憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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青空にジョロウグモ

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 9月30日(水)晴れ、風なし、人あり。
 毎日の手賀沼散歩。入りの柏公園7時10分。草原を歩いていると、あちこちにクモの巣が張られていた。しかも、皆同じクモのようだった。機場の林の二本の常緑樹を使って、蜘蛛の巣が張ってあった。真ん中のクモに息を吹きかけたら、クモが怒ったのか、警戒したのか、盛んに巣を揺らしていた。
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by sasakitosio | 2015-09-30 19:41 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

ゲバラたちが見た夢

 9月28日付東京新聞社説に、「ゲバラたちが見た夢」という見だしで、国連総会での各国首脳の演説についての事が載った。
今日は、この社説を学習することにした。
 まず社説は、「週明けの国連総会で、各国首脳の演説が始まります。半世紀前に残る先人の名演説を再生しながら、為政者が語るべき「理想」に思いを巡らせます。
 諸国家間の友好関係を発展させ世界平和を強化するーー。国連憲章にうたう「目的」の柱であり、国連主義のいわば基本精神です。
 国連発足70年の今年、その精神を地で行く大ニュースでした。
 7月20日、互いの大使館を54年ぶりに再会した米国とキューバの国交回復です。その源流を半世紀前にたどります。」と切り出した。
つづけて社説は、「両国の政治家が残した伝説の演説から。
 まずは1961年1月の対キューバ国交断絶と相前後して、米大統領に就任したジョン・F・ケネディが、その9月の国連総会で行った演説です。
 「戦争に代わる唯一の方法は、国連を発展させることだ。それは大国だけの関心ごとではない。なぜなら、核兵器の惨禍は風と水と恐怖によって拡散され、大国も小国も、富国も貧困も、同盟国も非同盟国も全てをのみ込んでしまうからだ。人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ戦争が人類に終止符を打つだろう」
 当時も米国にしては異質なまでに純粋な、国連による非核平和の理想でした。しかし、核廃絶を希求したケネディは皮肉にも62年10月、米ソ核戦争の寸前までいくキューバ危機に直面。
 以後もなおキューバとの関係改善を気にかけつつ63年、志半ばで暗殺の銃弾に倒れていきます。
 もう一人は、59年キューバ革命をフィデル・カストロ前国家評議会議長らと共に率いた政治家チェ・ゲバラ。64年12月の国連総会です。
 「私たちが確かな世界を望むなら、強国だけの意向だけに左右されず、各国相互の歴史的な関係にもよらず、全ての国によって実現されなければならない。」
 ゲバラもまた国連主義の高い理想を掲げた演説で、険しい対立相手の米国に代表される大国が、小国を支配する国際政治を公然と批判します。第三世界の国々に、小国も等しく持っている自立の権利に目覚め、大国に立ち向かえと喚起して、大喝采を浴びたのです。
 しかしその後、ゲバラは、新たにもとめた革命の地ボリビアで67年、やはり銃弾に倒れます。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「時は流れて40余年後。埋もれた二人の夢を掘り起こす、もう一人の理想主義者が現われたのは、両国にとって幸運でした。
 2009年にプラハ演説で「核なき世界」の理想をうたい上げたオバマ大統領です。自身が最も尊敬するケネディの国連演説を再現したような高揚感でした。
 その「核なき世界」でオバマ氏が09年のノーベル平和賞に輝いた時、キューバのカストロ前議長が寄せた談話が微妙です。
 「この決定は前向きな一歩だと認めよう。ただ、これが意味するのは、一人の米大統領の受賞ということだけではない。
 歴代の大統領たちが追及してきた大量殺戮の政治に対する批判を見ることができるのだ」
 米大統領にして稀有な理想主義者オバマ氏を信認の上で、米国への痛烈な皮肉です。その裏には、大国支配からの解放によって世界平和を説いたゲバラの国連演説が浮かびます。
 カストロ氏はオバマ氏の出現によって、かってのゲバラの影を見たのかもしれません。
 オバマ大統領にとっても「核なき世界」の理想が遠のく中、政権終盤のレガシー(遺産)政策に、敬愛するケネディ絡みの対キューバ関係を選んだのは、一つの必然だったでしょう。。
 こうして、ケネディとゲバラが見た平和の夢は半世紀後、両国の国交回復という形でよみがえりました。逆に、二人の理想の掲示がなければ国交回復はなかったかもしれない。そこに演説の意義もあります。
 二人が今に教えるのは、政治家が歴史に高い理想を掲げなければ何も始まらず、それが死後も何年かかろうと、いつかは実現すると信じることの尊さでしょう。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「今年も国連総会で始まる各国首脳の演説に注目します。冷戦後の政界に混沌が満ちている今だからこそ、私たちは聞きたい。目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説を聞きたいのです。
 理想主義者ゲバラの純粋さをひときわ輝かせた名言があります。
 キューバ危機のさなか前衛の青年たちを鼓舞した訓話の一節です。
 「もしも私たちが夢想家のようだと言われるならば、
 救いがたい理想主義者だといわれるならば、
 できもしないことを考えていると言われるならば、
 何千回でも答えよう。
 それはできるのだ、と」」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 かねがね、日本の総理大臣の外遊で報道されるのは、言った先々で「お金をばらまいたことと、その金額だ」と、情けない思いをして来た。 
 だから、国連の大舞台はもちろん、外遊の小舞台・共同記者会見で、お金をプレゼントするのではなく、世界をうならせる「言葉」を発せられないものか、と常々思ってきた。
 なぜかと、想像するに、今の選挙制度では、理想を高く掲げた「候補者」よりの、身の回りの世話をマメにする「候補者」が当選するからではないか。ならば、総理演説の原稿を書く「お役人」にそれを期待したいところだが、過去の結果から見るところ、ないものねだりなのではないか。
 ただ、若い頃にケネディの演説に感動した一人だが、キューバ危機の時「核戦争を辞さず」としたケネディには恐怖と失望をした事、思い出す。
 また、オバマ大統領の「プラハ演説」に感動と希望を感じた。しかし、その演説は、「ノーベル賞」の受賞につながったことはたしかだが、実現できないままであることに、失望している。
 そして、ゲバラの「・・何千回でも答えよう。それはできるのだ、と」も確かに名言ではある。そして、できた社会主義・共産主義の現実は、ソ連の崩壊、中国・北朝鮮の人権抑圧をいまに残しているのではないか。
 ために、社説の「冷戦後の混沌が満ちている今だからこそ、私たちは聴きたい。目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説を聴きたいのです。」の願いは、本当にその通りだと思った。
 
