平和憲法を世界へ未来へ
2024-03-19T11:55:53+09:00
sasakitosio
憲法の良いとこ発見しませんか?
Excite Blog
3月19日(火)晴れ。朝7時過ぎ手賀沼湖畔散策へ。柏ふるさと公園で四方の祈りを終え、草原に白いコブシの花が見えた。機場公園では椿がまだまだ盛んだ。帰路、ふるさと公園で白椿を発見。
http://sasakitosi.exblog.jp/29985338/
2024-03-19T11:53:00+09:00
2024-03-19T11:55:53+09:00
2024-03-19T11:53:37+09:00
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今日の感動
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人権は進化する<過去幾多の試練に耐え(憲法97条)、人権の概念は時代と共に進化してきた。時に強い反動に見舞われ、行きつ戻りつしながらも、人権思想は普遍性を高めていくだろう。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29984771/
2024-03-19T06:13:00+09:00
2024-03-19T06:18:15+09:00
2024-03-19T06:13:12+09:00
sasakitosio
東京新聞を読んで
まず筆者は、「同性婚を認めない民法などの規定を違憲と断じた14日の札幌高裁判決。 注目すべきは「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し・・・」と定める憲法24条1項の解釈だ。 同項が同性婚を禁止しているとする一部論者の解釈とは正反対に、「同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障している」と解釈した。 続けて筆者は、「同性婚は、2001年のオランダに始まり、各国で法制化されてきた。 日本の国会で同性婚を認めない政党は自民党だけだ。国民の6割から7割は法制化に賛成している。日本人が人権後進国なのではない。自民党が人権後進党なのだ。 人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果(憲法97条)だ。フランス人権が採択されたのは1789年。女性参政権が初めてニュージランドで認められたのが1893年。 生存権が初めてドイツのワイマール憲法に規定されたのが1919年。アメリカの連邦最高裁が人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めたのが1973年。それを否定したのが2022年。フランスでは今月、中絶権の保障が憲法に書き込まれた。」と教えてくれる。 最後に筆者は、「過去幾多の試練に耐え(憲法97条)、人権の観念は時代とともに進化してきた。時に強い反動に見舞われ、行きつ戻りつしながらも、人権思想は普遍性を高めていくだろう。人権の進化は人類の進歩である。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「同性婚を認めない民法などの規定を違憲と断じた14日の札幌高裁判決。」とのこと、 「同性婚は、2001年のオランダに始まり、各国で法制化されてきた。」とのこと、 「フランス人権宣言が採択されたのが1789年」とのこと、 「女性参政権が初めてニュージランドで認められたのが1893年。」とのこと、 「生存権が初めてドイツのワイマール憲法に規定されたのが1919年。」とのこと、 「アメリカの連邦最高裁が人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めたのが1973年。それを否定したのが2022年。」とのこと、 「フランスでは今月、中絶権の保障が憲法に書き込まれた。」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は、「過去幾多の試練に耐え(憲法97条)、人権の観念は時代とともに進化してきた。時に強い反動に見舞われながらも、人権思想は普遍性を高めていくだろう。人権の進化は人類の進歩である。」と指摘した。 指摘の理解に努めながら、考えた。 同性婚の容認、女性参政権の容認、生存権の誕生、人工妊娠中絶の容認、等々人間の行為を規制していたものが撤廃されてきたことは確かだ。筆者の指摘するように「人権の進化は人類の進歩である」だと思った。そして、個人としては私は、保障された人権のうえにただ座っているだけでなく、日々自他の人権の進化についてキョロキョロし学ばなければ、と思った。]]>
