憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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 4月24日付朝日新聞社説に、「原発と安全 知事の疑問が示すもの」との見出しで、新潟県の泉田知事の意見が記事になった。今日は、この社説に学ぶことにした。
 社説は、「原発事故の被害者を二度と出さない。原発の再稼働に前のめりな安倍政権に、本当の覚悟はあるのだろうか。
 再稼働をめざす全国の原発で新しい基準を満たしているかどうかの審査がすすむ中、東京電力の柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田裕彦知事が、たとえ審査を通っても住民の安全は守れないと主張している。
 原発の安全性を高めるには、施設が厳しい規制を満たすだけでなく、万一に備えて避難計画をしっかり立てておくことが欠かせない。この避難計画づくりを担当する自治体トップの発言だけに、政権は真摯に耳を傾ける必要がある。
 中越沖地震では柏崎刈羽原発の火災に直面し、福島第一原発事故では被災者の救助支援を要請された泉田知事の指摘はいずれも具体的である。」と切り出した。
 つづけて社説は、「中越沖地震では道路が寸断され、緊急車両すら動けなくなった。雪が深ければ一段と逃げにくくなる。いくら計画で避難先を決めても絵に描いたモチだ。
 知事は、各戸に核シェルターをつくるしかないかもしれないと危惧するが、国や電力会社にその認識と覚悟はあるか。
 非難が遅れた住民を助けるには放射線量が高い地域にバスの運転手が入らねばならない。 
 現実には、民間人である運転手も被曝していいように法令をあらためないとバスは避難に役立たないが、被曝限度を緩める合意形成をはかれるのか。
 事故対策そのものの甘さも指摘する。全ての冷却材が失われ、生身の人間が危険な高線量下で収束作業をするしかなくなったとき、誰が行くのか。事故の拡大を食い止めるため、電力会社の経営に重大な損害を与える決断が必要になったとき、経営が優先され住民が被害を受けない保証はあるのか。
 いずれも現実の事故で浮き彫りになった課題だが、議論は後回しになっている。
 」と指摘した。
 最後に社説は、「安倍政権は、今の規制基準は「世界一厳しい」と、基準をパスした原発は動かす姿勢だ。
 だが知事は、「世界標準にも達していない」とし、ウソをついてはいけないと批判する。指摘は当たらぬというのなら、政権は一つ一つ疑問に答える責任がある。
 再稼働に期待する地元の中には、すでに避難計画を作ったというところも少なくないが、住民の安全を守る責務を負う自治体として、泉田知事の疑問を吟味し、自らの避難計画が本当に機能するか、つぶさに点検してほしい。事故が起きてから「想定外だった」という言い訳は、もう許されない。」と締めくくった。
 読んで、新潟県知事の指摘は、実に納得できる。特に雪に閉ざされた地域では、核シェルターの設置が必要だとの指摘ももっともだ。政府は総理をはじめ、経産大臣、末端公務員まで、新潟県知事のように「被災者の安全」を責任をもって考えている人が、一人もなきがごとき対応に、政権の命運尽きつつあることを感じた。
 国民主権の日本で、原発再稼働を進めることで、主権者の命と財産を危険にさらし続ける政権関係者に税金で、報酬・給料を払い続けるほど、国民総体が寛容だとは思えない。
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by sasakitosio | 2014-04-30 18:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback

