憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

<   2014年 07月 ( 102 )   > この月の画像一覧

 7月27日付東京新聞朝刊4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、立教大学大学院教授で哲学者・内山節氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「はじめて日本を訪れた外国人のなかには、はじめは日本の人びとの信仰心の篤さに驚く人がよくいる。どこへ行ってもお寺や神社がある。ところがしばらくするとわけがわからなくなる。仏教についても神道についても、日本の人びとは何も知らない。それなのになぜこれほど多くのお寺や神社が維持されているのか。
 すべてのことを論理的に説明しようとした、とりわけ欧米の人達には理解しにくいかもしれないが、日本の人間たちは曖昧さを大事にしてきたのである。曖昧さに、ほど良さを感じる文化、とでもいえばよいだろうか。それが短歌や俳句を生み出し、曖昧さを緩衝帯として用いる人間関係などを生み出すことにもなった。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「そういう風土を持っているから、戦後の日本をみても、政治も企業経営も、ある種の曖昧さが存在していた。たとえば日本の政治的支配権は誰が持っているのか問うてみよう。憲法上では国民主権だから、国民が支配権を持っていることになる。しかしそれをまともに信じている人も少ないだろう。とするとだれなのか。首相なのか、政権なのか、国会議員なのか、あるいは官僚や政財界、経済界とつながった族議員なのか。
 企業を見ても、実質的な支配権を持っているのは代表権のある社長などなのか、取締役会なのか、株主なのか、それとも中間管理職たちなのか、最終的には消費者なのか。どこが実質的な支配権をもっているのかは曖昧だった。
 ところがこの曖昧さのもとで戦後民主主義や平和主義が展開し、日本の企業活力がつくられてきたのである。民主主義には理想の制度があるわけではない。誰かに権力が集中せず、絶えず批判や異論が生まれて、お互いをけん制し合うという状態とともに展開するものである。
 とすると曖昧さが民主主義を支えてきたことになる。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「今日の日本の政権が目指しているものは、この曖昧さの一掃である。政治においても企業経営においても、誰が支配権をもっているのかを明確にしようとする動きが続いている。企業から見れば株主の支配権を明確にしながら、経営トップの方針に従業員は従うという形がつくられ、この変化が、経営方針のもとで使い捨てられる人々を増やしてしまった。
 政治でも同じことが進められている。日本の支配権を持つのは大統領権限をもつ首相であり、その命令下で動く政権であり、しかも政権は憲法にも縛られずに、憲法解釈を自由に変えることができる。そういうことを目指しているのだろうということがわかったのが、集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更であった。
 戦後の日本は国家とは何かもまた曖昧だった。それぞれがさまざまな国家観を持っていたと言ってもよい。この曖昧さを一掃し、国家観を明確かする。このような方向で今日の政治は進められているのだから、それは曖昧さとともに展開してきた民主主義や平和主義の否定という性格をももっている。
 戦後の平和もまた、戦争と平和に関する支配権を政府がもっているのか、国連や米国なのか、世論なのかよく分からないほど曖昧さと共に展開してきたのである。」と教えてくれる
 最後に筆者は。「戦前の日本は国家や企業経営をみても、農村の地主制度をみても、支配権がどこにあるかが明確な社会だった。そしてこの社会の結果は戦争と敗戦だった。」と締めくくった。
 よんで、すこし混乱している。
 筆者の指摘する、
 「日本の人間たちは曖昧さを大事にしてきたのである」、
 「戦後の日本をみても、政治的にも企業経営にも、ある種の曖昧さが存在していた」、
 「この曖昧さのもとで戦後民主主義や平和主義が展開し、日本の企業活力がつくられたのである。」、
 「今の日本の政権が目指しているものは、この曖昧さの一掃である。」、
 「それは曖昧さとともに展開してきた民主主義や平和主義の否定と言う性格をももっている。」、
 「戦前の日本は国家や企業経営をみても、農村の地主制度を見ても、支配権がどこにあるかが明確な社会だった。そして、この社会の結果は戦争と敗北だった」、等は、おおむね納得する。が、曖昧さに良さを感じる国民だから、戦争責任も原発事故の責任も、誰もとろうとしないのではないかとかねがね思っていた。だから、筆者の「戦前は支配権がどこにあるか明確な社会だった」とすれば、戦争責任の取り方の曖昧さは何だったのだろうか?新たな疑問が湧いてきた。
 
