憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

カテゴリ:朝日新聞を読んで( 738 )

3月31日付朝日新聞社説下に、「社説余滴」という欄がある。 筆者は、国際社説担当・沢村 亙氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「外国の政治を論ずるときに悩むのは、日本政治の「物差し」とのずれである。

 例えば、近ごろ欧州で勢力を伸ばす反移民の政党は、地元では「極右」と呼ばれる。

 そうした政党の幹部で、日本にも詳しい人物にかって問い詰められ、返す言葉を失った。

 「日本の方が移民や難民に厳しいはず、なぜ、あなた方まで私たちを「キョクウ」呼ばわりするのか」

 今月、総選挙のあったオランダはさらに複雑だ。

 この国の「極右」自由党はイスラム排斥を声高に主張する。

 方やオランダといえば同性婚や安楽死を合法化したリベラルな気風知られる。

 「イスラム教徒はオランダの自由な価値観を受け売れようとしない」と決めつけ、自由党を支持する人も少なからずいる。

 リベラルだけど不寛容。何ともややこしい。」と切り出した。

 続けて筆者は、「その自由党は議席を増やしたとはいえ、事前に取りざたされた第一党の座は逃した。

 現地の知人によると、選挙後の話題は、トルコ系政治家が設立した「親移民」の新党がいきなり3議席を獲得したことや、「動物権利党」の躍進(2→5)だという。

 総選挙に28の政党が参加した。

 環境保護や年金生活者の権利を掲げる政党もそれぞれ議席を増やした。

 一方、これまで政権を率いてきた左右の中道政党は退潮傾向だ。

 オランダでは政党の設立が簡単だという。

 だが、単一の争点を掲げる小政党ばかりだと政治が混乱しないか。

 ライデン大学の政治史研究者ヘルテン・ワリング氏に、日本的な物差しで質問をぶつけてところ、「とんでもない」と一笑に付された。

 「伝統政党に新興政党が競争を挑みながら、この国の政党政治は発展してきた。それに小政党であるほど、国民とより近い関係を築ける」

 前述した動物権利党も、持続可能な生活スタイルを説く、主張が、知識層の心をつかんでいるという。

逆に有権者の関心が多様化すればするほど、あらゆる政策を取りそろえた百貨店のような政党は、かえって存在感がぼやけそうだ。

安定多数を得る政党がない代わり、選挙後の連立交渉には時間をかける。

 「オランダは連立の国。徹底的に議論し、政権のめどがつくころには落ち着くところに落ち着く」とワリング氏。

 知人も「オランダ政治は選挙後が面白い」。

 うらやましく思えてきた。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「総選挙には28の政党が参加した。環境保護や年金生活者の権利を掲げる政党もそれぞれ議席を増やした」とのこと、

 「選挙後の話題は、トルコ系政治家が設立した「親移民」の新党がいきなり議席を獲得したことや、「動物権利党」の躍進(2→5)だという」とのこと、 

 「有権者の関心が多様化すればするほど、あらゆる政策を取りそろえた百貨店のような政党は、かえって存在感がぼやけそうだ」とのこと、

 「安定多数を得る政党がないかわり、選挙後の連立交渉には時間をかける」とのこと、

 等々オランダの政治事情を知ることができた。

 江戸時代、先進国オランダに学んだことが医学をはじめ沢山あった。日本人は、外国の制度を取り入れるのが上手な国民のような気がする。

 多様な政党の存在できる社会のシステムは、国民一人一人の多様性を認め、能力の自由な開放を認め、そのことが社会の進歩・発展に貢献できるような、気がしている。

 


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by sasakitosio | 2017-04-15 16:10 | 朝日新聞を読んで | Trackback

3月30時朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、GLOBE編集長・国末憲人氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は「多様な役柄を一人でこなす人気芸人「劇団ひとり」の名にあやかれば、こちらはさしずめ、「政党ひとり」である。

 何せ、党員は党首一人。

 所属の議員もスタッフも、党員資格もない。

 党大会も党機関紙もない。

 すべては党首の一存で決まり、それに従う人だけが、党の名のもとに総選挙や地方選に立候補できる。

 どこかの独裁国家の話でもなければ、独自の戦いを繰り広げる弱小政党でもない。

 先進国の、しかも主要政党の一つ。

 強烈な反イスラムの立場を掲げるオランダのポピリスト政党「自由党」である。ただ一人の党員ヘルト・ウィルダース党首(53)がすべてを差配する。

 15日に投開票があったオランダ総選挙でも、当初躍進が予想された。英国の欧州連合(EU)離脱決定、米国でのトランプ政権成立に続き、ポピュリズムの波が欧州大陸にも押し寄せるのでーー。そんな懸念が広がった。ふた開けてみると、中道右派政党が勝利を収め、自由党は2位。関心は急速にしぼんだ。

 ただ、私には気になって仕方ない。こんな奇妙な政党がなぜ、現代先進国に存在しうるのか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「「一人政党には、それなりの合理性があるのです」

 そのような分析を聞いたのは、欧州のポピュリズムを比較研究する中央大学の古賀光生准教授(38)からだった。

 通常、政党はできるだけ多くの人を集めようと腐心する。多ければ、党費も人材もそれだけ増える。選挙ポスターを貼る作業一つとっても大勢で手分けができる。それが。政治の形態として定着してきた。

 ところが、その前提が揺らぎ始め、必ずしも大人数を必要としなくなってきた。党費を集めなくても、政党助成金で活動は十分可能。ポスターを貼る以前に、メデイアを通じて名前は売れる。

