憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 791 )

7月7日付朝日新聞朝刊15面に、「異論のススメ」という欄がある。

 筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。

今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「将棋界の藤井聡太4段の快進撃がついに止まった。とはいえ、29連勝とは大変な偉業である。

 持って生まれた天賦の才はあるのだろう。

 彼は、AI(人工知能)の将棋のソフトを使って練習を重ねた、という。 今後、AIによる訓練が標準化することは必定であろう。

 練習なら良いが、実際に、すでにAIと人間の棋士の対決は、ここ2年間、AIが勝っている。

 昨年には、囲碁で韓国人の世界トップ棋士相手にAIが4勝1敗で勝利した。

 チェスでもAIは勝利している。

 現時点でいえば、この種の能力に関しては、AIは人間よりもはるかに上である。ゲームに限らず、将来、AIは人間の頭脳をはるかにしのぐ仕事をするだろう、とも思えてくる。

 今日のAIは、ビックデータなる膨大なデータを用いて、デイープラーニングと呼ばれる自らの学習機能を持っているそうで、思わぬことを考え出すらしい。

 そのにまた、ある種の恐ろしさもあって、例えば、囲碁での対決においてAIは一度だけ敗北したが、その時には、思わぬ「奇策」を考えだし、そのあげくに自滅していったそうである。

 これが囲碁であればよいが、仮にわれわれの日常生活に入り込んだAIが、あまりに独創的なことを考え出すとすれば、果たして、われわれ人間はそれについていけるのであろうか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「今日の科学・技術の展開は、イノベーションの速度の高度化というだけではなく、何か、根本的に新たな段階に突入しようとしているのではなかろうか。

 この20年ほどの脳科学や情報技術の展開の上にAIやロボット技術が華々しく進化した。

 生命科学の発展は、細胞や遺伝子レベルで、従来とは大きく異なった医療を可能としつつある。

 果たして、こうした技術の展開を、これまで同様の科学・技術の延長上において理解してよいのだろうか。

 西洋の近代社会は、なんといっても合理的な科学と技術の先駆的な展開によって、世界において圧倒的な影響力を持った。

 20世紀に入り、とりわけ戦後の冷戦体制の下では、米国がこの種の合理主義、科学主義、技術主義の旗を高く掲げ、それを世界市場と結びつけることで多大な利益を上げたわけである。

 元々、近代の合理的科学は、人間という合理的主体が自然や世界を対象化し、そこに理論的で普遍的な法則を見出し、その法則を利用して、人間が自然や世界(社会)を変えていった。

 人間はあくまで、この自然や世界の外から、これらに働きかけた。

 技術の力を使って、自然を管理し、社会を便利にするところに「進歩の思想」も生まれた。

 しかし、今日の脳科学にせよ、AIにせよ、生命科学にせよ、それが働きかける、もしくは分析する対象は人間自身なのである。

 AIも人間の頭脳の代替である。

 すくなくとも、それは、人間が、自らの外にある自然や世界(社会)に働きかけるものではない。

 ちょうど、フランケンシュタイン博士の生み出した怪物が、外界の自然や世界を作りかえるのではなく、いわば人間自身のシュミレーションであり、その技術的創造であるのと同様である。

 多くの技術者もエコノミストも、おそらくは、科学や技術の本質は何も変わらない、というであろう。

 AIであれ、ロボットであれ、生命科学であれ、遺伝子技術であれ、それを使うのはわれわれだ、というのであろう。

 われわれが理性的にそれを使えば、それは、従来の技術同様、人間に大きな可能性と幸福をもたらすであろう、と。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「私は、これらの最新技術の可能性を否定する気は毛頭ないが、それでも、この新技術から超然として「人間」というものがあり得るとは思えない。ただ便利にそれらを使えばよい、というものではないと思う。

 第一の理由は、人間は、確かに新たな技術を有効利用するが、また他方では、「悪魔と取引する」ものだからである。

 物理学の発展が生み出した核融合技術を見ればこれは明らかであろう。

 第二の理由は、もしもこれらの技術が高度に展開すれば、人間自身が、これらの技術に取り込まれてゆくだろうと想像されるからである。

 こうした先端技術は、こちらに人間という確たる「主体」があって、それが「客体」としての対象に働きかけるという近代の合理的科学の前提を大きく逸脱してしまった。

 ここでわれわれは、いやおうもなく「人間とは何か」という根源的な問いの前に立たされることになろう。

 こうなれば、科学と技術の発展が、自然や社会を支配する人間の力を増大させ、ほぼ自動的に人間の幸福を高める、などとは全く言えない。

 近代社会の「進歩の思想」は崩壊するするだろう。

 その時われわれはそれらが、人間にとってどのような意味を持つかを問わざるを得なくなる。

 にもかかわらず、それに対する答えを近代社会は準備できていない。

なぜなら近代社会は科学・技術とその意味(価値)を切り離したからである。

 その結果、、今日、こうした問いと全く無関係に専ら、それが市場を拡大し、経済的利益を生み出すという期待だけでイノベーションが加速されているのだ。

 これは恐るべき事態というべきではなかろうか。

 いつか、人間同士の将棋で泣いたり笑ったりした時代が懐かしくなるかも知れない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「今日のAIはビッグデータなる膨大なデータを用いて、デープラーニングと呼ばれる自らの学習機能を持っているそうで、思わぬことを「考え出す」らしい。」とのこと、

 「仮にわれわれの日常生活に入り込んだAIが、あまりに独創的なことを考えだすとすれば、果たして、われわれ人間はそれについていけるのであろうか」との指摘、

 「もともと、近代の合理的科学は、人間という理性的主体が自然や世界を対象化し、そこに理論的で普遍的な法則を見出し、その法則を利用して、人間が自然や世界(社会)を変えていった」とのこと、

