憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 836 )

1030日付朝日新聞朝刊4面に、「政治断簡」という欄がある。

 筆者は、編集委員・松下秀雄氏だ。筆者の「政治断簡」は今回で終わるとのこと、惜しい気がするが、それは後を追う優秀な後輩が育っているということか。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「私は政治記者としては、ちょっと変わり種だ。このコラムでも永田町や霞が関の動きを、あまり正面から取り上げてこなかった。

 書いたのは戦争や沖縄、女性、若者、性的少数者、障害者といったテーマ。政治とのかかわりを考えたいと思ったからだ。

 政治も私も、地に足がついていなんじゃないか? そんな思いを持っていた。

 私は戦後20年近くたって「本土」と呼ばれる地域に男性として生まれ、難関と言われる大学を出て、名の知れた報道機関の記者=正社員に就いた。大阪府警の警部補だった父は学生時代に亡くなり、母は苦労したけれど、私はのうのうと生きてきた。戦争のリアルも知らなければ、人の痛みも身にしみてはいない。

 政治の世界にも、似た境遇の人は多い。政治と自分自身を捉えなおすため、違う境遇にいる人、違う体験を持つ人の話を聞いてまわった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「戦争で特に関心を持ったのはそのメカニズムだ。

 たとえば「敵の脅威」。

 戦争の遂行には国民の支持や協力が欠かせない。そこで、しばしば「脅威」が誇張され、捏造される。

 大量破壊兵器があると言ったり、敵の攻撃をでっちあげたり。

 以前にも紹介したけれど、ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングはこういっている。

 「我々は攻撃されかけている」と訴え、「国を危険にさらしている」と平和主義者を非難すれば、人々は意のままになる。このやり方は、どんな国でも有効だーーーーーーーー。

 自由社会でも、狂気の指導者がいなくても、不安に働きかける手法は通用する。

 衆院選の光景を見てこの話を思いだし、胃液が逆流するような苦しさを感じた。

 安倍晋三首相は各地の街頭で、真っ先に「北朝鮮の脅威」を訴えた。

 こんな演説、時の首相から聞いた覚えはない。

 むろん戦争したいのではなく、票が増えると踏んだのだろう。麻生太郎財務相は、「明らかに北朝鮮のお蔭もある」と吐露している。

 その軽さが危なっかしい。

 狙いはどうあれ、首相が「北朝鮮の脅威」を叫べば在日コリアンが敵視されないか。彼らは忘れているのだろうか。

 沖縄県の翁長雄志知事が、安倍首相は「日本を取り戻す」と言っているが、沖縄は入っているのか」と問うていたのを思い出す。

 ヤマト(本土)だけが日本と思っていないか、という意味である。」と指摘した。

 最後に筆者は、「世界に「自国優先」、白人至上主義に類する「多数派優先」の自己中心政治が広がっている。こんな時こそ、多数派か少数派かにかかわらず、ひとり一人の生、自由、人権を大切にしなければ!

 それらを重んじるのが「リベラル」という立場。

 護憲か改憲か、保守か革新かといった線引きを超え、ともに声を上げる時ではないか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「戦争で特に関心を持ったのは、そのメカニズムだ。

 例えば「敵の脅威」。戦争には国民の支持や協力が欠かせない。そこで、しばしば「脅威」が誇張され、捏造される。大量破壊兵器があると言ったり、敵の攻撃をでっちあげたり」との指摘、

 「ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングはこういっている。

 「我々は攻撃されかけている」と訴え、「国を危険にさらしている」と平和主義者を非難すれば、人々は意のままになる。このやり方はどこの国でも有効だーーーーーー。」との指摘、

 「世界に「自国優先」白人至上主義に類する「多数派優先」の自己中心政治が広がっている。日本も似たようなものだ」との指摘、等々の指摘はよく理解でき納得した。

 だから、筆者の「こんな時こそ、多数派か少数派かに拘わらず、ひとり一人の生、自由、人権を大切にしなければ!不安にあおられ、手放さないようにしなければ!」との指摘は、しっかりと自分中に収めておくことにした。

 


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by sasakitosio | 2017-11-05 17:39 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 1029日付朝日新聞朝刊1面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「この選挙は、与党がかって野党が負けたという総括でいいのだろうか。勝ったのは行政府でまけたのは立法府なのではないか。

 解散総選挙は基本的に、首相や大統領が議会と対立して行き詰まったときに、突破口を求めて国民に問い掛ける手段だ。

 いわば行政権力者から議会への挑戦。そう考えれば、今回の結果は行政府に対する立法府の敗北を意味する。

 安倍晋三首相は解散の理由に北朝鮮や消費税の増税分の扱いなどを挙げた。けれど、いずれの問題も政府・与党と野党の間に埋めがたい溝があらわになり、議論が暗礁に乗り上げている段階には見えなかった。

 逆に、森友・加計学園問題で野党と政府は対決していた。かといって、首相はそれについて民意の判断を仰いだわけでもない。

 何を問うているのかあいまいなまま、「政権選択」の選挙だと呼びかけた。野党はそれに乗るかのように「反安倍」で結集しようとしてつまずいた。

 国会は政府の支持基盤を再確保するための道具に成りはて、与野党の議員たちもそのための選挙にいや応なく付き合う羽目になった。

 結果が与党というより首相の勝利だとすれば、政府に対する与党議員の発言力が強まるとは考えにくい。

 他方、野党勢力は、希望の党の失速や民進党の迷走などで深手を負った。

 政府・自民党は秋の臨時国会は開かない方向で調整を始めたという。「国難」というから主権者が代表として選んだのに、選ばれた与党議員たちは議論する気がないらしい。「国難」はどうした、何のために議席にいるのか。

