憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

 11月12日付朝日新聞朝刊15面に、「科学季評」という欄がある。

 筆者は、京都大学総長・山極寿一氏だ。
 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「けいはんな学研都市で先月「けいはんな情報通信フェア2017」が開かれた。

 会場には自動運転に備えるドライバーモニタリングシステムやスマートシティセンシング、カメラと人工知能(AI)を用いた商品識別技術など、多言語自動翻訳技術、災害情報分析技術など、新技術を紹介するブースが並び、超スマート社会の到来を予感させる催しだった。

 その初日、私は「AIにはできない人間の幸せ」と題する基調講演をした。一見、AIを用いた情報通信技術の発展に水を差すように思われるだろうが、水ではなく棹さすような発言をしたつもりだ。

 人間は700万年間の進化史のすべてにわたって情報通信革命を進めてきた。方向性は一貫していて、近年それが加速したに過ぎない。

 だが、残念ながらその変化の速度に人間がついていけない。そのため、近年増えている心臓病、脳卒中、アレルギー性疾患、糖尿病などの慢性疾患と同じように、情報通信技術と人間の身体はミスマッチを起こした弊害が発見し始めている。

 いまそれをきちんと見定めたうえで、賢く技術を開発し応用できれば、人間にとって、幸せなソサエティー15.0(新たな経済社会)を構築することにつながる、」と切り出した。

続けて筆者は、「そのためには、人類の歴史をさかのぼって、なぜ情報通信技術を拡大する必要が生じたかを理解しなければならない。

 多くの人は、言葉の発明が情報通信技術の始まりだったと考えているのではなかろうか。

 しかし、人類の脳が多きくなったのは200万年前から40万年前の間で、まだ言葉を話していなかった。

 言葉が登場したのは7万年前ごろと考えられている。言葉は脳の増大に貢献したのではなく、脳が大きくなった結果として現れたのである。

 脳が大きくなった理由を問えば、他の霊長類と同様に集団の規模が拡大したためだという「社会脳仮説」がある。

 霊長類ではそれぞれの種がつくる集団の構成人数が多いほど、脳に占める新皮質の割合が高く、脳容量が大きいという傾向がある。

 つまり、日常的に付き合う仲間の数が増えるに従って、脳は多きくなる必要があったということだ。

 現代人の脳容量は約1500ccでゴリラの3倍だ。これは150人程度の集団で暮らすのに適合する。

 面白いことに、現代に暮らす狩猟採集民の平均的な村の規模は150という。40万年前から人類は150人程度の集団で暮らし、脳はそれ以上大きくならなかった。

 だが、約1万2千年前に農耕や牧畜が始まり、自ら食料を生産し貯蔵するようになって、人口が急に増え始めた。

 農耕が始まったころの地球上の人口は500万人~800万人。

 産業革命の起こった18世紀に7億人を、電話が発明された19世紀に10億人を超え、今や70億人を突破している。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「情報通信技術の発展は、この人口規模の急速な拡大に伴うものである。

 時間と距離を無視して多くの人々と交信でき、膨大な量のデータを瞬時に解析して的確な情報を送り続ける技術があるからこそ、私たちは人と物があふれる現代社会に生きて行ける。

 だが、これらの技術は多くの人々をつなぐ役割を果たし切れているだろうか。

 言葉は見えないものを表し、別々のものを一つにまとめる。持ち運び可能で効率的なコミュニケーションである。

 言葉は人間が広く分散しながらも、情報を交換し合いながら信頼できるつながりを保つ仕組みだった。

 でも信頼関係は言葉だけでは紡げない。

 他の霊長類と同じように人間は五感を用いて他者とつながり合う。

 共有しやすい視覚や聴覚ではなく、嗅覚、味覚、触覚の方が信頼を高めることに役立つ。

 脳を大きくした人類は言葉によって視覚や聴覚を広げて情報世界を広げ、他の五感によって信頼関係を保持してきたのではないかと思う。

 近年、ネットやスマホで得られる視覚、聴覚情報は格段に増えた。センサー技術も進み、人間の五感を超える分析が可能になった。

 しかし、人間はまだこうした技術を使って、信頼する仲間を増やせないでいる。

 100万人を超える都市に暮らしながら、信頼できる仲間は150人を大きく上回ることがない。むしろ、スマホ、フェイスブック、LINEで頻繁に連絡を取り合う仲間の数は減っている。しかも、顔を合わさずに連絡を取り合うため、身体感覚でつながることが出来ず、強固な信頼関係を作れないでいる。

 これからAIを用いた情報通信技術は、あらゆる情報をデータにして物や人をネットワークを密にしていくだろう。

 それは安全な環境をつくるのに大いに役立つはずだ。だが、現代は安全イコール安心ではない。

 安心は信頼できる人の輪がもたらすものだからだ。

 いくら安全な場所にいても、仲間に裏切られたちまち危機に見舞われる。

 私たちは今豊かな情報に恵まれながら、個人が孤独で危険に向き合う不安な社会にいるのである。

仲間と分かち合う幸せな時間はAIには作れない。それは身体に根差したものであり、効率化とは正反対なものだ。

 それを賢く組み込むような超スマート社会を構成する必要があると私は思う。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「けいはんな学研都市で先月「けいはんな情報通信フェア2017が開かれた」とのこと、

