憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:東京新聞を読んで( 2065 )

 815日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「働き方改革から人づくり革命へ。「改革」と「革命」。 過激語を振りまいて延命を図っている。

 天下の悪法・共謀罪を強行可決して一気に憲法改悪へと調子に乗った安倍政治にも秋の風。こけおどしの革命まで持ち出したから、眉唾になる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「自慢の「働き方改革」は、残業代ゼロ、過労死促進(高度なプロフェッショナル)制度として批判が高まり、妥協した連合幹部は組合員から猛反発を食らった。

 もう一方の「人づくり革命」は、教育勅語の亡霊まで引き出した政権と学校当局の一体化(森友加計との癒着を見よ)を進め、ついに大学支配まで狙うようになった。

 前防衛大臣はあまりに恥ずべき無定見で解職、後任の小野寺大臣には戦争させない決意が全くない。戦争を知らない世代の大臣たちには安倍流の戦争準備こそ「積極的平和主義」との危険な思い上がりがある。」と指摘した。

 最後に筆者は、「北朝鮮のミサイル発射準備に対抗して、防衛大臣は安保関連法を持ち出して、他国への攻撃であっても迎撃する可能性がある、と迷言。

 安倍内閣はトランプ米大統領に追随せず、平和憲法の精神、対話を進めてほしい。

 「ノーモア・ヒバクシャ」の声を集めた「核兵器禁止条約」に背を向け、「ノーモア・フクシマ」の悲劇に学んで脱原発に向かう聡明な政府と比べ、日本政府は愚鈍、無反省の極みというべきか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「自慢の「働き方改革」は、残業代ゼロ、過労死促進(高度プロフェッショナル)制度として批判が高まり、妥協した連合幹部は組合員から猛反発を食らった」とのこと、

 「もう一方の「人づくり革命」は、教育勅語の亡霊まで引き出した政権と学校当局の一体化(森友加計との癒着を見よ)を進め、ついに大学までを狙うようになった」とのこと、

 「戦争を知らない世代の大臣たちには安倍流の戦争準備こそ「積極的平和主義」との危険な思い上がりがある」とのこと、等々を知ることができた。

 たしかに、「働き方改革から人づくり革命へ」はスローガンとしては、いいような気がする。

 だが、その中身が「働き方改革」=「残業代ゼロ」で、「人づくり革命」=「教育勅語の亡霊まで引き出した政権と学校当局の一体化(森友加計との癒着を見よ)」では、政権による詐欺以外のなにものでもない、と思った。

 それで国民が簡単に騙せると思った「政権・官僚」は、国民の知性とマスメデイアの監視力を見くびり過ぎていないか、とあきれてしまう。

 内閣支持率低下で、国民とマスメデイアの苛立ちを、内閣・官僚に伝えてあげなくてはならないが?

 


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by sasakitosio | 2017-08-16 06:49 | 東京新聞を読んで | Trackback

814日付東京新聞朝刊19面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ある日の訪問看護で、精神障がいがありながら親の介護をしている利用者さんが不安そうに言った。

 「この間の選挙で、地元のことを全然知らない人が都会議員になって不安でたまりません」

 彼女は私と同じ武蔵野市民。今回、都民ファースト

公認の候補者に敗れ,次点となった民進党の松下玲子さんを応援していたという。私もまさに同じ気持ちである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「松下さんは民進党の公認を受け、共産党などが推す野党共闘の候補者だった。二期目の前職で実力は十分。しかし、民進党への批判が票を減らす一方、自民党への批判票が都民ファーストに流れてしまった。

 公約を見ても武蔵野市に関心を寄せているとは思えない人を選んだ武蔵野市民に、私は強い失望感を感じている。

 また、都民ファーストという政党の質も不安材料だ。都知事の傘下にいる都議会議員が、しっかりとの行政と対峙できるのか。ここも不安な点である。

 実際当選後、都民ファーストの議員たちは自由な発言は禁じられ、都知事の言うなりに見える。しかし、こうなることは最初から予想がついていたはずである。」と指摘した。

 最後に筆者は、「こんな時期というか、10月には武蔵野市長選挙がある。ここでは本当に武蔵野市に関心を寄せ、市民の立場に立って市政に取り組む人を選びたい。市民としての良識が問われている。」として締めくくった。

 読んで考えさせられた。

 「民進党への批判が票を減らす一方、自民党への批判票が都民ファーストに流れてしまった」とのこと、

 「公約を見ても武蔵野市に関心を寄せているとは思えない人を選んだ武蔵野市民に、私は強い失望を感じている」とのこと、

 「実際、当選後、都民ファーストの議員たちは自由な発言を禁じられ、都知事の言うなりに見える」とのこと、等等の指摘で筆者の気持ちはよくわかった。

 その上で、いかなる状況であろうと「現職」が落選するということは、特に新人に後れを取ることは、候補者本人の任期中の活動が有権者から「オンリーワン」との評価を頂けなかったことの証明ではないか。だから酷なようだが、現職で落選した本人が一番深く反省し、熱烈な支援者の期待に応えるべく、落選の翌日から運動を再開すべきではないか、と思った。