 加えて少人数だと身軽に動きやすい。

 古賀さんによると、ポピュリズム政党とは「風を見る」組織。強固な支持基盤を持たないだけに、どんなテーマに風が吹いているかを敏感に察知し、流れに乗って大衆の支持を集める。「うかうかしていると、せっかくの風を逃がしてしまいます」

 一人政党である自由党の場合、党内合意も必要ないから、風に合わせて政策や方針をすぐさま変えられる。これが大政党なら「決定は党大会で」などと言っている間に風向きが変わってしまう。

 「政党ひとり」の試みはそれなりの論理に基づいているのである。彼らの主張が正しいかどうかは、また別問題だが。

 「政党はもともと、存在自体にジレンマを抱えています。支持を広げ、党員を増やすほど、内部の結束を維持するのが難しい。一人政党は、この矛盾に対する極端な解決法であり、一つの政治実験です」」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「ドイツ出身の政治学者ヤン=ヴェルナー・ミュラー氏は、話題作「ポピュリズムとは何か」(邦訳は4月刊行予定、板橋拓己氏訳)で自由党を分析した。

 彼によると、この党は一枚岩で、意見の多様性を認めない。「何が正しいか」はすでに自明であり、改めて議論するまでもないと考える。

 ミュラー氏はこの状態を「党内権威主義」と位置づけ、各国のポピュリズムに共通する傾向だと警告した。

 実際党内で反対意見を許さない態度は、フランスの「国民戦線」にも顕著にうかがえる。

 同様の政党は、日本にも現れるだろうか。

 ポピュリズムと位置づけられる政治家としては小泉純一郎元首相、大阪市の橋下徹前市長らが知られるが、それぞれの党内ではまだ、いろんな党員がいろんなことを主張していた。それなりの多様性があった。

 党内権威主義を確立するには、候補者の公認権を党首が掌握し、党内を子飼いの政治家で固める必要がある。

「小泉さんが小泉チルドレンを引き連れて選挙を重ねれば、それに近い政党になっていたかもしれません」と、古賀さんは推測する。

 そのような人物や政党が今後登場するかもしれない。それが現実になる時、党内の多様性が曲がりなりにも認められてきた日本の政治は、大きく変貌するだろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「強烈な反イスラムの立場を掲げるオランダのポピュリスト政党「自由党」は、ただ一人の党首ヘルト・ウィルダース党首(53)がすべてを差配する」とのこと、

 「中央大学の古賀光生准教授(38)によると、ポピュリズム政党とは「風を見る」組織」とのこと、

 「一人政党である自由党の場合、党内合意も必要ないから、風に合わせて政策や方針をすぐさま変えられる」とのこと、

 「ドイツ出身の政治学者ヤン=ヴェルナー・ミュラー氏によると、この党は一枚岩で、意見の多様性を認めない」とのこと、

 「ミュラー氏はこの状態を「党内権威主義」と位置づけ、各国のポピュリズムに共通する傾向だと警告した」とのこと、等々を知ることができた。

 時代の変化のスピードが速すぎて、日本の政党には思想的・政策的に賞味期限の到来を思わせる昨今、政党助成金とメデイアや通信技術の活用で「一人政党」がオランダで誕生し、立派に存続していることを知り、驚いた。

 筆者の「そのような人物や政党が、今後登場するかもしれない。それが現実になる時、党内の多様性が曲がりなりにも認められてきた日本の政治は、大きく変貌するだろう」と指摘している。
 そんな時代には、今の党内の多様性が、政党の多様性に変わっているかもいるかもしれない、と思った。ただそのためには、小選挙区制と高額な供託金の制度が障害になるのではないか。 


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by sasakitosio | 2017-04-15 15:25 | 朝日新聞を読んで | Trackback

413日付朝日新聞社説に、東芝のことが載った。今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「自らまとめた決算について、専門家の了承え得る、そのうえで情報を公開し、投資家や取引先の判断材料にしてもらう。それが上場企業に課せられた基本的なルールだ。

ところが、原発事業で巨額の損失を抱えた東芝が、監査法人のお墨付きを得ないまま、16412月記決算の公表に踏み切った。

 損失の調査や処理をめぐって監査法人と意見が食い違う中,すでに公表を2度延期していたため、見切り発車した。

 東芝は「これ以上、株主らに迷惑をかけられない」と説明するが、正確さが保証されない業績を上場企業が発信するのは異例だ。

 投資家らに不安を与え、株式市場の土台を揺るがしかねない。」と切り出した。

 続けて社説は、「決算の公表が遅れたのは、巨額の損失を出した米国の原子力子会社ウェスチングハウスで、経営者が損失を小さく見せようと部下に圧力をかけた疑いが浮上したのがきっかけだった。

 東芝は社内調査を進め、会計処理には影響がなかったと結論付けた。

 一方、監査法人は、調査結果の評価作業を続ける必要があり、決算の数値が妥当かどうか判断できない、と主張した。

 東芝側は「調査を続けても、適正との意見をもらえるめどはたたない」とも話し、監査法人への不信感すら漂わせる。

 だが、15年に不正会計が発覚しただけに、監査が厳しくなることは予想できたはずだ。

 事案が限られる中でも決算のとりまとめに支障が出ないよう、監査法人の納得を得ながら作業できなかったのか。

 東芝は不正会計問題で、東京証券取引所から「特設注意市場銘柄」に指定されている。

 再発防止の対策を進めているが、改善が不十分と判断されれば上場廃止になる。

 今回の失態が加わったことで、上場を維持できるかどうか、ますます予断を許さなくなった。」と指摘した。

 最後に社説は、「東芝株が上場廃止になれば、株主や取引先の混乱や損失が避けられない。上場を維持するためには、足元の混迷を収め、内部管理体制を立て直すことが急務になる。

