憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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「地の文」が隠した背景

 1月28日付朝日新聞朝刊15面に、「あすを探る メディア」という欄がある。筆者は、ジャーナリストで政治メディア「「ポリタス」編集長・津田大介氏だ。
 今日ァはこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「国民的人気タレントのSMAPが1月18日、一連の解散報道を受け、テレビの生放送で謝罪した。じつに不気味で不可解な内容だった。
 5人のメンバーがそれぞれ「反省」を述べるのだが、肝心のグループの存続について明言されず、世間を騒がせたという紋切り型の謝罪に終始した。
 ネットには「誰に何を謝っているのかわからない」「公共の電波を利用した“見せしめ”だ」「事務所の面子を守りたいだけ」といった批判の声があふれた。
 マスメディアとソーシャルメディアに流れる情報の闇に強いコントラストが生じていた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「この騒動はスポーツ紙2紙が第一報を出し、週刊誌やワイドショーも追従したことで報道が過熱していった。
 問題を一言で言えば、創業者一族とたたき上げで役員まで上り詰めた現場マネージャーとの対立である。
 オーナー企業ではしばしば発生する現象だ。時に創業者が解任され下剋上となることもあれば、破れた外様側が顧客を奪う形で独立することもある。この問題も内々に処理されていれば、ありふれた企業経営の一風景に過ぎなかっただろう。
 だが、芸能マスコミは当初から事務所側に立った一方的な報道を繰り返した。中でもスポーツ紙は露骨だった。
 ことの発端を女性マネージャーの”暴走“が原因」と断じ(19日付スポーツニッポン)、
 「ファンへの恩返しをする場所(コンサート)を事務所が与えるかは4人の姿勢次第だ」と結んだり(20日付サンケイスポーツ)、
 グループの存続を事務所の「温情ある処置」とたたえたもした(19日スポーツ報知)
 ポイントは、これらの記述が客観的な事実と印象付けられる「地の文」で行われたことだ。「事務所関係者のコメント」と明記すれば、読者も「これは事務所の言い分だ」と勘案しながら読むことができる。だが、今回は一部を除く芸能マスコミは軒並み情報源をぼかし、結果的に事務所の情報コントロールに加担した。理由は言うまでもない。事務所の機嫌を損ねれば、記事をつくる上で貴重な情報源が失われ、自らの立場やビジネスが危うくなるからだ。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「芸能マスコミ以外の報道機関も対岸の火事ではない。懇意の記者に情報をリークし、自分の伝えたいメッセージを発言者の「コメント」ではなく「地の文」で書かせる手法は、政局報道でも頻繁に見られるからだ。政治資金規正法疑惑が取りざたされ、連日「有罪確定」であるかのように報道された小沢一郎衆議院議員が最終的に無罪となった陸山会事件はその典型だ。
 芸能事務所と芸能マスコミとの関係はそのまま永田町の関係に置き換えられる。」と指摘した。
 さらに筆者は、「今回の騒動は単なる芸能ゴシップではない。
 雇用者が被雇用者や取引先に圧力をかけて独立を阻害するパワハラ・独占禁止法的問題、一企業が公共の電波を私用することを許したテレビ局のガバナンス・独立性の問題、経験を重ねた年長者が固定観念に囚われ、若い才能をつぶす組織構造――今の日本が抱えるさまざまな社会的閉塞を象徴する出来事だ。
 本来マスメディアは中立な目線でこのニュースの背後にあるものをえぐり出す必要があった。今回それがかなわなかったため、多様な見方はネットに集中した。
 この傾向は東日本大震災後の・放射性物質をめぐる議論や、東芝不正会計問題の評価などでも顕著に見られる。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「外に目を向ければ、米国の報道も匿名の情報源が多いが、「匿名を条件に語った」などと、但し書きを入れて読者にほのめかす「留め」を用意している。
 匿名の情報源に頼り、自己保身に走りがちな日本の報道とは対照的だ。この問題を長年放置してきたマスメディアは、今こそ「原則、情報源は明示すること」を厳格に規範化する必要があるだろう。
 全ての情報には意図がある。
 メディア環境が激変した今、万人にニュースの裏側を考えさせるような読者本位の報道が求められている。」として締めくくった。
 読んで大変、ニュースの真相を探るのに、大変勉強になった。
 SMAPの解散報道の見方として、筆者は、「問題を一言で言えば、創業者一族とたたき上げで役員まで上り詰めた現場マネージャーとの対立である」と教えてくれた。
 この報道劇の中で、筆者は「芸能マスコミは当初から事務所側に立った一方的な報道を繰り返した」と指摘し、
「ポイントはこれらの記述が客観的な事実と印象付けられる「地の文」で行われたことだ」とも指摘した。
 その上で、筆者は「今回の騒動は、単なる芸能ゴシップではない。
 雇用者が被雇用者や取引先に圧力をかけ独立を阻害するパワハラ・独占禁止法的な問題、一企業が公共の電波を私用することを許したテレビのガバナンス・独立性の問題、
 経験を重ねた年長者が固定観念に囚われ、若い才能を潰す組織構造――今の日本が抱える様々な社会的閉塞を象徴する出来事だ。」と、教えてくれた。
 筆者は最後に「全ての情報には意図がある」とも教えたくれた。自分にとって、これらが、情報発信する側の意図を考えるきっかけになった。
 