そして、選挙の結果は、良くも悪くも選挙時の「市民の良識」を表している、と率直に受け止めるしかないのではないか、と思う。

 


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by sasakitosio | 2017-08-15 19:35 | 東京新聞を読んで | Trackback

813日付東京新聞朝刊社説横に、「時代を読む」という欄がある。 筆者は、同志社大教授・浜矩子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「三つの言葉の真の意味」このところ、気になっている言葉が三つある。

 ポピュリズム、コーポラティズム、コミュニズム。この三つである。

 この三つの言葉には、共通点が一つある。

 それは誤解されやすいということだ。

 そして、そこから派生するもう一つの特徴も、共有している。それは本来の意味から大きくかけ離れた嫌なイメージが、すっかり定着してしまっている点である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ポピュリズムは、このところのはやり言葉だ。メデイアにもよく登場するようになった。日本語では大衆迎合主義という訳語が良く使われる。

 だが、これは納得できない。

 いかにも大衆を愚弄した言い方だ。

 せめて大衆扇動主義と言ってほしい。

 要は世の中が喜びそうで盛り上がりそうなことを言って人々を鼓舞し、自分がゆきたい方向へに誘導する。そんな行動を取るやからをポピリストと呼ぶ。

 人気を得たい。すなわちポピュラーになりたい。だからポピュリスト。こんな感じだ。

 これはこれで良く分かる。

 いかにも正義の味方、庶民の救世主のような顔をして人気取りばかりする。そんな人間をポピュリストと呼んで、その真意を疑う。

 この感性は決して悪くない。そこには、知的に健全な懐疑心が働いている。それは大いに結構だ。

 だがポピュリズムという言葉の本来に意味は少し違う。

 ポピュリズムを最も素直に翻訳すれば人民主義だ。人民の思いに基盤を置く。人民の願いを代弁することが基本だ。

 「人民の人民による人民のための政府」。これを唱えた第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンこそ最も純粋な意味でのポピュリストだったと言えそうである。

 コーポラティズムはどうか。その本来の意味は、協調主義。協同組合主義という訳し方もある。協調して協同する。対立と競争から、融和と共生へ。 グローバル時代の生き方にピッタリの方向感だ。

 だが、このコーポラティズムという言葉にも、ともすれば、ネガティブなイメージが付きまとう。談合と癒着。強き者同士、巨大なもの同士が結託し、物事を自分たちにとって都合のいい形で決着させてしまう。なれ合いがもたらす既得権益の保持・保存。コーポラティズムにはそのような構図の映像が重なる。

 強き者たちの癒着ほどおぞましいものはない。本来の意味での人民主義をもって、そのような化け物は退治することが必要だ。だが化け物退治の中で協調主義という概念そのものまでが破壊されてしまうのはまずいだろう。

 コミュニズムは共産主義だ。この言葉も、実に誤解されやすい。

 共産主義は一種の理想主義だ。

 共同生活の中で、人々は能力に応じて労働し、必要に応じて分配を受ける。

 弱肉強食の世界から、人類を脱却させようとする発想だ。

  だが現実には、共産主義を標榜する国々が、一様に専制的で全体主義的な国家体制を打ち立ててきた。だから、コミュニズムという言葉にも、ダークなレッテルが貼られてきた。」と教えてくれる。

最後に筆者は、「偽ポピュリズムと偽コーポラティズムと偽コミュニズム。

 われわれが今日まで目の当たりにしてきたのは、偽物ばかり。そういうことだと思う。

 今、もしわれわれが真のポピュリズムと真のコーポラティズムと真のコミュニズムを実現することができれば、21世紀は人類にとって打開の世紀となるかもしれない。ちょとした夏の世の夢。」として締めくくった。

 読んで大変勉強になった。

 「ポピュリズムを最も素直に翻訳すれば人民主義だ。人民の願いを代弁することが基本だ」だとのこと、

 「「人民の人民による人民のための政府」。これを唱えた第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンこそ最も純粋な意味でのポピュリストだったといえそうである」との指摘、

 「コーポラティズムはどうか、その本来の意味は強調主義だ」とのこと、

 「共産主義は一種の理想主義だ。共同生活の中で、人々は能力に応じて労働し、必要に応じて分配を受ける。弱肉強食の世界から、人類を脱却させようとする発想だ」とのこと、等々を知ることができた。

筆者指摘のように、「ポピュリズムは大衆迎合主義」に、「コーポラティズムはなれ合いがもたらす既得権益の保持・温存」に、「現実には共産主義を標榜する国々が、一様に専制的で全体主義的な国家体制」を打ち立て、それぞれにダークなレッテルが貼られてきた。そして、自分的にも、ダークなイメージの方が定着しているのが情けない、と思った。

 そして、「筆者指摘の」真のポピュリズムと真のコーポラティズムと真のコミュニズムに「真の平和主義・非暴力社会」を加えて、その実現をめざすことで、いまの閉塞状態を打開することができるかもしれない、と思った。

