憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 820 )

7月30日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。

 筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「戦争にテロ、憎しみの連鎖を断ち切れずにいるこの地上で、一粒の希望の種のような記事を6月末の新聞で見た。

 南米コロンビアで、半世紀にわたる闘争を続けてきた反政府ゲリラ組織が、政府との和平合意に基づいて武装解除を終えた。

 自動小銃など多くの武器が国連派遣団に引き渡され、約7千人のメンバーは戦闘服を脱いだ。

 その一人のことががよかった。

 「敵を殺す生活から、子を育て、種をまく人生が始まる」。12歳で戦争孤児になり、戦闘員なった30代の男性だ。

 国民同士が殺し合った歴史と憎しみの克服はよういではあるまい。

 しかし、そこには未来から差し込む光がある。

 和平を導いた同国のサントス大統領には昨年ノーベル平和賞が送られている。

 そして、これを「明」とするなら、平和賞を巡る「暗」のニュースが、同じ紙面に並ぶように乗っていた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「「西側で死にたい」、と見出しにあった。獄中で末期がんを病む中国の民主化活動家、劉暁波氏が欧米への移送を望んでいると記事は伝えていた。

しかし、望みはかなわぬまま、2週間後に拘束下で死去したのは周知のとおりである。

 あたり前のことだが、ノーベル平和賞は栄誉の裏には不幸をはらむ。戦乱でも抑圧でも、事態が深刻で、虐げられた人々が多いほど衆目を集める。ときには受賞者自身が苦難を象徴することがある。

 平和賞の歴史をひもとくと、獄中で受賞し、しかも獄死した人物が劉氏の前に1人だけいる。

 「カール・フォン・オシエツキーの生涯」(加藤善夫著、晃洋書房)という本にいきさつは詳しい。台頭するナチズムに立ち向かった。ドイツの言論人にして平和運動家だった。

 身に危険が迫るなか、周囲は亡命を勧めたがオシエツキーは拒み続けた。その理由を大意こう述べている。

 「国境を超えてしまったものが故郷に叫びかけても、その声はうつろである。その者は外国の宣伝ピーカーの一つになってしまう。有効に闘うことを望むなら、国内にとどまって普通の人々と運命を共有しなければならない」

 同じ志を、劉氏も持っていたのだと思う。

 天安門事件のときは「安全地帯であった米国から忠告を振り切って帰国した。事件で投獄されたが、釈放後も亡命の道は選ばず執筆活動を続けた。発表文の末尾には年月日と「北京の自宅にて」と記すのが常だったという。

 さかのぼれば、オシエツキーへの受賞はヒトラーを激憤させ、のちにノーベル賞委員会は全員ナチスに逮捕された。しかしこのとき示された反ファシズムの先見性と勇気は、戦後に「永久的功績」とたたえられることになる。

 片やその時代、諸国の指導層は急伸するナチスに優柔不断な態度を取り、それがひいては、「民主主義の敵」に取り返しのつかぬ弾みをつけさせたとされる。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「5年前のこと、アウンサンスーチー氏がノルウェーのオスロでノーベル平和賞の「受賞演説」に立った。1991年の受賞の時には軍政下のミャンマーで自宅監禁を強いられていて、式に出席できなかた。祖国に民主化が兆すなかで21年後の登壇がかなえられた。

 そのような日が、劉氏に来ることはなかった。

 だが抑圧の苦境で「最大の善意を持って政権の敵意に向き合う」と述べていた言葉に、多くの人が非暴力抵抗の気高さを見た。

 時代も状況も異なるが、ノーベル平和賞の歴史において中国政府は、ナチスドイツと並ぶ汚名を刻んだといっても過言ではない。

 冒頭のコロンビアの話が一粒の希望の種なら、劉氏は一粒の麦であろう。「一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」。名高い言葉を恐れるかのように中国国内の締め付けは厳しさを増す。

 一つのノーベル賞の背後に、どれだけの理不尽と悲嘆があるかを想像したい。国際社会は腫物にさわるかのような優柔不断と沈黙で、自由と民主主義の普遍的な価値を損ねてはなるまい。それでは、劉氏を二度死なせることになる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「南米コロンビアで、半世紀にわたる闘争を続けてきた反政府ゲリラが、政府との和平合意に基づいて武装解除を終えた」とのこと、

 「和平を導いた同国のサントス大統領には昨年のノーベル平和賞が贈られるている」とのこと、

 「平和賞の歴史をひもとくと、獄中で受賞し、しかも獄死した人物が劉氏の前に一人だけいる。

 「カール・フォン・オンエツキ―の生涯「(加藤善夫著、晃洋書房)という本にいきさつは詳しい。台頭するナチズムの立ち向かった、ドイツの言論人にして平和運動家だった」とのこと、

 「身に危険が迫るなか、周囲は亡命を勧めたがオシエツキーは拒み続けた。その理由を大意こう述べている。

 「国境を越えてしまったものが故国に呼びかけても、その声はうつろである。その者は外国の宣伝スピーカーの一つになってしまう。有効に闘うことを望むなら、国内にとどまって普通の人々と運命を共有しなければならない」とのこと、

 「同じ志を、劉氏も持っていたのだと思う。 

 天安門事件のときには「安全地帯」であった米国から忠告を振り切って帰国した。事件で投獄されたが、釈放後も亡命の道を選ばず執筆活動を続けた。発表文の末尾には年月日と「北京の自宅にて」と記すのが常だったという」とのこと、

 「さかのぼれば、オシエツキーへの受賞はヒトラーを激憤させ、のちにノーベル賞委員会の委員は全員ナチスに逮捕された」とのこと、

 「劉氏は苦境の中で「最大の善意をもって政権の敵意に向き合う」と述べていた言葉に、多くの人がい暴力の気高さをみた」とのこと、

 等々を知ることができた。

 佐藤前総理がノーベル平和賞を送られた時は、昨今の受賞者のように、日本中で喜び合った印象はない。自分的には、佐藤前総理にノーベル平和賞が送られたことによって、今まで持っていた「ノーベル平和賞」へのイメージが一気に損なわれたという気がした、ことを思い出した。