 
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by sasakitosio | 2016-01-31 19:43 | 朝日新聞を読んで | Trackback

コヘレトの言葉

 1月29日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で外務省主任分析官・佐藤優氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「24日午前7時すぎ、京都市内の病院で同志社大学神学部名誉教授の緒方純雄先生が亡くなった。95歳だった。
 筆者は、緒方先生から卒業論文と修士論文の指導を受けた。それだけではない。自らの価値観、人生観、世界観を形成する過程で、筆者は緒方先生から決定的に重要な影響を受けている。組織神学者である緒方先生は、学術指導に関してはとても厳しい方だった」と切り出した。
 つづけて筆者は、「一時期、筆者がカール・バルトという神学者の引力圏に引き込まれかけた時、「バルトは神学はもっとも美しい学問であると言っていますが、そこに危険があります。美意識で神学を見てはいけません。矛盾を抱えたドロドロした存在である人間と取り組むことが神学の課題です」と諭された。
 緒方先生は牧師でもあった。鈴木宗男疑惑の嵐が吹き荒れる中、先生から手紙をいただいた。励ましの言葉とともに旧約聖書「コヘレトの言葉(伝道の書)から<天の下の出来事はすべて定められた時がある。
 生まれる時、 死ぬ時。
 黙する時、語る時。
 戦いの時、平和の時。>という聖句が引用されていた。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「筆者が緒方先生に電話すると「いまはつらくてたいへんだろうが、時の流れは必ずかわる。その時を正しく見定めることは佐藤君にはできる」と言われた。
 緒方牧師の言葉が獄中での筆者を支えてくれた。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 旧約聖書「コヘレトの言葉」(伝道の書)というのがあって、中に「天下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時。黙する時、語る時。戦いの時、平和の時。という聖句があることを、初めて知った。
 緒方先生のことばが、獄中での筆者を支えてくれた、とのこともはじめて知った。
 そして、般若心経の「照見五蘊皆空」を思い出した。
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by sasakitosio | 2016-01-31 19:30 | 東京新聞を読んで | Trackback
 1月28日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・吉岡桂子氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「中国人民銀行 周小川総裁 新年好!祝生日快楽!
 とはいえ、29日迎える68歳の誕生日は心穏やかではないことでしょう。中央銀行である人民銀の総裁について、14年目。この間、中国の経済規模(ドル建て)は8倍近くに膨らみ、日本の2倍を超えました。
 その株式や為替相場の混乱が、世界に大きな影響を与えています。中国の景気の減速に加えて、当局が何を考えているのか予測不能で、透明性に欠ける政策運営に、市場参加者は不安を感じているのです・
 人民元が中国から逃げだしています。
 英語を操り、率直なあなたは、台頭する中国経済の顔として「ミスター人民元」、中国語なら「人民元先生」、と呼ばれた最初の総裁です。
 高成長の時代が終わり、先行きが心配される今こそ、政策の意図をきちんと説明してほしいと、筆をとりました。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「もちろん、中国の中央銀行は先進国と異なり、共産党や政府から独立して金融や為替政策の判断ができないことは周知です。
 さらに言えば、法律の運用さえ党が仕切る国です。