 結局、この選挙を通して、行政府をチェックすべき立法府は、選挙前よりもずっと弱体化してしまった。」と指摘した。

 続けて筆者は、「なんで衆議院に465人の議員がいるのか。それは465個の課題を代表するため。

 安倍か反安倍で数を競うためにいるのではない」と、今回の選挙をめぐる状況を批判するのは哲学者の東浩紀さん、

 「残念なことに、選挙では反政権側の方が数に敏感になっていた」

 たしかに、希望の党の小池百合子代表は、月刊文芸春秋11月号への寄稿で、「衆議院の過半数、233議席を獲得し、政権奪取を目指します」と宣言していた。

 そして選挙戦が始まると、その数の一人になりたくて多くの議員が合流していった。

 多様な民意を担うべき議員が、安倍か反安倍か、あるいは小池かといった行政権力につながる指導者のイメージを自らも身にまとおうと駆け出す。

 それでは、立法府のメンバーとしての使命感を後回しにし、「465の課題」をたった二つの選択肢に還元してしまうことになる。複雑な社会を代表する議会はとても作れない。

 行政府に対する立法府の退潮は、日本意特有の現象ではない。

 例えばフランスでも、マクロン新大統領が国民議会選挙でも自ら新「政党」をつくって多数派を確保した。

 行政府のリーダーが議会も手中に収めた形だ。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「内戦や独裁体制が終わったばかりの国で選挙を取材した経験が何度かある。

 1990年のルーマニア・ブカレストや1993年のカンボジア・タケオでは、人々はスーツや新品のTシャツを着て長い行列をつくり順番を待っていた。やっと手にした民主主義や選挙に精いっぱいの敬意を洗う人々の姿がまぶしかった。

 意表を突いた解散総選挙による議会の弱体化を、首相の巧みな戦略だとか、それが議院内閣制だと評することはできるかもしれない。

 しかし、その行き着く果てにあるのは、行政府の従属物としての立法府だ。

 それで国民がますます代表されているという感覚を失えば、民主主義は成り立たなくなる。

 選挙で与野党が勝ったり負けたりするのは当然だとしても、国民を代表する立法府が敗北してはならないはずだ。

 ブカレストやタケオの人々が見せた選挙への期待と信頼を思い出しながら、この選挙で失ったものの大きさを考えた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「この選挙は、与党がかって野党が負けたという総括でいいのだろうか。勝ったのは行政府でまけたのは立法府なのではないか」との指摘、

 「国会は政府の支持基盤を確保するための道具になりはて、と野党の議員たちもそのために選挙にいや応なく付き合う羽目のなった」との指摘、

 「結局、この選挙を通して、行政府をチェックすべき立法府は、選挙前よりずっと弱体化してしまった」との指摘、等々の指摘はその通りだと思った。

 そして、「1990年のルーマニア・ブカレストや1993年のカンボジア・タケオでは、人々はスーツや新品のTシャツを着て長い列をつくり順番を待っていた。やっと手にした民主主義や選挙に精いっぱいの敬意を払う人々の姿がまぶしかった」とも教えてくれる。

 政治に対する、選挙に対する「国民の信頼や期待」をどうやって、高めるか!間接民主主義を進化させてか、直接民主主義をも活用してか、「国民が代表されているという感覚」持てるようにしなければ、と思った。今世界に吹き荒れている「自国第一主義」の嵐の跡についてくる「独裁主義者」の台頭を許さないためにも!!

 

 


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by sasakitosio | 2017-11-05 16:32 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1023日付朝日新聞朝刊社説に、「衆院総選挙」のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「衆院選は自民、公明の与党が過半数を大きく超えた。有権者は安倍首相の続投を選んだ。

 森友・加計学園問題への追及をかわす大義なく解散―――。自ら仕掛けた「権力ゲーム」に、首相は勝った。

 ただ、政権継続を選んだ民意も実は多様だ。選挙結果と、選挙戦のさなかの世論調査に現れた民意には大きなズレがある。」と切り出した。

 続けて社説は、「本紙の直近の世論調査によると、「安倍さんに今後も首相を続けてほしい」34%、「そうは思わない」は51%。

 国会で自民党だけが強い勢力持つ状況が「よくない」が73%、「よい」は15%。

 「今後の自民党中心の政権が続くのがよい」は37%、「自民党以外の政党に政権が代わるのがよい」は36%。

 驕りとゆるみが見える「一強政治」ではなく、与野党の均衡のある政治を求める。そんな民意の広がりが読み取れる。

 ならばなぜ、衆院選で自民党は多数をえたのか。死票の多い小選挙区制の特性もあるが、それだけではあるまい。

 首相が狙った権力ゲームに権力ゲームで答える。民進党の前原誠司代表と希望の党の小池百合子代表の政略優先の姿勢が、最大の理由ではないか。

 小池氏の人気を当て込む民進党議員に、小池氏は排除の論理」を持ち出し、政策的な「踏み絵」を迫った。

 それを受け、合流を求める議員たちは民進党が主張してきた政策を覆した。

 安全保障関連法の撤回や、同法を前提にした改憲への反対などである。

 基本政策の一貫性を捨ててまで、生き残りに走る議員たち。

 その姿に、多くの有権者が不信感を抱いたに違いない・

 例えば「消費税凍結」「原発ゼロ」は本紙の世論調査ではともに55%が支持する。希望の党は双方を公約に掲げたが、同党の政策軽視の姿勢があらわになった以上、いくら訴えても民意を掴めるはずがない。

 与党との1対1の対決構図を目指して模索してきた野党共闘も白紙にされた。

 その結果、野党同士がつぶし合う形になったことも与党を利した」と指摘した。

 さらに社説は、「その意味で与党が多数を占めた今回の選挙は、むしろ野党が「負けた」のが実態だろう。

 旧民主党政権の挫折から約5年。「政権交代可能な政治」への道半ばで、野党第一党が散り散りに割れたツケは大きい。

 与党の圧倒的な数を前に、野党の連携を欠けば政権への監視役は果たせず、政治の緊張感は失われる。その現実を直視し、選挙と国会活動の両面で協力関係を再構築することこそ、野党各党が民意に応える道だ。