 「今日の脳科学にせよ、AIにせよ、生命科学にせよ、それが働きかける、もしくは分析する対象は人間自身なのである」との指摘、

 「AIも人間の頭脳の代替えである」との指摘、

 「この新技術から超然として「人間」というものがあり得るとは思えない」との指摘、

 「科学と技術の発展が、自然や社会を支配する人間の力を増大させ、ほぼ自動的に人間の幸福を高める、などとまったく言えない」との指摘、

 「もっぱら、それが市場を拡大し、経済的利益を生み出すという期待だけでイノベーションが加速されているのだ。これは恐るべき事態というべきではなかろうか」との指摘、

 等々、AIの現在と将来に対する課題を教えてもらった。

 たしかに、人間の頭脳の代替であったAIが、あらゆる面で人間総体の頭脳を超えた時、人間はAIに支配命令されるかもしれない、という恐ろしさを感じた。

 人類はいつかは、他の生物や惑星と同じように滅亡するはずだが、それが「人間の欲」、「戦争」、「惑星衝突などの事故」、などに、「AI」がもう一つ加わったような気がした。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-08 09:07 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月22日付朝日新聞朝刊15面に、「欧州季評」という欄がある。筆者は、保育士でライター・ブレディみかこ氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「欧州に古くて新しい政治の風が吹いている。教育費を増やし、勇気をもって未来に投資する政治が人々の心を掴んでいるのだ。

 それを世界に知らせるように6月8日の英国総選挙は大番狂わせの事態になった。

 メイ首相は大勝を確信して解散総選挙に打って出たのに、コービン党首の労働党が怒涛の猛追し、与党の保守党の議席が過半数割れを起こした。

 総選挙前、子供の学校の前でPTAの役員たちが労働党のチラシを配っていた。

 「保守党はブライトン&ホープ市の学校予算を1300万ポンド(約18億5千万円)削減します」とあり、地元の小中学校の年間予算削減額が示してある。

 息子の小学校では児童一人当たりに換算すると365ポンド(約5万2千円)減。

 二人の教員を失うことに相当する。

 2019年4月からの税務年度までに、約30億ポンド(約4260億円)の教育予算が削減される方針を知り、英国の親たちは「学校を救え」という運動を全国で立ち上げて闘ってきた。

 総選挙での労働党の追い上げを可能にしたのは、彼らのような地べたの人びとだが、教育予算が争点の一つだったことはあまり知られていない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「今回の選挙での草の根運動の盛り上がりは、終戦直後の1945年の総選挙を思い出させた。

 この時の総選挙は今でも「人々の革命」と呼ばれる。英国の人々は、戦前の格差と貧困の時代に戻ることにノーを突きつけ、戦争で国を勝利に導いたチャーチルではなく、スラムに移り住んで苦しい生活を共にする「セツルメント運動」出身のアトリー率いる労働党を選んだ。

 アトリー政権は、医療、住宅、教育、福祉など、いわゆる「ブレッド&バター・イシュー」と呼ばれる、庶民の生活に根差した分野への大規模投資を行った。

 この時のことはケン・ローチ監督の映画「1945年の精神」に詳しい。

 特筆すべきは、当時は荒唐無稽と言われていた国民医療制度、NHS(国民保健サービス)を設立したのだ。

 コービン党首は、これにならい、NES(国民教育サービス)の設立をマニフェストに盛り込んだ。初等、中等、高等教育だけではなく、幼児教育もこの枠に入れて、2歳児保育(週30時間までの上限付き)から大学までの無償教育を実現するという大胆な提案だ。

 日本でも、高等教育の無償化やその財源をめぐる議論はあるが、この提案は先を言っている。

 45年の労働党もマニフェストを読むと、教育の箇所に「教育の重要な目的は、一人一人の市民に自分で考える能力を与えることです」と書かれている。

 コービン党首も選挙選で何度もこう言った。

 「あなたたちは、学校の一クラスの人数が増えるているのを見てうれしいですか?」

 これは45年前の労働党の精神だ。

 自分で考えられる市民を育てるということは教育者が十分な時間を一人一人の子供のために割くということであり、それを可能にする投資を国が行うことを意味する。

 人に投資する政治は、若者たちの熱い支持を集めている。昨年のEU離脱の投票では、18歳から24歳の投票率は低く、「結果に不満な割には投票しなかった。」と批判されたが、今回は大学生が全国の学内投票所の前に長い列を作っていた。

 NESの実現は、大学無償化を意味する。これは彼らにとって「荒唐無稽」ではない。彼らの親たちは無料で大学に通えた世代なのだから。

 NESは「一昔前まで「英国名物」と呼ばれ、充実していたファーザー・エデュケ―ション(公的成人教育制度)の復興も含む。

 コービン党首はかってブレア政権が行った保育・教育の改革プロジェクトの名称「すべての子供が大事」をもじって「すべての子ども、そして大人が大事」のスローガンを掲げた。

 保守党の緊縮財政で閉鎖になった成人教育カレッジの元教員たちや授業料値上げで中退した元学生たちも労働党のマニフェストには顔を輝かせた。」と指摘した。

 最後に筆者は、「2008年の金融危機以降の不景気と、緊縮財政化の7年間は終わりなきトンネルのようだった。若者たちは「自分たちは損な世代なのだ」と諦め、大人たちも「もう昔とは違う」と俯き、そういう時代なんだと自分に言い聞かせてきた。

 それが突然、そうじゃないんだと、昔できたことが今できないのは政治家が優先順位を変えてしまったからなんだ、という政治家が現れた。

 英国のコービン、スペインの政党ポデモスら欧州の反緊縮派は、国が人に投資する政治は歴史の教科書の中の話ではなく、今だってやる気になればやれるのだと主張。

 そんな彼らが新左派と呼ばれるのは皮肉だ。

 彼らが新しく見えるのは、未来へのビジョンを示す政治が存在しなかったからだ。

 終戦直後の英国の庶民がスラムの広がった時代に戻ることを拒否したように、人々はもう生活困窮者に食品を配るフードバンクの時代に飽き飽きしている。

 削減の政治は人々から希望を奪い、貧困と分断を押し広げた。

 今こそ恐れずに未来に投資しなければ、人も国も暗い時代に沈む。

 古くて新しい政治が支持を広げているのは、庶民こそ肌感覚でそれを知っているからだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「6月8日の英国総選挙は大番狂わせの事態になった」とのこと、