 
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by sasakitosio | 2015-09-30 18:00 | 東京新聞を読んで | Trackback
 9月26日付東京新聞朝刊31面に、「週刊誌の鬼 徴兵後の遺書にも記者魂」の見出しで、扇谷正造さんの記事が載った。記者は、矢島智子氏だ。
 今日はこの記事を学習することにした。
 まず記事は、「朝日新聞の記者から「週刊朝日」の編集長となり「週刊誌の鬼」と言われながら、戦後のジャーナリズムをリードした扇谷正造さん(1913-92年)は、太平洋戦争末期に軍隊で書いた遺書を生涯ひそかに保管していた。そこには、一兵卒となってもなお記者であろうとした扇谷さんの心情が記されていた。(矢島智子)
扇谷さんは朝日新聞に勤務していた1944(昭和19)年3月、31歳で陸軍に招集された。実は徴兵検査でが丙種合格で徴集はないと思っていた。既に、家庭を持ち、3人の子もあった。
 遺書はこの年の6月6日、朝鮮半島の羅南で、通信兵として中国中部の前線に出ていく前に書かれた。 
 扇谷さんは後に、そのときのことを語っている。400人もの同年兵が遺書書くために集められた部屋はしんと静まり返り、20分もするとすすり泣きが聞こえてきたという。遺書は前線でも何通か書かされたが、保管していたのは最初の一通だ。
 この遺書は79歳で亡くなってから7年後、遺品のなかから見つかった。長男の正紀さん(74)は、父の遺書を手にした衝撃を俳句に読んだ。
 「敗戦忌父32才の遺書を読む」
 遺書は疎開先にいる妻あてで、便箋3枚に鉛筆で書かれ、冒頭に「遺言状」とある。妻には「亡キ後ハ母ト暮セ」。
 すでに出征してしていた弟二人には「若シ生還セバ母ヲ頼ム」などと記した後、新聞社の同僚あてにしたためられていたのが「我らはペンを銃に持ち代えるに非ず・・・」の一文だった。このくだりだけ何度も書き直した跡がある、
 「ここを見るたびに涙が出る」と正紀さんは声を詰まらせる。軍の検閲に引っかかるのを懸念して何度も消し、それでも自分の志は伝えておきたいと、意を決して書いたことが感じられるからだ。」と教えてくれる。
 つづけて記事は、「扇谷さんは応召以前に2度、戦争特派員として戦地を経験している。
 38年の中国・漢口攻略戦と41年末からのフィリッピン攻略戦だ。その時接した将校らの態度から、兵隊は皆りりしく勇ましいと感じていたが、一平卒となり、中から見た軍隊は違っていた。
 「親父はほとんど総入れ歯だった」。軍のリンチで殴られた結果だった。約300人いた中隊で大学では扇谷さん一人。「武」が「知」に勝る見せしめとして象徴的にやられたらしい。
 扇谷さんは短い回顧を書いている。
 「私は歯をくいしばり、幾回か、くやし涙を流した。私の経験によれば、兵隊は弾に当たって死ぬよりは、内地、前線を問わず、上級者によって“使い殺されれること”のほうがむしろ多かったのではないかと思う」
 「ペン」であり続けようとした扇谷さんだが、戦後、一兵卒から見た戦記を出版することはなかった。」と教えてくれた。
 読んで大変考えさせられた。
 扇谷正造さんの名前は、なぜかしっかり記憶があった。
 「38年の中国・漢口攻略戦と41年末からのフィリッピン攻略戦。取材のとき接した将校らの態度から、兵隊はりりしく勇ましいと感じていたが、一平卒となり、中から見た軍隊は違っていた」とのくだりは、なるほどと理解できた。
 「私は歯をくいしばり、幾回か、悔し涙をながした。私の経験によれば、兵隊は弾にあたって死ぬよりは、内地、前線を問わず、上級者によって”使い殺されること“の方がむしろ多かったのではないかと思う」とのくだりは、戦争が人間を狂人にする、戦争で人間が狂人になる、その軍隊版のような気がした。
 ますます、「戦争は、絶対悪であり、戦争を起こそうとする人こそ、最大の悪人なのだろう」と思えてきた。
 「立ち上がる比島」(43年)は、読んでみたくなった。

