憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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11月30日(日)、晴れ。

6時40分に柏公園に入り、いつものルートを歩き、運動してきた。今日は天気が良かったので、朝の散歩のときから、東京国立博物館で、金印を見に出かけるつもりでいた。

 家に帰って、朝食後すぐに出発。柏駅から9時30分の快速上野行きに乗れた。博物館には10時過ぎに着いたが、入り口の案内者の話では、入場110分待ちとのことであった。

22日は80分待ちで、後の予定があったため、入場券を買わずに退散。24日は12時ごろ上野について、旅行帰りで荷物が沢山有ったので、コインロッカーの空を探したが、見事に一個も空いていなかった。そこで、駅で入場を断念。

 今日は、満を持して、いかなる事態でも金印を見て帰る決意で臨んだ。しかし、110分待ちはさすが、待てるか自分自身が心配になった。一目3000人、ひょとしたら5000人が待っていたのかもしれない。自分より年よりそうな人はほとんどなく、30代、40代、50代、が大半だった。

 110分の間、ほとんど誰も列から離れなかったのにも驚いた。

 昨日のテレビでも放映されたそうだが、それにしても、国宝を見るのに長蛇の列をつくり、110分も入場を待つ人々の「文化への熱意(?)」には感心した。

 待つ時間の間、後ろに並んだ30代の男女と話が弾んで、彼らも話していたが、「話をしていたので、アッという間に110分」が過ぎた。

 入場したら、すぐに、「金印」の展示してある「第二展示室」へ。金印は、会場中央のアクリルのケースの台の上に展示してあった。人が並んでいる。金印を順番に見るためだ。立ち止まらないで下さいという案内人の声が響いていたので、まずは外側なら、立ち止まってゆっくり観察。その後、並んで、ケースに顔を近づけて、上から、下から、右から、左から、丁寧に見てきた。福岡市へ行く機会があったら、この金印と、日本号をぜひ見たいと思っていたが、今日、金印が見れて念願が一つかなった。

 ただ実物を見て、その小ささに驚いた。

 漢は大帝国なのに、この金印の小ささは、漢の皇帝が極めてケチだったのか?

 それとも、日本がよほど小さく見られたていたのか?本物(?)を実際に見た後で、新たに疑問がわいてきた。

 


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by sasakitosio | 2014-11-30 19:28 | 今日の感動 | Trackback

侮辱の中で

 11月25日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

まず筆者は、「何回目かの「さよなら原発」集会で、大江健三郎さんが「侮辱」という言葉で政府を批判した。

 これは86年前、戦前に中野重治が雑誌に発表した短編小説「春先の風」で、女主人公が「わたしらは侮辱の中に生きています」と書いた手紙の最後の一行である。

 家族3人、夫の政治活動が理由で彼女は留置場に拘引され、赤ん坊が病気で急死する。そのあと外に出された妻が、拘置所にいる夫に書いた手紙の一節である。」と切り出した。

 つづけて筆者は、「戦前、戦中の日本は警察国家で、警察の横暴が甚だしかった。思想や表現の自由がなかった。いまなお福島の原発が連続爆発し、世論が急速に脱原発に代わっても安倍政権はどこ吹く風。こころを傷める風はない。その横暴を大江さんは、戦前の圧政時代の小説をかりて「侮辱」と表現した。

 その言葉がいま、悪政と向き合っている。首相は「アベノミクス解散」などと、やに下がっているが、夜盗の抜けがけのようでセコイ。目的のためには手段を選ばない。

 自党の新人議員が落選しても、自分の権力を固めようという酷薄非情には目を瞠るばかりだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「もう新基地建設はやめてくれ、と沖縄がいっても、原発も戦争ももういやだ、いのちを大事にしよう、と日本中がいっても聞く耳をもたない。これでも日本は民主主義国家なのか。きっと、「アベノミス解散」になるぞ。」と締めくくった。

 「侮辱」という言葉は、自分的には「発信」は絶対しないが、「受信」もしたくない言葉だ。が、他人の存在や思想や信条を無視できるのは、無視された「相手から見れば」それは「侮辱」と映るかもしれないと思った。ただ、このところ報道を通して伝わる「首相の言葉」には、国民を同質・同等とみていない節がある。ここは、政権交代の絶好のタイミングだと思うが、世間は至って静かだ。この静かさが、何を意味しているのか。怖い気もする。


