憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

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9月22日付朝日新聞朝刊15面に、「欧州季評」という欄がある。筆者は、ブレイディみかこ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「9月から、息子が中学校に通い始めた。小学校は公立カトリック校に通っていた(英国は公立でも宗教校がある)が、中学からは、公営住宅地ど真ん中の地元校に通っている。

 息子が通ったカトリック校は、隣接する高級住宅地と公営住宅地の2教区の信者のために建てられたが、教会に所属し、毎週ミサに通ってくる家庭は、高級住宅地の方に多いので、比較的余裕のある家庭の子たちが多かった。

 つまり、中学生になった息子はまったく違う層の子どもたちが通う学校に入ったのである。

 初登校の日、彼はショックを受けた表情で帰ってきた。

 「教室で「どんな夏休み過ごした?」って話したんだ。そしたら「ずっとおなかがすいていた」といった子がいた・・・」

 夏になると、英国では「ホリデ―ハンガー」という言葉が聞かれる。

 直訳すれば「休日の飢え」。

 長期の休みに入り、給食がなくなると飢える子供が増えることから、こんな言葉が使われるようになった。

 フードバンクでは、子ども用の夏季緊急食糧も配布されている。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「ロイヤル・カレッジ・オブ・ペディアトリックス・アンド・チャイルド・ヘルス(英・王立小児保健協会)は、今年1月発表の報告書で、子どもたちの健康が危機にさらされていると警告した。

 「特に懸念されるのは過去5年間で拡大した子供たちの健康格差」と指摘し、「乳幼児期や学童期の健康上の問題は、未来の成人たちの問題となり、経済的にも生産性を減少させる」と。

 1998年から2002年のスコットランドの調査で、グラスゴーのたった数キロしか離れていない高級住宅地レンジ―と貧困区カルトンで、男性の平均寿命の差が28年(前者が82歳で後者が54歳)だったことが判明した。

 そこまで極端な数字ではないにしろ、英国全土でも、ゼロ年代にはわずかに縮小していたはずの健康格差が、10年以降、再び拡大している。

 15年の統計で、高級住宅地と貧困区の男性の平均寿命の差は、イングランド平均で9.2歳、女性で7.1歳。

 平均寿命の延びもほぼ横ばいだ。

 英国は世界で最も豊かな国の一つであり、医療技術は発展こそすれ、後退することはない。

 ならば平均寿命は右肩上がりで伸びていくのが当然だろうが、10年以降、足踏み状態だ。

 健康格差が広がり、平均寿命の伸びが止まった10年は、何が起きたとしだろう。

 それは労働党から政権を奪還した保守党が、戦後最大と言われる規模の緊縮財政政策を始めた年である。

 経済学者たちに「危険レベル」と言わしめるほど医療や社会保障への財政支出を切り始めた年だ。

 格差が広がっているのは寿命だけではない。

 日常生活に支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」の格差はさらに大きい。

 マンチェスター大学が7月に発表した調査によれば、高級住宅地と貧困区の健康寿命の差は、実に20年近くまで広がっている。

 これは緊縮財政によるNHS(国民健康サービス)の人員削減、インフラ削減、と明らかにリンクしている。NHSが提供している医療サービスの質が落ちているのだ。

 「ゆりかごから墓場まで」と言われ、公的医療モデルとなった無料の国家医療制度NHSも、予算削減でサービスが劣化し、注射一本打つにも何週間も待たされる。

 だが、裕福な層はこうした事実の影響は受けない。高額な医療費を払って私立病院を使うことができるからだ。

 寿命格差や健康寿命格差ほど赤裸々に経済的不平等を示すものはない。

 これは命の格差である。

 それが広がるほど、富めるものは生き、貧する者は死ぬしかない野蛮な時代に社会が戻っているということだ。

 戦争が人の命を脅かすように、経済政策も人の命を奪う。」と教えてくれた。

 最後に筆者は、「英国のキャメロン元首相の時価150万ポンド(約2億1千万円)の別荘がファッション誌で紹介されて話題になったが、「まあ落着け、単なる不況じゃないか」と書かれたポスターがキッチンに飾られたことが分かって物議をかもしている。

 「まあ落ち着け。早死にするだけじゃないか」

 「まあ落ち着け。子供が飢えているだけじゃないか」の文句では洒落たインテリアにはならないだろうが、これこそ為政者と庶民の認識のギャップを端的に示している。

 彼に言わせれば、格差も「まあ落ち着け、昔から貧しいものは先に死んできたじゃないか」なのかもしれない。

 キャメロン元首相は、EU離脱の国民投票を行った首相として歴史に名を残すだろう。

 彼を辞任に追い込んだ国民投票の結果は、現状への怒りとその打破を求める人々の声を反映したものではなかったか。

 離脱派が多かった貧しい北部の人々は、残留派が多かった南部の人々に比べると、75歳までに死亡している確率が20%高いという。

 昨年の英国のEU離脱投票の結果は、欧州の時計の針を逆戻りさせているのではない。

彼らがくらしている社会保障の野蛮こそが時代に逆行しているのだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 英国は「ゆりかごから墓場まで」といわれ、若い頃の憧れの国だったが?

 「初登校の日、彼(筆者の中学生の息子)はショックを受けて帰ってきた。

 「教室で「どんな夏休みを過ごした?」って話してたんだ。そしたら、「ずっとおなかがすいていた」といった子がいた・・・」とのこと、

 「1998年から2002年のスコットランドの調査で、グラスゴーのたった数キロしか離れていない高級住宅地レンジ―と貧困区カルトンで、男性の平均寿命の差が28年(前者が82歳で後者が52歳)だったことが判明した」とのこと、

 「英国本土でも、ゼロ年代はわずかに縮小してはずの健康格差が、10年以降、再び拡大している。15年の統計で、高級住宅地と貧困区の男性の平均寿命の差は、イングランド平均9.2歳、女性は7.1歳。」とのこと、

 「健康格差が広がり、平均寿命の延びが止まった10年は、何が起きた年だろう。

 それは労働党から政権を奪還した保守党が、戦後最大と言われる規模の緊縮財政を始めた年である」とのこと、

 「 マンチェスター大学が7月に発表した調査によれば、高級住宅地と貧困区の健康寿命の差は、実に20年近くまで広がっている」とのこと、

 「「ゆりかごから墓場まで」と言われ、公的医療のモデルとなった無料の国家医療制度NHSも、予算削減でサービスが劣化し、注射一本うつにも何週間も待たされる」とのこと、

 「(EU)離脱派が多かった北部の人々は、残留派が多かった豊かな南部の人々に比べると、75歳までに死亡する確率が20%高いという」とのこと、等々英国の今日事情を知ることができた。

 たしかに、筆者の「寿命格差や健康寿命格差ほど赤裸々に経済的不平等を示すものはない。これは命の格差である。それが広がるほど、富める者は生き、ひんする者は死ぬしかない野蛮な時代に社会が戻っているということだ」との指摘は当たっている、と思った。

 人間はひとりひとりみな可能性があり、互いに支え合いながら生きている。寿命や健康寿命に貧富で差があるということは、人類社会全体の損失である。

 命の格差はあってはならない、と思った。

 ここ数十年高額の健康保険料を払っている。 

 医者に病気ではかからない「健康な体に生んでくれた両親」感謝しながら、喜んで保険料は払い続けている。

 日本の皆保険制度は世界に誇るべき制度・文化ではないか、とも思っている。

 

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-09-24 14:52 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月21日付朝日新聞社説に、「所有者不明地」のことが載った。今日はこの社説を学習することにした。