 
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by sasakitosio | 2015-09-30 06:44 | 東京新聞を読んで | Trackback

戦争とは思想の強要

 9月28日付東京新聞朝刊1面に、「「戦える国」に変質 言わねばならないこと」という欄がある。
 発言者は、漫画家・新田たつお氏だ。
 今日は、この発言者に学ぶことにした。
 先ず発言者は、「憲法9条が廃止され、普通の人々が戦場に送り込まれるようになった近未来の日本を舞台としたギャク漫画「隊務スリップ」を連載している。徴兵制なんてありえないと冗談のつもりで始めたが、安倍政権の動きを見ていると、現実が漫画に近づいてきている。
 作品のきっかけは、自民党が政権に復帰する前、当時の安倍晋三総裁が「自衛隊を国防軍にする」と発言したこと。軍事力を強めてアメリカと一緒に行動することで、日本がいつか来た道を行っているのではないかと危惧した。
 「隊務スリップ」でも軍人の力が強くなり、シビリアンコントロール(文民統制)が効かなくなる恐ろしさを描いている。」と教えてくれる・
 つづけて発言者は、「安全保障関連法の国会審議を聞いていても、法律の必要性がちっとも分らなかった。この法律で抑止力が高まるとか、国民の平和な暮らしが守られるとか、政府は抽象的なことしか言わない。
 自衛隊を海外に出せば、日本を守るための戦力は間違いなく減る。安倍首相の答弁も終始、確信をはぐらかしているという印象だった。
 強行採決で法律を成立させたが、首相も支持率の低下は気にしている。国民は言うべきことを言わないとダメだ。声を上げないと、したい放題にやられてしまう。僕はデモにはいかないけど、漫画を描くだけでも意味はあるかなと思う。」と指摘した。
 最後に発言者は、「安保法に反対する民意がこれだけ立ち上がり、反対の声を上げていることに希望を感じる。
 心配なのはこれから後の世代。政府は今後、教育にも口を出してくると思う。戦争とは一つの思想や考えを押し付けることであり、対極にあるの平和だ。自由に発言できる多様性のある社会を守って行かなくてはならない。」として締めくくった。
読んで、為になった。
 「僕はデモにいかないけど、漫画を描くだけでも意味はあるかなと思う」との発言。それで十分と思った、がデモに行ってみると、発言者の鋭い感覚でとらえたデモの現実は、漫画にどのように描かれるのか、見てみたい気もした。
 また、「戦争とは一つの思想や考えを押し付けることであり・・・」の発言は、新鮮に受け止められた。
 なんたって、戦争は、国民をして「命と人権を」国家(為政者)のために提供することに「意義や喜び」を覚えるように、思想改良をしなければ、遂行できない大仕事だから。
 また、権力による、大掛かりな振り込め詐欺が、戦争のような気がしてならない。
 