 東芝の経営危機は、原発事業に前のめりだった歴代幹部の責任が大きい。だが、その後始末と再建に責任を負うのは、今の経営陣である。

 損失を穴埋めするために、半導体メモリー事業の売却を進めている。

 稼ぎ頭を手放すという重い決断をしただけに、その後の姿をしっかり描けるかが問われる。

 再生に早く踏み出すためにも、信頼の回復を急がなければならない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「原発事業で巨額の損失を抱えた東芝が、監査法人のお墨付きを得ないまま、16年4~12月の決算の公表に踏み切った」とのこと、

 「監査法人は、調査結果の評価作業を続ける必要があり、決算の数値が妥当かどうか判断できない、と主張した」とのこと、

 「東芝は不正会計問題で、東京証券取引所から「特設注意市場銘柄」にしていされている」とのこと、

 「東芝株が上場廃止になれば、株主や取引先に混乱や損失が避けられない」とのこと、

 「東芝の経営危機は、原発事業に前のめりだった歴代幹部の責任が大きい」とのこと、

 「損失の穴埋めするために、半導体メモリー事業の売却を進めている」とのこと、等々を知ることができた。
 読んで勉強になった。

 そして、社会の変化のスピードがものすごく速くなった昨今、信頼回復も経営再建も従業員や株主には気の毒だが、難しい様な気がした。

また、「原発事業で巨額の損失が抱えた東芝が、監査法人のお墨付きを得ないまま、16年4~12月期決算の公表に踏み切った」とのこと、

 「正確さが保証されない業績を上場企業が発信するのは異例だ。投資家らに不安を与え、株式市場の土台を揺るがしかねない」とのこと、

 「東芝は不正会計問題で、東京証券取引所から「特設注意市場銘柄」に指定されている」とのこと、

「東芝株が上場廃止になれば、株主や取引先に混乱や損失が避けられない」とのこと、等々を知ることができた。

 社説の指摘のように「東芝に経営危機は、原発事業に前のめりだった歴代幹部の責任が大きい」ことは確かだ。だから、後始末と再建を担わされる今の経営陣は気の毒と言えば気の毒だ。

 同じ政府の笛いた原発政策に踊ったのに、原発事故を起こしていない東芝が、原発事故を起こした東電に比べて、政府の支援と言う点で、だいぶ割を食っているような気がしてならない。

 


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by sasakitosio | 2017-04-15 11:31 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月11日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」と言う欄がある。 筆者は、編集委員・堀篭俊材氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「4月は悲喜こもごもの異動の季節だが、回り道をした経験がその後の人生に役立つことがある。

 東北大名誉教授の舛岡富士雄さん(73)の場合もそうだった。

 舛岡さんは46年に東芝に入った。最初に配属された研究部門で開発した製品が売れない。

 「自分で売ってみせる」と営業に移り、米国のコンピューター会社を回った。

 なかなか売れずに1年で営業を首になるが、「お客さんは性能より安い製品を求めている」と学んだことが、日本発の半導体フラッシュメモリーの発明に生きた。電話をかける手順などを記憶するこの半導体は、電源を切ってもデータが消えない。

 舛岡さんは1980年代、安価でつくる技術を開発した。

 いまはスマホや自動車、家電に使われ,様々なものをネットで結ぶIOT時代を支える技術として期待される。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「「虎の子」に育った半導体を東芝は売却する。原発事業で抱えた巨額の損失を穴埋めするには、背に腹はかえられないからだ。

 米国や台湾メーカー、外資系ファンドが買収に名のりをあげ、「日本の先端技術が流出してしまう」と国や経済界が心配する声があがる。

 とはいっても、1次入札に加わる日本企業はいなかった。官邸で「日本連合」を作り、2次入札から米国勢と組む構想が浮上したが、及び腰の印象はぬぐえない。

 かって日本の半導体は「産業のコメ」といわれ、政府もその育成を支援した。コンピューターや通信機器に使われる量産メモリーの分野で80年代は世界を席巻し、米国との間で貿易摩擦も生んだ。やがてアジア勢に追い越され、電機大手では東芝だけが世界とわたりあってきた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「技術流出の問題について、舛岡さんは「すでに30年前に起きている話だ」という。

 舛岡さんが発明した「NAND型」と呼ばれるフラッシュメモリーを製品化するとき、東芝は韓国サムスン電子から、お金や技術者を受け入れている。

 舛岡さんは「安いお金で技術を韓国に売り渡した」と映る。

 舛岡さんは退社したのち、東芝を相手どり、発明の対価を求めて訴訟を起こしたことで知られる。11年前に和解しているが、OBの一人として「半導体を売った後、東芝はどうやって生き残っていくのか」と再生の絵姿がみえない古巣を心配する。

 東芝の半導体の売値は1.5兆円以上とされ、大規模装置を必要とするために設備投資などに毎年3千億円かかるといわれる。

 おいそれと手を出せる事業ではないが、リスクを取り、日本発の半導体を主導して育てる日本の経営者が現れないのはさびしい限りである。ある財界トップは「衰退するこの国の象徴だ」と手厳しい。

 ビジョンのないままでは技術は流出する。

 日本を引っ張る産業の将来図をどう描くのかが問われている。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「東北大学名誉教授の舛岡富士雄さん(73)の存在を」知ることができた。

 「虎の子」に育った半導体事業を東芝は売却する」とのこと、

 「米国や台湾メーカー、外資ファンドが名乗りをあげ、「日本の先端技術が流出してしまう」と国や経済界から心配する声があがる。

 とはいっても、一次入札に加わる日本企業をいなかった」とのこと、

 「舛岡さんが発明した「NAND型」と呼ばれるフラッシュメモリーを製品化するとき、東芝は韓国のサムスン電子から、お金や技術者を受けいれている。舛岡さんには「安いお金で技術を韓国に売り渡した」とうつる」とのこと、

