憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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 今日は、「マルサス、ヤング、フランス革命」の項目を学習することにした。
 筆者は、「18世紀末と19世紀初頭に、イギリスとフランスで古典派政治経済学が生まれた時点で、既に分配は重要な問題の一つになっていた。みんな激しい転換が起こっていることはわかった。これは持続的な人口増―空前の現象―と、地方部からの脱出、および産業革命の進展が引き起こしたものだ。
 こうした動きはヨーロッパ社会における富の分配、社会構造、政治的均衡にどう影響するのだろうか?
 1798年に「人口論」を刊行していたトマス・マルサスにとって、結論は疑問の余地がなかった。主要な脅威は人口過剰だ。情報源は極めて限られていたが、マルサスはそれを最大限に活用した。
 特に大きな影響を与えたのは、アーサー・ヤングが刊行した旅行記だ。ヤングはイギリス農学者で、フランス革命前夜の1787年から1788年にかけてフランスを縦横に旅し、カレーからピレネー、ブルターニュからフランシュ=コンテまで見ている。ヤングは田舎での貧困について書いた。
 その赤裸々な論説は、全く不正確と言うわけでは決してない。当時のフランスはヨーロパで圧倒的に人口の多い国であり、したがって観察には絶好の場所だった。
 1700年にフランスはすでに人口2000万人だった。
 これに対し、イギリスはたったの800万人(イングランドだけなら500万人)だ。フランスの人口はさらに18世紀を通じて、ルイ14世時代の終わりからルイ16世の処刑までずっと安定して増加し、1780年代には3000万人近くになった。1789年の爆発に先立つ数十年で農業賃金が停滞し、地代が上昇したのは、どう考えてもこの空前の急激な人口増のおかげだ。この人口シフトだけがフランス革命の原因だというわけではないが、貴族階級と当時の政治レジームの人気凋落に明らかに貢献している。
 それでも、1792年刊のヤングの記録にはまた、ナショナリズム的な偏見と不適切な比較の跡も見られる。この大農学者は、滞在した宿屋がまるで気に入らず、給仕をした女性たちの態度にも不満だった。彼の指摘の多くはつまらないし伝聞でしかないのに、そこから普遍的な結論を導き出せると思っていた。主な懸念は、自分が見た普遍的な貧困が政治的な蜂起つながるのではということだった。特にかれは、責任ある人々に導かれた調和ある平和的な発展を可能にするのは、貴族と平民が別々の議会を持ち、貴族に拒否権があるイギリスの政治システムだけと思い込んでいた。
 だからフランスが1789年―1790年に、貴族と平民をひとつの立法府で同席させると決定したとき、ヤングはフランスが破滅に向かっていると確信したのだ。彼の記述すべてが、フランスにおける革命の恐れに極度に支配されていたと言っても過言ではない。
 富の分配の話をするときには、いつも政治がその背後に控えているのだし、その時代の階級的な偏見や利害から逃れるのは誰にとってもむずかしいものだ。
 マルサス牧師が1798年にその有名な「人口論」を刊行した時には、ヤングよりさらに過激な結論に到達した。
 ヤングと同じくマルサスも、フランスから出てきた新しい政治思想をとても恐れていたので、イギリスではそれに類する蜂起は起きないと自分に言いきかせたかった。そこで貧困者への福祉支援はすべて即座に停止して、貧困者の子作りは厳しくチェックしないと、世界は人口過剰にによるカオスと悲惨に向かってしまうと論じた。
 マルサスのとんでもなく陰気な予想を理解するには、1790年代にヨーロッパのエリートの多くがいかに恐怖にとらわれていたかを理解しなくてはならないのだ。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 イギリスの農学者・ヤングの「主な懸念は、自分が見た普遍的な貧困が政治的蜂起につながるのではということだった。」とのこと、
 1798年にその有名な「人口論」を刊行したマルサス牧師は。「貧困者への福祉支援はすべて即座に停止して、貧困者の子作りは厳しくチェックしないと、世界は人口過剰によるカオスと悲惨に向かうと論じた。」とのこと、等を知り、1790年代におけるヨーロッパのエリートの多くがいかに恐怖にとらわれていたかが、理解出来た。