 しかし、劉氏とオシエツキー氏へのノーベル賞は、ノーベル賞の価値を格段に向上させたことは、間違いない、と思った。

 命がけで、ナチスと闘い、一党独裁国家の習近平氏と闘う、その勇気は一体どこから来るのだろうか? 
 日本政府のお墨付き「有識者」に、彼らの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい、と切に思った。

  

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-08-03 06:31 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月27日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・駒野剛氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「7月初旬、ソバ畑は可憐な白い花が咲き競っていた。会津盆地北西に位置する福島県喜多方市を訪ねた。

 江戸期から明治初頭にかけて、侍の町、会津若松に対し、周辺の農産物の流通や隣県・越後(新潟県)との交易を担う商都として発展。

 いまも市街地を水田や畑が囲む商と農の地だ。

 そんな穏やかな風景の所々に「自由万歳圧政撲滅」の幟が上がり、闘いの嵐が吹き荒れた時がある。

 明治15(1882)年、旧薩摩藩士、三島通庸が現在の知事に当たる福島県令に赴任してからである。

 「土木県令」の異名を持ち、道路や大型施設の建設を熱心に進めた。特に道路の建設を熱心に進めた。特に道路は経済発展の起爆剤だけでなく時代の変化を住民に示す役割を期待した。

 会津若松を中心に日光(栃木県)、新潟、米沢(山形県)3方面に延びる「三方道路」を打ち出す。

 費用の集め方が乱暴で強権的だった。

 会津地方6郡の住民15歳以上60歳以下の男女に、毎月1日間、2年にわたり道路建設につくことを求め、できないなら男は1日15銭、女は10𥒎の「代夫銭」を治めよ、と定めた。

 そればかりか、工事開始前にも3か月分の「代夫銭」の負担を命じた。

 米一升で5銭前後の当時、夫婦で75銭は重い。路線から遠い住民から反対の声があがった。

 赴任の翌月、三島は「集会届」を厳達。

 政治談議でない集まりも禁じた。

 政府も「集会条例」を改定、政党員の舞簿提出を義務付け、地方支部の設置を禁止した。

 福島の自由民権運動の拠点、自由党福嶋支部は解消を余儀なくされる。聞く耳持たずの弾圧に、民衆は反発の火種を炎上させる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「市北部の久山寺に行く。

 史跡案内は「会津各村の総代74名が日没ころから会合し、自分たちの権利を恢復し、幸福を保全することを盟約」「同盟に加わった4083名には、一人10銭づつ拠出を決め」「民意を無視して強行されつつある三方道路の開削を訴訟で覆そうとはかった」と記す。

 集会届をかいくぐって集まった人たちの怒りと熱気が、今も伝わる。

 元県立高校教諭で自由民権運動の研究家、山崎四朗さん(76)は「寺は住民が集まって話し合う場所でした。会津盆地の東西南北から代表が来ました」と話す。

 三島は反対派住民を拘束させ、代夫銭を拒む家の財産を差し押さえ競売にかけた。

 農民らは警察に財産保護願を出して抵抗したが、逆に誣告罪で告発される始末。

 11月28日、捉えられた農民を心配した人々が、逮捕の理由を問いただそうと、喜多方の南、弾正ケ原にに集結。

 警察に向かうが、何者かの投石をきっかけに抜刀した警官が農民を襲い、暴力沙汰になる。

 事件を聞いた三島は「官民乱暴セシニツイテハ好機会故、関係ノモノ総テ捕縛セヨ」と指令。和解や説得の余地はなかった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「三島と農民との対立の構図はその後も続く。

 三浦文次、横山信六、原利八の喜多方農民を含む急進的活動家たちは、三島ら政府要人をの暗殺を計画して途中で露見。

 明治17年9月、茨城県の加波山で武装蜂起するが逮捕される。

 三浦、横山は死刑、原も北海道空知の囚人収容施設で獄死する。

 喜多方市熱塩加納町の曹洞宗示現寺の境内には「事件の意義と自由の魁となった志士たちの遺徳や業績を偲び、今後の国づくりや地域づくりへの情熱が呼び起こされることを祈念」して、地元の有志が建てた彼ら3人の顕彰墓が残されている。

 彼らの遺族の一人にお会いした。

 仏間に志士の写真が掲げられていた。

 「権力者は自分たちの都合のいいように歴史を書いていく。それを私らがあきらめるか、反抗するか。自分にできるかどうかわからないが、いいところもあった彼らの思いや行いを、語り継いでいかなければならないと思います」と、静かだが確かな口調で話された。

 私たちは、先人が理不尽な権力、強圧的な政治でも、ずっと従順に服してきたと思いがちだ。

 しかし、最初から敵視し、人として尊重しない相手には、屈せず、抗い闘った民衆がいたことを忘れてはならない。

 真っ当な批判もきちんと受け止めず、逆に「印象操作」と言いつのる権力者と三島がダブって見える。

 私たち、とりわけ新聞人はいまこそ、勇気を奮って、「ならぬものはならぬ」と声を上げるときである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。 

 筆者は「7月初旬。ソバ畑は可憐な白い花が咲き誇っていた。会津盆地北西に位置する福島県喜多方市を訪ねた」とのこと、

「穏やかな風景の所々に「自由万才 圧政撲滅」の幟があがり、闘いの嵐が吹き荒れた時があった。明治15年(1882)年、旧薩摩藩士三島通庸が現在の知事に当たる福島県令に赴任してからのである」とのこと、

 筆者は「市北部の久山寺に行く。史跡案内は「会津各村の総代74名が日没ごろから会合して、自分達の権利を恢復し、幸福を保全する盟約」「同盟に加わった4083名には、一人10銭づつ拠出を決め」「民意を無視して強行されつつある三方道路の開削を訴訟で覆そうとはかった」と記す」とのこと、

 「三島は反対派住民を拘束させ、代夫銭を拒む家の財産を差し押さえ競売にかけた。農民らは警察に財産保護願を出して抵抗したが、逆に誣告罪で告発される始末。」とのこと、

 「三島と農民との対立の構図はその後も続く。

 三浦文次、横山信六、原利八の喜多方農民を含む急進的な活動家たちは、三島ら政府要人の暗殺を計画して途中で露見。明治17年9月、茨城県の加波山で武装蜂起するが逮捕される。 三浦、横山は死刑、原も北海道空知の囚人収容所で獄死する」とのこと、

 「喜多方市熱塩町の曹洞宗示現寺の境内には「事件の意義と自由の魁となった志士たちの遺徳や業績を偲び、今後の国づくりや地域づくりへの情熱が呼び起こされることを祈念」して、地元の有志が建てた彼ら3人の顕彰碑が残されている」とのこと、等々を知ることができた。

 またまた、知らなかったことで、知っておくべきこと、の一つを教えてもらった。

 いまは、日本国憲法の下で、基本的人権が守られている。新聞も朝日、毎日、東京等々、権力監視を怠らない新聞社がある。

 普通選挙もある、国民投票もある。デモもできる、国会前での集会もできる。多数の国民がその気にさえなれば、内閣はいつでも変えられる時代だ!!

