると発表した」とのこと、等々を知ることができた。

 どこの国にも、どんな大会社でも、談合や騙しがあることを、改めて知った。

 そして、グローバル化の時代、一国内ではだまし続けられても、世界中の利口者を相手では、早晩だましは暴露され、国家権力による隠蔽も庇護も期待できす、回復不可能な信用失墜と破滅的な損害を受けることになる、ことが分かった。

 ここは、おてんとうさまが見ている、という「日本的知恵」を世界に広げたくなった。

「その後窒素酸化物の排出規制がさらに厳しく規制されると


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# by sasakitosio | 2017-08-11 11:01 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月9日付東京新聞社説に、「トヨタ自動車とマツダが資本提携し、電気自動車(EV)の開発で手を組む」ことが載った。

 今日は、社説を学習することにした。

まず社説は、「トヨタ自動車とマツダが資本提携し、電気自動車(EV)の技術開発で手を組む。世界の自動車業界の潮流となりつつあるEVで独自の車づくりを志し、勝ち残る決意からだ。

 トヨタとマツダが包括的な業務提携を結んで2年。EV技術の共同開発に合意する間、自動車業界を取り巻く環境は激変した。

 トヨタ自動車のハイブリット車(HV)は、ガソリンエンジンと電気モーターを併用し燃費は良いが二酸化炭素(CO²)をだすため、2018年には米カリフォルニア州と中国でエコカーとして事実上認められなくなる。仏英両政府は7月,ガソリン、ディーゼル車の販売を40年以降に禁止すると表明した。」と教えてくれる。

つづけて社説は、「トヨタは、水素を燃料とする燃料電池車(FCV)を究極のエコカーと位置づけている。

 世界で初めて市販したが、追随したのはまだホンダぐらい。急速に進む規制強化を受け、欧米メーカーは同じ排ガスゼロでも、FCVと比べて技術的に参入しやすいEV開発に軸足をうつした。このため、トヨタも昨年秋からEV開発をを急ぐ必要に迫られた。一方のマツダは、EV開発はこれからの段階だが、魅力ある車づくりに定評があり、世界販売台数で10倍近いトヨタも「学べる相手」という。」と教えてくれる。

 さらに社説は、「EVは、電動ならではの滑らかな加速が魅力ながら、馬力も燃費もさまざまなエンジンと異なり、「クルマとしての特徴を出しづらい」と両社は見ている。

 そこで知恵を持ち寄って開発するのが、EVを差別化できるベース技術だ。軽自動車から乗用車、小型トラックまで車両タイプごとのに、車体や足回りなどのハード面を共有し、走りの基本性能を高める狙いがある。自動運転を見据え、情報通信などのソフト面も共通化する考え。その上でデザインや乗り心地をそれぞれ工夫して市販する戦略だ。

 EVは蓄電池の性能が一回の充電で走れる距離を左右する。今はリチウムイオン電池が主流だが、トヨタは走行可能距離を大幅に伸ばせる「全個体電池」を搭載したEVを22年にも国内で発売する。この次世代電池を世界で初めて実用化し、マツダなど提携他社にも供給して量産コストを下げられれば、EV競争で一気に優位に立つ可能性を秘める。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「家電などの価格競争で長く沈んだ電機大手の二の舞は避けたい。共同開発の成否は日本のものづくりの未来を占う。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「トヨタ得意のハイブリット車(HV)は、ガソリンエンジンと電気モーターを併用し燃費は良いが、二酸化炭素(CO²)を出すため、2018年は米カリフォルニア州と中国でエコカーとして事実上認められなくなる」とのこと、

 「仏英両政府は7月、ガソリン、デイーゼル車の販売を40年以降に禁止すると表明した。」とのこと、

 「トヨタは、水素を燃料とする燃料電池車(FCV)を究極のエコカーとして位置付けている。世界で初めて市販したが、追随したのはホンダぐらい。」とのこと、

 「急速に進む規制強化を受け、欧米メーカーは同じ排ガスゼロでも、FCVと比べて技術的に参入しやすいEVの開発に軸足を移した」とのこと、

 「トヨタは走行可能距離を大幅に延ばせる「全固体電池」を搭載したEVを22年にも国内で販売する」とのこと、

 「この次世代電池を世界で初めて実用化し、マツダなど提携他社にも供給して量産コストを下げられれば、EV競争で一気に優位に立つ可能性を秘める。」とのこと、等々を知ることができた。

パリ、ローマ、ロンドン、マドリッド、ベルリン、イスタンブール、ベルリン、等々の町を歩いたとき。走る車や駐車中の車、そして信号で止まる車、必ず車のマークを見る、トヨタ、ホンダ、スズキ、マツダ等々を見つけると、なぜかホッとする。外国で大使館にはためく日本国旗を見ると、なぜかホッとする。

 ぜひ、トヨタとマツダの提携がEV競争で日本勢が優位に立つ、魁になることを期待したい。


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# by sasakitosio | 2017-08-11 10:04 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月10日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ドイツ人のクルマ好きには理由がある。内燃機関を発明し一大産業として成功させた歴史をもつ。高い技術水準のドイツ車は国民の誇りでもある。

 だが、米国で一昨年、フォルクスワーゲン(VW)がディーゼル車の制御ソフトに細工をして窒素酸化物の排ガス規制をごまかしていたことが発覚してから、事態は急展開している。

 総額2兆4千億円以上の罰金が科され、3人の中堅幹部が罪を認め、米独の捜査は経営上層部を狙っている。

 福島原発事故のような衝撃力はないが、VWと他の二社の違法カルテルの疑いも浮上して、ドイツ人には信頼しきっていたクルマ産業に騙されたとの思いが強い。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ヒトラーの国民車構想を端緒として、雇用確保など国家や政治の要請に従ってきたVWの歴史や技術偏重のトップが独裁者として振る舞う特異な社風が背景にあるとされる。日本的経営と米国型資本主義の行き詰まりに続いて、ドイツ特有の共同決定制(従業員代表の経営参加)の欠陥、労使協調のライン型資本主義の腐食を意味するのか。

 むしろ、化石燃料から電気への歴史的な産業転換が進行中と考えるべきだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「大企業や技術への信仰は、自家用車を自由の代替物と思い込み、自動車の社会的費用は他人が負担するという消費者の自己欺瞞と表裏一体だ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「フォルクスワーゲン社には、総額2兆4千億円以上の罰金が科され、3人の中堅幹部が罪を認め、米独の捜査は経営上層部に迫っている」とのこと、

 「ヒトラーの国民車構想を端緒として、雇用確保などの国家の要請に従ってきたVWの歴史や技術偏重のトップが独裁者としてふるまう特異な社風が背景にあるとされる」とのこと、等々を知ることができた。

 さらに、筆者の「日本的経営と米国型株主資本主義の行き詰まりに続いて、ドイツ特有の共同決定制(従業員代表の経営参加)の欠陥、労使協調のライン型資本主義の腐食を意味するのか、むしろ化石燃料から電気への歴史的な産業転換が進行中と考えるべきだ。」の指摘は、世界の今と未来を考える上で、大きな刺激を受けた。

 石炭・石油・原子力と電気との併存から、脱化石燃料による電気だけのエネルギーへの転換?

 情報技術の発展、交通機関の発達、人類の増加、地球温暖化、等々地球環境の変化にともって、エネルギー環境に劇的な変化が生じてているのだろうか?

 


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# by sasakitosio | 2017-08-11 06:29 | 東京新聞を読んで | Trackback