雨の中、ツバメと散歩

 4月30日(水)。雨。風なし、歩く人ほとんどなし。釣り人なし。
 毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園6時半。小雨、傘に雨の音。小鳥の声がする。久しぶりの雨に濡れた広場の草原を抜け、柏下の水沿いの草原を歩く。街中から流れくる水路、水面に枯れ葉やごみを運んでくる。 これを狙って鯉が浮いてくるのだが、今日はその気配なし。
 水路沿い、アカバナユウゲショウの赤い花をみながら歩く。
 機場の林の草原に、昨日見つけた、黄色い花が咲き始めた。
 ユリノキも葉が開き、花芽らしい芯が見える。
 戸張側の機場の林で、体操。
 戸張下の水路沿いの草原に入る。水路のはじめの水たまりに、生き物が動いた。魚影は雷魚に見えた。
 水路沿いの草原を歩きはじめると、燕が一羽やってきた。水の張られた田圃の水面すれすれに、燕が飛ぶ。
 ツバメは、雨が似合う、水田も似合う。このツバメ、ひどり橋まで、周りを旋回しながら、ついてきた。
 帰路も、数を3羽に増やして、機場の林まで。草原を地面すれすれに何回も旋回してしながら、一緒だった。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 雨に濡れた、河津桜の濃い緑の大きな葉っぱが、いい。この葉っぱが、春先の花を咲かすエネルギーかエンジンか?
 機場の通路で、いつも白い犬をつれているご婦人から、亀の子が歩いている、と教えられて、行ってみれば甲羅直径5センチほどの、黒っぽい亀。子供の頃田舎で見た「亀の子」とは全く違う、角張っていた。人に踏まれては、かわいそうだったので、草の藪に放した。
 
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by sasakitosio | 2014-04-30 13:44 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