 人民銀総裁の党の序列は、最高指導部の7人には遠く及びません。にもかかわらず、あなたの言動に中国経済ウオッチャーが注目するのは、分かりやすい言葉で経済政策を説明力を期待してのこと。
 そして、ほかに広く海外に発信できる金融に通じた政策担当者がいないからです。
 米国の中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)で2代前のトップを務めたグリーンスパン氏も著書で、「国際金融に精通しているうえ、他の情報源からは知ることのできない中国の実態を率直に話す」人物として高く評価していました。
 政治的「育ちの良さ」もお持ちです。機械工業相を務めた父親は、元国家主席の江沢民氏の若いころの上司でした。共産党幹部の子弟という意味では、現在のトップ習近平氏と同じ「紅二代」で、習氏の「腐敗退治」を指揮する 王岐山とも旧知の仲。
 経済通で人民銀総裁を兼務したこともある元首相の朱鎔基氏からは、市場の力を経済に生かす「改革派」として引き立てられました。
 精力を誇示するために政治家は髪を真っ黒に染めますが、白髪を隠さないのは自らをあくまでも金融を専門とする官僚を意識しているからでしょうか。
 それにしても、このところの対応は後手に回り過ぎています。
 昨夏の突然の人民元の切り下げについて副総裁が北京で説明したのは2日後。しかも、出席するメディアは限られました。いまだ、説明の場は設けられていません。
そもそも総裁の定例会見は、毎年3月一度きり。これに対して、日本は年8回、米国は四半期に一度、トップが会見します。記者を通じて、社会の関心のありかを知る場になるはずです。
 人民元先生、出番です。」と指摘した。
 最後に筆者は、「その任にあらずとおっしゃるでしょうか。政策を決め、時差なく語る権限は、最高指導部にしかない、と。
 まさに、それがいま、中国経済の最大の弱点であり、リスクなのです。党が支配する政治体制と徐々に進めてきた経済の自由化の矛盾を、市場が突いています。
 当局が市場の動きを探りながら臨機応変に経済を動かしていく能力に対して不安やと不信が広がっています。かじ取り次第では、実態以上に経済を損ねてしまいかねません。
 市場は有相無想です。気に食わない言論を弾圧するように、参加者を取り締まることは出来ません。
 人権派弁護士の腕に位置情報を知らせる探知機を埋め込んだ黒い時計はつけられても、人民元にはつけられません。
 習氏を筆頭に人民元の国際化を国家の威信をかけて進めていますね。経済の「開放」を成長と国際協調のてこにするのであれば、力だけで市場を制御できるとは思えません。異質なものと対話する力が求められます。
 昨夏以来、市場の混乱、いや反乱として現われいることは、経済にとどまらない中国の体制が直面する「壁」を暗示している気がします。
 まず、2月末に上海で開かれるG20財務相・中央銀行総裁会議の機会に会見し、存分説明されることを期待しています。
 在上海見面(上海で会いましょう)!」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「中国の景気減速に加えて、当局が何を考えているのか予測不能で、、透明に欠ける政策運営に、市場参加者は不安を感じています。 人民元が中国から逃げ出しているのです」とのこと、
 「中国の中央銀行は先進国と異なり共産党や政府から独立して金融や為替政策の判断が出来ないことは周知」とのこと、
 「さらに言えば、法律の運用すら党が仕切る国です。人民銀総裁の党の序列は、最高指導部の7人には遠く及びません」とのこと、
 「精力を誇示するために中国の政治家は髪を真っ黒に染める」とのこと、
 「党が支配する政治体制と徐々に進めてきた経済の自由化の矛盾を市場が突いている」とのこと、
 「市場は有相無相です。気に食わない言論を弾圧するように、参加者を取り締まることは出来ません」とのこと、
 「人権派弁護士の腕に位置情報を知らせる探知機を埋め込んだ黒い時計はつかられても、人民元にはつけられません」とのこと、等等、中国の今を知ることができた。
 最後に、筆者は、「昨夏以来の混乱、いや反乱として現われているのは、経済にとどまらない中国の体制が直面する「壁」を暗示している気がします」と、中国の今の根本矛盾を、教えてくれた。
 今までは、先進国の支援と、先進国の模倣で事足りたが、いよいよ一党独裁資本主義の真価が、国の内外から問われるような気がした。 
 
