憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

<   2015年 12月 ( 74 )   > この月の画像一覧

 12月29日から、官公署が全国的にお休みになる。その期間を利用して、今年も海外ひとり歩くに行ってくる。
 場所はドイツのベルリン。年末年始の休暇の期間内の計画なので、オリンピックの後は最長9日間もあるが、多くは6日間だ。年初から、ベルリンと決めて、情報を集めてきた。
 日本でできることは、最大やって、最小限の目標を立てて、何時も出かける。
 今回は、最小限、東西ドイツの統一の象徴である「ブランデンブルグ門」に触り、ナチスドイツの負の遺産「ザクセンハウゼン強制収容所」に立つことに決めた。
 いつものことであるが、現地に立ち、歩き、キョロキョロすることで、新たな発見と感動がある。自然と歴史と大地は、歩いてこない、だから動物の私が動くしかない。新たな感動と発見を得るために。事前に聞いた情報では、年末年始のベルリンは、街ごと冷凍庫に入っているようだとのこと、このことへの対策で緊張している。
 そこで、この自己学習のブログも12月30日から1月3日まで、投稿だ出来ない。タブロイドは買ったのだが、何せ前期高齢者なものだから、一昨年のブッタガヤ(インド)、昨年のマドリッド(スペイン)と現地報告を送ることが出来なかった。今年も挑戦してみるが、悲観的な見通しだ。
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-29 06:23 | 今日の感動 | Trackback