 まず筆者は、「だれのものか、わからない。

 所有者が分かっても連絡がとれない。

 そんな土地が各地で増えている。

 専門家グループの推計では全国の2割に達し、総面積は九州より広いという。

 今後、亡くなる人が増えるにつれてさらに深刻になっていく恐れが強い。

 公共事業で用地取得の妨げになる。宅地や農地、森林が放置されてまわりの環境に悪影響を及ぼす。

 固定資産税を徴収できない。

 そうした弊害を見過ごせなくなり、政府は有識者会議を設けて対策を検討し始めた。」と切り出した。

 続けて社説は、「これまでも国土交通省や農林水産省が、災害復旧や林道整備などで部分的に対応してきたが、効果は十分に上がっていない。

 根本には、土地の相続時に所有権移転を登記しない人が少なくないという問題がある。

 相続や登記の制度を所管する法務省も含めて役所の縦割りを排し、新たな発生を防ぐ抜本策に踏み込んでほしい。

 登記簿で実際の所有者が分からない時、行政は戸籍や現地調査など他の方法で探す必要がある。関係者の死亡などで手間取ることが珍しくない。

 有識者会議ではまず、自治体などが所有者を探す手間を軽くする仕組みに加え、所有者不明地を公共目的で使いやすくする新たな制度を検討する。

 道路整備などの公共事業に限らず、例えば自治体やNPOが運営する遊び場やイベント用地といった使い道を想定する。

 財産権の問題がからむだけに、利用を認める期間や、後で所有者が名乗り出た出た場合の金銭補償などが課題になる。

 発生の予防策では、当面の対応として、市町村が死亡届を受け付ける窓口で相続登記を案内し、手続きを促すことが考えられる。

 登記にかかる税金の軽減のほか、登記の義務化も選択肢になるだろう。

 やり方や効果の有無、法的な問題について検討を急ぐべきだ。」と指摘した。

 最後に社説は、「所有者不明地の問題から見えるのは、土地を巡る諸制度と現実とのズレだ。

 過疎化と地価下落が続く地方を中心に「土地は資産」「所有者が管理する」という大前提が揺らぎ、相続が重荷だ、土地を持ちたくないという人が増えている。

 土地は個人の財産であると同時に、社会の基盤でもある。

 所有者の権利をどこまで保護するか、土地所有に伴う管理責任をどう考えるか。

 仮に放棄を認める場合、受け皿をどうするか。

 難題だが、避けては通れない。

 多くの国民が納得できる仕組みをめざし、議論を進めていく必要がある。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「だれのものか、わからない。所有者が分かっても連絡が取れない。そんな土地が各地で増えている。

 専門家グループの推計では全国の2割に達し、総面積は九州より広いという」とのこと。

 「政府は有識者会議を設けて対策を検討し始めた」とのこと、

 「根本には、土地の相続時に所有権の移転を登記しない人が少なくないという問題がある」とのこと、

 「有識者会議ではまず、自治体などが所有者を探す手間を軽くする仕組みに加え、所有者不明地を公共目的で使いやすくする新たな制度を検討する」とのこと、

 「財産権の問題がからむだけに、利用を認める期間や、後に所有者が名乗り出た場合の金銭補償などが課題になる」とのこと

 「発生の予防策として当面の対応として、市町村が死亡届を受け付ける窓口で相続登記を案内し、手続きを促すことが考えられる」とのこと、

「過疎化と地価下落が続く地方を中心に「土地は資産」「所有者が管理する」という大前提が揺らぎ、相続が重荷だ、土地を持ちたくないという人が増えている」とのこと、 等々を知ることができた。

 確かに、高度性成長期に造成された「分譲地」を歩くと、一宅地30坪前後の宅地とそこに建つ家屋で、つる草が生え、枯葉が吹き溜まっている「家屋」を時々見るようになった。

 隣の住人が只で利用できるようにしたら、日々の暮らしが豊かになるのに、と思った。

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-09-23 09:57 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月10日付朝日新聞社説に、「企業が保守する現金・預金」のことが載った。 今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「企業が空前の利益を上げている。先週発表された法人企業統計によると、2016年度の企業(金融・保険業を除く)の経常利益の総額は約75兆円に達した。

 リーマン・ショック前の好況時を4割近く上回る水準だ。

 長く不況にあえいだ日本企業が、ここまで立ち直ったこと自体歓迎すべきだろう。問題は稼いだお金の使い道だ。

 企業全体で見れば、設備投資の伸びは頭打ちで、リーマンショック前の水準を超えていない。

 一方で積み上がっているのが、企業が保有する現金・預金だ。過去5年で約50兆円に増えて210兆円に達した。」と切り出した。

 続けて社説は、「金融危機を経験した企業が、万が一に備えて余裕資金を増やそうとする傾向もあるだろう。

 だが、企業の役割は資金を有効に使って商品を生み出すことであり、お金をため込むことではない。委縮しているばかりでは存在意義が問われかねない。

 設備投資が盛り上がらないのは、人口減少が進む国内では消費の伸びが期待できないからだ、との指摘がある。確かに、人口変動は経済に影響する。

 だが、そうであるのなら、企業は稼いだ金を手元に置いておくのではなく、働き手に還元することを考えるべきだ。

 企業活動で生み出された価値に占める労働者の取り分の比率(労働分配率)は、近年、下がり続けてきた。労働者への分配が伸び悩めば、消費を増やす余裕はいつまでたっても生まれない。

 長期的に見れば、企業が自分の首を絞めているのに等しいのではないか。

 デフレ脱却を掲げる安倍政権のもとで、企業は、法人税減税や大規模な金融緩和など政策の恩恵を受けてきた。その結果でもある高収益は、賃上げと消費拡大につながり、それが企業収益を押し上げる経済の好循環を生み出すことが期待された。企業自身がその循環を滞らせているとすれば、何をかいわんやである。」と指摘した。

 最後に社説は、「こうした状況が続けば、企業がさらなる税負担の軽減や、人件費を減らすことにつながる制度変更を望んでも、支持が得れれることはないだろう。

 高収益を挙げる企業には、一段と積極的に賃上げを期待したい。

 好成績に満足しているだけでは、いずれしっぺ返しを受けることを、経営者は銘記してほしい。

 政府が進める「働き方改革」の中で「サービス残業」をなくし、働いた分はきちんと支払うよう早期に徹底すべきことはいうまでもない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「先週発表された法人企業統計によると、2016年度の企業(金融・保険業を除く)の経常利益の総額は約75兆円に達した」とのこと、

 「一方で積みあがっているのが、企業が保有する現金・預金だ。過去5年間で約50兆円増えて210兆円に達した」とのこと、

 「企業活動で生み出された価値にしめる労働者の取り分の比率(労働分配率)は、近年、下がり続けてきた。」とのこと、等々を教えてくれる。

 そして社説は、「高収益を挙げる企業には、一段と積極的な賃上げを期待したい。」としている。

 企業が高収益を上げていることは素晴らしいことだし、企業が保有する現金・預金が210兆円位に達したこともいいことだ。

 だが、世の中、いいことばかりは続くものではない、どんなに頑張っても成果が出ないときもある。そういう、ピンチの時の用心をしておくのも、多くの社員と家族の生活を支える「経営者」の責任でもある。

 そこで、知人で経営者の友人に、一年間全く仕事がなくても、社員に給料が払える「額」を貯めるようすすめている。 
 企業の存続と社員の生活安定に支えるための、会社が保有する現金・預金の適正基準をぜひ知りたい、と思った。

  

 


