憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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10月30日付東京新聞社説に、「民主主義に背く強行だ」の見出しで、辺野古着工のことが載った。
 きょうは、この社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「沖縄県名護市辺野古で米軍基地の新設工事が始まった。海兵隊拠点の国外・県外移設を求める県民の民意を顧みない安倍政権の暴走だ。安全保障のみならず日本の民主主義の在り方をも問うている。
 米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)返還のため、代替施設の建設地を辺野古に定めた1999年の閣議決定から16年を経ての本格的な工事着工である。予定工期は2020年10月末だという。
 普天間飛行場は周囲に住宅が迫る。04年には隣接する沖縄国際大に米海兵隊の大型ヘリが墜落した。かって視察したラムズフェルド米国防長官が「世界一危険」と指摘したこともある。
 普天間飛行場の閉鎖、日本側への返還は急務であることに異論はない。しかし、代替施設を同じ沖縄県に造る県内移設に、なぜ県民の多くが反対するのか。政府だけでなく、本土に住む私たちも深く考えねばならない。」と切り出した。
 つづけて社説は、「米軍に強制的に接収された普天間飛行場の返還要求は以前からあったが、日米両政府間で具体的に動きだした契機は95年の米海兵隊員による少女暴行事件である。
 国土の面積の1%にも満たない沖縄県には今も在日米軍専用施設の約74%が集中する。事故や騒音、米兵による犯罪に加え、米軍の戦争に加担しているという心理的圧迫など、基地集中による重い負担を、県民は強いられている。宜野湾市の中心部を占める普天間飛行場の返還は負担軽減の象徴だが、日米両政府の結論は同じ県内の辺野古への移設であり、唯一の解決策との立場である。
 基地を同じ県内に移設しても、負担の軽減にはならない、なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。
 それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。」とした。
 最後に社説は、「しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をもかえりみず、「抑止力を」掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の濫用であり、民主主義への逆行にほかならない。
 ドイツの宰相ビスマルクの言葉とされる「政治とは可能性の芸術である」がある。
 辺野古は、本当に「唯一の解決策」なのか。安倍政権は国外・県外移設など、ほかの可能性を追求する努力をどこまでしたのか。県内移設に反対する県民を押しのけて工事を強行するだけなら、もはや政治の名に値しない。」として締めくくった。
 読んで、勉強になった。
社説は、「安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、「抑止力」を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。」と指摘し、それは「法令の濫用であり、民主主義の逆行にほかならない」と断じている。その通りだ。
 また、社説は、「安倍政権は国外・県外移設など、ほかの可能性を追求する努力をどこまでしたのか。」と疑問を呈し、「県内移設に反対する県民を押しのけて工事を強行するだけなら、もはや政治の名に値しない」と怒っている。
 確かに、説得と納得、それに向けた真摯な努力が見られない。安倍政権の辺野古移設に対する「対応」は、社会の分裂と人間不信を増幅させるような気がする。
そして、民主主義における多数決原理を、誤用、悪用しているとしか考えられない。
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by sasakitosio | 2015-10-31 06:51 | 東京新聞を読んで | Trackback

ゲームのルール

 10月30日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「国際社会のゲームのルールは国際法で、海の国際法が海洋法だ。中国も加盟している国連海洋法条約第三条は「いずれの国も、この条約の定めるところにより決定される基線から測定して12カイリを超えない範囲でその領海の幅を定める権利を有する」と定めている。ただし、同条約121条に「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」という規定があるので、海に沈んでしまうことにある岩礁を埋め立てても、それは島にならず、そこに基線を定めることはできない。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「だから、中国が「領海」と主張する南シナ海の人工島周辺12カイリ(約22キロ)の内側を、米国のイージス型駆逐艦が航行したこと自体、国際法に違反するわけではない。領海の無い公海は軍艦をふくめどの国の艦船でも航行することができるからだ。
 米中首脳会談で、中国の習近平国家主席が南シナ海の人工島周辺を領海と強弁したため、オバマ米大統領も海軍の派遣を決定したのであろう。」と指摘した。
 最後に筆者は、「国際法で定められた既存のルールを、一方的に変更しようとする中国を牽制する米国の行動は国際法的には筋が通っている。
 ただし、政治的にこのタイミングでロシア、中東に加え、中国とも対立を先鋭化させる政策をとったことが正しいとは思えない」と指摘して締めくくった。
 読んで勉強になった、
 国連海洋法条約第三条は「いずれの国も、この条約の定めるところにより決定される基線から測定して12カイリを超えない範囲でその領海の幅を定める権利を有する」、
 同条約第121条に「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」という、規定があることを知った。
 また、筆者の「米中首脳会談で、中国の習近平国家主席が南シナ海の人工島周辺を領海と強弁したため、オバマ大統領も海軍の派遣を決定したのであろう」との推測は、本当のところが知りたくなった。
 さらに筆者の「政治的にこのタイミングでロシア、中東に加え、中国とも対立を先鋭化させる政策をとったことは正しいとは思えない」との考え方を前提に、特定秘密法、安保法制、辺野古移設、等々に、安倍政権が強行に次ぐ強行を繰り返している裏に、アメリカのアジア政策に協力しようとする「政権の本音」が透けて見えるような気がして来た。
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by sasakitosio | 2015-10-31 06:40 | 東京新聞を読んで | Trackback