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by sasakitosio | 2014-11-30 08:09 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月29日(土)、曇り、人あり。

 入りの柏公園6時25分、ヒヨドリ騒ぎ、カラス鳴く。

ケヤキの並木は、一斉に枯れ葉がつもり、ふかふかの茶色いジュウタンだ。ケヤキの上で、モズが尻尾をくるくる回しながら、盛んに囀る。木の下で手を振っても逃げない。

 公園を抜けて、大堀川河口へ。川岸を歩く。岸から魚が水音をたてて逃げる。ダイサギ一羽、鴨数羽。

 柏下の水路沿いのくさはらを歩き、機場の林のくさはらを通り、戸張側の機場の林で、モズの囀りを聞きながら、もも上げ体操。

 戸張下のくさはらを歩く。沼の樹の天辺でまたモズが鳴く。休耕田のアシ原の横で、水路壁からカワセミがひどり橋のほうへ、水路上を低く飛んで姿を消した。

 ひどり橋近くの水路の土手に、スイセンが咲いている場所がある。一本に一輪、二輪、また三輪、ざっと数えたら80輪余り。開花を待つ蕾も同じ数ほどある。その先には、彼岸花の葉っぱが地下に球根を蓄えて、来年の花の準備をしている。

 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。

 帰路も、草原を選んで歩く。草原は、足腰に実に優しい。酷い腰痛を患い、整形外科でもなかなか治らなかったが、草原を歩きはじめて3か月、楽になり。6カ月で、完治。その後、足掛け14年、ほとんど毎日、草原や畔道を選んで歩いている。帰路、水路壁から、カワセミが田圃がわへ飛んで見えなくなった。 


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by sasakitosio | 2014-11-29 19:22 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

11月22日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。

 筆者は、編集委員・上田俊英氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした

 まず筆者は、「福島県の再生可能エネルギー導入推進連絡会の専門部会(部会長=横山隆一・早稲田大学大学院教授)が18日、東京都内にあった。電力会社に再生可能エネルギーの受け入れを再開させるための提言づくりを10月末から急ピッチですすめている。

 北海道、東北、四国、九州、沖縄の5電力は9月末、再生可能エネルギーの受け入れ中断を相次いで発表した。今のペースで導入が進めば「供給力が需要を大幅に超える可能性がある」などと言うのが理由だ。

 そんな電力会社の主張に、福島県は部会で真っ向から反論した。

 「まだ事件が起こってないのに量刑を論じているようなもの。再生可能エネルギー事業を着実にすすめている人たちが閉め出される懸念がある」。佐々木秀三・県エネルギー課長はそう訴えた。

 福島県内に電気を供給する東北電力の場合、経済産業省が固定価格買い取り制度(FIT)の認定をした太陽光発電設備は5月末現在で1073万キロワット。電気を一番使わない5月の平日の需要は970万キロワットというから、すべての設備が稼働すれば需要は拮抗するように見える。

 しかし、それは数字の上のことだ。

 そもそも太陽光は夜間は発電できず、昼間の発電量も天候に左右される。東北電力管内の東北・新潟の7県全域がずっと晴天で、風も全域で強くて風力発電がフル稼働するといった偶然がいくつも重ならないかぎり、電力の供給は需要を上回らない。」と、指摘した。

 つづけて筆者は、「需給の拮抗という「事件」が起こる気配がない理由はほかにもある。FITの認定設備の現実である。

 福島県内には太陽光発電の認定設備が7月末現在で441万キロワットある。47都道府県で最も多い。しかし、運転を始めたのは、21万キロワットで5%にも満たない。

 たとえば福島市には大規模な太陽光発電の認定設備が16ありながら、建設計画はひとつも動いていない。

 16設備の平均出力は4万キロワット。これほど大規模な設備をつくるには80ヘクタールくらいの土地が要る。農地転用許可や林地開発許可、環境アセスメントなど様々な手続も必要になる。「なのに県への届け出は1件もない。県が把握している計画はひとつもありません」と佐々木さんは言う。

