憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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70年前の警句

 5月28日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、文芸評論家・斎藤美奈子氏だ。今日はこの記事に学ぶことにする。
 筆者は、「不世出の外交評論家、清沢洌の「暗黒日記2」(ちくま学芸文庫)にはこんなくだりがある。
 <行政と政治が若い連中に渡って、大東亜戦争は必然であった。下剋上の現象が国家を冒険に赴かしめたのである>
 これは太平洋戦争に突入して3年目、1944年5月20日の日記である。同じ年の7月17日にはこんな記述も。
<大本営には連絡会議があるが、決定機関はない。政略と作戦には知識が這入ってゆく機会がなく、若い参謀と、東条などの「かん」で決定されている。日清、日露戦争には明治天皇を中心に、伊藤、山県等元老が議をねった。これが現代と異なるところだ>」と教えてくれる。
 つづけて筆者は、「誰に似ているとはあえてもうしませんけどね。解釈改憲だ、集団的自衛権の行使容認だ、グレーゾーン事態だ、駆け付け警護だと騒ぐ人々をみるにつけ、重要な案件が<若い参謀と、東条などの「かん」>で決定された時代をつい想起する。インパール作戦の失敗や、サイパン失陥を受け、東条内閣が総辞職した際の「暗黒日記」7月20日の感想は<これくらい乱暴、無知をしつくした内閣は日本になかった。結局は、かれを引き廻した勢力の責任だけれども。その勢力の上に乗って戦争していた間は、どんな無理でも通った>と教えてくれる。
 最後に筆者は、「70年前の日記が今でも通用する怪奇。同じことを何度繰り返せば済むのかね。」と締めくくった。
 この記事で、「暗黒日記2(ちくま学芸文庫)」を知った。
 中で、
 ①<行政と政治が若い連中に渡って、大東亜戦争は必然であった。下剋上の現象が国家を冒険に赴かしめたのである>、
 ②<大本営には連絡会議があるが、決定機関はない。政略と作戦には知識が入っていく機会がなく、若い参謀と、東条などの「かん」で決定されている。日清、日露戦争には明治天皇を中心に、伊藤、山県等の元老が議をねった。これが現代と異なるところだ。>
 ③<これくらい乱暴、無知をつくした内閣は日本にはなかった。結局は、かれを引き廻した勢力の責任だけれども。その勢力の上に乗って戦争していた間は、どんな無理でも通った>
 これらの指摘は、今でも通用することに驚きだ。
 ただ、この現象は、世界中の国々に、同じように起きているのではないかと、世界の街一人歩きをしてきて、思えてならない。特に隣国の中国、韓国、は政治体制は異なっていても、世代交代と戦争経験のない指導者という点では、日本と似ているような気がする。そのことが、筆者引用の①の指摘が、日本の内外に当てはまる怪奇に、リアリティーがありすぎて心配だ。
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by sasakitosio | 2014-05-31 14:56 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月31日(土)、晴れ。靄あり、風なし、草に露多し、人多し。
 毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園5時20分。小鳥の声あり。公園を抜けて、大堀川河口へ。川岸に降りて、土手の斜面を見ながら、歩く。土手に咲く大輪の月見草、ネットで調べたら、オオバナコマツヨイグサという名前らしい。いつもの一株に今日も2輪咲いていた。花はひらいて、一日で赤くしぼむ。しぼんだ赤い花もきれいだ。蕾がまだ出てきているので楽しみだ。すこし先の土手の草薮の中に、新たな大輪の月見草が一株、2輪の花を見せていた。花が咲いてはじめて、その存在を知る。歩く道を少し変えると、新しい発見があるのが、手賀沼散歩の楽しみの一つだ。
 沼の葦原では、今日もしきりにヨシキリが鳴いている。
3.11の福島第一原発事故の時は、5月には一斉にヨシキリが沼の葦原から姿を消した寂しい思い出がある。翌年また、ヨシキリが返ってきて、今年も盛んに騒いでいる。昔は、この騒々しさ壁壁していたが、ひとたび一斉に姿が消えた寂しさを経験したら、ヨシキリの騒々しさが元気のもとになるようで、姿を見せるヨシキリには手を振って感謝感謝のシグナルを送っている。
 柏下の水路沿いの草原を歩く。歩き始めた途端、ケーンと鳴く声が。先の水路沿い、対岸の畑に、オスのキジが立って羽ばたいていた。近づいても逃げない。対岸で、約4メートルの距離、立ち止まったら、キジは急ぎ足で、離れた。
 歩きはじめると、今度はキジが立ち止まって、こちらを見ていた。
 機場の林に入り、ユリノキの芽を観察し、草薮を押し分け歩く。月見草が藪の中に目立つ。
 戸張側の機場の林は、朝日をあびて一斉にブタナが黄色い小さな花を、咲かせている。根状葉で花の下の長―い花だ。
 小鳥の声を聞きながら、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。左の沼の葦原からはヨシキリの声が響き、戸張の森からは、かすかにウグイスの声が聞こえてきた。田圃に大きな白い塊が見えた、ダイサギかと思っていたら、コブハクチョウであった。盛んに何かをつまんでいるが、大きな体で、大きな水かきで、植えたばかりの田圃を歩いたら、稲の苗が参っているのではないかと、心配になった。ハクチョウに教えてあげたいが。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。対岸の岸には、ハクチョウの親子連れ4羽が羽根の繕いをしていた。脇に野良が、狙っていた。
 帰路、沼の葦原に立つ柳の大木の天辺で、イッピツケイジョウと鳴く小鳥あり。公園では、黒く熟した桑の実を、いくつも食べた。
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by sasakitosio | 2014-05-31 09:24 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