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by sasakitosio | 2015-04-30 19:07 | 「21世紀の資本」学習ノート | Trackback
 4月21日付東京新聞社説で、「治安維持で撃ち合いも」との見出しで、安保法制のことが載った。
 今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「道路の補修から、治安維持へ。自衛隊海外派遣の最初の恒久法となった1992年制定の国連平和維持活動(PKO)協力法も改正され、自衛隊の活動は拡大する。
 PKOは、紛争当事者の停戦合意が成立した後、国連が各国から派遣を募り、停戦や兵力引き離しを監視する。自衛隊のPKO参加は道路・橋の補修、建物の建設など後方支援に徹してきた。
 武器使用は「国家に準じる組織」と撃ち合った場合、憲法で禁止された武力行使となるため、武器使用は正当防衛・緊急避難に限定された。安倍政権は昨年7月の閣議決定で派遣先に「国家に準じる組織」は登場しないことにして、武器使用基準を「任務遂行のための武器使用」に拡大した。
 92年のカンボジアPKOでは前政権のポル・ポト派、PKOと同じ武器使用基準だった2004年のイラク派遣ではフセイン政権残党が登場したが、今後はそのような勢力は現れないことになった。まさに牽強付会である。」と切り出した。
 つづけて社説は、「武器使用の拡大は、近年PKOが住民保護を目的とした武力行使容認型に変化したことに合せ、自衛隊の任務を治安維持へ拡げる狙いがある。
 PKOに兵士を多く派遣しているのは、国連から支払われる日当が外貨獲得の手段になっている発展途上国が目だつ。
 主な任務は治安維持だ。日本はこの列にわりこむのだろうか。
 現在、日本は南スーダンPKOに道路補修をする施設科(工兵)部隊を派遣している。これは潘基文国連事務総長が来日して、ピンポイントで「施設科の派遣」を求めたことによる。技術力があり、他国の工兵まで指導している自衛隊ならではの任務と言える。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「安倍政権は「PKO以外の国際的な平和協力活動」として、国連以外の国際機関の要請による治安維持などの活動にも参加する。
 PKO協力法は憲法との整合性が問われ、成立まで200時間近い国会審議を要した。今回、PKO法案を含む14本もの安全保障法制を一気に成立させようというのだから、拙速は免れない。」と指摘した。
 最後に社説は、「法制が整えば、自衛隊の海外活動は動き始める。撃ち合いもありの治安維持に押し出される以上、隊員の安全確保は困難を極める。
 政治家にその覚悟はあるのだろうか。そして自衛官は外国の治安維持のために自衛隊に入ったのだろうか。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 1992年制定の国連平和維持活動(PKO)協力法では「紛争当事者の停戦合意が成立した後、国連が各国から派遣を募り、停戦や兵力引き離しを監視する。自衛隊のPKOは参加は道路、橋の補修、建物の建設など後方支援に徹してきた」とのこと、
「武器使用は「国家に準じる組織」と撃ち合った場合、憲法で禁止された武力行使に当たるため、武器使用は正当防衛・緊急避難に限定された」とのこと。
 ところが、「安倍政権は昨年7月の閣議決定で派遣先に「国家に準じる組織」は登場しないことにして、武器使用基準を「任務追行のための武器使用」に拡大した。」とのこと、
 「安倍政権は「PKO以外の国際的な平和協力活動」として、国連以外の国際機関の要請による治安維持などの活動にも参加する。」とのこと。
 これでは、「法制が整えば、自衛隊の海外活動は動き始める。撃ち合いもありの治安維持に押し出される以上、隊員の安全確保は困難を極める。」との社説の指摘はその通りだ。
 私が総理や、外務大臣、防衛大臣なら、真っ先に自分が現地視察をして、法律を適用する「状況かどうか」確かめてから、自衛隊員を派遣したいと思うが?