犯行の再演と追体験

 10月29日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 先ず筆者は、「ちょうど50年前、インドネシアの全土で大量虐殺が行われた。犠牲者は50万人以上と言われる。反乱鎮圧を口実にエリート部隊を率いるスハルト少将が大統領から実権を奪いとり、反米左翼勢力を大量粛清したのだ。米国の関与を疑わせる状況証拠があるが、真相はやぶの中だ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「この「ジャカルタ・シナリオ」は1973年のチリのクーデターでも繰り返される。左翼への憎悪を煽り立てられた民衆は民兵組織などで大量虐殺に手を貸した。その後、粛清を指導した軍人らが国家の要職を占め、実際に手を下したものは英雄扱いだ。異論は暴力の恐怖で沈黙させ、子供たちには学校教育で粛清を正当化する。」と指摘した。
 さらに筆者は、「少年犯罪などを反省させるために、被害者を立ち会わせて本人に犯行を再演させるわけだ。
 J・オッペンハイマー監督の二作品はこれをドキュメンタリ映画に応用したものだ。
 一作目「アクト・オブ・キリング」の主役は喜々として犯行を再演してみせた老年のやくざだが、ようやく国民レベルで追体験と責任追及が始まろうとしている。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「だが真に反省すべきは、この事件を黙殺し、スハルト独裁の腐敗したクローニー資本主義を30年以上にわたって利用した西側諸国ではないのか。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 クローニー資本主義という言葉を初めて知った。ネットで調べたら「政府官僚や大企業にビジネスマンとの密接な関係がビジネスの継続、成功に決定的な要因となっている「資本主義経済を指す、軽蔑的な用語である。」とあった。
 政府官僚と大企業の癒着による経済支配と言えるそうだ。
 これは中国の資本主義を言っているのかと思ったら、日本は独裁世間ではないが、「原子力ムラ」をみれば、官僚と大企業の癒着によるで「経済支配」すなわち「クロー二―経済」が存在することが分かった。なぜ今の日本で、普通選挙・投票の秘密がある日本で、クローニー経済が生まれるのであろうか? 
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by sasakitosio | 2015-10-31 06:29 | 東京新聞を読んで | Trackback

被爆の恐怖

 10月27日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。
 きょうは、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「福島原発事故の被災地では、除染を進めて早く帰郷させる自治体の動きがある。除染には膨大な人手が必要とされる。
 海峡のむこうに北海道函館市が望まれる、本州最北の青森県大間町は完成が危ぶまれている原発建設で知られている。
 この町の町議の建設業者が、除染労働者を違法に派遣していた疑いで書類送検された。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「福島事故以来、偽装請負と被曝隠し、ピンハネが公然と横行するようになった。管理区域と言われる原発内でなにが行われていたのか、不明である。労働者が身につける線量計を、「鉛の板」で防護して線量を封じ、被曝労働を強行させたり、人命軽視が甚だしい。それが原発そのもののありようである。
 20日、福島事故の収束作業に従事して、白血病を発病した41歳の下請け労働者が、労災として認定された。彼は「がんになったほかの作業者が労災認定を受けられるきっかけになればうれしい」と語っている。
 喜びであり、怒りであり、警告であり、働く仲間への連帯である。」と指摘した。
 最後に筆者は、「これまで40年以上の日本の原発の歴史で、被ばく労働者が労災認定されたのは、今回をふくめてわずか14人である。
 それが認定の困難さを示している。フクシマ以後、累積被ばく線量が50ミリシーベルトを超えた労働者は2万人以上。それでも再稼働が始まった。恐怖は大きい。」として締めくくった。
 読んで、考えさせられた。
 筆者は、「福島事故以来、偽装請負と被曝隠し、ピンハネが公然と横行するようになった」と指摘した。戦争が人間を狂わせると同じように、原発が人間を「狂わせた」としか思えないような、人間の所業ではないか、と思った。
 また筆者は、「福島事故の収束作業に従事して、白血病を発病した41歳の下請け労働者が、労災と認定され、彼は「がんになったほかの作業員者が労災認定を受けられるきっかけなればうれしい」と言っている、と教えてくれる。
 自分の息子と同じ世代の41歳の青年が、「被曝してなお働く仲間のことに思いが至る」、このことは被曝の恐怖を乗り越えた「仏の心」を見るような心地だ。
 
