憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 820 )

10月6付朝日新聞15面に、「異論のすすめ」という欄がある。 筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「安倍首相が衆議院を解散したその日に、民進党議員の「希望の党」への合流が決定した。民進党の無残な崩壊である。唖然とするほかないのだが、こうなると、民進党もいささか哀れを誘う。

 他方で、この間、メデイアをほとんど意のままに動かして話題を独占してきた小池百合子氏の、いってみれば無責任な興行師のような荒業には驚くべきものがあろう。

 本紙を中心としたいくつかのメデイアは、安倍首相の解散に対して、政権の生き残りだとか大義がないとかと批判していたが、反安倍連合の行方は、もはや大儀どころではない。議員の生き残りと権力闘争をむきだしにした感がある。

 小池氏は、繰り返し「改革」を唱える。

 「改革する保守」ともいう。

 「保守」には漸進的な改革も含まれるが、「リセット」となると「革命」に近くなる。しかも、「改革」といっても、一体、何を改革するのかはよくわからない。

 少し振り返ってみよう。

 「改革」は、1993年に小沢一郎氏が自民党を飛び出して、新生党をつくった時から始まる。

 敵は自民党と官僚であった。

 自民の一極支配、官僚中心型政治の終焉を訴え、政治改革、行政改革、を唱えた。

 日本に民主主義を根付かせる、というのである。

 そのために、二大政党による政策選択、小選挙区制、官僚指導から政治主導へ、といった構想が打ち出された。

 続いて2001年に誕生した小泉純一郎首相は、徹底した「構造改革」を唱えた。彼は自民党に在りながら、自民党をぶっ壊すといい、「抵抗勢力」対抗し、メデイアを動員し国民の支持を調達するという「劇場型政治」を行った。

 その後、反自民勢力は、民主党へと結集し、民主党政権が誕生する。

 民主党が訴えたマニュフェスト選挙は、二大政党政治や政策選択選挙などの「改革」の中心であり、「民主主義の実現を目指すものであった。

 続いて出現したのが、橋下徹氏の率いる大阪維新の会とその後の日本維新の会である。

 ここでもまた、橋下氏は、大阪市議会や市役所の既得権を敵と名指し、ひたすら「改革」を唱えた。」と切り出した。

 続けて筆者は、「25年、つまり四半世紀にもわたって、日本の政治はひたすら「改革」によって動いてきたのである。 しかも、メデイアがそれを後押しした。

 で、それは何をもたらしたのだろうか。

 二大政党による政策選択も小選挙区制もほぼ失敗であった。

 マニュフェストも失敗した。

 官僚指導政治はずいぶんと批判されたが、実際には官僚機構が機能しなければ政治は機能しない、という当然の帰結に至っただけである。

 小泉氏の郵政民営化もうまくいっていない。

 経済構造改革は、景気回復どころか、むしろデフレ経済をもたらした。

さらに言えば、「国民の意思」を実現するという民主主義は、もっぱら「劇場型政治」と「ポピュラーリズム(人気主義)」へと帰着した。

 「改革」はほとんど失敗してきたというほかない。
 日本社会の将来へ向けた「希望」をもたらしたとはとても思えない。

 しかも、「改革」を唱えた人の多くは、もともと自民党の有力政治家であった。小泉氏を除いて、彼ら自民党を飛び出して、反自民を掲げたのである。これが改革の実態である。

 言い換えれば、自民党や官僚に対する権力闘争こそがその関心の中心だったようにも思われる。

 なぜなら、反自民の側は、決して自らの国家像や日本社会の将来像などという大きなビジョンなどに関心を持たなかったからである。

 しかも、「構造改革」を始め、自民党の側も「改革」を断行したのである。

 そして、いま、また小池氏の登場である。

 「改革」という演目の「劇場」が開かれた。

 そしてなつかしい面々もちらっとゲスト出演している。小沢氏から小泉元首相まで顔を並べている。一時は小池氏が都知事をやめた場合の後任に橋下氏の可能性まで報じられた。

 もともと自民党に所属していた小池氏は、憲法や安全保障についての考えは自民党や安倍政権と大差はない。これでは、本当の意味で政権選択の二大政党など生まれるはずはない。「国民の支持」なるものを人質にした権力闘争のように見えてしまうのだ。

 端的に言えば、安倍首相を引きづり降ろし、やがては、自らが政権を取るという野望をここに見てしまうのはうがちすぎだろうか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「今回の選挙は、実は、大きな政策上の選択のはずであった。いや、日本の方向を左右する大きな論点があったはずだ。
 安倍政権は、ともかくも一つの方向を打ち出していた。

 国際社会のなかで日本のプレゼンスと高める。そのためにグローバル経済や新分野のイノベーションを推進し、経済成長を可能にし、日本経済の国際競争力を強化する。

 また日米関係の強化によって北朝鮮に対抗し、安全保障を万全にすべく憲法改正に向けて準備する。

 これが安倍政権の基本方針である。

 それに対抗する政策を打ち出すのが野党の役割であろう。

 そのためには、少子高齢化へ向かう日本社会の将来像や、混乱する国際関係の見取り図や、戦後日本の国家体制(憲法と安全保障)などをどうするか、という極めて重要な問題がある。

 野党はそれから逃げている。

 それを避けて、「改革」の出し物で「劇場」をつくって国民を動員すればよい、などと言うのでは、政治は茶番になるだけである。」として締めくくった。

 読んで大変勉強になった。

 改革の歴史は「1993年に小沢一郎氏が自民党を飛び出して、新生党をつくって」から始まる、

つづいて、「2001年に誕生した小泉純一郎所掌は、徹底した「構造改革」を唱えた」、

その後、「民主党が訴えたマニフェスト選挙は、二大政党政治や政策背隠宅選挙などの「改革」の中心であり、「民主主義の実現」を目指すものであった」、

 続いて出現したのが「橋下徹の率いる大阪維新の会とその後継の日本維新の会である。ここでもまた、橋下氏は、大阪市議会や市役所の既得権を敵として名指し、ひたすら「改革」を唱えた」、等々と、筆者は教えてくれる。

 しかも、メデイアがそれを後押しした。それがもたらしたものは「二大政党による政策選択も小選挙区制もほぼ失敗であった。マニュフェストも失敗した。官僚指導政治はずいぶんと批判されたが、実際には官僚機構が機能しなければ政治は機能しない、という当然の帰結に至っただけである。小泉氏の郵政民営化もうまくいっていない。経済構造改革は、景気回復どころか、むしろデフレ経済をもたらした。

さらに言えば、「国民の意思」を実現するという民主主義は、もっぱら「劇場型政治」と「ポピュラーリズム(人気主義)」へと帰着した。「改革」はほとんど失敗してきたというほかない」と、筆者は厳しく指摘した。

 この指摘は、確かに当たっているような気がした。

 そのうえで、失敗の原因は、どこにあるのか、誰にあるのか、改革を後押ししたメデイアには、メデイアの責任も含めて、徹底的に追及し、報道してほしい、と思った。 

 また筆者は、「安倍政権はともかくもひとつの方向を打ち出していた。①国際社会の中で日本のプレゼンスを高める。そのために、グローバル経済や新分野のイノベーションを推進し、経済成長を可能にして、日本経済の競争力を強化する。②また日米関係の強化によって北朝鮮に対抗し、安全保障を万全にすべく憲法改正へ向けて準備する。これが安倍政権の基本方針である」との指摘、

 「それに対抗する政策を打ち出すのが野党の役割であろう。そのためには、少子高齢化へ向かう日本社会の将来像や、混乱する国際関係の見取り図や、戦後日本の国家体制(憲法と安全保障)などをどうするか、という極めて重要な問題がある。野党はそれから逃げている」との指摘、

