憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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 8月25日付東京新聞朝刊4面に、「視点」という欄がある。筆者は、共同通信編集委員・井田徹治氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場が建設できる可能性の大小を色分けして示した日本地図「科学的特性マップ」を経済産業省が発表した。選定作業が進まないことを受け、2014年に「国が前面にたって選定に取り組む」として始まったプロセスで「処分場決定に向けた長い道のりの最初の一歩」(経産省)としている。

 マップは重要な一歩であるが科学的というには程遠く、今後どう議論を進めていくのかも未定だ。」と切り出した。

 つづけて筆者は、「そもそも今の日本には、オープンかつ公平で、市民の信頼が得られる議論の場がない。

 原発運転で利益を上げる一方、処分の見通しのない放射性廃棄物を大量に生み出した電力会社の責任は重い。

 しかし、彼らが自らの努力と負担で最終処分場を実現するのだという責任ある姿勢を示しているともいえない。

 議論を進めるなら、現状への反省と改革が先決だ。

 誰からも信頼される議論の場を設け、最終処分場の立地点「決めるための決め方」について社会的合意を作るべきだ。

 マップは「火山の中心から半径15キロ地域や活断層の近く」などを除いた地域を「安全な地層処分が成立する可能性が相対的に高い場所」とした。

 その中でも沿岸から20キロの範囲を「輸送面でも好ましい」と強調。

 経産省は、これまでのように全国一律ではなく「グリーン沿岸部」と呼ぶこの地域を中心に「重点的な対話活動に取り組む」という。

 だが、全国の約30%というこの広大なエリアの中から、どうやって候補地を絞り込むのかは未定だ。

 しかも、エリア分けの基準などは、経産省の役人が勝手に選んだ委員会で決められた。内外の意見を反映させたというが、対象は原子力委員会や経済協力開発機構の原子力機関などのインサイダーだ。

 パブリックコメントなどの機会はあったが、マップが議論の出発点としての正当性を持ち、市民の信頼を得たというには程遠い。

 処分場に関する具体的な議論を進めるには、そのような形の廃棄物がどれだけ出るのかが明らかでなくてはいけない。

 だが、世論の過半を占める脱原発の意見に反して原発依存を続ける今のエネルギー政策が続けば、放射性廃棄物は無限に発生することになる。使用済み核燃料を全量処理し、ガラス固化体にして地下処分することが前提となっている。

 個の核燃料サイクル政策はすでに破綻している。」と指摘した。

 最後に筆者は、「世論離れ、現実離れしたエネルギー政策の下、「原子力ムラ」の論理とやり方で廃棄物処分場の議論だけを先に進めようとしてもできるはずがない。

 核のごみの議論を進めるには民意を反映し、信頼されるエネルギー政策を作ることが大前提だ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場が建設できる可能性の大小を色分けして示した日本地図「科学的特性マップ」を経済産業省が発表した」とのこと、

 「原発運転で利益を上げる一方、処分の見通しのない放射性廃棄物を大量に生み出した電力会社の責任は大きい」と指摘、

 「内外の意見を反映させたというが、対象は原子力委員会や経済協力開発機構の原子力機関などのインサイダーだ」との指摘、

 「世論の過半数を占める脱原発の意見に反して原発依存を続ける今のエネルギー政策が続けば、放射性廃棄物は無限に発生することになる」との指摘、

 「世論離れ、現実離れしたエネルギー政策の下、「原子力ムラ」の論理とやり方で廃棄物処分場の議論だけを先に進めようとしてもできるはずがない」と指摘、指摘の一つ一つが良く理解できた。

 原発再稼働で放射性廃棄物が無限に発生すること、使用済み核燃料を全量再処理し、ガラス固体化して地下処分することが前提になっている、この核燃料サイクル政策はすでに破たんしているとの指摘は、恐ろしすぎる。

 むかし陸軍、今は原発が日本国民を災害面・経済面・健康面で、悲惨な結末へと導いているような気がした。

 原発なくすか、原子力ムラ無くするか、革命的政権交代か、日本国民全滅か、遠からず日本国民は選択を余儀なくされるのではないか、と思った。

 

 


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by sasakitosio | 2017-08-31 07:06 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月30日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・斉藤美奈子氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

先ず筆者は、「東京都教育委員会が発行する都立高校用の日本史副読本「江戸から東京へ」が問題になったのは2013年だった。

 この副読本は11年度から使われているが、13年度版から変更されたのだ。その一つが「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」についてのコラムである。