 
 
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by sasakitosio | 2015-10-30 17:07 | 東京新聞を読んで | Trackback

中立ってなにさ

 10月18日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・斎藤美奈子氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「「学者の会」とSEALDsが共催するシンポジュウムにあたり、立教大学がホールの使用を不許可にしたり、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店の「自由と民主主義のための必読書50」と題したブックフェアが見直しになったり、最近のこの国じゃ、民主主義について考えようとすると、どこからか圧力がかかるらしい。すごいな。まるで徳川時代みたい。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「このような場面で必ず出てくるのが「政治的に偏っている」という意見である。選挙権の18歳への引き下げにともない文科省が出した通知案でも、生徒の学校外での政治活動を46年ぶりに認める一方、教員には「個人的な主義主張を述べることは避け、中立な立場」を求めるそうだ。
 中立を求められた教員は通知におとなしく従うのだろうか。笑えないパラドックス、お上の意のままに動く「領民の発想」では民主主義なんて永遠に育たないね。」と指摘した。
 最後に筆者は、「選挙では誰かを選ばなければいけない以上、政治に中立はありえない。
 と同時に、政府や所属組織の意向と異なる行動をとる場合、周囲から制止や圧力がかかるのは当たり前ともいえる。
大学も書店の何をビビっているんだろう。クレームが怖い。
許可がなければ意見も言えない?
 圧力と闘った人の記録なら図書館にも書店にもあふれてういる。
 大学がんばれ、書店めげるな、先生たちも負けるなだ。」として締めくくった。
 「笑えないパラドックス。お上の意のままに動く「領民の発想」では民主主義なんて育たないよね。」、正にその通り。
 「「選挙では誰かを選ばなければいけない以上、政治に中立はあり得ない。」、これも当然のはなし。
 「クレームが怖い?」、
 「許可がなければ意見もいえない?」、気の小さい「少国民」には痛いほどよく分かる。わかっちゃいけないのだが。
 だから「大学がんばれ、書店めげるな、学生たちもまけるな」と筆者の尻馬に乗ることにした。
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by sasakitosio | 2015-10-30 05:53 | 東京新聞を読んで | Trackback
 10月28日付朝日新聞社説に、「分断誘う施策は慎め」の見出しで、辺野古移設問題が載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
 まず社説は、「米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた埋め立ての本体工事に着手するための手続きを、政府が矢継ぎ早に進めている。
 基地建設を急ぐあまり、行政としての公正さ、公平さを見失ってはならない。安倍政権は沖縄県民の分断を誘うような施策は、厳に慎むべきである。」と切り出した。
 つづけて社説は、「政府は、名護市の久志、辺野古、豊原の「久辺3区」と呼ばれる3地区の区長を首相官邸に招き、振興費を直接支出することを伝えた。
 今年度分は3地区で総額3千万円程度で、防災備蓄倉庫の整備などに使うという。
 ただ、区と言っても東京23区のような自治体ではなく、町内会のようなものだ。区長は公職選挙法に基づく選挙で選ばれるわけではない。公金の管理や使途をチェックする議会もない。
 政府は「防衛施設周辺生活環境に関する法律」が定める基地周辺対策費の活用を検討するという。
 だが、沖縄県や名護市が辺野古移設反対だからといて、そ頭越しに一部地域にだけ直接公金を支出するのは、公金の使い方として公平性、公正性を欠かないか。
 そもそも、公金の配分が政治的意見の相違で差別されることがあってはならない。
 政府が自らの意向に沿う地域だけに、自治体を通さずに公金を支出できる。そんなやり方が通用するなら、民主主義と地方自治は形骸化しかねない。
 政府が近年、「基地と地域振興はリンクしない」と繰り返してきたのは何だったのか」と指摘した。
 さらに社説は、「石井国土交通相はきのう、沖縄県翁長雄志知事が行った埋め立て承認取り消しの効力をとめた。県と政府の対立を、政府の一員である国交相が裁く。その公平性、公正性に疑問がある中での判断だった。
政府はまた、県の取り消し処分を是正するため、地方自治法に基づく是正勧告・指示や代執に向けた手続きにも入った。
 これに対し、県もさらに対抗処置をとる構えだ。両者の対立は法廷闘争もにらみ、全面対決の様相である。
 政府の進め方は、たび重なる選挙で辺野古移設に「NO」の意思を示した沖縄の民意を軽く見ていると思わざるを得ない。
 そのうえに、今回の公金支出である。何よりも、県民の間に深い亀裂が生まれることが懸念される。」と指摘した。
 最後に社説は、「歴史を振り返れば、政府の公金支出は、基地の賛否で割れる沖縄を分断させる手段として使われてきた。
 戦後70年経てなお、分断策で沖縄を翻弄してはならない。」として締めくくった。
 読んで、政府の、品位も、公正さも、公平さも、沖縄の民意も、沖縄の地方自治と民主主義も、無視したり、かなぐり捨てたりして、アメリカに「滅日本で奉公」する政府の姿に、あきれ返った。
 そして、政権側から矯正作用が全く利いていないことに、政権末期の様相が見えた。
 この国難を、ファシズムへの道を断ちながら乗り切るには、野党の政党にがんばってもらうしかないのだが?
 