 「会場には自動運転に備えるドライバーモニタリングシステムやスマートシティセンシング、カメラと人工知能(AI)を用いた商品識別技術、多言語自動翻訳技術、災害情報分析技術など、新技術を紹介するブースが並び、超スマート社会到来を予感させる催しだった。」とのこと、

 「人類の脳が大きくなったのは200万年まえから40万年前の間で、まだ言葉を話していなかった。言語が登場したのは7万年前ごろと考えられている。」とのこと、

 「言葉は脳の増大に貢献したのではなく、脳が大きくなった結果として現れたのである。脳が大きくなった理由を問えば、他の霊長類と同様に集団の規模が拡大したためだという「社会脳仮説」がある。」とのこと、

 「現代人の脳容量は約1500ccでゴリラの脳の3倍だ。これは150人程度の集団で暮らすのに適合する。」とのこと、

 「約1万2千年前に農耕や牧畜が始まり、自ら食料をを生産し貯蔵するようになって人口が急に増え始めた。農耕が始まったころの地球上の人口は500万~800万人。産業革命の起こった18世紀に7億人を、電話が発明された19世紀に10億人を超え、今や70億人を突破している。」とのこと、

 「情報通信技術の発展は、この人口規模の急速な拡大に伴うものである」とのこと、

 「言葉は人間が広く分散しながらも、情報を交換し合いながら信頼できるつながりを保つ仕組みだった。」とのこと。

「信頼関係は言葉だけでは紡げない。他の霊長類と同じように、人間は五感を用いて他者とつながり合う。共有しやすい視覚や聴覚だけではなく、嗅覚、味覚、触覚の方が信頼を高めることに役立つ」とのこと、

 「現代は安全イコール安心ではない。安心は信頼できる人の輪がもたらすものだからだ。」とのこと、

 「仲間と分かち合う幸せな時間はAIにはつくれない。それは身体に根差したものであり、効率化とは正反対のものだ」とのこと、等々を教えてもらった。

 かねがね、世界から戦争を減らすには「言語の壁」をまず取り払い、疑心暗鬼から起こる「衝突」の回数を減らすことが必要だと思ってきた。

 だから、AIを用いた多言語自動翻訳技術の発展と「自動変換装置付き電話」の商品化を急いでほしいと思った。

 あわせて、世界の何処でも「居酒屋」「喫茶店」があって、五感を用いて他者とのつながりの持てる「空間」づくりが必要、と思った。

 それを日本で、東京オリンピック開催時に実現出来たら、文字通りオリンピックは「平和の祭典」になるような気がした。

 

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-18 07:34 | 朝日新聞を読んで | Trackback

 11月17日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。
 筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「キリスト教徒は自分が所属する教会を持っている。私は京都にある日本基督教団(日本におけるプロテスタントの最大教派)の教会に属している。牧師は同志社大神学部の教授を長年務めた野本真也先生だ。私は月に一回、土曜日に神学部で集中講義を行って、翌日、礼拝に出席してから東京に戻るようにいる。

 12日の礼拝で、野本先生の前に、3歳と5歳の子どもが出てきて祝福を受けた。その後子どもたちは、千歳飴をもらった。キリスト教版の七五三だ。

 野本先生は説教で「日本のキリスト教はピューリタニズムの影響を受けた宣教師によって導入されたので、土着の習慣を迷信として切り捨てる傾向があるが、それは間違えている。日本に根付いている七五三を教会でも祝うので構わない」と話した。」と教えてくれる。

 続けて筆者は、「優れた神学者だから、こうしてキリスト教を日本に土着化させる努力ができるのだ。クリスマスだって、そもそもはヨーロッパ土俗宗教の冬至の祭りだ。現在のようにクリスマスのお祭り騒ぎがなされるようになったのは、第二次世界大戦後のアメリカで起きた現象で、それが世界に広がった。純粋なキリスト教は存在しない。

 それぞれの土地土地の文化に土着できるところに世界宗教としてのキリスト教の強さがあると、教会での七五三の儀式をみて再認識した。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「キリスト教徒は自分が所属する教会を持っている」とのこと、

 「野本先生は説教で「日本のキリスト教はピューリタニズムの影響を受けた宣教師によって導入されたので、土着の習慣を迷信として切り捨てる傾向があるが、日本に根付いている七五三を教会でも祝うので構わない」とはなしたとのこと、

 「クリスマスだって、そもそもヨーロッパ土俗宗教の冬至の祭りだ。現在のようにクリスマスのお祭り騒ぎがなされるようになったのは、第二次世界大戦後のアメリカで起きた現象で、それが世界に広がった。」とのこと、等々を教えてもらった。

 ある年の年末年始の休みが9日間あった時、ローマ一人歩きをした。サンピエトロ寺院の柱に一本一本抱きついてきた。ピエタの彫刻を見て、天地創造の絵を見て、ガリレオが裁判にかけられたという教会をはじめ教会のハシゴをした。

