憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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拷問の責任

12月25日付東京新聞朝刊27面に。「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は「今月9日、米国議会上院委員会は中央情報局(CIA)の拷問に関する報告書要約版を発表した。アブグレイブ監獄の流出写真から周知の事実だが、拷問は情報取得に無用であるとの委員会の糾弾の姿勢が明確だ。

 その翌日、ブラジルでかつての軍事独裁政権の人権弾圧(反対派の拉致・拷問・虐殺)の報告書が公表され、記者会見でルセフ大統領は涙を見せた。彼女自身が拷問を受けたからだ。当時、南米では軍事政権が次々に成立し、現在のチリとウルグアイの大統領も拷問された経験を持つ。」と教えてくれた。

 さらに筆者は、「二つの報告書には深い関連がある。CIAは冷戦から、1960年代のベトナム戦争で捕虜の心身両面の人格破壊をねらった尋問マニュアルを作ったが、南米独裁政権の支援やテロとの闘いにも応用したのだ(A・マッコイ「拷問問題」未訳)。拷問は極秘扱いだが、米国のリアルポリテークの一環だった。

 米国の一流紙が、拷問を合法化したブッシュ政権幹部の刑事訴追を社説で主張している。ナチスの秘密警察という暗い過去を持ち、今回は自国民がCIAに拉致・拷問されたドイツでも同じ動きがある。」とも教えてくれる。

 最後に筆者は、「日本の憲兵隊や特高の拷問は小林多喜二の作品などで知られるが、戦後誰がどう責任を取るべきだったのか、日本人は無関心と沈黙を守っている。」と、締めくくった。

 読んで、いくつか考えるヒントを得た。

 「米国の上院では、CIAの拷問に関する報告書要約版が発表された」とのことは、アメリカでは三権分立は立派に生きているようだ。

 また、「米国の一流誌が、拷問を合法化したブッシュ政権の元幹部の刑事訴追を社説で主張している」とのことは、マスコミが権力と対等に闘う姿勢があるようだ。

 それを知るにつけ、日本には世界に誇る「日本国憲法」があるが、マスコミも国民も十分に生かし切れていないような気がした。そして「平和憲法を国内にも現在にも」深める必要性を感じた。


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by sasakitosio | 2014-12-26 07:05 | 東京新聞を読んで | Trackback

クリスマス粗閣

12月23日付東京新聞29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「寒風に吹かれて街を歩いていた。剥がれかかったポスターがバタバタやっている。横を向いた安倍さんの度アップ。大きく、「まっすぐ、景気回復」左下に小さく「実感を、その手に」。

 広告社が腕を振るった作品のようだ。」と切り出した。

 つづけて筆者は、「急によみがえった。戦後の読売新聞社争議の立役者だった鈴木東民の妻、ゲルトルート1933年1月、ヒトラーが政権をとる直前、ベルリンでの思い出。 公園のベンチに座っていた失業者が、仲間の一人にこういっていた。

 「俺はヒトラーに賛成していない。けれども、もしヒトラーが政権をとるようなことがあったら、失業ってのはなくなるだろう」(拙著「反骨 鈴木東民の生涯」)

 彼女に会ったのは、もう30年も昔のことだ。ベンチに座った失業者の話を聞いたわけではない。それでも妙に情景が心に残っている。」と教えてくれる。

 さらに筆者は、「いま、日本は非正規労働者が約40%。安倍さんが景気を回復させる、というのに期待せざるを得ないほどに、生活が苦しい。

 安倍さんはヒトラーと同じだ、との失礼はいわない。が、まず大企業労働者の賃金を上げようとする手法は似ている。いくばくかの賃金が上がれば、武器輸出、原発再稼働、憲法改悪、戦争経済の一本道も気にかけないほど疲弊している。」と指摘した。

 最後に筆者は、「まっすぐ、景気回復、第惨次内閣」。実害を、その手に、クリスマスプレゼント。」と締めくくった。

 苦みと辛みが効いていて、おもしろい。ヒットラーが「大企業の労働者の賃金を上げようとする手法」を採ったとのことは、初めて知った。ヒットラーについては、若いころ本屋で「ヒットラー」に関係する「本」を片っ端から買ってきて読んだが、あの国家的狂気はなぜ起こったのか、よく分からず仕舞いだ。

 また、安倍総理の演説の調子は、国民を湧き立たせるという点で、とてもヒトラーには及びもつかないところが、日本国民にとって幸運だったような気がするが?