 小規模の設備も、状況は似たりよったりだ。県南部の西郷村には出力50キロワット未満の設備が3800余りも認定されているが、運転を始めたのは23設備だけだ。

 再生可能エネルギーの買い取り価格は認定された時点で決まり、出力10キロワット以上の太陽光なら20年間変わらない。価格が高いうちに事業の権利だけ確保して、着手するかどうかはわからない。そんな「空押さえ」が全県下に広がっている。

 一方で東京電力福島第一原発がある双葉町と大熊町に認定設備はゼロ。全町民が避難し、帰還のめどがたっていないからだろう。

 福島復興再生特別措置法は「国は原子力災害からの福島の復興及び再生に関する国の施策として、再生可能エネルギーの開発及び導入のために必要な財政上の措置、エネルギーの供給源の多様化のため必要な財政上の措置その他の措置を講ずる」と定めているが、両町は復興・再生への取り組みを前に「門」を閉ざされた。」と教えてくれる。

 さらに筆者によれば、「「部会は18日に国と電力会社への提言案を示した。

 「政府と電力会社は事業が滞っている業者を排除して「空押さえ」を解消し、後発の業者を受け入れる余地を創設すべきだ」

「原発事故で使わなくなった東京電力の送電網を活用すべきだ。」―――。

 今月中に提言をまとめ、県は関係省庁と電力会社に早急な対応を求める。

 また、「福島県喜多方市で10月26日、雄国太陽光発電所(出力1千キロワット)の完工式があった。エネルギーの地産地消を目指して、昨年設立された会津電力(佐藤弥右衛門社長が初めて建設したメガ・ソーラーだ。同社のグループは年内にでは全部で2540キロワットの太陽光発電を始める。

 来年度はさらに事業を拡大するはずだった。東北電力の受け売れ中断で計画の大半が宙に浮いたが、電力側の対応を待っていては前に進めない。中断対象外の50キロワット未満の小規模設備を増やして事業を少しでも拡大できないかと、市町村など用地の提供など働きかける。

 猪苗代湖から会津若松市へ水を引く戸ノ口堰。

ここで小水力発電をはじめようという戸ノ口土地改良区の取り組みは、9月のコラムで紹介した。理事長の佐藤鉄幸さんを再訪すると、「やめるわけにはいかない。職員も一人増やすことにした」。

 小水力も受け入れ中断が続くが、認定設備は極めて少なく、経産省は地熱発電などとともに新規の受け入れを優遇する方針を示した。事業に共同で取り組むアサノ大成基礎エンジニアリング(東京)の地盤コンサルテング事業部長で、戸ノ口堰小水力発電の社長でもある遠藤一郎さんは「計画は粛々とすすめる。2016年度に東北電力への売電を始めたい」。

 地産地消を目指す歩みは止まらない。」と、締めくくった。

 読んで、被災地を抱える福島県の取り組みの本気度が伝わってきた記事であった。

 5電力の9月末、再生可能エネルギーの受け入れ中断発表の理由について、福島県は部会で真っ向から「まだ事件が起こっていないのに量刑を論じているようなもの、再生可能エネルギー事業を着実に進めている人たちが閉め出される懸念がある」と反論したとのこと。胸がスカッとした。

 また「福島県内に電気を供給する東北電力の場合、経済産業省が固定価格買い取り制度(FIT)の認定をした太陽光発電設備は5月末現在で1073万キロワット。」、

 「福島県内には太陽光発電設備が7月現在で441万キロワットある。47都道府県で最も多い。しかし、運転を始めたのは21万キロワットで5%にみたない。」、

 「福島市には大規模な太陽光発電の認定設備が16ありながら、建設計画は一つも動いていない。16設備の平均出力は4万キロワット」、

 「小規模の設備も、状況は似たり寄ったりだ。県南部の西郷村には出力50キロワット未満の設備が3800余りも認定されているが、運転を始めたのは23設備だけだ」、等、被災地の意気込みが感じられた。

 また、筆者によれば「部会は18日に国と電力会社への提言案を示した。「政府と電力会社は事業が滞っている業者を排除して「空押さえ」を解消し、後発の業者を受け入れる余地を創出すべきだ」、「原発事故で使われなくなった東京電力の送電網を活用すべき」ーーー。今月中に提言をまとめ、県は関係省庁と電力会社に早急な対応を求める。」、とのこと。