にわか人手不足の怪

  5月25日付東京新聞4面に、「時代を読む」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。今日は、こに記事を学習することにした。
 筆者は、「突然、人手不足。そんな感じになっている。建設・外食・小売り・運輸・IT・介護。派遣社員、パート、アルバイト。時給はドンドンあげますよ。正社員にもしてあげる。ともかく来てくれ。働いてくれ。そんな労働市場模様が、メディアをにぎわすようになった。誠にめでたい。そう言いたい気持ちはある。働く人々にとって、久々の売り手市場ほど、心強いものはない。安堵感が広がる。
 ようやく、正当な評価を得られる時が来た。その思いには、胸躍るものがあるだろう。良かった。そう胸をなでおろしたい。
 だが、どうも、いささか不気味だ」と切り出した。
 つづけて筆者は、「これでいいのか。大丈夫なのか。突如として人の取り合い合戦が始まる。この光景を前にして、三つの驚き兼怒りが頭の中を駆け巡る。
 第一に、日本経済の変貌ぶりがすごい。
 第二に、ヒトはモノではない。
 第三に、政策による自作自演の結末が恐ろしい。
 第一からいこう。日本経済はいかに底の浅い経済になってしまったことか。
人員を絞りに絞る。
賃金をたたきにたたく。
労働時間を限りなく長くする。
切り捨てられるのりしろを、全部切り捨てる。
のりしろでない部分まで、そぎ落とす。
もはや、薄くできる余地のないはずの薄づくりを、さらに薄くする。そうやって、なんとか売り上げや利益をひねり出してきた。
 このやり方を続けてきたために、ゆとりが全くなくなっている。ほんの少しでも環境が変わると、あるいは変わったかに見えると、小さく小さく、辛うじてつじつまがついていたバランスがたちどころに壊れてしまう。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「第二の点に進もう。労働の価値が、少しばかりの需給の変化でこのように乱高下していいのか。人は株式ではない。金でもない。小麦でも、大豆でもトウモロコシでも原油でもない。あたかも投機性商品のごとく、「ヒトの値段」が激変していいのか。今日、これだけ上がるなら、明日はどれだけ下がるか分からない。そんな動きに人間の労働への報酬がさらされていいのだろうか。
 第三の点が、最大の曲者だ。公共事業の大膨張。「景気は気から」を煽り立てるドーピング型の政策言動。それらがもたらす脅迫観念。この心理に突き動かされて、人の取り合いが高じて行く。そのように見える。まるで消費税増税を前にしたパニック的買いだめ行動のごとしだ。この調子で行くと、人手相場の急騰についていけない中小零細企業は、人手不足倒産に追い込まれかねない。
 そうこうする中で、何と、日銀総裁が日本経済の供給不足が心配だと言い出している。昨日までの需要不足経済が、いまや供給不足経済なのだという。確かに、その通りの面はある。ここが、上記第一点の底の浅さ問題と重なってくる。だが、だからと言って、設備投資をもっとやれ、もっと人狩りに精を出せ、と煽り立てるのは、奇異だ。実に、マッチポンプ的なやり方である。つくられた高速回転景気のイメージの中で、経済の本源的なバランスがどんどん崩されて行く。それが怖い。」と指摘した。
 最後に筆者は、「政策が、経済の均衡を突き崩す役割を果たすようになっては、世も末だ。多くの人々が、労働市場から締め出された状態での人手不足には、なんとも違和感がある。日本経済の新たな均衡点はどこにあるのか。求められるのは、それを探り当てるための真摯な熟考だ。」と締めくくった。
  「日本経済はいかに底の浅い経済になってしまったか」、
  「あたかも投機性商品のごとく、「ヒトの値段」が激変していいのか」、
  「つくられた高速回転景気のイメージの中で、経済の本源的なバランスがどんどん壊れていく」、等の指摘には、ものすごく刺激された。
 何が根源的に大切なのかが、忘れられ、現状対応ばかりが優先されているような気がしてならない。
 何のための国家、何のための会社、何のための経済、何のための社会、何のための労働、なのか?
 時給が800円から1500円に上がっても、終身雇用・定期昇給という雇用・賃金モデルが復活しない限り、労働者の不安は尽きないのではないか?
 