 これらの指摘は野党にとっては極めて貴重な叱咤激励であった、と思った。

 そして、野党は逃げているのではなくて、知恵が枯渇したのか、それともそもそも知恵がなかったのかもしれない、と思った。


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by sasakitosio | 2017-10-09 20:33 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月9日付朝日新聞朝刊15面に、「私に視点」と言い欄がある。筆者は、弁護士・河合弘之氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「昨年15回、今年になって13回、北朝鮮は弾道ミサイルを発射している。

 8月にはグアム島周辺への大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)発射計画を発表し、島根、広島、高知の上空の通過を明言。

 北海道上空を通過するミサイルを発射し、太平洋に着弾させた。これらに対し、トランプ大統領は「北朝鮮は今まで見た事のない炎と怒りに直面するだろう」と威嚇し、安倍晋三首相は「これまでにない深刻かつ重大な脅威」と非難した。

 日本政府は、弾道ミサイルなどによるわが国領域での人命や財産への被害の防止が必要として、ミサイルに対する「破壊措置命令」を常時発令状態としている。避難訓練が行われ、発射時には全国瞬時警報システム(Jアラート)で警戒が呼びかけられ、地下鉄や新幹線が止まった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「そのような危険な緊張状態にあるのなら、なぜ原子力発電所をとめないのか。

 政府はミサイルの危機を強調しながら、それによる原発事故の危険性に言及していない。

 原発が攻撃を受ければ重大事故につながる。

 原発一機が1年稼働すれば、広島型原爆1千個分の放射性物質がたまるとされる。

 攻撃で破壊されたら、国の存亡にかかわる大惨事になる恐れがある「原発が「他国のための核弾頭」と言われる理由だ。

 自衛隊のイージス艦とPAC3の二段構えの迎撃態勢をとっているが、撃ち漏らしの危険がるのことは防衛省幹部も認めている。

 北朝鮮のミサイルが長足の進化をしており、音速の約20倍で発射後わずか10分以内に日本領土に着弾するのも対応の難しさの理由だ。発射判明後、原子炉を緊急停止しても、原発の周辺機器が被弾すれば、その後の残留熱除去作業が困難を極め、結局メルトダウンに至ることは東京電力福島第一原発事故の経験から明らかなことだ。まして、直撃を受けたら即大惨事だ。

 ミサイル危機は原発差し止め訴訟でも主張されており、裁判長が電力会社側に「止めなくてよい理由は何ですか」と説明をもとめても、電力側は即答できなかった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「北朝鮮は、原発が日本の防衛上のアキレス腱だと知っている。朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は2013年4月、「日本を撃破できる報復能力を有している。日本には多くの原子力関連施設がある。日本が1940年代負った核惨禍とは比較にならないほど、ひどい災難を負うことは避けられない」と脅している。

 楽観論もあるが、超緊迫状態下では、何かの弾みで武力行使が起きないとは断言できない。

 その恐れが1%でもあるなら、対策として原発を停止しておくべきだ。

 国の安全保障というものはそういうものだ。

 隣国の独裁者の恣意に祖国の命運を委ねることはできない。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「昨年15回、今年になって13回、北朝鮮は弾道ミサイルを発射している」とのこと、

 「日本政府は、弾道ミサイルなどによるわが国領域での人命や財産への被害防止が必要として、ミサイルに対する「破壊措置命令」を常時発令状態としている」とのこと、

 「そのような緊張状態にあるなら、なぜ原子力発電所を止めないのか。政府はミサイル危機をを強調しながら、それによる原発事故の危険性に言及していない」とのこと、

 「ミサイル危機は原発差し止め訴訟でも主張されており、裁判長が電力会社側に「止めなくてよい理由は何ですか」と説明を求めても、電力側は即答できなかった」とのこと、

 「朝鮮労働党機関氏「労働新聞は2013年4月、「日本を撃破できる報復能力を有している。日本には多くの原子力関連施設がある。日本が1940年代に負った核惨禍とは比較にならないほど、ひどい災難を避けられない」と脅している」とのこと、等々を知ることが出来た。

 だから、「楽観論もあるが、超緊迫状態下では、何かのはずみで武力行使が起きないとは断言でない。その恐れが1%でもあるなら、対策として原発を停止しておくべきだ」との筆者の指摘をその通りだと思った。

 北朝鮮の今の現状は、1930~40年代の日本に似ているという識者もいる。

 くわばらくわばら!!

 

 


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by sasakitosio | 2017-10-02 06:46 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月29日付朝日新聞朝刊15面に、「オピニオン&フォーラム 」というページがある。見出しは「岐路に立つ平和  2017衆院選」とある。

 編集委員・駒野剛さんが作家・半藤一利さんに聞く。今日はこの記事に学ぶことにした。

 まず記事は、「衆院が解散された。安倍晋三首相自ら「国難」という表現した情勢下、国民は政権選択を迫られる。与党が3分の2以上を占めたり、同調する勢力が増えたりすれば、9条を含めた憲法の改正は現実味を増す。

 今回の選挙が日本の歴史で持つ意味は何か。

 国民は投票で何が問われるのか。

 昭和史を見つめてきた半藤一利さんに聞く」と切り出した。

 続けて記事は、「ーー半藤さんは昭和を中心に日本の近代史を深く見てきました。そうした歴史的視点から見て、今回の解散、総選挙の意味をどう考えますかーーとの問いに。

 半藤一利さんは「これからの日本の針路が戦争と平和のどちらを主軸に進むのかを左右する、きわめて重要な選挙だと思います。

 岐路に立つ日本で冷静な議論が求められるときに、安倍さんが今回、「国難突破解散」とおっしゃって危機感ばかりをあおっていることに強い違和感を覚えます。

 国難と言って現在、最大の問題は北朝鮮でしょうが、これはご自分で作っていませんか、自作自演の危機ではないか、と申し上げたい。

 安倍さんは国連総会で、今は対話の時ではなく圧力をかけるべきときだと述べてきましたが、それでは危機をあおるばかりです。」

 「昭和史で似たようなケースがありました。

 日中戦争が始まった後、ドイツが間に入って和平工作を手がけました。

 まとまりかけたのですが、現地軍がこれを無視して進撃を続けて当時の首都南京を陥落させてしまう。

 和平の条件をつり上げて中国国民党を率いた蒋介石を怒らせてしまう。

 この時、近衛文麿首相が「蒋介石政権相手にせず」と言い放ち、解決は遠のきました。

 結局、戦争は泥沼化していきます。

 このような和平の結実は実に微妙なものです。

 それを勇ましい言葉で台無しにした歴史の戒めを思い起こします。」と教えてくれる。

 さらに続けて記事は「――現在の北朝鮮情勢の中で日本ができることがありますかーーとの問いに。

 半藤一利さんは「不幸な経験ですが、日本には対立が不毛な結果しか招かなかったという痛みの過去がある。

 また唯一の被爆国として、核戦争の悲惨さを米国、北朝鮮両国に言って聞かせる資格もある。

 それらを発揮せずに、ただトランプ大統領に寄り添っている。

 第二次世界戦争を始めたヒトラーのドイツと組んで三国同盟を結び、破局へ導いた時代が脳裏に浮かびます」と答えた。

 ――野党やマスコミは「大義なき選挙」と批判していますーーとの問いに。

 半藤一利さんは「そうとばかりは言えないでしょう。大げさに言えば、日本の選挙ではありますが、トランプさんがやっている力の誇示と威迫の手法を信頼するか、しないかを問う選挙にもなるのです。