 

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-08-02 06:41 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月31日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。筆者は、政治部次長・高橋純子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「週に一度はランチに通う、お気に入りの定食屋さん。味がよく値段も手ごろな人気店。満席のため並んで待つこともしばしばだった。

 ところが、仕事の都合で3カ月ほどご無沙汰したのち訪ねたら、客は私一人だけ。どこか荒んだ空気が漂う店内で焼き魚定食を食す。

 ん? 変わらずおいしい。でもこれは早晩つぶれるなと店を出た。その通りになった。

 本当の原因は知らない。ただ、たとえ味や値段は変わらなくても、かっての行列が途絶え閑散ととした店に通う気はしない。

 人気が衰えた店はどうにも陰気で、ますます客足を遠のかせるーーーそうです。

 私はこの思い出話に、安倍内閣の支持率続落を重ね合わせているわけです」と切り出した。

 続けて筆者は、「支持率に一喜一憂するのは端的に言って愚かしい。
 しかし、現政権にとって支持率の低下は致命的だ。

 なぜか。

 安倍晋三首相が自らの政治の正当性を、支持率の高さによって根拠づけてきたからだ。

 4月。民進議員が森友問題に関し、世論調査では「納得できない」が約8割として首相に説明を促すよう求めると、「内閣支持率は53%。民進党の支持率もご承知の通り」と薄笑いを浮かべ、拒んだ。

 少数意見に耳を傾ける。幅広い合意を得る。政治の正当性は、プロセスが正しくあることによって担保されうるのに、どれもこれもかなぐり捨てて、「数」を頼みに暴走を繰り返した。それでも首相が高い支持率を維持できたのは「フィルター」の効果によりところが大きい。

 「私たちは、(略)ファン越しに、というかファン込みで、アイドルを見るのである。ファンの人垣は、一種のフィルターの役割を果たす。ファン以外には何の価値もないそのアイドルの一挙手一投足に、少なくとも価値があるであろうことを認識させる効果ぐらいはある」(ナンシー関「何様のつもり」)

 有名無名、首相の熱烈なファンは確かにフィルターとして機能し、「強引」「傲慢」は「実行力」に変換されて拡散、ファンの外側に分厚い「消極的支持層」を育んできた。

 どころがその、なんたってアイドルな構図が崩れた。
 いつ?
 「安倍やめろ!」の横断幕が広げられ、「帰れ」コールを書いた都議選の最終日だ。

 首相がコールを無視し、人垣の内側にとどまっていれば、往時に比べ衰えたとはいえフィルター効果が稼働し、「一部に抗議の声」で終わったかもしれない。

 しかし、首相はよりによって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、ファン越しに首相を見ていた消極的支持層までをも指さしてしまった。人垣の外の世界と直つながり、フィルターを自ら無効化しちゃたのだ。

 俺様何様真っ逆サマー。暑い。」と指摘した。

 最後に筆者は、「はてさて内閣改造である。人気が下がったのも、店の空気が荒んだのも、「お前のせいだ」と言われている店長指導でスタッフを入れ替え「冷やし中華始めました」ならぬ「丁寧始めました」としたくらいで各足は戻るか。そんな例、過去にあった。

 記憶に御座いません。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「4月。民進党議員が森友問題に関し、世論調査では「納得ができない」が8割として首相に説明を促すよう求めると、「内閣支持率は53%。民進党の支持率もご承知の通り」と薄笑いを浮かべ、拒んだ」とのこと、

 「有名無名、首相の熱烈なファンは確かにフィルターとして機能し、「強引」「傲慢」は「実行力」に変換されて拡散、ファンの外側に分厚い「消極的支持層」を育んできた」とのこと、

 「ところがその、なんたってアイドルな構図が崩れた。いつ?「安倍やめろ!」の横断幕が広げられ、「帰れ」コールが響いた都議選最終日だ」とのこと、

 「首相はよりによって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、ファン越しに首相を見ていた消極的支持層までをも指さしてしまった。

 人垣の外の世界と直につながり、フィルターを自ら無効化しちゃったのだ!!」とのこと、

 等々を知ることができた。

 また、ナンシー関「何様のつもり」の存在を教えてもらい、中で「私たちは、(略)ファン越しに、というかファン込みで、アイドルを見るのである。ファンの人垣は、一種のフィルターの役割を果たす。ファン以外に何の価値もないそのアイドルの一挙手一投足に、少なくとも価値があるであろうことを認識させる効果ぐらいはある」とあることを知った。

 大勢の人を集めて、主催者を価値あるものの如くみせ、参加者を自己陶酔させる。そんな、光景を歴史的にも、今日的にも数多く見ている。そのことの意味を初めて知ることができた。

 歴史の風雪にも耐える「人」「モノ」を見極める「眼力」を磨き、フィルターに惑わされないようにしなければ、と思った。

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-08-01 07:23 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月27日付朝日新聞朝刊15面に、「あすを探る 政治」という欄がある。

 筆者は、一ツ橋大教授・中北浩爾氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「民進党の低迷が続いている。先の都議選では離党ドミノの末に惨敗を喫した。