 法律を提案し、審議・議決する議員にその覚悟を聞くことを、一番最初にやってほしいと思った。
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by sasakitosio | 2015-04-30 17:52 | 東京新聞を読んで | Trackback

投票率と投票方式

 4月27日付東京新聞朝刊7面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮子あずさ氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「昨日投票の統一地方選挙の後半戦。12日の前半戦同様、各地で投票率の低さが目立った。
 私の周辺でも、投票に行かない人は多い。安倍政権のやり方を是とせず、かといって批判票を投じる先も見つからない。そんな悩みを語る知人に、私もかける言葉が見つからない。
私もまた同じ気持ちを抱きつつ、次善と思う候補者に投票しているからだ。
 ここであえて逆から考えてみよう。当選させたい候補者が皆無の選挙でも、投票に行く気になる。そんな投票方式はないのだろうか。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「まず考えついたのが、落選させたい候補者を記載すれば、得票数を減らせる投票方式。これなら当選させたい候補者がいなくても、落としたい候補者がいれば、選挙にいくかいはある。
 この案は、話としてはかなりウケる。ただ落選を狙ってえげつない選挙戦になる可能性がある。そこまでして投票を促すべきかという議論にもなりそうだ。
では、一人一票ではなく、選出する人数だけ投票する、複数記名投票ではどうだろう。
 学術的な学会の評議員の選挙は、ほとんどが複数記名投票で決まる。例えば、50人の候補者から10人を選ぶ時は、10人に投票できる。実際やってみると、これはなかなかうまい方法だ。
 一押しの人だけではなかなか枠が埋まらない。次に考えるのが候補者の属性。看護系の学会だと圧倒的に女性が多い。少し男性にも入ってほしいと思い、男性に重みを付けて投票したりする。こうした選び方は、複数投票ならでは、「どんな集団になってほしいか」を投票に反映させやすい。つまりバランスの良い投票が期待できるのだ。」と提案している。
 最後に筆者は、「もともと一人を選ぶ単記名方式には問題もある。最大得票を得た候補者が、他より優れている保証はない。ここは押さえておきたい。
 あらためて、選挙方式について考える時期に来ているのではないか。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。投票率を上げる方法は、選挙権・被選挙権の両方から考え、一日も早く変えないと、民意と権力の乖離が、取り返しがつかない状況になるかもしれないから。
 そこで筆者の、「落選者の投票」、「複数記名投票」もぜひ実施してほしい方法だと思った。
 そのほかに、「選挙の成立要件としての投票率を、たとえば60%、50%とか決める」、「候補者の理性と社会性チェックのために、立候補者の資格試験をする」、「落選後のリスクをなくするため、現職復帰を法的に保証する」、「選挙はすべて公営として、費用は政党助成金を当てる」「お金による差別はなくするため、供託金はゼロにする」、てなことを、閣議で決定し、公職選挙法とか関連法律を通せば、政治が活性化すること必定だと思うのだが?
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by sasakitosio | 2015-04-30 14:40 | 東京新聞を読んで | Trackback

無責任核サイクル

 4月28日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
 まず筆者は、「これまでも、裁判所への幻滅は少なくなかったが、22日、川内原発再稼働差止め請求却下を下した、鹿児島地裁の199ページにもおよぶ決定書は、九州電力の主張をなぞっただけのもので、一読して唖然、だった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「たとえば福島事故を踏まえた「重大事故が発生し得ることを前提とする安全対策」の見直しによって、「重要な施設・設備に問題を生じた場合でも、放射性物質の外部環境への大規模な放出を相当程度防ぐことができるようになった」と書かれている。
 原発事故では事故を想定した「多重防護」の理論など机上の空論で、あっさり吹き飛ばされた事実こそ、福島の教訓だったはずだ。前田郁勝裁判長のこの根拠のない楽観主義は無責任だ。」と指摘した。
 さらに筆者は、「その8日前の福井地裁・樋口英明裁判長の決定書は僅々46ページだが、「深刻な災害を引き起こす恐れが万一にもないといえるような厳格な内容」が再稼働の基準だとして、原子力規制委員会の「新規制基準は緩やかすぎり」と断じる。主張は明快である。」と指摘した。