さらに、筆者はによれば「福島県喜多方市で10月29日、雄国太陽光発電所(出力1千キロワットの完工式があった。…同社のグループは年内に全部で2540キロワットの太陽光発電を始める」とのこと。

地産地消を目指す歩みは止まらないと、筆者はむすんだが、

 福島復興再生特別措置法は「国は、原子力災害からの福島の復興及び再生に関する国の施策として、再生可能エネルギーの開発及び導入のため必要な財政上の措置を講ずる」と定めているとのこと。

 この法律をてこに、地産地消を目指し、福島から再生可能エネルギー関連の産業が起き、全国に広がることを期待し、祈りたい。 


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by sasakitosio | 2014-11-29 18:02 | 朝日新聞を読んで | Trackback

11月22日付朝日新聞社説に、「安倍政治への審判 有権者から立てる問い」の見出しで、衆院選のことが載った。

 今日はこの社説に学ぶことにした。

まず社説は、「衆議院が解散された。総選挙の公示は12月2日、投開票は14日に決まった。

 私たちはこれまで社説で、安倍首相による今回の解散に疑問を投げかけてきた。

 首相は昨日の記者会見で、こう語った。 

「アベノミクス解散だ。消費税引き上げを18カ月延期し、税制に重大な変更を行った以上、選挙をしなければならないと考えている。」

 また、「代表なくして課税なし」という米独立戦争で語られた民主主義と税との関係も引き、「大義」を強調していた。

 だが、透けて見えるのは「いまなら負けない」と言う打算。

 長期政権を狙う首相自身のための選挙との色合いが濃い。

 とはいえ、解散となったからには、有権者がなすべきことはひとつだ。主権者として一票を行使する。その判断のもととなる問いかけを、政党指導者や候補者にぶつけていく。

 菅官房長官は「何を問うか問わないかは、政権が決める」と言い放った。それは審判を受ける側の身勝手な理屈、あるいは逃げに過ぎない。決めるのは有権者だ。」と切り出した。

 つづけて社説は、「安倍首相の消費増税の延期と2年間の経済政策への評価は大切な論点である。そこはこれからじっくりと論じていきたいが、まず問われるべきなのは、首相の政治姿勢だ。

 昨夏の参院選を経て、衆院で3分の2、参院で半数を超える与党勢力を得た安倍政権には、数を頼みの姿勢が著しい。

 その典型は、自らの権力に対する「縛り」となっている憲法への態度である。

 首相に返り咲いた直後の13年の通常国会で、安倍氏は「憲法を国民の手に取り戻す」と改憲手続を定めた96条の改正を唱えた。憲法改正案の発議に必要な議員の賛成を、3分の2以上から過半数に改めるという内容だ。

 だが、憲法で権力を縛る立憲主義に反するとの理解が広まると、首相は96条改正にはほとんど触れなくなった。

かわりに進めたのが、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認である。首相は今年7月、私的懇談会の報告からわずか1か月半後、与党協議をへただけで行使容認の閣議決定に踏み切った。