 ただ、為政者が国民に、政治も経済も先に明るい展望を示せない国家・社会情勢の閉塞状態は、似ているような気がするが?


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by sasakitosio | 2014-12-25 07:03 | 東京新聞を読んで | Trackback

12月21日付朝日新聞朝刊1面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、特別編集委員・冨永格氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「今月のはじめの7日間、取材と定期検診のため日本に滞在した。パリの空港で日本の飛行機に乗り込む際、客室乗務員のひと声に意表を突かれた。

「お帰りなさいませ」である。

 そうか、行くのではなく変えるんだと国籍をかみしめた。

 当たり前に意思が伝わる快感は1年ぶりのご褒美だ。地球のどこでも言葉に不自由しない米英人に、この安らぎは分かるまい。

 ひさしぶりに帰って、ああそうだったと思ったことが多々ある。住宅街には枯れ葉しか落ちていない。深い地下鉄駅では上りエスカレーターに整然と列が伸びる。空港の職員や店員に私語が少ない等々。それら「帰国して思い出したこと」を、会社の公式ツイッターでつづけてつぶやいた。出国の成田で記した47番目は、まとめを兼ねて「まだ捨てたもんじゃない日本」とした。

 多少の欧州ボケはあろうが、正直な感想、そして願望である。そこそこの国にいつでも帰れる安心感は、海外で暮らす者の心の支えなのだ。

 フランスにもどって飛行機を出る私の背を、弾んだ声がどんと押した。

 「行ってらっしゃいませ」」と教えてくれる。

 つづけて筆者は、「パリに帰・・・いや再び赴いて「横から目線」で日本を眺め直す。経済力、生活水準、民度に比べ、いかんせん政治が見劣りする。女性議員の少なさをはじめ、成熟には程遠い。衆院選で、その将来がいよいよ心配になった。

 投票率は52%台に沈み、前回に続き戦後最低を更新した。関心が薄いのか、選択肢が足りなかったのか、二人に一人の有権者が投票権を捨てた。半分の参政と、巨大与党の取り合わせ、緊張感のある政治はしばらく望めまい。

 低投票率には、構造的な理由が二つあるように思う。

 まずプレーヤー、政党と政治家だ。政策や路線でまとまっていないから、下野でタガが外れると離合集散の繰り返し。愛層も尽きる。僭越ながら公明、共産以外も主張ごとに固まってほしいし、環境政党があってもいい。野党は1年半後の参院選までに整理整頓しないと勝ち目がない。

 自民のリベラル勢が主張の近い野党に合流すれば、すっきりする。

 投票の足が鈍る原因はルール、選挙制度にもある。政界を二大政党制に再編すべく導入された小選挙区制だが、死票の山で第一党が太るだけでは投票のかいがない。今回の自民は議席の61%を占めた。安倍晋三首相は「国民の意思だ」と胸を張るけど、全有権者に対する絶対得票数は小選挙区で24%、比例区で17%ほどだ。

 いっそ完全比例代表制にすれば一票の格差もなくなる。ためしに、各党の自力に近い比例区での得票率で全議席を分けると、自民157、民主87、維新75、公明65、共産54、その他37。国民の意思は正味、この辺りにある。