 最後に筆者は、「田中俊一委員長の「基準の適合性は見るが、安全ということは申し上げない」との発言も無責任にすぎる。それでも彼は「審査を粛々と進める」としている。つまり「国策民営」、親方日の丸。再稼働のスイッチを押す九電に、事故の責任を取る気があるのか、聞いてみたい。」と締めくくった。
 読んで共鳴した。
 「前田郁勝裁判長のこの根拠の無い楽観主義は無責任だ」、
 「田中俊一委員長の「基準の適合性は見るが、安全ということは申し上げない」との発言も無責任にすぎる。」、
 「再稼働のスイッチを押す九電に、事故の責任を取る気があるのか、聞いてきたい。」、との指摘は実に明快だ。
 九電には、「広範に及ぶ事故の被害の責任を、取り切れる思っているのか11???」と聞きたいところだ。
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by sasakitosio | 2015-04-30 14:13 | 東京新聞を読んで | Trackback
 4月20日付東京新聞社説に、「後方支援、机上の安全」という見出しで、他国への後方支援についての論考が載った。
 今日は、この社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「安全保障法制で集団的自衛権の行使に並ぶ危険な活動は、他国の軍隊への後方支援だ。周辺事態法の改正と新法(恒久法)の二本立てで、自衛隊が他国軍のために弾薬や食料、燃料などを提供したりできるようにする。
 周辺事態法は、朝鮮半島有事など日本周辺で戦う米軍を憲法の枠内で支援する法律だが、改正により「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」ならば、自衛隊は世界中どこへでも行くことができて、支援対象も米軍から他国の軍隊へと拡大される。
 新法は「国連決議または関連する国連決議」があれば、日本の平和に無関係でも、やはり自衛隊が他国軍を後方支援できるようになる。
 二つの法律は派遣根拠が異なるだけで、自衛隊の活動内容に変わりがあるわけではない。安倍政権が目ざす「切れ目ない対応」をするため、いかなる理由でも派遣できるようにする狙いが見える。」と指摘した。
 つづけて社説は、「例えばイラク派遣の根拠となった国連決議は、米国によるイラク戦争を認めたものではなかった。
 新法は「関連する国連決議」にまで根拠を広げるため、国際法上の正当性が疑われる戦争であっても自衛隊を差しだせるようになる。
 どちらの法律も国会の事前承認は原則とされ、事後承認もあり得る。しかも恒久法なので、目的、期限を定めた特別措置法で対応したインド洋上補給、イラク派遣のような議論はなく、国会の歯止めはないに等しい。
 さらに社説は、「「現に戦闘行為が行われている現場」以外なら自衛隊は後方支援できるようになる。戦闘している部隊よりも燃料、食料を輸送する後方支援部隊が狙われるのは軍事常識だろう。
 武力行使との一体化が疑われ、周辺事態法で「行わない」と明記された弾薬の提供、発進準備中の飛行機への給油まで認める方針なので、憲法の歯止めさえ怪しくなってきた。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「正規軍にたいして、武装勢力が自爆テロや仕掛け爆弾で対抗する非対称戦の最中に「現に戦闘が行われていない現場」がどこなのか判断できるだろうか。
 米国防総省はイラク戦争における米兵の死者のうち、大規模戦闘での犠牲者は109人だったのに対し、その後のイラク駐留で3千人以上が死亡したと発表している。
 戦争を知らず、戦場へ行くことのない政治家や官僚が机上で勇ましい夢を見ている。」と、締めくくった。
 読んで勉強になった。
 「周辺事態法が朝鮮半島有事など日本周辺で戦う米軍を憲法の枠内で支援する法律だ」とのこと、
 「改正法により「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」ならば、自衛隊は世界中どこへでも行くことができ、支援対象も米軍から他国の軍隊へと拡大される」とのこと、等を知ることができた。周辺事態法や国民保護法成立した時、朝鮮半島でどの国が戦争を始めようと、日本国中がアメリカ軍の後方支援をさせられる危険を感じ、朝鮮半島で戦争の起きないことを祈った。結果的には、今日まで朝鮮半島で戦争が起きなかった。だれも戦争をしたくなかったということか?それとも、北朝鮮が核実験をしたために、朝鮮半島で戦争が起きなかったのか?理由は何であれ、日本の近隣で戦争(アメリカが関わる)がなかったことは幸運なことであった。
 改正法では、世界中どこでも戦争が勃発すると、米国以外の国の戦争でも、日本の自衛隊が行くことになるとのことであるから、「日本の平和」のためには、中東でも南シナ海でもアフリカでも戦争を勃発させてはいけなくなった。
 世界中でどこでも戦争が起きないことを祈るしかない。
 また新法は「国連決議または関連する国連決議」があれば、日本の平和に無関係でも、やはり自衛隊が他国軍を支援できるようになる」とのこと、