 留意すべきは、権力ゲームからはじきとばされた立憲民主党がなぜ躍進したのか。

 判官びいきもあろう。その上に、民進党の理念・政策や野党共闘を重んじる筋の通し方への共感もあったのではないか。

 「上からのトップダウン型の政治か、下からの草の根の民主主義か」、枝野幸男代表が訴えた個人尊重と手続重視の民主主義のあり方は、安倍政権との明確な対立軸になり得よう。

 では首相は手にした数の力で次に何を目指すのか。自民党は公約に初めて改憲の具体的な項目を明記した。一方で首相は選挙演説で改憲に触れず、北朝鮮やアベノミクスの「成果」を強調した。

 経済を前面に掲げ、選挙が終わると正面から訴えなかった特定秘密保護法や安保法、「共謀罪」法を押し通す。首相が繰り返してきた手法だ。

 今回は改憲に本腰を入れるだろう。」と指摘した。

 最後に社説は、「だが首相は勘違いをしてはならない。そもそも民主主義における選挙は、勝者への白紙委任を意味しない。過去5年の政権運営が皆信任され、さらなるフリーハンドが与えられたと考えるなら過信にすぎない。

 首相の独善的な姿勢は既に今回の解散に表れていた。

 首相は憲法53条に基づく野党の臨時国会召集要求を3カ月も放置した末、あらゆる審議を拒んで冒頭解散に踏み切った。

 与党の多数は、そんな憲法と国会をないがしろにした政争の果てに得たものだ。そのことを忘れてはならない。

 民意は改憲を巡っても多様だ。本旨の世論調査では、自民党が公約に記した9条への自衛隊明記に賛成37%、反対は40%だった。

 短兵急な議論は民意の分断を深めかねない。主権者である国民の理解を得つつ、超党派による国会の憲法調査会での十分な議論の積み上げが求められる。

 憲法論議の前にまず、選ばれた議員たちがなすべきことはがある。森友・加計問題をめぐる国会で真相究明である。

 首相の「丁寧な説明」は果たされていない。行政の公正・公平が問われる問題だ。勝ったらリセット、とはいかない。

 民意の分断を防ぎ、乗り越える。そんな真摯で丁寧な対話や議論が、今この国のリーダーには欠かせない。

 政権の驕りと緩みを首相みずから率先して正すことが、その第一歩になる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「与党が多数を占めた今回の選挙は、むしろ野党が「負けた」のが実態だろう。

 旧民主党政権の挫折から約5年。「政権交代可能な政治」への道半ばで野党第一党が散り散りに割れたツケは大きい」との指摘は、その通りだと思った。

 ただ、その野党協力の絆を内側からバラバラに切り裂いたのは、ほかならない安倍首相「改憲」だったのではないか。

 野党各党が憲法改正問題になると、ばらばらになることを見透かした「高等戦術」を使われたような気がしてならない。

 憲法問題も含めて、これからの世界、その中の日本の方向について、理念政策を確立し、権力維持にだけ汲々としている自公政権・与党もどき野党を吹き飛ばすために、労働者・市民の結集は図らなければ、と思った。

 

 


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by sasakitosio | 2017-11-03 11:28 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 1022日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜の想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「あの詩人のお宅は、さっぱりと知的な空気をまとっている。私のご近所といえるところに家はあって、たまに散歩しながら前を通ることがある。

 詩人は11年前に亡くなられ、家屋は少し古びたけれど佇まいはそのままだ。通りかかるといつも、彼女の詩が一つ二つ胸の底から浮かんでくる昨日あたり散歩に出かけていれば、浮かんできたのはこの一節だったかもしれない。

 言葉が多すぎる/というより/言葉らしきものが多すぎる/というより/言葉と言えるほどのものが無い

 お分かりの人もあろう。茨木のり子さんである。この「賑々しきなかの」という詩の冒頭は、きのうまでの選挙運動を言っているようにも見える。何のための選挙か納得のいかないまま、自賛と甘言の呼号が頭上を飛び交ったように感じたひとは、少なくなかっただろう。

 あるいは、胸に浮かぶのはこの詩句だったかもしれない。

 ひとびとは/ 怒りの火薬をしめらせてはならない/ まことに自己の名において立つ日のために

 この3行を含む詩には「内部からくさる桃」という刺激的な題が与えられている。感情に任せて荒れ狂う怒りではない。憎悪ともむろん違う。この3行にこもる意味は、おそらく「忘れない」ということと同義だ。

 なぜなら、忘れるのをじっと待っている人たちがいるから。」と切り出した。

 続けて筆者は、「内なる火薬を湿らせないでいるのは簡単ではない。

 例えば原発一つとっても、進める側は、政治家も役人も、それを仕事として税金から報酬をもらう。ところが異議を唱える市民の多くは、それで食べてはいかれない。日々の暮らしに追われながらやむにやまれぬ気持ちを行動の支えにしている。立場が違いすぎるのだ。

 同じことを世論を二分して成立した安保法などにもいえる。世の中はあわただしい。大きなニュースが飛び込めば、ひとつ前のできごとはたちまち後景に退いていく。

 そのうえ今は目先の愉楽や便利さに工夫が凝らされて、いきおい一時の感情にとどまりがちだ。そしてじきに忘れられ、政治家は高を括ることを覚えていく。

 310万人が没した先の戦争さえ例外でなくなっている。戦後72年、日本が抱いてきた戦争という者への「怒りの火薬」は、ここに来て急速に湿ってきたようだ。

 とりわけ政治の担い手から、歴史の井戸に深くつるべを下ろす謙虚さが失われているように思われる。

 1926(大正15)年生まれの茨木さんが代表作につづっている。

 私が一番きれいだったとき/…男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差しだけ残し皆発っていった