 来月に迫った特定秘密保護法の施行も、憲法に基づく報道の自由や知る権利を侵しかねないとの懸念を押し切っての、強行採決の結果である。

 首相が長期政権を確保したうえで見すえているのが、憲法の明文改正だ。自民党は、再来年夏の参院選の前後に改正案を発議できるよう、準備をはじめようとしている。

 もう一つの大きな問いは、安倍政権の「原発回帰」への動きである。

 原子力規制委員会の審査と鹿児島県などの同意を得た九州電力の川内原発は、近く再稼働する見通しだ。

 民主党時代に起きた福島第一原発の事故を受け、安倍氏も前回の衆院選では「できる限り原発に依存しない社会をつくっていこうと決めている」と語っていた。

 だが政権に就くと安倍氏は「規制委が基準に適合すると認めた原発は再稼働を進める」との方針のもと、過酷事故への備えが不十分なまま、「まずは再稼働」に前のめりである。

 一方で「脱原発依存」への道筋は描かれていない。」と、指摘した。

 さらに社説は、「安倍政権の大きな課題は来年から動き始める。

 集団的自衛権の行使に向けた関連法案は、来年の通常国会に提出する予定だ。川内原発も原子炉が動き出すのは年明けになりそうだ。

 来年はまた、戦後70年の節目の年である。歴史認識や領土をめぐって冷え込んだ中国や韓国との関係では、正常化に向けた道のりはなお遠い。

 安倍政権に対し、欧米も抱き始めた「歴史修正主義」との疑いをぬぐいさり、近隣諸国と和解の握手をかわす8月を迎えることができるかどうか。」と懸念を表した。

 最後に社説は、「朝日新聞の緊急調査に対し、6割を超える有権者が首相の掲げた解散理由には「納得しない」と

答えている。

 だが、ここまで挙げてきたように来月14日の投票は、2年間の安倍政権の評価とともに、日本の「これから」を選ぶ重要な機会になる。そう考えれば、一票の重みもまた格別である。

 こうした問いはまた、野党にも向けられる。

 余りの大敗に茫然自失で時を浪費した民主党、第三極として躍進しながら、分裂や解党に追い込まれた旧日本維新の会やみんなの党。いずれもこの2年、政権を奪うために政策を磨いてきたとは言い難い。

 それでも選択肢がなければこまるのは有権者だ。政党としての責任は、果たしてもらわなければならない。」と締めくくった。

 タナボタみたいな衆議院選挙が始まる。政権の思惑は何であれ、国民の意思を示す絶好なチャンスだ。グローバル化時代における、少子高齢化、格差の拡大、集団的自衛権の行使容認、原発再稼働の是非、特定秘密保護法の廃止、税負担の公平と社会保障の拡充、労働者の権利擁護、等々選択の基準はいくらでもある。そして、政党や議員個人の考え方の是非、も重要な、選挙での選択基準になる。中でも、マスコミの役割は大きい。政党の理念・政策・行動、候補者個人の信条と行動、等をできるだけつまびらかに開示して、有権者の判断の資料を提供してほしい。たとえば、特定秘密保護法への賛否、原発再稼働への賛否、等等。
 社説の、「首相が長期政権を確保したうえで見すえているのが、憲法改正だ」、「もう一つの大きな問いは、安倍政権の「原発回帰」への動きである。」との二つの指摘を考えると、自民党公明党の現政権は、この選挙で変わってほしいと切望する。が、本物の野党は、現有勢力少なく元気もなく、与党に入っていないというだけの「野党政党」は、全く当てにならない。実に困った、現象が起きている。

 今の日本は、ファシズムの霧がたち始めやすい、危うい社会・経済・政治状況のような気がする。 

 

 


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by sasakitosio | 2014-11-29 16:20 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 11月21日付朝日新聞朝刊1面に、「座標軸」と言う欄がある。筆者は論説主幹・大野博人氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「日本の社会のあちこちに亀裂が走っている。

 たとえば16日の沖縄知事選。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する翁長雄志氏は「イデオロギーではなく沖縄のアイデンティティーを大切に」と訴えて当選した。

 沖縄が不当に重いものを背負わされているという異議申し立てだ。しかし、菅儀偉官房長官は移設を「粛々進めていく」と述べた。

 本土と沖縄の深い亀裂がのぞく。

 それだけではない、正規と非正規、年配者と若者、富める者と貧しい者、都市と地方・・・・

 何本もの亀裂を抱えながら、この国は社会保障や原発、集団的自衛権などの難題に取り組まなければならない。誰もが納得する答えはない。人々のつながりが切れていく中で論争すれば「非国民」「売国奴」といった言葉の氾濫も許してしまう。」と切り出した。

 つづけて筆者は、「亀裂に苦しむ社会に、この衆議院解散と総選挙は何ができるだろうか。

「違いを分裂にしてはならない。それに貢献するのが大統領の役割」(オランド仏大統領の就任演説)

 「全ての人々、国民全体の利益のために統治する」(ブレア元英国首相の就任演説)

 多くの国で選ばれた指導者はまず「国民の統合」に心を砕き、亀裂の修復に力を尽くすと誓う。

 選挙戦の間、国民という共同体は異なった立場や意見で割れ、いわば分裂する。けれども、投票で多数派=勝者が決まれば、その結果負けた少数派も「自分たちみんなで決めたことだから」と受け入れる。選挙は国民を一時的に分断し、再び統合するという二つの段階を経て完結する。