 
 
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by sasakitosio | 2016-01-30 06:31 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 1月27日付東京新聞社説に、中国経済の事が載った。
今日はこの社説に学ぶことした。
 まず社説は、「中国経済の減速が止まらない。製造業の不信が深刻で、通貨元安や株安が世界市場を混乱させている。癒着の温床で非効率な国有企業の整理統合や当局と市場の対話に力を入れるべきだ。
 「日本への買い物ツアーはしばらく我慢です」。百万元(約1800万円)を株式運用して利益を上げてきた上海日系企業の中国人幹部は、株急落にため息をついた。
 上海は年明け早々、導入したばかりの「サーキットブレーカー」制の発動で二度も取引全面停止の異常事態になった。上海株は26日も急落し、総合指数は昨年末比で約22%も下落した。
 昨夏の株価急落の対策で、中国は大株主による株売却を半年間禁じた。年明けの売却解禁で強まる売り圧力を、新制度で回避できるとの読みは裏目に出たといえる。
 取引停止への恐怖感から、目先の利益を追う個人投資家の多い中国市場はパニック売りに見舞われた。
 市場との対話を欠く「官制相場」の限界を露呈したとと言える。」と切り出した。
 つづけて社説は、「中国経済減速要因は、製造業の過剰設備、膨大な住宅在庫、地方政府の債務など多岐にわたる。
 特に、発展を支えてきた製造業には、人件費高騰や過剰設備という構造的な難題が横たわる。
 李克強首相は「腕を切る覚悟で設備投資を解消せよ」と号令をかけたが、過剰生産された鉄などがコスト割れの安さで出回り、世界のデフレを加速させている。
 なにより取り組むべきは,党や政府と癒着し非効率な国有企業の改革である。整理統合が進まなければ不正常な市場独占が続き、「大衆創業」のかけ声とは裏腹に、民営企業の活力は生まれない。
 中国は昨秋、競争力のない自動車メーカー14社の生産資格を停止した。
持続的成長のためには、生産実態のほとんどない「ゾンビ企業」と言われる国有企業の市場からの退出を急ぐべきである。技術革新や個人消費の伸びは堅調である。
 技術革新や個人消費の伸びが経済を引っ張る新成長モデルを模索してほしい。」と指摘した。
 最後に社説は、「中国の成長鈍化は世界経済へも大きな逆風である。日本の対中輸出は昨夏以降、前年割れが続く。
 経済大国となった中国には、世界の経済秩序との協調をもっと重視してほしい。市場シグナルを反映した為替相場に移行させ、始動したアジアインフラ投資銀行(AIIB)の運営でも、中国主導ばかり強調せず、開放的で透明なやり方を心がけるべきであろう。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「上海株は26日も急落し、総合指数は昨年末比でやく22%も下落した」とのこと、
 「中国は昨秋、競争力のない自動車メーカー14社の生産資格を停止した」とのこと、等を知った。中国の現代事情を知る上で大いに刺激になった。
 経済が減速し、会社が閉鎖される時の、労働者はどういう状態に置かれているのか、知りたくなった。
 中国が一党独裁資本主義という、歴史上の大実験を行っていて、着地はどのマスコミにもまだ見えていないようだが。その中で、労働者や農民はどうしているのかが、気になって仕方がない。
 