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by sasakitosio | 2014-07-31 19:28 | 東京新聞を読んで | Trackback
 7月31日(木)くもり時々晴れ。薄曇りの空に真っ赤に燃える太陽、風少し、草に露あり爽やか、人多し。
 毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園5時20分、セミの声あり。樹の下を歩くと、決めたようにセミが数匹鳴きながら飛び立つ。木の根元の大地は、数えきれないセミの幼虫の開けた穴がある。
 公園を抜けて、大堀川の河口へ、まだ、月見草の藪は刈られていなかった。8月2日の夜が花火大会だから、二日過ぎても薮が刈られなければ、沢山ついた実がはじけ、来年は月見草の藪が見れそうだが?
 月見草の花びらをつまんで、溜めて鴨やハクチョウにやった。鴨やハクチョウがクローバーの葉を食べていたが、月見草のしぼんだ花びらを食べるかどうかわからない?
 柏下の水路沿いの草原を機場の林まで一気に歩く。柏の森からはミンミンゼミの合唱が聞こえる。
 機場の林の草薮を歩く。植込みから、ハグロトンボ二匹ヒラヒラ。おはようおはよう。
 ユリノキの花がまだ咲かない。チューリップのような花が咲くと、銘々札に書いてあったので、葉っぱが出始めてから、毎日楽しみに眺めているが。
 機場の通路で、今日もおおもののミミズ一匹保護。
 戸張側の機場の林で、戸張の森から聞こえるウグイスの声を聞きながら、もも上げ体操。 
 戸張下の水路沿いの草原をヒドリ橋まで歩く。芝生の上をひんやりとした風が吹く。爽やかさこの上なし。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 その間、大井の山寺から明け六つの鐘がガーン、と響き。
 近くの木の天辺で、イッピツケイジョウ、イッピツケイジョウと鳴き続ける鳥あり。
 帰路も、水路沿いの草原を歩く。対岸の我孫子側から、時々ウグイスの声が聞こえる。
 柏公園へたどり着く。キャッチボールをしていた親子、帰り際に父親がカブトムシを発見。子供が拾っていこうとすると、父親が家で飼えないから、捨てて来てと。しびしぶ子供が捨てた雄のカブトムシを探して、保護。8月2日の花火を見に 、小2と5歳の孫が来て泊まる。孫に見せてあげるために、帰って、涼しくした入れ物に入れて、メロンとリンゴを与えた。
 