 政策や路線ごとにまとまる党が、民意を映すルールの下で競い、必要に応じて手を結ぶ。この原点に返れば投票率は上がり、議会政治は生き返る。」と指摘した。

最後に筆者は、「若者が政治に白けた国では、次代のための策が後回しにされがちだ。どなたの至言だったか、政治に無関心でいられても、無関係ではいられない。

 仕事は安定せず、結婚もままならない。親世代の借金まで抱えては、礼節や共助に心割く余裕はなく、社会は底辺からすさんで行く。すでにヘイトスピーチに荒廃の兆しが見える。誇るべき都市の治安も揺らぐだろう。

 日本の魅力は、変化にとんだ国土、めりはりの利いた四季、そこに暮らす人々の織り成す共同作品だ。

 勤勉、穏やか、おもてなしといった良き伝統も生活の安定があればこそ。その環境を整えるのが為政者の役どころとなる。繰り返しになるが、幸せの土台である政治の成熟をいそがねばならない。

 わたしが大好きなのは、心優しき人々が平和に暮らす日本である。いつまでも「帰りたい国」であってほしい。」と締めくくった。

 「・・国籍をかみしめた。当たり前に意思が伝わる快感は1年ぶりのご褒美だ。」、「そこそこの国にいつでも帰れる安心感は、海外で暮らす者の心の支えなのだ」であらわされた筆者の感覚に、若々しさ、みずみずしさを感じさせられた

 筆者は低投票率の構造的理由を二つ、一つは政党と政治家、一つは選挙制度を上げ、政党のまとまりで公明党と共産党を評価し、選挙制度で完全比例代表制を提案されている。

 さて、筆者の「横から目線」、ならぬ「下から目線」で、公明党と共産党のまとまりの良さ、縛りの強さは、党を抜けた「元同志」への容赦にない酷い仕打ちを「過去にみて」、ここにあるかと自分で納得したことを思い出した。そのとき、この政党が「野党」でいる時はよいが、政権党になってもらっては、被支配者はたまったもんじゃないと思った。憲法で結社の自由があるわけだから、やはり野におけレンゲソウであって、被支配者の幸せに役立って、ほしいと思った事がある。

 人間、いつでも、どこでも、自由で居たい、その願望を否定するような「団体」は、理由のいかんを問わず、やはり権力の座につかない方が、被支配者・下から目線の者には幸せのような気がするが?

 また、選挙制度の改革については、できたら限りなく直接民主制に近いものにしてほしい。選挙を完全公営化し「誰でも。お金がなくても、有名でなくても、志さえあれば」、立候補でき、落選後も「現職復帰」を制度的に保障し、立候補の自由の拡大、落選のリスクの解消をはかり、政界へ優れた人材が集まるようにできないものか?


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by sasakitosio | 2014-12-24 06:58 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 12月21日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」と言う欄がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は「「この道しかない」。先週の総選挙に向けて。安倍首相が盛んにこういっていた。この言い方を聞いて、筆者はただちに「ティーナ」を思い出した。ティ‐ナはTINAと書く。例えばクリスティ-ナなどという女性の名前を愛称的に略すとティ‐ナとなる。だがこの場合のTINAには別の意味がある。それは、Tuere is no alternativeすなわち。「選択肢はほかにない」というわけだ。かって、ミセス・ティ‐ナと呼ばれた人がいる。その人は、かのマーガレット・サッチャー元英国首相だ。泣く子もだまる鉄の宰相である。まさしく「これしかない」とばかりに「サッチャリズム」を振りかざして国有企業と巨大労組をつぶしにかかった。

 異論に聞く耳を持たず、視野はどんどん狭窄化する。「この道しかない」を連呼する時の安倍首相の表情が、往年のミセス・ティ-ナの目の座り方に重なるなぁ。そう思っていたら、実はチーム・アベの中でも、ティ‐ナは意識されてきたらしい。ネットで見れば、竹中平蔵氏(政府の産業競争力会議メンバー、慶応大教授)が「アベノミクスはティーナである」と述べられている。」と教えてくれる。