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by sasakitosio | 2017-09-19 06:52 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月12日付朝日新聞朝刊13面に「オピニオン&フォーラム  憲法を考える」というページがある。
 発言者は、社会学者・大沢真幸さん、東京外語大教授・篠田英明さんだ。

 今日は、大沢真幸さんに学ぶことにした。

 まず大沢真幸さんは、「護憲か改憲かという日本での問題設定が、海外から見ると、特に理解に苦しむほど熱を帯びるのは、9条が敗戦の屈辱と結びついていることに由来します。

 その意味で、9条は普通の条文ではありません。戦前の日本と異なる社会になったことを内外に示す、戦後社会の核と言える存在なのです。

 戦前の日本は、猛スピードで西洋に追いつこうとし、それなりに成功した自負を持っていました。

 しかし、「追いついた」と思って臨んだ戦争は、悲惨な結果で終わってしまった。その精神的なショックから立ち直ることこそが、戦後日本の最も大きな課題でした。

 つまり、敗戦当時に誇れるものが何もなかった日本をかろうじて支えたのが、9条の「平和主義」の理想だったわけです。」と切り出した。

 つづけて大澤真幸さんは、「誤解してはいけないのは、護憲と改憲の対立は、憲法の肯定と否定という図式では説明できないということです。

 改憲を主張する人たちも、よく言い分を聞いてみると「9条には素晴らしいことが書かれている」ということを否定しません。

 むしろ9条の理念の崇高さは前提とした上で、米国による「押し付け」を問題にしたり、安全保障上のリアリズムという観点で自衛隊を明記すべしと主張したりしています。

 ともに9条の理念の崇高さに執着しているが故に、集合的な無意識のレベルで、9条を変えることにためらいを抱いています。そうでなければ、文字通りに読む限り自衛隊を含めたいかなる戦力も認めていない9条の条文を70年以上も変えず、解釈の変更だけで乗り切ってきた事実は説明しようがありません。」と指摘した。

 最後に大澤真幸さんは、「一方で、平和主義を自尊心の糧としながら、ずるいことをしてきたのが戦後日本の歩みでもありました。

 理念を守りつつ、自国の安全保障は世界で最も強い米国に依存する。

 幸か不幸か戦後世界が冷戦体制に組み込まれ、東アジアは、朝鮮戦争が始まる1950年代には冷戦のフロントラインになった。

 米国にとって日本が戦略的に重要になったことが日本人の後ろめたさを隠してきた。

 自分たちの事情ではなく、米国が軍隊を日本におきたいと言っているのだから、という具合にです。

 冷戦後、21世紀に入る中で、状況はさらに展開します。97年の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、そして2015年の集団的自衛権の容認で日米関係が変わる中で、9条を持つ日本人の自己イメージも変わりました。

 元々は人類の繁栄や平和という誰もが認める普遍的な価値こそが、その素晴らしさを支えていました。

 それが護憲派は自国が戦争に巻き込まれない国益を前面に出すようになった。

 集団的自衛権を巡る議論でもそうでした。

 9条=お得、だから変えてはいけない。

 世界中に紛争があるが、他国がつくった秩序で一番おいしい思いができるのは9条だよ、と。

 それは「人の道に反する」とするのが改憲派でしょう。

 米国が一生懸命、世界秩序を守っている。それで平和を享受できるなら自分たちも貢献するべきだ、と。

 9条維持は、立派な普遍的な価値を打ち出す「かこよさ」に支えられていたのが、自国の損得勘定で動く格好悪いものになっている。

 最近、改憲運動が高まっているように見えるのは、9条維持の意味が変わってしまったからです。

 つまり、改憲派は敗戦のトラウマと結びついた9条が日本社会の核になっていることを理解しない。

 一方の護憲派は、人類の歴史に先駆けた普遍的な正義が9条の価値を支えてきたことを理解せず、条文を維持すれば、9条の価値は守れると考えています。

 経済は陰りを見せ、日本が世界に誇れるのはもはや9条くらいしかない。

 にもかかわらず、戦後70年で9条を通じて日本人が何を望んできたかを見失ってしまっているのが現実です。(聞き手・高久潤)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「護憲か改憲かという日本での問題設定が、海外から見ると、時に理解に苦しむほど熱を帯びるのは、9条が敗戦の屈辱と結びついていることに由来します」とのこと、

 「9条は普通の条文ではありません。戦前の日本と異なる社会になったことを内外に示す、戦後社会の核と言える存在なのです」との指摘、

 「敗戦当時は誇れるものがなかった日本をかろうじて支えてのが、9条の「平和主義」の理想だったわけです」との指摘、

 「一方で、平和主義を自尊心の糧としながら、ずるいことをしてきたのが戦後日本の歩みでもありました。理念を誇りつつ、自国の安全保障は世界でも最も強いアメリカに依存する」との指摘、

 「元々人類の繁栄や平和という誰でも認める普遍的な価値こそが、その素晴らしさを支えていました。それが、護憲派は自国が戦争に巻き込まれない国益を全面に出すようになった」との指摘、

 「改憲派は敗戦のトラウマと結びついた9条が日本社会の核となっていることを理解しない」との指摘、

 「護憲派は、人類の歴史に先駆けた普遍的な正義が9条を価値を支えてきたことを理解せず、条文を維持すれば、9条の価値は守れると関挙げています」との指摘、

 「ともに(護憲派も改憲派も)9条の理念の崇高さに執着しているが故に、集合的な未意識のレベルで、9条を変えることにためらいを抱いています。」との指摘、等々、護憲派改憲派の分析などいろいろ考えるヒントを与えてもらった。

 9条を含む日本国憲法に国会で反対した日本共産党が、各地の9条の会を通して、護憲運動を支えていることに不思議さを感じている。

 また、筆者は「9条は、戦前の日本と異なる社会になったことを内外にしめす、戦後社会の核と言える存在」なのです、と教えてくれた。

 それと合わせて、憲法前文も戦前の日本と異なったことを示す「宣言」であると思いたい。

 その上で、今の私たち日本人は日本国憲法の実戦として、世界から戦争をなくし、飢餓や恐怖から人類が解放されるよう「行動」しなければならない、と思った。 


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by sasakitosio | 2017-09-18 19:38 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月14日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・吉岡桂子氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「上野動物園(東京都台東区)で生まれた赤ちゃんパンダの名前がまもなく、決まる。中国・四川省を旅立つ父リーリー(力力)と母シンシン(真真)を取材しただけに楽しみにしている。

 尖閣列島をめぐって波立つ日中関係のもと「外交特使」として送り込まれる2頭の行く末を案じつつ、緑深い山奥で見送った。2011年冬のことだった。

 彼らは当時、中国名で「ビーリー(比力)」と「シィエンニュ(仙女)」と呼ばれていた。

 1972年の日中国交正常化を祈念して送られた初代以来初めて、到着後に「改名」したつがいである。対中感情が悪化するなかで、より日本色が求められる空気もあっただろう。

 中国で「国宝」と位置づけられるパンダは、ただのクマではない。外交に加えて、繁殖研究から動物園や地元の経済振興まで、その丸い背中に数多くの期待と欲望をしょっている。

 希少動物の保護の観点から80年代以降は贈り物ではなく、共同研究の名目で世界各国に有料で貸し出されるようになった。政略養子縁組、それとも公務出張中と呼ぶ方がふさわしい存在なのだ。

 子供は2歳ほどで「帰任」を強いられる。

 十数カ国に50頭余りが現在、出張中。

 タイ北部にあるチェンマイ動物園では、赤ちゃんが生まれた年は大賑わいで、例年の3倍ものお客がつめかけたという。

 飼育係りは何より、無事の出産にほっとしたそうだ。外交や経営、国内世論・・・。いずこも担当者のプレッシャーがしのばれる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「モンモン(夢夢)」。習近平国家主席の政治スローガン「中国の夢」を思わせる名前のパンダがいる。外交序列でいえば極めて高位の命名である。