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by sasakitosio | 2015-09-30 05:55 | 東京新聞を読んで | Trackback

自然は許しているのか

 9月27日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という欄がある。筆者は哲学者・内山節氏だ。
 きょうはこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「私の暮らす群馬県上野村は移住者の多い土地である。今では人口のおよそ2割が都市から移り住んでいる。
 せっかく来てくれたのだから、この村で暮らしつづけてほしいというのが村人の願いだ。しかし再び村から離れる人も多少生まれる。最近では親の介護のため実家に戻るという人がいるようになった。村になじめず去っていく人も多少はいる。そんなとき村の年寄りたちはこんなふうに言う。
 「この村で暮らし続けることができるかどうかは、人間が決めることではない。村の大地が決めるのだ。大地が暮らすことを許した人が、この村で暮らしつづけることができる」
 大地は自然と言い換えても構わないし、昔流に自然の神々、土地の神様と言っても構わない。
 もちろん、そんなことが本当にあるかと質問されたら答えようもないが、村の人たちは自分たちもまた村の自然に許してもらって、ここに住んでいると感じてきたのである。」ときりだした。
 つづけて筆者は、「こんな視点からのべれば、戦前の日本統治の朝鮮統治は、朝鮮の自然が許さなかったということになる。だから日本はそれを放棄しなければならなかった。自然が許さないものは定着できない。
 日本による満州国の建設も、中国への侵略も中国の自然は許さなかった。
 そればかりか明治以降の軍国主義の時代も、自然は許さなかったということになる。自然が許さないものはいつかは壊れる。それが上野村の年寄りたちの発想である。
 勿論この考え方の正しさを立証することはできないし、真実かどうかをめぐって理論できる話でもない。しかしそれが自然とともに生きてきた人たちの発想だった。自然は人間よりも力があると思いながら暮らしてきた人々の考え方なのである。」と指摘した。
 さらに筆者は、「現代の人間たちは、人間中心主義の発想に陥りやすい。そして人間の利益だけでものごとを考えるようになると、最後は自分の考える人間の利益に固執してしまう。 それは多くの場合対立を生む。それより上野村の年寄りたちのように、自然が許すかどうかを考えながら生きている人達たちの方が高尚だ。沖縄・辺野古の海を埋め立て米軍基地をつくることを、沖縄の自然は許しているのだろうか。
 実質的な改憲である安保法制を自然は許しているのか。
 軍事力を増強して威嚇し合う現代世界のありかたを、自然は喜んでいるのか。
 原発再稼働を、自然は許可しているのだろうか。
 こんな発想で考えてみるのもいいだろう。少なくとも「最後には私が決める」などといっている首相よりはずっとましだ。近年亡くなった世界的な文化人類学者であるレヴィ・ストロースは、自然に包まれた思考を失った時、人間は自分自身を破壊するようになったと述べていた。とすると上野村の年寄りたちの発想は、大事な視点を持っていることになる。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「そして、もしも自然が許さないのなら、現在の政治の動きも最終的にはどこかで壊されるということだ。自然が求める平和へと着地しないかぎり、持続する政策は形成できないだろう。
 とすると安保法制が国会で可決されたからと言って終わりではないはずである。自然は許さないと私は本気で思っている。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「自然が許さないものはいつかは壊れる。」との「上野村の年寄りたちの発想」に、共鳴する。
 では、自然が許さないものは、なんだろう。
 私はいつからか、自分を「地球の居候」だなと思うようになった。地球が許す限り、この世に生き続けようと考えている。自然を地球に置きかえると、地球の破壊につながる「行動」は許されないのではないか。最大の破壊である「戦争」は、自然が絶対的に許さない「人間の行為」であり、戦争につながる「所業」もやはり自然が許さない「出来事」ではないだろうか。
 そう考えると、戦争法案も、賛成した議員も、進めた政府自民党公明党も、自然は許さないので、遠からず壊れる運命にあると思った。
 