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by sasakitosio | 2015-10-30 05:44 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 ギリシャの教訓

 10月27日付東京新聞27面に、「メトロポリタン」という欄がある。筆者は、東京大学名誉教授・加藤寛一郎氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「ギリシャの財政危機で多くの新聞報道を目にした。印象的だったのは、読売新聞編集委員の伊熊幹雄氏が書いた7月14日の記事である。
「私は1980年代後半に、バルカン各国で取材し、ギリシャの生活水準が周辺国よりはるかに高いことに驚いた。今考えれば、外資と国際援助で支えられていたにすぎなかったのだ」
 伊熊氏は、ギリシャの財政赤字に言及する。2009年に就任したパパンドレウ首相が「財政赤字は、公表の国内生産量(GDP)比6%台でなく、12%超」と認めたことで、全欧州を巻き込んだ危機が始まった」」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「この度ギリシャは、新たな金融支援を受け入れた。14年のギリシャ政府債務残高は約40兆円だったが、これに今回の支援約12兆円が加わり、GDPに対する債務比率は200%を超える。
 これは公債(国債と地方債の合計)で賄われる。累積した公債の合計が政府債務残高、すなわち国の借金である。ギリシャは支援を受けるために、新たな年金制度の改善や消費税にあたる付加価値税の増税などを受け入れた。
 年金は過去5年間で 4割ほどカットされているが、さらに削られる。タクシーやレストランなどの税金はこれまでの13%から23%に跳ね上がる。」と教えてくれる。
 さいごに筆者は、「では日本の財政状況はどうか。財務省のホームページによれば、日本の財政赤字はGDP比7.7%で、債務残高はGDP比230%である。
 決してギリシャに引けを取らない。またこの二つの数字は、米、英、独、仏、伊、加に比べても、突出して悪い。
 日本が財政破綻を避けるためには、歳出の見直しが必要である。7月19日の読売新聞で吉川洋東京大学教授は「結局行き着く先は社会保障制度の改革である」と断じている。
 「反対だけでは、少子高齢化の大波から国民の暮らしを守っていく(防波堤)ともいえる社旗保障制度を維持することはできない」
 それはギリシャ国民の苦難に勝るとも劣らぬものになるであろう。日本人にはそれが耐えられるだろうか。」として締めくくった。 
 読んで勉強になった。
 記事で、「14年のギリシャ政府債務残高は43兆円だったが、これに今回支援の12兆円が加わり、GDPに対する債務比率は200%を超える」とのこと、
 「ギリシャは年金は過去5年間で4割ほどカットされているが、さらに削られる。タクシーやレストランなどの税金はこれまでの13%から23%に跳ね上がる。」とのこと、
 「日本の財政赤字はGDP比7.7%で、債務残高はGDP比230%である」とのこと、等を知った。
 そして、吉川洋東京大学教授は「「反対だけでは、少子高齢化の大波から国民の暮らしを守っていく「防波堤」ともいえる社会保障制度を維持することはできない」といっているとのことだが、そんなことは天下の東京大学の先生に言われなくとも、多くの国民は十分承知していると思うが?
 問題は、国会議員や政府や国家公務員や経済団体やマスコミや学者文化人等々、「歴代の日本の指導者階層」が、誰ひとりとして、「日本国の累積債務の原因と結果の責任」を取る人がいないことが、現代日本の最大の不幸ではないのか?
 また、戦争をしたわけでもないのに、戦後並みの累積債務が存在する、その功罪と責任の所在を明らかにしたうえで、高級官僚をはじめとして日本の社会の隅々にまではびこっている「天下り文化」を先ず一掃できるかどうか?
 まず、それが無ければ、社会保障関連の増税に協力したいと思う国民も、増税分が単なる財政赤字の穴埋めになったり、天下り先の存続に使われたり、して、「社会保障の充実」に当てられるとは、にわかには信じがたいのではないか?
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by sasakitosio | 2015-10-29 19:34 | 東京新聞を読んで | Trackback