 「今回の選挙での草の根運動の盛り上がりは、終戦直後の1945年の総選挙を思い出させた。」とのこと、

 「「戦争で国を勝利に導いたチャーチルではなく、スラムに移り住んで苦しい生活をともにする「セツルメント運動」出身のアトリー率いる労働党を選んだ」とのこと、

 「アトリー政権は、医療、住宅、教育、福祉など、いわゆる「ブレッド&バター・イシュー」と呼ばれる、庶民の生活に根差した分野への大規模投資をおこなった」とのこと、

 「特筆すべきは、当時は荒唐無稽と言われていた医療の大改革だった。無料の国民医療制度、NHS(国民保健サービス)を設立した」とのこと、

 「コービン党首は、NES(国民教育サービス)をマニフェストに盛り込んだ。2歳児(週30時間までの上限付き)から大学までの無償教育を実現するという提案」とのこと、

「NESは一昔前まで「英国名物」と呼ばれ、充実していたファーザー・エデュケ―ション(公的成人教育制度)の復興も含む」とのこと、

 「保守党の緊縮財政で閉鎖になっていた成人教育カレッジの元教員たちや授業料値上げで中退した元学生たちも労働党のマニフェストに顔を輝かせた」とのこと、

 「英国のコービン、スペインの政党ポデモスら欧州の反緊縮派は、国が人に投資する政治は歴史の教科書の中の話ではなく、今だってやる気になればやれるのだと主張。」とのこと、

 「彼らが新しく見えるのは、未来へのビジョンを示す政治が存在しなかったからだ」との指摘、

 等々を知ることができた。

 また筆者は、「終戦直後の英国の庶民がスラムの広がった時代へ戻ることを拒否したように、人々はもう生活困窮者に食品を配るフードバンクの時代に飽き飽きしている」し、

 「削減の政治は人々から希望を奪い、貧困と分断を押し広げた。今こそ恐れずに未来に投資しなければ、人も国も暗い時代に沈む」と、指摘した。
 状況は、日本も同じようなものだと思うが、英国に生じていて、日本には「教育費を増やし、勇気をもって未来に投資する」発想の芽さえ見えないのは何故だろうか?

 政党の信用にか、役人の信用にか、国民の資質にか、それともほかにか、その原因を何とか究明したいものだ、と思った。 


[PR]
by sasakitosio | 2017-07-02 20:38 | 朝日新聞を読んで | Trackback

627日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」と言う欄がある。筆者は、編集委員・原真人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「一匹の妖怪が欧州を徘徊している。共産主義と言う妖怪がーーーー。

 「共産党宣言」にそう書いたのはマルクスとエンゲルスである。

 彼らが今の日本経済を見たらなんというだろうか。

 「異次元緩和と財政赤字という2匹の妖怪」とでも形容するのではなかろうか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「こちらの妖怪は驚くべきスピードで巨大化している。

 取り返しのつかない次元までエスカレートしているのではないかと心配で、ついゴーストバスターズ(お化け退治人)の登場を願いたくなる。

 政界でもこのところ、経済政策の危うさを指摘する政治家が増えてきた。自民党の河野太郎氏もその一人だ。

 河野氏と言えば「行革ゴーストバスター」ともいえる経歴の持ち主である。予算削減のための「事業仕分け」は旧民主党政権時代に知られるようになったが、初めて国政に持ち込んだのは、河野氏ら自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチームだった。

 最近こんなことも。

 南スーダンPKO部隊の日報の廃棄が問題となったとき、稲田朋美防衛相が再調査を支持しても事務方からすぐに文書は出てこなかった。

 それが河野氏が担当者に問いただしたとたん見つかった。

 かって無駄遣い撲滅で、自衛隊の装備価格について防衛省を厳しく問い詰めたことがあった。

 官僚たちから「手ごわい政治家」と一目置かれたいたのだろう。」と教えてくれる。

 さらに筆者は、「その河野氏がいま、自民党の行政改革推進本部長として金融政策に矛先を向けている。日本銀行と政府に対し、異次元緩和の「出口戦略」を早く考えて市場に説明するよう求めたのだ。

 「金融政策は国民から見えにくい。だが、日銀は池の中のクジラ。財政や国民生活への影響がおおき。巨大リスクをみんなで共有しておく

必要がある」と河野氏はいう。

 異次元緩和の「出口」局面では、日銀はこれまで買い支えてきた大量の国債を処理する必要に迫られる。

 その時の長期金利の急騰。

 円の急落。

 すさまじいインフレなどが起きる恐れは十分ある。

 国民生活は大丈夫か、どうやって防ぐのか。

そうした疑問は当然わいてくるだろう。

 にもかかわらず、日銀の黒田東彦総裁はこれまで「出口の議論は時期尚早」の一点張りで説明を一切避けたきた。

 そこに河野バスターズの登場である。

 黒田氏もさすがにまずいと思ったのか、過日の記者会見で「時期尚早」を封印し、「市場との対話は今後もやっていく」と強調した。

 とはいえ、出口戦略の具体論は相変わらず語らずじまいだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「河野氏は出口プロジェクト名を非公式にこう名付けた。

 [Ye Doomsday(最後の審判の日)]

「こんな政策が長く続くはずがない。みんな不安を感じているはずです」

 日銀総裁が語らない、いや語れないものとは何なのか。

 日本の未来のために、妖怪退治が急がれる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「彼ら(マルクスとエンゲルス)異次元緩和と財政赤字という2匹の妖怪」とでも形容するするのではないか」との指摘、

 「政界でもこのところ、経済政策の危うさを指摘する政治家が増えてきた。自民党の河野太郎氏もその一人だ」とのこと、

 「河野太郎氏といえば「行革ゴーストバスター」ともいえる経歴の持ち主である」とのこと、

 「南スーダンPKO部隊の日報の廃棄が問題になった時、稲田朋美防衛相が再調査を指示しても事務方からすぐに文書はでてこなかった。それが河野氏が担当者を問いただしたとたん見つかった」とのこと、

 「金融政策は国民から見えにくい。だが日銀は池の中のクジラ。財政や国民生活への影響が大きい。巨大リスクをみんなで共有しておく必要がある」と河野氏は言う」とのこと、

 「異次元緩和の「出口」局面では、日銀はこれまで買い支え抱えている大量の国債を処理する必要に迫られる」とのこと、

 「河野氏は出口プロジェクト名をこう名づけた「Ye Doomsday(最後の審判の日)」とのこと、等々を知ることができた。

 読んで、異次元緩和の「出口」局面では、長期金利の急騰、円の急落、すさまじいインフレなどが起きる恐れがある、とのことを知り、国民生活もそうだが「自分の生活」はどうなるのだろうか、心配になった。

戦中生まれ自分には、敗戦直後の記憶は皆無だ。だから、戦後の経済混乱は、母から聞かされた「貯金」の目減りくらいしか知らない。

また、日銀総裁がかたらないもの、語れないものの最大の理由は、出口には「アベノミクスの消滅」が待っているからではないだろうか? 

