憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

9月22付東京新聞朝刊27面に、「本園おコラム」という欄がある。 筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「安倍首相が、28日召集の臨時国会冒頭で衆議院を解散し、総選挙を行うという観測が強まっている。

 7月に危険水域まで低下していた内閣支持率が8月末から今月にかけての北朝鮮による二度の弾道ミサイル発射(いずれも日本上空を飛翔した)、核実験によって上向いた機会を利用して、解散総選挙に踏み切ろうとしているのであろう。

 政府は北朝鮮による脅威が以前と比較にならないほど深刻になっていると主張しているが、それならばこの時期に解散総選挙を行い政治空白をあえてつくる必要ない。

 また、8月初めに内閣改造を行ってから2カ月の立たないうちに総選挙を行うことにも筆者は抵抗感を覚える」と切り出した。

 続けて筆者は、「政治には権力闘争の要素がある。野党第一党の民進党が混乱し、小池百合子都知事が自らの影響力を及ぼす準備ができていない今が、自民党にとってのマイナスをできるだけ小さくできると安倍首相は考えたのであろう。

 政治記者と話をすると、安倍首相にとって喉に刺さったトゲである「森友学園」「加計学園」は争点にならないという見方が強い。

 社会部の記者と話をすると、国民の記憶力はそれほど悪くないので、この二つの問題が総選挙になれば噴き出してくるという。

 筆者の認識は社会部記者に近い。

 権力者が国民の記憶力を軽視しているように思えてならない。」として締めくくった。

 読んで面白かった。

 「政府は北朝鮮による脅威が以前と比較にならないほど深刻になっていると主張しているが、それならばこの時期に解散総選挙を行い政治空白をあえてつくる必要はない」との指摘は理解できた。

 そして、政府は北朝鮮の脅威を口では「深刻」と言いながら、本心では「心配していない」のかもしれない。政府が安心しきって「解散総選挙」に踏み切る「根拠」はなんだろう?

 「政治部記者と話をすると、安倍首相にとって喉に刺さったトゲである「森友問題」「加計問題」は争点にならないという見方が強い」とのこと、

 「社会部記者と話すと、国民の記憶力はそれほど悪くないので、この二つの問題が総選挙になれば噴き出してくるという」とのこと、等々を教えてもらった。

 どちらも当たっていそうな気がする。新聞やテレビや週刊誌や夕刊紙の取りあげ方次第のような気がする。日本新党の誕生以来、小池劇場まで、マスメデイアの影響が大きかったような気がしてならない。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-09-23 07:23 | 東京新聞を読んで | Trackback

9月21日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、法政大教授・竹田茂夫氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「元首相の田中角栄は六法全書を横に読むといわれた。大学では憲法を頂点とする体系として法を教えるが、角栄には事業や政策の関連法規のは抜け穴を活用すべき規則集と映ったはずだ。正義や福祉などの理念よりも、どう法を使いこなすかが問題だった。

 企業家の中にも、売上世界一などの陳腐な事業目的を掲げながら、実際の経営で手練手管を発揮する者がいる。変化する状況の中で生き残るために繰り出す策略や偽装は、学問に昇華する知性とは別の知の在り方で体系化も定義もできない。」と切り出した。

 続けて筆者は、「最初のヒーローは古代ギリシャの叙事詩に描かれたオデュッセウスだ。

 10年にわたる帰郷の旅で多くの難局を狡智で切り抜ける物語だが、欧州文明の「主体性の歴史」とも読めるし、大航海時代の冒険的商人や近代資本主義の経済人にもつながる(「啓蒙の弁証法」)。

 「資本主義を支える企業家精神とは何か」というシュンペーターが残した問題の回答にもなる。」と指摘した。

 最後に筆者は、「だが、現代の理念なき狡智の代表者は政治屋だ。策を弄して政権維持を図るうちに権力そのものが目的になる。政策や理念を議論の切磋琢磨で鍛えることに自信も関心もない。

 核ミサイルですごむ辺境の独裁者は倒錯した自己保全の究極の姿だが、安倍政権やお友達の米大統領の権力も何のために、誰のためにあるのか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「元首相の田中角栄は六法全書を横に読むといわれた」とのこと、

 「正義や福祉など理念よりも、どう法を使いこなすかが問題だった」とのこと、

 「変化する状況の中で生き残るために繰り出す策略や偽装は、学問に昇華する知性とは別の知の在り方で体系化も定義もできない」とのこと、等々を知ることができた。

 筆者はまた、「現代の理念なき狡智の代表者は政治屋。策を弄して政権維持を図るうちに権力そのものが目的になる。政策や理念を議論の切磋琢磨で鍛えることに自信も関心もない」との指摘は、今の安倍内閣・政権与党にそっくり当てはまる、と思った。