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by sasakitosio | 2014-05-31 07:21 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月23日付東京新聞社説に、「米軍に“白旗”でいいか」の見出しで、厚木基地判決のことが載った。
 今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「滑走路を中心とした厚木基地周辺には、ビッシリと住宅街が広がっている。ここに海上自衛隊と米海軍の飛行機が日々、離着陸を繰り返している。
 基地から1キロ離れた住宅街でも、年間約2万3千回も騒音が響く。70デシベルの騒音が5秒継続する回数で、最高で120デシベルの爆音だ。電車のガード下でほぼ100デシベルだから、騒音被害の大きさは理解されよう。
 睡眠は妨害されるし、会話も電話も、テレビを見るにも影響が出る。読書や子供の学習にも・・・・・。
 あらゆる生活の妨げだ。健康被害を生むし、精神にも苦痛を受ける。我慢する限度を超えている。」と切り出した。
 つづけて社説は、「だから、1970年代から始まった訴訟では、騒音被害を認め、損害賠償を命じてきた。問題は騒音がいつまでたっても解消されないことだ。今回は民事訴訟と同時に行政庁の処分に不服を言う行政訴訟で争った。
 横浜地裁は、まず米軍機の差し止めは無理だとした。米国に対し、飛行をやめさせる根拠となる法令や仕組みがないためだ。だが、自衛隊機については、防衛相の権限がある。だから「午後10時から翌午前6時まで、航空機を運航させてはならない。」などと断じた。
 行政訴訟で飛行差し止めを勝ち得た意義は大きい。他の基地での騒音訴訟に影響を与えよう。でも、この判決で厚木基地の騒音が軽減されるわけではない。」と指摘した。
 さらに社説は、「関係自治体によると、米空母の戦闘機が年間200日程度、基地に離着陸する。戦闘攻撃機で最大120デシベルの爆音を出す。海自はプロペラ機の哨戒機が中心で、最大90デシベルの騒音という。つまり、海自の飛行を差し止めても、もっとひどい米軍機の爆音はなくならない。
 もともと海自では騒音対策のため、夜間から早朝の飛行を自主規制している。判決は根本的な解決にならないわけだ。」と指摘した。
 最後に社説は、「米軍機については、まともな審理さえしていないだろう。司法は日米安保条約について判断から逃げ回ってきたからだ。
 日米間の安全保障体制は重要だが、基地周辺に限らず、約200万人が影響を受ける深刻な騒音問題である。政府は国民の健康と生活のため、真っ先に米国側と交渉すべきテーマである。」と締めくくった。
 1970年代の初めに、厚木基地で騒音被害の視察をしたことがある。爆撃機が飛び立つ瞬間、爆音で身の回りが真っ白になった記憶がある。爆弾が落ちたかと思った。下総基地へアメリカ軍のタッチアンドゴーが移転してくるとの話が出たころだ。反対運動がもりあがり、。結果、下総基地での夜間飛行訓練は今もない。
 社説は、「米軍機については、まともにな審理さえしていないだろう」という。「日米間の安全保障体制は重要だが、基地周辺に限らず、200万人が影響受ける深刻な騒音問題である。」とも指摘。同じことが、アメリカ本土で許されているのだろうか。メディアでぜひ調べて、読者に教えてほしい。基地周辺の人びとには、毎日が戦争みたいなものではないか。
 基地周辺の国民を日常的に苦しめておいて、国民を守っていると言えるのだろうか。
 社説の言うように、政府は国民の健康と生活のために、真っ先に米国側と交渉すべきテーマである。
 憲法は、為政者が、国民を、基本的人権の侵害から、守ることも期待しているのではないか?。侵害するものが、誰であろうと。アメリカ軍の基地が、日本国憲法の適用外でいいはずがないと思うが?
 