居場所の可能性

10月25日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は、関西学院大学准教授・貴戸理恵氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「就労支援といえば職業カウンセリング、職業紹介、職業訓練、仕事体験などを思い浮かべる方が多いだろう。だが、それだけではきちんとした就労に結びつかない場合がある。
 長期にわたって複雑な生きづらさを抱えている場合だ。
例えば、無業期間が長く、引きこもり気味など、社会と離れてしまっている人。過去に就活での燃え尽き、職場でのハラスメント、過重労働などを経験し「人を信頼して協力し合う」ハードルが上がって上がっているひと。
 「貧困」、「障がい」など福祉の枠に入るわけではない。しかし、「じゃあ仕事があれば働けるだろう」と言われても、難しい。「甘え」と切り捨てて済む問題ではなく、雇用が不安定で無業リスクが大きい社会で、こうした人は少数ではない。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「そこでの問題は、こじれた生きづらさの中で「自分はいったい何がしたいのか」が見えなくなってしまっていることである。
 本人が「こういう仕事がしたい」とニーズを表明できれば、支援者はそれをサポートしうる。ただ、ニーズが不明確な場合、「よく分からないが苦しい。助けてほしい」となり、支援に行き詰まりがちだ。本人も「とにかく就労を」と焦って踏み出した結果、苦しくなって続かず、さらに失敗体験が刻まれてしまうことがある。
 では、ニーズが不明確な状態をどのように支え得るのか。
しばしば就労支援の周辺に、「居場所」と呼ばれる場が存在する。居場所には明確な目標設定がないものが多く、「何をしても、しなくてもいい」のが特徴である。お茶を飲みながら世間話をしているだけでいい。社会的な立場から解放され、ありのままに人と交流できる。
 遠回りに見えるが、就労における居場所の意味は大きい。
 私が出会ったある20代の無業の女性は、「働くのが怖い」「生きるには働かねば」という矛盾した思いを抱え、アルバイトをしては無理が続かず、すぐに辞めることが続いていた。居場所に通うようになった彼女は、他の参加者と出会う中で「いろいろな生き方がある」「自分は臨機応変が求められる仕事より、決まった作業を黙々とするのが向いている」と感じていく。以前より自分に適したアルバイトを選べるようになり、職場で嫌なことがあっても、居場所の仲間に愚痴を言いつつ乗り切り、辞めずに済むようになった。
 もちろん、不安定な雇用という問題は、解決されないまま残されている。だがこの女性は、自己否定から解放される時間が増えた。
 「自分のニーズは何か」を知るようになった。それは、自らの問題を把握し、その解決に向けて、人の手を借りながら、現実的な一歩を踏み出す基礎となるだろう。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「仕事をするしない以前に、まずは一人の人間として社会に受け入れられることが重要だ。「自分はどうゆう人間で、何がしたいのか」は、その表明を受け止めてくれる他者がいて初めて、言葉になる。この自己ニーズという「土壌」があって初めて、就労支援という「水」がじっくりと浸透していく。
 居場所は、その「土壌」を創る取り組みといえる。
 多くの居場所が、民間のNPOなどによって、厳しい資金繰りの中で運営されている。これを広義の就労支援の一環と捉え、制度的基盤を整えていくことが求められる。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「無業期間が長く引きこもり気味など、社会と離れてしまっている人、過去に就活での燃え尽き、職場でのハラスメント、過重労働などを経験し「人を信頼して協力し合う」ハードルが上がっている人は、雇用が不安定で無業リスクが大きい社会で、こうした人は少数ではない」とのこと、
 「仕事をする・しない以前に、まずはひとりの人間として社会に受け入れられることが重要だ。「自分がどういう人間で、何がしたいのか」は、その表明を受け止めてくれる他者がいて初めて言葉になる。」とのこと、等はよく理解出来た。
 就労支援と、個人の就労は本人の幸せにつながることではあるが、、社会的にも価値のあることだと思った。
 