 「OBの一人として「半導体を売った後、東芝はどうやって生き残っていくのか」と再生の絵姿が見えない古巣を心配する」とのこと、

 等々を知ることができた。

 同じように原発事業を手掛ける、日立製作所や三菱重工には、原発産業から一日も早く手を引いて、その培った技術と人材を「自然エネルギー産業」に投入し、世界の自然産業の先頭を走って いただきたい、と思った。

 

 

 

 


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by sasakitosio | 2017-04-14 06:46 | 朝日新聞を読んで | Trackback


49日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。今日の筆者は、編集員・曽我豪氏だ。今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「昨年10月のある日のこと、東京大手町のビルの一室で、東京の8大学の若者50数人が、2030年の日本はどうあるべきか、侃々諤々やっていた。

経済人や学者らが人材育成を議論する日本アカデミア(共同筆頭=佐々木毅・元東大総長ら)の学生組織の面々だ。

 今年で2回目と歴史は浅いが、3月には班別で政策提言を一人一分づつ語ってから2時間、班分けも若者に任された。

 「外交に関心のある人はここ」 「地方創生はこっち」。

 安全保障やエネルギー問題を含め、テーマごとに集まり、まず現状を分析して改善策を練る。9班のうち8班まではそんな「王道」の進め方をした。

 ひとつだけ異質の班があった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「「学校や大人の価値観と違う寄り道を誰もが経験できる社会にしたい。現状分析よりまず理想だと思う」

 東大で少子化問題を学ぶ女子学生(23)のこんな訴えは面白いと思った一橋、慶応、上智、御茶ノ水の仲間が集まった。

 7人のはその日、自分たちのことを「寄り道班」と名乗った。

 理想の実現に向け、克服すべき課題を整理し、裏付けデータを集めた。

 月2回の定例の講義の後で顔を合わせる以外はLINEを通じて意見を集約した。

 内閣府調査などで、いかに日本の若者が諸外国と比べてやる気が出ないと感じているか、出世意欲も低いかがよくわかった。それは、幼児期の教育で義務(マスト)が一方的に課され、主体的なやる気や想い(ウィル)が養えないでいるからだ。いじめ防止もマスト教育を教え込むだけでは限界がある。

 だから勉学以外の可能性や仲間をみつける「よりみち広場」を官民連携で地域社会につくる。

 学生インターンや教師も参加し、他者のウィルを尊重する法教育をこの広場で行い、学校に広げる・・・。

 ところが提言の方向性が見えてきた矢先の昨年12月、アカデメイアの大学教授から厳しい指摘があった。

 「これはエリート論にすぎないのではないか。国民全体に訴える広がりがあるんですか」

 そこで原体験を語り合い思いを共有し直すことにした。

 「大学に入ったらやりたいことがなかった」。そう告白したメンバーもいた。試験やゼミの経験からすれば、提言の細部を詰めた方がずっと得だと思った。だが、訴えをほんものだとわかってもらうには、これもまた必要な寄り道だと考えた。

 最初に訴えた彼女にはもうひとつ、発見があった。

 これまで自分の長所は、人の話をよく聞いて議論の流れの見取り図を示す整理役だと思ってきた。ところが、発表の1週間前、班のリーダーから任された自分の役割に驚いた。

 「10分間のスピーチの最後の1分間で、自分の体験に基づいた想いを語ってくれ」

 313日の発表会で、寄り道班は賞を逃した。

 幼保一元化による幼児学校の創設など三つの班が入賞した。その副賞の10万円と5万円の図書カードは惜しかったが、寄り道班の打ち上げのたこ焼きパーテーは暗くなかった。

 想いの共有にかけた時間はどの班にも負けないと思ったし、想いが物事を動かす新しい自分の可能性を知った。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「あらかじめ想定された解答などない中で、若者が仲間と共に社会の最適解を試行錯誤で探し、合意形成の技術を体得する。

 主権者教育はそのためにある。

 ただ、いつの時代も若者は本当の自分を探してさまよい寄り道をしてきたのだろう。

 半世紀前、学園闘争の吹き荒れるなか生まれた庄司薫の「赤ずきんちゃん気を付けて」で主人公の薫くんも、エリートコースに乗る自分を嫌悪し、それでも「みんなを幸せにするために」の答えを求めて東京の街をさまよう。

 そして、東大に行かずの自分でやってみようと決心してこう誓うのだ、

 「誰のものでもないこの僕自身のこんなにも熱い胸の中から生まれたものである限り・・・さまざまな苦しい戦いのさ中に、必ずスレスレのところでぼくを助けぼくを支えぼくを頑張らせる大事なものになるだろう」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「経済人や学者らが人材育成を議論する日本アカデメイア(共同塾長=佐々木毅・元東大総長ら)の学生組織がある」とのこと、

 「今年で2回目と歴史は浅いが、3月は班別で政策提言を発表する決まりだ」とのこと、

 「9班あり、中で「寄り道班」という班ができた」とのこと、

 「勉学以外の可能性や仲間をみつける「より道広場」を官民連携で地域社会につくる」とのこと、

 「昨年12月、アカデメイアの大学教授から指摘があった「これはエリート論にすぎないのではないか。国民全体に訴える広がりがあるんですか」」とのこと、等々を知ることができた。

 筆者の「あらかじめ想定された解答などないなかで、若者が仲間と共に社会の最適解を試行錯誤で探し、合意形成の技術を体得する。主権者教育はそのためにある」との指摘は、なるほどと思った。