首切り相場

 4月24日東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「一昨年の産業競争力会議で、財界首脳が一般社員の残業代ゼロや標準ルールに従う解雇の金銭解決、いわば「首切り相場」の設定を提案をした。
 第一次安倍内閣の労働ビッグバン(2006年)以降、ほぼ同じ雇用市場化の提案が続いている。
 その翌年、元建設官僚が労働規制や労働者の権利を全面否定する過激な見解を規制改革会議で披瀝した。かの財界首脳が、労働法制を民法の契約原理に戻してしまう「解雇自由」の提案をして一蹴されたのは一年前だ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「世論操作でもなければ、これらの提案や見解は思い違いに基づいている。
 交渉力の等しい合理的な二者が限定された社会関係に合意するというのが契約の原型だが、大企業と対等に渡り合える専門家や特殊技能者が一体どれほどいるのか。
 さらに、保守派「法と経済学」の始祖、R・コースでさえこう講じた。
 複雑な組織で結ばれるはずの多重契約は、実際に曖昧な単一の雇用契約に集約され、そこに支配関係成立の根拠がある。雇用はすべて業務請負に還元できるとは限らないのだ。」と指摘した。
 最後に筆者は、「雇用・教育・医療等を契約や市場原理の形に型抜きできるという思い違いは重大な政策的含意をもつ。格差の拡大だけではない。自己利益の追求が広がり、信頼などの社会的紐帯にとって代わることになろう。」と締めくくった。
 筆者の指摘の、自己利益の追求が、信頼などの社会的紐帯の取って代わるということは、いったいどんな社会になるのだろうか?格差の拡大、利益追求の行き着く先は、どんな社会なんだろう?知りたくもあり、知りたくもなし。
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by sasakitosio | 2014-04-30 07:21 | 東京新聞を読んで | Trackback
 4月29日(火)、曇りのち晴れ。風なし、草に露あり、人多し。
 入りの柏公園6時半。柏公園を出て、柏下の水路沿いの草原を歩く。昨日も感じたが、畑側の水路壁にしっかり根付いていた木が数本・全部が根元から切られた。なくなってみると、景色がまったく変わった。実に殺風景。緑の木立が空間に占める、実物以上の大きさをあらためて感じた。
 機場の草原で、黄色い花、はじめてみたような花だった。
 帰って、植物図鑑を調べたが、発見できなかった。宿題・課題が一つ増えた。
 機場のプールの土手に、黄色い大きな花がある。わざわざ近づいてみて、写真を撮る。どうも、月見草の仲間らしい。今年は、季節が早く回っているようだ。
 戸張側の機場の林からは、田植えの準備で田圃に水が張られてきた。小鳥の声を聞きながら。体操。
 足元には、ブタクサが盛んに伸びている。
戸張下の水路ぞいの草原を歩く。戸張の森からはウグイスの声が聞こえる。草原からは、カワラヒワが飛び立つ。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。
 帰路、河津桜に実が突いた木が二本あった。梅に実がなったのは、紅梅で、白梅にはなぜか実がなっていない。
 ツバメが、時々、来ては旋回する。
 帰路の機場の林から、柏下の水路沿いの草原に降りようとしたら、林の中からいつものキジが、出てきて畑に向かった。
 私と同じ方向で歩き始めた。急ぎ足で歩きながら、並行して歩く、キジに何回も手を振った。追い越してしばらくして、ケーンと鳴いた。
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by sasakitosio | 2014-04-29 20:53 | 手賀沼をたのしむ | Trackback
 4月24日付朝日新聞朝刊19面に、「あすを探る」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、批評家・濱野智史氏だ。
 今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「政治家は、特に安倍首相とその側近たちの妄言が相次いでいる。その多くが歴史認識問題や憲法解釈をめぐるものだが、筆者が特に気になったのは、「今月の3点」でも取り上げた、首相が観桜会で詠んだという次の句である。
 「給料の 上がりし春は 八重桜」。
 東大教授の安富歩氏はこれを見て、ツイッター上で
 「八重に上がるは 消費税かな」、と見事な下の句をつけて皮肉った。
 確かにこの首相の句がまずいのは「日本人の大半が正規雇用であり、春闘を通じて給料が上がった」と考えているようにしか見えないことだ。この句を見たら、例えば非正規雇用の立場にある多くの人がどう思うのか、どうやら全く視野に入っていないのである。これはゆゆしき事態だ。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「政治家の妄言は今に始まったことではないが、あまりにも知的レベルが低いとしか思えない発言が連鎖する現状をどう考えたらいいのだろうか。筆者がインスピレーションを得たのは、建築家の山本理顕氏が「思想」で連載中の論文「個人と国家の<間>を設計せよ」である。
 難解なことで知られるハンナ・アーレントの「人間の条件」を、古代都市の建築構造を元に明瞭に読み解いている、この論文は、上のような問題を直接に扱っているわけではないが、公人たる現代の政治家たちがなぜ妄言を繰り返すのか、その答えの手がかりを与えてくれる。それは彼らが「世界」を失っているからだ、と。
 アーレントが「世界」のモデルとしたのは、古代ギリシャのポリス(都市国家)である。ポリスとは、人が生きて存在し、活動していたことが永遠に記憶される装置であった。
 例えば建築家がつくった建物は永遠にポリスに残り、その名前は後世に受け継がれる。この記憶装置こそが「世界」である。そして「世界」は公共性の条件でもある。例えば政治家が人々の前に現れて話すとき(アーレントの言葉では「行為」)それが「永遠に残る」と思えば、誰が聞いても恥ずかしくない公的な言葉が自然に出てくるだろう。
 そしてアーレントも指摘するように、現代社会に生きる我々は、すでに「世界」を喪失して久しい。巨大な都市化を遂げた現代社会では、もはやポリスのような小規模の共同体空間は維持できない。効率性だけが追及される資本制社会では、多くのひとびとは(かってポリスでは奴隷が担っていた)食いつなぐだけの「労働」にしか従事できず。後世に残る「仕事」には関われない。だから疎外感を味わう。政治家も自分の発言が「永遠に残る」などと全く感じていないだろう。だから反知性的な発言を繰り返す。」と教えてくれる。
 さらに筆者は、「つまり、私たちの社会は、(「日本を取り戻すよりも先に」「世界」を取り戻すべきなのだ。「世界」の再設計、それは決して不可能なことではないはずだ。ポリスのような小規模な地域の「現場」で、自分の行動が人々に常にみられ、記憶され,後生に受け継がれていくと実感できる「世界」に関わること。
 例えば、エコノミストの藻谷浩介氏の近著「しなやかな日本列島のつくりかた」では、商店街・限界集落・観光・農業・郊外開発といった地域の「現場」に関わる専門家たちとの対話が繰り広げられているが、ここはまさに「世界」を復興するための希望が満ちている。つくづく感じるのは、規模の小さな地域の「現場」だからこそ、人々が関わり合い、血の通った知恵が生まれ、変革の可能性が開かれるということだ。
 「スモール・イズ・ビューティフル」ならぬ、「スモール・イズ・インサイトフル(洞察に満ちている)」なのである。」と指摘した。
 最後に筆者は、「そしてこの論壇時評面に求められる役割は、そうした「世界」の再設計に繋がるような(藻谷氏の言葉を借りれば)「現智」を取り上げシェアすることだと、論壇委員を担当して早4年目の春に、筆者は強く確信している。」と締めくくった。
 読んで勉強になった。
 1.行為それが永遠に残ると思えば、誰が聞いても恥ずかしくない公的な言葉が自然に出てくる、との指摘は、一理あると思った。
 1.ポリスとは、人が生きて存在し、活動していたことが永遠に記憶される装置であった、との視覚は、新鮮に受け止められた。そして、この記憶装置こそが「世界」であるとのこと。
ただ、釈迦の悟り、すべてのものは移り変わり、移ろいゆく。それに心を奪われてはならない、との教えもまた、すとんと心に落ちる。
 わたし的な「世界」は、自分は地球の居候「人類」の一員であり、生きてきたことが、せめて地球や人類の発展変化の妨げにならないこと、かも知らないと思っている。
 