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by sasakitosio | 2015-09-29 06:41 | 東京新聞を読んで | Trackback

野党の戦い方

 9月27日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 先ず筆者は、「安保法制反対の世論を次の国政選挙にどうつないでいくかは、野党の最大課題である。安保法制成立直後に共産党の志位和夫委員長が野党の結集を呼びかけた。安倍政治を許さない、と思っている多くの市民も同じ思いだろう。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「来年の参院選は、日本の政党政治にとって大きな分かれ道となる。自民党が現状維持を果たし、民主党が二大政党の一角に踏みとどまれないならば、日本の政党システムは一党優位で固定されことになるだろう。そのような最悪事態を避けるためには、32の1人区で野党がある程度、議席を獲得することが絶対に必要となる。
 共産党からの提案に対して、民主党の保守的な政治家から早速、反発が出ている。しかし、民主党は非自民、非共産などと贅沢を言える状況ではない。来年改選を迎える一人区の議員が、まず野党結集については発言権を持つべきである。
 基本的な政策理念の一致が必要というのは正論である。今の日本においては違憲の安保法制を廃止し、安倍強権政治を止める以上に、崇高な理念はない。参院選で勝った後、次の展開を考えればよい。」と提案した。
 最後に筆者は、「民主党の指導部には、日本の民主政治の危機状況を見すえて、現実的な判断をするよう望む。
 立憲政治を守りたいという国民の意思を無視すれば、罪を千歳に残すことになる。」として締めくくった。
 読んで、考えさせられた。
 池上彰氏のテレビ番組で、氏の「日本の政党」についての説明をきいた。なかで、自由民主党は「憲法改正」めざし、日本共産党は「共産主義」をめざし、それぞれ進行中とのことを聞いた。じつに簡潔で分かりやい解説で、それについて、各政党から反論があったというニュースを寡聞にして聞かない。憲法を変えて、今より平和で自由で民主的で豊かで、世界中から尊敬される国づくりができるのか。
 ロシアの崩壊、北朝鮮の独裁、中国の共産党独裁、等の現実を目の当たりにして、共産主義が「被支配者」にとって、自由でも豊かでも民主的でもないようだし、幸せをもたらしていないないのではないか。
 非自民、非共産についても、ならばその中身はなんなんだろうか、定かではないのではないか。
 現実の対応は、筆者の指摘の通りだとおもう。
 問題は、人類統合の「思想、哲学」の不在が、まとまりの悪さの源のような気がしてならないが。日本の有識者の皆さん、戦争しない平和な70年の社会を生きてきた日本の有識者こそ、平和共存・人類永続の思想を生みだせるのではないか、と密かに勝手に期待している。
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by sasakitosio | 2015-09-28 16:12 | 東京新聞を読んで | Trackback