 安倍さんが国難突破と位置づけたことで、そのトランプさんと合わせて、平和を維持するために動くのか、逆に制裁をさらに強めることを支持するのか、期せずしてそうした大問題を問い直す選挙になったと思います」と答えた。

 ――かって日本で、危機を全面に出して戦われる選挙などあったでしょうかーーとの問い。

 半藤一利さんは「選挙ではありません。が権力闘争に使われたことがある。

 ドイツがフランスへ攻め入りパリを陥落させた際、日本国内では三国同盟に反対してきた米内光政内閣を「バスに乗り遅れるな」のかけ声の下、引きずり下ろす材料にしました。

 畑俊六陸軍大臣を辞任させ、陸軍が後任を出さず内閣総辞職に追い込んだ。

 ドイツと組むため都合のいい内閣として第2次近衛内閣が組閣され、三国同盟が締結される。太平洋戦争への道を一瀉千里に進み、揚げ句、亡国寸前まで至ります」と答えた。

 ――安倍首相は、「日本を取り戻す」と言い、言論の自由を侵しかねない特定秘密保護法を施行させ、内心の自由を損ねると批判がある共謀罪の内容を含む組織的犯罪処罰法を改正しました。憲法9条に抵触する疑いのある安全保障関連法なども手がけてきましたーーとの問いに。

 半藤一利さんは「かねて安倍さんが言っていた「戦後レジームからの脱却」というのはこうしたことだったのでしょう。

 私たちは戦後、国民主権、基本的人権の尊重、平和国家を三本柱とする新日本を建国したと思っていました。

 安倍さんが「脱却」と言っても、「そんなことが出来るか」と高をくくっていた。

しかし、3年ほどであなたが指摘した法律を次々と実現させた。改憲したわけではないが、緊急事態法制以外は、ほぼ目的を達成させてしまいました」

 「以前、麻生太郎副総理がナチスドイツの手法を引き合いに「ある日、気が付いたらワイマール憲法が、ナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と言って問題化しました。

 しかし集団的自衛権の行使容認について、憲法を変えずに、閣議決定で可能にした。まさにナチスの手法を学んだようです」と答えた。

さらに続けて記事は、「――衆院選の自民公約に憲法9条への自衛隊明記を盛り込むと安倍首相は明言しましたーーとの問いに。

 半藤一利さんは、「今度の選挙で与党で3分の2、あるいは安倍さんの改憲案を支持する勢力がそれに匹敵する勢力をもてば可能でしょう。

 しかし、その前提としての諸法律はすでみ整備済みで、いわば9条改憲は集大成に過ぎません。」

 「戦前の軍機保護法にかわる機能を特定秘密保護法がになうでしょうし。政府に反対するものたちを次々に抑えることも共謀罪を駆使すれば可能です。メデイアの統制も、政権に不都合な取材を共謀行為と認定すれば訳ないことです。

 記者が3~4人もひっくくられれば、新聞社も一気に委縮するでしょう。

 改憲前にそうした道具を着々と整えてきたんです。」

「平和や自由という戦後の日本人が得た価値を守るのは、若い世代の人たちの役割です。

 しかし、それらが当たり前のものとして育った世代には、本当の大切さ、失った時の怖さ骨身にしみていないのでしょう。

 Jアラートが鳴って、頑丈な建物に避難する、机の下に潜り込む、それらが全く無駄とは言いませんが、本質はミサイルが飛ばないよう、政府に外交展開させ、平和を確実にさせることです。」

 「私が子供の時は戦争中でした。爆弾なんかこわくないとか、焼夷弾もすぐ消せる、なんて歌を教えられました。信じた人が昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲の際、自ら消そうとして火災の渦に包みこまれました。そんな愚を繰り返してはなりません」と答えた。

 ――小池百合子東京都知事が代表を務める希望の党は憲法改正に肯定的です。民進党も党の方針がぐらついて見えます。半藤さんがおっしゃる政策や外交の受け皿になる政党が見当たりませんーーとの問いに。

 半藤一利さんは「野党の離合集散が始まったようですから、先行きは読めません。ただ、都民ファーストの会の都議に、毎日新聞が憲法改正の賛否をきいたら、ほとんどが無回答でした。自民党予備軍なのかどうか、見極めが必要でしょう」と、答えた。

 最期に記事は、「――日本の将来をどう築くかといった本質的な問題より、目先の利害調整、例えば消費税の使い道や、どこの政党がくっつくか、安倍さんと小池さんがどうやりあったか、といったおもしろさ、すなわち政治の劇場化の様相が濃くなってきましたーーとの問いに。

 半藤一利さんは、「満州事変の際、国際連盟の派遣したリットン調査団の報告に基づく満州撤退の対日勧告を不服として、日本代表の松岡洋右が連盟の議場から退場した時、日本の世論と新聞は喝采しました。

 当時は犬養毅首相が海軍の青年将校に殺される5.15事件の発生もあり、政党政治が液状化していました。国民が発岡のパフォーマンスに反応したのは、そんな閉塞状況に思考停止に陥っていたからでした」

 「森友・加計両学園を抱える安倍政権が、高い支持率を得ています。それが信頼からだ、とは思われません。低成長や高齢化などによる閉塞感が背景にあって、「日本を取り戻す」というかけ声にいちるの望みをかけているとしたら、不健全で危険な兆候です」と答えた。

 ――結局どういう未来を選択するかは私たち有権者です。今度の選挙で、国民は何を問われ、突き付けられていると考えますかーーとの問いに。

 半藤一利さんは、「冒頭、きわめて重要な選挙になるといいました。

 問われるのは有権者の世界観です。

 日本だけでなく、米国も欧州も内向きになっている。

 世界全体で取り組まなければならない、環境や平和、貧困や格差是正も自国ファーストで解決しようとする。

 しかし、全体で譲り合い、調整しなければ大きな問題は解決できません。北朝鮮の問題についても、自国の安全だけを大事に考えていては、本当の解は得られないでしょう。この地域で利害を共有する日中韓3か国が北朝鮮を説得して話し合いのテーブルに戻すしかないでしょう」

 「1930~40年代の日本は、まさに今の北朝鮮の似姿です。あのとき、日本をなだめたりすかしたりできる国はなかった。

 しかし、今は日本がそうした役割を発揮できるはずです。

 進路を決めるということは、そうした大戦略を持つ政党があるかどうかを見極めること、なければ有権者自らが声を出して政党を叱咤激励することです。

 そこまでの積極的な関与が求められる複雑でやっかいな時代に入ってしまったのです。」」と答えた。

 読んで大変勉強になった。

 「これからの日本の針路が戦争と平和のどちらを主軸に進むか左右する極めて重要な選挙だと思います」とのこと、

 「国難といって現在、最大の問題は北朝鮮情勢でしょう。これはご自分がつくっていませんか、と申し上げたい」とのこと、

 「昭和史で似たようなケースがありました。日中戦争が始まった後、ドイツが間に入って和平工作を手がけました。まとまりかけたのですが、現地軍がこれを無視して進撃を続けて当時の首都南京を陥落させてしまう。和平の条件をつり上げて中国国民党を率いていた蒋介石を怒らせてしまう。

 この時、近衛文麿首相が「蒋介石政権を相手にせず」と言い放ち、解決は遠のきました」とのこと、

 「不幸な経験ですが、日本には対立が不毛な結果しか招かなかったという痛みの過去がある。また唯一の被爆国として、核戦争の惨めさを米国、北朝鮮両国に言って聞かせられる資格もある」とのこと、

 「大げさに言えば、日本の選挙ではありますが、トランプさんがやっている力の誇示と威迫の手法を信任するか、しないかを問う選挙にもなるのです」とのこと、

 「ドイツがフランスへ攻め入りパリを陥落させた際、日本国内では三国同盟に反対してきた米内原光政内閣を「バスに乗り遅れるな」の掛け声の下、引きずり下ろす材料にしました」とのこと、