 つづけて筆者は、「「この道しかない」。この思いつめた感じが、何とも危うい。政策とはそういうものか。本当にこれでいいのか。この道が通行止めになったらどうするのか。思い込みが激し過ぎると、政治家は、次第に自分が政策責任者であることを忘れる。自分の思いを遂げるために、政策があるような錯覚に陥る。これは危険だ。政策のために政治家がいる。政治家のために政策があるのではない。

 ここを見誤るようになると、政治家は必ず目つきがおかしくなる。ミセス・サッチャーがまさにそうだった。サッチャーンさんは、デビュー当初から確かに信念の人だった。だが、その信念の背後には、小さき者たちに代わっての怒りと危機感があった。

 大企業と大労組に挟まれて、全国津々浦々の中小零細商工業者たちが、どんどん肩身が狭くなっていく。この状況を何とかしたい。その思いに駆られていたころの彼女も概してミセス・ティーナ化しつつあった。だが、その眼は決然と澄んでいた。ところが、政権が長引く中で、ミセス・ティーナの目はだんだん奇妙な光を発するようになった。らんらんとしてきた。それなのに、どこか、どんよりしている。目の前の現実は見えていない。みえているのは、自分の妄念がつくりだした幻想ばかり。国民のために「この道しかない」のではない。自分がいっているから、「この道しかない」。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「ところで、ミセス・ティーナの命名者は保守党内の反サッチャー派の重鎮だった。彼らをサッチャーさんは「ウェッツ(WETS)」と呼んだ。ウェットなやつら、すなわち、すなわち軟弱者どもの意である。そういわれた彼らが、負けじとばかり、サッチャー派を「ドライズ(DRIES)と称した。あんなに身もふたもなくドライでは、みんな干上がる。そういうニュアンスだ。

 ちなみに、ウェットとドライには別の意味もある。酒が飲めるか、飲めないか。禁酒国のことを「あの国はドライだ」という。ドライと筆者は相性が悪い。」と締めくくった。

 読んで面白かった。記憶にある歴史上の人物「サッチャー」と安倍首相を比較した辺りは、筆者の広い教養を感じた。

 中でも、筆者の「思い込みが激しすぎると、政治家は、次第に自分が政策責任者であることを忘れる。」のくだり、「・・だが、その眼は決然と澄んでいた。ところが、政権が長引く中で、ミセス・ティーナの目はだんだん奇妙な光を発するようになった。らんらんとしてきた。それなのにどんよりしている。」のくだりは、これからの安倍首相・政権のウオッチャーとしては、大切な目の付け所になりそうだ?

 


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by sasakitosio | 2014-12-23 06:21 | 東京新聞を読んで | Trackback

政治的詐欺

12月21日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は法政大教授・山口二郎氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「衆院選は自民党大勝という結果となり、形の上では安倍政権が国民の信を得たことになる。案の定というべきか、安倍政権は選挙戦中ほとんど議論しなかった憲法改正などのテーマを含めて、自民党の政策は国民の支持を得たと称している。

 そして、原発再稼働に向けて原子力規制委員会は、高浜原発が規制基準をクリアしているとの審査書を了承した。経済界に向けては、来春に賃上げをするよう要請する一方で、介護費用を抑制するため事業者の報酬を引き下げる方針が示された。また、子育て世帯向けの給付金も来年度は休止したいという方針も明らかにされた。」と教えてくれる。

 つづけて筆者は、「選挙期間中は、安倍晋三首相も自民党も猫をかぶっていただけである。選挙が終われば何をやっても大丈夫と、開き直っている。多少は世論の反発を受けるかもしれないが、次の選挙まで覚えている人などいないと、高をくくっている。