 そしてまた、議員の多くは、次の選挙で当選することが一番の大事で、行動の中心はそこにあるのではないか。

 「政策や理念」の切磋琢磨が、有権者の関心を引いていない、マスメデイアの注目を浴びにくい、と政治屋さんは直感して行動しているのでないか。

 そこらへんに問題があるような気がしてならない。

 

 


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# by sasakitosio | 2017-09-22 06:55 | 東京新聞を読んで | Trackback

9月20日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、文芸評論家・斉藤美奈子氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「8月29日に続き、9月15日朝にもJアラート。

 「ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。建物の中、また地下に避難してください」

 北朝鮮の所業は言語道断だとしても、宇宙空間を通過するミサイルで朝っぱらから危機感を煽る政府のやり方も不愉快極まりない。

 一度は不安と戸惑い。二度目は既視感と失笑。今後もこれを続ける気だろうか。」と切り出した。

 続けて筆者は、「そこへ突然のAアラート。「アベ砲発射、アベ砲発射。安倍総理大臣が臨時国会での冒頭解散を決断した模様です」

 さあ、大変だ。 解散砲を発射された国民は、いやおうもなく選挙戦に巻き込まれる。国会での所信表明演説も各党代表質問も予算委員会も開くことなく、ただただ投票に行けと迫られる。

 北朝鮮のミサイルを支持率アップに利用する一方で、なんともいまいましいのは解散総選挙を首相が「避難先」と考えていることだろう。

 森友学園や加計学園問題から避難。野党の追及の矢面に立たされる国会論戦から避難。国民の厳しい目からの避難。」と指摘した。

 最後に筆者は、「思えば、2012年12月の第二次安倍政権発足以来、衆院議員は一度も4年の任期を全うしていないのである。

 有権者は与党のパワーゲームの道具なのか。

 保身のための解散砲。

 国民に避難を促すJアラートよりたちが悪い。」として締めくくった。

 読んで面白かった。

 「Aアラート」とは面白い表現だ。
 避難しているのは安倍総理・安倍内閣・自公の国会議員!  
 ただ、避難先が冒頭解散!?
 総選挙が「森友学園問題からの避難。野党からの追求の矢面に立たされる国会論戦からの避難。国民の厳しい目からの避難」になるのだろうか?

 避難になると馬鹿にされた「国民」は怒らなければならない場面だ!

 ここは一番、有権者国民が「一票」という「議員の生殺与奪の券(権・剣)」を使って、おごれる安倍首相・自公政権に決定的なダメージを与えなければならない場面だ!

 

 


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# by sasakitosio | 2017-09-21 07:06 | 東京新聞を読んで | Trackback

9月19日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「昨日の代々木公園。「さよなら原発、さよなら戦争」全国集会は明るい雰囲気だった。安倍内閣は北朝鮮ミサイルの恐怖を盛んにあおり、過剰な防空演習を指示していたのは「火事場泥棒」的な衆院解散を狙っていたからだったのだ。」と切り出した。

 続けて筆者は、「この政府はフクシマ事故で住民が大量に難民化しても平然と原発を推し進め、二度目の事故で国民生活が完全に破綻する危険に眼をつむって、電力会社など原発関連産業の刹那的な利益の誘導を図っている。

 避難訓練を条件とする原発の再稼働など、全体主義国家の人権無視政策である。

 安倍首相の美辞麗句「美しい日本」が大量の故郷喪失者を発生させている。」と指摘した。

 さらに筆者は、「原子力規制委員会は、東京電力柏崎刈羽原発の運転適格性をありとしたが、最初から結論ありきの審査だ。

 いまに至るまで東電は福島事故の責任を何らとっていない。

 廃炉はできるのか。

 放射性廃棄物をどうするのか。

 事故当時の原子力委員長だった近藤駿介氏は、「原子力に限らず、どんな技術にも負の側面はある」と今でも反省なき原発村の中心人物。

 北朝鮮に対抗して核の持ち込みが主張され、小型核爆弾なら自衛の範囲、憲法に違反しないとの意見も出てきて、解散総選挙。」と指摘した。

 最後に筆者は、「憲法9条に自衛隊を盛り込ませる居直り強盗、世界の良識に背を向ける原発再稼働。会社天下、人権低国にさよならしなくちゃ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「昨日の代々木公園。「さよなら原発、さよなら戦争」全国集会は明るい雰囲気だった」とのこと、

 「非難訓練を条件とする原発の再稼働など、全体主義国家の人権無視政策である」とのこと、

 「原子力規制委員会は東京電力柏崎原発の運転適格性をありとしたが、最初から結論ありきの審査だ」とのこと、等等の指摘はよく理解できた。

 衆院の解散がほぼ確定のようなメデイアの騒ぎようである。

 解散の大義のことが議論になっているが、安倍政権の継続の是非を問う絶好の機会ととらえ、安倍政権を支える自民・公明、維新その他の与党もどき党への批判票・白票を投じたらどうか。
 また、安倍政権に対抗する政党・会派は、現状の予算(血税)で、教育・福祉・医療・介護・労働・賃金・環境・再エネ等の面で、安倍政権より質的量的にいいものができることを国民に提示できないものか?それが、受け皿になるような気がするが? 