 
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by sasakitosio | 2014-07-31 11:23 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
 7月27日付朝日新聞朝刊2面に、「日曜に想う」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、特別編集委員・富永格氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「地中海のへそにあたるマルタ島の空と海は、白と黒ほどに別の青だった。
 島は北アフリカチェニスやアルジェより南にあり、高くまっすぐな陽光が色という色を隔ててしまう。
 白い光が照りかえる英国墓地に、漢字を刻んだ碑が立つ。
側面に記された66の名は、第一次世界大戦で欧州へ散った日本人だ。どなたの志か、袋入りの切り餅が供えて合った。
 私がふりかけた吟醸酒は風に舞い、金の粒になって合掌する間に消えた。
 オーストラリアの対セルビア開戦で大戦が始まり、明日で100年となる。大正3年のことだ。我が国は明治期から日英同盟に従い、連合国の一つとしてドイツに宣戦布告、中国や南洋のドイツ支配地をただちに攻略した。さらには、勝てばそれらの権益を譲るという英国の誘いに応じ、遠い戦場へと赴く。日本艦隊はマルタを拠点に連合国の輸送船を良く守ったが、敵潜水艦の攻撃などで戦死者が出た。
 欧州戦線での働きは、帝国海軍の技量と忠誠を列強に知らしめた。戦勝国に名を連ねた日本は青島やパラオを手にし、国際連盟の常任理事国となる。
 だから墓碑には「栄誉」とあった。
 しかし、泳いでもいない海に没することなく長生きしたかった人もいよう。
戦争は「予期せぬ死」を強いる。」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「大戦の死者1千万人すべてに、同じことがいえる。強いられた死への、ささやかな抵抗もあった。最前線の独断によるクリスマス休戦だ。仏英独合作の映画「戦場のアリア」(05年)が史実の一端を描いている。
 北仏でドイツ軍とにらみ合うフランス・スコットランド連合軍。敵陣から流れる「きよしこの夜」にバグパイプが合流し、荒野で頂上協議となる。戻った仏将校はシャンパンの提供を命じ、奇跡の夜が始まった。
 兵士らは塹壕を出て、サッカーやカードに興じ、杯を交わす。戦場をうろつく野良猫は、双方から別の名を授かっていた。どちらが本名かを真顔で言い争う男たちはおかしく、悲しい。
 軍紀に背いた部隊はそれぞれ本国から処罰された。一夜の休戦は公文書ではなく、戦地から届いた無数の手紙で語り継がれた。「この話が広く知られていたら、戦争は少し減ったかもしれません」。主演女優ダイアン・クルーガーさんの言葉が耳に残る、
 およそ戦争と言うもの、国家に名を借りた浅慮と打算で始まり、兵士の肉体が担い、家族の涙で終わる。戦場で例外なく起きるのは、奇跡ではなく、非戦闘員を含む不本意な死だ。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「不慮の死は上空1万メートルにも待つ。ウクライナでの旅客機撃墜は戦争の魔性を示した。地球は縮み、局地戦の「流れ弾」が一度に300の命を奪う。停戦していれば防げた悲劇で、ウクライナ、ロシア両政府の責任は重い。
 民間人の巻き添えをコラテラル・ダメージ(副次的損害)と呼ぶ。だが、パレスチナの惨状を見るにつけ、、乾いた軍事用語のまやかしを思う。イスラエルの攻撃による死者は千人に迫り、多くが武器を持たない民だという、米国務長官や国連事務総長の東奔西走もアリバイ作りに見えてくる。
 内戦状態のシリアやイラク、アフリカのいわゆる破綻国家にも、巻き添えの死が溢れている。冷戦期の「安定した危機」が懐かしくなる混迷だ。米国が内向きになり、国際秩序に割って入った中国が外向きになるほど、カオスは深まろう。」と指摘した。
 最後に筆者は、「良い戦争と言うものはない。そしてひとたび始まれば、それは「限定的」ではありえず、憎悪は末代に及ぶ。
 <平和とは、二つの戦争に挟まれたごく短い期間を言う>。この珍定義がジョークにならない現実。
 戦争をしない、させない技術が外交だとすれば、外交敗北の時代と言える。
 予期せざる死の連鎖は、戦場の外で断つしかない。戦争の世紀に学ばず外交が負け続ければ、人類は滅びよう。
 文明の、予期された死である。」と締めくくった。
 実に感銘深い、記事であった。
 特に、「およそ戦争というもの、国家に名を借りた浅慮と打算で始まり、兵士の肉体が担い、家族の涙で終わる。戦場で例外なく起きるのは、奇跡ではなく非戦闘員を含む不本意の死だ。」の指摘は、人工衛星から世界各国に届くスピーカーで、地球上の全人類に聞かせてあげたいと思った。
 また「予期せざる死の連鎖は、戦場の外で断つしかない。戦争の世紀に学ばず外交が負け続ければ、人類は滅びよう。」との指摘は、日本の今日を言い当てているようで、怖い。 
 日本の集団的自衛権の行使容認の閣議決定は、ある新聞によれば、外務省の主導で行われたとのことだった。日本外務省は、のっけから、(予期せざる死の連鎖)を断つ「外交」を放棄してるような気がしてきた。これでいいのか!!
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by sasakitosio | 2014-07-31 10:57 | 朝日新聞を読んで | Trackback