宮本常一から学ぶ民主主義<宮本常一(1907~81年)という民俗学者がいる。最近宮本の「忘れられた日本人」を再読し、あるいはこれは「民主主義の教科書」なのではないかと思うようになった。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29981905/
2024-03-18T11:45:00+09:00
2024-03-18T13:42:02+09:00
2024-03-18T11:45:23+09:00
sasakitosio
東京新聞を読んで
まず筆者は、「宮本常一(1907~81年)という民俗学者がいる。山口県の周防大島に生まれ、小学校教諭時代に地域のフィールドワークを志し、病身をおして日本各地を歩き回った。渋沢栄一の孫である渋沢敬三の支援を受けたとはいえ、在野の立場で生涯にわたり調査を続けた彼の偉業を敬慕し「忘れられた日本人」に代表される著作を愛好する読者もすくなくないだろう。「旅する巨人」(佐野真一)と呼ばれるのも決して不思議ではない。 ところで最近、宮本の「忘れられた日本人」を再読し、あるいはこれは「民主主義の教科書」なのではないかと思うようになった。きっかけがある。編集者の若林恵さんと宮本研究者の畑中章宏さんの近著に「「忘れられた日本人」をひらく」があるが、その出版イベントになぜか筆者が呼ばれたのである。宮本の著作に民主主義を考えるヒントが隠されているというのが、企画側の意図であった。」と切り出した。 続けて筆者は、「とはいえ、宮本が日本を歩き回ったのは、戦前の1930年代から高度経済成長期にかけての日本の諸地域である。はたしてそこに民主主義を考える上でのいかなるヒントが隠されているのか。少々不思議に思いながら、依頼に応じることにした。 そこで「忘れられた日本人」を読み直したのだが、なるほど、これは日本における民主主義のあり方を示していると思うようになった。 決して否定的な意味ではない。しばしば民主主義は欧米の先進国から「輸入」されたものだと語られるが、伝統的な日本社会に民主主義的な慣行や実践が存在しなかったわけではない。 宮本の著作は雄弁にそのことを語っているように思えた。 例えば、そこでは「寄合」の事例が紹介される。宮本が村の古文書の利用を依頼したところ、寄り合いが召集されたが、それが実に面白い。 参加者は延々と議論を続ける。ときに話題はそれ、やがて戻ってくる。必ずしも理屈を言うばかりでなく、それぞれが知っている事例なども次々に紹介される。ご飯を食べに帰る人もいれば、夜通し話し続ける人もいる。大切なのは無理せず、みんなが納得するまで話し合うことであった。だから結論が出れば、みんなキチンと守る必要がある。」と教えてくれる。 最後に筆者は、「これだけ読むと、あまりに気が長く現代的ではないという人もいるだろう。 しかし、すべての人に発言権があり、思い思いのことを話し、納得するまで話し合う。だから決定にも従う責任がある。これは確かに民主主義の本質であろう。読んでいくと、かってなことを言う人がいれば「足もとを見て物を言いなされ」と古老が注意したり、女性たちだけで集まって男性たちへの不満を言い合ったりする機会もあった。 このような寄り合いが発展したのも、限定された特定の家系だけが力を持つ地域ではなく、多様な背景の家族の集住する地域であったというのも興味深い。多様な人々が共に暮らすからこそ、平等性が重要であったということだろう。 女性を含む村人に、村の外へ旅行し、「世間を拡げる」ことが奨励されたというのも驚きである。 民主主義ついて、伝統的な日本社会から学ぶことは意外に多いのかもしれない。 むしろ現状はそこから後退しているかもしれない。そんな気がした。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「宮本常一(1907~81年)という民俗学者がいる。」とのこと、 「編集者の若林恵さんと宮本研究者の畑中章宏さんの近著に「「忘れられた日本人」をひらく」があるが、その出版イベントになぜか筆者も呼ばれたのである。宮本の著作には民主主義を考えるヒントが隠されているというのが、企画側の意図であった。」とのこと、 「そこで「忘れられた日本人」を読み直したのだが、なるほど、これは日本における民主主義のあり方を示していると思うようになった。」とのこと、 「しばしば民主主義は欧米先進国から「輸入」されたものだと語られるが、伝統的な日本社会に民主主義的な慣行や実践が存在しなかったわけではない。宮本の著作は雄弁にそのことを語っているように思えた。例えば、そこでは「寄合」の事例が紹介される」とのこと、 「すべての人に発言権があり、思い思いのことを話し、納得するまで話し合う。だから決定にも従う責任がある。これは確かに民主主義の本質であろう。」とのこと、 「このような寄り合いが発展したのも、限定された特定の家系だけが力を持つ地域ではなく、多様な背景の家族が集住する地域であったというのも興味深い。」