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# by sasakitosio | 2017-09-20 07:15 | 東京新聞を読んで | Trackback

9月10日付朝日新聞社説に、「企業が保守する現金・預金」のことが載った。 今日はこの社説に学ぶことにした。

 まず社説は、「企業が空前の利益を上げている。先週発表された法人企業統計によると、2016年度の企業(金融・保険業を除く)の経常利益の総額は約75兆円に達した。

 リーマン・ショック前の好況時を4割近く上回る水準だ。

 長く不況にあえいだ日本企業が、ここまで立ち直ったこと自体歓迎すべきだろう。問題は稼いだお金の使い道だ。

 企業全体で見れば、設備投資の伸びは頭打ちで、リーマンショック前の水準を超えていない。

 一方で積み上がっているのが、企業が保有する現金・預金だ。過去5年で約50兆円に増えて210兆円に達した。」と切り出した。

 続けて社説は、「金融危機を経験した企業が、万が一に備えて余裕資金を増やそうとする傾向もあるだろう。

 だが、企業の役割は資金を有効に使って商品を生み出すことであり、お金をため込むことではない。委縮しているばかりでは存在意義が問われかねない。

 設備投資が盛り上がらないのは、人口減少が進む国内では消費の伸びが期待できないからだ、との指摘がある。確かに、人口変動は経済に影響する。

 だが、そうであるのなら、企業は稼いだ金を手元に置いておくのではなく、働き手に還元することを考えるべきだ。

 企業活動で生み出された価値に占める労働者の取り分の比率(労働分配率)は、近年、下がり続けてきた。労働者への分配が伸び悩めば、消費を増やす余裕はいつまでたっても生まれない。

 長期的に見れば、企業が自分の首を絞めているのに等しいのではないか。

 デフレ脱却を掲げる安倍政権のもとで、企業は、法人税減税や大規模な金融緩和など政策の恩恵を受けてきた。その結果でもある高収益は、賃上げと消費拡大につながり、それが企業収益を押し上げる経済の好循環を生み出すことが期待された。企業自身がその循環を滞らせているとすれば、何をかいわんやである。」と指摘した。

 最後に社説は、「こうした状況が続けば、企業がさらなる税負担の軽減や、人件費を減らすことにつながる制度変更を望んでも、支持が得れれることはないだろう。

 高収益を挙げる企業には、一段と積極的に賃上げを期待したい。

 好成績に満足しているだけでは、いずれしっぺ返しを受けることを、経営者は銘記してほしい。

 政府が進める「働き方改革」の中で「サービス残業」をなくし、働いた分はきちんと支払うよう早期に徹底すべきことはいうまでもない。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「先週発表された法人企業統計によると、2016年度の企業(金融・保険業を除く)の経常利益の総額は約75兆円に達した」とのこと、

 「一方で積みあがっているのが、企業が保有する現金・預金だ。過去5年間で約50兆円増えて210兆円に達した」とのこと、

 「企業活動で生み出された価値にしめる労働者の取り分の比率(労働分配率)は、近年、下がり続けてきた。」とのこと、等々を教えてくれる。

 そして社説は、「高収益を挙げる企業には、一段と積極的な賃上げを期待したい。」としている。

 企業が高収益を上げていることは素晴らしいことだし、企業が保有する現金・預金が210兆円位に達したこともいいことだ。

 だが、世の中、いいことばかりは続くものではない、どんなに頑張っても成果が出ないときもある。そういう、ピンチの時の用心をしておくのも、多くの社員と家族の生活を支える「経営者」の責任でもある。

 そこで、知人で経営者の友人に、一年間全く仕事がなくても、社員に給料が払える「額」を貯めるようすすめている。 
 企業の存続と社員の生活安定に支えるための、会社が保有する現金・預金の適正基準をぜひ知りたい、と思った。

  

 


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# by sasakitosio | 2017-09-19 06:52 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月18日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「10月1日投開票の武蔵野市長選挙に向け、志を同じくする仲間と、駅頭で宣伝活動をしている。

出勤と帰宅の時間に合わせた一時間ずつのビラまき。日が経つほどに楽しくなっている。

 私は市民運動に関わる母親の元に育ち、幼いころから母とデモや集会に参加。10歳を超えるころからは、当たりまえのようにビラまきをしていた。

 最後にビラをまいたのは大学時代。以後、働きだしてからは活動を離れ、今回は30年ぶりのビラまきである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「まず感じたのは、ビラを受け取る人の少なさ。 これは関心の低下のみならず、メデイアとしてのビラが廃れているように思う。
 ビラよりも、行動を通して伝わるものがあればうれしい。そう気持ちを切り替えた。