 そして、この種の試みは、定年後の高齢者にこそ必要な「主権者教育」のような気がした。キレる年寄り、事故る高齢者、等々社会のお荷物でなく、いつまでも社会の荷物を担げる年寄りを増やしたい。


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by sasakitosio | 2017-04-11 07:02 | 朝日新聞を読んで | Trackback

47日付朝日新聞朝刊13面に、「異論のススメ」と言う欄がある。

 筆者は、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「4月になると学校では新学期が始まる。来年以降、小学校で道徳が教科化される。

 数年前に起きた大津での中学生のいじめ自殺問題を発端にしたようで、「礼儀」や「感謝」や「命の尊さ」などを学習するようだ。

 これを聞いて、私はいささか居心地の悪い気分になる。私は「道徳的なもの」を身に着けることが教育の基本だと思っているので、学校教育による道徳的なものへの関心は極めて大事だと思っている。

 しかしまた、教科化によって週に1時間の「学習」だけでどうなるものでもない。むしろ、それで「生命の尊さを教えました」などと形だけ整える、と言うことになりかねない。

 戦前の国家主義と結びついた過剰なまでの道徳主義の反動で、戦後は逆に、道徳を、前近代的で、あたかも封建社会の残影のようみなす傾向があった。それは学校だけではなく、社会全体の風潮である。反道徳的であることが進歩的であるかのような空気が支配していた。

 その影響を最も強く受けたのが学校であり、子供たちである。

 そのうちに子供たちは学校で暴れ出し、いじめが横行するにいたる。

 そこで、道徳教育の必要性が唱えられるようにもなるのだが、いかんせん、道徳教育の最大の問題は、道徳的な態度こそが教育の根幹でるにもかかわらず、それを教育することは至難の業だ、という点にある。

 道徳的な態度とは、目上の者に対する礼節、権威ある者に対する敬意、最低限の規律や秩序への同調、公共的な場所での自己規制などを含む。

 そして、それがなければ学校のような集団生活は成り立たない。

 だから、道徳的な態度は、学校教育が成立する前提となる。にもかかわらず、学校教育の中でそれを「教える」ことは不可能に近い。

 これは道徳教育の持つ根本的なディレンマなのである。ただ、「道徳」を教えることはできないが、「道徳的な感覚」まで伝授不可能だとはわたしは思いたくない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「大学に奉職していたころ、内村鑑三の「代表的日本人」で取り上げられている5名の日本人を知っているかと学生にたずねてみた。

 知っているのは、たいてい西郷隆盛だけである。二宮尊徳、上杉鷹山、中江藤樹、日蓮など、まず知らない。

 もちろん時代は変わる。「代表的日本人」も変わる。イチローや稀勢の里が入ってもかまわない。

 しかし、わずか100年ほど前にとりあげられていた人物の名前も知らないというのはあまりに不自然なことである。

 そして、内村が名前をあげた人たちはすべて、私心をなげうって、社会や国家や貧窮者のために奉仕した人である。つまり公共心と無私の精神を体現した人であったことを考えれば、戦後と言う時代は、この種の公共精神を排除する方向へ進んだことになろう。

 ところが面白いことに、内村の「代表的日本人」を読んだ学生たちは結構、感動したりしている。ついでに新渡戸稲造の「武士道」なども、彼らにはむしろたいへんに新鮮に響くらしいのである。

 来年の道徳の教科化においては、19から22個の道徳的項目を取り入れるという。道徳的項目が20個にもおよぶとは私には思えない。

 道徳の根本はといえば、私には次のようなものだと思われる。

 卑怯なこと(たとえば弱い者いじめ)はしない、

 友人を裏切らない、

 世話になったものへの恩義を大切にする、

 社会に対しは礼節を疎かにしない、

 嘘は(必要な場合を除いて)つかない、

 不正に対しては(力に応じて)戦う勇気を持つ。 おおよそこんなところである。

 単純な話である。これは社会生活の基本である。かっては、これぐらいのことはほぼ常識であった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「ところが。戦後の反道徳主義の中で、こうした簡単な「道徳的な感覚」さえも失われていった。確かにそれを「教える」ことはむつかしい。まして教科にはならないだろう。

 なぜなら、それは、日常の具体的な場面で、その状況に応じた経験のなかで学びとるほかないからである。

 道徳(モラール)とは日常の習慣(モーレス)なのである」ということは、日常的に、教師が生徒と接して、その接触のなかで、教師が示してゆくほかない。

 ところが、今日、教師は、一人一人の子供と手間をかけて接触する時間がない。忙しすぎるのである。そして、道徳教育の教科化は、さらに教師の過重労働に拍車をかける結果になるのではなかろうか。

 実現の可能性を別にすれば、下手な道徳教育よりも次のやり方の方がはるかに大きな意義をもつと思われる。

 それは、中学生の間の一定期間、生徒たちに次の体験を課す。

 第一に、町や福祉関係でのボランティア体験、

 第二に、自衛隊の見学など、国防や災害救助と言うものを知る体験、

 第三に、多少の海外生活体験、である。

 残念ながら、第二はかなり反対が予想され、第三は実施が難しい。私はこれを提案したいのだが、今のところ、私の空想である。

しかし、それほどのことをしなければ、今日、この規律や歯止めを失った高度な情報社会で、子供たちに「道徳的感覚」を伝授することはむつかしい。

 もちろん、それは戦前への回帰などではない。

 いずれの社会にあっても、社会生活の基本になる道徳は存在するし、それは時代によってそれほど変わるものではない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「来年以降、小中学校で道徳が教科化される」とのこと、