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は、「民主主義について、伝統的な日本社会から学ぶことは意外に多いのかもしれない。むしろ現状はそこから後退しているかもしれない。そんな気がした。」と指摘した。 指摘の理解に努めながら、考えた。 戦中生まれの一読者の私も、民主主義は敗戦後にできた日本国憲法により誕生し守られてきた、と思ってきた。 この欄を読んで、戦後まもなくの私が小学生であったころ、私の家の茶の間に部落の人々が集まって「寄合」をし、その後食事会をしていたことを思い出した。今思うと、みな自由にのびのび話し合いが行われていたと思う。 また、趣味の講談で「二宮金次郎」を調べた時、農民たちの話し合いを「芋こじ」tと名付けていろいろな場面で活用したということを知った。その「芋こじ」でしたことは、「・村長を村民の投票で決める・お手本おなるような農民を投票で決める、選ばれた人は利息なしでお金を借りられた・地域のことについて、みんなで話し合うことを大切にする」等を知って、これって民主主義じゃんと、思った。 そしてこの欄で、宮本常一の存在を教えてもらい、日本国憲法以前に日本に民主主義の「芽」が存在していることをしり、日本大好き人間の私は嬉しくなった。]]>
3行18日(月)快晴。朝7時過ぎ朝の散策へ。柏ふるさと公園へ出かけた。屋根付きの休憩場所で四方の祈りを済ませ、草原を歩く。しだれ柳の大木に緑が目立つ。大堀川河口の枝垂れ柳も緑に映えていた。花はいい。
http://sasakitosi.exblog.jp/29981569/
2024-03-18T10:34:00+09:00
2024-03-18T10:35:07+09:00
2024-03-18T10:34:08+09:00
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今日の感動
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醜い言い訳<党総裁は「信頼回復」を繰り返す。そういう時に会合にダンサーを招く神経も、体に触って口移しでチップを渡す下劣さも、想像するだけで醜い。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29976773/
2024-03-17T11:22:00+09:00
2024-03-17T11:30:07+09:00
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東京新聞を読んで
まず筆者は、「アラブ人がよく口にする慣用句に、「罪より醜い言い訳」というのがある。 使い方の例としては「自民党議員の会合に露出の多いダンサーが招かれた不祥事について、多様性をめぐる問題提起が目的だったと弁解するなんて、罪より醜い言い訳だ」などが挙げられる。」と切り出した。 続けて筆者は、「いや違うかも。確かに滑稽すぎて目を疑う弁解だが、目を覆いたくなるほど醜いのは、やはり罪の方だ。党は今、裏金問題の泥に溺れている。 党総裁は「信頼回復」と繰り返す。そういう時に会合にダンサーを招く神経も、体に触って口移しでチップを渡す下劣さも、想像するだけで醜い。 最近の自民党はまた、以前にも差別発言が問題になった議員が、人権状況の改善を求めるアイヌ関係者を「日本に存在しない差別を話す人たち」と書き込んで再び中傷したことが報道された。 個人的な経験から言えば、差別される側は一度や二度の理不尽を即座に「差別」と意識するわけではない。それが繰り返されたり、その際に出自を指摘されたりする体験が蓄積されて初めて、差別されているという痛恨の気づきにに至る。声を上げて差別を訴えるのは苦痛だ。楽しくてやる人はいない。」と教えてくれる。 最後に筆者は、「差別する側の多数派に属する人には見えない、またはみようとしない差別は、存在しない差別ではない。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「アラブ人がよく口にする慣用句に「罪より醜い言い訳」というのがある。」とのこと、 「使い方の例として、自民党議員の会合に露出の多いダンサーが招かれた不祥事について、多様性を巡る問題提起が目的だったと弁解するなんて、罪より醜い言い訳だ」などが挙げられる。」とのこと、 「党総裁は「信頼回復」と繰り返す。そういう時に会合にダンサーを招く神経も、体に触って口移しでチップを渡す下劣さも想像するだけで醜い。」とのこと、 「最近の自民党はまた、以前にも差別発言が問題になった議員が、人権状況の改善を求めるアイヌ関係者を「日本には存在しない差別を話す人たち」と書き込んで再び中傷したことが報道された。」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は、「個人的な経験から言えば、差別される側は一度や二度の理不尽を即座に「差別」と認識するわけではない。それが繰り返されたり、その際に出自を指摘されたりする体験が蓄積されて初めて、差別されているという痛恨の気づきにいたる。」と指摘し、 「差別をする側の多数派に属するひとには見えない。または見ようとしない差別は、存在しない差別ではない。」と指摘した。 指摘に賛同しながら、考えた。 この欄でいつもアラブ人の習慣や文化について、発見させられる。「罪より醜い言い訳」というアラブ人の慣用句もその一つだ。 また、筆者の「差別する側の多数派に属する人には見えない。または見ようとしない差別は、存在しない差別ではない」指摘は、どちらかと言うと日本国内では多数派に帰属する私には、その通り過ぎて刺激的であった。 ]]>