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by sasakitosio | 2014-04-29 08:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback

中立って何

 4月23日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、文芸評論家・斎藤美奈子氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「21日のNHK午後7時のニューが「“政治的中立への配慮”があいつぐ」と題して講演会や展示会に対する自治体の対応を報じていた。
 施設の貸し出しを断ったのは一自治体(奈良市)で2件。内容の変更を求めたのは東京都、足立区、福井県、福井市、京都市の5自治体6件。後援の申請を断ったのは札幌市、宮崎県、長野県、茨城県、千葉市、静岡県、堺市、京都府、京都市、神戸市、大津市、岡山県、鳥取市、福岡市の14自治体22件。こんなに多くの自治体が市民の自由な活動に横やりを入れていたなんてね!」と切り出した。
 つづけて筆者は、「これは都道府県、県庁所在地の市、東京23区、政令指定都市をあわせた121自治体だけの調査。実際はもっと多いのだろう。内容的には憲法11件、原発7件。ほかにTPPや介護、税と社会保障など。
 この件が案に発するメッセージは「政治的な意見を持ってはいかんよ」「政府に盾突く意見などもってのほか」という言論統制が平気でまかり通っている現実だろう。」と指摘した。
 最後に筆者は、「笑っちゃうのは、この種の「配慮」に熱心な自治体が、選挙になると急に投票を呼び掛けるバカバカしさだ。「政治的に中立」でどうやって誰かひとりに投票するのさ。このように建前と本音を使い分けるダブルスタンダードが人々の政治離れを助長する。投票率が低いと嘆く資格はない。」と締めくくった。
 確かに、公民館はあるが、公民教育する機関がなく、公民が不在のまま、であるところに、不思議さを感じる。
 また、選挙管理委員会は投票の呼びかけをするが、投票の意味と結果について、語らない。これも政治的中立を理由にする不作為行為か。これでは、候補者の魅力だけでなく、選管の対応も、投票率が伸びない理由のひとつではないか?
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by sasakitosio | 2014-04-28 20:23 | 東京新聞を読んで | Trackback
 4月28日(日)。晴れ、風なく暖か。草に露あり、人少なし。
毎朝の手賀沼散歩、入りの柏公園5時55分。森にヒヨドリの声。公園の広場を抜けて、柏下の水路沿いの草原を歩く。対岸の田んぼでは、大型の耕耘機が田植え前の耕作をしている。
 機場の林で、ユリノキが枝の先に花のつぼみらしきものを付けている。機場の、林の中の草原はブタクサの花のつぼみが一斉に立ち上がった。
 小鳥の声を聞きながら、体操。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。戸張の森からは、ウグイスのホーホケキョ、ホーホケキョが聞こえる。
 草原を選んで歩き、ひどり橋まで一気に。
 ひどり橋、横の柵で、腕立て伏せ、スクワット。
 帰路、緑道沿いの彼岸桜に赤い実がついていた。大きくなればサクランボだ。今年初めて気が付いた。
 水路の田圃側の露がたっぷりついた草原を歩くと、カトンボが彼方此方から飛び立つ。
 戸張下の草原に、黄色いシロチョウ類がひらひら。今年初めての黄色い蝶々だ。
 柏下の水路の対岸の田んぼで、二枚目の耕作が始まっていた。耕作が終わったばかりの田んぼにカラスが一羽舞い降りた。ツバメが1羽3羽5羽と飛び回る。耕作の時、土から、草原から、飛び出す昆虫を狙っているのか。
 稲の枯れ株の中に、キジの頭が見えた。耕耘機が進んできたが、キジは慣れた様子で、ゆっくり歩いて土手に上がった。、
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by sasakitosio | 2014-04-28 13:37 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