 旧版は<大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺された>。新版は<碑には、大震災の混乱のなかで、「朝鮮人の尊い命が奪われました。」と記されている>。虐殺の事実を都は隠蔽しちゃったのである。変更の理由は「殺害方法がすべて虐殺と判断できない」。

 今年、小池百合子都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったのと、副読本の一件は一つながりと見るべきだろう。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「同様の隠蔽はしかし、過去にもあった。西崎雅夫氏の労作「関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言」(現代書館・16年)には、<鮮人がひなんしたのを殺されたりした>を<知らない人が来たのをぶったりした>に改ざんするなど、子供の作文が徹底検閲された例が数多く示されている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「私たちにできるのはせめて二つの事実を次世代に伝えることだろう。

 第一に虐殺の歴史があったこと。

 第二に権力は加害の歴史を隠したがること。

 9月1日はその為の日。教材ならいくらでもある。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「東京都教育委員会が発行する高校用の日本史副読本「江戸から東京へ」が問題になったのは2013年」とのこと、

 「13年度版から記述の一部が変更された。その一つが「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」についてのコラムである」とのこと、

 「旧版は<大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺された>。新版は<碑には、大震災の混乱のなかで、「朝鮮人の尊い命が奪われました。」と記されている>。」とのこと、

 「西崎雅夫氏の労作「関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言」(現代書館・16年)」があること、等等を知ることができた。

 やっていることが、ひどすぎて、くだらなすぎて、虐殺を隠蔽した「人」や子供の作文を徹底検閲した「人」の顔が見てみたい。

 そして、普通の人間による朝鮮人虐殺の心理の誕生と、虐殺の実行のメカニズムを知りたくなった。それが解明されると、国家間の戦争回避のヒントが得られるような気がする。

 筆者の「私たちにできるのは、せめて二つの事実を次世代に伝えることだろう。第一に虐殺の歴史があったこと。第二に権力は加害の歴史を隠したがること」指摘はその通りだと思った。

 そして、なぜ権力は加害の歴史を隠したがるのだろうか?その心の裏表を知りたくなった。

 


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by sasakitosio | 2017-08-31 06:53 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月29日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「先週の土曜日。「東海村で「原発NO!」を叫ぼう 人間の鎖行動」に参加した。

 薄曇りだったからやや助かったが、それでも原発周辺だから木立のない炎天下、さすがに気分が悪くなった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「東海第二原発は、来年で運転40年目、ぼろ原発だ。あと20年間の操業をたくらんでいる。無謀というべき自殺行為、というか他殺行為だ。

 いまだ原発を「主力電源」と言い放つ内閣と取り巻き官僚たち、原子力規制委員会、日本電源は事故が起きたときどんな責任を取るつもりなのか。

 「ヒバクシャ」の悲惨を見捨てて「核兵器禁止条約」に背を向けた安倍内閣、「フクシマの悲劇」を繰り返さないと決意したドイツなど原発脱却諸国の叡智を迷惑顔に再稼働を進める政府。

 東海村は日本最初の原子炉が臨界に達した「原子力の村」であり、死者がでた最初の臨界事故が発生した村であり、最初の廃炉作業が始まった村だ。

 最近では近くの大洗町の研究所で放射性物質が飛散、労働者が被ばくする事故が発生した。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「1950年代末、マスコミで喧伝された原子力栄光のトップランナーが真っ先に転倒した悲劇の村(その二番手が青森県六ケ所村だ)である。

 茨城県知事選挙は、現職がようやく「再稼働反対」を主張したが、自公政権の執拗な「多選阻止」を掲げた攻撃によって敗退した。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「先週の土曜日。「東海村で「原発NO!」を叫ぼう 人間の鎖行動」に参加した」とのこと、

 「東海第二原発は、来年で運転40年目、ぼろ原発だ。あと20年間の操業をたくらんでいる。無謀というべき自殺行為、というか他殺行為だ」との指摘、

 「いまだ原発を「主力電源」と言い放つ内閣と取り巻き官僚たち、原子力規制委員会、日本原電は事故が起きたときどんな責任を取るつもりか」との指摘、

 「東海村は日本最初の原子炉が臨界に達した「原子力の村」であり、死者が出た最初の臨界事故が発生した村であり、最初に廃炉作業がはじまった村だ」とのこと、

 「1950年代末、マスコミで喧伝された原子力栄光のトップランナーが真っ先に転倒した悲劇の村(その二番手が青森県六ケ所村だ)である」とのこと、等々を知ることができた。