 国交45周年を記念して独・ベルリン動物園に今年6月、チャオチン(嬌慶)とつがいで届けられた。

 おりしも中国を代表する人権活動家で獄中でがんが見つかった劉暁波さんが、妻と共にドイツへの出国を渇望しながら、中国当局に阻まれていた時期だった。

 習氏とメルケル首相が並んでパンダ館を見学した8日後、劉さんは北京で事実上の「獄死」を遂げた。首脳会談でも同時にドイツで開かれていたG20サミットでも、中国の人権問題は大きな議題にならなかった。

 「一帯一路」戦略を掲げて欧州との関係強化を図る中国と、人権や安全保障を超えて巨大な中国市場が持つ経済力を重視する欧州―――。

 習政権発足後、その結びつきを象徴するかのようにパンダは西へと向かう。

 ドイツのほか、ベルギー、オランダ、で公開が始まり、フィンランド、デンマークも受け入れが決まっている。

 90年代から前政権時代、パンダはおもに南進していた。中国に返還された香港、マカオ、そして、台湾、東南アジアなどで足場を固める地域戦略に沿ったものだった。

 90年代末の通貨危機を受けて節約を優先した韓国が初代を返すという波乱もあったが、タイ、マレーシア、シンガポールの動物園に初めて登場し人気を集めた。

 同じころ、インドネシアとも合意しており、数年の準備を経て近く、華僑2世が経営するボゴールの動物園に2頭がやって来る、」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「パンダ外交に詳しい歴史学者家永真幸さんの近著「国宝の政治史、「中国」の故宮とパンダ」によれば、パンダの外交利用は、日中戦争中の1941年、当時の中華民国が世論工作のため、米国に寄贈を決めた2頭に由来する。

 東西冷戦時代は、旧ソ連と北朝鮮に送られた。パンダの足取りは、中国外交の力点に重なる。

 ただ、経済成長と共に台頭する中国という国家の存在感が強まるほど、パンダの「中国離れ」が起きているように思う。

 リーリーたちが来ても、日本人の対中感情が好転する兆しはない。かってのように友好の象徴とは受け止められていない。台湾や香港でも同様の傾向だ。ご近所にとって「象徴」では覆いきれないほど、大きな存在として迫る中国が見えるからだろう。むしろ、パンダは国家と同一視されず、愛されているともいえる。

 国家の思惑を裏切って、ふつうのめずらしい動物と個人との関係を築きつつあるなら、悪い話ではないかもね。白黒つけずにおこうか。比力、いやリーリー。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「希少動物の保護の観点から、80年代は贈り物ではなく、共同研究の名目で世界各国に有料で貸し出されるようになった。政略養子縁組、それとも公務出張中と呼ぶほうがふさわしい存在なのだ」とのこと、

 「十数か国に50頭余りが現在、出張中」とのこと、

 「一帯一路」戦略を掲げて欧州との関係を強化する中国と、人権や安全保障を超えて巨大中国市場が持ち経済力を重視する欧州――・」とのこと、

 「習政権発足後、その結びつきを象徴するかのようにパンダは西へ向かう。ドイツのほかベルギー、オランダで公開が始まり、フィンランド、デンマークも受け入れが決まっている」とのこと、

 「90年代から前政権時代、パンダはおもに南進していた。中国に返還された香港、マカオ、そして台湾、東南アジアなどで足場を固める地域戦略に沿ったものだった。」とのこと、

 「パンダ外交に詳しい歴史学者家永真幸さんの近著「国宝の政治史 中国」の故宮とパンダ」によれば、パンダの外交利用は、日中戦争中の1941年、当時の中華民国が世論工作のため、米国に寄贈を決めた2頭に由来する。東西冷戦時代は、旧ソ連と北朝鮮に送られた。パンダの足取りは、中国外交の力点に重なる」とのこと、

 「ただ、経済成長とともに台頭する中国という国家の存在感が強まるほど、パンダの「中国離れ」が起きているように思う」とのこと、

 等々を教えてもらった。

 パンダの愛くるしさは何年たってもそのままでいてほしいが、共産党一党独裁の中国は、内からの民主化で大きく変わってほしい。そして共産党一党独裁のままでの覇権だけは勘弁してほしい!!


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by sasakitosio | 2017-09-18 16:02 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月17日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。

  筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「人は自分が選んだ者たちを信じていないーー。ある世論調査のデータを見ながら奇妙だけれど腑に落ちると感じた。

 大阪商業大学のJGSS(日本版総合的調査)研究センターが拠点となって定期的につづけている全国調査の最新の結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だった。

 そこには社会に影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。

 回答の選択肢は「とても信頼している」「少しは信頼している」「ほとんど信頼していない」「わからない」の四つ。そのうち信頼に肯定的な二つを合わせても29.4%。逆に「ほとんど信頼していない」は52.2%に上る。「市区町村議会議議員」も不信が45.2%と高い。

 今年のサンプル数は744と比較的少ないが、約2千から3千のサンプルを集めた2000年から15年までの10回の調査も似たような傾向を示す。

 議員たちよりも信用されないのは「宗教団体」だけ。

 逆に信頼の選択肢の合計が安定して高いのは「病院」で90%前後、「学校も」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台、大企業で60%台が続く。「学者・研究者」もおよそ70%だ。「中央官庁」と「労組」はやや落ちて40から50%付近を上下している。

 「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台に信頼が寄せられているが、不信度は上昇傾向、自戒せねば。

 あきらかに人々は自分たちで選んだわけではに人たちの方を信頼している。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この夏、朝日新聞の「声」欄で、読者が選挙での棄権と白票を めぐって意見を交わしていた。

 一つの投稿がきっかけだった。

「投票先がないなら何も書かない白票を」と提案し、「白票は政治不信に対する明確な意思表示」と主張していた。

 これに対して「白票がおおければ何かが変わるのでしょうか」「少しでも自分が大切にしていることに考え方の近い人や政党を選んでほしいな」「白票は与党を利するだけと批判的な声が寄せられた一方、白票に意味を持たせようという提案も、それが「一位となれば、その選挙区では当選者がでないことに」。

 意見が分かれても投票に共通してにじむのは、政治家や国会へのふしんだ。

 「傍若無人な国会運営を追認し、保身のみに汲々としている議員たち」

 「首相の国会でのヤジ、はぐらかし、閣僚の失言、暴言は最高度。あ然とする。

 信じることがむずかしい者たちの中から選ぶしかない切なさ。

 この5月に大統領選挙があったフランスでも有権者たちが同様の葛藤に揺れていた。

 棄権するか白票を投じた人は有権者の3分の1と、歴史的な高さになった。

 決選投票で残った2人の候補の「どちらも信頼できない のにどうして投票できるのか」と考えた人が多かったからと言われた。

 民意を政治に届ける民主主義の動脈があちこちで詰まっている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。

 しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする。ある人は棄権し、ある人は白票を投ずる。そしてまた別の人は「よりひどい」ものを排除するために「まだまし」な者に一票入れる。選挙結果が表現するのは、誰かへの信頼ではない。誰かへの不信だ。

 日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く。近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。

 議員を信頼していない人がざっと半分いるという調査データと重なる。低投票率が示すのは、政治への無関心というより政治への不信と読める。

 民主主義では選挙こそが正当性の根拠だ、と誰でも考える。

 だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが民主的な正当性を一人占めすることになるのだとしたら。