連帯の男

 4月22日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という署名入りの囲み記事がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。今日はこの記事に学ぶことにした。
 筆者は、「「連帯」の二文字がひときわ輝いていた時代があった。それは「自由」「解放」「人権」と同意語だった。映画「ワレサ 連帯の男」の最初と最後に、ロック調の明るい歌声が流れる。
 「自由は捨てられない  僕は自由を愛す  僕の持っているものは ほんのわずかだ すべてを失い 一人になっても」
 現在88歳のアンジェイ・ワイダは、ソ連のブレジネフ書記長とポーランドのヤルゼルスキ―大統領による二重支配の重苦しい時代に現われたレフ・ワレサの捨て身の抵抗を明かるいテンポで描いた。」と切り出した。
 つづけて筆者は、「ポーランドの「連帯」労組は、官製労組を乗り越える少数運動として1980年に始まった。政府に対して、果敢な非暴力闘争とストライキで闘い、ついに1千万の組織となって政権をとる。
 80年代のワレサの闘争は、私たちと同時代のものだった。
 映画では、妻と6人の子供たちを抱えた中年の一造船労働者が、次第に指導者となっていくプロセスが、家庭内のエピソードとともに、手堅く描かれている。」と教えてくれる。
 最後に筆者は、「 「自由は捨てられない 僕は自由を愛す 自由は捨てられない」
 ポーランドの苦悩とともに歩んできた巨匠ワイダの映画が、いま、安倍政権の勝って放題、生活さえままならなくなった、この日本の若者たちにどう迎えられるだろうか。」と結んだ。
 労働者が主人公、価値は労働によって生み出されると昔教えてもらった気がする?
 資本家と労働者間の格差、労働者間の格差は、ともに社会制度によって生み出されたものではないのか?。
 人の社会の制度は、すべて人が創ったものである。今ある格差は、個人の責任ではなく社会構造のひずみであると考えるが、このことを格差にあえぐ若者たちにどうやって伝えればいいのだろうか?
 社会の発展・安全回復のために必要ならば、格差を生じ拡大する社会制度を変えればいい。と思うが?目下、格差の中で足掻かざるを得ない状況の人に、こんにちただいまの格差の解消は、個人の責任・努力でできるものでは無いことを、どうやって伝えればいいのだろうか?

 
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by sasakitosio | 2014-04-28 07:33 | 東京新聞を読んで | Trackback
 4月27日(日)。快晴。風さわやか。草に露多し、人多し。釣り人多し。
 入りの柏公園6時半。いつもの何倍も人がいる。特にイベントはないが。
 公園を抜けて、柏下の水路沿いの草原を歩く。森蔭からケーンと鳴くキジの声、樹の中からホーホケキョ、ホーホケキョのウグイスの声。水路の壁の隙間に生える、紅い小さな4弁の花、アカバナユウゲショウだ。数株、少し離れて咲いていた。かえって、図鑑で調べたら、名前はユウゲショウだが、昼間から咲いているものもあるとの事。朝咲いているので、朝化粧が合いそうだが。
 機場の林にある数本のユリノキ、花芽がはっきり分かるようになってきた。機場の草薮に、赤茶に黒い斑点の、シジミチョウが飛んでいた。草の端に止まって、羽を広げたところを、写メール。
 戸張側の機場の林、で体操。林の藪は、ブタナの花が咲き始めた。
 戸張下の水路沿いの草原を歩く。斜面の森から、ホーホケキョ、ケキョ、ケキョのウグイスの声頻り。ひどり橋までの水路沿いの草原の散歩。しきりにキジの鳴き声は聞こえるが、姿は見えない。途中ハクチョウが一羽、緑道から下の側道に降りていた。草刈りの後なので、ハクチョウの食べるクローバーがまだ伸びていない。
 刈残された草原のクローバーを探し、手でちぎって戻ってきて、ハクチョウに投げ与えたら、夢中になって食べていた。
 ひどり橋に近い、戸張下の水路沿いの草原には、一面に紫鷺苔が咲き誇り、お花畑になっている。
 ひどり橋、横の柵を使って、腕立て伏せ、スクワット。眼下の大津川河口には、20人近い釣り人でにぎわう。
 帰路の戸張下の水路沿い、田圃の中から、ピーチクパーチクの声とともに、ひばりが飛び立った。今年初めて確認した、ヒバリの飛び上がりだ。雲一つない青空に、黒い一点になって、さえずっていた。地上に降りるまで見ていようと思ったが、15分くらいで、ヒバリの姿を見失ってしまった。声はするが。
 今日もまた、燕2羽が、身の回りを数回旋回して、飛び去った。
 帰路の機場の草薮に、赤茶に黒い斑点のある、シジミチョウ。今日は三匹のシジミチョウに遭遇。
 