 「加計学園」問題などで自民党に逆風が吹くなか、野党第一党でありながら、政権批判の受け皿になっていない。

 その一因は連坊代表の「二重国籍」問題での発言のブレにあろうが、より大きな原因は、民主党が抱える求心力の欠如に求められる。

 それを突き詰めると、政権交代を成し遂げた民主党という名称を捨て去ってしまったことにある。

 野党への転落を機に、党名変更を考えたのは、自民党とて同じである。

 1993年の下野の後には、現在の安倍首相も当選一回で、「自由民主党の理念は誇るべきで、党名も悪くない。しかし都市部で選挙を有利に戦ううえで、場合によっては党名を変更してもいい」と発言している。

 だが、こうした意見は繰り返し退けられ、今日に至っている。」と指摘した。

 続けて筆者は、「名前は、他者と区別するための記号であり、アイデンティティーと密接に関係する。

 栄光と挫折の歴史を刻みつつ、時代を超えて自己の同一性を保つ何かを表現している。

 だからこそ、猛烈な逆風の中でも結束を保ち、耐え忍ぶことができる政党は、党名を大切にしてきた。公明党然り、共産党も然りである。

 実は、2012年政権から転落した民主党も、そのような政党を目指したはずであった。

 当時の海江田万里代表が口にしたのが「疾風に勁草を知る」。

 野党時代の自民党の谷垣禎一郎総裁も、同じ言葉を用いていた。

 政権末期に揺らいだ党の結束を回復し、しかる後に無党派層に支持を広げ、政権交代を実現する。

 新たな綱領の制定、党首による全国行脚と地方組織の強化など、下野した後の党の歩みは、途中まで驚くほど一致していた。

 ところが民主党の支持基盤は自民党に比べて脆弱であり、自力再建の努力はなかなか実を結ばなかった。国政選挙で連敗が続くなか、民主党のままでは16年参院選が戦えないという声が強まる。そうした声に押された岡田克也代表は、維新の党と合流するとともに、その要求を受け入れて党名変更に踏み切った。

 その結果、政権交代の党というアイデンティティーを希薄化させてしまった。

 民進党は、折からの安保法制反対運動の熱気を背景として、自力再建の努力を脇に置き、共産党などとの野党共闘によって参院選に臨んだ。

 「まず3分の2をとらせないこと」というスローガンである。

 安倍政権の憲法改正の動きを阻止することを優先し、政権交代という目標が実際にも後景に退いてしまったのである。

 蓮舫代表の「二重国籍」問題は、その後のことでしかない。

 反自民・反安保という観点からすれば、民進党よりも共産党の方が歯切れがよい。原発ゼロや改憲反対についても、民進党の現実的な方針は、政権に妥協的としか見えない。

 したがって、新潟県知事選への対応に見られるように、野党共闘の枠組みでは民進党に批判の矛先が向きがちである。」と指摘した。

 最後に筆者は、「結局民進党が求心力を取り戻すには、政権交代という目標を設定し、戦略を立てるしかない。

 そして、その本気を示すには、民主党政権の栄光と挫折の経験を正面から引き受けるべきであろう。

 例えば、政権を一緒にになった自由党や社民党と合流して、再び民主党を結成してもよい。

 「悪名は無名に勝る」ともいう。

 かって二度の政権交代を導いた小沢一郎元代表と和解するぐらいの度量が、少なくとも不可欠だ。

 今月初めの朝日の世論調査によると、自民党に対抗できる政党が「必要だ」という回答が82%にも上っている。安倍内閣の支持率が急激に低下するなか、こうした有権者の声にこたえるためにも、民進党に立ちすくんでいる余裕はない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「民進党が求心力を取り戻すには、政権交代という目標を設定し、戦略を立てるしかない」との指摘、

 「その本気度を示すには、政権の栄光と挫折の経験を正面から引き受けるべきであろう」との指摘、

 「政権を一緒に担った自由党や社民党と合流して、再び民主党を結成してもよい」との指摘、

 「「悪名は無名に勝る」ともいう。かって二度の政権交代を導いた小沢一郎元代表と和解するぐらいの度量が、少なくとも不可欠だ」との指摘、等々を知ることができた。

 確かに筆者の指摘を理解し、民主党の指導者が実践するならば、今の自民党の受け皿にはなれそうな気がした。


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-31 07:03 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月26日付朝日新聞社説に、衆参両院の閉会中審査が載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「いくら口調がやわらかくでも、根拠を示して正面から答えなければ「丁寧な説明」をしたことにはならない。

 2日間に及んだ衆参両院の閉会中審査で、加計学園問題をめぐる疑念は晴れなかった。

 原因ははっきりしている。

 安倍首相や官邸、内閣府など政権側の説明に、記録の裏付けがまるでなかったからだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「大きな疑問が幾つも積み残されている。

 例えば、昨年9月、「総理は自分の口から言えないから私が代わって言う」と和泉洋人・首相補佐官から対応を迫られたとする、前川喜平・前文部科学次官の証言である。

 前川氏は面会の日時を再確認し、時刻の記憶違いまで修正して答弁した。ところが和泉氏の方は「記憶はまったくない。したがって言っていない」と根拠を示さず否定した。

 ウソをつけば偽証罪に問われる証人喚問で、両氏の言い分を聞く必要がある。

 面会予約が要る首相官邸を愛媛県今治市の職員が特区に決まる前になぜ訪問できたのか。

 この疑問にも、当時の首相秘書官が「私の記憶する限りはお会いしていない」とひたすら繰り返し、まともに答えなかった。

 そして、今年1月の決定直前まで加計学園が手をあげているのを知らなかったという首相の答弁だ。

 過去の国会答弁との矛盾を野党につかれたが、首相の発言が事実なら、昨秋の時点で首相周辺から「総理のご意向」などの声が出ること自体がおかしいことになる。

 一方、農林水産相と地方創生相は昨年8~9月に、首相の友人で学園理事長の加計孝太郎氏自身から計画を聞いていた。加計氏の証言も聞く必要がある。

 不都合な「記録」はあれこれと理屈をつけて葬ろうとする。

 自衛隊の日報問題や森友学園の問題とも共通する安倍政権の姿勢は変わっていない。

 2日間の審査で説明責任を果たしたとは到底言えない。」と指摘した。

 最後に筆者は、「疑念をぬぐいたいなら、首相は自らの指導力で関係省庁に記録を探させるべきだ。行政文書の作成・保存・開示ルールを見直すことも欠かせない。

 同時に、野党が憲法53条に基づき求めている臨時国会召集に直ちに応じる必要がある。

 首相は予算編成や法案準備を理由に後ろ向きだが、この規定は少数党の権利を保障するためにある。拒否は許されない。

 自民党自身、5年前にまとめた憲法改正草案で「20日以内」の召集をうたったではないか。

 有言実行を首相に求める。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「安倍首相や官邸、内閣府など政権側の説明に、記録の裏付けがまるでなかった」とのこと、