萌えキャラ自衛官

 7月30日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、文芸評論家・斎藤美奈子氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「知らなかった。いまどきの自衛官広告ってこんなだったのね。自衛官募集の窓口は都道府県ごとに設けられた自衛隊地方協力本部(地本)。きっかけは徳島地本の2011年ポスターだったらしい。アニメ風の女の子のイラストと「今どきの萌える就職先」というキャッチコピー・これが評判になって徳島地本は萌え路線を続け、今年のポスターは「見つけた!やりたいこと!」。高校生の三人娘がそろって自衛隊に入隊する物語風だ。
 徳島を見習ったのか、香川地本のポスターも三人娘で「知ろう、決めよう、始めよう、きっとあなたが主人公」。
 茨城地本も三人娘で「「誰かを守れる自分」をはじめよう!」。いずれも萌えキャラ三人娘は陸海空自をしょってるからだ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「かっての自衛官募集広告はキリットとした若手自衛官の写真が主だった。
 妙にカワイイ路線に走っているのは、危険な任務が増えることを逆に暗示しているかのよう。
 7月1日、政府が集団的自衛権行使容認の閣議決定をした日、防衛省も自衛官募集CMを流し始めた。AKB48の島崎遙香さんが登場して言うには「自衛官と言う仕事、そこに大地や海や空のような果てしない夢が広がっています」。さらに「ひとりじゃない。みんながいるから」
 みんな(集団)で自衛するってか。そこに夢がある。?」と結んだ。
 読んで、自衛官募集広告に、わかい女性が「絵」として使われ、キャッチコピーは、「今時の萌える就職」・「見つけた!やりたいこと!」・「知ろう、決めよう、始めよう。きっとあなたが主人公」・「誰かを守れる自分」をはじめよう!」等があるとのことを知った。
 これでは、自営隊の本来の「戦う」任務を何も伝えていないと感じた。特に集団的自衛権の行使容認の先にあると予測されるものは、何も見えない。意図的に隠しているようにも思える。
 ある全国紙に載っていた、「あの日から、パパは帰ってこなかった」「こんな未来はあまりにも悲しい」の言葉、路上にしゃがみ込んでうつむく少年の写真の「社民党の集団的自衛権ポスター」を、自衛隊募集のポスターの横に貼ったらどうだろう。そのうえで、若者やその親達に選択してほしいと思った。
  