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by sasakitosio | 2016-01-30 06:21 | 東京新聞を読んで | Trackback

魯迅が生きていたならば

 1月23日付朝日新聞朝刊15面に、「風」という欄がある。筆者は、北京総局長・古谷浩一氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだーー。
 そう書いた魯迅が上海で死去したのは1936年。今年で80年になる。
 「中華民族精神の象徴」とされる中国の近現代文学を代表する作家である。中国共産党の評価も高く、毛沢東主席は好んで全集を執務室に置いたとされる。
 指導者の演説や公式文書で、魯迅は常に作家の序列トップで紹介され、これに郭沫若、茅盾、巴金、老舎と続く順序が崩れることはない。
 習近平国家主席もまた、魯迅好きのようだ。昨年末、中国中央テレビが映した映像では、習氏の執務室の書棚に18冊の魯迅全集があるのが見えた。2年前の映像では確認できなかったから、おそらくそれ以降、執務室に運び込んだらしい。
 習氏は昨年10月に発表した演説でも魯迅の名に計6回も言及している。
 魯迅の作品は、すでに時代に合わないとして、数年前から中国の教科書への掲載数が減ってきたことが話題になっていたが、昨年から逆に、一部の教科書では増える傾向にあるとも聞いた。ひょっとすると、これも習氏の意向の表れかもしれない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「しかし、なぜ今さら魯迅なのだろうか。すでに共産党の現状とは一致しないものも多いのに・・・・。
 たとえば、中国では今、代表作「阿Q正伝」に出てくる裕福な趙家の人々「趙家人」という言葉が、流行語になっている。共産党の高官やお金持ちの一家を示す批判を込めた隠語だ。
 ネット上では削除が進んでいる。
 魯迅研究で有名な老学者は私にこう言った。
 「魯迅は反体制の作家なんですよ。当時の国民政府への批判は、共産党と方向が同じだった。でも、立場は変わった。一部の人人は魯迅を通じて共産党を批判しようとしている」
 もし、今も魯迅が生きていたら、何を思うだろうか。 
 中国の友人にそんな話をする、過去に同じような質問を、毛沢東が受けたことがあると教えてくれた。
 57年、上海で開かれた文芸関係者らの座談会。毛はあっけらかんとした調子で答えたという。
 「(魯迅が生きていれば)牢獄に入れられ、そこで書き続けるか、あるいは何も言わなくなっているかだな」」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「毛は分かっていたのだろう。魯迅が生きていれば、その批判精神は共産党政権にも必ず向かってくるだろうことを。
 そして、共産党はそうした魯迅を許さないことを。毛は、あくまでも過去の人物として魯迅を評価し、利用した。
 さて話は戻るが、習氏はどうか。単に毛スタイルをまねているだけか。それとも、魯迅が描いた、横暴な権力に翻弄され、なすすべなく、それを受け入れる民族の悲哀に思いをはせているのか。
 願わくば、後者であると思いたい。」として締めくくった。
 読んで、勉強になった。
「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだーーと書いたのは魯迅だったことを、初めて知った。
 また、魯迅研究で有名な老学者が筆者に「魯迅は反体制の作家なんですよ。当時の国民政府への批判は、共産党と方向が同じだった。でも、立場は変わった。一部の人々は魯迅を通じて共産党を批判しようとしている」と話した、とのこと。
 また、中国の友人から「57年、上海で開かれた文芸関係者らの座談会で、毛はあっけらかんとした調子で「(魯迅が生きていれば)牢獄に入れられ、そこでおかき続けるか、あるいは何も言わなくなっているかだな」と答えたとのこと。
 これらを、知っただけでも、中国の今が少しわかったような気がした。そして、中国社会の民主化への道は、歩く人が大きなる流れは、日々加速しているような気がした。
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by sasakitosio | 2016-01-30 06:13 | 朝日新聞を読んで | Trackback