 「前川氏は面会の日時を再確認し、時刻の記憶違いまで修正して答弁した。ところが和泉氏の方は「記憶はまったくない。したがって言っていない」と根拠を示さず否定した」とのこと、

 「面会予約が要る首相官邸を愛媛県今治市の職員が特区に決まる前になぜ訪問できたか。

 この疑問にも、当時の首相秘書官が「私の記憶する限りはお会いしていない」とひたすら繰り返し、まともに答えなかった」とのこと、

 「今年1月の決定直前まで加計学園が手を挙げているのを知らなかったという首相の答弁だ。首相の発言が事実なら、昨秋の時点で首相周辺から「総理のご意向」などの声が出ること自体がおかしいことになる」との指摘、等々を改めて知りことができた。

 和泉氏の「記憶に全くない。従って言っていない」、 当時の首相秘書官の「私の記憶する限りはお会いしていない」、等々は、安倍内閣には大臣も政府高官も、記憶喪失者だらけだとわかった。日本はこれでいいのか、不安になってきた。

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-27 19:31 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月25日付朝日新聞社説に、「特区の認定白紙に戻せ」との見出しで、きのうの「衆院予算委員会の閉会中審査」のことが載った。

 今日この社説を学習することにした。

 まず社説は、「安倍首相の「腹心の友」に便宜を図るために、公正であるべき行政が歪められたのか。

 首相が出席したきのうの衆院予算員会の閉会中審査でも、疑念が晴れることはなかった。

 内閣支持率の急落と相次ぐ選挙での敗北を受け、低姿勢で臨んだ首相だが、肝心な点になると、政府側答弁はあいまいな内容に終始した。約束した「丁寧な説明」にほど遠い。

 このまま加計学園による獣医学部の新設を進めても、多くの人の納得が得られるはずもない。国家戦略特区の認定手続きをいったん白紙に戻し、プロセスを踏み直すべきだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「首相は、加計学園が特区に手をあげること自体、知ったのは、学園が事業主体に決まった今年1月だと答弁した。

 にわかに信じがたい。

 首相は特区諮問会議の議長でもある。

 15年12月の資料には、既に愛媛県今治市に獣医学部を造る計画が明記されていた。

 県と市は10年前から加計学園による獣医学部新設を訴えており、関係者の間では「今治=加計」は共通認識になっていた。

 首相だけが知らなかったのか。

 資料が作成され、審査が進んでいる間も、首相は学園の加計孝太郎理事長と会食やゴルフを繰り返していた。

 首相は親密な間柄を改めて認めた。2人の中で、特区の件は話題にすらならなかったのだろうか。

 きのうの審議では、首相側の思惑とは逆に、「加計ありき」を疑わせる新たな事実が明らかになった。

 昨年11月、諮問会議が獣医学部の規制緩和を決める前日に、文部科学省が加計学園に対し、さまざまな助言をした文書が残されていることを、松野文科相が認めたのだ。

 この「優遇」の理由についても説得力ある説明はなかった。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「加計理事長や今治市の関係者に確かめたいことは多い。官邸や内閣府とどんなやりとりをしてきたのか。なぜ事業主体に決まる前から、予定地のボーリング調査を開始できたのか。国会でぜひ説明してもらいたい。

 きのうも政府側からは「記憶にない」「記録がない」が連発された。

 首相秘書官だった柳瀬唯夫氏は、15年春に今治市職員と官邸で面会したのではないか、と野党議員に問われ、「記憶にない」と述べた。入館記録も「ない」と首相が答弁し、官邸のセキュリィーは大丈夫かと議員から皮肉られた。

 都合の悪い「記録」が出てくるたびに、「記憶がない」でそれを否定しようとする。こんな態度を取り続ける限り、国民の信頼は取り戻せない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「首相は、加計学園が特区に手を挙げていること自体、知ったのは、学園が事業主体に決まった1月だと答弁した」とのこと、

 「首相は特区諮問会議の議長でもある。15年2月の資料には、既に愛媛県今治市に獣医学部を造る計画が明記されていた。」とのこと、

 「県と市は10年前から加計学園による獣医学部新設を訴えており、関係者の間では「今治=加計」は共通認識になっていた」とのこと、

 「資料が作成され、審査が進んでいる間も、首相は学園の加計孝太郎理事長と会食やゴルフを繰り返していた。」とのこと、

 「昨年11月、諮問内儀が獣医学部の規制緩和を決める前日に、文部科学省が加計学園に対し、さまざまな助言をした文書が残されていることを、松野文科相が認めた」とのこと、

 加計学園は「事業主体に決まる前に、予定地のボーリング調査を開始できた」とのこと、

 「首相秘書官だった柳瀬唯夫氏は、15年春に今治市職員と官邸で面会したのではないかと野党議員に問われ「記憶にない」と述べた。」とのこと、等々を知ることができた。

 結果、首相が出席した昨日の衆院予算委員会の閉会中審査で疑念が晴れるどころか、疑念が深まった。

 多くの国民にとって、政府が国家戦略特区の認定手続きをいったん白紙に戻しても、疑念が晴れないのではないか?