3月17日(日)快晴。朝8時過ぎ朝の散策へ。日曜日はいつも戸張地区公園へ。公園入口の民家の庭に、椿が満開だ。大輪の椿が青空に浮かぶ。紅もピンクも共に豪華で美しい。。
http://sasakitosi.exblog.jp/29976720/
2024-03-17T10:37:00+09:00
2024-03-17T10:38:45+09:00
2024-03-17T10:37:57+09:00
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今日の感動
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戦闘機輸出解禁 平和国家の理念損なう<政府は2022年次期戦闘機を英伊と共同開発することを決定。当初は第三国輸出を前提としていなかったが、英伊から調達コストの削減を求められて方針を転換。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29971760/
2024-03-16T07:43:00+09:00
2024-03-16T07:48:26+09:00
2024-03-16T07:43:11+09:00
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東京新聞を読んで
まず社説は、「政府が英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機=イメージ、防衛省提供=の第三国への輸出を解禁する。戦闘機は殺傷能力が高く、国際紛争を助長するとして輸出を禁じてきた平和国家の理念と価値を損なう。再考を求める。」と切り出した。 続けて社説は、「政府は2022年、次期戦闘機を英伊両国と共同開発することを決定。当初は第三国輸出を前提としていなかったが、英伊から調達コストの削減を求められて方針を転換。輸出を認めるかどうか与党内で調整が続いていた。 公明党は戦闘機の第三国輸出に慎重だったが、政府が共同開発した武器輸出に関し①次期戦闘機に限定②戦闘が行われている国は対象とせず、防衛装備品・技術移転協定を締結した国に限る③個別条件ごとに閣議決定する――との条件を提示したため、容認に転じた。 自公は15日にも輸出解禁に大筋合意する。政府は近く防衛装備移転三原則の運用指針改定を閣議決定し、35年までの配備を目指す。 ただ、政府が示した条件が「歯止め」になるとは言い難い。 移転協定を結んで輸出後の使い方や再移転を制限しても、他国に渡った兵器の行方を監視することはできず、国際法に反する武力行使に使われる懸念は残る。 英国など4カ国が共同開発した戦闘機ユーロファイターが第三国のサウジアラビアに輸出され、イエメン内戦で空爆に使われた例もある。 次期戦闘機の輸出を個別案件ごとに閣議決定するにせよ、政権内の手順に過ぎない。憲法の平和主義に関わる基本政策の転換を、国会での審議を経ず、政府与党内だけで決めることは許されない。」と指摘した。 最後に社説は、「そもそも取得費用を抑制するために輸出が必要なら、別の武器を他国と共同開発する場合も輸出が避けられない理屈になる。 残念なことは公明党が結局、連立維持を優先させ、戦闘機輸出で妥協したことだ。「平和の党」の理念はどこへ行ったのか。 戦後日本は、専守防衛や武器禁輸など「平和国家としての道」を歩み、国際的信頼を得たきた。その外交資源を安易に捨て去っていいのか。国会はもとより国民的な議論を尽くさねばなるまい。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「政府が英国、イタリアと共同開発する戦闘機=イメージ、防衛省提供=の第三国への輸出を解禁する。」とのこと、 「政府は2022年、次期戦闘機を英伊両国と共同開発することを決定。当初は第三国輸出を前提としていなかったが、英伊から調達コストの削減を求められて方針を転換。」とのこと、 「自公は15日にも輸出解禁に大筋合意する。」とのこと、 等々を知ることができた。 そして社説は、「憲法の平和主義に関わる基本政策の転換を、国会での審議を経ず、政府与党だけで決めることなど許されない。」と指摘し、 「そもそも取得費用を抑制するために輸出が必要なら、別の武器を他国と共同開発する場合も輸出が避けられない理屈になる。」と指摘し、 「戦後日本は、専守防衛や武器禁輸など「平和国家としての道」を歩み、国際的な信頼を得れ来た。その外交資源を安易に捨て去っていいのか。国会はもとより国民的な議論を尽くさなければなるまい。」と指摘した。 指摘の通りだと思いながら、考えた。 日本国憲法の非戦平和の理想を、国民総体の確信にまで高め、その実現に向け日本国民と日本国が世界へ発信するにはどうすればいいのだろうか。日本の有識者と言われる人々の一層の奮起を期待したい。 ]]>