 「畑俊六陸軍大臣を辞任させ、陸軍が後任を出さず内閣総辞職に追い込んだ。ドイツと組むため都合のいい第2次近衛内閣が組閣され、三国同盟が締結される」とのこと、

 「今度の選挙で与党が3分の2、あるいは安倍さんの改憲案を支持する勢力がそれに匹敵する勢力をもてば可能でしょうし、その前提としての諸法は整備済みで、いわば9条改憲は集大成に過ぎません」とのこと、

 「Jアラートが鳴って頑丈な建物に避難する、机の下に潜り込む。それらが全く無駄とは言いませんが、本質はミサイルが飛ばないよう、政府に外交を展開させ、平和を確実にさせることです」とのこと、

 「満州事変の際、国際連盟の派遣したリットン調査団の報告に基づく満州撤退の対日勧告を不服として、日本代表の松岡洋右が連盟の議場から退場した時、日本の世論と新聞は喝采しました」とのこと、

 「問われるのは、有権者の世界観です」とのこと、

 「日本だけではなく、米国も欧州も内向きになっている。世界全体で取り組まなければならない、環境や平和、貧困や格差是正も自国ファーストで解決しようとする。しかし、全体で譲り合い、調整しなければ大きな問題は解決できません」とのこと、

 「1930~40年代の日本は、まさに今の北朝鮮の似姿です。」とのこと、

 「あのとき、日本をなだめたり説得したりできる国はなかった。しかし、今は日本がそうした役回りを発揮できるはずです。」との指摘、

 「針路を決めるということは、そうした大戦略を持つ政党があるかどうかを見極めること。なければ有権者自らが声を出して政党を叱咤激励することです」と指摘、とうとうの事実や指摘はよくわかった。

 また、「そこまでの積極的な関与が求められる複雑で厄介な時代に入ってしまったのです」との半藤一利さんの指摘は、当たっていると、思った。

 そして、今感じる「このもやもや」は、官僚も、学者も、政治家も、日本の指導者の誰も「針路を決めるという大戦略」をたてる「能力・見識」が持ち合わせていないことが、有権者の最大に不幸だ、と思った。

 そして今の時代が、「閉塞状態による思考停止」状態にあることが、最大の危機「国難・人類難・、地球難」なのかもしれない、と思った。

 

  


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by sasakitosio | 2017-10-01 07:17 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月4日付朝日新聞の社説に、豊洲市場問題が載った。今日、この社説を学習することにした。

 まず社説は、「途中でさじを投げださず、この問題の複雑さにきちんと関わり続ける覚悟はあるのだろうか。

 東京・豊洲市場の移転をめぐる小池百合子都知事の最近の言動は、そう疑わざるをえない。

 誠実さを欠き、関係者の不信と不安は深まるばかりだ。

 都議会ではいま、移転のための追加工事の予算案が審議されている。

 都議会直前の6月に小池知事が突然打ち出した「築地を守る、豊洲を生かす」の意味するところを、都民の代表である議会に直接説明する最初の場となるはずだった。

 だが知事はあいまいな答弁に終始し、将来像は一向に見えない」と切り出した。

 続けて社説は「たとえば豊洲移転後の築地のあり方について、知事は「民間の知恵を生かす」と先送りするばかりだ。都議選前に熱く語った「仲卸の目利きを生かした市場内取引の確保」などには、あまり言及しなくなった。

 仲卸の多くは零細企業だ。都が主体となり早期に構想を描いてこそ、今後進む道を決めることができる。

なのに、最近の知事の態度は「移転後もまだ築地に戻りたい業者かいるなら方策を考える」と言わんばかりだ。

 いったい築地の何を、どう守るのか。

 明確なビジョンを示す責務が知事にはある。

 それとも「守る」は選挙前のリップサービスだったのか。

 一方の「豊洲を生かす」も心もとない。

 昨夏、移転延期を表明した際、知事は「都民の安心を優先させる」と述べた。だが、そのカギを握る地下水管理システムは、本格稼働から1年足らずで目詰まりし、水位は思ったように下がらない。

 今回の追加工事で課題は解消するのか。

 補修にまた巨費を投じることにならないか。

 広まってしまった不安を、開場までにどうやってぬぐうのか」と指摘した。

 最期に社説は。「丁寧に説明し、軌道修正をするなら、理由とともに理解を求める。それが行政の長として当然行うべきことだ。

 驚いたのは、豊洲・築地併存の決定過程を記録した文書がないことについて、知事は「人工知能、つまり私が決めた」「回想録に残すことはできる」と会見で述べたことだ。

 説明責任に背を向け、都民を愚弄した発言で許されるものではない。

 支持勢力が都議会で圧倒的多数を占め、怖いものなしの状態になっているのだろう。

 しかし、議会は乗り切れても、市場関係者、そして都民の納得がなければ、市場運営はどこかで行き詰まる。状況によっては五輪の準備にも支障がでるだろう。

 すみやかに姿勢を改めるよう、小池知事に求める。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「豊洲移転後の築地のあり方について、知事は「民間の知恵をいかす」と先送りするばかりだ」との指摘

 「いったい築地の何を、どうまもるというのか。明確なビジョンを示す責務が知事にはある。それとも「守る」は選挙前のリップサービスだったのか」との指摘。

 「昨夏、移転延期を表明した際、知事は「都民の安心を優先させる」と述べた。だが、そのカギを握る地下水管理システムは、本格稼働から1年足らずで目詰まりし、水位は思ったように下がっていない」との指摘、

 「驚いたのは、豊洲・築地併存の決定過程を記録した文書がないことについて、知事が「人工知能、つまり私が決めた」「回想録に残すことができる」と会見でのべたことだ。説明責任に背を向け、都民を愚弄した発言で許されるものではない」との指摘、等々多くの指摘をみて、なるほどと理解し納得した。

 そして、社説の「議会は乗り切れても、市場関係者、そして都民の納得がなければ、市場運営はどこかで行き詰まる」との指摘も至極当然だ。

 はてさてこれからの小池劇場、喜劇か、喜劇か、修羅場か、メロドラマか、終幕が待ち遠しい。


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by sasakitosio | 2017-09-24 20:29 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月22日付朝日新聞朝刊15面に、「欧州季評」という欄がある。筆者は、ブレイディみかこ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「9月から、息子が中学校に通い始めた。小学校は公立カトリック校に通っていた(英国は公立でも宗教校がある)が、中学からは、公営住宅地ど真ん中の地元校に通っている。

 息子が通ったカトリック校は、隣接する高級住宅地と公営住宅地の2教区の信者のために建てられたが、教会に所属し、毎週ミサに通ってくる家庭は、高級住宅地の方に多いので、比較的余裕のある家庭の子たちが多かった。

 つまり、中学生になった息子はまったく違う層の子どもたちが通う学校に入ったのである。

 初登校の日、彼はショックを受けた表情で帰ってきた。

 「教室で「どんな夏休み過ごした?」って話したんだ。そしたら「ずっとおなかがすいていた」といった子がいた・・・」

 夏になると、英国では「ホリデ―ハンガー」という言葉が聞かれる。

 直訳すれば「休日の飢え」。

 長期の休みに入り、給食がなくなると飢える子供が増えることから、こんな言葉が使われるようになった。

 フードバンクでは、子ども用の夏季緊急食糧も配布されている。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「ロイヤル・カレッジ・オブ・ペディアトリックス・アンド・チャイルド・ヘルス(英・王立小児保健協会)は、今年1月発表の報告書で、子どもたちの健康が危機にさらされていると警告した。