 そこで、クリスマスは24日のイブと25日で終わりでなく、一月初めまで続いているのに驚いた。そして、サンピエトロ寺院の広場に設けられた「キリスト誕生の小屋の模型」をみて、立っていたのは「馬」ではなく「牛」だったのに驚いた。

 小さいころから、キリストは馬小屋で生まれたと聞いていたので、オヤッと持った。

 そして、その後ある年の年末年始ロンドン一人歩きをしたときに、大英教会を訪れて、そこに飾ってあった「キリスト誕生の小屋の模型には、馬が居た」ので、すこしほっとした。

 野本先生の「日本のキリスト教はピューリタニズムの影響を受けた宣教師によって導入された」とのことで一応納得した。

 また、趣味の講談で「内村鑑三一代記」を口演するために、お墓参りから、文献調査、講演会への出席、などなどやってみて、内村鑑三氏は日本人として世界的な偉大なキリスト教徒であったことを初めて知った、事を思い出した。


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# by sasakitosio | 2017-11-18 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

11月16日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。
 筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「そっと肘でつついて気付かせることをナッジという。不注意や短慮や惰性から生じる人々の誤りを政府が優しく注意してやれば、法や規制に頼らずに是正できる。

 ナッジと題してこう論じた本がよく売れて、英米の前政権にも影響力を持った(邦訳は「実践行動経済学」)。著者の一人はノーベル経済学賞を得た。」と切り出した。

 続けて筆者は、「運転免許の申請書類に臓器提供する旨の項目を設けておけば、その初期設定が変更可能でも臓器提供者は増える。

 たばこの包装に肺がんの写真を載せれば喫煙者は減るし、納税督促状の言葉遣いや道路標識を工夫すれば効果が期待できる。

 カネもかからずイデオロギー的にも中立だ。

 だが、当初から強力な批判があった。

 これは結局、政治家や官僚が国民を「刺激に反応する操作可能な消費者」と見下すことではないか。討論や対話で民衆自身が学んでいくといった自立と熟慮の理想とはかけ離れた考え方だ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「事実、人々は政府のナッジを悟ると反抗する傾向があるという。労働と生活に追いまくられる低所得者層は善意のナッジにも反応薄だという研究もある。

 原発や地球温暖化や政権選択などの重大問題は本来、ナッジの範囲外だ。

 労働や格差や膨大な広告などの商品経済の経験こそ、小さなナッジを跳ね返す我々の意識と無意識の初期値なのである。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「当初から強力な批判があった」とのこと、

 「討論や対話で民衆自身が学んでいくといった自律と熟慮の理想とはかけ離れた考え方だ」とのこと、

 「労働と生活に追いまくられる低所得層は善意のナッジにも反応薄だという研究もある。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 筆者の「原発や地球温暖化や政権選択などの重大問題は本来、ナッジの範囲外だ。」との指摘は、その通りだと思う。こういう重大問題は「討論や対話」で民衆自身が学びながら「自立と熟慮」が必要で、政府や官僚の優しい「ナッジ」に惑わされてはならない「事」だと思った。 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-17 06:25 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月15日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、文芸評論家・齋藤美奈子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「吉野源三郎「君たちはどう生きるか」は1937年(昭和12)年の本である。

 旧制中学一年生のコぺル君(本名は本田潤一)と仲間たちの物語にコぺル君の叔父がつづった「おじさんのノート」を平禄した本で、私がはじめて読んだのは小学5年生のころ。油揚げは豆腐を揚げたものであることはこの本で知った。」と切り出した。

 続けて筆者は、「その「君たちは・・」が売れ行きを伸ばしているそうだ。8月にマガジンハウスから新装版と漫画版が刊行され(漫画版は50万部超!)、旧来の岩波文庫版も好調とか。

 10年程前、非正規雇用者の増大で、小林多喜二「蟹工船」が売れたのと同じような現象?

 軍国主義が跋扈する時代。「君たちは・・」が誕生した背景を、吉野源三郎は次のように記している。<この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があることを、何とか伝えておかなければならない>」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「しかし、歴史はどう動いたか。37年は日中開戦の年。この年に13~14歳だったコぺル君たちは、43年には19~20歳。学徒出陣の世代に当たる。彼らみたいな少年たちが6~8年後には戦争に動員されて命を落としたのである。

 と思うと穏やかではいられない。「偏狭な国粋主義と反動的な思想」に抗う本の好調を喜ぶべきか嘆くべきか。37年と2017年の符号が気にかかる。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 筆者は、「吉野源三郎「君たちは今どう生きるか」は1937(昭和12)年の本である」とのこと、

 「その「君たちは・・」は売れ行きを伸ばしているそうだ。8月にマガジンハウスから新装版と漫画版が刊行され(漫画版は50万部超!)、旧来の岩波文庫版の好調とか。」とのこと、

 「軍国主義が跋扈する時代。「君たちは・・」が誕生した背景を、吉野源三郎は次のように記している。<この人々には。偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化があることを、何とかして伝えておかなければならない>」とのこと、等々を教えてくれた。