 東京に冷たい雨の降ったきのうは74年前に、当時のニュース映像で良く知られる雨中の学徒出陣壮行会が行われた。敗戦のとき茨木さんは19歳。この人の詩は、戦争を知る世代ゆえの「勇ましさ」への懐疑を、選び抜いた言葉で私たちに投げかけている。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「さて今夜、テレビ局は特別番組をずらいと並べて衆議院選の開票を待つ。

 候補者1180人は当と落に振り分けられ、国政に新しい勢力図が描かれる。

 どのような図になろうと、あすからの政治にまともな言葉がほしい。

 空疎な「言葉らしきもの」はいらない。

 「言葉と言えるほどのものがない」などは論外だ。

 私たちもまた、言葉を巡る政治家の怠惰や横着にならされてしまってはいけない。

 主権者として、為政者の思い上がった言葉には、愚か者を諭す眼差しを向けなくてはならない。

 9年前、米国の大統領選に勝利したオバマしはこう述べたものだ。

 「私を支持しなかった皆さんには票を頂けなかったが、皆さんの声に耳を傾けます 。私は皆さんの大統領になるつもりです」

 分断をあおる言葉なら、立場や意見のことなるものどうしが肩を組んで歩くの可能にするのも言葉である。それを私たちは「民主主義」となずけた。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「人々は/

 怒りの火薬をしめらせてはならない/

 まことに自己の名においておいて立つ日のために

 この3行を含む詩は「内部からくさる桃」という刺激的な題が与えられている。」とのこと、

 「1926年(大正15)年生まれの茨木さんが代表作につづっている。

 わたしが一番きれいだったとき/

 ・・・男たちは挙手の礼しか知らなくて/

 きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

東京に冷たい雨の降った昨日は74年前に、当時のニュース映像でよく知られる雨中の学徒出陣壮行会が行われた日だった」とのこと、等々を知ることが出来た。ちなみに、74年前のこの日、私は誕生して六カ月だった。

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-11-03 11:18 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1018日付朝日新聞朝刊社説に、「俳句掲載拒否問題のさいたま地裁の判決」が載った。

 今日この社説を学習することにした。

 まず社説は、「自治体に広がる事なかれ主義と、見当違いの「中立」墨守に警鐘を鳴らす判決だ。

 「梅雨空に「9条守れ」の女性デモ」。

 さいたま市がこの俳句を地元の公民館便りに載せることを拒んだ問題で、さいたま地裁は、作者の女性に慰謝料を支払うよう、市に命じた。

 公民館は、女性が参加するサークルで秀作に選ばれた句をずっと掲載してきた。だが「梅雨空に」については、秀句とされたにもかかわらず、「公民館は公平中立であるべきだ」などの理由で採用しなかった。

 判決は、それまでのいきさつから、女性が掲載を期待したのは当然だと判断。

 思想・表現の自由の重みに照らすと、この期待は守られなければならないのに、公民館の職員は十分な検討をせず、正当な理由がないまま拒否したと結論づけた。

 「公立中立」をめぐっても、作者名が明示されるのだから、行政の中立性が害されることはなく、むしろ掲載しないことが行政の信頼を傷つけると、常識にそう指摘をしている。

 注目すべきは、公民館側がこうした異例の措置を取った原因として、判決が「一種の「憲法アレルギー」のような状態に陥っていたのではないかと推認される」とのべたことだ。」と指摘した。

 さらに社説は、「掲載を拒んだ職員らは教育関係者で、学校現場で日の丸・君が代をめぐる対立などに直面してきた。その経験からいざこざを嫌ったとの見立てだ。

苦情や抗議を招きそうな面倒な話はやめてほしい。とりわけ憲法がからむ政治的な問題とはかかわりを持たず、事前に抑え込む方が得策だーー。そんな空気が、自治体を始め、公の施設や空間を管理する側をおおっているのは間違いない。

 体制に批判的な言動をあげつらうメデイアやネット世論もあり、対応に追われる労苦は理解できる。だからといって、市民から発表や参加の場を奪った先にあるのはどんな世の中か、想像力を働かせる必要がある。

 波風のたたない平穏な光景かもしれない。だが、それは闊達さとは無縁の息苦しい社会だ。」と指摘した。

 最後に社説は、「判例や学説は、基本的人権の中でも表現の自由をひときわ重く見てきた。民主主義を深めるには、自由に学び、ものを考え、成果を公表し、意見を交わせることが不可欠だからだ。

 憲法が保障する権利は、失ったときにその尊さを思い知らせれる。

 そして、一旦失ってしまうと、回復するのは容易ではない。

 自由な社会を維持し、どう行動すべきか。一人一人が問われる。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「公平中立」を巡っても、作者名が明示されるのだから、行政の中立性が害されることはなく、むしろ掲載しないことが行政の信頼を傷つけると、常識に沿う指摘をしている。」とのこと、

 「注目すべきは、公民館側がこうした異例の措置を取った原因として、判決が「一種の「憲法アレルギー」のような状態に陥っていたのではないかろ推認される」と述べたことだ。」とのこと、

 「判例や学説は、基本的人権の中でも表現の自由をひときわ重く見てきた。民主主義を深めるには、自由に学び、ものを考え、成果を公表し、意見を交わすことが不可欠だからだ。」との指摘、とうとうを知り理解することが出来た。

 いわば国家権力への忖度が、自治体の末端で見られるようになっては、民主主義が終わる。

 その意味で、この旅の判決は、民主主義を救う一つになった、と思った。

 

 


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by sasakitosio | 2017-10-27 13:48 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1025日付朝日新聞朝刊1面に、「問う 選挙のあとで 「上」」という欄がある。
 筆者は、政治部次長・松田京平氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「政党とは何か。深く考えさせられた選挙だ。民進党、そして希望の党の顛末を言い募っても仕方がない。