 「新法は「関連する国連決議」にまで根拠を広げたため、国際法上の正当性が疑われる戦争であっても自衛隊を差しだせるようになる」とのこと、
 「さらに「現に戦闘行為が行われている現場」以外なら自衛隊は後方支援ができるようになる」とのこと、等々の指摘を見ると、「憲法の歯止めさえ怪しくなってきた」ほど、限りなく憲法違反・憲法破壊の法律が国会に提案されようとしていることが分かった。
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by sasakitosio | 2015-04-29 14:12 | 東京新聞を読んで | Trackback

異常事態

 4月26日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「集団的自衛権行使容認の閣議決定を受けて、与党は安全保障法制の骨格を固めた。これは平和や安全という名の下に国民をペテンにかける、法体系の破壊行為である。
 そこでは、自衛隊による武力行使、他国軍隊への支援について①存立危機事態②重要影響事態③国際平和共同対処事態という三つの事態が想定されている。
 ①については個別自衛権のみならず、わが国の存立を脅かす他国への攻撃に対しても集団的自衛権を行使するとされる。
 ②については、日本周辺にかぎらず、米軍や他国軍への後方支援も可能とされる。
 しかし、法律でそれぞれの事態を定義できるのだろうか。
 具体的な状況がどれに該当するかは。その時々の政府の判断に任されるに違いない。
 新聞各紙は、自衛隊の海外派遣について「例外なく国会による事前承認を必要とする」と報じたが、それは③の場合だけである。 
 要するに、この法制が実現すれば、政府が独断で事態を過大な危機と捉え、自衛隊を出動させ、武力行使ができるようになるということである。
 言うまでもないが、後方支援は戦闘の一環であり、相手方からの攻撃を招く。」と指摘した。
 最後に筆者は、「意味不明な言葉が並び、国民のあずかり知らぬうちに自衛隊が戦争に参加できるようになる。
 これこそ国会の異常事態である。国民が出動して、止めさせるしかない。」と、締めくくった。
 よんで刺激になった。
 安全保障法制は、「平和や安全という名の下に国民をペテンにかける、法体系の破壊行為である」との筆者の厳しい批判は、よく理解出来た。
 安全保障法制で「意味不明な言葉が並び、国民のあずかり知らぬうちに自衛隊が戦争に参加できるようになる」との指摘は、憲法否定の法律が、国会で提案されていることということではないか?これ自体、筆者の指摘の通り、「国会の異常事態であり、国民が出動して、止めさせるしかない」、ことは確かだ。
 ヒトラーの全権委任法を、ふと思いだした。今は、国民主権、民主主義の危機なのかもしれない。どうすりゃいいんだ!!??
 
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by sasakitosio | 2015-04-29 07:28 | 東京新聞を読んで | Trackback
 本の2ページに「データなき論争?」の見出しで始まる項目がある。その項目に関して、「学習する」ことにした。
 本では、「富の分配をめぐる知的、政治的な論争は、昔から大量の思い込みと事実の欠如に基づいたものとなっていた。
 もちろん、みんなが現代の富や所得水準について身につける、直感的な知識の重要性を過小評価してはいけない。
 そこには理論的な枠組みや統計的分析がまったくないにしてもだ。映画や文学、特に19世紀小説には、各種社会集団の相対的な富や生活水準に関する詳細な情報がいっぱいだし、特に格差の深層構造、それを正当化する議論、そして、それが個人の生活に与える影響については詳しい。実際、ジェイン・オースティンやオノレ・ド・バルザックの小説は、1970年から1830年にかけてのイギリスとフランスにおける富の分配について、実に印象的な描写をしている。
 どちらの小説家もそれぞれの社会において、富の階層構造を身をもって熟知していた。そして富の隠れた様相や、それが男女の生活に避けがたく与える影響などを把握していた。そうした影響には、人々の結婚戦略や個人的希望と失望なども含まれる。この二人を含む小説家たちは、どんな統計分析や理論分析でも比肩できないほどの迫真性と喚起力をもって、格差の影響を描き出している。
 実際、富の分配は経済学者、社会学者、歴史学者、哲学者に任せておくには、あまりに重要な問題だ。これは万人にとって興味ある問題だし、これはよいことだ。格差の具体的な物理学的現実は目に見えるものだし、当然ながら激しいが対立する政治的判断を引き起こす。百姓と貴族、労働者と工場所有者、ウェイターと銀行家、どちらも、独自の観点を持っていて、他の人がどう暮らして社会集団間にどんな権力と支配の関係が存在するかについて、それぞれ重要な側面を見ている。そしてこうした観察が、各人の公正、不公正に関する判断を形成するのだ。