「非立憲」の政治に警鐘

12月28日付東京新聞1面に、「「戦える国」に変質 言わねばならない事」という欄がある。筆者は、憲法学者・石川健治氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「安全保障関連法については、こうゆう決め方・変え方でよいのか、という違和感を持つ人々が、安倍政権の支持者の中にもいたはずだ。この違和感には理由がある。
 決め方・変え方のルールは、法秩序にとって自らがよって立つ根拠であり、最も重要なルールだ。これを破壊すると、法秩序の枠組み自体が壊れてしまう。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「ところが安倍政権は、発足当時から「憲法を国民に取り戻す」と称して、憲法改正ルールを定める憲法96条にねらいを定めた。この決定・変更のルールを攻撃するという姿勢において、政権は首尾一貫している。
 昨年7月1日の閣議決定による憲法解釈変更も、また、そうだった。
集団的自衛権を行使しないという政府の方針は「将来も変更しない」という約束として定着していた。「変えない」というのは変え方のルールの一種であり、憲法上にルールを補充するルールとして政府が自らに課した義務付けである。
 しかし、一内閣の閣議決定によって、国民に信を問おうともせず、大転換が行われた。昨年12月の衆院選では、安保政策の争点化は巧妙に
回避された。そして「勝手に決めるな」と叫ぶ国会前の声を無視して、安保法は成立した。」と指摘した。
 最後に筆者は、「自分に課すルールは義務づけの力が最も強く、それを破るようでは、他のルールもたやすく破り始める。事実、安倍政権は、野党が臨時国会の開催を求めたにもかかわらず、そうした場合に召集を義務付ける憲法第53条を、公然と破るに至った。
 この間、私は安保法それ自体の違憲/合憲とは別に、政権の立憲/非立憲という対立軸を立てて発言してきた。
戦後の立憲政治を担ってきたはずの自民党は変質してしまった。反対派のみならず賛成派ももろともに立憲政治が倒されようとしている事実に、あらためて警鐘を鳴らしたい。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「決め方・変え方のルールは、法秩序にとって自らがよって立つ根拠であり、最も重要なルールだ。これを破壊すると、法秩序の枠組み自体が壊れてしまう。」との指摘は、理解し納得した。
 「この決定・変更のルールを攻撃するという姿勢において、政権は首尾一貫いる。」との指摘もわかった。
 「戦後の立憲政治を担ってきたはずの自民党は変質してしまった。」との指摘は、二代目三代目になって、だんだん初代の苦労や努力が見えなくなり、自分の力で今があると錯覚している「世代」が、政権の中に誕生していることではないかと、思った。
 それは、内側からの支配階層の崩壊が始まっていることのシグナル・サインではないか、とも思っている。
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-29 05:53 | 東京新聞を読んで | Trackback
12月24日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・吉岡桂子氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「岡山の実家が今年、先祖代々つづけてきたコメ作りを「廃業」した。
 「TPP(環太平洋経済連携協定)の影響ですか?」
 東京でたいていの人がそうきく。
 「違うんです、81歳を迎えた父のあとをつぐものがないんです。」
 長女の私をふくめて3人の子どもは、田んぼを耕したこともない。廃業を知ったのは、秋が終わるころだった。年末恒例の餅つき日をたづねる電話を入れたら、「やめたんよ、イネ」と、はは。両親も子どもたちを当てにするふうではなかった。
 実家の話を書くことにしたのは、日本の農家の一つの典型にも思えるからだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「わが家の田んぼの面積は、一番広かったところで1町歩と3反。1.3ヘクタールほど。兼業のコメ農家でよくある規模だ。コメの増産が奨励されていた戦後に手にした干拓地をのぞくと、ほとんどは山あいにある。専業は成り立たず、私が生まれたのをきっかけに父は会社勤めを始め、定年で退職した。20年近く前に「専業」に戻った。コメの一人当たりの消費量は半世紀で半減したし、値段も下がった。農機具や肥料の費用を差し引けば、後半は赤字だったはずだ。
 その父は数年前、運転していた愛車の青い耕運機を池に落っことした。本人はあぜ側に飛び降りた機敏さを自慢していた。だが、去年の収穫期には体調を崩してしまい、刈取りを知り合いに頼んだ。
 そして今年、田植えも稲刈りもせず、自家用に植えたモチ米を石臼と杵でつくこともない、初めての暮れを迎えている。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「農林水産省によれば、自給ではなく販売している農家の7割近くが兼業で、平均年鈴は66.3歳。離農の最大の理由は高齢化である。農業をなりわいとする人口は過去30年で半分以下に減って209万人。日本の全産業の3%台まで下がった。私が生まれた60年代半ばには約2割を占めていた。
 いっぽう、過去1年は作付せず、今後も見通しがない「放棄地」は増え続け、富山県の面積に匹敵する42万ヘクタールまで広がった。実家は、一部を知り合いの農家に貸すことにした。ただし、タダである。政府は「農地バンク」を作り、貸し借りを仲介し、大規模化で効率を挙げようとしている。とはいえ、お金を払って借りてまで耕す対価を生みだせない土地も多いそうだ。
 政治を動かしてきた「票田」も、田んぼも縮んでいる。農業を守ることが「お荷物」になり、強みの工業分野で攻めきれなかった通商交渉の観点からすれば、「ようやく」だろう。
 中途半端な兼業は、専業に挑む農家の足を引っ張ってきた面もある。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「何十年かぶりに、田んぼを見に行った。
 山との境目には竹の柵と鉄線がはりめぐらされている。イノシシ対策である。防戦むなしく、土を捨てきれない父がコメに代えて育てたお芋やカボチャは食べつくされていた。もみ殻で焼き芋をして遊ぶ子どもの姿は消え、幼いイノシシ「ウリ坊」の足跡が残る。農協のポスターは、墓石のセールだった。
 10軒ほどあった集落は、半分くらいに減っている。うちも役場やコンビニが近いふもとに引っ越して久しい。
 桜の老木は、住む者が去ってますます枝を広げている。
もぐ人のいない柿が、初冬に紅をさすようにたわわにしだれている。
 ふるさとが山に消えていく。
 これが、日本の国際競争力をそぐと言われるほど国から「保護」されてきたはずの農村の風景である。子どものころから山の向こう側のことばかりかんがえていた私は記者になり、地元に残った妹は養護教員、弟は銀行員になった。小さい農家の先行きと自分の将来を重ねては考えられなかった。
 「まあ、桂子ちゃん、久しぶりじゃなあ」。近所のおばちゃんの声だ。たぶん30年ぶり。名前が浮かばない。ごめんね。おばちゃん。おぼえていてくれてありがとうね。もっとやれることがあったのかな。
 これから、なにができるのだろう。
 政策への問いでもあり、私への問いでもある。
 「いまさら何を」と両親ですら言うにちがいがない。
 それでも、考え続けるしかない。避けてきた苦い問いだからこそ。」として締めくくった。
 よんで、よく分かった。
 「もぐ人のいない柿が、初冬に紅さすようにたわわにしだれている。ふるさとが山に消えてゆく」とのくだりは、美しくも悲しい、景色だ。少子高齢化の風景のひとつなのかもしれない、と思った。
 