 なかで、事故が起きた時に、「いまだ原発を「主力電源」と言い放つ内閣と取り巻き官僚たち」、原子力規制委員会、日本原電、の皆さんに対して、事故が起きた時の「責任者として」と「損害賠償の対象者として」と「刑事責任・罰則の対象者として」の適否について、国会を中心に国民的議論をしなければ、無責任な「他殺行為」の横行を止めることができない、と思った。


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by sasakitosio | 2017-08-30 06:46 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月28日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「精神科病院の訪問看護室で働き始めて8年が過ぎた。何人かの利用者さんに進行がんが見つかり、帰らぬ人となっている。

 近くにいながら気づかなかった無力感と共に、精神科特有の難しさも感じている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「言い訳めいてしまうのだが、慢性的な妄想のある人の場合、しばしば現実的な訴えが乏しい。そのため、いよいよ進行するまで気づけず、手遅れになった。

 ある人は外出中倒れ、搬送された救急病院で、進行したがんが見つかった。すでに強い症状があったはずなのだが、何日も訴えない。

 ただ、その人の場合、常に「死にたい」と言い続けていた人なので、いろいろ深読みをしてしまった。

 症状を感じなかったのだろうか。それとも、治らなくてもよいと決めて決めていたのだろうか。その人の顔を思い浮かべては、逡巡してしまう。

 もし死を願って、苦痛に耐えていたなら、なんともやりきれない。しかし、事実はどうあれ、その人のは死ななければならない運命にみまわれたのである。」と指摘した。

 最後に筆者は、「ついのすみかは、別の病院の緩和ケア病棟だった。果たして死を間近に感じながら、その人は何を思ったのだろうか。

 せめて、苦痛などない最期を迎えてほしい。そして、生まれ変わりがあるなら、次の人生は、病気と無縁でありますように。ただ静かに祈るのみ。」として締めくくった。

 読んでためになった。

 「ある人は外出中倒れ、搬送された病院で進行した救急病院で、進行したがんが見つかった。すでに強い症状があったはずなのだが、なのも訴えない」とのこと、

 「ついのすみかは、別の病院の緩和ケア病棟だった」とのこと、等々を知ることができた。

 精神病院の訪問看護師である筆者の経験と思いを初めて聞く。が、看護師と利用者の様子や気持ちはよく理解できた。

 そして、精神病院の訪問看護の利用者さんの「精神と肉体」の状況は、健常者では本当のところがなかなか分からない領域がまだまだあるような気がした。

 時々のグループホームの訪問時に、入所者の一人一人の所作を見続けると、それぞれ表に見える様子は異なっても、一様に真剣で穏やかであることに感心している。

 その時、人間とは何かを、いつも考えさせられている。


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by sasakitosio | 2017-08-29 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月27日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。

 筆者は。法政大学教授・山口二郎氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「昔のソ連では、スターリンのすることはすべて正しい。常に間違わないという神話が支配していた。これに疑いを差し挟むものは容赦なく弾圧された。無謬性神話は独裁と表裏一体である。

今の日本では、個人崇拝ではないものの、日本人は常に間違わないという無謬信仰が広がりつつある。神戸の名門校、灘中学で、歴史教科書に従軍慰安婦ついて記述したものを採用したところ、匿名の同じような文面の抗議状が殺到し、国会議員や県会議員からも採用の経緯について照会があったという。一連の動きは、天皇機関説とよく似ている。国粋主義者が敵と認定した学説に対して、これを排撃する社会運動が組織され、政府もそれを事実上後押しする。そして学問、教育の自由は失われ、全体主義が確立する。」と切り出した。

 続けて筆者は、「東京都の小池百合子知事は、関東大震災の際の朝鮮人虐殺の犠牲者に対する追悼のメッセージを送ることを拒んだ。

 震災の被害者と虐殺の犠牲者は全く性格を異にする者であり、一つの儀式ですべてを慰霊するといういうのは横着である。

 小池知事も、日本人がかって犯した悪から目を背けるという意味で、無謬性神話に染まっている。

 無謬性神話が支配するということは、批判の自由の喪失を意味し、批判の自由がなければ国は自滅の道を転がり落ちる。 今の日本はその意味で瀬戸際だ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「昔のソ連では、スターリンのすることはすべて正しい。常の間違わないという神話が支配していた」とのこと、