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by sasakitosio | 2015-10-29 06:32 | 東京新聞を読んで | Trackback

カジノ型デイサービス

 10月26日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮子あずさ氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「神戸市議会は先月、アミューズメント型デイサービスを規制する条例を可決した。
 アミューズメント型デイサービスとは、別名カジノ型デイサービス。高齢者を対象にに介護予防の主な訓練として、パチンコやマージャン、トランプなどのゲームが行われている。疑似通貨が用いられるものの、賭けの要素は維持されている。
 以前から機能訓練としての適切性、ギャンブル依存誘発の可能性などから、問題視されていたサービスである。
 しかし、法的な規制を行うのは神戸市が初めてだ。」と切り出した。
 続けて筆者は、「この報道で私が先ず思ったのは、適切なサービスについての疑問。運動になっても、単調な内容でうんざりする人も少なくないのである。
 確かにデイサービスに求められるのは、日常生活能力を維持するための訓練。パチンコやマ―ジャンに疑問が向けられるのは当然だろう。しかし、機能訓練は運動だけではなく、社会性の維持も含むのではないか。ならば、ゲームもあながち外れてはいないだろう。」と指摘した。
 最後に筆者は、「個人的にはパチンコはNG。ギャンブル性が高いだけでなく、対話が生まれないからだ。一方、マージャンは他者との交流を生み、頭も使うからOK.囲碁や将棋同様、楽しめるだろう。
 高齢者にもいろいろな人間がいる。老いた私なら、風船バレーよりマージャンができるデイサービスかな。」として締めくくった。
 読んで、納得した。
 個人的には、賭け事はしない。お金を労働以外で得ることに、ものすごく抵抗感があるからだ。
 しかし、ゲームは、囲碁将棋、マージャンと、教えてもらった。もちろん賭け碁・将棋・マージャンはしないで来た。しかし、その面白さは十分理解出来た。
 だから、筆者の「老いた私なら、風船バレーより麻雀ができるデイサービスかな」との意見は、共鳴できた。
 居住市の市議会では、神戸市の市議会のマネをしないでほしいと思った。
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by sasakitosio | 2015-10-29 06:22 | 東京新聞を読んで | Trackback