 奇妙だと思う。そして、このことは腑に落ちない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが拠点となって定期的に続けている全国調査の最新結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だと思った。」とのこと、

「そこには社会的影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。」とのこと、

 「議員たちより信頼されないのは「宗教団体」だけ、」とのこと、

 「逆に信頼の選択肢の合計が安定しているは「病院」で90%前後、「学校」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台だ。「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台の信頼が寄せられている」とのこと、

 「選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする」とのこと、

 「日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く、近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。議員を信頼していない人がざっと半分という調査データと重なる」とのこと、等々を知ることができた。

 かねがね、投票率50%を切った時、むりむり当選者を決めているような気がした成らなかった。その選挙区は、適任者なし、当選者無しでいいのではないか、と思ってきた。

 さらに、棄権と白票をあわせて50%を超過した選挙区は、当選者なしというように公職選挙法を改正すべきだ、とも思った。

 また、議員の居なくなった選挙区は、法案ごとに住民投票を実施し、その結果でその選挙区から出たであろう「議員」の評決にしたらどうだろうか、とも思った。

 


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by sasakitosio | 2017-09-18 09:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月15日付朝日新聞朝刊13面に、「月刊安心新聞」という欄がある。筆者は、千葉大教授・神里達博氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「個人的な話から始めたい。

 1989年夏、大学三年生だった私は,友人二人とともにヨーロッパを旅した。

 限られた予算の中で、できるだけ多くの都市を回るという方針であった。

 この旅の後半では、社会主義体制の国を訪れるという、「野心的な」プランも含まれていた。

 最初に東側に入ったのは、ハンガリーである。

 私たちは鉄道で、ウィーンからブタベストにむかった。途中、列車に自動小銃を持った係官3人が乗り込んできて、パスポートを見せろと言われた時、正直怖かった。

 だが、ブタベストに到着すると、想像以上に活気があり、ほっとした。

 私たちは国営の旅行会社に「民泊」を斡旋してもらい、一般家庭に、一晩だけお世話になった。

 3世代が同居するその家族は、言葉がまるで通じないのに、とても親切にしてくれた。

 ハンガリーでは何を食べてもおいしく、社会主義も悪くないかも、などと思った。

 しかし旅の最後、東ベルリンに入った私たちは愕然とした。東西ベルリンを分かつ検問所「チェックポイント・チャーリー」から東側に入ると、まず一定額を強制的に両替させられた。

 街の広場のベンチには、無気力な表情の人たちが座っていた。せっかくだから声をかけてみようと近づくと、すぐ逃げてしまう。秘密警察「シュタージ」がどこかで監視していたかもしれない。

 店に入っても、まともな商品はない。仕方がないので喫茶店に入り、コーラ・フロートを頼んでみた。にこりともしないウェートレスが、コーヒー牛乳のようなものを持ってきた。英語が通じなかったのかなと思った。だが飲んでみると。アイスクリームが全部溶け、完全に気の抜けたコーラに混じっていたのだ。

 この社会は、もう先がない。私たちはそう思った。

 夢のような夏休みも終わり、大学の講義が始まったころ、驚くべきニュースが飛び込んできた。あの「壁」が崩れたというのだ。

 その後は、あれよあれよという間に、ヨーロッパの社会主義政権が倒れていった。

 私たちは、ハンマーで壁を叩き壊す人々の映像をみながら、人間の「底力」を信じられる気がした。そして当然類推として、朝鮮半島の二つの隣国も、ほどなく統一すると思ったのである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「あれから30年近くが経った。振り返ってみれば冷戦の終結は、私たちの国にとっては、どうやらあまり有利ではなかったようだ。

 そもそも「鉄のカーテン」の存在は、西側諸国にとっては、過度な資本主義化を抑制する作用を持っていた。

例えば、いまから考えれば当時の自民党、時の田中派は、開発独裁のにおいが強かったものの、地方への再分配を強く勧めたという点で社会主義的であったし、東側の諸国ともさまざまなルートでつながりを維持していた。

 そのような多元的なパイプと、日本国憲法というツールを上手に使って、当時の政権は、アメリカに対して主体性を確保すべく、踏ん張っていたという側面は否定できない。

 当然それは米国から見れば、本音では不快であっただろうが、東側と対峙する最前線でもある日本をむげにできない状況でもあったのだ。

 だが、グローバル化する世界に投げ込まれてからの日本は、ゲームのルールが変わったことになかなか対応できないまま、相対的な地位を下げ続けた。

 冷戦という外的条件に、そほど過剰適応してしまったのだろう。よくも悪しくも平等だったこの国は、気づけばすっかり格差が広がった。

 一方で古い大企業は内部留保を増やすばかりで、新しい価値を生み出すことに苦戦している。」と教えてくれる。

最期に筆者は、「ところが近年、国際社会には、また新しい風景が出現しつつある。それは「冷戦後の終焉」を示唆するものだ。

 今週採択された北朝鮮に対する制裁も、当初案こそ強硬な内容であったものの、最終的には米国は、中ロに対して大幅な譲歩を余儀なくされた。

 冷戦後の米国一強体制は、すでに「9.11」の頃から揺らぎ始めている。

 今後いかなる時代がやって来るのか、さまざまな議論があるが、少なくとも、多極化に向かっていることは間違いなさそうだ。

 北朝鮮の問題も、表面的には冷戦期に片付かなかった宿題が、一周遅れで顕在化しているように見えるが、実は、今後、核保有国の拡大という、危険な時代が到来することを予兆する現象なのかもしれない。

 89年、昭和天皇の崩御と共に「平成」が始まった年でもある。冷戦後の世界を私たちは、平成時代の長さと同じだけ生きてきた。

 その「冷戦後」も終わり、別の時代が始まろうとしているなか、奇しくも、間もなく日本の元号も改められる。

 あの冷戦期に似た季節が、再びやって来るのだろうか。

 むろん、冷戦時代と現代は、さまざまな条件が異なる。自由主義と社会主義の対立という構図が単純に復活するとも思えない。

 だが少なくとも、今後の日本の進む道を考える上で、当時の政治家や官僚たちが備えていた、懐の深さや二枚腰の対応について、公平な目で再評価することは意義があろう。

 立ち現れつつある新時代の国際力学は、かなり重層的で複雑になる可能性が高いからだ。

 歴史は、全く同じことは起きないが、似たようなことは何度も起こる。それは主題が形を変えて繰り返される変奏曲のようだ。

 時代の奏でる音色の変化に、敏感でありたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「1989年夏、大学三年生だった私(筆者)は、友人二人とともにヨーロッパを旅した」とのこと、

 「旅の最後、東ベルリンに入った私たちは、愕然とした。東西ベルリンを分かつ「チェック・チャーリー」から東側に入ると、まず一定額を強制的に両替させられた。街の広場のベンチには、無気力な表情の人たちが座っていた。せっかくだから声をかけてみようと近づくと、すぐに逃げてしまう」とのこと、

 「この(東ドイツの)社会は、もう先がない。私たちはそう思った」とのこと、

 「夢のような夏休みも終わり、大学の講義が始まったころ、驚くべきニュースが飛び込んできた。あの「壁」が崩れたというのだ。その後は、あれよあれよという間に、ヨーロッパの社会主義政権が倒れて行った」とのこと、

 「当然の類推として、朝鮮半島の二つの隣国も、ほどなく統一すると思ったのである」とのこと、

 「そもそも「鉄のカーテン」の存在は、西側諸国にとっては、過度な資本主義化を抑制する作用を伴っていた」とのこと、

 「当時の自民党、特に田中派は、開発独裁のにおいが強かったものの、地方への富の再配分を強く進めたという点で社会主義的であったし、東側の諸国とさまざまなルートでつながりを維持していた。」との指摘、