 だから格差には常に、根本的に主観的で心理的な側面が存在することになり、これは当然ながら政治的な対立を引き起こすし、科学的と称するどんな分析では緩和できない。
 民主主義は決して専門家会議などで置き換えられない~~そしてこれはとてもよいことなのだ。
 それでも、分配問題はやはり系統だったしっかりした手法でも検討すべきだ。厳密に定義された出所や手法、概念なくしては、どんな話でも読み取れるし、その正反対の話だってできてしまう。
 一部の人は、格差は常に増大しており、世界は定義からして常に不公正になりつつあるのだと信じている。
 別の人たちは、格差は当然ながら下がっているとか、調和が自動的に生まれるとか考えているし、いずれにしてもこの幸せな均衡を乱しかねないようなことは何もすべきでないと考えている。
 お互いが聞く耳をもたない者同士のこの対話では、お互いが相手の怠慢を指摘することで自分の知的怠慢を正当化している。
 だから、完全に科学的ではないにしても、少なくとも系統だったしかりした手法の研究にも出る幕はあるのだ。専門家の分析があっても、格差がどうしても引き起こしてしまう暴力的な政治紛争が終わることは絶対ない。
 社会科学研究は、一時的なもので不完全なものだし、それは今後も変わらない。経済学、社会学、歴史学を厳密な科学にするなどとは主張しない。
 でも事実やパターンを辛抱強く探し、それを説明できそうな経済、社会、政治メカニズムを落ち着いて分析すれば、民主的な論争の役には立つし、正しい質問に注目させることはできる。論争の条件を見直す役にも立つし、いくつもの暗黙の想定や間違った想定を明らかにすることもできるし、あらゆる立場を絶えず批判的な検討にかけることもできる。
 私の見解では、これこそが社会科学者を含む知識人の果たすべき役割だ。
 知識人は他の市民と同じ立場だが、でも研究に没頭する時間を他の人よりもっているという幸運な立場に置かれた(そしてそれに対して報酬を得られる~これは顕著な特権だ)ひとびとなのだから。
 でも富の分配に関する社会科学的研究では、昔からしっかり確立した事実の基盤はかぎられたものしかなかったし、それをきわめて多様な純粋に理論的な想定と組み合わせてきたという事実は否定しようがない。
 本書の執筆用に集めた各種の情報源をもっと詳しく見る前に、こうした問題に関するこれまでの思想を手早く歴史的に振り替えろう。」と、この項目を締めくくった。
 筆者の「専門家の分析があっても格差がどうしても引き起こしてしまう暴力的な政治紛争が終わることは絶対ない」との確信的記述は、格差の解消策と実践は、人類が平和の内に反映する不可欠な要因であることを知らされた気がした。
また、「富の分配に関する社会科学研究では、昔からしっかり確率した事実の基盤は限られたものしかなかったし、それをききわめて多様な純粋に理論的な想定と組み合わせてきたという事実は否定しようがない」との記述は、「富の分配に関する社会科学研究の「現実と歴史的実態」を知らされた気がした。
 
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by sasakitosio | 2015-04-29 06:53 | 「21世紀の資本」学習ノート | Trackback
4月18日付東京新聞社説に、「理念先行する集団自衛 安保法制考②」という見出しで、安保法制のことが載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「集団的自衛権の行使解禁を目指す安倍晋三首相。その理由は、首相の二冊の本に書かれている。
 「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです。それにより、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自衛隊も米軍も一発の弾を撃つ必要もなくなります」(「新しい国へ」文春新書、2013年)
 米国と日本がしっかり結びつけば、抑止力は高まるというのだ。
 現状を見てみよう、尖閣諸島を国有化して以降、日本は何度も米国に「尖閣は日米安全保障の範囲内」との確認を求めている。
 米国は「アジア回帰」とはいうものの、中国の台頭によって相対的に影響力は低下している。それでも最強の米国に対し、日本は集団的自衛権行使を解禁するから、中国との間に紛争が起きた場合、積極的に関わってほしい、としがみつく姿勢が一連の法制からうかがえる。
 別の見方をすれば、外交による問題解決を棚上げにした自衛隊の「人身御供化」である。」と切り出した。
つづけて社説は、「もう一冊の本にはこうある。
 「われわれには新たな責任があります。この日米安保条約を堂々たる双務性にしていくということです。(略)言うまでもなく軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、いまの憲法解釈の下では、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。(略)双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の行使だと思います」(「この国を守る決意」扶桑社、2004年)