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by sasakitosio | 2014-05-30 18:00 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月30日(金)快晴。風なし、草に露あり、人あり。
 入りの柏公園5時20分。小鳥の声あり。
 公園を抜けて、大堀川河口へ。大輪の月見草、2輪開く。あまりに花が大きく、花の茎が細いため、他の雑草に寄りかかりながら、花を開いて見せる。水面には中ほどの浮州でハクチョウの親子6羽は朝の羽根の繕いの真っ最中、抜けた羽が散っている。
 葦の原では、しきりにヨシキリが鳴いていた。
 柏下の水路沿いの草原へ降りて、歩く。小さな月見草がポツンポツンと咲いている。ツバメが2羽畑に休んでいた。
 機場の林でユリノキの芽を覗き、草薮に中輪の月見草、壱か所に30数輪、花開く。
 戸張側の機場の林で、小鳥の声を聞きながら、体操。
 沼側の葦原から、ヨシキリの声が聞こえる。戸張下の水路沿いの草原を歩く。水路沿いに立派に育って、実をいっぱいつけた「桑の木」が、除草隊によって無惨にも切り散らされていた。これから、ようやくたくさんの実が熟すところだった。
 戸張の森からは、今日も鶯の声が聞こえた。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 橋脚を少し離れたところで、ハクチョウの親子4羽の姿が見えた。
 帰路の草原歩き、明け六つのカネが、後ろに聞こえた。大井の寺のカネか。
 帰路の機場の林、樹のテッペンで、イッピツケイジョウと鳴く小鳥あり。
 帰路の大堀川河口では、岸によってきたハクチョウ親子、良く見れば、雛の中に1っぴき「黒っぽい」のがいた。
 
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by sasakitosio | 2014-05-30 17:35 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