  


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-28 08:13 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月19日付朝日新聞社説に、「国民投票と衆院選を同日実施案」についてが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「安倍首相が提案した憲法改正の2020年施行をめざして、自民党が議論を始めた。 

 そのなかで、改憲の是非を問う国民投票と衆院選を同日に実施する案が浮上している。

 これは看過できない。

 自民党は改憲原案を年内にまとめ、他党との協議を経て来夏にも国会として発議したい。

 それで、来年12月に任期が切れる衆院議員の選挙と一緒に国民投票をやろうというわけだ。

 シナリオ通りに進むかどうかはわからない。

 だが首相は先月のテレビ番組で「衆院選、参院選と国民投票を別途やることが合理的かどうか」と語った。

 周辺には「同時にやった方がいい」との考え方を示したという。

 確かに憲法上、同日実施は認められている。

 憲法96条は憲法改正の国民の承認について「特別の国民投票または国会の定める選挙の際行われる投票」で決めるとしている。

 投票率の向上や経費節減のため「同日実施の方が合理的だ」と指摘する憲法学者もいる。

 こうした点を踏まえても、国民投票と衆院選を切り離して行うのが筋だと考える。」と切り出した。

 続けて社説は、「理由は三つある。第一に、選挙運動には」公職選挙法で厳しい規制があるが、国民投票運動には表現の自由や政治活動のの自由への配慮から原則として規制はない。ルールの違う二つの運動が同時に展開されれば、混乱は必至だからだ。

 たとえば国民投票には費用もビラ、ポスターの配布も、宣伝カーの台数も制限がない。戸別訪問も認められ、個人による買収禁止規定もない。

 費用が制限され、戸別訪問も買収も禁止される公選法とは大きく違うのだ。

 第二に、同日実施しないというのが、かねて与野党の共通認識であることだ。

 06年の国民投票法の衆院審議では、与党の提出者である自民党議員が「有権者の混乱を引き起こしかねないという観点から、同時実施は想定いたしていない」と明言していた。

 積み重ねてきた国会審議を軽視すべきではない。

 第三は、首相らが同日実施を目指す背景に、一体化によって憲法改正への賛成機運を押し上げる思惑が透けることだ。

 与野党が競い合い、国民に政策選択を問う衆院選なら「多数決原理」でいい。

 だが憲法は違う。国の最高法規である。

 改正でできるだけ多くの政党や国民の合意に基づくべきだ。

 必要なのは、熱狂ではなく冷静な議論である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「国民投票には費用もビラ、ポスターの配布も、宣伝カーの台数も制限がない。戸別訪問も認められ、個人による個人の買収禁止規定もない」とのこと、

「費用が制限され、戸別訪問も買収も禁止されるのが公選法」とのこと、等々を知ることができた。

 衆院選挙と同時に行えば、候補者の多い方がアナウンサーも多く、国民投票でも有利と考えるのかも知れないが、戸別訪問買収が横行する選挙になること、必至であろう。それでいいのかなあ?

 「与野党が競い合い、国民に政権選択を問う衆院選なら「多数決原理」でいい。

 だが憲法は違う。国の最高法規である。改正にはできるだけ多くの政党や国民の合意に基づくべきだ」との指摘はその通りだ。

 安倍政権の今日までの行状からすると、安倍首相が周辺に「同時にやった方がいい」との考え方を示したという」との情報が、現実になる可能性が高いような気がする。

 護憲派も最悪の状況で、物事が進んでもいいような、万全の策を今から練っておく必要があるのではないか。


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-25 19:45 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月18日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「梅雨入りの雨にぬれる長崎の浦上天主堂で、胴体を失って頭部だけが残った二つにマリア像を見た。

 同じ祭壇に安置された聖母はそれぞれに、20世紀に起きたむごい戦禍を私たちに伝える。

 長崎の原爆投下と、スペインのゲルニカへの無差別爆撃である。

 かって、浦上天主堂の正面祭壇には美しい寄席木造りのマリア像が置かれたいた。

 しかしあの日、爆心地から500メートルにあった天主堂は一瞬のうちに壊滅する。

 秋になって復員してきた一人の神父が、廃墟のがれきから奇跡のようにマリアの頭部を見つけた。かき抱くように持ち帰って大切にしたのが、今では知る人も増えた「被被爆のマリア」である。

 ゲルニカ空爆は、原爆より8年前の1937年4月26日に起きた。民衆を標的にした空からの無差別殺戮の先駆けとされ、ピカソが怒りの絵筆をとった対策でも知られる。

 ここでも破壊された教会から焼け残ったマリア像の頭部が見つかり、長く大切に保管されてきた。

似た過去を持つ二つのマリアは、互いの都市の人々を平和交流で結んだ。

 原爆投下から70年の一昨年には、先方から長崎にマリアのレプリカが送られて教会の祭壇に安置された。ゲルニカに始まる非人道の行き着いた先が原爆投下だったことを思えば、焦土に残った二つのマリアは、偶然とはいえ何かの意思が働いたかのように思われてならない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この4月、ゲルニカは空爆から80年を迎えた。今度は長崎からの巡礼団が被爆マリアのレプリカを携えて追悼行事に出席した。