 

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-26 19:05 | 朝日新聞を読んで | Trackback

7月20日付朝日新聞社説に。稲田防衛相のことが載った。今日は、この社説を学習することにした。

 まず社説は、「防衛省・自衛隊のみならず、安倍政権全体の信頼性が問われる事態である。

 南スーダンの国連平和維持活動[PKO]に派遣された陸上自衛隊の日報が、「廃棄した」とされた後も陸自内で保管されていた問題で、対応を協議した2月の幹部会議に稲田防衛相が出席していたことがわかった。

 稲田氏は「隠蔽を了承したとか、非公表を了承したとかいう事実は全くありません」と述べたが、複数の政府関係者が稲田氏の出席を認めている。

 この問題で組織的な隠蔽があった疑いはかねて指摘されてきた。

 稲田氏は3月、報道で陸自に日報が保管されてい事実が判明した後に、報告を受けていたかどうかを国会で民進党議員に問われ、「報告はされなかった」と答弁している。

 その稲田氏が幹部会議に出席し、報告を受けていたとすれば、防衛省トップとして公表を指示せず、さらに国会で虚偽答弁をしていた疑いが極めて濃くなる。」と切り出した。

 続けて社説は、「稲田氏は、直轄の防衛監察本部に特別防衛監察の実施を指示したとして、国会での野党の質問に対して具体的な説明を拒んできた。だが、監察結果は今なお公表されていない。

 そもそも特別防衛監察の対象に防衛相ら政務三役は含まれていない。そこに稲田氏自身の関与が疑われる事態ともなれば、もはや防衛省内での解明には限界があると言わざるを得ない。

 やはり国会での真相究明が不可欠である。」と指摘した。

 さらに社説は、「来週、衆参の予算委員会の閉会中審査が予定されているが、加計学園や森友学園問題など論点は山積みである。

 野党が憲法53条に基づき要求している臨時国会を速やかに招集するよう、安倍内閣に強く求める。

 稲田氏はこれまでも東京都議会選の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と呼びかけるなど、防衛相として不適格な言動を重ねてきた。なのに今も防衛相を続けているのは、任命権者の安倍首相が政治的主張の近い稲田氏をかばってきたからだ。」と指摘した。

 最後に社説は、「今回の事態を受けても、菅官房長官は「今後とも誠実に職務に当たっていただきたい」と稲田氏を続投させる意向だ。

 だが現状を見れば、実力組織である自衛隊の文民統制が機能しているとは到底言えない。

 この異常事態はただちに収集する必要がある。

 来月の内閣改造で稲田氏を後退させればいい。首相がもしそう考えているなら、甘すぎる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「稲田氏は3月、報道で陸自の日報が保管されていた事実が判明した後に、報告を受けたかどうか国会で民進党議員に問われ「報告はされていない」と答弁している」とのこと、

 「その稲田氏が幹部会議に出席し、報告を受けていたとすれば、防衛省トップとして公表を指示せず、さらに国会で虚偽答弁をしていた疑いが極めて濃くなる」とのこと、等々を知ることができた。

 その限りでは、社説の「現状を見れば。実力組織である自衛隊への文民統制が機能しているとは到底言い難い」との指摘は、その通りだと思った。この期に及んで、安倍首相や菅官房長官が亜稲田氏をかばうのは何故なんだろう?大変疑問だ。その理由をマスメデイアには調査報道を是非してほしいと、思った。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-23 19:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback

627日付朝日新聞社説に、安倍首相の改憲発言のことが載った。

 今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「安倍首相が先週末の講演で、自民党の憲法改正原案について、「来たるべき臨時国会が終わる前に、衆参の憲法審査会に提出したい」と語った。

 2020年の改正憲法施行をめざし、これまで年内に原案をまとめる意向を示していた。

 臨時国会に言及することで、さらにアクセルを踏み込んだ形だ。

 強い疑問が浮かぶ。

 日本はいま、それほど改憲を急がねばならない状況なのだろうか。」と切り出した。

 続けて社説は、「首相の主張の中心は戦争放棄と戦力不保持をうたう9条の1項と2項を維持しつつ、自衛隊を明記するというものだ。

 だが自衛隊には幅広い国民の指示がある。

 明記を急ぐ合理的な理由があるとは思えない。

 もう一つ、首相があげているのが高等教育の無償化だ。

 これは憲法に書くか否かではなく、財源の問題だ。財源を用意し、自らの政策判断で進めれば会見しなくてもできる。

 本紙の主要企業100社アンケートでも、首相の目指す「20年の憲法改正」を「めざすべきだ」と答えたのはわずか2社。

 39社が「時期にこだわるべきではない」と答えた。

 そんな状況下でなぜ、首相は改憲のアクセルをふかすのか。

 内閣支持率の急落を招いた、加計学園の問題から国民の目をそらし、局面を変えたい。そんな思惑はないか。

 首相は講演で語った。

 「(獣医学部の新設を)1校だけに限定して特区を認めたが、中途半端な妥協が結果として国民的な疑念を招く一因となった」「速やかに全校展開を目指したい」
 明らかな論点のすり替えだ。

 問われているのは、規制改革が「中途半端」だったかどうかではない。

首相の友人が理事長を務める加計学園が事業主体に選ばれた過程が、公平・公正であったかどうかだ。」と指摘した。

 最後に社説は、「首相が今回、講演先に選んだのは、産経新聞の主張に賛同する任意団体「神戸「正論」懇話会」だった。

 5月には読売新聞のインタビューと、日本会議が関わる会見集会に寄せたビデオメッセージで「20年改憲」を打ち出した。

 主張の近い報道機関や団体を通じて改憲を得く一方で、国会で問われると、読売新聞を「ぜひ熟読して」と説明を避ける。

 まさにご都合主義である。

 首相が今なすべきは、憲法53条に基づく野党の要求に応じて速やかに臨時国会を開き、自らや妻昭恵氏に向けられた疑問に一つ一つ答えることだ。

 憲法無視の首相が、憲法改正のハンドルを握ることは許されない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「首相の主張の中心は戦争放棄と戦力不保持をうたう9条の1項と2項を維持しつつ、自衛隊を明記するというものだ」とのこと、

 「もう一つ、首相があげているのが高等教育の無償化だ」とのこと、等々を改めて知ることができた。

 社説は自衛隊の憲法明記については「自衛隊に幅広い支持がある。明記を急ぐ合理的な理由があるとは思えない」と指摘、

 また社説は高等教育無償化については「これは憲法に書くか否かではなく、財源の問題だ。財源を用意し、自らの政策判断で進めれば会見しなくてもできる」と指摘、等々の指摘はその通りだと思った。