 「戦前の国家主義と結びついた過剰なまでの道徳主義の反動で、戦後は逆に、道徳を前近代的で、あたかも封建社会の残影のようにみなす傾向があった」との指摘、

 「道徳教育の最大の問題は道徳的な態度こそが教育の根幹であるにもかかわらず、それを教育することは至難の業だ、という点にある。」との指摘、

 「道徳的態度は、学校教育が成立する前提となる。にもかかわらず、学校教育の中でそれを「教える」ことは不可能に近い。

 これは道徳教育のもつ根本的なディレンマである。」との指摘、

 「道徳(モラール)とは日常の習慣(モーレス)なのである。ということは、日常的に、教師が生徒と接して、その接触のなかで教師が示していくしかない」との指摘、等々を知ることができた。

 筆者は、「戦後の反道徳主義のなかで、こうした「簡単な「道徳的な感覚」さえも失われていった。確かにそれを「教える」ことはむつかしい。まして教科にならないだろう。なぜなら、それは、日常の具体的な場面で、その状況に応じた経験の中で学びとるしかないからである」と指摘している。

 確かにその通りだと思った。自分の持っている社会的規範は、毎日の出来事の中で学んできた。父母から、兄弟から、学校や近所の子供たちから。だから、教室で教科書で先生が教えることは、きわめて難しいことだろうと思った。


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by sasakitosio | 2017-04-09 17:08 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月6日付朝日新聞朝刊15面に「私の視点」と言う欄がある。 筆者は、元内閣安全保障室長で元防衛庁官房長・三井康有氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「南スーダンで自衛隊員が、汗にまみれ営々と重ねてきた国連平和維持活動(PKO)の労苦と成果は、防衛省中枢での「日報」隠ぺい問題で一気にかき消されかねない危機に瀕している。

 中央の高級幕僚は、現地の隊員らに顔向けできないだろう。

 問題の本質は、自衛隊の運用に対するシビリアンコントロール(文民統制)の在り方にある。

 自衛隊は国会で成立した法律、予算の下で文民たる首相や防衛大臣の指揮監督に服することで完全に文民統制下にあるとされる。実情はどうだろうか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「災害派遣などを通じて自衛隊への国民の支持が高まるにつれ、防衛省では「制服組」(自衛官)の自信と発言力が格段に強まってきたようだ。

 それは作戦運用の分野で際立ち、私が防衛官僚だった頃とは様変わりした。

 予算や装備、人事などの面では、大臣を直接補佐する「背広組」(文官)の内部部局から(内局)から指導されるのは仕方ないが、作戦運用は元来、制服組の聖域で、文官の関与を許さぬという声が高まっている。

 旧陸軍では作戦事項は、陸,海軍大臣が扱う軍政事項とは切り離され、陸軍参謀長と海軍軍司令部長が天皇に直結し、統帥権独立の旗頭のもと首相の介入も辞さなかった。

 それは、政府が満州事変後の軍部独走を阻止できなかった要因となった。

 戦前の反省に立ち、旧防衛庁では内局に自衛隊の作戦運用を専門に扱う運用課が設けられた。

 その後、運用企画局に格上げされ、文民統制が強化された。

 しかし、制服組の反発が根強く、一昨年の法改正で同局が廃止され、制服組主体の統合幕僚監部に権限の大半が移った。

 以来、内局は自衛隊の運用について大枠決定に関与するのみで、実際の運用は、もっぱら幕僚監部が握る。

 内局に情報がほとんど入らず、大臣は制服組の報告に頼るしかなくなったようだ。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「法改正時の防衛相は文民たる自分が大臣を務めることで文民統制は保たれると説明したが、これは建前で、一人ではとても自衛隊全体に目が届かない。

 「日報」問題は、「運用」についても大臣に対する内局の補佐が必要不可欠なことを物語る。

 日報は、舞台活動の貴重な一次情報だ。

 国民に注目されるPKO部隊、とりわけ現地が緊迫している時の日報ともなれば、防衛相以下、国会答弁にあたる内局の官僚にも日々報告するのは当然だ。

 それにより誤った答弁も防げると思う。

 安保関連法が昨年施行され、自衛隊の海外での活動範囲は飛躍的に広まった。

 いま特別防衛監察が行われているそうだが、自衛隊の運用にかかわる組織のあり方と仕事の流れにまで踏み込んで、構造的問題をえぐり出し、今後に生かしてもらいたい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「旧陸軍では作戦事項は、陸、海軍大臣が扱う軍政事項とは切り離され、陸軍参謀長と海軍司令部長が天皇に直結し、統帥権の独立の旗頭のもと首相の介入も許さなかった」とのこと、

 「それは、政府が満州事変後の軍部独走を阻止できなかった原因となった」とのこと、

 「戦前の反省に立ち、旧防衛庁では内局に自衛隊の作戦運用を専門に扱う運用課が設けられた。その後、運用企画局に格上げされ、文民統制が強化された。しかし制服組の反発が根強く、一昨年の法改正で統合幕僚監部に権限の大半が移った。」とのこと、

 「実際の運用はもっぱら幕僚監部が握る。内局に情報がほとんど入らず、大臣は制服組の報告に頼るしかなくなったようだ」とのこと、

 等々を知ることができた。

 戦前の軍部独走を抑えられなかった反省に基づき、内局にもうけられた「運用企画局」が1昨年の法改正で廃止され、制服組主体の統合幕僚監部に権限の大半が移った、そのことはいわば防衛省内部のクーデターだったのではないか?