国家機密に挑む者たち

 5月25日付東京新聞社説に、「国家の機密に挑む者たち」という見出しで、ピュリツアー賞が記事になった。
 今日は、この社説に学ぶことにした。
社説は、「国家とは都合の悪いことは隠すものです。アメリカのそれが暴露され、それを報じた新聞社に米報道界の賞が贈られることになった。振り返ってみましょう。
 その賞はピュリツァー賞で、先月、最も注目される公共部門にワシントンポスト紙と英国のガーディアン紙(米国電子版)が決まりました。
 理由は、ご承知の通り、米国家安全保障局(NSA)が密かに米国民、世界中を盗聴していたという事実の報道により、個人のプライバシーと国家の安全をめぐる議論を巻き起こしたということです。
 国家による盗聴は古くからの問題ですが、想像をはるかに超える規模とその図々しさに世界は驚き、また怒ったのでした」と教えてくれる。
 つづけて社説は、「新聞社に漏らしたのは、スパイ映画などでおなじみのCIA(米中央情報局)のエドワード・スノーデン元職員。NSA事務所から機密文書をコピーして持ち出し、ちょうど1年前の今ごろ、米政府の追跡を逃れるように、香港へ、さらにモスクワへ。
 当時、こう言っています。
 「米政府は、世界中の人々のプライバシーやネット上の自由という基本的権利を極秘のうちに侵害している。それは許されないと、考えた」
 むろん米政府は、また米国内からはテロ防止などの観点から非難と批判が湧き上がりました。
 国を裏切れば、犯罪にちがいない。しかし、国が勝手に個人の自由を侵すのは、比較にならないほどの重大な犯罪行為というべきでしょう。そうなら、ただすのはむしろ愛国的行為ではないか。
 思い出されるのは、もう40年以上も前の、やはりアメリカで起きたペンタゴン・ペーパーズ事件です。
 ペンタゴン、米国防総省のベトナム戦争に関する秘密報告書が全米的な反戦運動のさなか、作成者でもある研究所の研究員ダニエル・エルズバーグ博士によって暴露されたものでした。
 報告書は、政府のうそと誤りを余すところなく指摘していました。本来国民に知らせるべきことです。
 博士は最初、議会で議論されるよう複数の上院議員に接触したそうです。だがうまくいかない。
 そこで新聞社です。
 まず、ニューヨーク・タイムス紙。文書の一部が活字に。すると司法省は記事さし止めをを求め、地裁が認めて、掲載は中止に。
 次にワシントンポスト紙。これももちろん妨害される。
 残念ながら予想されたことでした。だが、博士はコピーを約20に分け別々の新聞社に渡し、19紙が掲載しました。
 報告書の中身が知られることにより、告発の公益性、正当性は広く認められたのです。
 それに対しニクソン大統領は、博士を口封じする情報を集めようと「ブラマー(配管工)」と呼ぶ秘密工作隊をつくって、博士の関係先へ侵入させたり、また告発記事を書く記者のリストまで作ったのです。ついでに言えば、ブラマーたちはのちにウオーターゲート事件を起こし、ニクソン辞任へとつながるのです。
 スノーデン元職員の暴露もむろん慎重に行われました。
 情報はガーデアンとポストの2紙にそれぞれわたります。ガーデアン紙は、その前に米軍事情報を暴露したウィキリースの告発について政治圧力をはねのけて報じました。 
 内部告発が成功するには、勇気ある告発者がむろん不可欠ですが、同時に、それを調べて報じる者も必要なのです。
 新聞、報道機関です。もちろん自らの取材で悪質な機密を掘り出し報じねばならない。だが告発の受け手の役割もあります。」と教えてくれる。
 最後に社説は、「日本では、過去、日米密約がたとえ当時は政治的判断であれ、不当に長く隠されてきた。年内には特定秘密保護法がいよいよ施行されます。国家に機密はむろん必要だろうが、国民の知るべきことがしばしば隠されてきたのも歴史の教えるところです。情報公開の仕組みがしっかりしていない以上、あるいはたとえしっかりしていたとしても、時に暴露でもされない限り、国家は国民を欺き続けるかもしれません。
 内部告発者を待たねばならないのは、残念であるし、不幸なことともいえるでしょう。
 しかし、国家と社会が健全であり続けるためには告発は必要であり、新聞もしっかりせねばならない。その先には告発の当否を判断する読者がいます。告発者にとって一番怖いのは、社会の無関心にちがいありません。」と締めくくった。
 元CIA職員・エドワード・スノーデン氏のこと、ダニエル・エルズバーグ博士のことを改めて知り、かれらの勇気と決断に改めて、感動した。何が彼らを告発者にしたのか。
 まさに、命懸け、人生を賭けた、行為だ。普通の人にはできるものでは無い。人類がつくられた時に、為政者の悪行の必然を予見し、それを暴露し社会を元に戻すシステムが用意されていたということか?
 