 「神戸の名門校灘中学で、歴史教科書に従軍慰安婦について記述したものを採用したところ、匿名の同じような文面の抗議状が殺到し、国会議員や県会議員から採用の経緯について照会があったという」とのこと、

 「国粋主義者が敵と認定した学説に対して、これを排撃する社会運動が組織され、政府もそれを事実上後押しする。そして学問教育の自由は奪われ、全体主義が確立する」とのこと、

 「小池知事も、日本人がかって犯した悪から目を背けるという意味で、無謬性神話に染まっている」とのこと、等々を知ることができた。

 今年の正月サンクトペテルブルグへ行って、街並みの美しさに感動していたら、ガイドに「スターリンの命令でサンクトペテルブルグの街では3階以上の建物は建てられなかった」と聞いて、スターリンの独裁ぶりを形で見た気がした。

 また、灘中の歴史教科書を巡る「一連の人々の動き」は、今の日本の危うさが、すぐそばにあることを感じることができた。

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-08-28 06:53 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月26日付東京新聞社説に、「政治と世論を考える⑥」とのタイトルのシリーズがある。今日が最終回だ。

 今日はこの社説を学ぶことにした。

 まず社説は、「世論研究の先駆的著作「世論」が米国で刊行されたのは1922年。著者であるリップマンが33歳のときだった。

 彼の疑問は、この複雑で巨大な現代社会で一般の人々が問題を正しく理解できるか、民主主義が可能か、ということだった。

 確かに民主主義は主権者である国民が正しくさまざまな問題を理解し、正しい投票をする前提で動いていく仕組みである。

 だが、どう考えても彼には人々が正しい理解をしているとは思えなかった。従って公衆が賢明な意見を持つことを前提とする民主主義は成り立たない。

 だから、情報分析や判断は、専門家集団に委ねざるを得ないと考えた。専門家とはジャーナリストだ。」と切り出した。

 続けた社説は、「第一次世界大戦に情報担当大尉として加わり、世論がいかに政府によって操作されやすいものであるかも体験していた。それが「世論」を書く動機でもあった。

 <新聞は24時間のうちたった30分間だけ読者に働きかけるだけで、公的機関の弛緩や正すべき「世論」と呼ばれる神秘の力を生み出すよう要求される>(「世論」岩波文庫)

 リップマン自身がワールド紙の論説委員であったし、新聞コラムを書くジャーナリストであった。

 晩年にはベトナム戦争の糾弾で知られる。正しいと信じる意見を述べ続けていたのである。

 現在の日本の新聞界はどうか。

 日本新聞協会が昨年発表した全国メディア接触・評価調査では、新聞を読んでいる人は77.7%。

 「社会に対する影響力がる」との評価は44.3%で、2009年調査52.8%より低下。

 「情報源として欠かせない」との評価は32.5%と、09年調査の50.2%より大きく落ち込んだ。影響力はあるにしても、情報源として不可欠であると思う人は減っている。 

 つまりインターナットなどとの接触が増えているのだろう。だが、ネット社会は虚偽の情報も乱れ飛ぶ密林のようなものである。」と指摘した。

 最後に社説は、「リップマンに従えば専門家を介さないと、国民は問題を理解できなくなり、世論は政府に操作を受けやすくなる。

 逆に、熟した世論に迎合する政治だってありうる。

 そうならないよう、情報を集め分析し国民に知らせるのが私たちメデイアの仕事である。ネットも同様だ。世論の重みをあらためてかみしめたい。=終わり(桐生桂一、豊田洋一、青木隆、飯尾歩)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「世論研究の先駆的著作「世論」が米国で刊行されたのは1922年。著者であるリップマンが33歳の時だった」とのこと、