 だから、選ばれて政権を委ねられたものは「多数派」だけではなく「すべての」国民の代表としてふるまうことを求められる。対立の克服は困難な仕事だが、意見の違う人々には言葉を尽くして説得に努め、時には譲歩や妥協もしなければならない。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「「見解の相違です」

 今年8月、長崎で被爆者の一人が集団的自衛権に納得できないと話しかけたとき、安倍晋三首相はこう突き放した。この問題では憲法解釈をめぐる国会の論戦でも「(国民の)審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と強調していた。

 重要なのは選挙では多数派になるかどうか。すべての国民を視野に入れれば何も決められない。そんなメッセージに聞こえる。

 だが、負担や痛みをどう公平にわかつか、を決めることこそが政治の重要な仕事になっている今、社会が割れたままでは成果を上げるのは難しいだろう。

 亀裂に乗じてでも多数派を構築しようとする政治家か、亀裂をはらむ民主主義の危機と向き合う政治家か。選挙戦は、国民統合への政治家たちの姿勢を見極める機会になる。」と締めくくった。

 筆者の、「選挙は国民を一時的に分断し、再び統合するという二つの段階を経て完結する。だから、選ばれて政権を委ねられた者は「多数派」だけではなく「すべての」国民の代表としてふるまうことをもとめられる」との指摘は、その通りだと思った。

 その点では、今年8月の長崎での安倍総理の被爆者からの質問に対する回答「見解の相違です」は、驚いた。安倍氏は国民の代表・総理大臣の器でない、と思った。相撲でいえば、横綱相撲でなく、横綱が素人に張り手をくらわせるような、ひどい場面を見た思いがした。

 また、安倍首相の姿勢を、「重要なのは選挙で多数派になるかどうか、すべての国民を視野に入れれば何も決められない。メッセージに聞こえる。」と、筆者は指摘・想像した。 

 上記の指摘・想像を読んで、刺激を受け、一つ考えたことがある。

 それは、選挙で多数を得たことは、正義の保証でもなければ、真実の保証でもなければ、ましてや何しても許されるとい免罪符でもない、ということである。国権の行使を国民から託されただけのことである。

 さらに重要なことは、国民に代わって国権を行使した「人」は、その結果に対し、国民に対し責任を負わなければならないはずではないか?議決に加わるということは、その結果について、国民に責任を自覚しなければいけないのではないか?

 ところが、近いところで、第二次世界大戦の結果の責任について、福島の原発事故の結果の責任について、そこへ導いたこと・悲惨な結果になった事に対し、為政者の指導に従って「命や財産」を失った国民に対し、責任を取った「為政者」は何人いたのだろうか?皆無ではないのか?

 国権を託された人々が、その行使の結果に対し、自ら責任を感じないで済ませられることが、日本における現代民主主義の大きな欠陥のような気がした。


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by sasakitosio | 2014-11-29 15:27 | 朝日新聞を読んで | Trackback

緩慢な暴力

 11月27日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日はこのコラムに学ぶことにした。

 まず筆者は、「半世紀前に出版されたレイチェル・カーソン著「沈黙の春」は環境保護運動の出発点になった作品だ。合成殺虫剤の大量使用による1950年代の米国の生態学的荒廃に切り込み、食物連鎖や生物濃縮の具体例で訴えかけるスタイルは多くの人の心を捉えて、殺虫剤DDTの禁止政策に結実した(最近のDDT再評価は途上国のマラリア対策の窮余の手段、悲劇的選択として理解すべきものだ)。」と切り出した

 つづけて筆者は、「日本では福島原発事故を契機に、化学物質や低線量内部被ばく等の許容値を決め、それ以下は甘受すべきリスクとする見方が主張されているが、盲点が二つある。

 一つは水俣病や原発立地から分かるように、環境汚染の被害や危険が特定の集団や地域に偏る傾向だ。R・ニクソンの近著「緩慢な暴力と貧者の環境主義」(未訳)は、ボパールの産業災害やニジェールデルタの石油採掘、米軍の劣化ウラン弾の例を引いて、環境汚染が後々まで世界の周辺の人びとを苦しめていることを指摘する。