「そのような多元的なパイプと日本国憲法というツールを上手に使って、当時の政権は、アメリカに対して主体性を確保すべく、踏ん張っていたという側面は否定できない」との指摘、

 「グローバル化する世界に投げ込まれてからの日本は、ゲームのルールが変わったことになかなか対応できないまま、相対的な地位の低下を続けた」との指摘、

 「良くも悪くも平等だったこの国は、気づけばすっかり格差が広がった。一方で古い大企業は内部留保を増やすばかりで、新しい価値を生み出すことに苦戦している」との指摘、

 「ところが近年、国際社会には、また新しい風景が出現しつつある。それは「冷戦後の終焉」を示唆するものだ」との指摘、

 「冷戦後の米国一強体制は、すでに「9.11」の頃から揺らぎ始めている」との指摘、

 「今後の日本の進む道を考える上で、当時の政治家や官僚たちが備えていた、懐の深さや二枚腰の対応について、公平な目で再評価する意義があろう」との指摘、等々を知ることができた。

 筆者は、「北朝鮮問題が、実は今後、核保有国の拡大という、危険な時代が到来することを予兆する現象なのかもしれない」、と指摘する。

 その可能性は大いにあると思うが、それでは人類滅亡・地球破壊への大きな一歩を踏み出すことになるのではなかろうか。

 個人的には、だれも滅亡したくないし、地球を破壊したいとは思わない。2000年11月のニューヨーク一人歩きから今年正月のサンクトペテルブルグ一人歩きまで、ほぼ毎年外国の首都で連泊して街中を歩きまわってきて、確信した風景だ。

 そこで、核兵器はじめ殺人兵器を持った人や国家が、核兵器を始め「殺人兵器」の被害を受ける、という究極の「平和技術」を「AI」で開発して、地球上から「殺人兵器という兵器」を消滅できないものか、と思った。

 また、国家間の戦争をなくするためには、世界連邦を創りいま存在している「国家」をなくすることを急がなければならない、とも思った。

 国家をなくして戦争をなくするか、戦争で人類が滅亡するか、核兵器が誕生した現代では人類に残された時間的余裕は、そう長くないような気がするが!バートランドラッセル・アインシュタイン宣言からだいぶたつたが!

 


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by sasakitosio | 2017-09-17 07:14 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月7日付朝日新聞朝刊15面に、「オピニオン&フォーラム 安保孝第一部同盟とは(下)」というページがある。なかで、発言者は元中国大使・丹羽宇一郎さんと、東京大学教授・藤原帰一さんだ。

 今日は、元中国大使・丹羽宇一郎さんの発言に学ぶことにした。

 まず丹羽宇一郎さんは、「冷戦は終わりましたが、その後の米国による覇権も終わりました。

 一方、中国は世界第二位の経済大国となり、軍事費はこの間40倍近くになった。世界情勢が変化しているのに、日本はこれまで通り日米同盟強化の一辺倒です。

 沖縄の米軍基地は何故あるのか。米国を守る盾になるためです。

 しかし、米国のために日本があるわけではない。なぜ日本のために日米同盟が必要なのか考えるべきです。

 それもなく法律を変え、専守防衛を超え、とことこついていくだけではいけないと言いたい

 同盟に光もあれば影もある。

 同盟の光ばかりを享受できると思い込み、日本は自国の安全保障に思考停止状態になっている。同盟の影、つまり自らも戦争に近づいてしまう部分を考えていない。」と切り出した。

 つづけて丹羽宇一郎さんは、「北朝鮮が核実験をしました。しかし、金正恩氏に核を放棄しろといっても、絶対に放棄しないでしょう。生き残る唯一の道が核だと思っているからです。

 米艦は軍事演習をやったり、貿易を止めたりして、どうするするつもりなのか。圧力だけかけても、出口はない。出口なき戦略の先にあるのは戦争です。

 最近、北朝鮮や中国へ強硬論がまかり通っています。危ないことを格好いいことだと思っている。戦争の真実を知るべきです。

 戦時中、空襲に遭いました。防空壕の入り口に焼夷弾が落ち、母が死ぬ思いで火を消した。今戦争を知らない人が多すぎると思い、体験者を取材し本意しました。

 戦争の真実とは何か。

 それは「狂う」ということです。

 普通、人は人を殺しません。だから狂うしかない。また、実際には飢えと病気で死んだ人も大勢いました。

 安全保障とは、防衛力を向上させることだと思っている人が多いですが、それは違います。

 軍事力は安全保障の手段の一つに過ぎない。

 軍事力より外交力、それを実現する国際政治こそが大事です。

 東シナ海の安全保障を議論するなら、中国とどう敵対せず、友好関係を築き味方に引き入れるかが重要で、政治の出番です。

 過去に米国はギリギリのところでソ連との戦争を回避しました。

 それこそ政治家の役割です。

 1962年のキューバ危機。

 米国のケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相は水面下で何度も交渉し、

米国がキューバに進行せず、ソ連がキューバからのミサイル撤去で合意。米国はトルコからのミサイル撤去も秘密裏に約束した。

 核搭載爆撃機の離陸直前でした。ケネディの指導力で軍事専門家の強硬論を抑えることができたと研究者は分析しています。」と教えてくれる。

 最後に丹羽宇一郎さんは、「中国大使として、習近平氏と十数回会いました。そのたびに「両国は、住所変更できない間柄ですね」と言われました。隣国同士、仲よくするしかない、という含意です。

 日本の生き残りには中国の14億人の市場が重要です。経済格差や環境汚染など日本がかって経験してきた問題に直面する中国に日本の知恵が必要です。

 安倍晋三首相と会談する時、習氏はにこりともしないとメディアは騒ぎます。こっちもしかめっ面しているからでしょう。相手は自らを映す鏡です。

 尖閣諸島については、帰属の議論を2年間凍結してはどうか。その間に、漁業協定と資源開発を一緒にやったらいい。お互いが損をしない、政治の力で前向きな解決方法を考えてほしい。

 北朝鮮問題については、すべての核保有国が2年間、核開発と使用を一切凍結する。

 その間に、唯一の被爆国日本が仲介し、米朝、米中で話し合う。これが唯一の道だと私は考えます。

 同盟の意味、特に影の部分がなんなのかを考え、戦争には絶対に近づかないようにする。

 軍事力だけでなく、むしろ国際政治の力で戦争を避ける。それこそが安全保障です。

 政治家には冷静でしたたかな交渉を期待したい。」と締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「戦争の真実とは何か。それは「狂う」ということです。普通、人は人を殺せません。がから狂うしかない。」との指摘、

 「安全保障とは防衛力を向上させることだと思って人が多いですが、それは違います。軍事力は安全保障の手段の一つに過ぎない。軍事力より外交力、それを実現する国際政治こそが大事」とのこと、

 「日本の生き残りには中国の14億人の市場が必要です。経済格差や環境汚染など日本がかって経験した問題に直面する中国には日本の知恵が必要です」との指摘、等々は理解できた。

 そして、「尖閣諸島について、帰属の議論を2年間凍結してはどうか。その間に、漁業協定と資源開発を一緒にやったらいい。お互いが損をしない、政治の力で前向きな解決方法を考えてほしい」との提案、

 「北朝鮮問題の解決については、すべての核保有国が2年間、核開発と使用を一切凍結する。その間に、唯一の被爆国日本が仲介し、米朝、米中で話し合う」等の提案、等々は日本政府の担当者が実践すれば、日本の平和と繁栄に良い結果が出るだろうな、と思った。