 米国による日本防衛義務を定めた第5条、米軍への基地を提供する義務を定めた第6条により、日米安保条約は双務性を帯びている。片務的だったのは基地提供義務だけだった旧安保条約だが、首相は集団的自衛権行使に踏み切らなければ双務性ではないと主張する。
 行使解禁は、安倍首相の政治理念であることがわかる。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「昨年、来日したオバマ大統領は尖閣に日米安保条約が適用されると明言する一方で、問題のエスカレートは大きな過ちであると強調した。
 中国とのもめごとに巻き込まないでほしいというメッセージだ。
 集団的自衛権の行使解禁が東アジアの安定につながる保証はどこにもない。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。社説を読んで、首相に文春新書の「新しい国へ」と扶桑社の「この国を守る決意」、の本があることを初めて知った。
 首相の本の中で、「集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです」、「この日米安保条約を堂々たる双務性にしていくということです。(略)言うまでもなく軍事同盟というのは”血の同盟“です」、「双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の行使だと思います」、等と記されているとのこと。
 双務性について、社説は「5条の基地の提供」と「6条の日本防衛義務」で双務性を帯びている、と指摘した。なるほど。ならば、「行使解禁は、安倍首相の政治理念であることが分かる」との社説の指摘は、よく分かった。
 そして、平和憲法のもとで、民主的な選挙と通して、とんでもない人を日本国は総理大臣にしてしまったのではないか?
 ただ、安倍晋三首相には、ヒットラーのような「カリスマ性」や「信念」や「雄弁」さが感じられない気がするが?
 
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by sasakitosio | 2015-04-28 07:54 | 東京新聞を読んで | Trackback
 今日は、「はじめに」の項目から学習することにした。
 まず、「社会的差別は、共同に利益に基づものでなければ、設けられない」
            ――――――― 人権宣言ー、第一条、1789年、が目に入る。
 筆者は「 富の配分は、今日最も広く議論されて意見の分かれる問題のひとつだ。でも長期にわたり、どう推移したかについて、本当に分かっているのは何だろう?  
 19世紀にマルクスが信じていたように、私的資本蓄積の力学により、富はますます少数者の手に集中してしまうのが必然なのだろうか?  
 それともサイモン・クズネッツが20世紀に考えたように、成長と競争、技術進歩という均衡力のおかげで、発展の後期段階では階級間の格差が縮まり、もっと調和が高まるのだろうか?
 18世紀以来、富と所得がどう推移してきたかについて、本当に分かっていることは何なんだろうか、そしてその知識から、今世紀についてどんな教訓を引き出せるのだろうか?
 本書で答えようとするのはこうした問題だ。
 すぐに言っておくと、本書に書かれた答えは不完全で不十分なものだ。でもその答えは、これまでの研究者が使えたものよりはるかに広範な、長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている。そのデータは3世紀にわたる20カ国以上のものだ。
 また格差の根底にある仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組みに基づいたものでもある。
 現代の経済成長と知識の浸透のおかげで、マルクス主義的な終末は避けられたが、資本や格差の深層構造がそれで変わったわけではない~~少なくとも第二次世界大戦に続いた楽観的な数十年で想像されたほど大幅に変わったわけではない。
 資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき(19世紀はそうだったし、また今世紀でもそうなる見込みがかなり高い)、資本主義は自動的に、恣意的に、持続不可能な格差を生み出し、それが民主主義社会の基盤となる能力主義的な価値観を大幅に衰退させることになるのだ。
 それでも、民主主義が資本主義に対する支配力を回復し、全体の利益が私的な利益より確実に優先されるようにしつつ、、経済的オープン性を維持して保護主義的、国家主義的な反動を避けるようなやり方はある。
 本書の後の方で私が提案する政策提言は、その方向性に傾いたものだ。
 それは、歴史的な経験から導かれた教訓に基づいている。