 そして筆者は、「「偏狭な国粋主義と反動的な思想」に抗う本の好調を喜ぶべきか嘆くべきか。」と問いかける。

 私は、喜ぶべきだと思っている。自由で豊かな文化が壊されそうな現実に、本を買って読むことで、抗う人々が一人でも増えそうな予感がするから。


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# by sasakitosio | 2017-11-16 06:47 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月14日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「日曜日。福岡市の西南学院大学で「林えいだいさんお別れの会」があった。

 林さんとのつきあいは彼が68年に自費出版した、新日鉄など北九州工業地帯の公害を告発した写真集「これが公害だ」の直後からで、47,8年になっていた。

 北九州市は八幡、戸畑、小倉など海岸に進出した大企業の城下町の寄り合い。その市役所職員だった林さんが敢然と行政と大企業に歯向かった。彼の記録作家としての執念は、西嶋真司監督の記録映画「抗い」に活写されている。」と切り出した。

 続けて筆者は、「焔炎々 波濤を焦がし 煙濛々 天に漲る 天下の壮観わが製鉄所 

 八幡市の市歌だが、溶鉱炉や製鋼工場は情け容赦もなく、濛々と煙を吐き散らし、「壮観」のもとで、子どもたちはぜんそくに苦しんでいた。空も海も真っ黒だった。

 林さんは八幡の公害告発から出発して、筑豊や軍艦島の朝鮮人炭鉱員や日本の植民地だった台湾先住民の蜂起事件(霧社事件)、特攻隊生存者の記録などを書き続け、9月に他界した。

 83歳だった。その半年前、田川市の自宅を訪問したとき、彼はあと10冊書きたいと真顔だった。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「九州から上野栄信、森崎和江、石牟礼道子、松下竜一、川原一之、岡本達明など記録作家が輩出したのは、鉄鋼、炭鉱など明治期以来、資本主義の歴史の闇が深かったからだ。記録の火種を残したい。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「日曜日。福岡市の西南学院大学で「林えいだいさんお別れの会」があった。」とのこと、

 「北九州市は八幡、戸畑、小倉など海岸に進出した大企業の城下町の寄り合い。その市役所職員だった林さんが敢然と行政と大企業に歯向かった。」とのこと、

 「彼の記録作家としての執念は、西嶋真司監督の記録映画「抗い」に活写されている。」とのこと、

 「林さんは八幡の公害告発から出発して、筑豊や軍艦島の朝鮮人炭鉱員や日本の植民地だった台湾先住民の蜂起事件(霧社事件)、特攻隊生存者の記録などを書き続け、9月に他界した。83歳だった。」とのこと、 等々を知ることが出来た。林えいだいさんは、偉い、頭の下がる「人物」であったことを初めて知ることが出来た。

 なかなか、まねのできない「偉人」が、現在の自分が知らないだけで、沢山いるのかもしれない、と思った。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-15 06:44 | 東京新聞を読んで | Trackback

 119日付東京新聞朝刊4面に、「太郎の国際通信」という欄がある。 筆者は、ジャーナリスト・木村太郎氏氏だ。

 今日は、この筆者は学ぶことにした。

 まず筆者は、「「炭鉱のカナリア」という言葉がある。

 カナリアは毒物に敏感なので、炭鉱員が炭鉱内に連れてゆき鳴き声が止まることで毒性のガスが漏れていることを察知するのに利用したという。

 中東のレバノンという国は、言ってみれば地域に危険が迫っていることを告げるカナリアのような存在と言われてきたが、どうもその鳴き声が止まったそうなのだ。

 レバノンのハリリ首相は4日、サウジアラビアからのテレビ放送という異例の方法で辞意を表明した。

 「(レバノンを取り巻く)環境は、ラフィク・ハリリが暗殺される直前の状況に酷似してきた。

 私の命を狙う陰謀が身近に迫っていることを感じる」

 ラフィク・ハリリというのは父親の元首相で、20052月にベイルート市内で自動車テロで暗殺された。元首相は当時レバノンに進駐していたシリア軍の即時撤退を求めており、親シリア派の犯行と考えられていたが、今回息子のハリリ首相は身に迫る危険の相手を明らかにしていない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「レバノンは多宗教国家で、大統領はマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒と権力を分散することで安定を図ってきた。

 しかし、最近はイランに支援されたシーア派イスラム教徒の軍事組織ヒズボラが政治的、軍事的に力をつけて、このバランスが崩れかかっているといわれていた。

 ハリリ首相がスンニ派の総本山であるサウジアラビアから辞意を表明したのも、ヒズボラの脅威を感じてのことと思わせるのに十分だ。

 では、今後レバノンがどうなるかだが、それはハリリ首相の辞任に対する各国の反応で見えてくるものがある。

 「神よ、サウジアラビアの無謀な蛮行から守りたまえ」(ヒズボラ中央委員会カウーク委員)

 「ハリリの辞任は米国のトランプとサウジアラビアのビン・サルマン(皇太子)の陰謀だ」(イラン最高権威のアルイスラム顧問)

 「(イラン)の背信や攻撃の手を断ち切らなければならない」(サウジアラビア湾岸諸国担当サブハン大臣)