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by sasakitosio | 2014-05-30 07:04 | 東京新聞を読んで | Trackback

むしろ翼賛議会を

  5月25日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「安倍政権が集団的自衛権行使を容認する方向性を示して以来、各界から解釈改憲に反対する声が上がっている。原発再稼働や基地の騒音をめぐっては、地方裁判所レベルではあるが、政府の責任を厳しく問う判決が出された。裁判官、宗教家、学者など、さまざまな分野の専門家が、日本の世の中に対して勇敢に異議申し立てをしているのである。
 それとは全く対照的なのが、政界における野党である。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「先週は、日本維新の会のトップ会談で、野党再編に向けた合意が図られた。民主党では、「代表選挙の立候補要件を緩和せよ」という運動が始まり、これは海江田万里代表降ろしにつながるかもしれないと報じられた。まさに、今の野党につける薬はない。
 現在の政党政治は、一強多弱と言われれる。それは、数の面だけでなく、知的能力についても言えることである。戦後の政治体制の根幹をめぐる論争が始まろうとしているとき、これに参戦せず、内輪の主導権争いにうつつを抜かすなど、言語道断である。こんな重要問題に党としての見解を打ち出して政府与党に対峙できないから、一強多弱なのである。」と指摘した。
 最後に筆者は、「いっそのこと野党は解散して一度翼賛議会をつくればよい。国会に自民党しかないという状況が出現すれば、自民党党内でリベラル派が党を割る踏ん切りがつくというものである。」と締めくくった。
 筆者が、野党、特に民主党に期待する分、より強く野党のふがいなさに怒りを感じるのかもしれない。
 筆者のいらだちに理解はできるが、ただ、野党が翼賛政党になっても、現在の自民党に果たして筆者の期待する「リベラル派」なるものが存在するのだろうか?特定秘密保護法の審議経過から見る限り、自民党内「リベラル派」は、絶滅種になったのではないか?
 
 
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by sasakitosio | 2014-05-29 18:59 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月29日(木)、晴れ、靄あり、風なし、人あり。
 入りの柏公園5時。空にお日様あり、あちこちから小鳥のさえずり響く。
 公園を抜けて、大堀川河口へ出る。水面にハクチョウ、数人が手をたたいたり、写真を撮ったりしている。良く見れば、ハクチョウの雛が4羽、親鳥と共に泳いでいる。
 草をとって投げる人あり、親子が岸によってきた。
 ここ数年、ハクチョウの雛を見なかったが、大津川河口に雛2羽を見るので、見える範囲で、ハクチョウの雛が6羽育ったことになる。
 柏下の水路沿いの草原を歩く。沼側の葦原からは、盛んにヨシキリが鳴く。草原は、草刈りが済んだばかりなので、歩きやすい。朝日をあびて、畑の水路側にキジが立っていた。声をかけながら近づいた。ごく近くになったら、キジが気付いて、歩いて距離をとった。すぐには鳴かず。
 機場の林・草薮を、ユリノキの芽を覗きながら、あるいて、戸張側の機場の林で、体操。
 戸張の森から、ウグイスのホーホケキョが聞こえる。
 今日は、森の下の方から、鶏のコケコッコーの声も聞こえた。
 沼側の葦原に立つ、柳の中から、イッピツケイジョウの鳴き声がした。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。ひどり橋まで、すっかり草刈りがされた草原を歩く。草刈りの終わったばかりの草原は、ムクドリの絶好の食餌ばだ。団体で、ムクドリが集まり、ものすごく賑やかだ。ヒドリ橋までの間、何回か戸張の森から、ウグイスの声が聞こえた。捨て苗は、今日も元気だ。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 眼下の大津川河口の水面には、今日もハクチョウの雛2羽と親鳥2羽が泳いでいた。
 帰路は、沼の葦原に立つ柳のなかから、ウグイスの声がときどき聞こえた。鶯が、柳の木を飛び渡る姿が一瞬見えたような気がした。
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by sasakitosio | 2014-05-29 13:55 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
 5月26日付東京新聞社説に、「人手不足深刻化 真っ当な経営を目指せ」の見出しで、昨今の労働者不足についての記事が載った。今日はこの社説に学ぶことにした。
 社説は、「流通や外食産業などで深刻化する人手不足は、安い労働力に依存してきた経営の転換を迫るものだ。若者らが働きたいと思える環境、働く人にきちんとした対価を払う真っ当な経営を目指すべきだ。
 景気の回復傾向を背景に人手不足への懸念が強まっている。東日本大震災からの復興や東京五輪に向けた労働需要が急拡大する建設業界に続き、顕著となっているのは流通業や外食産業である。
 居酒屋チェーン「和民」は人手不足を理由に年度内に60店舗の閉店を決め、牛丼大手「すき家」は100店以上が休業に追い込まれた。もともと慢性的な人手不足に悩んできた介護や医療の関連業界では、他の業種への人材流出で不足感が一層増している。」と切り出した。
 つづけて社説は、「人材確保の巧拙が経営を大きく左右するのである。流通・小売り業界で好調だったユニクロは、これまでパート待遇だった社員を大量に限定正社員化することを決めた。処遇改善により人材の「囲い込み」を図る狙いである。
 日本経済が20年近くに及ぶデフレの中、小売りや外食などサービス産業の多くは低廉で使いやすいパートやアルバイトら非正規労働を活用してきた。一円の安さを競う価格競争のために人件費を切り詰めるビジネスモデルである。
 その究極の姿は、低賃金で若者らを使い捨てにするブラック企業である。
 働き口が少ないデフレ不況期にはそんな劣悪な雇用モデルでも通用する余地はあったが、雇用環境が好転すれば働き手がいち早くそっぽを向く職場である。人を人と思わないような企業に将来はないことが明白になった。」と指摘した。
 さらに社説は、「少子高齢化の進展で今後、生産年齢人口(15-64歳)は一段と減っていく。さまざまな業種で人手不足が企業経営を圧迫しかねない。
 そうであれば経営者が目指すべきは、使い捨ての労働ではなく、きちんと教育に力を入れた質の高い労働力である。価格ばかり競うことなく、魅力的な商品や消費者ニーズを酌んだサービスを適切な価格で提供する。そんな当たり前の経営である。」と指摘した。
 最後に社説は、「もちろん、自力での処遇改善や人材確保が容易でない企業はあろう。長期に染みついたデフレマインドの払拭や経営の転換は大きな困難を伴うが、情報技術(IT)や女性らの積極的な活用、省力化のための設備投資などで労働環境を改善していく好機であるととらえたい。」と締めくくった。
 社説を読んで、勉強になった。
 「一円の安さを競う価格競争のために人件費を切り詰めるビジネスモデル」の「究極の姿は、低賃金で若者らを使い捨てにするブラック企業」であるとの、社説の指摘は良く理解できた。
 時代が、ブラック企業を生み、育み、また時代がブラック企業の経営を追い詰めているということか。
 完全雇用、終身雇用、従業員は家族、こんな雇用モデルを、日本から世界へ発信できないものか?
 