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-28 06:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback
 12月24日付東京新聞朝刊24面に、「ニュースの追跡」という欄がある。筆者は、中山洋子氏だ。
 今日はこの記事を学習することにした。
 まず記事は、「福島第一原発事故を機に、ドイツは脱原発に踏み切った。一方、いったんは原発ゼロを目指した日本は、自民党政権の復権とともにエネルギー政策を転換。原発再稼働を急ぐ。ドイツと日本はどこが違うのか。原発史に詳しいドイツの歴史学者ヨアヒム・ラートカウ氏に聞いた。(中山洋子)」と切り出した。
 つづけて筆者は、「ラートカウ氏が1983年に発表したドイツの原子力産業の興亡史は、原発史の世界的な古典とされる。
 今秋、30年ぶりに大幅に改稿した新版「原子力と人間の歴史」が日本でも出版された。ドイツの原子炉安全委員会委員長を経験したロータル・ハーン氏との共著で、新たに福島原発事故の経緯やドイツの脱原発の動きなども盛り込んだ。
 「70年代に研究を始めたときには、原子力平和利用を支持していた。原発はベストなエネルギーだという考え方。だが、原子力コミュニテイーの内部資料などを調べるうちに、徐々にスタンスを変えざるをえなくなった」と振り返る。
 1957年のゲッテンゲン宣言で、西ドイツの原子力研究者たちは核兵器保有に反対した。そのかわりに掲げたのが原子力の平和利用だった。世界中の注目を集めたが、「核兵器開発と完全に離れた研究というのは幻想にすぎなかった。
 ドイツの原発も軍事的な下心で進められた」という。
 米国を皮切りに70年代ごろから、平和運動として反原発の機運が起こる。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「ラートカウ氏が原発に疑念を抱く理由は、その無責任体質にもある。「原子力の本当の秘密は、誰もコントロールしていないことだった。例えばドイツでは57~74年に策定された4つの長期計画は全くの机上の空論で、責任の所在は混とんとしていた」
 福島原発後、原発推進派だったメルケル首相は2022年までに国内の全基を廃炉にする方針を決めた。原発にこだわる日本との違いはどこにあるのか。
 ラートカウ氏は「福島原発事故の後で急に脱原発にかじを切ったわけではない。実はドイツでは82年から一基も原発は増えていない。ひそかに脱原発は進んでいた。
 ドイツではなぜ反原発運動が粘り強く続いたのかの決定的理由はまだはっきりしないが、ドイツの電力産業は、最大の投資の失敗を防いでくれた反対運動に感謝すべきだろう」と指摘した。
 原発に懐疑的なドイツ人の姿勢はしばしば「ドイツ的不安」と揶揄されるが「原子力業界のプロパガンダに過ぎない」と一笑に付す。
 「世界中が原子力の平和利用に陶酔していたときもドイツの原発技術者は懐疑的であることを「理性的」と自負していた。
 社会、政治的背景として、「68年世代」と呼ばれる学生運動に加わった層が政治や経済の中枢に入っていることも無視できないという。
 「当初の思惑はさておき、ドイツは核保有国ほど原子力ムラ支配は強力ではなかった。非核保有国であるが、軍事的オプションとして留保しようとしてきた日本と比べても全く無害。これもドイツの政治文化の長所かもしれない」
原発にこだわることで、新しい発想や技術の芽が摘まれると危ぶむ。」と教えてくれる。
最後に記事は、「 「ドイツもすべてが模範にはならない。未来は誰にもわからないし、明治維新のような抜本的な転換が起こるかもしれない」と話しながら、最後に繰り返した。
 「原子力はとてもリスクの高い技術でひとたび間違いが起これば国が亡びる。再生可能エネルギーは仮に失敗しても大事にはいたらない。原子力に未来がないことだけははっきりしている」として締めくくった。
 読んで大変勉強になった。
 「ラートカウ氏が原発に疑念を抱く理由は、その無責任体質にある。「原子力に本当の秘密は、誰もコントロールしていないことだった。例えばドイツでは57~74年に策定された4つの長期計画はまったくの机上の空論で、責任の所在は混とんとしていた。」との指摘は、福島原発事故の経緯を見れば、一目瞭然だ。ドイツの学者に分かったことが、何故に日本の有識者・科学者に分からなかったのか。まさか、日本の科学者・有識者がこぞって、無知・無能・無責任であるはずがないと思うが?
 「当初の思惑はさておき、ドイツは核保有国ほど原子力ムラ支配は強力ではなかった。非保有国ではあるが、軍事的オプションとして留保しようとしてきた日本と比べて全くの無害。これはドイツの政治文化の長所かもしれない。」との指摘は、日本の原子力ムラ支配の構造と歴史と秘密と根深さを理解するのに大いに役立った。
 また「原子力はとてもリスクの高い技術でひとたび間違いが起これば国が亡びる」との指摘は、日本の為政者や有識者・科学者に聞かせて、考えを正してみたいところだ。
 それにしても、ドイツと日本のこのちがいは、いったいどこからきているのか?
 今年の年末年始はドイツ・ベルリン一人歩きをしながら、東西ドイツの遺跡の空間に身を置きながら、想像してみることにした。
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-28 06:33 | 東京新聞を読んで | Trackback