 「首相は講演で語った。「(獣医学部の新設)を1校だけに限定して特区を認めたが、中途半端な妥協が結果として国民的疑念を招く一因となった」「速やかに全国展開をめざしたい」」とのこと、

 「首相が今回講演先に選んだのは、産経新聞の主張に賛同する任意団体「神戸「正論」懇話会」だった。」とのこと、

「5月には読売新聞のインタビューと日本会議が関わる改憲集会に寄せたビデオメッセージで「20年改憲」を打ち出した」とのこと、

 等々も知ることができた。

 獣医学部の全国展開をめざしたいとの「首相」の発言は、社説指摘の通り「問われているのは、規制改革が「中途半端」だったかどうかではない。首相の友人が理事長を務める加計学園が事業主体に選ばれた過程が、公平・公正であたかどうかだ。」ということだ。この首相発言は「論点のすり替えだ」と、社説は非難する。社説の避難はその通りだと思う。

 が、その論点のすり変えということさえ、首相の認識にないのではないか、と想像した時ぞっとした。

  


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-17 13:13 | 朝日新聞を読んで | Trackback

625日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。

 筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「総理のご意向」なんてなかった、どんな文書で示そうと、そんなものはまったくない。そういうことらしい。

 であれば話が早い。

 まず文部科学省は「総理のご意向」があると誤解して出してしまった決定を取り消す。

 加計学園の獣医学部新設への手続きを、改めて原則に立ちかえっってやり直す。

なにせ「忖度すべきものはない」と「官邸の最高レベル」が繰り返しておるのだ。

 今度はのびのびと仕事ができる。

 文科省に限らない、官僚たちは今後、公文書に残せないような「総理のご意向」などがどこからか伝わってきても、ざれ言として一切無視すればいいーーー。

 記録文書や証言に対する安倍政権の軽蔑的な姿勢は、天に唾するほどに常軌を逸している。

 まず、ないという。

 あったとすれば出所不明の怪文書という。

 怪文書でないとなってもまともに調べない。

 あるいは廃棄されたという。

 それでも出てきたら内容が不正確で違う、という。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この政権は、歴史への思い入れを暗示してきた。戦後70年では首相談話を出すことにかなり力を入れてきた。

 最近も、稲田朋美防衛相は雑誌への寄稿で「東京裁判史観の克服」に言及し、「「客観的事実は何か」を追求する姿勢を持つことが大切」と記している。

 しかし、防衛相は、南スーダン国連平和維持活動に携わった陸上自衛隊の日報が廃棄されたと言われたときには「法令に基づいていた」などとその正当性を主張していた。

 一方歴史へのこだわりらしきもの、への深い軽蔑。

 その間に整合性はない。

 森友学園への国有地売却問題では、財務省本省と近畿財務局が持つ交渉記録が消されてしまいそうだ。

 その電子データの保全を裁判で争っているNPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は、最近は行政文書が廃棄されて公開不能となる事例が増えていると指摘する。

 「政治家のやりとりの記録などは、出さないものも変に目立つし、出したら出したで面倒くさいかもしれない。だから、公開請求対象にならないようにしてしまうこともありうると思います」

 たとえば、保存期間が1年未満と早く廃棄できる文書に分類しておけば、情報公開要求をかわしやすい。情報を出すも出さないも、残っていなければ、どうしようもない。

 文書を残すのは情報公開のためだけではない。

 「政府としての説明責任を果たすうえで必要では」と理事長は言う。

 南スーダンの日報も「ありません、となればそれができなくなるでしょう。」

 「日報」は、存在が確認されたとも疑惑は残ったまま。一時隠蔽したのはなぜか、一部削除されたのではないか。

 森友問題や加計問題でも、政府に文書や記録を保全し検証する動きはない。

 自分たちが多数派だという自信からか、情報公開も説明責任もないがしろにする。

 そして歴史から「客観的事実」を消していく。と指摘した。

 最後に筆者は、「国際NGO「国境なき医師団」創設者の一人でもある仏作家ジャンクリストフ・リュファンの作品に「グローバリア」という近未来の全体主義国家を描いた反ユートピア長編小説がある。

 独裁者が全てをコントロールするその国では、年号は0年から60年で一巡する。

 60年の後はまた0年にもどり、それを繰り返す。「歴史」はなくなる。

 当局は、人々が歴史を意識するのは危険と考える。「過去とは有害な考えが詰まった巨大な貯蔵庫だ。専制、征服、植民地支配、奴隷制・・・」。

 だから「記憶は特別な部署の管理下に」封印する。

 グローバリアは民主主義国を標榜している。

 作者があとがきで、民主主義が多数派の専制に行き着いた社会を描いてみたと述べている。

 「あったものをなかったことにする」。

 歴史と記録へのそんな姿勢で、今の日本の政権と反ユートピア国家の政治体制が重なってみえる。」として締めくくった。

 読んで面白かった。

 「「総理のご意向」なんてなかった。どんな文書で示そうと、そんなものはまったくない。そういうことらしい。

 であれば話が早い。

 まず文部科学省は「総理のご意向」あると誤解して出してしまった決定を取り消す、加計学園の獣医学部新設への手続きを、あらためて原則に立ち返ってやり直す」と筆者は指摘した。

 面白い発想だ。だが、筆者の提案のような策がどこからも聞こえてこない。ということは、関係者一同にとっては「総理のご意向」はあったということが周知の事実ということか?