 ただ、この20数年の政党政治の混迷が極まった、その象徴のようだった。 」と切り出した。

 続けて日者は、「投開票日の2日前。東京・錦糸町の駅前に「主役」2人が並んだ。希望の党の小池百合子代表と民進党の前原誠司代表。

 雨傘を持つ聴衆に2人は同じフレーズを用いて訴えた。「AまたはBという選択ができる流れが必要だ」「AでなければB,BでなければAという緊張感を」と。

 分かるようで、わからない。有権者にAかBか選択を迫る選挙にしたいという趣旨のようだが、2人が唱えた「安倍政治」を止めることと、政権を今の野党が担うこととは、必ずしもイコールではない。

 安倍晋三首相に不満があるが、いきなり野党に政権を任せようとは思わない。

 政権選択というのなら、消極的ながら自公政権に託すしかないーーー。そう考えた有権者が多かったのではないか。

 結果として、不支持率の高い首相が圧倒的議席得て、続投になった。

 二大政党制、政権選択という「幻想」をいつまでも追い求めるのか。

 小池、前原両氏の失敗は問うている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「小選挙区制に無理に合わせようとしても、政党の地力が伴わなければ政権は取れず、取っても失敗する。

 この20年余の歩みである。

 選挙制度のひずみを見直すことは必要だが、それを待ってはいられない。

 安倍政権の5年間に不満や疑問を持つ国民は多い。強い野党が出現し、緊張感のある国会論戦によって、政権をチェックし暴走を止める。

 その実績を積み重ねてこそ、幻想が現実へと変わり、「次の政権」の選択肢たりうる。

 議席を伸ばした立憲民主党も、すぐに自民党に代わる政権政党になれるわけではないし、すぐにめざすべきではない。

 まして野党が政権を助ける補完勢力に出すなら、先はない。かって第三極を標榜した政党がことごとく政権に近づいては瓦解した。

 維新が議席を減らし、希望が苦戦したのは、有権者がそうしたにおいをかぎとったからではないか。

 自民党内でも党内野党の存在が薄れ、自由に議論する活力が失われて久しい。

 石破茂氏は選挙で「国民がおかしいと思うことをきちんと言える政党に」と訴えていたが、「ポスト安倍」候補たちが沈黙したままでは、議論なき「無競争の政治」が続く。政党政治の危機である。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「投開票日の2日前。東京・錦糸町の駅前に「主役」2人が並んだ。希望の党の小池百合子代表と民進党の前原誠司代表。雨傘を持つ聴衆に2人は同じフレーズを用いて訴えた。」とのこと、

 「安倍晋三首相に不満があるが、いきなり野党に政権を任せようとは思わない。政権選択というなら、消極的ながら自公政権に託するしかない――そう考えた有権者が多かったのではないか。」との指摘、

 「二大政党制、政権選択という「幻想」を何時まで追い求めるのか。小池、前原両氏の失敗は問うている。」との指摘、等々を知り、理解することが出来た。

 そして、「強い野党が出現し、緊張感のある国会論戦によって、政権をチェックし、暴走を止める。その実績を積み重ねてこそ、幻想が現実へと変わり、「次の政権」の選択肢たりえる。」との指摘は大賛成である。

 ただ、政権を厳しくチェックする「意欲」も「能力」もなく、「野党議員」をやっている人々が多いような気する。

 そこで、与野党を問わず、議員一人一人の資質・意欲・思想に着目した、選挙で投票できるようなシステムを考える時期ではないか、と思った。 


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by sasakitosio | 2017-10-27 11:53 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1020日付朝日新聞朝刊19面に、「オピニオン&フォーラム 保守?リベラル? 2017衆院選」というページがある。

 文芸評論家・加藤典洋さんと、東京大学教授・井上達夫さんが論じている。今日は、井上達夫さんに学ぶことにした。

 まず井上達夫さんは、「リベラルと保守という言葉が今飛び交っていますが。一般市民には分かりにくいと思います。

 欧米の思想の流れでは、両者の区別は政治、経済、軍事外交の三つの面に分けてみる必要がある。

 まず政治面。

 保守は伝統的な秩序を守るために思想良心の自由や表現の自由なども制約します。

 リベラルは、異端の個人や少数者の市民的政治的人権を擁護し、それを保護する憲法の順守を説く。

 経済面では、古い保守は特権階級の既得権保護。

 対するリベラルは能力主義的な自由競争を擁護した。

 ところがリベラルが社会経済的弱者救済のために福祉国家を擁護するようになると、対抗して保守は、市場的競争原理重視の「小さい政府」論に転換した

 最近では経済的グローバル化への反動で、保守が保護主義に再転換しています。

 軍事外交では、一般的に保守タカ派、リベラルがハト派と見られますが、実態は違う。

 米国ではリベラルの民主党政権がベトナム戦争を始めた。今も人道的介入に積極的なたか派リベラルがいます。

 共和党は逆に軍事介入に慎重でしたが、ジョージ・W・ブッシュ政権はネオコン(新保守主義)の影響でタカ派的側面を強めました。

 要するに、リベラルと保守派の区別は、経済面や軍事外交面で混乱しているが、政治面では明白です。」と切り出した。

 つづけて井上達夫さんは、「日本の場合も一応そう言える。

保守は靖国公式参拝、特定秘密保護法、共謀罪などを支持。

 リベラルはこれに反対し、表現の自由など市民的政治的人権を擁護する。

 ただ、日本のリベラルと称する勢力は、憲法9条を護持せよという護憲派と重なっています。

 しかし護憲派は、専守防衛・個別的自衛権の枠内なら自衛隊安保を容認し、戦力保有行使を禁じた92項との矛盾を「自衛隊は戦力じゃない」など種々の詭弁でごまかしてきました。