テレビ報道の危機

 12月27日付東京新聞27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「テレビ朝日「報道ステーション」のキャスター古舘伊知郎氏が来年3月末で辞めると発表した。
 TBS「NEWS23」のアンカー岸井成格氏も降板すると一部新聞は報じている。テレビニュースが政権に対する監視、批判機能を失っている中で、頼みの綱である二つのニュース番組から看板がいなくなることには、さびしいを通り越して、危機感を覚える。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「古舘氏が12年つづけて疲れたというのはうそではないだろう。しかし、安倍政権によるテレビへの圧力が疲労度を大きくしたこともあるのではないか。岸井氏については、放送法違反の報道を許さないという意見広告で個人攻撃が行われたことに、薄気味悪さを感じていたところである。
 ここでTBSが圧力に屈するならば、あの運動は次の標的を探すだろう。
 古舘氏は退任の弁の中で、純粋の中立はあり得ないと言った。人間はみな自分の興味、関心に沿って物事を見る。ニュースで何を取り上げるかに、製作する側の価値観が反映される。もちろん、事実の歪曲や主観の押し付けは論外である。
その上で、報道の中立、公平とは、個々のキャスターに要求するのではなく、業界全体としてバランスを確保するという意味で使うべき言葉である。」と指摘した。
 最後に筆者は、「たいこ持ちのようなニュース番組が多い今、二人の退場はテレビ報道の公正を損なう結果につながる。」として締めくくった。
 よんで、勉強になった。
 古館氏も岸井氏も、たまに見るが政権批判で「過激感」は全く受けなかった。ごく普通の人が思っていることを、当たり前に発言していると受け取ってきた。久米キャスターの時は、毎日ニュースステーションを見ていたが、古館キャスターになってからは、他チャンネルで見たいものがない時で、暇な時にだけ見てきた。だから、そんな二人が、政権の取り巻く連中から、邪魔者扱いされる「今」に、「薄気味悪さ」を感じた。
 NHKの政府ご用達にニュースは、NHKの会長が変わってから、極力見ないことにしている。ニュースを見ながら政府に見られているようで、気味が悪いから。
 ここは一番、TBSはじめテレビ会社の経営陣に「テレビの生き残り」を賭けた闘いと腹をくくって、踏ん張ってほしい、と思った。でないと、ニュースはユーチューブだと国民総体の関心が移動するような気がしてならない。
 