 「特に懸念されるのは過去5年間で拡大した子供たちの健康格差」と指摘し、「乳幼児期や学童期の健康上の問題は、未来の成人たちの問題となり、経済的にも生産性を減少させる」と。

 1998年から2002年のスコットランドの調査で、グラスゴーのたった数キロしか離れていない高級住宅地レンジ―と貧困区カルトンで、男性の平均寿命の差が28年(前者が82歳で後者が54歳)だったことが判明した。

 そこまで極端な数字ではないにしろ、英国全土でも、ゼロ年代にはわずかに縮小していたはずの健康格差が、10年以降、再び拡大している。

 15年の統計で、高級住宅地と貧困区の男性の平均寿命の差は、イングランド平均で9.2歳、女性で7.1歳。

 平均寿命の延びもほぼ横ばいだ。

 英国は世界で最も豊かな国の一つであり、医療技術は発展こそすれ、後退することはない。

 ならば平均寿命は右肩上がりで伸びていくのが当然だろうが、10年以降、足踏み状態だ。

 健康格差が広がり、平均寿命の伸びが止まった10年は、何が起きたとしだろう。

 それは労働党から政権を奪還した保守党が、戦後最大と言われる規模の緊縮財政政策を始めた年である。

 経済学者たちに「危険レベル」と言わしめるほど医療や社会保障への財政支出を切り始めた年だ。

 格差が広がっているのは寿命だけではない。

 日常生活に支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」の格差はさらに大きい。

 マンチェスター大学が7月に発表した調査によれば、高級住宅地と貧困区の健康寿命の差は、実に20年近くまで広がっている。

 これは緊縮財政によるNHS(国民健康サービス)の人員削減、インフラ削減、と明らかにリンクしている。NHSが提供している医療サービスの質が落ちているのだ。

 「ゆりかごから墓場まで」と言われ、公的医療モデルとなった無料の国家医療制度NHSも、予算削減でサービスが劣化し、注射一本打つにも何週間も待たされる。

 だが、裕福な層はこうした事実の影響は受けない。高額な医療費を払って私立病院を使うことができるからだ。

 寿命格差や健康寿命格差ほど赤裸々に経済的不平等を示すものはない。

 これは命の格差である。

 それが広がるほど、富めるものは生き、貧する者は死ぬしかない野蛮な時代に社会が戻っているということだ。

 戦争が人の命を脅かすように、経済政策も人の命を奪う。」と教えてくれた。

 最後に筆者は、「英国のキャメロン元首相の時価150万ポンド(約2億1千万円)の別荘がファッション誌で紹介されて話題になったが、「まあ落着け、単なる不況じゃないか」と書かれたポスターがキッチンに飾られたことが分かって物議をかもしている。

 「まあ落ち着け。早死にするだけじゃないか」

 「まあ落ち着け。子供が飢えているだけじゃないか」の文句では洒落たインテリアにはならないだろうが、これこそ為政者と庶民の認識のギャップを端的に示している。

 彼に言わせれば、格差も「まあ落ち着け、昔から貧しいものは先に死んできたじゃないか」なのかもしれない。

 キャメロン元首相は、EU離脱の国民投票を行った首相として歴史に名を残すだろう。

 彼を辞任に追い込んだ国民投票の結果は、現状への怒りとその打破を求める人々の声を反映したものではなかったか。

 離脱派が多かった貧しい北部の人々は、残留派が多かった南部の人々に比べると、75歳までに死亡している確率が20%高いという。

 昨年の英国のEU離脱投票の結果は、欧州の時計の針を逆戻りさせているのではない。

彼らがくらしている社会保障の野蛮こそが時代に逆行しているのだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 英国は「ゆりかごから墓場まで」といわれ、若い頃の憧れの国だったが?

 「初登校の日、彼(筆者の中学生の息子)はショックを受けて帰ってきた。

 「教室で「どんな夏休みを過ごした?」って話してたんだ。そしたら、「ずっとおなかがすいていた」といった子がいた・・・」とのこと、

 「1998年から2002年のスコットランドの調査で、グラスゴーのたった数キロしか離れていない高級住宅地レンジ―と貧困区カルトンで、男性の平均寿命の差が28年(前者が82歳で後者が52歳)だったことが判明した」とのこと、

 「英国本土でも、ゼロ年代はわずかに縮小してはずの健康格差が、10年以降、再び拡大している。15年の統計で、高級住宅地と貧困区の男性の平均寿命の差は、イングランド平均9.2歳、女性は7.1歳。」とのこと、

 「健康格差が広がり、平均寿命の延びが止まった10年は、何が起きた年だろう。

 それは労働党から政権を奪還した保守党が、戦後最大と言われる規模の緊縮財政を始めた年である」とのこと、

 「 マンチェスター大学が7月に発表した調査によれば、高級住宅地と貧困区の健康寿命の差は、実に20年近くまで広がっている」とのこと、

 「「ゆりかごから墓場まで」と言われ、公的医療のモデルとなった無料の国家医療制度NHSも、予算削減でサービスが劣化し、注射一本うつにも何週間も待たされる」とのこと、

 「(EU)離脱派が多かった北部の人々は、残留派が多かった豊かな南部の人々に比べると、75歳までに死亡する確率が20%高いという」とのこと、等々英国の今日事情を知ることができた。

 たしかに、筆者の「寿命格差や健康寿命格差ほど赤裸々に経済的不平等を示すものはない。これは命の格差である。それが広がるほど、富める者は生き、ひんする者は死ぬしかない野蛮な時代に社会が戻っているということだ」との指摘は当たっている、と思った。

 人間はひとりひとりみな可能性があり、互いに支え合いながら生きている。寿命や健康寿命に貧富で差があるということは、人類社会全体の損失である。

 命の格差はあってはならない、と思った。

 ここ数十年高額の健康保険料を払っている。 

 医者に病気ではかからない「健康な体に生んでくれた両親」感謝しながら、喜んで保険料は払い続けている。

 日本の皆保険制度は世界に誇るべき制度・文化ではないか、とも思っている。

 

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-09-24 14:52 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月21日付朝日新聞社説に、「所有者不明地」のことが載った。今日はこの社説を学習することにした。

 まず筆者は、「だれのものか、わからない。

 所有者が分かっても連絡がとれない。

 そんな土地が各地で増えている。

 専門家グループの推計では全国の2割に達し、総面積は九州より広いという。

 今後、亡くなる人が増えるにつれてさらに深刻になっていく恐れが強い。

 公共事業で用地取得の妨げになる。宅地や農地、森林が放置されてまわりの環境に悪影響を及ぼす。

 固定資産税を徴収できない。

 そうした弊害を見過ごせなくなり、政府は有識者会議を設けて対策を検討し始めた。」と切り出した。

 続けて社説は、「これまでも国土交通省や農林水産省が、災害復旧や林道整備などで部分的に対応してきたが、効果は十分に上がっていない。

 根本には、土地の相続時に所有権移転を登記しない人が少なくないという問題がある。

 相続や登記の制度を所管する法務省も含めて役所の縦割りを排し、新たな発生を防ぐ抜本策に踏み込んでほしい。

 登記簿で実際の所有者が分からない時、行政は戸籍や現地調査など他の方法で探す必要がある。関係者の死亡などで手間取ることが珍しくない。

 有識者会議ではまず、自治体などが所有者を探す手間を軽くする仕組みに加え、所有者不明地を公共目的で使いやすくする新たな制度を検討する。

 道路整備などの公共事業に限らず、例えば自治体やNPOが運営する遊び場やイベント用地といった使い道を想定する。

 財産権の問題がからむだけに、利用を認める期間や、後で所有者が名乗り出た出た場合の金銭補償などが課題になる。

 発生の予防策では、当面の対応として、市町村が死亡届を受け付ける窓口で相続登記を案内し、手続きを促すことが考えられる。

 登記にかかる税金の軽減のほか、登記の義務化も選択肢になるだろう。

 やり方や効果の有無、法的な問題について検討を急ぐべきだ。」と指摘した。

 最後に社説は、「所有者不明地の問題から見えるのは、土地を巡る諸制度と現実とのズレだ。

 過疎化と地価下落が続く地方を中心に「土地は資産」「所有者が管理する」という大前提が揺らぎ、相続が重荷だ、土地を持ちたくないという人が増えている。

 土地は個人の財産であると同時に、社会の基盤でもある。

 所有者の権利をどこまで保護するか、土地所有に伴う管理責任をどう考えるか。

 仮に放棄を認める場合、受け皿をどうするか。

 難題だが、避けては通れない。

 多くの国民が納得できる仕組みをめざし、議論を進めていく必要がある。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「だれのものか、わからない。所有者が分かっても連絡が取れない。そんな土地が各地で増えている。