 「彼の疑問は、この複雑で巨大な現代社会で一般の人々が問題を正しく理解できるか、民主主義が可能か、ということだった」とのこと、

 「どう考えても彼には人々が正しい理解を示しているとは思えなかった。従って、公衆が賢明な意見を持つことを前提とする民主主義は成り立たない。

 だから、情報の分析や判断は、専門家集団に委ねざるを得ないと考えた。専門家とはジャーナリストなどだ」とのこと、

 「日本新聞協会が昨年発表した全国メディア接触・評価調査では、 新聞を読んでいる人は77.7%。

 「社会に対する影響力がある」との評価は44.3%で、2009年調査の52.8%より低下。

 「情報源として欠かせない」との評価は32.5%と09年調査の50.2%より大きく落ち込んだ」とのこと、

 「リップマンに従えば専門家を介さないと、国民は問題を理解できなくなり、世論は政府に捜査を受けやすくなる」とのこと、

「そうならないよう、情報を集め分析し国民に知らせるのが私たちメディアの仕事である」とのこと、

 等々を知ることができた。

 そして、世論調査は民意の調査であるから、政権も野党も、それに従わなければならないのは当然である。

 そこで、その民意を正確に反映させる「手続き」とその結果の公正な「公表方法」を作り出せるかが、今の間接民主主義の将来にかかっていると思った。

 それが難しいのであれば、課題ごとに国民の意思を問う「直接民主主義」の手法を考えざるを得ないのではないか。

 その時には、憲法改正を伴うのなうことになる、と思うが。


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by sasakitosio | 2017-08-27 12:21 | 東京新聞を読んで | Trackback

 8月25日付東京新聞朝刊社説に、「政治と世論を考える⑤」というシリーズがある。

 今日は、この社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「「討論型世論調査」を覚えていますか。

 3.11翌年の夏、当時の民主党政権が震災後の原発政策を決める前提として実施した。

 政府として初めての取り組みだった。

 無作為抽出の電話による世論調査に応えた全国の約7000人のなかから300人ほどに、一泊二日の討論会に参加してもらい、専門家による助言や質疑を織り交ぜながら、参加者の意見が議論の前後でどのように変化するかを見た。」と切り出した。

 続けて社説は、「2030年の電力に占める原発の割合として、ゼロ、15%.20~25%-の三つのシナリオが示されており、学習と討議を重ねて理解を深めた結果、「原発ゼロ」と答えた人が全体の約3割から5割に増えた。併せて公募した意見では、9割近くが「原発ゼロ」を支持していた。

 このような民意に基づいて、原発は稼働後40年で廃炉にし、新増設しないことにより「2030年代ゼロ」に導くという、「革新的エネルギー戦略」が決められた。

 それを現政権は「具体的な根拠がない、ゼロベースに戻す」と、ご破算にした。

 特定秘密保護法や集団的自衛権、「共謀罪」などの時と同様、内閣支持率の高さだけを背景にした“具体的民意”の無視、というよりは否定とは言えないか。

 その後も世論調査のたびに、脱原発には賛成、再稼働に反対の意見が過半を占める。

 6月の静岡県知事選中に本紙が実施した世論調査でも、県内ある中部浜岡原発は「再稼働すべきでない」という意見が6割に上っていた。

 にもかかわらず、政府はエネルギー基本計画の見直しに際し、はじめから「30年20~22%」の原発比率を維持する考えだ。

 3.11前の割合は28%。

 老朽化が進む今、新増設なしには実現できない数字である。改めて国民的議論を起こす様子はない。」と指摘した。

 最後に社説は、「3.11を教訓に脱原発を宣言し、原発の新設工事を中断させた韓国政府は、世論調査や討論会で国民に問う。

 ドイツの脱原発は、専門家や利害関係者だけでなく、聖職者などを含めた幅広い意見によって立つ。

 なのに当の日本は、政府の独断専行を“有識者”が追認するという“逆行“を改める気配がない。

 国民の声より大事な何か、国民の命以上に守りたい何かがそこに、あるのだろうか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「討論型世論調査」を3.11翌年夏、当時の民主党政権が震災後の原発政策を決める前提として実施した」とのこと、

 「このような民意に基づいて、原発は稼働後40年で廃炉にし、新増設はしないことにより、「2030年代ゼロ」に導くという、「革新的エネルギー戦略」が決められた」とのこと、