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by sasakitosio | 2017-09-10 15:59 | 朝日新聞を読んで | Trackback

8月29日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」という欄がある。 筆者は、編集委員・多賀谷克彦氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「この国の勤め人は、そもそもどのような働き方をしてきたのだろうか。

 江戸期の大店を研究する専修大の西坂靖教授(日本近世史)に聞くと、当時の勤め人は、思ったより決まった休みを取っていた。

 例えば、三井越後屋京都店の奉公人は、五節句には日帰りの外出が許され、花見、涼み、芝居見物など季節行事に合わせた休暇もあった。

 というのも、当時は自ら店を構えるのが主流で、奉公は独立への準備期間だった。

 同店には最盛期170人いたというから、住み込み、1日14~16時間の勤務となると、まじめで、長時間務める人材を見つけるのは大変だったろう。

 西坂氏は「人材確保のためにも、窮屈な勤務だけに仕事と休みのメリハリが必要だったのでしょう」という。

 後の三越が月2回の定休日を設けたのは1919年で、当時の商店では画期的なことだった。

 その後、三越が近代小売りの先頭を走ってきたこととも無縁ではないだろう。

 時代をさがっても、我々も働き方を問われている。しかも、サービス業、小売業での人で不足というのは共通の悩みだ。かっての越後屋、三越のように、休みを経営改革につなげる術はないだろうか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「大手引越しのアートコーポレーション(大阪市)は今月から、原則として繁忙期を除く火曜日を定休日にした。

 引っ越し業務を担う現場の約2000人が対象で、それこそ顧客優先のこの業界ではありえないことだという。

この業界でも運転手不足は深刻だ。かっての「トラック野郎」も今は昔という。

 寺田千代乃社長は「お客さんに迷惑かけるかもしれない。目先の売り上げも下がる。でも優秀な人材を確保しなければ、将来にわたって納得できるサービスを提供できない」と決断した。

当の現場も、競合他社も「本気か」と半信半疑だったという。

 8月1日が初の定休日だった。職場ごとに、バーベキュー、野球大会などが企画された。現場からは「今まではシフト制なので、全員参加は難しかった。これからは」という声が上がった。

 ただ、売上高が減ったままというわけにもいかない。現場に」負荷をかけずに生産性の向上を目指す手立てはないか。担当の東晶章取締役は「定休日の導入から業務を考え直すきっかけにしたい。これまで見えなかったものが見えてくれば、新たな工夫もできるだろう」という。

 65年、当時の松下電器産業が日本で初めて週休二日制を導入した際、松下幸之助はこういったという。

 「先進国の米国以上に高能率を生み出す決意で臨んでほしい。日本を一挙に米国に近づける。その先達の意気込みで・・・」

 定休日を、休日の取得をコスト増と考えるのか、それとも創意工夫のスタートと考えるのか。その差はとてつもなく大きい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「三井越後屋京都店の奉公人は、五節句には日帰りの外出が許され、花見、涼み、芝居見物など季節行事に合わせた休暇もあった」とのこと、

 「後の三越が月2回の定休日を設けたのは1919年で、当時の商店では画期的なことだった」とのこと、

 「大手引越しのアートコーポレーション(大阪市)は今月から、原則として繁忙期を除く火曜日を定休日にした」とのこと、

 「65年、当時の松下電器産業が日本で初めて週休2日制を導入した際、松下幸之助はこういったという。「先進国の米国以上に高能率を生み出す決意で臨んでほしい。日本を一挙に米国に近づける。その先達の意気込みで・・・」」とのこと、

 等々を知ることができた。若い頃、土曜半日勤務であった。それが、土日休日が導入される時、仕事の処理と収入確保が心配でしょうがなかった。しかし、役所と銀行が一斉に週休二日に踏み切ったら、仕事の処理にも収入確保にも、全く影響がなかったのは不思議な気がしたものだ。

 少子高齢化を心配する向きが多いが、定休日を増やし、休日の取得を増やし、それを創意工夫のスタートと考えれば、将来は明るいような気がしてきた。。


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by sasakitosio | 2017-09-03 13:47 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月2日付朝日新聞朝刊13面に、「オピニオン&フォーラム」という欄があり、慶応大学教授・井出栄策さんへのインタビュー記事が載った。(聞き手・石松恒、三輪さち子、山田史比古)

 今日はこの記事を学習することにした。

 まず記事は「民進党の新代表が前原誠司氏に決まった。前原氏が掲げる「A11 for A11」をブレーンとして考えたのは、一人の学者だ。3月の民進党大会で社会全体で負担を分かち合うための増税の必要性を訴えた本人に、目指す社会像とは何なのか。そもそも民進党は信頼をえられるのか、そして対抗軸は作れるのかどうかを聞く。」と切り出した。

 続けて記事は、「--前原さんが代表選で勝利しましたが、多くの有権者は民進党に期待していないのが実情です、との問いに。

 井出栄策さんは「僕は、二人は質の高い議論をしていたと思います。枝野幸男さんは消費増税は国民の理解を得られないとして反対し、1兆円分の赤字国債を財源に保育士や介護職員の賃金アップを訴えた。前原さんは財源論から逃げないことを明確にうちだし、消費増税で暮らしを豊かにすると主張しました。 タブーだった増税を打ち出した方が勝利したことは高く評価してよいのではないかと思います」と答えた。 

 ――しかし、どん底の民進党の信頼回復につながるのでしょうか、との問いに。

 井出栄策さんは「野党共闘への反発を理由に前原さんを支持した人たちがいる。まずは党内でわれわれは増税を通じた生活保障で闘うんだ、というコンセンサスを整えないといけない。

 しかし、国民がうんと言わない限り、彼らはうんとは言わないでしょう。だからこそ、国民に財源問題を語りかける運動を展開すべきです。増税は誰だってつらい。「なぜ A11 for A11なのか」を説明する責任がある」と答えた。
 さらに記事は、「――そもそも「A11 for A11」とはどんな社会ですか、の問いに。

井出栄策さんは「今の日本は自己責任の社会だと僕は思います。つまり自己責任で稼ぎ、貯蓄をし、あらゆる不安に自分自身の力で備える。成長が止まり、所得が20年にわたって落ち、貯蓄率が劇的に下がるなかでみんな苦しい。それでも、人々は自己責任を押し付けられている。

 これが社会不安の一番の理由です。

 政府は「あなたが自分で何とかしなさい」と言い、責任を個人に押し付けてきた。」

「日本から、「私たち」という概念が消えようとしていることに、危惧を抱いています。社会の仲間がみんなのために税金を払い、不安や痛みを分かち合う「私たち」をつくろう。それが「A11 for A11」です」と答えた。

 --みんなで助け合うというのは、聞こえはいいですが「消費税が人々の苦しみではない」と理解を得られるでしょうか、との問いに。

 井田栄策さんは、「このタイミングで消費増税が延期されたことはむしろ天佑です。2019年10月に2%上がることは決まっている」

 「大事なことはまず、この2%の使い道です。1%の貧困対策はやむをえませんが、もう1%は元の計画のように借金返済に充てるものではなく、生活保障に使うべきです。

 幼稚園と保育園の自己負担分が8000億、介護の自己負担が8000億円ですから、それを合わせても消費税1%分の2.8兆円で賄える。国民は「1%の増税で、こんなに生活が楽になるか」と驚くでしょう」と答える。