 マリアのほおは黒く焼け焦げ、水晶の両眼は失われて深い空洞となって、ひとたび見れば忘れがたい。

 「戦争の犠牲者や今も苦しむ人々に悲しげに寄り添い、もう争いはやめよと語りかけてくるお顔です」と、巡礼団を率いる高見三明大司教(71)は言う。

 自身も母親の胎内で被爆し、祖母ら身内が亡くなった。その高見さんが「被爆国の自覚がない。あまりにも」と言葉を強めるのが、核兵器禁止条約交渉への日本の不参加だ。

 3月末、国連議場の無人の日本政府代表席に、「あなたがここにいてほしい」と英語で書かれた嘆きの折り鶴が置かれたのを、ニュース写真などでご記憶のかたもあろう。

 日本政府の軍縮大使は核保有国に足並みをそろえるように、わざわざ核禁止条約への批判を強い調子で演説した上で議場から去って行った。

 いかにアメリカの「核の傘」を頼む立場にせよ、これで唯一の戦争被爆国として世界への役どころを捨ててしまったことになる。

日本は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を目指してきたはずだった。

 この15日から再開された詰めの交渉会議にも日本の姿はない。

 長崎で原爆に遭い、7年前に90歳で他界した歌人竹山広さんの最晩年の一首が被爆者の失望を集約していないか。

 <原爆を知れるは広島と長崎にて日本という国にあらず>

 核廃絶への願いを込めて日本から世界に広まった折り鶴が、今、現実を言い訳に理想を退ける日本政府への嘆きとなって差し向けられている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「ゲルニカの無差別空爆はドイツ軍によって行われた。その後パリを占領したナチスの将校がピカソのアトリエを検問にきて,机上にあった怒りの絵「ゲルニカ」の写真を指して聞いたという。

 「これを描いたのはあなたか」

 ピカソは答えた。

 「いや、君たちだ」

 そのドイツも第2次大戦後期に連合国軍の激しい都市爆撃を浴びた。全土の死者は60万人とも言われる。

 米軍の空爆に焦土と化した日本も、中国では無差別爆撃を繰り返した。加害も被害も、正義も悪も、いともたやすく反転する。

 そうした中で、ピカソが描いたように、おびただしい無辜の生が断ち切られてきた。

 昨今の国際情勢は不穏できな臭く、現実的という言葉が幅を利かせる時代である。

 こんな時こそ、現実につき従うばかりの僕になることを拒みたい。

 理念の羅針盤、それを見失うまいと思う。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 筆者は「梅雨入りの雨にぬれる長崎の浦上天主堂で、胴体を失って頭部だけ残った二つのマリア像を見た」とのこと、

 「同じ祭壇に安置された聖母はそれぞれに、20世紀に起きたむごい戦禍を私たちに伝える。

長崎への原爆投下と、スペインのゲルニカへの無差別攻撃である」とのこと、

 ゲルニカは「ピカソが怒りの絵筆をとった大作でも知られる」とのこと、

 「原爆投下から70年の一昨年は、先方から長崎にマリアのレプリカが贈られて教会の祭壇に安置された」とのこと、

 「この4月、ゲルニカが空爆から80年を迎えた。今度は長崎からの巡礼団が被爆マリアのレプリカを携えて追悼行事に出席した」とのこと、等々を知った。

 この二つのマリア像の惨禍と二つの教会の交流が、戦争のない世界への一歩となることを期待したい。ちなみに、ピカソのゲルニカは、新聞の記事で知って、2014年末から2015年正月にかけて、スペインへピカソのゲルニカを見に行ってきた。ピカソの直線的描写法が、苦痛にゆがむ馬の顔、人の顔をリアルに表わすことを、初めて知った。

 また、「核兵器禁止条約交渉への日本の不参加」を、高見さんが「被爆国の自覚がない。あまりにも」と言葉を強める「気持ち」は、よく理解できた。

 内村鑑三が「戦争ほど、人にとって最大罪悪はありましょうか」と言ったと聞いたが、戦争を罪悪と言い切れる「為政者」をどうやって誕生させるか、生きている限り追求し続けたい。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-20 15:18 | 朝日新聞を読んで | Trackback

65日付朝日新聞朝刊6面に、「コラムニストの目」という欄がある。

 筆者は、ロジャー・コーエン氏だ。記事は、NY・タイムズ、516日付け、抄訳だ。

 まず記事は、「フランス大統領選でエマニュエル・マクロン氏を最年少の大統領としてエリゼ宮(大統領府)に招き入れたのは、英国に拒まれ、トランプ米大統領にあざ笑われた「欧州」という醜いアヒルの子だった。

 マクロン氏は選挙戦を通じ、欧州連合(EU)と共通通貨ユーロを強く支持した。

 親EUの主張は勝利への切符にならない危うさがあった。

 だが、右翼・国民戦線のマリーヌ・ルペン氏はEUとユーロをめぐる公の場での議論によって自滅した。

 5月の決選投票を数日後に控えた最後のテレビ討論で、ルペン氏は失態を演じた。

 英国がユーロを導入していたと思っていたようで、EU離脱の決定によって英国経済が好転したと主張。フランスでは自国通貨フランとユーロの併用の必要性をまくしたてた。

 マクロン氏の反論は素早かった。

 フラン復活の翌日には、国民の預金の価値が20~30%目減りするだろうと主張。

 フランとユーロを併用すれば、大小を問わず欧州経済に組み込まれている企業は、機能しなくなると切り返した。

 ルペン氏は重大な読み違いをした。

 フランスは英国ではない。

 EUの創設メンバーなのだ。

 政治学者ジャック・ルプニク教授はこう語った。 

「EUはドイツ人にとっては償い。フランス人意とっては(中略)野望だった」」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「仏独の連帯は冷戦後、ドイツ統一で均衡が失われて難航したものの、欧州の理念を一丸となって推し進める姿勢は基本であり続ける。

 英国のEU離脱の決定と、フランス人が「新ヤルタ体制」と呼ぶ脅威のおかげで、その理念が輝きを取り戻しつつある。

 この21世紀版ヤルタ体制について、元欧州議会議員は仏紙ルモンドのインタビューで「EUと欧州人の独立に敵意を隠さない米ロ連携」と定義した。

 トランプ政権下の米国が自由な世界を先導する役割を放棄したことで、欧州こそが自由世界の価値を守る役割を担おうという意識を呼び起こした。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「メルケル独首相は9月の選挙で勝利する公算が大きい。マクロン、メルケル両氏はともに、情熱はあふれる欧州人だ。

 ロシアのプーチンの脅威、トランプ氏の価値のない米外交政策、英国の利己的な振る舞いは、勢いづく経済回復と相まって、欧州連邦化の夢を呼び覚ます機会を生み出した。2017年は欧州の年になるかもしれない。(◎2017.THE NEWYORK TIMES)」として締めくくった。 