 具体的には、楽しそうにビラをまき、なるべく自分の言葉で声をかける。義務や使命感よりも、好きでやっているスタンスがいい。

 さらに不快に思われないよう注意するのも大事。

 例えば、点字ブロックには乗らない。

 通路はふさがない。あらを探されればきりがないが、配慮すべきところは配慮し、万全を期したい。」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「とはいえ、ビラを手渡せたらもちろんうれしい。一人受け取ってくれると、後に続く人が出るものだ。

 これから私は、何度でもビラをもらおうと思った。支援している気持ちを周囲に示すためにも!」として締めくくった。

 読んで大変勉強になった。

 わたしも駅頭で定期的に護憲平和のビラを撒いたり、ハンドマイクで話をする。

 筆者の「楽しそうにビラをまき、なるべく自分お言葉で声をかけ、義務や使命感よりも好きでやっているスタンスがいい」、「さらに不快に思われないよう注意するの大事。例えば点字ブロックには乗らない。通路はふさがない。」等々の心がけは、大変参考になった。

 確かに、ビラを持って行ってくれる人がいると嬉しくなって、思わず、「ありがとうございます」と言ってしまう。またハンドマイクの話を立ち止まって、聞いてくれてる人には、心の中で頭を下げている。

 


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# by sasakitosio | 2017-09-19 06:21 | 東京新聞を読んで | Trackback

9月12日付朝日新聞朝刊13面に「オピニオン&フォーラム  憲法を考える」というページがある。
 発言者は、社会学者・大沢真幸さん、東京外語大教授・篠田英明さんだ。

 今日は、大沢真幸さんに学ぶことにした。

 まず大沢真幸さんは、「護憲か改憲かという日本での問題設定が、海外から見ると、特に理解に苦しむほど熱を帯びるのは、9条が敗戦の屈辱と結びついていることに由来します。

 その意味で、9条は普通の条文ではありません。戦前の日本と異なる社会になったことを内外に示す、戦後社会の核と言える存在なのです。

 戦前の日本は、猛スピードで西洋に追いつこうとし、それなりに成功した自負を持っていました。

 しかし、「追いついた」と思って臨んだ戦争は、悲惨な結果で終わってしまった。その精神的なショックから立ち直ることこそが、戦後日本の最も大きな課題でした。

 つまり、敗戦当時に誇れるものが何もなかった日本をかろうじて支えたのが、9条の「平和主義」の理想だったわけです。」と切り出した。

 つづけて大澤真幸さんは、「誤解してはいけないのは、護憲と改憲の対立は、憲法の肯定と否定という図式では説明できないということです。

 改憲を主張する人たちも、よく言い分を聞いてみると「9条には素晴らしいことが書かれている」ということを否定しません。

 むしろ9条の理念の崇高さは前提とした上で、米国による「押し付け」を問題にしたり、安全保障上のリアリズムという観点で自衛隊を明記すべしと主張したりしています。

 ともに9条の理念の崇高さに執着しているが故に、集合的な無意識のレベルで、9条を変えることにためらいを抱いています。そうでなければ、文字通りに読む限り自衛隊を含めたいかなる戦力も認めていない9条の条文を70年以上も変えず、解釈の変更だけで乗り切ってきた事実は説明しようがありません。」と指摘した。

 最後に大澤真幸さんは、「一方で、平和主義を自尊心の糧としながら、ずるいことをしてきたのが戦後日本の歩みでもありました。

 理念を守りつつ、自国の安全保障は世界で最も強い米国に依存する。

 幸か不幸か戦後世界が冷戦体制に組み込まれ、東アジアは、朝鮮戦争が始まる1950年代には冷戦のフロントラインになった。

 米国にとって日本が戦略的に重要になったことが日本人の後ろめたさを隠してきた。

 自分たちの事情ではなく、米国が軍隊を日本におきたいと言っているのだから、という具合にです。

 冷戦後、21世紀に入る中で、状況はさらに展開します。97年の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、そして2015年の集団的自衛権の容認で日米関係が変わる中で、9条を持つ日本人の自己イメージも変わりました。