「これはイランの攻勢に国際社会が対抗策を取るよう促す警鐘だ」(ネタニヤフ・イスラエル首相)」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「これでレバノンでは、ヒズボラとスンニ派やカロンはキリスト教徒との全面的な衝突が始まることが予想されるが、それはとりもなおさずイランとサウジアラビアの代理戦争なのではないか。

 同時に、トランプ政権の対イラン政策の見直し問題が絡むと中東全体に波紋が及ぶことも考えられる。

 中東のカナリアは、怖いことを告げているようだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「中東のレバノンという国は、言ってみれば危険が迫っていることを告げるカナリアのような存在と言われてきた」とのこと、

 「レバノンは多宗教国家で、大統領はマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒と権力を分散することで安定を保ってきた」とのこと、

 「レバノンのハリリ首相は4日、サウジアラビアからのテレビ放送という異例の方法で辞意を表明した」とのこと、

 「今後レバノンがどうなるかだが、それは、ハリリ首相の辞任に対する各国の反応で見えてくるものがある」とのこと、

 「「神よ、サウジアラビアの無謀な蛮行からレバノンを守りたまえ」(ヒズボラ中央委員会カウ―ク委員) 

 「ハリリの辞任は米国のトランプとサウジアラビアのビン・サルマン[皇太子]の陰謀だ」(イラン最高権威のアルイスラム顧問)

「(イランの)背信や攻撃の手は断ち切らなければならない」(サウジアラビア湾岸諸国担当サブハン大臣)

 「これはイランの攻勢に国際社会が対抗策を取るよう促す警鐘だ」(ネタニヤフ・イスラエル首相)」とのこと、等々を教えてくれた。

 そして筆者は、「これでレバノンでは、ヒズボラとスンニ派やマロン派キリスト教徒との全面的な衝突が予想されるが、それはとりもなおさずイランとサウジアラビアの代理戦争なのではないか」と指摘した。

 戦争は、いかなる理由があろうと「悪」である。

 宗教の違いが、戦争の原因になるということはおかしいと思う。

 エルサレムを一人歩きして、神殿の丘でも、嘆きの壁でも、聖墳墳墓教会でも、真摯な祈りをささげてきた。そして、真摯な祈りをささげている大勢の人々を見た。

 そして、一つの結論を得た。

 「十字切り 祈る姿に 神宿る」

 「壁に向かい 祈る姿に 神宿る」

 「身を投げて 祈る姿に 神宿る」

 また、過日ブッタガヤでの真摯な祈りをしてきた。

 そして「手を合わせ 祈る姿が 仏なり」との結論を得た。

 信じる対象が違っても、真摯な祈りは共通であった。
 この真摯な祈りから、戦争が導かれるはずがない、と確信した。

 宗教の違いが戦争に発展するのは、神と人間との間に入る「人」に問題があるのではないか、と思っている。

  


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# by sasakitosio | 2017-11-14 06:42 | 東京新聞を読んで | Trackback

 11月12日付朝日新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・山口二郎氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「政治学者、白井聡氏が書いた「永続敗戦論」は日米関係を鋭利に分析する好著である。日米戦争に敗れた後、日本は米国の占領下で政治体制を再構築し、日米安保体制に組み込まれて、外交・安全保障に関しては従属国となった。

 ナショナリストを自称する保守派の政治家は、安全保障面での対米従属という現実からは目を背け、敗戦による憲法体制の変革に対する怨念を米国ではなく、国内に向けて発散してきた。 これが同書の要点である。」と切り出した。

 続けて筆者は、「今回のトランプ訪日とこれをめぐるメディアの報道は、白井氏の議論を実証するものであった。

 米国は日本を最も重要なパートナーと考えているのは日本側の勝手な思い込みである。

 最大のおもてなしであるはずのゴルフ場で、大統領は首相のミスショットにイラついてさっさと先に進み、ツイッターでは日本にたくさん買い物をさせたぜと、品のない自慢を書いていた。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、メディア、特にNHKテレビは、もっぱら両首脳の蜜月関係をこれでもかと映していた。従属の現実を覆い隠すために国民を洗脳するようなものである。

 大統領の言いなりに武器を購入することの是非についての深い検証は少なかった。

 大統領を急いで追いかけようとしてバンカーの縁から転げ落ちた首相の姿は、日本という国そのものの象徴であった。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「日米戦争に敗れた後、日本は米国の占領下で政治体制を再構築し、日米安保体制に組み込まれて、外交・安全保障に関しては従属国となった。」との指摘、

 「ナショナリストを自称する保守派の政治家は、安全保障面での対米従属という現実からは目を背け、敗戦による憲法体制の変革に対する怨念を米国にではなく、国内に向けて発散してきた」との指摘、二つの指摘で理解できた事がある。

 それは、一方で、憲法を押し付け憲法といいながら、他方で、外交・安保での対米追従は何だろうと言うことだ。

 また、「ゴルフ場で、大統領は首相のミスショットにイラついてさっさと先に進み、ツイッターでは日本にたくさん買い物を指せたぜ、と品のない自慢を書いていた。」とのこと、