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-27 07:41 | 東京新聞を読んで | Trackback
 12月24日東京新聞朝刊2面に、「オキナワに対する侮辱」、「米有識者ら70人が抗議」、「ケネディ大使 辺野古新基地発言」、等の見出しで、辺野古のことが載った。
 今日はこの記事を学習することにした。
 まず記事は、「「ワシントン=斉場保伸」 映画監督のオリバー・ストーン氏や言語学者のノーム・チョムスキー氏ら米国の有識者ら70人は22日、キャロライン・ケネディ駐日大使が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設計画を「ベスト」と述べたことに抗議する声明を発表した。」と切り出した。
 つづけて記事は、「声明は「計画に厳しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人びとに対する脅威、侮辱、挑戦であり、同時に法律、環境、選挙結果を恥ずかしげもなく軽視する行為だ」と非難。
「 米国政府が、沖縄市民の自己決定権や健全で安全な環境で暮らす権利を含む基本的人権を否定することを止めるよう米国市民として強く求める」と訴えた。
 声明に署名したのはほかに、アメリカン大学のピーター・カズニック教授ら政治学者や日本史研究者、退役軍人ら。米国政府を代表する立場で日本で発言するケネディ氏を米国人が問題視し、連名で抗議するのは異例だ。」と教えてくれる。
 最後に記事は、「ケネディ氏は17日、東京都内の日本記者クラブで会見し「さまざまな計画が検討された上で、ベストの選択に至ったと信じている」などの認識を表明。
 「実現できれば大きな前進になる。今はできるだけ早く現在の計画を実施に移すべきだとおもう」と新基地建設を推進する考えを示していた。」として締めくくった。
 読んで、ほっとした。
 そして、声明文の一部をこの記事で知って、さすが人権の国アメリカの知識人だなと思った。
 「米国政府を代表する立場で日本で発言するケネディ氏を米国人が問題視し、連名で抗議するのは異例だ」と記事は指摘するが、抗議声明の中身は、「計画に激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦であり、同時に法律、環境、選挙結果を恥ずかしげもなく軽視する行為だ」との批判や、「米国政府が、沖縄市民の自己決定権や健全で安全な環境で暮らす権利を含む基本的人権を否定することを止めるよう米国市民として強く求める」との訴え、等は民主主義国家の有識者として、特別視されるものではないのではないか、と思った。
 こういう声明が出されること自体、日本政府は民主主義下の政府として、恥ずかしいと思わないのだろうか?
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-26 15:39 | 東京新聞を読んで | Trackback

自費出版

 12月25日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「今年で筆者が職業作家になって10年になる。この機会に、単行本になっていなかった雑誌論考に「日本国外務省検閲済外務省犯罪白書」(講談社エディトリアル)というタイトルをつけて自費出版した。月刊誌「現代」に2006年6月~07年1月に連載した「外務省「犯罪白書」」を転載した。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「連載当時、筆者は起訴休職中で外務省職員の身分だった。そこで、外務省の内規に従って、全ての原稿を事前に届け出ている。外務省は、一部内容を削除せよとか情報源を開示せよなどと圧力をかけてきたが、筆者は法的根拠のない不当な圧力と認識し、すべてはねのけた。いずれにせよ、すべての原稿が外務省の公のチェックを受けているので「日本国外務省検閲済」とした。
 酒に酔って交通事故を起こし人を死なせたが、一カ月の停職処分で済まされ、その後大使になった人物や、外務省職員による痴漢、窃盗などの不祥事とそれに対する甘い処分について、質問主意書に対する内閣答弁書をもとに分析した。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「本には「杉本晋外務審議官、頑張って北方領土返還を実現してください。応援しています。鈴木宗雄(元国務大臣)とかかれた帯がついている。
 外交は人だ。本書を読んでいただければ、北方領土交渉の停滞に関して誰に責任があるが分かる。」として締めくくった。
 読んで、驚いた。
 「酒に酔って交通事故を起こし人を死なせたが、一カ月の停職処分で済まされ、その後、大使になった人物」のくだりは、本人の資質はもちろん、その周りを取り巻く人脈、外務省そのものの組織と体質と歴史、等等初めて疑問がわいてきた。
 筆者の「外交は人だ」の指摘を素直に納得し、外務省を根底から大掃除をしないと、日本国民は大いなる税金のムダ使いと、国際的に日々信用を落とし続けているのかもしれないと、心配になった。
 
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-26 07:00 | 東京新聞を読んで | Trackback