3月16日(土)今日は会の相談会の当番のため、朝の散策は中止。ゆっくり、箱庭の草花を楽しんだ。ピンク・紅系が多い。花桃、サクラソウ、ゼラニューム、ヒペリカム、みんなきれいだ。
http://sasakitosi.exblog.jp/29971687/
2024-03-16T07:00:00+09:00
2024-03-16T07:00:52+09:00
2024-03-16T07:00:15+09:00
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今日の感動
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賄賂は続くよどこまでも<最近の与党政治家の無様な姿勢を見ると、やはりあの時の国税庁の判断ミスが今日の結果を招いているのかもしれない。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29968581/
2024-03-15T14:20:00+09:00
2024-03-15T14:24:11+09:00
2024-03-15T14:20:56+09:00
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東京新聞を読んで
まず筆者は、「最近の与党政治家の無様な姿勢を見ると、やはりあの時の国税庁の判断ミスが今日の結果を招いているのかもしれない。」と切り出した。 続けて筆者は、「1966(昭和41)年に田中彰治代議士の不正収入と無申告の実態が検察の手で明らかになり、国税庁がそれまで代議士にはなにもしてこなかったことが暴露され、大きな批判にさらされた。 それまでは、代議士が個人から受ける献金は「贈与」、法人から受け取るものは「一時」所得として扱っていた。 政治活動は公益活動なので、政治活動が何らかの収入を生み出すことはないし、法人からの献金も法人の業務とは全く関係なく、偶発的に受けた者にすぎない、という前提で考えられていたのだ。だが、申告してくれる代議士は皆無だった。 しかし、これでは国民の批判をかわせない。そこで少しでも申告してもらえるように、政治献金を雑所得に入れることに変更し、政治活動支出は必要経費に入れる大転換をしたのである。 負担を大幅に減らせるので、申告数が増えると考えたのであろうが、与党政治家は、個人ではなく、政治団体を受け皿にしていったようである。」と教えてくれる。 最後に筆者は、「そもそも政治献金を「雑収入」にして政治活動費を経費にしたら、政治活動は公益のための無償の行為ではなく、収入を得るための活動になってしまいませんか?そういう収入を庶民は「賄賂」と呼んでおります、はい。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「1966(昭和41)年に田中彰治代議士の不正収入と無申告の実態が検察の手で明らかになり、国税庁がそれまで代議士には何もしてこなかったことが暴露され、大きな批判にさらされた。」とのこと、 「それまでは、代議士が個人から受ける献金は「贈与」法人から受けるものは「一時」所得として扱っていた。」とのこと、 「申告してくれる代議士は皆無だった。」とのこと、 「政治献金を雑所得に入れることに変更し政治活動支出は必要経費に入れる大転換をしたのである」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は、「そもそも政治献金を「雑収入」にして政治活動費を経費にしたら、政治活動は公益のための無償の行為ではなく、収入を得るための活動になってしまいませんか?そういう収入を庶民は「賄賂」と呼んでおります、はい。」と指摘した。 指摘の理解に努めながら、考えた。 政治活動は公益のための無償行為でなければならない、と一読者の私は思う。その公益の無償活動ができるように、高額な歳費や手当が用意されているはずだ。 筆者指摘ように「政治献金を「雑収入」にして政治活動を経費にしたら、政治活動は公益のための無償の行為ではなく、収入を得るための活動になってしまいませんか?」との指摘はその通りだ。そして、そういう収入を庶民は「賄賂」と呼んでいることも確かだ。 この欄の冒頭で筆者の「最近の与党政治家の無様な姿勢を見ると、やはりあの時の国税庁の判断ミスが今日の結果を招いているの神知れない」との筆者指摘が当たっている、と思った。]]>