 
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by sasakitosio | 2014-07-31 07:16 | 東京新聞を読んで | Trackback
 7月27日付東京新聞朝刊社説横に、「太郎の国際通信」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏だ。今日はこの記事を学習することにした。
 筆者は、「「時として間違いを認めざるを得ない場合がある。そして、我々は間違ったことを認める」
 こういう書き出しの社説が先月27日、米モンタナ州の有力紙「ビリングス・ガゼット」に掲載された。
 どのように間違いを認めたかというと、米大統領選の際に同紙がオバマ大統領を支持したことだった。
 米国新聞は、選挙の際に支持する候補者を明らかにするのが常で、ビリングス・ガゼット紙も2008年の大統領選挙でオバマ氏を支持することを社説で打ち出していた。
 その理由として同紙は「米国はいま国民を融合できる人材を必要としている。また、国際的な信頼を回復させるために内外で人々を鼓舞できる新しい指導者が求められている。オバマこそがその指導者だとしていた。
 その6年後の同紙の社説は、オバマ大統領の過ちを次のように列挙している。
 ▽オバマ政権が米国家安全保障局(NSA)の盗聴によるプライバシー侵害を続けていること。
 ▽イラク問題はブッシュ政権の失敗を引き継いだものであるといえ、現在の混乱にはオバマ政権の責任があること。
 ▽タリバンと脱走疑惑の捕虜米兵との交換は、米国民を当惑させたこと。
 ▽退役軍人病院の生命にかかわる治療の遅れが日常化していたスキャンダルは、オバマ政権の行政能力の欠如と退役軍人に対する思いやりのなさを暴露したこと。
 ▽医療分野では、オバマ大統領は肝細胞分野の研究開発を推進すると言明していたが、いまだに何ら成果を上げていないこと。(幹細胞?)
 ▽オバマ大統領は行政の透明化を約束したが、現実はジャーナリストを抑圧し、市民をスパイし、マスコミに情報を暴露したものに復讐していまや「ニクソンより悪い」との評判が定着したこと。
▽最後に、オバマケアとまで呼ばれた医療制度改革だが、開設当初の技術的問題が国民の信頼を失墜させ、もはや「金食い虫」の事業になってしまったこと。
 社説はこのように指摘し「オバマは言葉ばかりで、何も実行しない大統領だった」と支持表明は間違いだったとしているのだ。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「この社説が注目されて5日後、今度は世論調査で権威ある米コネティカット州のキニピアック大学が「オバマ大統領は戦後最悪の大統領」とする調査結果を発表した。「最悪」の項目で、オバマ大統領はブッシュ氏より5ポイント、ニクソン氏より20ポイントも上回った。内政に加え外交面でも国民の不信が募っていると分析されている。
 ここまで国内で評価を失ってしまった大統領、いま対外的にもウクライナ問題やガザ問題など、問題山積の中で強い指導力を発揮することが期待できるのだろうか。」と締めくくった。
 記事を読んで、最近テレビに映る「オバマ大統領」表情がさえないと思ったら、キジのような事情があったのか。
 記事のおかげで、アメリカの事情の一つが分かってよかった。しかし、ウクライナ、ガザ紛争に、アメリカの指導力が期待できないことは、政府が「集団的自衛権の行使を容認」した後の、日本国民にとって「吉」か「凶」か。
また、アメリカの新聞の率直さには驚いた。大統領選挙がない日本の新聞各社は、選挙で支持を明確にしない。だから、明確な自己批判もしない。どっちがいいのか?
 
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by sasakitosio | 2014-07-30 13:34 | 東京新聞を読んで | Trackback
7月30日(水)晴れ、風なし、草に露あり、爽やか。人多し。
 毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園5時20分。セミの声あり。木陰を歩いて、大堀川河口へ。月見草はまだ健在だ。
 枯れた花びらを落として歩く。河口の鴨やハクチョウが寄ってくる。ハクチョウの親鳥の一羽が、遠くから、川岸めがけて、水の上を羽ばたきながら走ってきた。鴨やカワウの飛び立つ前の助走もかなりの音がするが、ハクチョウは体が大きいので、迫力満点。近くにいた人々は、一斉に振り向く。
 目の前で止まり、両の翼を大きく広げて、2、3回羽ばたいた。ハクチョウの羽ばたきに合わせて、拍手を重ねた。
 その後も、ハクチョウの家族が、私の後を追うように川岸を泳いできた。何かあげるものがないかとかんがえたが、手持ちのものは何もない。そこで、月見草の枯れ花(すこし蜜があるようだ)を手に溜めて、水路の橋の上から、落とした。
 柏下の水路沿いの草原を歩く。チョットコイ、チョットコイの声が、柏の森から聞こえてきた。
 トンボがところどころから飛び立つ。機場の林へ入り、草薮を歩く。機場の通路に出たところで、ミミズの大物をゲット。戸張側の機場の林、鬼百合はすっかり花びらが散ってしまった。ムカゴはたくさんできている。
 そこで、もも上げ体操。
 戸張下の水路沿いの草原をヒドリ橋まで歩く。戸張の森から、ミンミンゼミの合唱が聞こえる。大井の山寺からガーンと明け六つの鐘の音が響く。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。対岸の大井の森からは、ウグイスの声が聞こえてきた。
 帰路も、水路沿いの草原を歩く。機場の通路にある樟の天辺で、イッピツケイジョウ、イッピツケイジョウの声がした。姿を確かめて、手を振っておはようおはよう。
 