 「それを現政権は「具体的な根拠がない、ゼロペースに戻す」とあっさりご破算にした」とのこと、

 「6月の静岡県知事選中に本紙が実施した世論調査でも、県内にある中部電力浜岡原発は「再稼働すべきではない」という意見が約六割に上っていた。」とのこと、

 「にもかかわらず、政府はエネルギー基本計画の見直しに際し、はじめから「30年20~22%」の原発比率を維持する考えだ。

 3011以前の割合は28%。老朽化が進む今、新増設なしに実現できる数字でない」とのこと、

 「3・11を教訓に「脱原発」を宣言し、原発の新設工事を中断させた韓国政府は、世論調査や討論会でその是非を国民に問う」とのこと、

 「ドイツの脱原発は、専門家や利害関係者だけでなく、聖職者などを含めた幅広い意見によって立つ」とのこと、

 「なのに問うの日本は、政府の独断専行を“有識者”が追認するという逆行“を改める気配はない。」とのこと、等々を知ることができた。

 「討論型世論調査」経過と結果をみて、民主党政権に代わってよかった、と思ったものだ。

 それを、現政権が「具体的根拠がない、ゼロベースに戻す」とあっさりご破算にした「事実」を目の当たりして、これも民主主義か、とあきれている。
 国民の税金の振り分けが主な仕事の内閣で、国民の声より大事なものはないはずだし、国民の命以上に守らなければならないものはないはずだが?
 そして、為政者だけが常に安全地帯おれるはずはないと、想うのだが。

 また、民主党政権の時、「討論型世論調査」ではなく、脱原発の是非について「国民投票」「立地県の県民投票」「立地市町村の住民投票」制度を創設すればよかったのに、と死んだ子の年を数えるような「気分」を今味わっている。

 

 


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by sasakitosio | 2017-08-27 11:40 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月24日付東京新聞社説に、「政治と世論を考える④」というシリーズがある。

 今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「「ヤツラを見ろ」 トランプ氏が記者席を指さした。すると会場を埋めた支持者がトランプ氏と声を合わせて「やつらは最も不正直な人間だ」とブーイングを浴びた。

 昨年の米大統領選。トランプ氏の選挙集会ではメディアたたきが繰り返され、就任後の今もメディア敵視は続いている。

 メデイアも黙ってはいない。

 ウオーターゲート事件の報道でピュリツァー賞に輝いた元ワシントン・ポスト紙記者のバーンスタイン氏は「これほど悪質な大統領は見たことがない」と批判し、メディアがトランプ氏に立ち向かうよう訴えた。

ニューヨーク・タイムズ紙がアカデミー賞授賞式の中継で流したCMは、「真実がこれまで以上に重要になっている」との文言で結ばれた。

 メディアは事実を武器に政権と対峙しようとしている。」と切り出した。

 続けて社説は、「ところが、ある世論調査によると、メディアにはフェイク()ニュースが多いと65%の人が信じ、うち共和党支持者では8割に達する。メディア不信は深い。

 トランプ氏も「既成メディアはフェイクだらけだ」と毒づくが、自分の方こそ根拠のない発言を乱発し、取り巻きも同調する。大統領就任式の観客数をめぐる騒動がいい例だ。

 オバマ氏が就任した8年前の時の写真と比べて明らかに少ないのに、当時の大統領補佐官は「過去最多だ」と自賛した。

 これをメディアが疑問視すると、大統領顧問が「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)だ」と真顔で強弁した。

 トランプ氏がツイッターを重宝するのは、既成のメディアを介さず支持者に直接、メッセージを伝えることができるからだ。だから、いくら批判を受けてもツイッターをやめようとしない。

 ネット空間では自分の嗜好や立場にあった情報だけを選択できる。メディアがトランプ氏の虚構をいくら指摘しても、こうした別の情報空間にいるトランプ支持者は聞く耳を持たない。支持層がなかなか崩れないのは、これが大きな理由だ。」と指摘した。

 最後に社説は、「だが、自分の気に入らない情報は排除し、好みに合うものだけを受け入れれば、客観性を失い、偏見を自ら助長させる危険を伴う。正しい情報や事実に基づかない政治がまともであるはずがない。この歪みは危険である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「やつらを見ろ」トランプ氏が記者席を指さした。すると会場を埋めた支持者がトランプ氏と声を合わせて「やつらは最も不正直な人間だ」とブーイングを浴びせた」とのこと、

 「メディアも黙っていない。ウォーターゲート事件の報道でピュリツァー賞に輝いた元ワシントンポスト紙記者のバーンスタイン氏「これほど悪質な大統領は見たことがない」と批判し、メディアがトランプ氏に立ち向かうよう訴えた」とのこと、

 「ところが、ある世論調査によると、メディアにはフェイク(偽)ニュースが多いと65%の人が信じ、うち共和党支持者では8割に達する。メディア不信は深い」とのこと、

 「トランプ氏がツイッターを重宝するのは、既成のメディアを介さず支持者に直接、メッセージを伝えることができるからだ。支持者を扇動する強力な武器になる。」とのこと、

 等々を知ることができた。

 たしかに、「自分の気に入らない情報は排除し、好みに合うものだけを受け入れれば、客観性を失い、偏見を自ら助長させる危険を伴う」ことは、社説指摘の通りだが「多くの人はその心地よさを手放したがらない」のではないか。
 これも、言論の自由の範疇か?