甦れサンダーバード

10月25日付東京新聞社説に、「甦れサンダーバード」の見出しで、安全保障関連法の運用に関することが載った。
 今日は、この社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「安全保障関連法の運用で自衛隊の「国際貢献」も一変しそうです。そもそも平和憲法にかなう国際貢献とは、伝説の“救助隊”に重ねて原点をたどります。
 待ちわびた往年のファンも多かったでしょう。今月からNHK総合テレビで始まった「サンダーバードARE GO」(毎週土曜日夕)は、不朽の人形劇版が英国で1965年(日本は66年)に初放送されて50周年を記念した新シリーズです。時代設定は2060年の近未来。トレーシー一家5兄弟による「国際救助隊」の活躍が斬新なアニメ版でよみがえりました。
 非軍事でいかなる国家にも属さず、支援も受けない。あらゆる難事も分け隔てなく地球を守るという究極の国際貢献。
 サンダーバードの衰えない人気の一因は、この誰にもわかりやすい政治的中立の精神にあるかもしれません。」と切り出した。
 つづけて社説は、「今日、安保法が成立した日本では、自衛隊の活動範囲が海外派遣や武器使用において一気に広がります。安保法の源流をたどれば一つには、1992年カンボジアの国連平和維持活動(PKO)で自衛隊の本格的な海外派遣に道を開いたPKO協力法に行きつくでしょう。
 冷戦後、日本の国際貢献の一翼を自衛隊が担うことになった大きな岐路でした。
 安保法と同様、「違憲」世論が渦巻く中、PKO協力法が成立した直後、協力法に反対する若手法学者らが出した本が当時、話題を呼びました。
 「きみはサンダーバードを知っているかーーもう一つの地球のまもり方」(サンダーバードと法を考える会編 日本評論社)
 編集を主導した水島朝穂・広島大助教授(当時、現早稲田大教授)が巻頭で強調したのは、憲法前文の「平和のうちに生存する権利」の対象が、日本国民のみならず、「全世界の国民」に等しく向けられていることです。平和憲法下の日本だからこそ、果たすべき「平和的国際貢献」があると。
 具体的には、率先して自衛隊の軍縮を進め、それに代わるサンダーバードのような人命救助優先の専門組織をつくる。国家単位でも、同盟関係でもない。貧困や飢餓や環境破壊など人類の平和を脅かす様々な災禍から、地球全体を守る志を問いかけたものでした。
 自衛隊に頼らない国際貢献なんてーー。安保法制下の今では、ほとんど空疎な非現実論と、取り合わない人もいるでしょう。
 しかし、思い返すまでもなく、自衛隊はもともとは専守防衛です。海外へ出ること自体、その一線を越えて、違憲の「武力行使」につながると考えたのが、私たちの平和主義の原点だったはずです。」と教えてくれる。
さらに社説は、「現にPKO以前、海外の被災地に派遣される国際緊急援助隊(87年法制化)の構成から、自衛隊は当初外されていました。それは日本の国際貢献に、非軍事の「サンダーバード精神」が宿った一時期でした。同時に、自衛隊の海外派遣に当時の人々が抱いた強い忌避間の表われでもあります。
 いま思えば、問題のPKO協力法さえも、武力行使とのそしりを受けないよう、一定のタガをはめられていました。
 こうしてギリギリ守り継がれた平和主義の抑制も、しかし、今回の安保法成立で水の泡です。しかも政府は成立の直後から、法律の初運用で、南スーダンPKO任務に「駆け付け警護」を追加する検討を始めました。
 PKOの国際舞台で、実際には20年以上武器を使わず信頼を積んできた自衛隊が、文民救出などの際に武器を使える舞台に変貌します。無論、戦闘にも巻き込まれやすくなるでしょう。
 あのサンダーバード精神に立った平和的国際貢献の理想に照らせば、おおよそ対極の「武力行使」の域に足をかけた自衛隊の現実です。
 「国際貢献」のPKOがなぜ、はるか対岸の「駆け付け警護」にまで流れ着くのか。私たちはやはり平和主義の原点に立ち返って、この巨大な乖離を肝に銘じておくべきでしょう。それが、安保法の運用にあたって、政府のなし崩しを阻むときの力にもなるはずです。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「さて17日、新シリーズの第三話は、宇宙往還機サンダーバー3号を操る末弟アランが、宇宙ゴミの中に漂う追尾式機雷の除去に苦労する話でした。この宇宙機雷は、2040年に起きた「地球戦争」の置き土産だったとか。
 4半世紀先の次世代に「地球戦争」が起きぬよう、戦争につながる火種を残さぬよう、現世代がなすべきこと。本当はそれこそが、今の日本政治が取るべき真の国際貢献の道なのでしょうが。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。「きみはサンダーバードを知っているか――もう一つの地球のまもり方」(サンダーバードと法を考える会編、日本評論社)が、PKO協力法に反対する若手憲法学者が出した本であることを初めて知った。
 編集を主導した水島朝穂・広島大助教授(当時、現早稲田大教授)が巻頭で強調したのは憲法前文の「平和の内に生存する権利」の対象が、日本国民のみならず、「全世界の国民」に等しく向けられていることです。」との指摘は、日本国憲法前文は、民主・平和憲法であると同時に世界人権宣言でもあることを意味している。世界中が天皇制は別にして、日本国憲法を見習うならば、世界から戦争はなくなり、世界中の国民が平和の内に生存できる。平和で人権が守られている「社会」であれば、豊かさは自然に憑いてくるような気がする。格差その他その後に生ずる問題も、平和で人権がも守られている「社会」では、説得と納得で解決されるような気がする。
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by sasakitosio | 2015-10-29 05:59 | 東京新聞を読んで | Trackback