 「メディア、特にNHKテレビは、もっぱら両首脳の蜜月関係をこれでもかと映していた。従属の現実を覆い隠すために国民を洗脳するようなものである。」との指摘、

 「大統領を急いで追いかけようとしてバンカーの縁から転げ落ちた首相の姿は、日本という国そのものの象徴であった。」との指摘、

 いずれの指摘も、独立・自治の気概をもつ国民の一人として、情けないとしか言いようがない。


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# by sasakitosio | 2017-11-13 06:49 | 東京新聞を読んで | Trackback

 119日付朝日新聞朝刊社説に、「ロシア革命(10月革命)」のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「世界を揺るがしたロシア革命(10月革命)から、きのうでちょうど100年を迎えた。

 内戦を経て生まれた世界初の社会主義国ソ連は、飢饉や弾圧などで膨大な犠牲者を出した。

 一方で、米国などの資本主義陣営に対抗する価値観を示し、20世紀の世界を2分した。」と切り出した。

 続けて社説は、「ソ連は1991年に崩壊し、稀代の「実験」は失敗したが、革命の歴史は、今後の世界の針路を探る手がかりを残した。

 本家ロシアでは、あの革命の輝きは失われている。プーチン大統領は05年、11月7日を国民の祝日から外した。

 革命について「時代遅れを放置する人、転換を求めて破壊へ進む人、双方が無責任だから起きる」と突き放す。

 一方で、今なおロシア革命をたたえる国もある。中国の習近平氏は先月の中国共産党大会で「10月革命の砲声がとどろいて、中国にマルクス・レーニン主義が送り届けられた」と建国の歴史を誇った。

 だが、共産党一党独裁のソ連を範にした

態勢を続ける中国、北朝鮮、キューバなどの国々は、自由、人権、平等など理想とほど遠い状況だ。」と指摘した。

 さらに社説は、「人権を進歩させるために社会主義革命は不可避だと考えは色あせた。だが冷戦に勝利したはずの資本主義・自由主義陣営の国々も今、よりよい未来を目指すための羅針盤を失ったかのように漂流している。

 グローバル化は世界の格差の構造を複雑にした。新興国の豊かさを増した反面、先進国で格差の不満が高まり、ポピュリズムが既成の政治を脅かす。

 富の集中に警告を発するフランスに経済学者ピケティ氏の論著が注目され、米国の「サンダース現象」など不平等への異議申し立てが相次いでいる。

 自由と民主主義を掲げる従来の政治が閉塞感に覆われる今、政治家が人気取りのために「革命」という言葉を乱用するのは時代の皮肉というほかない。

 公正で平等を保障する社会を築くには、民主主義への問いかけを続けるしかない。

 その今の現実と今後の指針を考えるうえでも、ロシア革命とその後の現代史は今日的意味を持つ、」と指摘した。

 最後に社説は、「日本もロシア革命に深くかかわった。革命翌年、反革命派の支援の為に日本軍がロシアに上陸し、一時はシベリア中部まで進軍した。

 最後のサハリン北部からの撤退は7年後だった。

 この「シベリア出兵」は、日本への警戒感をソ連に刻んだ。

 北方領土問題やシベリア抑留と共に、日ロ関係を考える上で忘れてはならない歴史である。」として締めくくった。

 今年の正月はサンクトペテルブルグにいた。地下鉄モスクワ駅の革命広場にもたったが、主目的は「エルミタージュ美術館」「エカテリーナ宮殿の黄金の間」「千島樺太交換条約の行われた宮殿」等々であった。

 社説を読んで改めて勉強になった。

 「本家ロシアでは、あの革命の輝きは失われている。プーチン大統領は05年、11月7日を国民の祝日から外した。

 革命について「時代遅れを放置する人、転換を求めて破壊へ突き進む人、双方が無責任だからおきる」と突き放す。」とのこと、

 「「中国の習近平氏は先月の中国共産党大会で、「10月革命の砲声がとどろいて、中国にマルクス・レーニン主義が送り届けられた」と建国の歴史を誇った。」とのこと、

 「人類を進歩させるために社会主義が必要だという考え方は色あせた。」との指摘、

 「自由と民主主義を掲げる従来の政治が閉塞感に覆われる今、政治家が人気取りのために「革命」という言葉を乱用するのは時代の皮肉というほかない。公正で平等を保障する社会を築くには、民主主義への問いかけを続けるしかない。」との指摘、等々を知り、理解することが出来た。

 いまだ、「共産党一党独裁のソ連を範とした体制を続ける中国、北朝鮮、キューバなどの国々では、自由、人権、平等などで、理想にほど遠い状況だ」とのことである。そんな人権抑圧の体制は、近々内部からの民主化運動で崩壊すると思うが、その後に資本主義しか待っていない現状は、困ったものだ、と思っている。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-12 19:03 | 朝日新聞を読んで | Trackback