また「仏作家ジャンクリストフ・リュファンの作品に「グローバリア」という近未来の全体主義国家を描いた反ユートピア長編小説がある」とのこと、

 小説の中で、「当局は、人々が歴史を意識するのは危険と考える。「過去とは有害な考え方が詰まった巨大な冷蔵庫だ。専制、征服、植民地支配、奴隷制・・・」。だから「記憶は特別の部署の管理下に」封印する。」とのこと、等を知ることができた。機会があったら、この小説を読んでみたい。

 また、「あったものをなかったことにする」歴史と記録へのそんな姿勢で、今の日本の政権と反ユートピア国家の政治体制が重なって見える」との筆者の指摘は、当たっているようで怖い。

 しかし、私たちは基本的人権を保障した「日本国憲法」の下で、70年も生きてきた。その誇りと自信で、日本における平和・非戦と自由・民主主義を進化発展していきたい。


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-17 12:22 | 朝日新聞を読んで | Trackback

625日付朝日新聞社説に、「公務員は誰のために」との見出しで、森友学園問題や加計学園問題で露見した「公務員」の公平・中立問題についての記事が、載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「公務員は誰のために働いているのか。そう嘆かざるを得ない出来事が相次いでいる。

 安倍首相の妻昭恵氏が名誉校長としてかかわった森友学園への国有地売却で、財務省が異例の対応をしていた実態を示す資料が次々と明らかになった。

 首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設計画では、内閣府が「総理のご意向」だとして文部科学省に手続きを促していたとする内部文書が判明した。

 公平、中立であるべき公務員の姿が大きく揺らいでいる。」と切り出した。

 続けて社説は、「明治憲法下における「天皇の官吏」は新憲法のもとで、主権者である国民のために働く公務員へと大きく転換した。

 憲法15条が「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定める野は、その宣言である。

 戦後70年余、多くの官僚の働きが日本を支えてきたことは確かだ。だが、、官僚機構が総体として「全体の奉仕者」の使命を果たしてきたかと言えば、必ずしもそうとは言えない。

 戦前の官僚主導の行政機構は戦後も温存された。

 占領当局が日本統治に当たり、国内事情を熟視する官僚に依存したこと、多くの政治家が公職追放を受けたことなどが背景にある。

 官僚が族議員の力を借り、省益や業界益の実現を図る。

 そんな政官の持ちつ持たれつの関係が成立した時代もあった。

 しかし政官癒着や縦割り行政のひずみが広がり、経済成長の鈍化も加わって、政治主導によるトップダウンの政策決定がめざされるようになった。安倍政権が2014年に内閣人事局を設置したのも、1980年代末からの一連の政治改革の延長線上にある。」と指摘した。

 さらに社説は、「内閣人事局の設置で、中央官庁で働く約4万人の国家公務員のうち、事務次官や局長ら約600人の人事に首相や官房長官が直接かかわるようになった。

 それにより首相官邸が官僚機構の人事権を掌握したが、現状は副作用も大きい。

 多くの官僚が、官邸の不興を買うことを恐れて委縮している。

 「官邸の意向」を過度に忖度し、「時の権力への奉仕者」と化してしまっていないか。

 元自治省課長で総務相も務めた片山善博・早稲田大学教授は「今の霞が関は「物言えば唇寒し」の状況。内閣人事局発足以降、この風潮が強まっている」と朝日新聞に語っている。

 もちろんすべての官僚をひとくくりにはできない。

 加計問題で、「怪文書」と断じた政権に追従せず、「総理のご意向」文書の存在を証言した文科省職員を忘れるわけにはいかない。

 とはいえ、衆参で与党が圧倒的多数の議席を占める「安倍一強」のもとで、国会による政権の監視が弱まり、立法府と行政府の均衡と抑制が」機能不全に陥っている。

 その上に官僚が中立性を失い、政権と官僚の相互のチェックが損なわれていることの弊害は極めて大きい。

 では政と官のあるべき関係とはどういうものか。

 政策決定に当たっては、選挙で選ばれた政治家が方向性を示す。

 官僚は具体化するための選択肢を示し、政治家が最終判断する。それが望ましい政官関係のありかただろう。

 同時に、官僚は政治家にただ従えばいいわけではない。政治家の過ちに異議を唱え、説得に努めることも欠かせない。

 「変化」に敏感で、状況に応じて方向を決める政治家。

 「継続性」を重んじ、中立性を旨に行政を安定させる官僚―――

 両者の役割分担によって適切な緊張関係が生まれれば、惰性を排するとともに、過度な振幅を抑えることにもつながる。」と指摘した。

 最後に社説は、「日本と同じ議院内閣制で、一連の政治改革のモデルとされた英国の事情はどうだろう。

 「英国では政策決定はトップダウンの政治主導だが、人事は必ずしも政治主導ではない」

 内山融・東大教授(政治学)はこう解説する。

 「省庁の次官や局長級人事については、政治の干渉を受けない国家公務員人事委員会が選考委員会をつくって候補者一人を首相に推薦する。

 首相はその人事を拒否できるが、その場合はもう一度、委員会で先行し直すことになる。そうすることで中立性が保たれる仕組みだ」

 日本の官僚機構に中立性を育むために何が必要か。

 まず政権が人事権を乱用し、官僚に過度の圧力をかけることがあってはならない。

 そして、官僚は「全体の奉仕者」としての仕事ぶりを主権者である国民に十分開示し、チェックを受ける必要がある。

 そのためにも、政策形成にかかわる公文書をより厳格に管理し、積極的に情報公開することから始めなければならない。

 そのうえで人事制度の見直しを含め、政と官のあるべき関係を構想し直す時ではないか。」と締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「戦前の官僚指導の行政機構は戦後も温存された」とのこと、

 「官僚が族議員の力を借り、省益や業界益を図る。そんな政官のもちつもたれつの関係が成立した時代もあった」とのこと、

 「多くの官僚が、官邸の不興を買うことを恐れ萎縮している。

 「官邸の意向」を過度に忖度し、「時の権力の奉仕者」と化してしまっていないか」との危惧、

 「「英国では政策決定はトップダウンの政治主導だが、人事は必ずしも政治主導ではない」とのこと、

 「「省庁の次官や局長級人事については 、政治の干渉を受けない国家公務員人事委員会が選考委員会を作って候補者一人を首相に推薦する。

 首相はその人事を拒否できるが、その場合もう一度、委員会で選考し直すことになる。そうすることで中立性が保たれる仕組みだ」」とのこと、

 等々を知ることができた。

 社説は、「日本の官僚機構に中立性を育むために、「政策形成にかかわる公文書をより厳格に管理し、積極的に情報公開する」ことから始めなければならない」と指摘した。

 たしかに、公文書の厳格な管理と、積極的な情報管理は、官僚機構の中立性の担保に役立つと思う。そのうえで、公務員の倫理研修を徹底し、常に公務員個々に「全体の奉仕者」たる自覚をもって仕事をしてもらいたいものだ、と思った。


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-17 11:27 | 朝日新聞を読んで | Trackback