 日報問題が、自衛隊の運用に対するシビリアンコントロール(文民統制)の問題点を国民前に、今、さらけ出してたことは、不幸中の幸いであったのかもしれない。


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by sasakitosio | 2017-04-09 12:04 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月4日付朝日新聞朝刊7面に、「波聞風問」と言う欄がある。筆者は、編集委員・原真人氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

まず筆者は、「国会は森友学園問題で盛り上がりを見せている。首相をめぐる疑惑なのだから徹底究明すべきだろう。とはいえ、野党がその追求に心血を注ぐ姿をみると、なぜ同じエネルギーを1億2千万人の国民生活がかかった大事な問題にもつぎこめないのか、と。

 日本銀行が鳴り物入りで導入した「異次元緩和」が開始されてから丸4年たった。こんな政策を続けていたら近い将来、ギリシャのように社会保障の大幅削減、預金の引き出し規制を迫られかねないーーーー。

 2月上旬、参院の調査会で切々と訴えたのは参考人として呼ばれた日本総研のエコノミスト河村小百合さんである。一貫して異次元緩和に警鐘を鳴らす日銀ウォッチャーの一人だ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「河村さんが採りあげたのは量的緩和政策の「出口」をめぐる日米当局の説明ぶりの差である。日米は同じように大量の国債を買い上げた。

 ただし米当局はできるだけ早く手じまいしようと方策を練り、それを公表してきた。

 その点が日銀と大きく異なる。

 黒田東彦総裁は記者会見でも国会答弁でもずっと、

 「出口の議論は次期尚早」の一点ばり。明確な説明を避ける。

 米当局は金融政策を正常化させるため、ため込んだ220兆円分の米国債を来年から3年かけ放出する見込みだ。

 そうなると長期金利は上昇し財政も経済も厳しくなる。不都合な政策だが、それでもやる。

 「それぐらいの覚悟がなければこんな政策はやっちゃいけない」と河村さんは言う。

 かたや日銀。2年と区切って始めた異次元緩和は4年たっても出口が見えない。その間、政府財政を支えるがごとく国債を大量に買い続け、いまや残高は400兆円超。さらに増やし続けていく。

 日銀の出口では、米国よりずっとひどい国際ショックが想定される。金利の逆ざやで日銀の損失は総額数十兆円規模になるともいわれ、財政への影響も計り知れない。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「河村さんはこう例えた。

 「一億国民が同じ飛行機に乗っている。外の景色はきれいだが、先に乱気流がある。

 飛べば飛ぶほど近づいていくのに、コックピットではそれに備えた議論をしていない」

 出口が遠くなれば、それだけ先々の国民生活への影響も甚大になる。

 物価にも、経済成長にも効果がうかがえない異次元緩和を続ける意味がどこにあるのか。

 その問いに説得力ある答えを示さないまま、政策がドロ沼化していく。

 総裁の任期は1年。おそらくポスト黒田体制もこの政策を引き継ぐことになる。

 その先に平和な出口は見通せない。

 それでも総裁は語らず政権も見て見ぬふり。

 ならば野党がそこを追求し、一刻も早く出口論議を始めさせるべきではないか。

 河村さんの警鐘に何人かの国会議員は危機意識を共有した。

 だが、残念ながら、その後も国会論議ではこの問題はほとんど採りあげられていない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「米当局は金融政策を正常化させるため、ため込んだ220兆円分の米国債を来年から3年かけ放出する見込みだ」とのこと、

 「そうなると長期金利は上昇し財政も経済も厳しくなる」とのこと、

 「かたや日銀。2年と区切って始めた異次元緩和は4年たっても出口が見えない」とのこと、

 「政府財政を支えるがごとく国債を大量に買い続け、今や残高は400兆円超。さらに増やし続けていく」とのこと、

 「日銀の出口では 、米国よりずっとひどい国債ショックが想定される。金利の逆ざやで日銀の損失は総額数十兆円規模になるともいわれ、財政への影響は計り知れない」とのこと、等々を知ることができた。

 筆者の指摘のように、国会で野党には異次元緩和の出口問題についての、議論を深めてほしいところだ。

 ただ、出口に待っているものは、予測されるだけでも「社会保障の大幅削減」「大増税」「預金の引き出し規制」等々のリスクだ。

 予測されない、想定外のリスクを考えると、与党も野党も避けたくなり逃げたくなる気持ちは、わからないでもない。

 が、それを乗り越えるのが真の勇気ある政治家のような気がするが?

 


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by sasakitosio | 2017-04-09 09:47 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月2日付朝日新聞社説に、教育勅語のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「安倍内閣が教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまで否定しない」とした答弁書を閣議決定した。

 この決定に強い疑念を抱く。

「朕(明治天皇)」が「臣民(国民)」に示した教えが教育勅語だ。

 天皇と国家への服従を説き、国民を戦争へと駆り立てる役割を果たした。国民に批判の自由はなかった。

 親孝行、夫婦仲良く、友達を大切に。教育勅語が説く徳目を肯定的に捉えるべきだ、という主張も自民党などにある。

 だが教育勅語の本質は、こうした徳目を実行することで、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」(いざという時には一身を捧げて皇室国家のために尽くせ)と国民に求めたことだ。」と切り出した。