 元々は人類の繁栄や平和という誰もが認める普遍的な価値こそが、その素晴らしさを支えていました。

 それが護憲派は自国が戦争に巻き込まれない国益を前面に出すようになった。

 集団的自衛権を巡る議論でもそうでした。

 9条=お得、だから変えてはいけない。

 世界中に紛争があるが、他国がつくった秩序で一番おいしい思いができるのは9条だよ、と。

 それは「人の道に反する」とするのが改憲派でしょう。

 米国が一生懸命、世界秩序を守っている。それで平和を享受できるなら自分たちも貢献するべきだ、と。

 9条維持は、立派な普遍的な価値を打ち出す「かこよさ」に支えられていたのが、自国の損得勘定で動く格好悪いものになっている。

 最近、改憲運動が高まっているように見えるのは、9条維持の意味が変わってしまったからです。

 つまり、改憲派は敗戦のトラウマと結びついた9条が日本社会の核になっていることを理解しない。

 一方の護憲派は、人類の歴史に先駆けた普遍的な正義が9条の価値を支えてきたことを理解せず、条文を維持すれば、9条の価値は守れると考えています。

 経済は陰りを見せ、日本が世界に誇れるのはもはや9条くらいしかない。

 にもかかわらず、戦後70年で9条を通じて日本人が何を望んできたかを見失ってしまっているのが現実です。(聞き手・高久潤)」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「護憲か改憲かという日本での問題設定が、海外から見ると、時に理解に苦しむほど熱を帯びるのは、9条が敗戦の屈辱と結びついていることに由来します」とのこと、

 「9条は普通の条文ではありません。戦前の日本と異なる社会になったことを内外に示す、戦後社会の核と言える存在なのです」との指摘、

 「敗戦当時は誇れるものがなかった日本をかろうじて支えてのが、9条の「平和主義」の理想だったわけです」との指摘、

 「一方で、平和主義を自尊心の糧としながら、ずるいことをしてきたのが戦後日本の歩みでもありました。理念を誇りつつ、自国の安全保障は世界でも最も強いアメリカに依存する」との指摘、

 「元々人類の繁栄や平和という誰でも認める普遍的な価値こそが、その素晴らしさを支えていました。それが、護憲派は自国が戦争に巻き込まれない国益を全面に出すようになった」との指摘、

 「改憲派は敗戦のトラウマと結びついた9条が日本社会の核となっていることを理解しない」との指摘、

 「護憲派は、人類の歴史に先駆けた普遍的な正義が9条を価値を支えてきたことを理解せず、条文を維持すれば、9条の価値は守れると関挙げています」との指摘、

 「ともに(護憲派も改憲派も)9条の理念の崇高さに執着しているが故に、集合的な未意識のレベルで、9条を変えることにためらいを抱いています。」との指摘、等々、護憲派改憲派の分析などいろいろ考えるヒントを与えてもらった。

 9条を含む日本国憲法に国会で反対した日本共産党が、各地の9条の会を通して、護憲運動を支えていることに不思議さを感じている。

 また、筆者は「9条は、戦前の日本と異なる社会になったことを内外にしめす、戦後社会の核と言える存在」なのです、と教えてくれた。

 それと合わせて、憲法前文も戦前の日本と異なったことを示す「宣言」であると思いたい。

 その上で、今の私たち日本人は日本国憲法の実戦として、世界から戦争をなくし、飢餓や恐怖から人類が解放されるよう「行動」しなければならない、と思った。 


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# by sasakitosio | 2017-09-18 19:38 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月13日付東京新聞社説に、「受動喫煙の防止」関することが載った。今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「他人のたばこの煙にさらされる受動喫煙から、子供を守る取り組みは支持したい。けれども、家庭での喫煙のあり方にまで口出しするのは、度が過ぎるのではないか。保護者の良識に委ねたい。

 2020東京五輪・パラリンピックに向けて、東京都は飲食店や職場、百貨店といった多くの人々が使う施設を原則として屋内禁煙とする条例をつくる。小池百合子知事が表明した。年度内に議会に条例案を提出するという。

 自民党の反対に遭い、厚生労働省の法案作りが足踏みするなか、小池氏が先手を打った格好だ。しかも、自民党との差別化を意識してか、厚労省案より厳しい規制を考えている。

 争点となりそうなのは、例外扱いするバーやスナックの規模だ。都の案は厚労省案と同じ30平方メートル以下を目安とするが、すべての従業員が喫煙に同意していることなどを条件に加えるという。

 自民党は150平方メートルに緩めるよう主張し、厚労省案と対立してきた。国の議論が進まないなら都議会の動きに期待したい。」と切り出した。

 続けて社説は、「気がかりなのは、今月20日から開かれる都議会に、都民ファーストと公明党が共同で出す予定にしている、子どもを受動喫煙からまもる条例案だ。

 議員提出のこの案は、家庭では子どもと同じ部屋でたばこを吸わないよう努力することを求め、子どもが同乗している自動車内では喫煙しないように義務付ける。

 受動喫煙が有害なのは明らかだ。たばこの煙から逃げることができない子どもを守るのは、大人の責務に違いない。

 だが、喫煙は合法だ。私的領域の営みにまで法令をもって踏み込むのは、行き過ぎではないか。」と指摘した。

 最後に社説は、「小池氏の地盤、豊島区が足並みをそろえるように制定をめざす同様の条例案はもっと突っ込んでいる。車ばかりか家庭でも、子どもがいる場は禁煙とするという。