 読んで勉強になった。

 「政治学者のジャック・ルプニク教授はこう語った。「EUはドイツ人にとっては償い。フランス人にとっては(中略)野望だった。」」とのこと、

 「この21世紀版ヤルタ体制について、元欧州議会議員は仏紙のインタビューで「EUと欧州人の独立に敵意を隠さない米ロ連携」と定義した」とのこと、

 「米国が自由な世界を先導する役割を放棄したことで、欧州こそが自由な世界の価値を守る役割を担うという意識を呼び起こした」とのこと、等々を知ることができた。

 世界連邦の実現こそ、世界平和の終着点ではないか、と思っている自分にとって、欧州連邦化はその大きな一歩だと思い続けてきた。

 だから、EUと欧州の独立にみならって、東アジア連邦へと進み、その先に世界連邦への道をぜひ展望したいものだと、思っている。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-11 10:46 | 朝日新聞を読んで | Trackback

65日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。筆者は、編集委員・松下秀雄氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ひとたび恐怖や不安に覆われると、「自由な社会」は簡単に壊れるものなのか。

 9.11同時多発テロ後の米国の経験を振り返り、そんなことを考えた。

 事件の翌月、捜査機関の権限を拡大する愛国者法が成立。

 これを根拠に、米国家安全保障局(NSA)は市民の通信記録などを収集、大規模な監視活動を始める。

 活動を内部告発したのが、エドワード・スノーデン氏。

 経過を記録したドキュメンタリーや、氏の著作に触れ、市民の「丸裸」ぶりにぞっとした。

 誰と会っか。

 何を買ったか。

 どのウエブサイトをみたか。

 全行動を把握できるというのである。

 一方で政府の活動は、明かせば安全が脅かされるとベールに覆われる。

 監視の実態も隠された。

 スノーデン氏が暴いた活動の中には、当局が過激とみなすイスラム教徒の性癖の調査も、公にすれば評判を落とし、影響力を削げるともくろんだ。

 政府から市民の活動が丸見え、市民からは政府が見えない、その非対象は何をもたらすか。

 スノウ―デン氏こう警鐘を鳴らす。

 「国民は、権力に反対する力を潰される。政府と国民の力のバランスが変わり、支配するものと、支配される者になる。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「なぜ9.11後の米国に関心を抱いたか。

 日本でいま起きていることと、どこか通じるように思えたからだ。

 特定秘密保護法に安全保障法制、審議中の「共謀罪」。

 いずれも安全が脅かされるから、危険を避けるためだからといった理由が挙げられた。

 これに対し、政府の活動が隠される、市民が監視されるなどと批判が起きたが、内閣支持率は下がらない。海外でのテロ、核やミサイル実験。

 不安にさらされているとき、「安全のため」といわれると、自由や人権は二の次になるからだろうか。

 市民が政府を監視する手立てはやせ細る。

 防衛省も財務省も文部科学省も、日報や交渉記録などを「廃棄した」「確認できない」と突っぱねる。

 いや、あるという前文科事務次官は「出会い系」への出入りを暴かれ、信用ならぬやつだと言わんばかりの人格攻撃をかける。

 さらに、一部メデイアの報道ぶり。

 「権力の監視」はどこへやら、今や政権の広報かと見まごうばかりだ。

 政治記者になって23年、ここまでの光景は初めて見る。

 スノーデン氏の言葉通り、政府と市民の関係が変わりつつあるのか?

 その表れが「安倍1強」なのか?」と指摘した。

 最後に筆者は、「身の危険を感じる時、安全優先になるのは世の常だろう。

 けれども政府を監視できなければ、その危険がどれほどのものか、不安をあおられていないかもわからない。

 ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングはこういった。

 「人々は指導者の意のままになる。「我々は攻撃されかけている」といい、平和主義者を「愛国心に欠け、国を危険にさらしている」と非難する。それだけで良い」

 そうしてナチスは全権を掌握し、戦争に突き進んだ。忘れてならない教訓である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「スノーデン氏が暴いた活動の中には、当局が過激とみなすイスラム教徒の性癖の調査も、公にすれば評判を落とし、影響力を削げるともくろんだ」とのこと、

 「特定秘密保護法や安全保障法制、審議中の「共謀罪」。いずれも安全が脅かされているから、危険を避けたためだからといった理由が挙げられた」との指摘、

 「身に危険を感じる時、安全最優先になるのは世の常だろう。けれども政府を監視できなければ、その危険がどれほどのものか、不安をあおられていないかも分からない」との指摘、

 「ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングは「人々は指導者の意のままになる。「我々は攻撃されかけている」といい、平和主義者を「愛国心に欠け、国を危険にさらしている」と非難する。それだけで良い」と言っている」とのこと、等々を知ることができた。

 平和主義者の一人として、「愛国心に欠け、国を危険にさらしている」との非難に対し、どう理論構築すればいいのだろうか、自問する。

 平和主義者こそ真の「愛国者・愛国民」なのだと、その実現のために平和主義者は「攻撃を防ぐ」ことに身を挺して、先頭になって実行するということを、自衛隊を派遣する前に「総理大臣・防衛大臣・外務大臣」が敵国・敵地に乗り込み戦争を避ける交渉をすることを、どのような手立てで国民に信用してもらえるか、急ぎ「考察」する必要がある、と思った。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-11 10:09 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 64日付朝日新聞3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は。編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「フランスでイスラム信仰拠点のひとつであるパリ大モスクが「フランスにおけるイスラム宣言」を発表した。

 「フランスはイスラムの地ではない。複数の宗教の信徒や無神論者らも暮らす地である。

 すべてのイスラム教徒はフランス共和国の法と価値観を尊重しなけらばならない。

 たとえば神への冒涜や宗教の劇画も合法だ。傷つけられたと主張はできるが、その禁止を要求したり暴力で反応してはならない」

 「今日の社会では、身体への刑罰や一夫多妻は正当化されない。また、男女の平等は当然のことである」

 出したのはことし3月末。

 大統領選擧を翌月に控え、イスラム系移民を問題視する右翼政党のマリーヌ・ルペン候補が勢いづいていた。結局、当選はしなかったものの、、決選にまで残る戦いぶりだった。

 相次いだテロなどの影響でイスラムへの警戒感が高まった結果でもある。

 イスラム教徒にとって、やりきれない空気は消えない。それはフランスだけではない。

 「イスラム教徒が少なくなるのは、明らかによいことだ。」――

 英国のマンチェスターでのテロが起きたあと、イスラムをテロの元凶であるかのように発言する論者が英BBCのテレビ番組に登場。

 イスラム教団体が抗議文をだした。

 各地で、信徒にとって憂鬱な日々が続いている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「宣言は画期的との評価もあったが、それ自体の中では「単に、今日の現実に中で教義を明確にするもの」と規定している。

 何かを大きく変えたわけではない。

 では今なぜあらためて?