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by sasakitosio | 2014-07-30 13:20 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

敗北を恐れない

 7月27日東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「NHKが、戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたか」」というシリーズを放送している。今月はEテレで「知の巨人たち」と題し、12日鶴見俊輔氏、19日は丸山真男氏を特集した。いずれも現在の政治を考えるうえでも、極めて教訓に富んだ番組だった。」ときりだした。
 つづけて筆者は、「鶴見、丸山両氏はともに、60年安保で民主主義を守る運動を理論的に支えた。敗戦の記憶も生々しい1960年、当時の市民は平和を守るために街頭に出て自らの思いを社会に向かって主張する方法を体得した。それがデモであった。
 安保条約の承認自体は国会の多数決できまる。
 その意味で、市民の反対運動は敗北する運命にあった。しかし、国会を数十万人の市民が囲んで抗議の声をあげたことで、岸信介首相は退陣に追い込まれ、以後の自民党政権は憲法改正を事実上断念した。」と指摘した。
 最後に筆者は、「法律や条約は国会の多数派が決めるのだから、国会の外で市民が何をしても無駄だと当時の人びとが諦めていたならば、岸政権が倒れることもなかったろうし、その後憲法9条は改正されていたかもしれない。
 負けると分かっていても、数十万の市民が権力の暴走に対しておかしいと声をあげたことによって、戦後日本の歴史は変わったのである。今もまた、勝ち負けとは関係なしに、声をあげるときである。」と締めくくった。
 岸信介首相を退陣させた時のデモは高校生として記憶がある。今振り返ると、その当時は野党として「日本社会党」があり、労働組合として「総評」があった。いまどきの「野党の非力」、労働組合の「影の薄さ」、が情けない。
 ただ、筆者の「勝ち負けとは関係なしに、声をあげるときである」との指摘は、その通りだと思った。国民主権下における、主権者国民の自覚と、行動と、結果のタイムラグに、多数者である被支配者の国民が気が付けば、世の中に自信と希望が満ち満ちててくるような気がするが?
 
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by sasakitosio | 2014-07-30 07:25 | 東京新聞を読んで | Trackback
 7月29日(火)、晴れ、風なし、草に露多し、人多し。
毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園5時半、鳥の声あり、ムクドリ草原を走る、
 木陰を通り、公園をぬけて、大堀川河口へ。川では鴨が十数羽、ハクチョウ6羽が、岸に向かっておよいできた。
 餌をやる人あり。
 月見草の花見だ。幸い今朝も刈られていなかった。枯れた花びらを落としながら、ごつごつの種の鞘の感触をたのしみながら、一本一本の花を眺めた。年寄に声を掛けられた。
 「月見草の何を見ているのですか?」
 枯れた花を落とし、そのあとの爽やかな花の色を見、種の鞘のごつごつに触って、今日も刈られずに良かった、と思っているんですよ、と答えた。
 数日、同じことをしていると、人は不思議を感じるらしい。
 ここ、十数年舗装道でなく、草原を歩いているが、ときどき不思議そうに見ている人がいる。たまたま、近づいた夫婦の夫の方が、「あなたは、自衛隊だったですか?」と聞かれて、驚いたことがあった。
 草原歩きは、腰の痛さに困って、足腰を鍛えるために始めたこと。舗装道よりも、草原のほうが、足腰への振動が柔らかだった。それが一番の理由だが、人に出会わないので「物を考えるのに」都合がよい、あわせて花や昆虫や魚や鳥との出会いが毎日ある。そんなこんなで、毎日、雨靴を履いて草薮・草原を歩いている。
 柏下の水路沿いの草原へ降りるとき、斜面をすべって手をついてしまった。草原は露でびしょびしょだったので、しりもちをつかなかったことは幸いだった。
 柏下の水路沿いの草原から機場の林・草藪、機場の通路を抜け、戸張下の林の中で、もも上げ体操。
 戸張下の水路沿いの草原から、ひどり橋まで、稲穂を見ながら、ミミズを探しながら、歩く。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 近くの沼に立つ柳のなかから、イッピツケイジョウ、イッピツケイジョウの声が聞こえて来た。
 帰路も草原を歩き、トンボや蝶々に出会った。
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by sasakitosio | 2014-07-29 13:30 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