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by sasakitosio | 2014-04-27 17:41 | 手賀沼をたのしむ | Trackback

秘密の壁より厚く

 4月22日付東京新聞朝刊一面に、「秘密保護法 言わねばならないこと」という署名入りの囲み記事がある。
 筆者は、沖縄県嘉手納町議長・徳里直樹氏だ。
 今日はこの記事を学習することにした。
 筆者は、「米軍基地を抱える沖縄では、閉ざされた基地でなにが行われているか分からず、住民は常に不安を感じながら生活している。今も日米地位協定などの高い壁に阻まれて情報を得られないのに、何が対象になるかはっきりしない特定秘密保護法で、より秘密の壁が厚くなり、住民の命に関わる情報が全く入ってこなくなる懸念がある。」と指摘した。
 つづけて筆者は、「嘉手納町は嘉手納飛行場や弾薬庫など米軍基地が町域の83%を占め、昼夜を問わず離着陸する戦闘機のごう音に悩まされて得いる。米軍機の事故や米兵の事件が起きても、住民に知らされないし、基地内にどんな武器弾薬や有害物質があるかも、うかがい知れない。
 知らぬ間に基地機能が強化されることもしばしばだ。
 町役場や町議会が米軍に問い合わせても回答はない。
 米軍基地の情報は住民が毎日、外から監視して苦労しながら得ている。秘密保護法は基準が曖昧で、外交・防衛を名目に、何でもかんでも秘密に指定される恐れがある。それによって、望遠鏡で動きを調べたり、基地の中で見たことを誰かに伝えたら罰せられるかもしれないと、住民を萎縮させてしまう。基地をめぐる日米協議の内容も外交・防衛に関係するということで隠されるだろう。」と、不安視している。
 最後に筆者は、「嘉手納町議会は自民党支持者など保守系が過半数だが、昨年12月、沖縄県内でいち一早く秘密保護法の廃止を求める意見書を全会一致で可決した。 
 基地と隣り合わせで暮らしている住民は「知る権利を」制限され、情報が隠される怖さを身に染みて感じている。情報は国民のもので、統制するものではない。」と締めくくった。
 沖縄のひどい現実をいくつか知った。
1.基地で何があり何が行われているか、知らされていない。
 ために住民がそとから監視して情報を得ていること。
1.嘉手納町議会が自民党支持者など保守系が過半数だが昨年12月、沖縄県内でいち早く秘密保護法廃止を求める意見書を全会一致で可決したこと。
 1.基地と隣り合わせで暮らしている住民は「知る権利」を制限され情報が隠される怖さを身に染みて感じていること。
 一瞬、パキスタンの米軍秘密基地から、無人機が飛び立ち、アメリカ本土でパイロットが操作し、生身の人間を「虫けらをピシャリ」とミサイルを発射しているとの記事を思い出した。
知らぬ間に、嘉手納基地が「無人機の秘密基地」されることのないよう、引き続き監視をお願いしたい。それが、秘密保護補遺で難しくなるとのこと。今もひどいのに、これ以上嘉手納町の人々を困らせてはいけない。
そのためにも、秘密保護法は廃止しなければと、強く思った。
また、 あらためて、沖縄に大変な犠牲を強いている、日米安保であることを知らされた。
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by sasakitosio | 2014-04-27 08:16 | 東京新聞を読んで | Trackback