 要するに国民はなめられているのである。その意味で今の為政者は、詐欺師同然である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「選挙後の世論調査で、安倍政権に反対だが、野党にはもっと期待できないという民意が明らかになった。しかし、誰がやっても同じと言うわけではない。選挙で白紙委任を手にいれたのち、国民を痛めつける政策を展開する政治家を選んだことに人々が気付けば、政治の流れも変わるだろう。」と締めくくった。

 筆者の「今の為政者は詐欺師同然である」との指摘は、面白い。ただ、この種の詐欺は、多くの場合、行為者に人をだましているという自覚がない。もっと手に負えないのは、だまされた当事者に自覚・や怒りが生まれにくいということだ。

個人間の約束と違い、その口約(公約)違反に、怒りよりも「呆れ」が先に沸くようだ。かくして、詐欺師が為政者になったのか、為政者が詐欺師になったのか、不思議な世の中が続く。気付け薬は、筆者指摘の「国民を痛めつける政策」かもしれないのが残念だ。 


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by sasakitosio | 2014-12-22 06:38 | 東京新聞を読んで | Trackback

イスラムの教えに背く

12月18日付東京新聞社説に、「学校襲撃 イスラム教の教えに背く」の見出しで、パキスタンのイスラム武装勢力の学校襲撃のことが載った。 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「パキスタンのイスラム武装勢力が学校を襲撃し、多数の児童、生徒が犠牲になった。ノーベル平和賞を受賞したマララさんを2年前に襲撃したのと同じ組織。子どもまで敵に回すつもりなのか。

 武装勢力「パキスタンのタリバン運動」のメンバーが北西部ペシャワールで軍が運営する小、中,高の一貫校を襲撃し、銃を乱射した。140人以上が死亡し、多くは十代だった。

 タリバン運動はここ数年、テロを繰り返し、政府軍は鎮圧作戦を展開する。犯行声明を出し、「政府がわれわれの家族を攻撃しているので、軍の学校を標的にした」と主張した。

 両者の対立は2001年、米軍のアフガニスタンでの対テロ作戦にさかのぼる。パキスタンは米側の補給基地になり、作戦にも一部加わった。国境地帯では住民が巻き添えになることも多く、反米感情が高まり、タリバン系組織の台頭につながった。」と教えてくれる。

 つづけて社説は、「学校を標的にしたのはあまりに卑劣だ。同じ名前を持ち、やはりテロ続けるアフガンの旧支配勢力タリバンですら今回の犯行を「イスラムの基本に反する」と非難声明をだしたほどだ。

 国際社会が懸念するのは、タリバン運動がイスラム法を極端に解釈し、欧米型の価値観と教育を敵視することだ。同様な思想は、シリアとイラクで勢力を伸ばすイスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」にもみられる。

 タリバン運動は12年、ペシャワル近郊で下校途中の少女マララ・ユスフザイさんを銃撃して重傷を負わせた。「女子にも教育の機会を」と訴えたのを、暴力で黙らせようとしたのだ。

 子ども達の健康も脅かす。パキスタン北西部ではポリオ予防接種の実施率がとても低い。「敵対勢力が忍び込む」などと接種を妨げている。

 こんな主張は宗教の教義をひどくゆがめている。イスラムの教えを学びながら、外国語やITを習得するのは、若い世代に必要なことだ。過激派は学ぶ権利を奪ってはならない。国際社会もマララさんの平和賞をたたえ、子どもの権利拡大を支える。」と指摘した。

 最後に社説は、「日本政府や非政府組織(NGO)はパキスタンやアフガンで学校建設や教育資材を支援している。

 子ども達が読み書きを覚え新しい知識を吸収すれば、就職の機会も増える。それが貧困から脱却し、テロの温床をなくす道だ。息の長い支援をつづけたい。」と締めくくった。

コーランを熟読もしていないので、「イスラムの基本に反する」と言われれば、そうだろうなと言う程度の理解だが、パキスタン政府の統治能力に問題があるのか、テロは事前に防ぐのは難しいということなのか?どうみても、行為の結果は、犯罪以外の何ものでもない。加害者を殺害しないで逮捕して裁判にかけて、その動機の徹底解明も、テロ防止には必要なような気がした。

 まずなによりも、国が戦争を放棄し、国民が武器を持たないことが、テロをなくす第一歩ではないか?