3月15日(金)快晴。朝7時過ぎ手賀沼湖畔散策へ。柏ふるさと公園を出て、すぐに大堀川河口の草原に白いスイセンが咲き、スイセンの隣にぺんぺん草が咲き、北柏橋近くの遊歩道に白鳥が毛づくろいをしていた。
http://sasakitosi.exblog.jp/29967475/
2024-03-15T11:54:00+09:00
2024-03-15T11:55:34+09:00
2024-03-15T11:54:30+09:00
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今日の感動
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ここが退屈な理由<山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」は地方都市で暮らす若い女性たちを描いた連作短編集である。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29964431/
2024-03-14T17:52:00+09:00
2024-03-14T19:05:15+09:00
2024-03-14T17:52:36+09:00
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東京新聞を読んで
まず筆者は、「山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」は地方都市で暮らす若い女性たちを描いた連作短編集である。東京の大学を出て10年働くも、地元にUターンした「私」。地元の短大を出て就職したデパートを2年で辞め、いくつかの仕事を経て今は無職の同級生。実家にいれば楽だしねといいながら、2人はいまいちパットせず、まさに「ここは退屈」な気分でいる。」と切り出した。 続けて筆者は、「国際女性デーの8日、今年で3回目となる「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」が公表された。政治、行政、教育、経済の4分野における男女平等度を比較した調査で、ちなみに政治は東京都、教育は広島県、行政と経済は鳥取県がトップだった。 このランクも興味深いのだけれども、地方紙に載った解説記事を読むと、各県にとってのジェンダー問題は人口流出と大きな関係があるのだと気づく。県外に流出する人口は女性、それも若い女性が多いのだ。 彼女らが県外に出る、また地元に戻らない理由のトップは「希望する職種がない」である。賃金が低い(男女の賃金格差が大きい)、女性管理職が少なくキャリアモデルが見えない。性別役割分業意識が強い。いずれも地元離れの原因だ。」と指摘した。 最後に筆者は、「だからと言って一概に首都圏の男女平等度が高いとはいえないものの、ジェンダー平等に敏感にならない地方創生は無理。退屈なのは理由があるのだ。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」は地方都市で暮らす若い女性たちを描いた連作短編集である。」とのこと、 「国際女性デーの8日、今年で3回目となる「都道府県版ジェンダー・ギャップ指数」が発表された。政治、行政、教育、経済の4分野における男女平等度を比較した調査で、ちなみに政治は東京都、教育は広島県、行政と経済鳥取県がトップだった。」とのこと、 「地方紙に載った解説記事を読むと、各県にとってのジェンダー問題は人口流出と大きな関係があるのだと気づく。県外に流出する人口は女性、それも若い女性が多いのだ。」とのこと、 「彼女らが県外に出る、または地元に戻らない理由のトップは「希望する職種がない」である。」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は、「だからといって一概に首都圏の男女平等度が高いとはいえないものの、ジェンダー平等に敏感にならないと地方創生は無理。退屈なのは理由があるのだ。」と指摘した。 指摘に賛同しながら、考えた。 最近ジェンダー平等、女性活躍等々がにユースを賑わしているので、街を歩きながら、電車に乗りながら、観察している。町で、元気な年寄りは女性が多いと思っている。また、東武電車で船橋を往復したり、常磐線で上野を往復したり、電車に乗りながら乗客を観察しているが、乗客の7割以上が女性であるのに、自分で驚いたり感心したりしている。首都圏は、女性が支えている、と思った。 ]]>
3月14日(木)晴れ。午後の散策へ。農業公園へ出かけた。そこにはカンヒサクラが並んで咲き誇っていた。桜の間に黄色いミツマタも咲く。菜の花を求めて利根川の土手に足を延ばした。黄色い菜の花があった!