「困ったことになったいう思いが動機です」と大モスクの責任者、ダリル・ブバクール師。

 イスラムとは,聖戦と称してテロを起こす「ジハーディスト」の思想のことだという見方が蔓延し、ルペン氏のように排他的な主張への支持が広がる。

 いっしょくたにしないでほしい、と訴えるためだったという。

 「私も原理主義者は嫌い。だから脅かされて、警察に守ってもらったことさえあるくらいなのに」

 「宣言」前文も「政治、メデイア、知識人などのあらゆる分野で高まる、イスラム教徒という少数派を悪魔視する姿勢の高まり」に強い懸念を示している。

 イスラム恐怖症あるいは反イスラム神経症などと呼ばれれる現象だ。

 こうした言説を唱える側がしばしば根拠にするのが「政教分離」の原則である。

 たとえば、学校がスカーフ姿のイスラム教の女子生徒に、退学を迫る。スカーフは宗教への帰国をこれ見よがしに示すもの、との考えによる。

 女性抑圧の象徴との見方もある。

 だが退学まで持ち出しては、社会を寛容にするための原則が結局、不寛容である言い訳になっているように見える。」と指摘した。

 最後に筆者は、「大モスクはパリの学術の中心、カルチエラタンに近接している。その姿は優美で、観光名所でもある。

 建てられたのは1926年、政教分離を求めた法律は、それより20年あまり前に制定されている。にもかかわらず、このモスクの建設には国家が資金を援助し、落成式には大統領も出席した。

 第一次世界大戦でフランスのために戦い倒れた約7万人ものイスラム教徒をたたえようと、前からあった計画が一気に進んだのだという。

 政教分離法にふれるのを避けるため特別法さえ制定した。

 イスラム教徒の大半は北アフリカの仏植民地出身者だ。文化や宗教が異なるとしても「同胞」である。

 植民地政策の一つとして宗教的なアプローチも欠かせなかったのだろう。

 大原則も都合のいいようにすり抜けたり解釈しなおしたりする政治と、それを支える言論。

 大モスクは大統領選でマクロン候補支持を訴える声明をだした。

 「私たちのような少数派を保護するのは国家の役割のはず。大統領になった彼に期待します」とブバクール師は話した。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 今年3月、「パリ大モスクが「フランスにおけるイスラム宣言を発表した」とのこと、

 中に「フランスはイスラムの地ではない。複数の宗教の信徒や無神論者らも暮らす地である。

総てのイスラム教徒はフランス共和国の法と価値観を尊重しなければならない。たとえば神への冒涜や宗教の戯画も合法だ。傷つけられたと主張はできるが、その禁止を要求したり暴力で反応してはならない」とあること、

 「今日の社会では、身体への刑罰や一夫多妻制は正当化されない。また、男女の平等は当然のことである」とあること、等を教えてくれる。

 「大モスクはパリの学術の中心、カルチェラタンに近接している」とのこと、

 「建てられたのは1926年。政教分離を定めた法律はそれより20年あまり前に制定されている。にもかかわらず、このモスクの建設には国家が資金を出し、落成式には大統領も出席した」とのこと、

 「政教分離法に触れるのを避けるため特別法さえ制定した」とのこと、等々を知ることができた。

 あらゆる宗教が、宗教の教義をかざしての「暴力」や「戦争」を罪悪視し、信者に徹底すべきだ、と思った。

 宗派の教義を「暴力や戦争」の免罪符には絶対にならないと信徒に徹底すべきだ、とも思った。

 また、殺人を始め犯罪行為を起こすものを出した宗派は、宗派として、その結果責任を負うべきだと思った。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-10 06:35 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月6日付の朝日新聞社説に、「首相らの答弁」の見出しで、今国会の審議のことが載った。

 まず社説は、「驚き、あきれ、不振がいっそう募る。きのうの国会で、安倍総理の友人が理事長を務める加計学園に関する首相らの答弁を聞いた率直な感想だ。

 獣医学部新設に関し、文部科学省が内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」などと言われたと記録された文書について、政府は「存在を確認できない」で押し通してきた。

 同省の前川喜平・前事務次官が本物だと証言しているのに、だ。

 きのうの国会では民進党議員が、この文書が添付されたとみられるメールの写しに記載がある文科省職員10人の名前を読み上げ、文書の内容が省内で共有されていたのではないか、とただした。

 文科省幹部は「今名前を挙げていただいた人と同姓同名の職員は実際にいる」と認めた。

 民進党議員が文書の再調査を求めたのは当然だろう。

 だが松野文科相は「出どころ、入手経路が明らかにされていない場合は、その存否や内容の確認の調査は行わない」などと拒んだ。

信じられない。

 この論法が通用するのなら、あらゆる内部告発が「出どころ、入手経緯が不明だ」として、

あったことがなかったことにされかねない。」と指摘した。

 続けて社説は、「国民の知る権利への重大な背信行為である。 

 政権に有利であれ、不利であれ、文書やメールの存在を示す一定の根拠があれば、まずは事実を調べる。それが責任ある行政の取るべき行為ではないか。再調査もせず、なかったことにして葬ろうとする姿勢を見ていると、政府が事実として発表することは信じられるのかという疑問さえ浮かぶ。