 自分たちの政治的立場に都合のいいように憲法を歪曲し、蹂躙してきた点では、安倍政権と同罪です。

 立憲主義というリベラリズムの重要な原理を護憲派も裏切ってきたのです。

 安倍晋三首相は戦力保有行使を禁じた92項は変えず、3項で自衛隊を明記する改憲案を示していますが、これだと「自衛隊は戦力ではない」という欺瞞は残ったまま。

 北朝鮮問題が緊迫するいま、国防を真剣に考えているのか疑問を覚える、いい加減な改憲案です。

 しかし、立憲民主党の枝野幸男代表も、92項を残して自衛隊明記という安倍改憲案と大差ない改憲案を2013年に提示した。9条を巡る対立は実に曖昧なのです。

 立憲民主党が立憲主義と民主主義を本気で守るつもりがあるなら、最低限、護憲的改憲案、つまり「専守防衛、個別的自衛権の枠内で、戦力の保有行使を認める」という92項自体の明文改憲案を提示して、国民に信を問うべきです。それを回避するならリベラル政党の名に値しません。

 税と社会保障の政策でも、対立軸はあいまいです。

 自民党は消費増税の増収分の使い道を、国の借金返済から教育無償化まど子育て世代支援に替えると言う。これは分裂まえの民進党の政策の横取り。

 他の野党も、社会保障充実について異口同音。財政再建は棚上げです。

 憲法、社会保障、と財政再建いずれも政策の対立軸は曖昧化されている。

 今回の衆院選は、「政策選択肢なき政権選択」です。」と指摘した。

 最後に井上達夫さんは、「この状況の責任は党利党略で動く政治家にありますが、その一端は、政策の実質よりイメージのよさに動かされる有権者にもある。

 イメージ政治を超えた対立軸をどう作っていくのか。

 それには政策理念の基盤となる思想が不可欠です。

 政治、経済、軍事外交全般を貫く保守とリベラルの思想的立脚点を改めて問い直す必要がります。

 選挙の結果がどうあれ、政治家も国民も、この課題に持続的に取り組まない限り、日本の立憲主義の成熟は無いでしょう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「保守は靖国公式参拝、特定秘密保護法、共謀罪などを支持。リベラルはこれに対し、表現の自由など市民的政治的人権を擁護する」との指摘、

 「9条を巡る対立は実は曖昧なのです。」との指摘、

 「税と社会保障の政策でも、対立軸は曖昧です」との指摘、等々の問題点を知ることが出来た。

 そこで、「憲法、社会保障と財政再建、いずれも政策の対立軸は曖昧化されている。今回の衆院選は「政策選択肢なき政権選択」です」との筆者の指摘を現状では納得するしかないと、思った。

 井上達夫さんは、「イメージ政治を超えた対立軸をどうつくっていくのか。それには政策理念の基盤となる思想が不可欠です。政治、経済、軍事外交全般を貫く保守とリベラルの思想的立脚点を改めて問い直す必要があります」と指摘している。

 その通りだとおもった。

 その上で、井上達夫さんはじめ日本の才能・有識者・マスメデイアが、その理念を国民に分かりやすく提案する責務があるのではないか、と思った。

 イメージの良さに動かされるのが庶民たる有権者の特徴だろうから!


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by sasakitosio | 2017-10-22 16:19 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1020日付朝日新聞朝刊19面に、「オピニオン&フォーラム 保守?リベラル? 2017衆院選」というページがある。

 文芸評論家・加藤典洋さん、東京大学教授・井上達夫さんの両氏が発言している。

 今日は、加藤典洋さんに学ぶことにした。

 まず加藤典洋さんは、「「保守」という考え方は、フランス革命への反動から出てきたもので、理性によって急進的に社会を変革することへの懐疑や、慣習と制度化による漸進的な変化の重要性を説く、政治思想でした。

 大切なのは、そこに、社会全体に共通の目標が前提とされていることです。つまり、保守と革新はその目標に近づく方法をめぐる手法の対立でした。

 その意味では、安倍政権はもはや保守ではありません。

 戦後の第一の目標として従来の保守政治が堅持してきた国の独立という大前提、つまり対米自立の目標を、自分の政権維持のため事実上放棄しているからです。

 戦後保守政治は、敗戦、占領を経て、独立をどうやって確保するかという問題と常に向き合ってきました。

 そして、保守本流と言われる、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作首相の時代の戦略は、不平等な地位協定を含む日米安保条約の制約のもと、できる限りの自立をめざしつつ、もっぱら経済的繁栄によって国民の自尊心を満足させる「親米・軽武装・経済ナショナリズム」路線でした。

 その後も、米国の要求を最小限に受け入れる妥協をしながらも、したたかに独自の外交や政治決定権を回復して日本の国益を追求するという政治目標が、保守政権の中で共有されてきました。」と教えてくれる。

 つづけて加藤典洋さんは、「ところが、すくなくとも第2次安倍政権以降は、これまで堅持されてきた、そうした国益保全のための対米自立に向けた努力が全く見られません。

 沖縄に普天間飛行場の辺野古移設で米国べったりの姿勢、県民への非情さもそうですが、自衛隊員の使命感と安全を考えたら、米軍に指揮権を委ねたままでの集団的自衛権の行使容認は無責任で、国益に反します。

 また、米国を忖度し、国連の核兵器禁止条約に参加しなかったのも、原爆の犠牲者の尊厳を守るという国の義務の放棄でした。

 安倍政権が掲げる憲法9条に自衛隊を明記する改正も、「自主憲法制定」という言葉によって、あたかも対米自立をめざしているかのように装っていますが、その実態は対米軍事協力のための改正でしかありません。

 なぜ、安倍政権がこれだけ長く続いているのかと考えると、歴史的な視点が欠かせません。というのは、近代日本では「国難」を機に排外思想の高まりが80年周期で繰り返されているからです。

 最初はペリー来航を契機に盛り上がった1950年代の尊王攘夷思想。

 次が1930年代の皇国思想の席巻。

 そして2010年代の嫌中嫌韓のヘイトスピーチ。

 安倍政権がこの近年の排外的な空気に乗っていることは否定できません。

 特に1930年代に皇国思想が噴出した時、なぜ、大正デモクラシーに育まれた政党やメデイア、文化がこれに対抗できなかったのか。

 現在と重なるその理由を今こそ改めて考究すべきです。

 治安維持法の適用拡大の歴史は、その点で示唆的です。同法の取り締まり対象は当初、共産主義者でしたが、それが、社会主義、最終的には自由主義(リベラリズム)へと広がっていきました。」と教えてくれる。