改憲草案 戦前回帰か

 1月29日付東京新聞社説横に、「ミラー」という欄がある。筆者は、東京都町田市在住・長瀬繁(68)氏だ。今日は、この筆者に学ぶことした。
まず筆者は、「安倍晋三首相が国会で意欲を示す改憲の重要テーマと位置づける緊急事態条項の新設について、民主党の岡田克也代表が15日、戦前のドイツでナチスが独裁政権を確立した手法になぞらえて批判した、と本紙総合面で報じた。
 ヒトラー率いるナチス政権は1933年、国会の立法権を政府に移す全権委任法をドイツ連邦議会で成立させ、独裁権力を握った。
 同様に、日本で緊急事態条項が新設されれば、国会で法律をつくらなくても首相が権力行使できるようになり、危険だという。」と切り出した。
 続けて筆者は、「この記事を読んだ私は、国民一人一人が自民党の「日本国憲法改正案」と真剣に向き合うことがとわれていると感じた。
 例えば、改正草案では「表現の自由を定めた第21条に2項が新設され、「前項の規定に関わらず、公益及公の秩序を害することを目的として結社することは、認められない」と書き込み、国が表現の自由を認めない場合があることを明記している。
 それを判断するするのは誰なのか。
 時の政権である。このように、自民党の憲法改正草案は、国家が国民を縛り、立憲主義を否定した国づくりと戦前回帰を目指しているとしか思えない改正箇所が目立つのだ。」と指摘した。
 最後に筆者は、「私は今、中学校の歴史の教科書を読んでいるが、戦前のように再びファシズムを支える愚かな民衆にはなりたくないと思っている。
 今夏の参院選は日本の行く末の分岐点だが、その選挙結果を背負うのはわれわれの子や孫の世代である。
 誤りのない責任ある大人の選択をしたい。」として締めくくった。
同じ世代として、筆者の意見に共感した。
 特に、「戦前のように再びファシズムを支える愚かな民衆にはなりたくないと思っている」とのくだりは、よく分かった。
 
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by sasakitosio | 2016-01-29 19:31 | 東京新聞を読んで | Trackback