 


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by sasakitosio | 2017-08-15 07:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

813日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「もうすぐ終戦の日を迎える。安倍首相が唱えた9条改憲の動きは世論の支持を得られていない。

 終戦から70年以上がたち、戦争を直接経験した人々が少なくなる中で、9条の理念が戦争を知らない世代に引き継がれていると思う。

しかし、戦争を決定、遂行した日本の政治あるいは官僚組織の体質は、民主主義が定着したはずの現在にも引き継がれている。

 その意味で、本当の意味での戦後を迎えることができていない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「戦後政治学の先駆者、丸山真男は日本を戦争に引きずりこみ、抜け出せなかった組織の体質を無責任の体系と呼んだ。

 功名心にかられて無謀な作戦にのめり込む指揮官、個人的に疑問を感じながら自分には止める権限がないと逃避した要路の指導者、主観的願望に基づいて破局への道を進んだ指導者などが無責任の体系を構成していた。

 防衛省における情報の隠蔽と大臣の責任の曖昧化は、現代版の無責任体系である。国民を代表する国会に対しても、問題をごまかす政府与党は無責任集団である。

 政府だけではない。東芝では原発投資の失敗についてごまかしを重ね、生き残りを図る悪あがきが続いている。無責任の温存は亡国への道である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「無責任の体系から決別するには、情報公開と、さまざまな立場による自由な討議こそが必要である。われわれの決意が問われている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「戦争を決定・遂行した日本の政治あるいは官僚組織の体質は現在にも引き継がれている」とのこと、

 「戦後政治学の先駆者、丸山真男は日本を戦争に引きずり込み、抜け出せなかった組織の体質を無責任の体系と呼んだ」とのこと、

 「功名心にかられて無謀な作戦にのめり込む指揮官、個人的に疑問を感じながら自分にはとめる権限がないと逃避した要路の指導者、主観的願望に基づいて破局への道を進んだ指導者などが無責任の体系を構成していた」とのこと、

 等々を知ることができた。

 筆者は、「防衛省における情の隠蔽と大臣の責任の曖昧化」は現代版無責任体系で、「国会にたいしても、問題をごまかす政府与党」は無責任集団と断定する。

 また、筆者は「無責任の温存は亡国への道である」と指摘し、無責任体系から決別するには「情報公開とさまざまな立場による自由な討論こそが必要である」と指摘した。

 共感しながら、功名心にかられる指揮官、逃避する要路の指導者、主観的願望に基づき破局の道に進んだ指導者、とうとうが組織の中に生まれない仕組みづくりに「AI」を活用できないものか、と思っている。なんたって「AI」には、功名心も、逃避も、主観的願望も無縁だろうから!

  


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by sasakitosio | 2017-08-14 07:26 | 東京新聞を読んで | Trackback

812日付東京新聞朝刊19面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「バイクで街を走行中、帽子が飛ばされた。一瞬迷ったが、取りに戻った数秒後、その先でテロが発生。帽子が飛ばされなければ、巻き込まれていた。

 「危険すぎる。中止しようか」と考えていた短編映画の撮影を、アリー・カリーム(33)は続行すると決めた。九死に得た一生だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「米軍による侵攻以来、50万超の市民が死亡したというイラク。テロ件数と犠牲者数は世界最悪だ。そこで撮影された「不思議の国ハッサン」が日本で上映され、カリーム監督も来日、NHK国際放送でも紹介された。

 作品を通じてカリームが訴えようとしているもの、それは非暴力だという。アラブは古くから、かたき討ちを容認する文化だ。

 暴力には暴力で対抗する権利があると考える人も多い。「許すほうが良い」と教えるイスラムをもってしても、その文化は変えられなかった。

 だから私はカリーマのメッセージに共感しつつも、戦争や宗派対立で多くの人が肉親を奪われた傷の癒えないイラクでそれがどう受け止められているか、懐疑的だった。」と指摘した。

 最後に筆者は。「だが手ごたえは確かにあるという。ある中年男性は「私たちの世代ではもう遅い。子どもたちに非暴力を教えてくれ」と彼を激励した。不条理な戦争の犠牲を重ね、かって日本人がそうだったように今、イラクの人々も平和を渇望している。終戦記念日には、彼らにも思いをはせたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米軍による侵攻以来、50万超の市民が死亡したというイラク。テロ件数と犠牲者数は世界最悪だ」とのこと、

 「そこで撮影された「不思議の国のハッサン」が日本で上映され、カリーム監督も来日。NHK国際放送でも紹介された」とのこと、

 「アラブは古くから、かたき討ちを容認する文化だ。」とのこと、

 「暴力には暴力で対抗する権利があると考える人も多い。「許すほうが良い」と教えるイスラムをもってしても、その文化は変られなかった」とのこと、等々を知ることができた。

特に、アラブのかたき討ちの文化は、イスラムの「許すほうが良い」という教えを持ってしても変えられなかった、との指摘は意外であった。