 最後に加藤典洋さんは、「今回の選挙で立憲民主党の枝野代表は、当初「私はリベラルであり、保守です」と言っていましたが、その後の毎日新聞のインタビューでは、「保守と対立するのがリベラルと位置づけるのなら。我々はリベラルではない」と発言しています。

 しかしここは踏ん張らないといけない。社会の空気がなんとなく、「リベラル」に対して否定的になってきたからといって、「リベラル」の旗を掲げる党がなくなってしまえば、80年前の繰り返しになってしまいます。

 今回の選挙で気づかなければならないのは、本当の選択肢が、保守かリベラルではなく、対米従属による国益追求か、対米自立による国益追求か、の間にあるということです。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「「保守」という考え方は、フランス革命への反動から出てきたもので、理性によって急進的に社会を変革することへの懐疑や、慣習と制度化による漸進的な変化の重要性を説く政治思想でした」との指摘、

 「保守と革新はその目標に近づく方法をめぐる手法の対立でした」との指摘、

 「戦後保守政治は、敗戦、占領を経て、独立をどうやって確保するかという問題と常に向き合った来ました」との指摘、

 「ところが少なくとも第2次安倍政権以降は、これまで堅持されてきた、そうした国益保全のための対米自立に向けた努力が全く見られません」との指摘、等々は全くその通りだと思った。

 また、「近代日本では「国難」を機に排外思想の高まりが80年周期でくりかえされているからです」とのこと、

 「最初はペリー来航を契機に盛り上がった1850年代の尊王攘夷思想。次が1930年代の皇国思想の席巻。そして2010代の嫌中嫌韓のヘイトスピーチ。」とのこと、等々を教えてもらい、世の中を見る新たな視点に気付かされた。

 また、「なぜ、大正デモクラシーに育まれた政党やメディア、文化がこれに対抗できなかったか。現在と重なるその理由を今こそ改めて考究すべきです。

 治安維持法の適用拡大の歴史は、その点で示唆的です。同法の取り締まり対象は当初、共産主義でしたが、それが社会主義、最終的には自由主義(リベラリズム)へと広がっていきました」と指摘は、いまを理解するうえで役に立つ、と思った。

 


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by sasakitosio | 2017-10-21 07:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback

10.18日付朝日新聞朝刊1面に、「2017衆院選」という欄がある。 筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「その後に驚きは色々あったが、原点は925日である。安倍晋三首相の衆院解散表明をテレビで聞いて、いやはや政治家というのは大したものと、妙な感慨を改にした。

 これでもかの強弁の末に、改憲が終われば「自己都合」という解散の本性は「国難突破」なる大儀に化けていた。

 思い浮かぶのはイカの墨だ。

 敗戦直後に流布した「1億総ざんげ」。それを「支配層の放ったイカの墨」と喝破したのは政治学者丸山真男だった。

 イカが吐いた墨に隠れて指導層の戦争責任をうやむやにしようとした、と。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この解散総選挙も、森友・加計疑惑隠し、逃げるという本性において類似のものと言えるだろう。選挙費用は約600億円。高価なイカの墨である。解散理由は納得しない人が7割を占めたのは当然だった。

 ところが、希望の党の旗揚げから民進党の分裂を経た離合集散の醜状は、安倍政治の7難を白ペンキで塗り隠してしまったようだ。公示後の情勢調査では、与党が大きく翼を広げている数字が浮かび上がった。

 しかし多くの人はまだ態度を決めかねている。そもそもこの選挙は何なのか。

 政治家のための選挙か国民のためか。

 どう投票すれば、どう政治に作用するのか。

 横紙破りの解散に始まり、保身と打算の右往左往を見せつけられた苦々しさが、膨大な票をさまよわせている。それが、投票まで4日となった今の光景のように思われる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「こんな政治のあり方に腹も立てず、どうでもいいさと白けてしまうには、選挙後の政治はあまりに重大だ。

 たとえばトランプ政権との距離にしても、あの大統領と価値観をべったり共有して、対立と分断が進む世界に巻き込まれていってしまっていいものだろうか。

 巨額の財政赤字をどうするかは、未来世代への私たちの大きな責任だ。

 理想の候補はいないにしても、投票所へ行って少しでもましと踏む名前を書く。

 かのスヌーピーの名言を借りるならば「配られたカードで勝負するっきゃない」のである。

 収穫の秋である。稲の脱穀とき、実入りの悪いものは風で飛ばし、良い粒を選別する方法を「風選」という。選挙に風はつきものだが、世論ともよばれる大きな風に流されず、自分の吹かせる風で候補者と政党を風選したい。

 何を求め、何を守る。ポケットの一票を握りしめて、私の意志を研ぎ澄ます。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「敗戦直後に流布した「1億総ざんげ」。それを「支配層のはなったイカの墨」と喝破したのは政治学者の丸山真男だった」との指摘、

 「イカが吐いた墨に紛れて逃げるように、「総ざんげ」に隠れて指導者層の戦争責任をうやむやにしようとした、と」との指摘、

 「この総選挙も、森友・加計疑惑を隠し、逃げるという本性において類似のものと言えるだろう。」との指摘、

 「ところが、希望の党の旗揚げから民進党の分裂を経た離合集散の醜状は、安倍政権の7難を白ペンキで塗り隠してしまったようだ」との指摘、

 「横紙破りの解散に始まり、保身と打算の右往左往を見せつけられタ苦々しさが、膨大な票をさまよさせている」との指摘、

 「選挙に風はつきものだが、世論とも呼ばれる大きな風に流されず、自分の吹かせる風で候補者と政党を風選したい」との指摘、等々の指摘は全て理解し納得した。

 ただ、ここ数年ほぼ毎日、東京新聞と朝日新聞の社説やコメント記事を読んで学習を重ねているが、「現在出ている」候補者と政党を風選できる「自分の風」を持ち合わせていない。ならば、棄権はしたくないので、関心を持って注視している意思を込めて「白票」を投じるしかないのだろうか?