報復の連鎖断つには

 7月27日付東京新聞社説に、「報復の連鎖断つには」の見出しで、ガザ問題が記事に載った。今日は、この社説に学ぶことにした。
 社説は、「中東では報復の連鎖が続いている。ガザではおびただしい血が流れている。どうしたらその連鎖は断てるのか。難問の答えを過去に探してみましょう。
 <中略>
 死者が増えるほど、敵対者への憎悪は深まります。戦闘が長引くほど、抵抗運動、相手から見ればテロともなりますが、それは拡大し組織的にもなるでしょう。
 まさに暴力が暴力を呼ぶ悪循環です。」と切り出した。
 つづけて社説は、「ではどうしたらいいのか。二つの例を挙げましょう。
 1つは、エジプトの故サダト大統領の場合です。
 1977年11月、彼は何と敵地イスラエルに乗り込みます。空港に降り立つ姿を見てラジオ局の記者は伝えました。「私はサダトが降りてくるのを見ています。しかし、それを信じられません」
 それほど世界を驚かせた行動は、サダトの頭の中では、ナセル大統領の死後を継いでまもなく描かれていたようです。人民議会で和平交渉の準備を述べています。
 周囲は信じませんでした。
 それでも第4次中東戦争に「勝利」し交渉条件を整えたうえで和平に臨んだのでした。自伝では、敵対より繁栄が国民の幸福につながると考えたと述べています。
その通りだと思います。現代の指導者たちに聞かせたいような言葉です。
 しかし、サダトは和平に反対するイスラム過激派に暗殺されてしまう。逆に言えば、それほど勇気のある決断だったともいえるでしょう。殺されても彼の結んだ平和は今も生き続けているのです。
 二つ目は、イスラエルとパレスチナの、これも世界を驚かせた握手です。
 1993年9月、米ホワイトハウスの庭で、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長が手を差し出し合ったのです。
 ラビンは、若い時から祖国防衛に身を捧げてきた元軍参謀総長。ミスター・セキュリティーと呼ばれた人物です。
 パレスチナ側への土地の返還は祖国安全との交換のはずでした。
 国民には「ガザとヨルダン川西岸はラビンが(戦争で)取った。彼が返すなら・・」という気分があったのですが、やがて右翼の青年に暗殺されてしまいます。
 サダトとラビン、二人に共通するのは、第一に、だれも不可能と思っていた和平を実現させたこと。第二には敵国ではなく内なる敵に殺されたことです。
 和平で一番やっかいな敵は、相手よりも身内の反対者です。 
 この地ではそれに宗教が絡むこともあります。それらを乗り越えたからこそ、二人は勇者として世界に記憶されているのです。」と教えてくれる。
 さらに社説は、「中東和平交渉は途切れたままです。パレスチナではイスラム主義組織ハマスなどが、イスラエルでは右派勢力などが和平に反対しています。そして目下、ガザの紛争です。死ぬのは兵士であり、多くの住民、子どもです。
 報復の連鎖を断つのは、やはりそれぞれの指導者の決断しかないでしょう。米国や国連の仲介は助けになります。しかし平和の必要性を自国民、住民に説くことができるのは指導者だけです。
 サダトは戦争を捨てて繁栄を求め、ラビンは占領地と平和を交換しようとした。二人が求めたのは報復の連鎖を断つことでした。
 それが、なぜ今できないのだろうか。
 指導者に勇気がない、とはいいません。政治的保身を優先しているとも言いたくありません。しかし、ラビンやサダトのように普通の人々の幸福を第一に考えるなら自ずと進路は決まるはずです。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「ガザの戦闘の発端は、イスラエル、パレスチナ合わせて4人の少年の惨殺事件でした。
 双方に憎しみの声はわき起こりましたが、静かな対応もありました。イスラエルの少年のおじがパレスチナの少年の父親に電話をかけ、互いに弔意を表したといいます。 
 報復の連鎖を望む者は少数の反対者であり、大多数の人はそんなものは望まないのではないでしょうか。指導者の決断を待っているのではないでしょうか。」と締めくくった。
 読んで大変勉強になった。
 初めて知ったことは下記のこと。
 ①エジプトの故サダト大統領は「敵対より繁栄が国民の幸福につながると考えた」とのこと。
 ②イスラエルのラビン首相は「占領地と平和を交換しようとした」とのこと。
 ③二人とも、「敵国ではなく内なる敵に殺された」とのこと。
 納得したのは、社説の「報復の連鎖を望む者は少数の反対者であり、大多数の人はそんなものは望まないのではないでしょうか。指導者の決断を待っているのではないでしょうか」との指摘だ。ただ、命懸けで、決断しろと、友人知人の指導者に、進言するのは難しいかもしれない。普通の人間には。
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by sasakitosio | 2014-07-29 07:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