 受動喫煙が続いていると疑われる子どもを見つけたら、区などに通報できる仕組みまで盛り込んでいる。

 喫煙者を指導したり、禁煙治療などを助言できるようにするという。

 周囲の監視と通報を促す発想ではないか。

 子どもの健康を守るということを終えて、喫煙を取り締まるためではないかとすら疑う。

 なにごとによらず、公権力による私的空間への介入は慎重であるべきだ。

 子どもの受動喫煙をなくすには、保護者を信頼して共に歩んで行く姿勢こそが大切だろう。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、東京都は飲食店や職場、百貨店といった多くの人々が使う施設を原則として屋内禁煙とする条例をつくる」とのこと、

 「争点となりそうなのは、例外扱いするバーやスナックの規模だ。都の案は厚労省案と同じ30平方メートル以下を目安とするが、すべての従業員が喫煙に同意していることを条件に加える」とのこと、

「都民ファーストの会と公明党が共同で出す予定の案は、家庭では子どもと同じ部屋でたばこを吸わないように努力することを求め、子どもが同乗する自動車内では喫煙しないよう義務付ける」とのこと、

 「小池氏の地盤、豊島区が足並みをそろえるように制定をめざす同様の条例案はもっ突込んでいる。車ばかりか家庭でも子どもがいる場は禁煙とするという。

 受動喫煙が続いていると疑われる子供を見つけたら、区まで通報できるという仕組みまで盛り込んでいる。喫煙者を指導したり、禁煙治療など助言したりできるようにするという」とのこと、等々を知ることができた。

 このような状況に社説は「だが、喫煙は合法だ」「周囲に監視と通報を促す発想ではないか、子どもの健康を守ることを超えて、喫煙を取り締まるためではないかとすら疑う」と指摘した。

 たしかに、なにごとによらず、公権力による私的空間への介入は「犯罪」以外は、してはならないと、思った。 


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# by sasakitosio | 2017-09-18 16:40 | 東京新聞を読んで | Trackback

9月14日付朝日新聞社説下に、「ザ・コラム」という欄がある。筆者は、編集委員・吉岡桂子氏だ。
 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「上野動物園(東京都台東区)で生まれた赤ちゃんパンダの名前がまもなく、決まる。中国・四川省を旅立つ父リーリー(力力)と母シンシン(真真)を取材しただけに楽しみにしている。

 尖閣列島をめぐって波立つ日中関係のもと「外交特使」として送り込まれる2頭の行く末を案じつつ、緑深い山奥で見送った。2011年冬のことだった。

 彼らは当時、中国名で「ビーリー(比力)」と「シィエンニュ(仙女)」と呼ばれていた。

 1972年の日中国交正常化を祈念して送られた初代以来初めて、到着後に「改名」したつがいである。対中感情が悪化するなかで、より日本色が求められる空気もあっただろう。

 中国で「国宝」と位置づけられるパンダは、ただのクマではない。外交に加えて、繁殖研究から動物園や地元の経済振興まで、その丸い背中に数多くの期待と欲望をしょっている。

 希少動物の保護の観点から80年代以降は贈り物ではなく、共同研究の名目で世界各国に有料で貸し出されるようになった。政略養子縁組、それとも公務出張中と呼ぶ方がふさわしい存在なのだ。

 子供は2歳ほどで「帰任」を強いられる。

 十数カ国に50頭余りが現在、出張中。

 タイ北部にあるチェンマイ動物園では、赤ちゃんが生まれた年は大賑わいで、例年の3倍ものお客がつめかけたという。

 飼育係りは何より、無事の出産にほっとしたそうだ。外交や経営、国内世論・・・。いずこも担当者のプレッシャーがしのばれる。」と切り出した。

 続けて筆者は、「モンモン(夢夢)」。習近平国家主席の政治スローガン「中国の夢」を思わせる名前のパンダがいる。外交序列でいえば極めて高位の命名である。

 国交45周年を記念して独・ベルリン動物園に今年6月、チャオチン(嬌慶)とつがいで届けられた。

 おりしも中国を代表する人権活動家で獄中でがんが見つかった劉暁波さんが、妻と共にドイツへの出国を渇望しながら、中国当局に阻まれていた時期だった。

 習氏とメルケル首相が並んでパンダ館を見学した8日後、劉さんは北京で事実上の「獄死」を遂げた。首脳会談でも同時にドイツで開かれていたG20サミットでも、中国の人権問題は大きな議題にならなかった。