 ――しかし、政府の一般会計の予算全体で考えれば年金や医療費などの社会保障費はが3分の1、過去の借金の支払である国債費が4分の1を占めています。

 高齢化に伴い、社会保障費はこの10年、毎年1兆円規模で増えており、消費増税1%分の2.8兆円はすぐになくなります。「A11 for A11」の生活保障のために、消費税を何%まで上げるべきだと考えているのですか、との問いに。

 井出栄策さんは、「どの程度の負担がいいかは国民が決めることで、ぼくが決めることでも民進党が決めることでもない。民進党がA,B,C,Dとシュミレーションを提示し、このぐらいの生活保障にはこれぐらいの税が必要、消費税率はこう、法人税率はこう。徹底的に議論したものを国民に示せばいい」

 「これは党の意見ではなく、あくまでも僕の主観ですが、もし消費税をあと7%上げて15%にすると、欧州諸国で税負担が軽い英国と、平均のドイツの中間ぐらいになる。7%上げると約20兆円入る。10兆円を財政健全化に使うと10兆円残る。介護の自己負担8000億円、幼稚園、保育園の自己負担が8000億円病院の医療費の自己負担が4.8兆円。大学の授業料が3兆円。全部合わせて9.5兆円ぐらい。全てを無償にできませんが、国民負担はほぼ消える計算です」と答える。

 ――例えば年収400万円で夫婦と子供3人の世帯で消費税率15%まで上げれば、貯蓄がなくても、安心して子どもを大学まで行かせられる社会になると?、との問いに。

 井出英策さんは、「そう。医療や介護の不安もいらない。極論すれば、貯蓄ゼロで不安ゼロの社会を目指す。そうすると、皆さんの次の問いは聞かなくとも分かります。「政府を信頼できない国民が多いのに、税を払ってくれるのか」、でしょう」と答えた。

 ――その通りです。そもそも国民のあいだには、前身の民主党への不信感が根強い。民主党はマニュフェストでムダを省けば16.8兆円の財源が出ると言ったのにそれはできず、やらないといっていた消費増税を逆に決めてしまいました、との問いに。

 井出英策さんは、「マニュフェストを実現できず、書いてなかったことをやったと批判したメデイアは100%正しかった。だからこそ、暮らしを豊かにするにはどうすればいいかを必死に考え、増税で財源をまかなうことを説明している。今度はメデイアの姿勢が問われます」と答えた。」と教えてくれる。

 さらに記事は、「――信頼を失っている民進党に今、何ができますか。安倍政権の対抗軸になり得るでしょうか、との問いに。

 井出英策さんは、「新しい社会像を示すことです。安倍政権の4年間で平均実質成長率は年1.1%。バブル崩壊して今に至るまでの平均成長率は0.9%ですから、ほとんど成長していません。

実はそれを一番鋭く感じているのが安倍政権です。だから、成長路線の3本の矢から分配路線の新3本の矢へと舵を切った。成長ではなく、分配へとステージが変動しているのです」

「そうした中で、前原さんは本当にアベノミクスの対抗軸とは何かを考え、タブーだった増税を打ち出し、支持を得た。この意味は大きいと思います」

 「逆に質問させてほしい。増税しないと言ったら、選挙に勝てますか?」と答えた。

 ―ー自民党はそう考えていおるから安倍政権は消費増税を2度延期し、小泉進次郎氏は増税ではなく、社会保険料による「こども保険」を打ち出しているのでしょうね、との問いに。

 井出英策さんは、「あれは(実態が)ばれますよ。社会保険料の負担に頼れば、現役世代にしか負担がないし、子供のいないひとは何の利益もないのにお金だけとられる。世代間の分断、子供がいる世帯といない世帯の分断を生みます」

 「増税が嫌なら、それは国民の選択です。しかし、誰もが自己責任の恐怖におびえ、自分で貯蓄しなければならないのにできない。それが次世代に継承されていくことが僕は耐えられない」と答えた。

 ――でも次世代へのつけ回しである借金の返済は後回しですか、との問いに。

 井出英策さんは、「財政健全化をにらみつつ生活保障をするという考えです。そもそも国債の9割は日本人による保有です。こんな国の財政がすぐに破綻するでしょうか。だからと言って将来ずっと大丈夫かといえばそうではありません。国民が受益感を得て、さらなる増税の道を切り開かなければ、財政健全化は本当にできなくなります」と答えた。

 ――毎年大幅に増える社会保障費はどうするのですか。高齢者への痛みを伴わず、現役世代の生活保障はできるのでしょうか、との問いに。

 井出英策さんは「医療費、介護費が増えるのはその通りです。ただ高齢者が亡くなることに伴い相続税収入が増えるので、その税収をとらえられるように設計しておく必要がある。また少子化で子供の教育費は減る。ジュネリック医療品を使えば医療費はさらに削減できます。」と答えた。」と教えてくれる。

 最後に記事は、「――A11 for A11の原点は何でしょう。ご自身の生い立ちにあると伺いました、との問いに。

 井田栄策さんは「僕は母親が40歳の時の子どもで母子家庭でした。母の友達は「一人じゃ育てきらんけん、おろしなさい」と言って、泣きながら止めたと言います。それでも生んでくれた。障害年金をもらっていたおじが、お金を回してくれた。

 独身のおばは、朝から晩まで働いてお金を入れてくれた。家族がただ一つ、ぼくの幸せだけを願って助け合って生きてきました」

 「僕は運がよかった。だから言いたいことは一言に尽きる。運が悪いだけの理由で、真っ当な人生を送れないのはあまりに理不尽だということ。いかなる条件で生まれても、誰もが堂々と安心して暮らせる社会を目指さなければ。東京五輪まで徹底的に闘います。五輪後に景気が傾き、思想的な空白状況が生まれた時、日本に住む人々が右往左往しなくていいように新しい思想の旗を立てたい」と答えた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「これは党の意見ではなく、あくまで僕の主観ですが、もし消費税をあと7%上げて15%にすると、欧州諸国で税負担が軽い英国と、平均のドイツの中間ぐらいになる。7%上げると約20兆円入る。10兆円を財政健全化に使うと10兆円残る。介護の自己負担8000億円、幼稚園、保育園の自己負担8000億円。病院の医療費の自己負担が4.8兆円。大学の授業料が3兆円。全部合わせて9.5兆円ぐらい。全てを無償にはできませんが、国民負担はほぼ消える計算です」とのこと、

 「財政再建化をにらみなつつ生活保障をするという考え方です。そもそも国債の9割は日本人による保有です。こんな国の財政がすぐに破綻するでしょうか。だからと言って将来ずっと、大丈夫かと言えばそうではありません。国民が受益感を得て、さらなる増税の道を切り開かねば、財政健全化は本当にでき出来なくなります」とのこと、

 「医療費、介護費が増えるのはその通りです。ただ高齢者がなくなることに伴い相続税収入が増えるので、その税収をとらえられるように設計しておく必要がある。少子化で子供の教育費は減る。ジェネリック医薬品を使えば医療費はさらに削減できます」とのこと、等々を教えてもらった。

 「五輪後に景気が傾き、思想的な空白状況が生まれた時、日本に住む人々が右往左往しなくていいように新しい思想の旗を僕は立てたい」との井出英策先生の決意は素晴らしいと思った。そして、思想の旗を立てるのは、今ではないか、と思っている。

 また、 自分にとって、「特に消費増税3.5%で約10兆円の税収になり、介護や幼稚園・保育園、医療費の自己負担、大学の授業料、とうとう国民負担はほぼ消える計算」とのことは、グッドニュースであった。公務員の信頼性の回復と、税金の使い道の透明性が前提だが、消費税の増税で既存の国民負担ゼロもいいではないか、と思った。  

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-09-03 07:37 | 朝日新聞を読んで | Trackback