113日付東京新聞社説に、「憲法公布71年」という見出しで、日本国憲法のことが載った。

 今日はこの社説を学習することした。

まず社説は、「71年前の今日、日本国憲法が公布された。それが今や自民党の9条改憲論で揺さぶられる。平和主義がこの憲法の大価値観であることを確かめたい。

 日本国憲法では国民の権利などを定めた第三章の前、第二章に戦争放棄が置かれている。

 天皇が第一章であるから、日本国憲法の特徴をよく表した順に書かれていると説明されることが多い。

 だが、憲法学者の杉原泰雄一橋名誉教授は違う解釈をしている。 

 なぜ権利より戦争放棄が先なのか。

 杉原氏が子ども向けに書いた「憲法読本」(岩波ジェニア新書)でこう説明する。」と切り出した。

 続けて社説は、「<伝統的には。軍隊と戦争は、外国の侵略から国家の独立と国民の基本的人権を守るために手段だと考えられてきました>

 <明治憲法下の戦争は一般の国民にも他の諸民族にも大変な損害と苦痛を与えました。

そして、とくに広島と長崎の経験は戦争が国家の独立と国民の基本的人権を守るものではなく、国民を見なごろしとするものに変質ことをはっきり示すものでした>

 太平洋戦争だけでも、死者・行方不明者は300万人を超え、沖縄では県民の3分の1が殺された。

 広島・長崎での犠牲は言うまでもない。

 アジア諸国の犠牲も・・・・・・・・

 戦争をしては人権を守るどころか、人命や財産まで根こそぎ奪われてしまう。

 平和なしには基本的人権の保障もあり得ない。そんな思想が憲法にあるというわけだ。

 一つの見方解釈である。

 しかし、深い悔悟を経て、自然に出てきた見方であり、さらに将来への約束でもあろう。

 このことは憲法前文から読み取れる。

 平和主義が大きな価値観として書かれているからだ。短い文章の中に「平和」の文字が次々と現れる。」と指摘した。

 さらに社説は、「<日本国民は,恒久の平和を念願し・・・>

 <平和を愛する諸国民の公正と審議に信頼して・・>

 <われらは、平和を維持し,専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう・・・>

<平和のうちに生存する権利を有する>

 かつ前文は民主主義や国民主権、平和主義を「子孫のために」や「恒久の」「永遠に」などの言葉を尽くし、将来にわたり保障されることを誓う。

 人類普遍の原理に基づくから、「これに反する一切の憲法(中略)を排除する」とも明確に述べている。

 だから、この原理に反する憲法改正は当然、許されない。

 平和主義もまた、それを打ち壊してはならないと考える。

 他国の憲法にも変えられない部分は当然存在する。

 例えば、ドイツ憲法はナチスの反省から国民主権と人権の改正は行えないし、フランス憲法では共和制の改変は出来ないなどと書き込んでいる。 

 日本国憲法でも基本的人権については「侵すことのできない永久の権利」と記す。

 平和主義も前文を読むかぎり同等であろう。

 つまり原理として書かれているのではないか。

 自民党は9条に「自衛隊明記」を打ち出している。まだ具体案が見えないが、単なる明記ですむのか。戦力不保持と交戦権否認との矛盾が問われ、論争が再燃しよう。

 何せ違憲とされる「集団的自衛権の行使」ができる自衛隊に変質している。

 それだけではない。

 憲法に書かれている機関は、天皇、内閣、国会、裁判所、会計検査院である。

 そこに自衛隊が加われば格上げは必至で防衛費は膨らむだろう。

 いまや核兵器保有論者さえも存在する。

 周辺諸国の脅威を喧伝すれば、なおさら日本が軍国路線を進み出し、軍事大国への道になりはしないか。

 それは憲法が許容する世界ではあるまい。

 平和主義からの逸脱であろう。

 「自衛隊明記」の先には戦争が待ってはいないか、それを強く懸念する。

 今はやはり憲法前文が掲げる原点にに立ち返って考えるべきときなのではなかろうか。

 吉田茂内閣で憲法担当大臣だった金森徳次郎は、70年前の憲法施行日に東京新聞(現在の中日新聞東京本社)の紙面で、日本国憲法の本質を寄稿している。

 名古屋市出身で旧制愛知一中から東京帝大、大蔵省を経て法制局長官。戦時中は失職したが終戦後、貴族院議員に勅任された人物である。」と教えてくれる。

 最後に社説は、「<今後の政治は天から降ってくる政治ではなく国民が自分お考えで組み立ててゆく政治である。

 国民が愚かであれば愚かな政治ができ、わがままならわがままな政治ができるのであって、国民はいわば種まきをする立場にあるのであるから、悪い種をまいて、収穫の時に驚くようなことがあってはならない>

 一人一人の英知がいるときだ。」として締めくくった。

 読んで改めて勉強になった。

「前文は民主主義や国民主権、平和主義を「子孫のために」や「恒久の」「永遠に」などの言葉を尽くし、将来にわたり保障されることを誓う。

 人類普遍の原理に基づくから、「これに反する一切の憲法(中略)を排除する」とも明確に述べている。

 だから、この原理に反する憲法改正論は当然許されない。平和主義もまた、それを打ち壊してはならないと考える」との指摘は、全くその通りだと思った。 

また、「ドイツ憲法はナチスの反省から国民主権と人権の改正は行えないし、フランスの憲法では共和国制の改変は出来ないなどと書き込んでいる」とのことを初めて知った。

 社説の「日本国憲法でも基本的人権について、は「侵すことのできない永久の権利」と記す。平和主義も前文を読むかぎり同等であろう。つまり原理として書かれているのではないか」との指摘はその通りだと思った。だから、この原理を変えるのは憲法改正ではなく「革命」でなかろうか、と思った。