 また、日本の平和憲法は、テロという「人間社会に巣くうウイルス」に対する、「平和と繁栄のワクチン」になるのではないか?日本国家も、国民も「平和憲法を世界へ未来へ」広げ、世界の人類が平和で心豊かにくらせる道づくりに「貢献」できないものか? 


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by sasakitosio | 2014-12-21 07:09 | 東京新聞を読んで | Trackback

この道しかない

12月19日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「これから書くのは、現在の日本の出来事ではない。筆者が、外務省の研修生としてモスクワで生活し始めた1988年秋のことだ。

 ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が権力の座について、約三年が経っていた。ペレストロイカ(改革)について、「どうもこのままではソ連経済は向上しないのではないか」という国民の不安が生じ始めていた。

 その時ソ連共産党は「この道しかない(イノーヴォ・ニ・ダノー)というスローガンを掲げた。テレビ、ラジオは「改革のためには、この道しかない」とがなり立てていた。

 ソ連共産党中央委員会機関紙「プラウダ」も連日「この道しかない」というキャンペーンを展開した。また、ゴルバチョフ政権を支持する有識者たちが「この道しかない」という論文集を出し、この本が町中にあふれた。」と教えてくれる。

さらに筆者は、「今になって振り返ると、このあたりからソ連のペレストロイカ路線はおかしくなってきた。なぜなら、複数の考え方、複数の選択を認め、社会を活性化していこうとすることでソ連社会を活性化させるという発想とソ連共産党が「この道しかない」という路線を国民におしつけることが矛盾していたからだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「そして「この道しかない」というスローガンが掲げられてから三年後の1991年12月にソ連国家は崩壊した。」と締めくくった。

 読んで、改めてソ連崩壊の映像を思い出した。1985年のソ連国家崩壊前に、社会主義・アジア人・仏教の北限の三つのテーマで、ブリアート自治共和国の首都ウランウデ、イルクーツク、ハバロフスクをたずね、抑留者の墓参もしてきた。

また、ソ連国家崩壊後、ソ連の経済危機のときモスクワ一人旅をしてきた。ソ連国家崩壊がさして混乱もなくなされ、ロシアが誕生したことに驚いた。帰国後に、モスクワで爆破事件があった。

 筆者の「「この道しかない」というスローガンが掲げられてから3年後にソ連国家は崩壊した」との指摘は、考える刺激になった。「この道しかない」という「この道が」が、質的に高度で、懐的に広く深く、歴史的に先見性がある場合は長持ちするが、為政者の自己保身に基づく能力の限界から出たものであれば長持ちするはずがないのではないかと思った。

 はてさて、日本における「この道しかない」は、何れの道であったか?


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by sasakitosio | 2014-12-20 07:04 | 東京新聞を読んで | Trackback

12月19日(金)、快晴、寒し、霜降り霜柱立つ、人あり。

毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園7時15分。霜柱を踏みながら、公園を抜けて、大堀川河口へ。今日はカモメなし。

 柏下の水路沿いの草原を歩き、機場の林で、ヒヨドリの声を聞きながら、もも上げ体操。

 戸張下の水路沿いの草原を歩き、ひどり橋へ。途中、小綬鶏が走り飛ぶ。

 枯芝や田圃に降りた霜は白く、粉をまいたようだ。陽は東の空低くに輝く。陽の恩で、草原の霜が溶け、枯れた芝生に玉の露を結ぶ。無数の露が、金銀砂子と輝く。歩くたびに先へ先へと、輝く色を変化させながら続く。

 ひどり橋近く、大津川からの樋管の田圃側の出口、壁にカワセミが一羽止まっていた。釣り人が風除けにつくった畳表の囲のため、近づき、飛び立つまで、カワセミに気付かなかった。