「戦死」暗示に賛否

 7月27日付東京新聞朝刊4面に、「「戦死」暗示に賛否」という見出しで、集団的自衛権・社民党ポスターが記事になった。今日はこの記事を学習することにした。
 記事は、「社民党が今月中旬に発表した集団的自衛権の行使容認に反対するポスターに賛否両論が出ている。
 行使容認により海外派遣された自衛官が戦争で命を落とすことを暗示する内容で、吉田忠智党首は「刺激的な内容だが、自衛官が亡くなる可能性はたかまる」と説明。自民党の佐藤正久元防衛政務官は「怒りと悲しさを覚える」と反発している。」と切り出した。
 つづけて記事は、「「あの日からパパは帰って来なかった」「こんな未来はあまりにも悲しい」。路上にしゃがみ込んでうつむく少年の写真とともに、ポスターにはこんな言葉が添えられている。
 ポスターをめぐってはインターネット上で「現実味がある」との声や、「飛躍しすぎ」などの意見が寄せられている。」と教えてくれる。
 さらに記事は、「社民党によると、男児は自衛官の子供との設定で、家族のつらい思いを表現した。考案したのは党所属の複数の若手地方議員。その一人、山登志浩・愛知県江南市議(34)はブログに「悲惨なことや残酷なことは考えたくないが、それが集団的自衛権の行使で現実になる」と記す。
 自衛隊出身の佐藤氏はポスターの発表後すぐさま短文投稿サイト「ツイッター」で「自衛官と家族の心情はいかばかりか」と懸念を表明。
 取材には、「人権の大切さを主張している社民党が家族の悲しみを利用するのか」と批判した。」と教えてくれた。
 よんでいいろいろ考えさせられた。
 自分が自衛官の家族なら、このポスターを見て、集団的自衛権の行使を容認した「政府と政党と議員」に対して、先ず怒りを覚えるだろうと思った。
 そして、今からでも遅くはない、国会に法律案が出たときは、「自衛官の家族の心情」を心底理解して、「家族の悲しみ、不安」を感覚的にも共有して、なんとしても反対・否決してほしいと、思うに違いない、と感じた。
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by sasakitosio | 2014-07-28 19:52 | 東京新聞を読んで | Trackback