反原発の社会運動

 12月24日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「世論調査を行えば脱原発派が推進派を圧倒するのに、現政権の原発再稼働・原発輸出政策に政治的にあらがうすべはないかのように見える。
 だが、司法の面では各種の民事訴訟(損害賠償請求や株主代表訴訟)が全国で起こされているだけでなく、東電旧経営陣の刑事責任についても検察不起訴処分をはねかえして検察審査会が強制起訴を議決した。大飯や高浜の原発運転差し止めの判決や決定も出た。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「反原発訴訟を引っ張る河合弘之弁護士の情報共有と協力要請の呼びかけに300名を超える弁護士が応じたという(「原発訴訟が社会を変える」)。
 沈黙する国民を「注視する公衆」へ、さらに物心両面で裁判闘争を支える支援者に変えていくのは社会運動の役割だ。
 反原発運動のもう一つのベクトルは「生業の論理」に求めることができる。近刊の猪瀬浩平氏「むらと原発」は、文化人類学の視線で1980年代の高知県旧窪川町の反原発闘争を透視する。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「伝統的な生活と生産の地域共同体はコモンズの定住する人々のイメージから離れて、多様な生活史を持つ魅力あふれる人物が外界の雑多な人々と交錯しつつ、保守派を取込んでいくしたたかな反原発運動を展開するさまを活写する。窪川町は決定的な村の分断を招くことなく原発問題を「揉み消す」ことに成功したという。」と教えてくれた。
 読んで勉強になった。
 「司法の面では各種の民事訴訟が全国で起こされている」し、
「東電旧経営陣の刑事責任についても検察の不起訴処分を跳ね返して検察審査会が強制起訴を議決した」し、
 「反原発を引っ張る河合弘之弁護士の情報共有と協力要請の呼びかけに300名を超える弁護士が応じた」し、脱原発派は結構頑張っていると思った。
 筆者は、「沈黙する国民を「注視する公衆」へ、さらに物心両面で裁判闘争を支える支援者に変えていくのは社会運動の役割だ」と指摘して、「窪川町は決定的なむらの分断を招くことなく原発問題を「揉み消す」ことに成功した」と教えてくれた。
 新潟県の旧西蒲原郡巻町も、住民投票して、東北電力の巻原発を「揉み消し」た。
 そのことは、自民党支持が圧倒的に強い農村地帯だが、住民投票の後、揉み消すことができたことは、今日の「できた後の脱原発」の難しさを見るにつけ、ふるさとの住民に心の底から感謝している。生まれて育った村へ、放射能の心配を全く心配しないで帰れることを、ものすごく幸せに思っている。
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-25 18:25 | 東京新聞を読んで | Trackback
  12月21日付東京新聞社説に、「増額では理解得られぬ」との見出しで、思いやり予算のことが載った。
 今日は、この社説を学習することにした。
まず社説は、「在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」が増額される。日本側の減額要求は米側に受け入れられなかった。日本の財政状況は厳しさを増している。国民の理解は得られるか。
 日米安全保障条約に基づく日米地位協定は、日本国に駐留する米軍に対して、日本側は基地や訓練場をなどの施設・区域を提供するが、駐留に要する経費は米側が負担していることを定めている。
 思いやり予算は、地位協定上、米側が負担すべき駐留経費を日本側が代わって負担するもので、円高や米国の財政赤字などを背景に1978年度どから始まった。当時の金丸信防衛長官が「思いやりを持って対処する」と答えたことにちなむ。
 地位協定上、日本側に負担義務はないことを、先ず確認しておく必要がある。」と切り出した。
 つづけて社説は、「政府は16日、2016年度から5年間の思いやり予算について総額9465億円、年平均1893億円とすることで合意したと発表した。15年度までの5年間に比べて1.4%、総額で133億円の増となる。
 在日米軍施設で働く日本人労働者の人件費、米軍の高熱水費などに充てられ、人事院勧告によっては、さらに膨らむ可能性が高い。
 日本側は、厳しい財政事情や安保関連法成立による自衛隊の任務拡大などを理由に減額を求めた。
 しかし、米側はアジア・太平洋地域重視のリバランス(最均衡)政策に伴い、最新鋭イージス艦を日本に追加配備することなどを理由に増額を譲らず、日本側が最終的に譲歩したという。
 思いやり予算は、99年度の2756億円をピークに減っては来ている。しかし、消費税率10パーセントへの引き上げが17年4月に迫り、社会保障水準の切り下げも続く。そうした厳しい状況下で、国民の理解が得られるだろうか。」と指摘した
 さらに社説は、「在日米軍駐留に伴う日本側負担は思いやり予算にとどまらない。
 米軍施設の借料や基地周辺対策費、訓練施設の移転などの米軍再編費用をふくめれば総額は年5千億円を超す。
 防衛省以外の省庁が所管する基地交付金などを加えれば7千億円という巨額の予算だ。」と指摘した。