http://sasakitosi.exblog.jp/29964133/
2024-03-14T16:48:00+09:00
2024-03-14T16:50:41+09:00
2024-03-14T16:48:52+09:00
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今日の感動
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3月の脱原発行動<11日夕刻、内幸町・東電前での抗議行動があった。3月15日午後6時30分から首相官邸前で「原発要らない金曜行動」がある。20日午後1時、代々木公園で「さよなら原発集会」。>
http://sasakitosi.exblog.jp/29958155/
2024-03-13T13:49:00+09:00
2024-03-13T13:56:03+09:00
2024-03-13T13:49:13+09:00
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東京新聞を読んで
続けて筆者は、「いま平然と原発促進を唱える岸田首相は、彼の死をどう思うのだろうか。未だ事故後の「緊急事態宣言」下にあるにもかかわらず「原発回帰」を掲げる首相の無責任と暴政は許し難い。」と指摘した。 続けて筆者は、「13年経った11日夕刻、内幸町・東電前での抗議行動があった.わたしも参加。10万年もの未来に危険を与え続ける核廃棄物の始末を解決できない原発は、今すぐ停止すべきだと訴えた。 3月15日午後6時30分から、首相官邸前で「原発要らない金曜行動」がある。 このほかに参加するのは20日午後1時。代々木公園で「さよなら原発集会」。落合恵子さん、澤地久枝さん、福島の東電刑事告発団、女川原発、志賀原発、東海第2原発反対運動や環境・エネルギー団体の若い活動家たち。 23日午後2時、仙台勾当台公園で「Stop!女川原発再稼働」集会。 脱原発は必ず成功すると訴えたい。」と訴えた。 読んで勉強になった。 「福島原発事故。昨日で13年たった。」とのこと、 「「帰還困難区域」と言い換えられている「立ち入り禁止区域」は福島県内にまだ7市町村も残っている。」とのこと、 「住民登録する人の数に対する居住者の割合は、第一原発の立地地域双葉町は2%、大熊町は6%、隣接していただけの浪江町は14%。」とのこと、 「「原発さえなければ」と牛舎の板壁に書き遺して自死した、54歳の酪農家の無念さを私は時々思い起こす。」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は、「いま平然と原発推進を唱える岸田文雄首相は、彼の死をどう思うのだろうか。いまだ事故後の「緊急事態宣言」下にあるにもかかわらず「原発回帰」を掲げる首相の無責任と暴政は許し難い。」と指摘し、 「13年たった11日の夕刻、内幸町・東電前での抗議行動があった」、「3月15日午後6時30分から、首相官邸前で「原発要らない金曜行動」がある、「20日午後1時、代々木公園で「さよなら原発集会」、「23日午後2時、仙台勾当台公園で「Stop!女川原発再稼働」集会、」等々を教えくれながら、 筆者は「脱原発は必ず成功すると訴えたい」と宣言した。 筆者の指摘に賛同し、思いに共鳴しながら考えた。 脱原発をぜひとも成功させたい。そのために今までの運動を継続すればいいのか、新たな運動が必要なのだろうか? 一高齢読者の私が思うのは、脱原発を成功させるには、日本の産業界も財界も学会も官界も挙げて取り組まなければならない、と思う。その最大の妨げになっているのが、経済産業省ではないか。原発を推進してきた経産省を解体しない限り、脱原発はに向けた産業界の足並みはそろわないのではないか、とも思っている。]]>