 専門家グループの推計では全国の2割に達し、総面積は九州より広いという」とのこと。

 「政府は有識者会議を設けて対策を検討し始めた」とのこと、

 「根本には、土地の相続時に所有権の移転を登記しない人が少なくないという問題がある」とのこと、

 「有識者会議ではまず、自治体などが所有者を探す手間を軽くする仕組みに加え、所有者不明地を公共目的で使いやすくする新たな制度を検討する」とのこと、

 「財産権の問題がからむだけに、利用を認める期間や、後に所有者が名乗り出た場合の金銭補償などが課題になる」とのこと

 「発生の予防策として当面の対応として、市町村が死亡届を受け付ける窓口で相続登記を案内し、手続きを促すことが考えられる」とのこと、

「過疎化と地価下落が続く地方を中心に「土地は資産」「所有者が管理する」という大前提が揺らぎ、相続が重荷だ、土地を持ちたくないという人が増えている」とのこと、 等々を知ることができた。

 確かに、高度性成長期に造成された「分譲地」を歩くと、一宅地30坪前後の宅地とそこに建つ家屋で、つる草が生え、枯葉が吹き溜まっている「家屋」を時々見るようになった。

 隣の住人が只で利用できるようにしたら、日々の暮らしが豊かになるのに、と思った。

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-09-23 09:57 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月10日付朝日新聞社説に、「企業が保守する現金・預金」のことが載った。 今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「企業が空前の利益を上げている。先週発表された法人企業統計によると、2016年度の企業(金融・保険業を除く)の経常利益の総額は約75兆円に達した。

 リーマン・ショック前の好況時を4割近く上回る水準だ。

 長く不況にあえいだ日本企業が、ここまで立ち直ったこと自体歓迎すべきだろう。問題は稼いだお金の使い道だ。

 企業全体で見れば、設備投資の伸びは頭打ちで、リーマンショック前の水準を超えていない。

 一方で積み上がっているのが、企業が保有する現金・預金だ。過去5年で約50兆円に増えて210兆円に達した。」と切り出した。

 続けて社説は、「金融危機を経験した企業が、万が一に備えて余裕資金を増やそうとする傾向もあるだろう。

 だが、企業の役割は資金を有効に使って商品を生み出すことであり、お金をため込むことではない。委縮しているばかりでは存在意義が問われかねない。

 設備投資が盛り上がらないのは、人口減少が進む国内では消費の伸びが期待できないからだ、との指摘がある。確かに、人口変動は経済に影響する。

 だが、そうであるのなら、企業は稼いだ金を手元に置いておくのではなく、働き手に還元することを考えるべきだ。

 企業活動で生み出された価値に占める労働者の取り分の比率(労働分配率)は、近年、下がり続けてきた。労働者への分配が伸び悩めば、消費を増やす余裕はいつまでたっても生まれない。

 長期的に見れば、企業が自分の首を絞めているのに等しいのではないか。

 デフレ脱却を掲げる安倍政権のもとで、企業は、法人税減税や大規模な金融緩和など政策の恩恵を受けてきた。その結果でもある高収益は、賃上げと消費拡大につながり、それが企業収益を押し上げる経済の好循環を生み出すことが期待された。企業自身がその循環を滞らせているとすれば、何をかいわんやである。」と指摘した。

 最後に社説は、「こうした状況が続けば、企業がさらなる税負担の軽減や、人件費を減らすことにつながる制度変更を望んでも、支持が得れれることはないだろう。

 高収益を挙げる企業には、一段と積極的に賃上げを期待したい。

 好成績に満足しているだけでは、いずれしっぺ返しを受けることを、経営者は銘記してほしい。

 政府が進める「働き方改革」の中で「サービス残業」をなくし、働いた分はきちんと支払うよう早期に徹底すべきことはいうまでもない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「先週発表された法人企業統計によると、2016年度の企業(金融・保険業を除く)の経常利益の総額は約75兆円に達した」とのこと、

 「一方で積みあがっているのが、企業が保有する現金・預金だ。過去5年間で約50兆円増えて210兆円に達した」とのこと、

 「企業活動で生み出された価値にしめる労働者の取り分の比率(労働分配率)は、近年、下がり続けてきた。」とのこと、等々を教えてくれる。

 そして社説は、「高収益を挙げる企業には、一段と積極的な賃上げを期待したい。」としている。

 企業が高収益を上げていることは素晴らしいことだし、企業が保有する現金・預金が210兆円位に達したこともいいことだ。

 だが、世の中、いいことばかりは続くものではない、どんなに頑張っても成果が出ないときもある。そういう、ピンチの時の用心をしておくのも、多くの社員と家族の生活を支える「経営者」の責任でもある。

 そこで、知人で経営者の友人に、一年間全く仕事がなくても、社員に給料が払える「額」を貯めるようすすめている。 
 企業の存続と社員の生活安定に支えるための、会社が保有する現金・預金の適正基準をぜひ知りたい、と思った。

  

 


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by sasakitosio | 2017-09-19 06:52 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月12日付朝日新聞朝刊13面に「オピニオン&フォーラム  憲法を考える」というページがある。
 発言者は、社会学者・大沢真幸さん、東京外語大教授・篠田英明さんだ。

 今日は、大沢真幸さんに学ぶことにした。

 まず大沢真幸さんは、「護憲か改憲かという日本での問題設定が、海外から見ると、特に理解に苦しむほど熱を帯びるのは、9条が敗戦の屈辱と結びついていることに由来します。

 その意味で、9条は普通の条文ではありません。戦前の日本と異なる社会になったことを内外に示す、戦後社会の核と言える存在なのです。

 戦前の日本は、猛スピードで西洋に追いつこうとし、それなりに成功した自負を持っていました。

 しかし、「追いついた」と思って臨んだ戦争は、悲惨な結果で終わってしまった。その精神的なショックから立ち直ることこそが、戦後日本の最も大きな課題でした。

 つまり、敗戦当時に誇れるものが何もなかった日本をかろうじて支えたのが、9条の「平和主義」の理想だったわけです。」と切り出した。

 つづけて大澤真幸さんは、「誤解してはいけないのは、護憲と改憲の対立は、憲法の肯定と否定という図式では説明できないということです。

 改憲を主張する人たちも、よく言い分を聞いてみると「9条には素晴らしいことが書かれている」ということを否定しません。

 むしろ9条の理念の崇高さは前提とした上で、米国による「押し付け」を問題にしたり、安全保障上のリアリズムという観点で自衛隊を明記すべしと主張したりしています。

 ともに9条の理念の崇高さに執着しているが故に、集合的な無意識のレベルで、9条を変えることにためらいを抱いています。そうでなければ、文字通りに読む限り自衛隊を含めたいかなる戦力も認めていない9条の条文を70年以上も変えず、解釈の変更だけで乗り切ってきた事実は説明しようがありません。」と指摘した。