 リスク論の第二の盲点。リスクには確立を定義できる場合とそうでない場合(不確実性)があり、事態そのものが不可知の場合ある。「沈黙の春」は自然への崇敬の念に基づき、不確実性と不可知性を逆手にとって現代ならば予防原則と呼ぶべき立場から傲慢な自然支配の危うさを告発したのだ。」と教えてくれた。

改めて、「食物連鎖や生物濃縮」という言葉と、農薬や工場廃液による環境破壊、健康被害を思い出した。若いころの高度成長期は、同時に環境破壊の時期でもあった。

 確かに、「日本では、福島原発を契機に、化学物質や低線量内部被ばく等の許容値を決め、それ以下は甘受すべきリスクとする見方が主張されている」が、しかし「環境汚染の被害や危険が特定の集団や地域に偏る傾向」とか、「リスクには確立を定義できる場合とそうでない場合(不確実性)があり、事態そのものが不可知の場合もある」とか、問題点があるとの筆者の指摘は、良く理解出来た。

 お蔭さまで、為政者のいう「許容値」をそのまま鵜呑みにしていて「安楽死」への道に進む前に、立ち止まって自分の頭で考えることが出来そうだ。


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by sasakitosio | 2014-11-29 14:27 | 東京新聞を読んで | Trackback

アベノミクス第2弾?

11月20日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という、署名入りの欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「選挙後に安倍政権が継続したものと仮定しよう。何が起きるか。

 まず、先日のGDPショック(消費不振とマイナス成長)で改めて明らかになったアベノミクス破綻の弥縫策として、商品券配布や燃料費補助が行われる。

 犠牲にしてきた庶民や中小企業や農漁業者をバラマキでなだめてから、いよいよ財界はエコノミストらが大合唱で要求してきた成長戦略で権力志向と大ばくちの政権の本領をはっきするだろう。

 すでに日銀への政治的圧力や憲法解釈変更や原発再稼働で試してきた強権手法を本格的に雇用制度や農業や医療の分野で行使し始めるはずだ。」と、警告した。

 つづけて筆者は、「「世界で一番ビジネスをしやすい国」にするために法人税引き下げだけででなく、かねて財界首脳が主張していた解雇自由、解雇の金銭解決、時間外タダ働きが法制化され、企業内失業の中高年から首切りが始まる。

 その穴埋めをするのが、不安定で低賃金の非正規や限定社員の若者だ。農業や医療への株式会社参入も強行されるだろう。4年後には格差が一層拡大し、国民の疲弊の著しい荒涼とした日本社会が出現するはずだ。」とも警告した。

 最後に筆者は、「真に活力ある経済と社会を実現する確かな方法が別にある。無数の草の根ビジネスに依拠して原発から再生可能エネルギーへの全面転換を図るという方法だ。」と締めくくった。

 「4年後に格差が一層拡大し、国民の疲弊の著しい荒涼たる日本社会が出現するはずだ」との指摘は、最近とみに現実味を帯びてきたような気がした。

 また、「真に活力ある経済社会を実現する確かな方法が別にある。無数の草の根ビジネスに依拠して原発から再生可能エネルギーへの全面転換を図るという方法だ」との指摘・提案はその通りだと思うが、それを死に物狂いで推進しようという「勢力」が見当たらないのが残念だ。

 多くの国民の気づきのためには、まだまだ時間と困難な現実の出現が必要だということか?

 


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by sasakitosio | 2014-11-29 11:48 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月28日(金)、曇り、暖かい、人あり。

 入りの柏公園6時5分。東の地平、雲間が真っ赤に燃えている。ヒヨドリの声あり。公園を抜けて、大堀川河口へ。

川岸を歩く、ハクチョウ一羽が泳いで寄ってきた。薄暗い川面に鴨の影が見える。

 柏下の水路沿いの草原を歩き、機場の林を抜け、通路を通り、戸張側の機場の林へ。イロハモミジが真っ赤に紅葉。楓は天辺から丸坊主になり、メタセコイヤは枝の下から紅葉し葉先が緑で頑張る。中で、もも上げ体操。