みじめな日ロ外相会談

 9月25日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「21日、モスクワで行われた岸田文雄外相とロシアのラブロフ外相の会談結果は実にみじめだ。
 <ラブロフ氏は会談後の共同記者会見で「北方領土問題については協議しなかった。北方領土は対話の議題ではない」と述べ、平和条約締結を目指す日ロ交渉で、北方4島の帰属問題の協議を事実上、拒否する方針を強調した。ラブロフ氏は「日本が第二次大戦後の歴史の現実と国連憲章を受け入れることが前進のために不可欠だ」と述べ、4島が大戦後にロシア領になったとの強硬姿勢をあらためて打ち出した。> (23日本紙)」と指摘した。
 つづけて筆者は、「ラブロフ外相は、第二次世界大戦の敗戦国である日本がソ連による北方4島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)の併合を認め、平和条約を締結しろと主張している。1970年代末から80年代初頭、ブレジネフ政権のソ連と同じ主張をしている。首相官邸や外務省の一部に、プーチン大統領の政治的決断で北方領土交渉が進むという、希望的観測を持っているようだが、それは幻想だ。)と指摘した。
 最後に筆者は、「6月に安倍晋三首相がウクライナを訪問し、2千億円を超える支援を行い、ロシアとの外交を「対話と圧力」、すなわち対北朝鮮外交と同じスタンスで進めるとこ公言したことにより、プーチン大統領は安倍政権と本気で北方領土交渉に取り組む意思をなくしたと筆者は見ている。」として締めくくった。
 読んで勉強になった。
 安倍総理が「ロシアとの外交を「対話と圧力」すなわち対北朝鮮外交と同じスタンスで進めると公言した」ことは、大国ロシアの独裁的な権力者プーチン氏の自尊心を傷つけたのではないか。筆者の見方「プーチン大統領は安倍政権と本気で北方領土交渉に取り組む意思をなくした」は、真実のような気がした。
 また、日米安保条約がある限り、米軍基地の日本からの撤退がない限り、北方領土交渉は難しいのではないか。
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by sasakitosio | 2015-09-28 06:23 | 東京新聞を読んで | Trackback
 今日は朝8時前に新幹線で新潟へ。11時30分に始まる、兄の49日の法事に参加。懐かしい、お世話になった、兄弟姉妹をはじめ親戚に会った。キリスト教やイスラム教より、親の代から慣れした親しんできたせいか、仏教・ブッダに親近感を覚える。その程度の仏教徒だから、意味の分からないままだだお経を聞いている。そんな法事だが、親族が集まる機会になっていることに、大いに意味があると思っている。
 甥姪がすっかりお父さんお母さんになっているのに、小さい頃のイメージを重ねてみると、なにかすごく不思議な気がした。
 また、昨日の会の研修会は、裁判官の講演が3時間、弁護士の講演が3時間、目を皿のようにして聴く。自分の息子よりもまだ若い「女性の裁判官、男性の弁護士」の話だ。内容的にも、大いに刺激になり、明日からの仕事に役に立った。
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by sasakitosio | 2015-09-27 20:48 | 今日の出会い | Trackback
 9月26日付東京新聞朝刊28面の「こちら特報部のページにニュースの追跡」という欄がある。筆者は沢田千秋記者だ。
 見出しが目を引いた。
 「今度は「落選運動」だ」。
 「安保法怒り 来夏の参院選へ」。
 「賛成議員リスト作成 ネットで広く参加可能」。
 今日はこの記事を学習することにした。
 先ず記事は、「安全保障関連法の廃止を求める若者らのグループは、来年夏の参院選を見据えた「落選運動」にシフトしつつある。一般国民が広く参加する日本初の本格的な落選運動が展開されるかもしれない。(沢田千秋)
 「賛成議員を落選させよう!」。安保法をめぐる与野党の攻防の終盤、抗議行動を引っ張った学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」は、そう叫ぶようになっていた。
 国会前のデモに参加して創価学会員の天野達志さん(51)=愛知県安城市=は公明党への不信感をあらわにする。「平和の党として支持して来たのに会員の声に耳を貸さず、落胆、失望した。もはや選挙で応援する義理はない。他の会員にも、応援すべきか疑問が芽生えている。本部の締め付けは一層厳しいが、盤石だった組織票にほころびが出るのではないか」
 「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人の高橋哲哉・東京大教授(哲学)は、公開質問に基づく落選運動を提案する。
 質問内容は「なぜ賛成したか」
      「違憲の指摘をどう思うか」
      「憲法を改正せず政府による解釈変更は立憲主  
      義に反する。どう思うか」などを想定。
 「回答をネットで公表し、落選を呼びかける。これなら選挙期間を問わず、誰でもできる」
 弁護士の間では、賛成議員の政治資金収支報告書の調査方法や、違法性があった際の告発状の作成まで協力する動きも出ている。
 つづけて記事は、「25日には、民主党の岡田克也代表と共産党の志位和夫委員長が会談し、選挙協力の道を模索し始めた落選運動の基盤は徐々にできつつある。」と教えてくれる。
 つづけて記事は、「落選運動は韓国で盛んだ。2000年の国政選挙では、460の市民団体が連携し、落選リストを公表。投票しないよう呼びかけた結果、86人中59人が落選した。
 湯浅墾道・情報セキュリテイ大学院大教授(ネット選挙)は「当時ほどではないが、今も韓国では落選運動が盛ん。日本の落選運動はポスター貼りやビラ配りなどに限定され、一般人が参加する手段がなかったが、ネット選挙解禁で選挙、落選運動とも誰でもできるようになった」と説く。
 ではどんな落選運動が可能なのか。
「SNSやブログ、ツイッターやホームページで「安保法制に賛成した議員を落とそう」と呼びかけたり、落選させたい候補者リストに掲載もできる。実名とメールアドレスを記載すれば、メールも送れる。」(湯浅氏)
 ただし落選運動が選挙運動と見なされた場合、事前運動として摘発される恐れがある。
 公職選挙法によると、選挙運動とは、特定の候補者の当選を目的に投票を得るための行為で、事前運動は禁止だ。
 西田恭介・東京工業大准教授(選挙制度)は「ある候補者の落選運動だけを目的とした運動ならば、事前運動に当たらない。
 しかし、出馬予定が二人だけの場合、片方の落選運動をすれば、自動的に、もう片方の当選を目的とした選挙運動と見なされてしまい、法に抵触する可能性がある。」と指摘する。
 最後に記事は、「政治評論家の森田実氏は「参院選前に、一番悪い安倍晋三首相の退陣の世論を巻き起こすのが本道ではないか」と訴える。
 「最も厄介なのは一部の国民と議員が抱く安倍首相への幻想。首相に従うだけのロボット化した与党議員をただ落とすのではなく、人間的考えを取り戻させ、独裁的に振る舞う首相を引きずり降ろすよう仕向けなければならない」」と教えてくれる。
 読んで、勉強になった、新聞の素晴らしさを感じた。
 学生グループ、弁護士グループ、主婦のグループ、創価学会のグループ、学者のグループ、労働者の団体、各政党、等々それぞれのポジションで得意技での行動の輪がつながって来れば、権力を凌駕する「民衆のパワー」は生まれるかもしれない気がしてきた。新聞の報道が、それぞれの運動体をつなぐ役割の果たしていることに、改めて気づかされた。
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by sasakitosio | 2015-09-27 05:47 | 東京新聞を読んで | Trackback