 最後に大澤真幸さんは、「一方で、平和主義を自尊心の糧としながら、ずるいことをしてきたのが戦後日本の歩みでもありました。

 理念を守りつつ、自国の安全保障は世界で最も強い米国に依存する。

 幸か不幸か戦後世界が冷戦体制に組み込まれ、東アジアは、朝鮮戦争が始まる1950年代には冷戦のフロントラインになった。

 米国にとって日本が戦略的に重要になったことが日本人の後ろめたさを隠してきた。

 自分たちの事情ではなく、米国が軍隊を日本におきたいと言っているのだから、という具合にです。

 冷戦後、21世紀に入る中で、状況はさらに展開します。97年の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、そして2015年の集団的自衛権の容認で日米関係が変わる中で、9条を持つ日本人の自己イメージも変わりました。

 元々は人類の繁栄や平和という誰もが認める普遍的な価値こそが、その素晴らしさを支えていました。

 それが護憲派は自国が戦争に巻き込まれない国益を前面に出すようになった。

 集団的自衛権を巡る議論でもそうでした。

 9条=お得、だから変えてはいけない。

 世界中に紛争があるが、他国がつくった秩序で一番おいしい思いができるのは9条だよ、と。

 それは「人の道に反する」とするのが改憲派でしょう。

 米国が一生懸命、世界秩序を守っている。それで平和を享受できるなら自分たちも貢献するべきだ、と。

 9条維持は、立派な普遍的な価値を打ち出す「かこよさ」に支えられていたのが、自国の損得勘定で動く格好悪いものになっている。

 最近、改憲運動が高まっているように見えるのは、9条維持の意味が変わってしまったからです。

 つまり、改憲派は敗戦のトラウマと結びついた9条が日本社会の核になっていることを理解しない。

 一方の護憲派は、人類の歴史に先駆けた普遍的な正義が9条の価値を支えてきたことを理解せず、条文を維持すれば、9条の価値は守れると考えています。

 経済は陰りを見せ、日本が世界に誇れるのはもはや9条くらいしかない。

 にもかかわらず、戦後70年で9条を通じて日本人が何を望んできたかを見失ってしまっているのが現実です。(聞き手・高久潤)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「護憲か改憲かという日本での問題設定が、海外から見ると、時に理解に苦しむほど熱を帯びるのは、9条が敗戦の屈辱と結びついていることに由来します」とのこと、

 「9条は普通の条文ではありません。戦前の日本と異なる社会になったことを内外に示す、戦後社会の核と言える存在なのです」との指摘、

 「敗戦当時は誇れるものがなかった日本をかろうじて支えてのが、9条の「平和主義」の理想だったわけです」との指摘、

 「一方で、平和主義を自尊心の糧としながら、ずるいことをしてきたのが戦後日本の歩みでもありました。理念を誇りつつ、自国の安全保障は世界でも最も強いアメリカに依存する」との指摘、

 「元々人類の繁栄や平和という誰でも認める普遍的な価値こそが、その素晴らしさを支えていました。それが、護憲派は自国が戦争に巻き込まれない国益を全面に出すようになった」との指摘、

 「改憲派は敗戦のトラウマと結びついた9条が日本社会の核となっていることを理解しない」との指摘、

 「護憲派は、人類の歴史に先駆けた普遍的な正義が9条を価値を支えてきたことを理解せず、条文を維持すれば、9条の価値は守れると関挙げています」との指摘、

 「ともに(護憲派も改憲派も)9条の理念の崇高さに執着しているが故に、集合的な未意識のレベルで、9条を変えることにためらいを抱いています。」との指摘、等々、護憲派改憲派の分析などいろいろ考えるヒントを与えてもらった。

 9条を含む日本国憲法に国会で反対した日本共産党が、各地の9条の会を通して、護憲運動を支えていることに不思議さを感じている。

 また、筆者は「9条は、戦前の日本と異なる社会になったことを内外にしめす、戦後社会の核と言える存在」なのです、と教えてくれた。

 それと合わせて、憲法前文も戦前の日本と異なったことを示す「宣言」であると思いたい。

 その上で、今の私たち日本人は日本国憲法の実戦として、世界から戦争をなくし、飢餓や恐怖から人類が解放されるよう「行動」しなければならない、と思った。 


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by sasakitosio | 2017-09-18 19:38 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月14日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・吉岡桂子氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「上野動物園(東京都台東区)で生まれた赤ちゃんパンダの名前がまもなく、決まる。中国・四川省を旅立つ父リーリー(力力)と母シンシン(真真)を取材しただけに楽しみにしている。

 尖閣列島をめぐって波立つ日中関係のもと「外交特使」として送り込まれる2頭の行く末を案じつつ、緑深い山奥で見送った。2011年冬のことだった。

 彼らは当時、中国名で「ビーリー(比力)」と「シィエンニュ(仙女)」と呼ばれていた。

 1972年の日中国交正常化を祈念して送られた初代以来初めて、到着後に「改名」したつがいである。対中感情が悪化するなかで、より日本色が求められる空気もあっただろう。

 中国で「国宝」と位置づけられるパンダは、ただのクマではない。外交に加えて、繁殖研究から動物園や地元の経済振興まで、その丸い背中に数多くの期待と欲望をしょっている。

 希少動物の保護の観点から80年代以降は贈り物ではなく、共同研究の名目で世界各国に有料で貸し出されるようになった。政略養子縁組、それとも公務出張中と呼ぶ方がふさわしい存在なのだ。

 子供は2歳ほどで「帰任」を強いられる。

 十数カ国に50頭余りが現在、出張中。

 タイ北部にあるチェンマイ動物園では、赤ちゃんが生まれた年は大賑わいで、例年の3倍ものお客がつめかけたという。

 飼育係りは何より、無事の出産にほっとしたそうだ。外交や経営、国内世論・・・。いずこも担当者のプレッシャーがしのばれる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「モンモン(夢夢)」。習近平国家主席の政治スローガン「中国の夢」を思わせる名前のパンダがいる。外交序列でいえば極めて高位の命名である。

 国交45周年を記念して独・ベルリン動物園に今年6月、チャオチン(嬌慶)とつがいで届けられた。

 おりしも中国を代表する人権活動家で獄中でがんが見つかった劉暁波さんが、妻と共にドイツへの出国を渇望しながら、中国当局に阻まれていた時期だった。

 習氏とメルケル首相が並んでパンダ館を見学した8日後、劉さんは北京で事実上の「獄死」を遂げた。首脳会談でも同時にドイツで開かれていたG20サミットでも、中国の人権問題は大きな議題にならなかった。

 「一帯一路」戦略を掲げて欧州との関係強化を図る中国と、人権や安全保障を超えて巨大な中国市場が持つ経済力を重視する欧州―――。

 習政権発足後、その結びつきを象徴するかのようにパンダは西へと向かう。

 ドイツのほか、ベルギー、オランダ、で公開が始まり、フィンランド、デンマークも受け入れが決まっている。

 90年代から前政権時代、パンダはおもに南進していた。中国に返還された香港、マカオ、そして、台湾、東南アジアなどで足場を固める地域戦略に沿ったものだった。

 90年代末の通貨危機を受けて節約を優先した韓国が初代を返すという波乱もあったが、タイ、マレーシア、シンガポールの動物園に初めて登場し人気を集めた。

 同じころ、インドネシアとも合意しており、数年の準備を経て近く、華僑2世が経営するボゴールの動物園に2頭がやって来る、」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「パンダ外交に詳しい歴史学者家永真幸さんの近著「国宝の政治史、「中国」の故宮とパンダ」によれば、パンダの外交利用は、日中戦争中の1941年、当時の中華民国が世論工作のため、米国に寄贈を決めた2頭に由来する。