 本書でこれから展開されるのは、つまるところは、歴史的経験の物語となる。」と、この項を締めくくった。
 速読と、書写(ワード写)の2回の読後に、「はじめに」の部分に、筆者の著作の「方向、目的、手法」があることに改めて気が付いた。
 「現代の経済成長と知識の浸透のおかげで、マルクス主義的終末は避けられた」との指摘は、新鮮に理解出来た。
 「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出し、それが民主主義的社会の基盤となる能力主義的な価値観を大幅に衰退させることになるのだ」との指摘は、「本書に書かれた答えは不完全で不十分なものだ」との筆者の前置きを知った上で、刺激になった。
 「本書でこれから展開されるのは、つまるところその歴史的経験の物語となる」と締めくくってあるが、とかく難しいと言われる「経済書」・「21世紀の資本」が、基礎的素養のない私でも面白くて読めたのは、自分の生きてきた「現代」の「歴史的経験の物語」であったからかもしれない。
 
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by sasakitosio | 2015-04-27 17:17 | 「21世紀の資本」学習ノート | Trackback
 4月17日付東京新聞社説に、「安保法制考① 武力行使を緩める新要件」との見出しで、安保法制のことが載った。
 今日この社説に学ぶことにした。
 まず社説は、「何が分からないのかさえ、分からないーー。安倍晋三政権が進める集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制のすべてを理解するのは困難を極める。
 自民党と公明党の与党協議は、公明党が問題点を指摘しても解決せず、生煮えで次に移ってしまうからだ。
 それでも法案は、ゴールデンウイーク明けの国会に提出される。首相官邸と自民党の考え通りの案となる公算が大きい。どこに問題があるのか考える。」と切り出した。
 つづけて社説は、「まず集団的自衛権の行使から。
 安倍首相は、中東のペルシャ湾にあるホルムズ海峡の機雷除去の例を好んで取り上げる。想定しているのは、核開発を進めるイランがオマーン領海にあるタンカーの航路を機雷封鎖する事態だ。
 自衛隊が掃海すれば、オマーンに対する集団的自衛権の行使になるが、ここに違和感はないだろうか。オマーンは友好国とはいえ、日本が防衛する義務はない。
 安倍首相は、輸入原油の8割が通る海峡の封鎖は、武力行使を認める三原則の「日本の存立が脅かされ、国民が危機にさらされる明白な危険」に合致するという。
 新三要件は、過去の国会論議と無関係に昨年7月、閣議決定により制定された。憲法解釈を変更して自分に都合のよい要件をつくり、これに従えば問題なしとする「自作自演」である。
 集団的安全保障措置、すなわち国連の多国籍軍による機雷除去であっても新三要件に合えば、参加できると主張する。
 時の政権が「資源の枯渇は新三要件に合致する」と判断すれば、自衛隊の出動が認められ、海外における武力行使がとめどなく広がることになる。もはや集団的自衛権の議論をはるかに飛び越えている。
 国会の事前承認は「原則」なので、政権の都合による事後承認もあり得る。特定秘密保護法が施行されている現在、国会の判断に必要な情報が開示される保証はない。歯止めはないも同然といえる。」と指摘した。
 最後に社説は、「ホルムズ海峡の機雷除去は、2012年8月、米国の知日派グループがまとめた「アーミテージ・リポート」に登場、「日本は単独でも掃海艇を派遣すべきだ」と求めた。
 現在イランは主要6か国との間で核放棄へ向けた協議が進み、当時とは状況が違う。
 現実離れした想定のもと、武力行使へのハードルは限りなく下がり始めた」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 集団的自衛権の行使容認の意図と、目的と、現在の最迫った必要性が、まったく説明されないままのなのに気づかされた。
 「憲法解釈を変更して自分に都合のよい要件をつくり、これに従えば問題なしとする「自作自演」である」との社説の指摘は、その通りだと思った。この構図は、原発再稼働の「新規制基準」づくりと、規制員会の「お墨付き」発行に見られる。そして、結果の総括は、想定外の事態で「規則を決めた人」も、規則に従って「お墨付きを出した人」も、お墨付きによって「原発再稼働した人」も、だれも責任を負わない。実に、巧妙な、国民騙しの「マジック」のような気がした。
 「現実離れした想定のもと、武力行使へのハードルは限りなく下がりはじめた」との指摘はその通りで、その武力行使を命を賭けて実行させられる民主主義化の「自衛隊の実行部隊」や「その周辺」からの声が全く聞こえてこないのは、一体どうしたことだろうか?
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by sasakitosio | 2015-04-27 09:53 | 東京新聞を読んで | Trackback