 戸張下の水路沿いの草原を歩く。休耕田の枯れたススキと枯れたアシの中から、盛んにモズの鳴き声が聞こえていた。

 その時横をカワセミが先へ飛んだ。水仙の花が約90本咲いている、土手を過ぎて、大津川の樋管の出口の壁にカワセミが止まっていた。ジッと見ていたら、大津川の川岸の草ムラに消えた。

 ヒドリ橋、横の柵を使って腕立て伏せをしていると、小鳥が悲鳴に近い叫び声とともに、目の前の大津川の河原の草薮に突き刺さるように降りて、音を立てなかった。なんだろうと不思議に思っていたら、ひどり橋の先の空中で、チョウゲンボウが小鳥を追って、表を見せ裏を見せながら舞っていた。小鳥の逃げる姿が目視できた。

 空高く飛ぶチョウゲンボウがどこに止まるか確かめながら、スクワット。帰路も、赤白のペンキが塗られた鉄塔の天辺に鳥の姿を確かめながら、水路沿いの草原を歩いた。


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by sasakitosio | 2014-11-28 20:31 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

11月27日付東京新聞社説に、「看過できぬ国会の怠慢」との見出しで、最高裁の「昨年7月の参院選」に対する判決に関わる記事が載った。今日はこの記事に学ぶことにした。

 まず社説は、「昨年7月の参院選を最高裁は「違憲状態」と断じた。一票の格差が最大4.77倍もあったからだ。司法は選挙制度の抜本是正を促しており、怠慢な国会の姿勢こそ、厳しく問われるべきである。

 鳥取の有権者が「一票」持っているなら、北海道の有権者は「0.21票」しかない選挙だった。

 実際に北海道で約35万票を獲得した候補者が落選したのに、鳥取では約16万票で当選する事態が起きた。不平等であることはだれの目にも明らかだ。

 だから、各地の高裁で「合憲」としたところは一つもなく、「違憲」「違憲状態」と厳しい判断が相次いだ。広島高裁岡山支部では参院史上初の「違憲・無効」判決が出たほどだ。」と切り出した。

 つづけて社説は、「参院選での不平等問題については、「憲法の番人」たる最高裁から、ずっと“警告”が発せられている。2009年の大法廷は「定数を振り替えるだけでは格差の縮小は困難。現行の選挙制度の仕組みの見直しが必要」と迫った。

 十二年の大法廷はさらに踏み込んで、「都道府県単位の選挙区設定となっている現行方式を改めるなど、速やかに不平等を解消する必要がある」と述べた。

 昨年の参院選は「4増4減」という小手先の調整で済ませた。その点、今回の判決は「4増4減」は「格差解消には足りない」と切り捨てたうえで、「都道府県単位の現行方式をしかるべき形で改めるなどの立法処置がいる」と、やはり抜本改正を求めた。

 違憲とまでは言いきれなかったのは、前回の大法廷から選挙まで約9カ月しかなかった。その「時間」を配慮したからだ。

 これで衆院も参院も「違憲状態」という異常事態となった。だが、果たして立法府はその自覚があるのだろうか。国会の動きは鈍すぎるのではないか。

 10年ごろは当時の参院議長らが都道府県単位の選挙区を廃し、全国を九ブロックに分割する試案などをまとめたが、頓挫してしまった。

 今年に入ってからも、隣接県を一つの選挙区に集約する「合区」案が検討されたものの、結論を見いだせないままだった。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「今回の判決では「違憲」と考えた裁判官は15人の内4人いた。そのうち一人は「違憲無効」だった。その重みを感じるべきである。それでも立法府の腰が重いのなら、司法府も遠慮することなく、ずばり「時間切れ」宣言をしたらどうか」と締めくくった。

 読んで、「怠慢な国会の姿勢こそ、厳しく問われるべきである」との指摘はその通りだと思った。

 その上で、これまでの経過を見る限り、定数是正を自分の責任だと思っている国会議員は皆無のような気がした。

 そして、その不条理な現実のままで、現職国会議員に不利益は全くないので、国会議員にとって痛くもかゆくもない時間が流れるのである。

 だから、立法府の腰が上がるのを待っていたのでは、百年河清を待つの喩えを地で行くことになるような気がする。

 ここは、憲法の番人・最高裁判所の勇気ある決断のタイミングではなかったのか?


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by sasakitosio | 2014-11-28 08:04 | 東京新聞を読んで | Trackback