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by sasakitosio | 2014-05-29 06:58 | 東京新聞を読んで | Trackback
 5月28日(水)、曇り。風なし、草に露あり、人少なし。
 入りの柏公園5時15分。静か。
 桑の木のところへ、いくつか実をいただく。
 公園を出て、大津川河口へ、水に浮かぶハクチョウにクローバの葉をちぎって与える人あり。葦原で、ヨシキリなく。
 柏下の水路沿いの草原を歩く。ツバメが飛び回っている。
 機場の林と草薮を抜けて、戸張下の水路沿いの草原を歩く。
 沼側の葦原から、ウグイスの声が聞こえてきた。
 田圃を見ながら、途中にある、桑の木から、黒く熟した実をいただく。ひどり橋までの途中で、沼の葦原の方から、また、ウグイスの声。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。眼下の大津川の水面には、ハクチョウの親子がなかよく泳いでいた。バタバタバタバタの羽の音がしたので、首を伸ばして見たら、ハクチョウが飛び上がる助走をしていた。
 帰路も、沼の葦原に立つ、柳の中から、ホーホケキョが聞こえた。三回目のホーホケキョの際は、姿が一瞬見えた。
 水路の田圃側の斜面に生えていた、植物、葉っぱが広く綺麗だった。ので、どんな花が咲くのか楽しみにしていたが、それが刈り取られ、かっての生えていた所在すら定かでなくなった。
 道端には、月見草の太くしっかりした茎が目に入る。
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by sasakitosio | 2014-05-28 17:36 | 手賀沼をたのしむ | Trackback