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by sasakitosio | 2017-10-20 13:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback

1016日付朝日新聞社説に、「衆議院選と憲法論議」のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「憲法改正の是非が衆院選の焦点の一つになっている。

 自民党・希望の党などが公約に具体的な改憲項目を盛り込んだ。報道各社の情勢調査では、改憲に前向きな政党が、改憲の発議に必要な3分の2以上の議席を占める可能性がある。

 政党レベル、国会議員レベルの改憲志向は高まっている。

 同時に忘れてならないことがある。主権者である国民の意識とは、大きなずれがある。」と切り出した。

 続けて筆者は、「民意は割れている。朝日新聞の今春の世論調査では、憲法を変える必要が「ない」と答えた人は50%、「ある」というのは41%だった。

 自民党は公約に、自衛隊の明記▽教育の無償化・充実強化▽緊急事態条項▽参議院の合区解消の4項目を記した。

 なかでも首相が意欲を見せるのが自衛隊の明記だ。5月の憲法記念日に構想を示し、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。メデイアの党首討論会で問われれば、多くの憲法学者に残る自衛隊違憲論を拭いたいと語る。

 一方で首相は、街頭演説では改憲を口にしない。訴えるのはもっぱら北朝鮮情勢やアベノミクスの「成果」である。

 首相はこれまでの選挙でも経済を全面に掲げ、そこで得た数の力で、選挙戦で強く訴えなかった特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」法など民意を二分する政策を進めてきた。

 同じ手法で首相が次に狙うのは9条改正だろう。

 だが、改憲には前向きな政党も、首相の狙いに協力するかどうかはわからない。

 希望の党は「9条を含め憲法改正論議を進める」と公約に掲げたが、小池百合子代表は自衛隊明記には「もともと合憲と言ってきた。大いに疑問がある」と距離を置く。

 連立パートナーの公明党は「多くの国民は自衛隊の活動を支持し、憲法違反の存在とは考えていない」と慎重姿勢だ。」と指摘した。

 さらに続けて社説は、「時代の変化に合わせて、憲法のあり方を問い直す議論は必要だろう。

 ただ、それには前提がある。

 憲法は国家権力の行使を規制し、国民の人権を保障するための規範だ。

 だからこそ、その改正には普通の法律以上に厳しい手続きが定められている。他の措置ではどうしても対処できない現実があって初めて,改正すべきものだ。

 自衛隊については、安倍内閣を含む歴代内閣が「合憲」と位置づけてきた。教育無償化も、予算措置や立法で対応可能がろう。自民党の公約に並ぶ4項目には、改憲しないと対応できないものは見当たらない。

 少子高齢化をはじめ喫緊の課題が山積するなか、改憲にどの程度の政治エネルギー割くべきかも重要な論点だ。

 朝日新聞の5月の世論調査で首相に一番力を入れてほしい政策を聴くと、「憲法改正」は5%。29%の社会保障や22%の「景気・雇用」に比べて国民の期待は低かった。公約全体で改憲にどの程度の順位を置くか、各党は立場を明確にすべきだ。

安倍首相は、なぜ改憲にこだわるのか。

 首相はかって憲法を「みっともない」と表現した。背景には占領期に米国に押し付けられたとの歴史観がある。

 「われわれの手で新しい憲法をつくっていこう」という精神こそが新しい時代を切り開いていく、と述べたこともある。」と指摘した。

 最後に社説は、「そこには必要性や優先順位の議論はない。首相個人の情念に由来する改憲論だろう。

 憲法を軽んじる首相の振る舞いは、そうした持論の反映のように見える。

 象徴的なのは、歴代内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権を、一内閣の閣議決定で「合憲」と一変させたことだ。

 今回の解散も、憲法53条に基づいて野党が要求した臨時国会召集要求を3カ月もたなざらしにしたあげく、一切の審議を拒んだまま踏み切った。

 憲法をないがしろにする首相が、変える必要もない条文を変えようとする。

 しかも自らの首相在任中の施行を視野に、2020年と期限を区切って。改憲を自己目的化する議論に与することはできない。

 憲法改正は権力の強化が目的であってはならない。

 必要なのは、国民主権や人権尊重、民主主義など憲法の原則をより強化させるための議論である。

 その意味で、立憲民主党が公約に、首相による衆院解散権の制約や、「知る権利」の論議を掲げたことに注目する。権力を縛るこうした方向性こそ大切にすべきだ。

 改憲は政権の都合や、政党の数合わせでは実現できない。

 その是非に最後に判断を下すのは」、私たち国民なのだから。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

「首相はこれまでの選挙でも経済を前面に掲げ、そこで得た力で、選挙戦で強く訴えなかった特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」法など民意を二分する政策を進めてきた」との指摘、

 「自衛隊については、安倍内閣を含む歴代内閣が「合憲」と位置づけてきた。教育無償化も予算措置や立法で対応可能だろう。自民党の公約に並び4項目には、改憲しないと対応できないものは見当たらない」との指摘、等々の指摘はみなその通りだと思った。

 憲法に対する議論が、護憲か改憲かでその具体が見えにくかった。

 私は、主権在民・民主主意義、平和主義、基本的人権尊重主義、当の理念は変えてはならないと、憲法を読んだ時から、思っている。

 だから、天皇制、国会・行政・司法など統治機構については、時代に合わなくなったら何時でも変更した方がよいのではないか、と思っている。

 とくに昨今の国会の惨状をみると、選挙による間接民主主義から直接民主主義への意向も議論していいのでは、とも考える。


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by sasakitosio | 2017-10-20 13:29 | 朝日新聞を読んで | Trackback