食の連帯

 1月28日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」というう欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「10年ほど前、小泉内閣下で「食育基本法」が成立した。
 伝統的食文化を子どもたちに伝えるために家庭・学校・地域を動員して国民運動を展開するといった趣旨の法律だ。日本文化を背負って国際競争を勝ち抜く、心身ともに健全な企業戦士に育て上げようというわけだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「池上甲一氏らの「食の共同体」はこう解析する。
 「米食共同体」は戦前にコメを司祭する天皇制とも重なり、緑と水に恵まれた「豊芦原の瑞穂の国」という想像の共同体でもあった。このイメージは同法にも、最近の国を挙げての和食ブランド化にも反映している。
 だが、「米食共同体」の実態はどうか。北九州市で生活保護申請を拒否された男性が「おにぎりを食べたい」と日記に書き残して餓死するという事件は記憶に新しい。
 子どもの貧困率は6人い1人という数字もよく知られている。食育よりも子どもの食そのものが危うい。現政権の無策を尻目に子どもたちが一人でも入れる「子ども食堂」が各地に生まれている。
 せめてもの大人の責任の取り方だが、国策を超える食の連帯はなぜ出来ないのか。」と指摘した。
最後に筆者は、「R・パテル「肥満と飢餓」は世界で10億人ほどの太り過ぎとほぼ同数の最低辺を対比させる。その背後に消費者を食糧生産から隔離して食の自己決定権を奪う市場原理があると主張する。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「現政権の無策を尻目に子どもたちが一人でも入れる「子ども食堂」が各地に生まれている。」とのことは初めて知った。そして、それを始めつづけている人は、偉いなあと思った。
 また、「北九州市で生活保護申請を拒否された男性が「おにぎりを食べたい」と日記に書き残して餓死するするという事件は記憶に新しい」とのことは、筆者の記述で初めて知った。
 巷では、ダイエット食品があふれ、ダイエットンのコマーシャルが溢れ、食品の廃棄が問題になっている。このアンマッチは、なぜ起きるのだろうか?
正に不可解なりだ。
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by sasakitosio | 2016-01-29 11:34 | 東京新聞を読んで | Trackback
 1月24日付東京新聞朝刊社説横に、「太郎の国際通信」という欄がある。筆者は。ジャーナリスト・木村太郎氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「外国人の移民に反対するデモが広がっているドイツで、アドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」が戦後初めて書店に復活した。
 この本は、ヒトラーが1923年にミュンヘンでのクーデターに失敗した後、獄中で執筆したとされる。自伝と自身の世界観をまとめたもので、ナチス・ドイツの在り方を示した「大典」的な存在として知られ、千二百万部が出版された。
 特に、ヒトラーはユダヤ人をドイツ人の対極の存在と位置づけて反ユダヤ主義を強く訴え、これが後にホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)につながったと言われている。
 ナチスドイツの敗戦後、この本の著作権は連合国がバイエルン州に付与し、同州当局は著作権を凍結して出版を認めず「わが闘争」はドイツ国内では禁書的な存在だった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「しかし、著作権は著者の没後70年を過ぎた翌年の1月1日に消滅するという規定から「わが闘争」は今年の元日以降は誰でも出版できることになった。
 そこでミュンヘン現代史研究所が学術書として出版を計画、ナチスの所業を正当化し賛美することにならないよう配慮して3500余の注釈を挿入した復刻版をまとめ、今月8日に「わが闘争」がドイツ国内の書店に並んだ。
 中には同書を扱うことを尻込みする書店もあったため主に受注販売の形をとったが、全2000ページで59ユーロ(約7千5百円)のこの本は発売と同時に初版4千部は売り切れ、追加の注文が1万5千部にのぼるという。。
 「わが闘争」はドイツ国外では自由に出版されており、ドイツ語版もインターネット上に公開されていたが、あらためてドイツ国内で出版され店頭を飾ったことは、やはり衝撃的な出来事と受け止められたようだ。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「世界ユダヤ人会議ロナルド・ラウダー会長は「ホロコーストの生存者はこの反ユダヤ書が再び書店に置かれることで苦痛を与えられる」とAFP通信に語っている。
 またフランスの法律家で「憎悪防止イニシアチブ」の創始者フィリップ・コーエンしは「わが闘争」そのものには歴史的な価値しかないが、ヒトラーの理論がユーゴー内戦の際の民族浄化など他の人種憎悪を正当化するのに使われているとフランスのテレビで危惧を表明している。」と指摘した。
最後に筆者は、「戦後ドイツではナチス的運動は非合法化され、ナチスを肯定したり、カギ十字のナチスのシンボルを掲示することも禁止されている。しかしここへきてイスラム教過激派のテロや難民申請の移住者による暴行事件などもあって、いわゆるネオナチの台頭が目立って来ている 。
 そうした時に復刻されたナチスの「大典」はドイツ社会にどんな影響を与えるのだろうか、あるいはあたえないのだろうか、」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「ヒトラーの著作「わが闘争」は1200万部が出版された」とのこと、
 「ナチスドイツの敗戦後、この本の著作権は連合国がバイエルン州に付与し、同州当局は著作権を凍結して、出版を認めず「わが闘争」はドイツ国内では禁書的な存在だった」とのこと、等を知ることができた。
 筆者は、「復刻されたナチスの「大典」はドイツ社会にどんな影響を与えるのだろうか、あるいは与えないのだろうか」と心配している。
 昨年12月29日から今年1月3日の日程で、ベルリンを歩いてきた。ザクセンハウゼン強制収容所でのオゾマシイ虐待の機器と施設を見、ホロコーストを見、満員の「テロのトポグラフィー」を見、ヒトラー自殺の地をくまなく踏みしめながら見、街の中をキョロキョロ見ながら歩き回ってきた。地下鉄や近郊電車やバスに乗っても見た。
 そして、ドイツの社会がナチズムを敗戦から今日まで社会の隅々から「排除」し続けていることを知った。それは、日本が戦争を推進した「国家神道」を戦後いまだに「排除」できていないのとは、全く違う戦後の歴史をドイツ国民・国家が歩んでいることが分かった。
 ちなみに、ホテルの前の歩道に、たたみ2枚はある大きな掲示板に、アイヒマンの裁判での姿のまあたらしい写真と、近くにあったアイヒマンのアパートのまあたらしい写真が、掲示してあることに、驚いた。
 