 東西冷戦時代は、旧ソ連と北朝鮮に送られた。パンダの足取りは、中国外交の力点に重なる。

 ただ、経済成長と共に台頭する中国という国家の存在感が強まるほど、パンダの「中国離れ」が起きているように思う。

 リーリーたちが来ても、日本人の対中感情が好転する兆しはない。かってのように友好の象徴とは受け止められていない。台湾や香港でも同様の傾向だ。ご近所にとって「象徴」では覆いきれないほど、大きな存在として迫る中国が見えるからだろう。むしろ、パンダは国家と同一視されず、愛されているともいえる。

 国家の思惑を裏切って、ふつうのめずらしい動物と個人との関係を築きつつあるなら、悪い話ではないかもね。白黒つけずにおこうか。比力、いやリーリー。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「希少動物の保護の観点から、80年代は贈り物ではなく、共同研究の名目で世界各国に有料で貸し出されるようになった。政略養子縁組、それとも公務出張中と呼ぶほうがふさわしい存在なのだ」とのこと、

 「十数か国に50頭余りが現在、出張中」とのこと、

 「一帯一路」戦略を掲げて欧州との関係を強化する中国と、人権や安全保障を超えて巨大中国市場が持ち経済力を重視する欧州――・」とのこと、

 「習政権発足後、その結びつきを象徴するかのようにパンダは西へ向かう。ドイツのほかベルギー、オランダで公開が始まり、フィンランド、デンマークも受け入れが決まっている」とのこと、

 「90年代から前政権時代、パンダはおもに南進していた。中国に返還された香港、マカオ、そして台湾、東南アジアなどで足場を固める地域戦略に沿ったものだった。」とのこと、

 「パンダ外交に詳しい歴史学者家永真幸さんの近著「国宝の政治史 中国」の故宮とパンダ」によれば、パンダの外交利用は、日中戦争中の1941年、当時の中華民国が世論工作のため、米国に寄贈を決めた2頭に由来する。東西冷戦時代は、旧ソ連と北朝鮮に送られた。パンダの足取りは、中国外交の力点に重なる」とのこと、

 「ただ、経済成長とともに台頭する中国という国家の存在感が強まるほど、パンダの「中国離れ」が起きているように思う」とのこと、

 等々を教えてもらった。

 パンダの愛くるしさは何年たってもそのままでいてほしいが、共産党一党独裁の中国は、内からの民主化で大きく変わってほしい。そして共産党一党独裁のままでの覇権だけは勘弁してほしい!!


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by sasakitosio | 2017-09-18 16:02 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月17日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。

  筆者は、編集委員・大野博人氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「人は自分が選んだ者たちを信じていないーー。ある世論調査のデータを見ながら奇妙だけれど腑に落ちると感じた。

 大阪商業大学のJGSS(日本版総合的調査)研究センターが拠点となって定期的につづけている全国調査の最新の結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だった。

 そこには社会に影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。

 回答の選択肢は「とても信頼している」「少しは信頼している」「ほとんど信頼していない」「わからない」の四つ。そのうち信頼に肯定的な二つを合わせても29.4%。逆に「ほとんど信頼していない」は52.2%に上る。「市区町村議会議議員」も不信が45.2%と高い。

 今年のサンプル数は744と比較的少ないが、約2千から3千のサンプルを集めた2000年から15年までの10回の調査も似たような傾向を示す。

 議員たちよりも信用されないのは「宗教団体」だけ。

 逆に信頼の選択肢の合計が安定して高いのは「病院」で90%前後、「学校も」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台、大企業で60%台が続く。「学者・研究者」もおよそ70%だ。「中央官庁」と「労組」はやや落ちて40から50%付近を上下している。

 「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台に信頼が寄せられているが、不信度は上昇傾向、自戒せねば。

 あきらかに人々は自分たちで選んだわけではに人たちの方を信頼している。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この夏、朝日新聞の「声」欄で、読者が選挙での棄権と白票を めぐって意見を交わしていた。

 一つの投稿がきっかけだった。

「投票先がないなら何も書かない白票を」と提案し、「白票は政治不信に対する明確な意思表示」と主張していた。

 これに対して「白票がおおければ何かが変わるのでしょうか」「少しでも自分が大切にしていることに考え方の近い人や政党を選んでほしいな」「白票は与党を利するだけと批判的な声が寄せられた一方、白票に意味を持たせようという提案も、それが「一位となれば、その選挙区では当選者がでないことに」。

 意見が分かれても投票に共通してにじむのは、政治家や国会へのふしんだ。

 「傍若無人な国会運営を追認し、保身のみに汲々としている議員たち」

 「首相の国会でのヤジ、はぐらかし、閣僚の失言、暴言は最高度。あ然とする。

 信じることがむずかしい者たちの中から選ぶしかない切なさ。

 この5月に大統領選挙があったフランスでも有権者たちが同様の葛藤に揺れていた。

 棄権するか白票を投じた人は有権者の3分の1と、歴史的な高さになった。

 決選投票で残った2人の候補の「どちらも信頼できない のにどうして投票できるのか」と考えた人が多かったからと言われた。

 民意を政治に届ける民主主義の動脈があちこちで詰まっている。」と指摘した。

 最後に筆者は、「選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。

 しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする。ある人は棄権し、ある人は白票を投ずる。そしてまた別の人は「よりひどい」ものを排除するために「まだまし」な者に一票入れる。選挙結果が表現するのは、誰かへの信頼ではない。誰かへの不信だ。

 日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く。近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。

 議員を信頼していない人がざっと半分いるという調査データと重なる。低投票率が示すのは、政治への無関心というより政治への不信と読める。

 民主主義では選挙こそが正当性の根拠だ、と誰でも考える。

 だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが民主的な正当性を一人占めすることになるのだとしたら。

 奇妙だと思う。そして、このことは腑に落ちない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが拠点となって定期的に続けている全国調査の最新結果だ。あらためて民主主義の危機について示唆的だと思った。」とのこと、

「そこには社会的影響を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問う項目が含まれているのだが、これまでと同様に今年も「国会議員」の信頼度がかなり低い。」とのこと、

 「議員たちより信頼されないのは「宗教団体」だけ、」とのこと、

 「逆に信頼の選択肢の合計が安定しているは「病院」で90%前後、「学校」も70から80%台。最近は「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」で70%台だ。「新聞」には80%台、「テレビ」には70%台の信頼が寄せられている」とのこと、

 「選挙とは本来、自分が信頼できるだれかを選ぶ仕組みのはずだ。しかし、多くの人が不信の思いを伝える手段にしようとする」とのこと、

 「日本の国政選挙の投票率は低下傾向が続く、近年では半分近くの人が投票所に足を運ばない。議員を信頼していない人がざっと半分という調査データと重なる」とのこと、等々を知ることができた。

 かねがね、投票率50%を切った時、むりむり当選者を決めているような気がした成らなかった。その選挙区は、適任者なし、当選者無しでいいのではないか、と思ってきた。

 さらに、棄権と白票をあわせて50%を超過した選挙区は、当選者なしというように公職選挙法を改正すべきだ、とも思った。

 また、議員の居なくなった選挙区は、法案ごとに住民投票を実施し、その結果でその選挙区から出たであろう「議員」の評決にしたらどうだろうか、とも思った。

 


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by sasakitosio | 2017-09-18 09:42 | 朝日新聞を読んで | Trackback