基地国家と従属国家

 9月24日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「東日本大震災直前に米国務省高官の舌下事件が起きた。沖縄総領事も務めたこの人物は、学生らを前に「沖縄はゆすり・たかりの名人で、米軍基地をネタに政府から予算を引き出す」という発言をしたらしい。
米国のエリートにありがちな偏見と傲慢は米国の対外的膨張の歴史を背景とする根深いものだ。全世界に約八百もある海外基地に、米軍は約50万人の軍人と家族を駐留させている。
 旧帝国主義の植民地の代わりに、軍事基地をグローバルに張り巡らせ、政治的影響力と経済的権益を確保するというわけだ。つい先日、翁長沖縄県知事が国連人権委員会で、自治と人権がないがしろにされていると訴えたように、日米地位協定で沖縄と日本は米国の植民地に近い状態だ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「人類学者D・ヴァイン氏の近著「基地国家」(未訳)は、沖縄を含めて全世界の米軍基地が起こしている問題を論じている。基地の依存そのものが、米軍人の犯罪や環境汚染や人道無視を引き起こし、反米感情を醸成するという。米国内では海外基地のコストとリスクを見直そうとする議論が起こりつつある。」と指摘した。
 最後に筆者は、「かって岸信介は米国の力を利用して、日本の権益と自分の政治生命を確保するという屈折したナショナリストの心性を持っていたと言われる。われわれの首相も確かにこれを受け継いでいる。」と締めくくった。
 読んで、勉強になった。
 まず、「全世界に約800もある海外基地に、米軍約50万人の軍人と家族を駐留させている」とのこと、
 「日米地位協定で沖縄と日本は米国の植民地に近い状態だ」とのこと、
 「人類学者D・ヴァイン氏の近著「基地国家」(未訳)で、基地の存在そのものが、米国人の犯罪や環境おせんや人権無視を引き起こし、反米感情を醸成するという。」としてきしていること、等を改めて知った。
 日本は、アメリカ軍の撤退を前提に、平和戦略をつくり出せないものか。
 また、アメリカ軍による抑止力という呪縛から、日本の指導者は解放されない程、アメリカに弱みを握られているのだろうか。
 アメリカ帝国の軍事予算の膨張による崩壊も、中国独裁政権の人権抑圧の反発による崩壊も、意外と速いような気がするが。
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by sasakitosio | 2015-09-26 06:39 | 東京新聞を読んで | Trackback