 「一帯一路」戦略を掲げて欧州との関係強化を図る中国と、人権や安全保障を超えて巨大な中国市場が持つ経済力を重視する欧州―――。

 習政権発足後、その結びつきを象徴するかのようにパンダは西へと向かう。

 ドイツのほか、ベルギー、オランダ、で公開が始まり、フィンランド、デンマークも受け入れが決まっている。

 90年代から前政権時代、パンダはおもに南進していた。中国に返還された香港、マカオ、そして、台湾、東南アジアなどで足場を固める地域戦略に沿ったものだった。

 90年代末の通貨危機を受けて節約を優先した韓国が初代を返すという波乱もあったが、タイ、マレーシア、シンガポールの動物園に初めて登場し人気を集めた。

 同じころ、インドネシアとも合意しており、数年の準備を経て近く、華僑2世が経営するボゴールの動物園に2頭がやって来る、」と教えてくれる。

 最後に筆者は、「パンダ外交に詳しい歴史学者家永真幸さんの近著「国宝の政治史、「中国」の故宮とパンダ」によれば、パンダの外交利用は、日中戦争中の1941年、当時の中華民国が世論工作のため、米国に寄贈を決めた2頭に由来する。

 東西冷戦時代は、旧ソ連と北朝鮮に送られた。パンダの足取りは、中国外交の力点に重なる。

 ただ、経済成長と共に台頭する中国という国家の存在感が強まるほど、パンダの「中国離れ」が起きているように思う。

 リーリーたちが来ても、日本人の対中感情が好転する兆しはない。かってのように友好の象徴とは受け止められていない。台湾や香港でも同様の傾向だ。ご近所にとって「象徴」では覆いきれないほど、大きな存在として迫る中国が見えるからだろう。むしろ、パンダは国家と同一視されず、愛されているともいえる。

 国家の思惑を裏切って、ふつうのめずらしい動物と個人との関係を築きつつあるなら、悪い話ではないかもね。白黒つけずにおこうか。比力、いやリーリー。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「希少動物の保護の観点から、80年代は贈り物ではなく、共同研究の名目で世界各国に有料で貸し出されるようになった。政略養子縁組、それとも公務出張中と呼ぶほうがふさわしい存在なのだ」とのこと、

 「十数か国に50頭余りが現在、出張中」とのこと、

 「一帯一路」戦略を掲げて欧州との関係を強化する中国と、人権や安全保障を超えて巨大中国市場が持ち経済力を重視する欧州――・」とのこと、

 「習政権発足後、その結びつきを象徴するかのようにパンダは西へ向かう。ドイツのほかベルギー、オランダで公開が始まり、フィンランド、デンマークも受け入れが決まっている」とのこと、

 「90年代から前政権時代、パンダはおもに南進していた。中国に返還された香港、マカオ、そして台湾、東南アジアなどで足場を固める地域戦略に沿ったものだった。」とのこと、

 「パンダ外交に詳しい歴史学者家永真幸さんの近著「国宝の政治史 中国」の故宮とパンダ」によれば、パンダの外交利用は、日中戦争中の1941年、当時の中華民国が世論工作のため、米国に寄贈を決めた2頭に由来する。東西冷戦時代は、旧ソ連と北朝鮮に送られた。パンダの足取りは、中国外交の力点に重なる」とのこと、

 「ただ、経済成長とともに台頭する中国という国家の存在感が強まるほど、パンダの「中国離れ」が起きているように思う」とのこと、

 等々を教えてもらった。

 パンダの愛くるしさは何年たってもそのままでいてほしいが、共産党一党独裁の中国は、内からの民主化で大きく変わってほしい。そして共産党一党独裁のままでの覇権だけは勘弁してほしい!!


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# by sasakitosio | 2017-09-18 16:02 | 朝日新聞を読んで | Trackback

9月15日付東京新聞社説に、「残業代ゼロ法案」のことが載った。

 今日はこの社説を学習することにした。

 まず社説は、「政府は、労働時間の規制を外す新たな働き方を創設しようとしている。

 長時間労働が社会問題化するなかで、この規制緩和は「働き過ぎ」を増やさないか。

 長時間労働が社会問題となったのは産業革命が進展する19世紀の欧州である。

 フランスの皇帝ナポレオン三世が即位する前、著書「貧困の根絶」で、当時の工場労働者の様子を取り上げている。

 それを東京大の水町勇一郎教授が著書「労働法入門」で紹介している。」と切り出した。

 続けて社説は、「「貧困の根絶」は記す。

 「工場はまるで物質・材料であるかのようにその歯車の中で押しつぶしながら、農村を過疎化させ、人々を息の詰まる空間へ密集させ、その精神を抜け殻にしてしまい、そして、必要がなくなると、工場を反映させるためにその力を、その若さを、その生涯を犠牲にしてきた人々を路頭に迷わせてしまうのである」

 水町氏は、「実際にフランスの工場では、日当たりも風通しも悪く、労働災害や職業病も頻発していた。一日の労働時間は12時間から15時間で、祝日や休暇はなく、場合によっては日曜休日もなく、継続して働かされるという劣悪な状況がみられた」と解説する。