 しかし、「正しい情報や事実に基づかない政治」は、国民的に危険であり、国民的に害悪である、ことは間違いない、と思った。


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by sasakitosio | 2017-08-27 10:24 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月23日付東京新聞社説に、「政治と世論を考える③」とのシリーズが載った。

今日は、この社説を学習することにした。

 まず社説は、「「世論」と書いて、「よろん」と発音する人もいるし、「せろん」と発音する人もいる。

 京都大学の佐藤卓己教授によれば、1980年の調査では「せろん」と読む人が過半数だったが、それから約10年後には逆転して「よろん」が6割を占めているのだという。偶然ではない。

 「戦前に教育を受けた世代と戦後の世代で多数派が交代した結果なのです」(佐藤教授)

 「輿論」とは「天下の公論」であり、「世論」は明治時代の新語で、大正時代の辞書では「外道の言論、悪論」と書かれているそうだ。

 だから、戦前に教育を受けた世代が「世論」を「よろん」と読むことはありえないのである。

 軍人勅諭にもこんなくだりがある。「世論に惑は(わ)ず政治に拘わらず」――。この場合も「世論」が「外道の言論」なのだからである。

 戦後当用漢字表から「與」の文字がが排除され、「よろん」に「世論」の文字が当てられるようになり、「よろん派」「せろん派」の2派が登場することになる。」と教えてくれる。

 続けて社説は、「では新聞社が行う世論調査は「せろん派」で世の中の空気を読むだけの国民感情調査なのだろうか。それとも「よろん派」で、責任ある意見をくみ取る調査なのだろうか。この判定は場合にもよるが、どちらとも言い難い。

 専修大学の山田健太教授は「欧米では社会の階層ごとに読む新聞が違っています。例えば英国ならば上の層ではガーディアン紙、下の層ではイエローペーパーでしょう。

 しかし、日本の場合は違います。どんな市民でも読むメディアの差はありません」という。

 確かにサラリーマンでも、大学教授でも読んでいる新聞は、ほぼ同様のものであり、メディアの質そのものに大きな違いがない。おとしよりも老眼鏡を頼りにじっくり記事や社説を読む。

 日本の読者は、新聞を読んで、知識を蓄えているわけで、新聞社の行う世論調査がたんなる「国民感情調査」に陥っているわけではないと思います。

 知識を持ち、意見を持った「輿論調査」の面もあると思うのです」」と教えてくれる。

 最後に社説は、「世論に問う」――。難しい政治テーマについて、こんな言葉を政治家が言う時代になっている。

 例えば劇場型政治がそうだ。賛成・反対で社会分断を図る。単純な言葉で世論を動かそうとする政治手法にメディアがどう対抗できるか問われる時代でもある。」として締めくくった。 

 読んで勉強になった。

 「では、新聞社が行う世論調査は、「せろん派」で世の中の空気を読むだけの国民感情調査なのだろうか。それとも「よろん派」で、責任ある意見をくみ取る調査なのだろうか。この判定は場合によるが、どちらとも言い難い」とのこと、

 「専修大学の山田健太教授は「欧米では社会の階層ごとに読む新聞が違っています。例えば英国ならば上の層ではガーディアン紙、下の層ではイエローペーパーでしょう。しかし、日本の場合は違います。どんな市民でも読むメディアの

差はありません」という」とのこと、

 等々を知ることができた。

 主体のメディアからすれば、「国民感情調査」と「輿論調査」に明確にわけ、世論調査が「輿論調査」だと思いたい気持ちはわかる。

 が、社説にある通り「判定は、場合にもよるが、どちらとも言い難い」のではないか。

 とりわけ、選挙にかかわる報道は、大阪の橋下旋風、東京の小池旋風、アメリカのトランプ旋風、みながみなマスメディアの起こした「国民感情調査」報道の結果のような気がしてならない。