 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。

 帰路も、水路沿いの草原を歩く。


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by sasakitosio | 2014-12-19 13:24 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

統治される者の沈黙

12月18日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「今回の衆院選の自民党の得票率は有権者の約25%だという。消去法で与党へ投票した人や政治状況への抗議を棄権で示した人と、圧勝した現政権の間には、低投票率や低得率では片づけられない深刻なズレがある。

 基地問題で明確な意思を示した沖縄を別にすれば、非正規雇用・原発・集団的自衛権・アベノミクスへの不満や批判は、漠とした景気回復の期待や生活者の諦念に吸収された形になった。政権の権力基盤は統治される国民の沈黙にある。」と指摘した。

 つづけて筆者は、「だが、安倍政権はデフレ脱却に失敗すればもう後がない。マイナス成長、実質賃金下落、消費の不振、企業の景況感悪化は不吉な予兆だ。

 内外の投機家がはやし立てる農業・医療・雇用の規制緩和が、国民の生活と命に牙を向け始めて国民がそっぽを向けば、成長戦略も壁にぶつかる。

 株のバブル崩壊、日銀の信認失墜、原発事故、基地をめぐる対立の先鋭化等の蓋然性も無視できない。現政権は経済で行き詰まれば下からのファシズムに呼応して国家主義の冒険に乗り出すはずだ。」と疑念を呈した。

 最後に筆者は、「米国では、格差拡大、戦争継続、捕虜の拷問、黒人差別等の問題でアメリカとは何かというソウル・サーチング(自己省察)が始まった。日本人は、原発や非正規差別や沖縄の犠牲に関していつまで沈黙を続けるのか。」と締めくくった。 

 筆者の「政権の権力基盤は統治される国民の沈黙にある」という指摘は、考えるヒントを与えてくれる。国民の沈黙を「同意」と取るか?国民の沈黙を「否認」・「絶望」・「放任」・「雌伏」と取るか?それは、自由だ。どれを取るかによって、立ち位置が分かるような気がする。

 「マイナス成長、実質賃金低下、消費の不振等」で、安倍内閣のデフレからの脱却は、景気回復にはつながらないような気がする。ここは一つ、筆者を含め「日本の知識人」の中から、被支配者の暮らしを豊かにする「デフレからの脱却論」の思想と、その実現に向けた「戦略・戦術論」を、一日も早く発表してくれる「知の巨人」の出現を期待したい。


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by sasakitosio | 2014-12-19 06:56 | 東京新聞を読んで | Trackback

 12月18日(木)、快晴。寒い風強し、水路に草原の水たまりに氷り張る。人あり。

 毎朝の手賀沼散歩。入りの柏公園7時15分。陽はキラキラ輝く。今年一番の寒さ。霜柱は砕けず、草原も土も、石がごろごろあるような靴の感触であった。

 公園を抜けて、大堀川の河口へ。土手の上から見ると、中ノ洲にカモメが沢山いた。数えはじめたら、おおよそ半分が舞い上がり、餌を求めて、寄ってきた。着地を待って数えたら、55羽まで数えられた。

 柏下の水路沿いのくさはらを歩く。草原に水たまりが3か所残っていたが、それの全部にかなり厚い氷が張っていた。久しぶりに氷の上を歩いて、氷の割れるバリバリの音を楽しむ。いつも遭うご婦人3人に声を掛けられた。

 機場の林で、ヒヨドリの声を聞きながら、もも上げ体操。

 戸張下の水路沿いのくさはらを歩く。休耕田の枯れすすき、枯れ葦の原が、焼かれ、ここ数日焼けた炭のにおいがする。

ヒドリ橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。

 帰路も、戸張下、柏下の水路沿いのくさはらを歩いて公園へ。


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by sasakitosio | 2014-12-18 17:04 | Trackback