 まさに人権が無視されていた。

 この時代、イギリスを起点として産業革命は発展の過程で、工場労働者を生み過酷な労働環境を蔓延させた。

 事態が深刻化すると健康や生活不安への危機から労働者保護の法律や健康保険、年金などの社会保障制度が生まれた。

 日本でも明治近代化の中で、紡績工場などでの過酷な労働を強いられた歴史がある。

 第二次大戦後になると国内の労働法整備が進む。」と教えてくれる。

 さらに社説は、「まず憲法で勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」と規定し、賃金と並び労働時間の規制を真っ先に挙げている。

 長時間労働のを防ぐには、時間規制は重要な労働条件だからだ。

 憲法と前後して「集団」で労働条件を交渉するための労働組合法や、労働災害・失業時の生活を支える法律も整備されてきた。

 今回、改正が検討されている労働基準法はその中核だ。長時間労働を防ぐため、時間外労働には割増賃金を支払う義務を経営者に課すことでその抑制を狙っている。

 何より忘れてならないのは、労働者の立場は、経営者に比べ圧倒的に弱いという事実だ。

 だからこそさまざまな労働法が整備されてきた。

 その一つ一つは労働者が勝ち取ってきたものだ。今後も大切に守る必要がある。

 では今、政府が創設しようとする「高度プロフェッショナル制度」は同だろうか。

 新たな働き方の対象は、高度な専門知識をいかす高年収の仕事で、例えば金融ディーラー やコンサルタント、研究者などだ。

 高年収の立場なら自身の裁量で仕事が進められる。

 だから時間規制から外し自由に働き成果を出してもらう働き方だ、と政府は言う。

 だが新制度の最大の問題は、この時間規制をごっそり外すことだ。

 労働界や野党の「結局、成果を出すために長く働くことになる。残業代を払わずに長時間労働させられる「残業代ゼロ」制度だ」との懸念は共有する。

 休日の取得義務付けなど健康を守る対策は入っているが、不十分との指摘がある。

 新制度は経済界の要望だ。

 対象者は十数万ほどだが将来、年収要件を下げ対象者を増やしたい意向だ。

 なぜそこまでして創設する必要があるのか、政府や経済界の説明は十分とは言えない。

 政府は秋の臨時国会で、働き過ぎを防ぐ残業時間の上限規制案と一体にして改正案を出し直す方針だ。

 働く人が求める改正と「抱き合わせ」にして強引に法案を通すことを狙うなら許せない。」と指摘した。

 最後に社説は、「現代は「第四次産業革命」を迎えていると言われる。

 蒸気機関が発明された第一次、

 石油や電力を利用して大量生産を可能にした第二次、

 コンピューターの登場で仕事の自動化が進んだ第三次、

 そしてさまざまなモノがインターネットにつながり人工知能(AI)がそれを操る産業社会が第四次だ。

 いつでもどこでも仕事ができる環境が整うことで、労働時間の柔軟化が求められるという。

 働くことは生活の糧と社会への参加や生きがいを得る営みだ。

 人間らしさを失うまい。

 新産業革命を前に、蒸気機関による工業化が進んだと同様、どんな働き方を実現するのか大きな課題に直面している。

 働く人をどう守るのか、その原点に返る議論が必要ではないか。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「フランスの皇帝ナポレオン三世が即位する前、著書「貧困の根絶」で当時の工場労働の様子を取り上げている。」とのこと、

「 「貧困の根絶」は記す。「工場は、人間をまるで物質・材料であるかのようにその歯車の中で押しつぶしながら、農村を過疎化させ、人々を息の詰まる空間へ密集させ、その精神を抜け殻にしてしまい、そして、必要がなくなると、工場を繁栄させるためにその力、その若さ、その生涯を犠牲にしてきた人びとを路頭に迷わせてしまうのである」」とのこと、

 「この時代、イギリスを起点とした産業革命は反転の過程で、工場労働者を生み過酷な労働環境を蔓延させた。

 事態が深刻化すると健康や生活不安への危機から労働者保護の法律や健康保険、年金などの社会保障制度が生まれた」とのこと、

 「憲法27条は「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律で定める」と規定し、賃金と並び労働時間の規制を真っ先に挙げている」とのこと、

 「憲法と前後して「集団」で労働条件を交渉するための労働組合法や、労働災害・失業時の生活を支える法律も整備されてきた」とのこと、

 「だが、新制度の最大の問題は、この時間規制をごっそり外すことだ」とのこと、

 「現代は「第四次産業革命」を迎えていると言われている。<中略>そしてさまざまなモノがインターネットにつながり人工知能(AI)がそれを操る産業社会が第四次だ」とのこと、 

 等々を知ることができた。

 社説は「働くことは生活の糧と社会への参加や生きがいを得る営みだ。」「働く人をどう守るか、その原点に返る議論が必要ではないか」としてくする。指摘の通りだと思った。

 


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# by sasakitosio | 2017-09-18 14:03 | 東京新聞を読んで | Trackback