 そのことの結果の是非は、日本、アメリカ、世界、人類の歴史に中で後日評価されればいいのではないか、と思った。 
 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-08-27 09:08 | 東京新聞を読んで | Trackback

8月22日付東京新聞社説に、「政治と世論を考える②」というシリーズがある。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「5.15事件。1932年(昭和7年)5月15日に官邸にいた犬養毅首相を海軍将校らが暗殺したテロ事件に対し当然、当時の新聞も厳しい論調で向かった。

 「「日本新聞通史」(春原昭彦著)は「かなり大胆にファッショを排撃した。とくにその論旨が厳しかったのは、東西朝日、新愛知(現中日)、福岡日日(現西日本)」と記している。」と切り出した。

 続けて社説は、「新愛知(中日新聞)の社説は、第二、第三のテロの出現を予測している。

 そして「武器を所有する者が、赤手空拳にして何らの防備をも有せざるものに対する場合、それは武力を有するものが、勝つに決まっている」と記す。

 だが、それは「物質的な勝利」にすぎないのであって、「人間の意思が暴力でどうすることもできない」と書き進む。そしてーー。

 「いわんや立憲政治がピストルの弾の10や20のため、そのたびにぐらぐらしてたまるものではないということは、常識のあるものは誰だって知っている」

 大正デモクラシーの息を吸った立憲政治はそれほど強固だと考えられていたのだろうか。

 だが、事件後、政党内閣の慣例はもろくも打ち破られてしまう。」と指摘した。

 さらに社説は、「もう一つの異変は世論の動向である。

 国民は何とテロの実行犯に同情的に変化するのである。

 33年になると、軍法会議が始まり、新聞に裁判記事が載った。

 「東北地方の飢饉を聞いて、国軍存立の為にも一時も早く現状打破の必要を感じ・・・」など被告の心情が語られると、国民は将校らに清新さをを覚え、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となった。

 嘆願書の数、実に100万を超えたという。

 将校らの行動は「義挙」だと国民は感じたのだ。その変化はやはり新聞報道に起因するところが大きかったようである。

 判決はこの国民感情をに応えたように軽いものとなる。

 首相暗殺でも刑はたった禁錮15年。しかも、38年には仮釈放である。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「立憲政治はピストルの弾でぐらつかなかったかもしれない。でも、そこに熱せられた世論が入ると、予期せぬ化学反応は始める。暗殺を義挙だと変換する世論に支えられていれば、暴力は大手を振って闊歩し始める。

 今年7月亡くなった犬養毅の孫道子は当時小学生。母親はコメを買いに行っても売ってくれなかったそうである。

 遺族をも白眼視する、倒錯した群集心理はいつの世も抱え込んでいるのではないか。」として締めくくった。 

 読んで勉強になった。

 「5.15事件。1932年(昭和7)年5月15日に官邸にいた犬養毅首相を海軍将校らが暗殺したテロ事件に対し当然、当時の新聞も厳しい論調で向かった」とのこと、

 「だがこの事件後、政党内閣の慣例はもろくも打ち破られてしまう」とのこと、

 「もう一つの異変は世論の動向である。国民は何とテロの実行犯に同情的に変化するのである」とのこと、

 「「東北地方の飢饉を聞いて、国軍存続のためにも一時も早く現状打開の必要を感じ・・」などの被告の心情が報じられると、国民は将校らに清新さを覚え、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となった。嘆願書の数、実に百万を超えたという」とのこと、 

 「将校の行動は「義挙」だと国民は感じたのだ。その変化はやはり新聞報道に起因するところが大きかったようである」とのこと、

 「判決はこの国民感情に応えたように軽いものとなる。首相暗殺でも刑はたった禁錮15年。しかも、38年には仮釈放である」とのこと、

 「暗殺を義挙だと変換する世論に支えられていれば、暴力は大手を振って闊歩し始めるのだ」とのこと、

 「今年7月に亡くなった犬養毅の孫道子は当時小学生。母親は米を買いに行っても売ってくれなかったそうである」とのこと、等々を知ることができた。

 なかでも、驚きは、5.15の犯人に対し、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となり、嘆願書の数が実に百万を超えたことであった。

 そして、首相暗殺でも刑はたった禁錮15年で、38年には仮釈放になったこともショックだった。

 この現象が、2.26から太平洋戦争へとつながったと思った。車も歴史も、急には止まれないということか!? 

 


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by sasakitosio | 2017-08-27 07:09 | 東京新聞を読んで | Trackback