 首相は国会で「問題の本質は岩盤規制にどのように穴をあけていくかだ」と述べた。

 だが問われているのは、そこに中立性や公平性、透明性が担保されていたかどうか、いわば「穴の開け方」なのだ。

 首相がかって学園の監事を務めるなど理事長との親密な関係に加え、妻昭恵さんも含む家族ぐるみの付き合いだ。

 首相側近の萩生田光一内閣官房副長官も一時、学園から月10万円の報酬を受け、今も名誉客員教授だ。

 きのうの審議では、首相夫妻のミャンマー訪問に理事長が同行したことも明らかになった。

 政権と加計学園のこんな関係が、国家戦略特区の決定過程をゆがめなかったかが問われるのは当たり前だ。

 「印象操作だ」という首相に批判は通らない。

 国会が閉会すれば、いずれ忘れられる。

 首相らがそう考えて幕引きを急いでいるとしたら、国民も甘く見られたものだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「あらゆる内部告発が「出どころ、入手経緯が不明だ」としてあったことがなかったことにされかねない」との指摘、

 「再調査もせず、なかったことにして葬り去ろうとする姿勢を見ていると、政府が事実として発表することは信じられるのかという疑問さえ浮かぶ」との指摘、

 「首相は国会で「問題の本質は岩盤規制にどのような穴をあけていくかだ」と述べた。だが問われているのは、そこに中立性や公平性、透明性が担保されていたかどうか。いわば「穴の開け方」なのだ」との指摘、等々はその通りだと思った。

 また、「首相がかって学園の監事を務めるなど理事長との親密な関係に加え、妻昭恵さんも含む家族ぐるみの付き合いだ」とのこと、

 「首相側近の萩生田光一内閣官房副長官も一時、学園から月10万円の報酬を受け、今も名誉客員教授だ」とのこと、

 「機能の審議では、首相夫妻のミャンマー訪問に理事長が同行したことも明らかになった」とのこと、等々を知った。

 安倍首相と加計学園理事長との交友関係を見ると、情ある人間ならば、自分お出来ることはやってあげたくなるのが、当たり前ではないか!

 ただその地位と権限が総理ということだった、そんな構図のような気がした。公私混同のそしりをまぬかれない事態だが。

 


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-09 06:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback

6月6日付朝日新聞朝刊30面に、「問う「共謀罪」学問の世界から」という欄がある。

 発言者は、歴史学者・加藤陽子さん(56)だ。

 聞き手は後藤遼太氏だ。

 今日はこの記事に学ぶことにした。

 まず記事は、「政府の怒りの裏にあるものを歴史は教えてくれる。

 国連特別報告者のカナタチ氏が日本に示した「共謀罪」をめぐる文書は、プライバシー監視について国際人権法と整合しているか教えてほしいというものです。

 これに対する日本政府の見解は、文面から怒りの湯気が立つようでした。「「共謀罪」は国際組織犯罪防止条約を結ぶため必要だ」と前提を述べ、「なぜ187の締約国にも懸念を表明しないのか」とカナタチ氏をなじったのです。

 国連の委嘱を受けた人物の要求に対して開き直りの抗議。

 既視感がある。
 1931年の満州事変後、リットン卿が国際連盟の委嘱で報告書は発表した「リットン調査団」。その時の抗議と似ています。

 日本は「事変の発端となった鉄道爆破は中国の仕業」という虚偽を前提にしていた。

 そして「満州国」建設の裏に日本軍がいたと非難されると、「他の列強もやったこと」と開き直る。

 「共謀罪」も、実は条約に加わるために不可欠ではないとガイドラインからは読み取れる。 

 前提に虚偽があるから、外からの干渉にあれだけ神経質になる。」と教えてくれる。

 続けて記事は、「歴史は単純には繰り返さないが、やはり類似点を見いだせる。

 一連の応酬は「共謀罪」の変質をあぶり出すように見えます。

 共通するのは「偽りの夢」と「国民の人気」です。

 満州事変当時は世界不況。

 日本の農村も苦しんでいたが、政党内閣には農民を救えなかった。ビジョンを掲げたのが軍部でした。

 「満州が手に入れば好景気になる」とあおり、国民人気を獲得します。

 いざ戦争になれば、搾取され徴収されのは農民でした。

 「見果てぬ夢」を掲げて後戻りできなくなったところで、国際連盟の指摘に過剰反応。

 今と似てませんか。

 「五輪で景気が良くなる」と「見果てぬ夢で」国民を期待させ「「共謀罪」でテロを防がなければ開催できない」とあおる。

 法案成立直前までこぎ着けたのに、国連特別報告者からの「待った」に怒り狂ってしまった。」と教えてくれる。

 最後に記事は、「「戦前より民主政治は成熟している。心配は杞憂だ」と言われるけど、想い出してください。1925年に治安維持法を成立させたのは、リベラル加藤高明内閣でした。

 法制局が当初出した案は、条文で「憲法上の統治組織、納税義務、兵役義務、私有財産制を変革する行為」と、犯罪行為を限定していた。

 護憲内閣には「弾圧なんか絶対ない」と自信があり、結局「国体(天皇制を中心とした国のあり方)の変革」というあいまいな処罰対象で成立させてしまう。

 ツケは10~15年後に回ってきます。

 極めて脆弱な法律を、安定した力を持つ政党内閣が自信満々に作ってしまったという怖さ。

 このおごりを忘れてはいけません。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「国連の委嘱を受けた人物の要求に対しての開き直りの抗議に既視感がある」とのこと、

 「1931年の満州事変後、リットン卿が国際連盟の委嘱で報告書を発表した「リットン調査団」。その時の抗議に似ています。」とのこと、

 「一連の応酬は「共謀罪」の本質をあぶりだすように見えます。共通するのは「偽りの夢」と国民の「人気」です」とのこと、

 「満州事変当時は世界不況。日本の農村も苦しんでいたが、政党内閣は農民を救えなかった。ビジョンを掲げたのは軍部でした。

 「満州が手に入れば好景気になる」とあおり、国民の人気を獲得」とのこと、

 「「五輪で景気が良くなる」と「見果てぬ夢」で国民を期待させ、「共謀罪」でテロを防がなければ開催できない」と煽る」とのこと、

 「法案成立までこぎ着けたのに、国連特別報告者からの「待った」に怒り狂ってしまった」とのこと、

 等々を知ることができた。

 たしかに、満州事変のときの「虚偽」と調査団にたいする「開き直り」、共謀罪の「虚偽」と国連特別報告者に対する「開き直り」、等はよく似ていると思った。両者における、「過程の酷似」はそうだとしても、「結果の酷似」は絶対避けたい、と思った。


[PR]
by sasakitosio | 2017-06-08 06:36 | 朝日新聞を読んで | Trackback