 そして、「金森徳次郎が70年前の憲法記念日に東京新聞に寄稿した<今後の政治は天から降ってくる政治ではなく国民が自分の考えで組み立ててゆく政治である。国民が愚かであれば愚かな政治ができ、わがままならばわがままな政治ができるのであって、国民はいわば種まきをする立場にあるのであるから、悪い種をまいて、収穫の時に驚くようなことがあってはならない>とある」ことを教えてもらった。

 自分が、愚かであってはならないし、わがままであってはならないし、自分のわりに愚か者やわがまま者が居てはならない、と思った。

 


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# by sasakitosio | 2017-11-12 18:29 | 東京新聞を読んで | Trackback

 114日付朝日新聞社説に、「ルターとグーテンベルク」のことが載った。

 今日は、この社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「かって欧州は、ローマ・カトリック教会が権勢をふるう世界だった。

 その体制を揺るがしたのは、ちょうど500年前に始まった「宗教改革」である。

 15171031日、ドイツの神学者ルターが教会の扉に、「95か条の論題」を貼った。

 罪を軽くするという免罪符を売り出したカトリックの堕落を公然と批判した。

 既存の体制に抗う画期的な主張だった。

 そして折しも、グーテンベルクが発明した活版印刷が、その抵抗を数々の出版物として拡散させ、大衆のうねりをもたらした。

 これを機にキリスト教のカトリックからプロテスタントが分かれた。

 以来、人類の政治や思想に多大な影響を与え、戦争を含む世界史の背景となった。」と教えてくれる。

 続けて社説は、「今風に言えば、体制の腐敗に怒った主張が、活版印刷によるリツイートで拡散し、膨大な「いいね」を獲得。木版画もインスタグラムの画像にように分かりやすく視覚に訴えた。

 ひとびとの共通の思いを呼び覚ます言論と、新しい伝達技術の出会い。それが改革の条件だったとすれば、いまはどうか。

 既成の政治や秩序、価値観が揺らぎ、グローバル化と格差の中で憤りが渦巻く今、インターネットを手に、新たな「改革」は起きえるのだろうか。

 ネット空間には中傷やデマが蔓延し、自分に都合が悪い情報は「フェイク」だと切り捨て離る大国の首脳もいる。 国際テロ組織はネットを駆使して破壊の思想を広め、人身を集める。

 一方で、人間の自由や救済を求める営みを最も強く支えるのもネットだ。

 ノーベル平和賞を受ける国際NGOや民主化運動もネット抜きには語れない。

 時代が何時であれ、問われているには伝達の技術とともに、主張そのものの説得力なのであろう。いまの技術の先進性に対し、言説の中身を磨く力が追いついていないのではないか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「宗教改革から5世紀、「自由で平等な信仰」の夢は未完であり、不寛容な勢力は今も残る。

 しかし、その後、カトリック教会はじめ多くの宗派が時代とともに自己改革に動いた。

 この50年ほどでエキュメニズム(教会統一運動)の考え方が生まれ、和解の努力が始まっている。

 イスラムなど諸宗教との対話姿勢も根付いてきた。

 テロの不安と自国第一主義が広がり、移民難民への風当たりが強まる現代の遠い先に、世界は共生の秩序を見いだしているだろうか。

 その答えは誰にもみえないまま、風に吹かれているかもしれない。」として締めくくった。

読んで勉強になった。

 「かって欧州は、ローマ・カトリック教会が権勢をふるう世界だった。」とのこと、

 「1517年10月31日、ドイツの神学者ルターが教会の壁に、「95か条の論題」を貼った。<中略>

 そして折しも、グーテンベルクが発明した活版印刷が、その抵抗を数々の出版物として拡散させ、大衆のうねりをもたらした。」とのこと、

 「これを機に、キリスト教のカトリックからプロテスタントが分かれた。」とのこと、等々を知ることが出来た。

 そして、「人々の共通の思いを呼び覚ます言論と、新しい伝達技術の出会い。それが改革の条件だったとすれば、今はどうか」との問いは、きわめて挑戦的で刺激的だ。

 「時代が何時であれ、問われているのは伝達の技術とともに、主張そのものの説得力なのであろう。いまの技術の先進性に対し、言説の中身を磨く力が追いついていないのではないか」との指摘は、その通りだと思った。

 マスメディアの有識者からも、学者文化人の皆さんからも、地球の全体のエリアで、人類全体の問題をテーマで、宗教・政治・経済・労働・環境、等等に対する「理念と実践」を提起してほしい、と思った。伝達手段は地球全体・人類全体の規模で対応が可能となったのだから。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-11-12 16:47 | 朝日新聞を読んで | Trackback