 
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by sasakitosio | 2016-01-29 06:37 | 東京新聞を読んで | Trackback
1月28日(木)快晴、風なし、霜あり、人あり。
 入りの柏公園7時。枯れ芝は真っ白に霜が降りていた。日は山の葉を少し離れ、月は南の中空にあり。
 大堀側に、カモメ飛ぶ。河口に降りると、中州にいたカモメの数羽が、私の方に向かって、鳴きながら飛び立ってきた。センベイ数枚を、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、カモメが空中でゲットするのが、面白くて投げ続けて。
 おえて、水路沿いの草原を歩く。大津川の河口、ヒドリ橋近くの柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 帰りは、河津さくら、紅梅、スイセンの花や蕾を見ながら歩く。
 帰りの機場の草原から出ると、目の前に、メスのキジが現われた。おはようと声をかける、と逃げない。
 すぐ後ろから、あわてた風にオスのキジが走ってきた。これにも、おはようと声掛けをする。すると不思議と逃げていかない。私の方がキジの雄雌から遠ざかる。
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by sasakitosio | 2016-01-28 21:14 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

結社の自由

 1月26日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「日米戦争下、フィリピンでの激戦が、若者たちに無残な「特攻」を強いることになったのは「レイテ」で一勝を得て、和平交渉する意図がレイテ決戦と共にあった」(大岡正平「レイテ戦記」)」。その誤算が沖縄戦での特攻の大量死につながる。
 米兵捕虜とフィリピン人を大量虐殺した「死の行進」で知られるバターン半島の先端に建設された、輸出加工区の日本企業を取材したことがある。今はほとんど撤退してしまったが、労組の事務所が爆破されたり、ゼネストがあったりした。1980年代後半、やがて失脚するマルコス政権の時代だった」と切り出した。
 つづけて筆者は、「日本とフィリピンとの友好親善、経済協力はすすみ、戦没者の慰霊がおこなわれているのだが、あまり知られていないのが、サンタロサ工業団地にある、トヨタの現地企業「フィリピントヨタ」での労組紛争である。
 15年前、労組が結成されたが、労組潰しがはじまり233名が解雇、9年後にもあらたに4名が解雇された。国際労働機関(ILO)の「結社の自由委員会と理事会」は、これまで2回にわたって、「早急な調査と必要な措置を取るよう」フィリピン政府に勧告している。
 それらは当事者であるトヨタ本社が、人権と結社の自由、平和と差別について、どう考えているのか、との問いかけでもある。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 15年前、「フィリピントヨタ」で労組紛争があったことを知った。
 また、ILOの「結社の自由委員会と理事会」これまで2回にわたって「早急な調査と必要な措置をとるよう」フェリピン政府に対して勧告していることを知った。筆者ならずとも、当事者であるトヨタ本社が、日本企業の名誉にかけても、ここはしっかり対処してほしいと思った。ちなみに、私は今もトヨタの車に乗っている。
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by sasakitosio | 2016-01-28 06:11 | 東京新聞を読んで | Trackback