 続けて社説は、「こうした歴史的事実を教えるための資料として教育勅語を使うことはあってもいい。

 だが、安倍内閣の思惑はそれにとどまるまい。

 「戦後レジームからの脱却」を説いてきた首相、復古的な憲法改正草案をもつ自民党、教育勅語を「全体として」肯定する稲田防衛相・・・・・。

 この内閣の言動や思想を併せ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環と見なければならない。

 これが教育現場でのなし崩しの教育勅語復権につながる恐れは否定できない。

 松野文部科学相は教育勅語の授業での活用について「適切な配慮の下であれば問題ない」としているが、何が「適切」なのか、どう判断するのか。」と指摘した。

 最後に社説は。「教育勅語は終戦後の1948年、衆院で排除の、参院で失効の決議がされた。

 参院決議はこう述べている。

 「われらは日本国憲法にのっとり、教育基本法を制定し、わが国とわが民族を中心とする教育の誤りを払拭し、真理と平和を希求する人間を育成する民主主義教育理念を宣言した。教育勅語がすでに効力を失った事実を明確にし、政府は勅語の謄本をもれなく回収せよ」

 今回の閣議決定は、この決議と真っ向から対立する。

 親孝行などの徳目は大事だ。

 しかしそれは、教育勅語という「過去の遺物」を持ち出さなければ、子供たちに教えられないものではない。

 教育勅語は国民主権、基本的人権の尊重など現行憲法の基本原則と相いれない。子供たちを教え、導く学校現場にふさわしい教材とは到底、言えない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「安倍内閣が教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない」と答弁書を閣議決定した」とのこと、

 「教育勅語は終戦後の1948年、衆院で排除の、参院で失効の決議がなされている」とのこと、

 「今回の閣議決定は、この決議と真っ向から対立する」とのこと等を教えてもらった。

 憲法や教育基本法に丸ごと違反している「教育勅語」を、教材として使う道は、教育勅語がどれほど憲法や教育基本法に反しているかを教える道しかないのではと、思った。

 


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by sasakitosio | 2017-04-08 07:41 | 朝日新聞を読んで | Trackback

4月3日朝日新聞朝刊 4 面に、「政治断簡」と言う欄がある。筆者は、世論調査部長・前田直人氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「「予測不能な変数」と言う言葉を、かって国会取材で政治家からよく聞いた。

 政局予測を連立方程式に見立て、何が状況を一変させるか分からないという意味だ。

 大阪府の学校法人「森友学園」への国有地売却問題はまさにそのたぐいだろう。

 年末年始の外交姿勢で内閣支持率を浮揚させた安倍晋三首相は1月の施政方針演説で「建設的な議論をたたかわせ、結果を出していおう」と言って余裕を見せたが、翌月に想定外の森友問題が発覚。

 政権はあわてふためき、国会はいまや、無理を重ねた政府の「強弁」と疑惑追及の迷宮と化している。

 疑惑の目は首相夫妻、自民、維新へ向かうのだが、渦中の首相夫人は公の場での説明を避け、「小学校認可は大阪府」と自民党が言えば、党代表の大阪府知事の維新は国有地を管轄する財務省などの「忖度」を指摘。何かと協調してきた官邸・自民・維新のトライアングルが、妙な不協和音を打ち鳴らしている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「維新の根城の大阪を舞台に、改憲を求める右派人脈から飛び出したスキャンダルだけに、政治的意味は重い。

 首相にとって維新は、自公に加えて衆参3分の2の「改憲勢力」を形成する大事なパートナー。

 どうも、「安倍改憲」メカニズムがきしみ始めたように感じるのだ。

 その意味でさらに大きな変数となるのは、今夏の東京都議選。

 こちらは、自公にヒビを入れる作用を生んだ。

 3月13日、公明は小池百合子・東京都知事を中心とする「小池新党」と都議選で相互推薦すると発表し、永田町に衝撃が走った。公明は「国政選挙での自公の信頼関係は揺るがない」とフォローするが、公明依存が染みついた自民にとっては心中穏やかではない。

 1993年6月28日付の朝日新聞(東京本社版)を見ると、都議選結果を一面トップで報じていた。

 「日本新党が大躍進」の大見出しに、日本新党の細川護煕代表の隣で党選対本部長の小池氏が歓喜する写真。

 「新党ブーム」が起きて、直後の衆院選で自民は下野し、55年体制が崩壊した。

 当時の小池氏は、政党秩序を崩す再編の先頭走者の一人だった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「今の小池氏に、日本新党のDNAが残っているかはわからない。しかし、最近の永田町では、「小池旋風」の予兆におののき、都議選前の衆院解散や衆院・都議選ダブル論まで想像が広がる。

 「自公維3分の2」を重視する首相に、今議席を減らすリスクを取るメリットがあるとは思えないが、そんなささやきが漏れるほど、先行きが読めなくなっているのだ。

 後半国会では「森友」とともに、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」法案が控える。

 この法案は「監視社会につながる」として、市民らの反対運動が広がっている。政権の体力は、都議選までにさらに消耗するかもしれない。

 「森友」「小池」の二つの変数は、「安倍一強」をどこまで揺らすのか。夏をにらむ攻防から、目が離せない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「維新の根城の大阪を舞台に、改憲を求める右派人脈から飛び出したスキャンダルだけに、政治的意味は重い」との指摘、

 「さらに大きな変数となるのは今夏の東京都議選。こちらは、自公にヒビを入れる作用を生んだ」との指摘、等々の指摘は面白い。

 また、「1993年6月28日付朝日新聞朝刊(東京本社版)一面トップで「日本新党大躍進」の見出しがでた」とのこと、

 その後「新党ブーム」が起きて、直後の衆院選で自民は下野し、55年体制が崩壊した」とのこと、等々を知ることができた。

 そして、「最近の永田町では「小池旋風」予兆におののき、都議選直前の衆院解散や衆院・都議選ダブル論まで想像が広がる」とのことで考えると、「新党ブーム」から安倍政権退陣・崩壊へと、予測不能な変数効果が出るかもしれない。

 


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by sasakitosio | 2017-04-05 19:53 | 朝日新聞を読んで | Trackback