 最後に社説は、「防衛費は安倍内閣の下で増え続け、16年度予算案では初めて5兆円を超える見通しだという。厳しさを増す国際情勢に対応ふる必要はあるとしても、財政規律や社会保障を犠牲にしていいわけではない。
 在日米軍や自衛隊の予算が妥当な水準か、常に検証が必要だ。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 そして、歴代政府・政権のアメリカへの従属的姿勢に、日本の国民が可哀そうすぎると思った。
 「地位協定上、日本側に負担義務はない」のに、毎年7千億円もの巨額の税金をアメリカ軍のために使っていて、基地内の火災に日本の消防が手を出せず、アメリカ兵の日本国内での犯罪を日本の法律で裁けない等の情けない状態を、何も解決できない。
 この点では、日本はまるでアメリカの植民地をやっているようなものではないか、戦中生まれで、日本国憲法下で生きてきた日本人として、実に情けない思いだ。
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-25 06:50 | 東京新聞を読んで | Trackback
 12月23日付東京新聞社説に、「乏しい「未来への投資」」との見出しで、子どもの貧困対策のことが載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「低所得の一人親への手当増額が来年度予算案に盛り込まれることが決まった。微々たる額だ。政府に子どもの貧困対策に本気で取り組む姿勢が見えない。不十分といわざるをえない。
 先週末、子どもの貧困対策充実を求めて経済的に苦しい家庭の高校生や大学生、支援者ら約百人が東京都内で集会を開いた。工藤鞠子さん(20)は「生まれた家庭によって子どもの選択肢や将来の可能性が狭められることがない社会をつくりたい」と訴えた。
 子どもの貧困に取り組むNPO法人代表らが呼びかけ人となり、低所得の一人親家庭に支給されている児童扶養手当の増額を求めたインターネット署名は、4万筆近くに達した。
 手当は現在、親と子の二人世帯で年収130万円未満で月額42000円支給され、二人目の子がいれば定額5000円、三人目以降は一人当たり同3000円が加算される。
 二人目以降の加算額は20年以上据え置かれていた。」と切り出した。
 つづけて社説は、「政府は2016年予算案で二人目以降の加算額を倍増すると発表。ただし、所得に応じて減額する。ただでさえ少ない加算額を減らすべきではない。
 対象となる子どものうち倍増になるのは6割程度にとどまる。投入される国の予算額はわずか80億強だ。
 対して「選挙向けばらまき」と自民党内からも批判が出る低所得の年金受給者に一人3万円を給付する予算は一年限りとはいえ、3600億円に上る。
 厚生労働省は児童扶養手当について「財源が限られる中で最大限の拡充」と釈明するが。これでは説得力はない。低所所得者世帯の高校生に支給される返済不要の奨学金の拡充も少額に終わった。
 日本では6人に一人の子どもが貧困状態にある。一人親世帯の貧困率は5割を超え、先進国の中で最悪の水準だ。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「民間の推計では、子どもの貧困対策をしなければ、現在15歳の子どもの分だけでも社会が被る経済損失が2兆9千億円に達する。
 15歳に限らなければその何十倍にもなるだろう。対策は「未来への投資」でもある。
 政府が立ち上げた子供の貧困対策民間基金への寄付が低調だそうだが、政府がすべきことは寄付を集めることではない。貧困問題の背景には、労働市場の劣化や所得再分配が不十分などの問題がある。だからこそ、貧困に苦しむ子どもの生活の下支えは、政府が責任を持って税でやるべきだ。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 児童扶養手当は現在、「親と子の二人世帯で年収130万円未満で月額42000円支給され、二人目の子がいれば定額5000円、3人目以降は一人当たり同3000円が加算される。」ということを知ることができた。
 また、「日本では6人に一人の子どもが貧困状態にある。一人親世帯の貧困率は5割を超え、先進国中で最悪の水準だ。」とのことは恥ずかしい事だと思った。
 さらに、「民間の推計では、子ども貧困対策をしなければ、現在15歳の子ども分だけでも社会が被る経済損失が2兆9千億円に達する。」とのことは、社会の大きな損失だと思った。
 「貧困問題の背景には。労働市場の劣化や所得再分配のが不十分などの問題がある。」とのくだりはその通りだと思った。
 自分が年を取ってから、周りを見回すと、よちよち歩きの幼児、親に抱かれた赤子、幼稚園児、小学生、中学生、高校生、みんなキラキラ輝いて見える。みながみな「生きた宝石」のように見えるようになった。とくに赤子や幼児は見つめ続けると「ニコッと」天使のほほえみを見せる。手をつないだり、抱っこしたしている親は気づかないことが多いが。
 「社会の宝」の子どもたちは、たまたまその子が生まれた場所が違っても、社会全体で養育に必要な負担をしたいものだ、と思った。もちろん、所得制限などもってのほかで、救済でなく、子育ての必要に応じて給付しなければいけないのではないか、と思った。
[PR]
by sasakitosio | 2015-12-24 06:54 | 東京新聞を読んで | Trackback