3月14日(水)晴れ。朝7時過ぎ手賀沼湖畔散策へ。名残の河津さくらを目当てに、大津川河口のヒドリ橋へ。強い寒風吹きすさぶ中まだ元気に咲いていた。時々花吹雪も見れた。
http://sasakitosi.exblog.jp/29957864/
2024-03-13T11:50:00+09:00
2024-03-13T11:52:59+09:00
2024-03-13T11:50:15+09:00
sasakitosio
手賀沼をたのしむ
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映画「戦雲」<今月16日よりポレポレ東中野で公開される三上知恵さんの最新ドキュメンタリー映画「戦雲」は、自衛隊ミサイル配備が進む南西諸島で国策に争う人々の姿を民謡や祭りなどを交えて映し出す。>
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2024-03-12T11:53:00+09:00
2024-03-12T11:58:09+09:00
2024-03-12T11:53:51+09:00
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東京新聞を読んで
まず筆者は、「「あなたの故郷が戦場になる」。そう聞いたらあなたはどうするだろうか。反対の声を上げる。政府に説明を求める。計画阻止のために、あらゆる手段を尽くすに違いない。 でも、あなたの声は「国防」を理由に無視され、計画は止まらない。 どれほど怒り苦悶するだろうか。恐ろしいのは、これがたとえ話ではないことだ。国内で最も戦争に近い場所にされた南西諸島で、まさに今、起きていることだ。」と切り出した。 続けて筆者は、「今月16日よりポレポレ東中野で公開される三上知恵さんの最新ドキュメンタリー「戦雲」は、自衛隊ミサイル配備が進む南西諸島で国策に争う人々の姿を民謡や祭りなどを交えて映し出す。石垣島の山里節子さんは、八重山民謡・トゥバラーマを歌う。 「戦雲がまた湧き出てくるよ/ 怖くて恐ろしくて眠ろうにも眠れない / あぁ憎い権力者どもよ」 有事の際、離島住民は島外避難させる。戦闘で負傷した自衛官の輸血用血液製剤を製造、備蓄する。これらを防衛省が進める計画が、実際の戦場で機能するはずがないことは、地獄の沖縄戦を生き抜いた人々から見れば明白だ。 まして核戦争の時代、戦争になれば、島々は壊滅するだろう。軍隊は住民を守らない。守れない。沖縄戦の教訓だ。」と教えてくれる。 最後に筆者は、「これは対岸の火事ではない。あなたの頭上にも、もう「戦雲」が湧き出ている。」として締めくくった。 読んで勉強になった。 「今月16日よりポレポレ東中野で公開される三上知恵さんの最新ドキュメンタリー映画「戦雲」は、自衛隊ミサイル配備が進む南西諸島で国策に争う人びとの姿を民謡や祭りなどを交えて映し出す。」とのこと、 「石垣島の山里節子さんは、八重山民謡・トゥバラーマを歌う。「戦雲がまた湧き出てくるよ /怖くて恐ろしくて眠ろうにも眠れない / あぁ憎い権力者どもよ」」とのこと、 等々を知ることができた。 そして筆者は「有事の際、離島住民は島外避難させる。戦闘で負傷した自衛官の輸血用血液製剤を製造、備蓄する。これら防衛省が進める計画が、実際の戦場で機能するはずがないことは、地獄の沖縄戦を生き抜いた人々から見れば明白だ。」と指摘しと、 「ましてや核戦争の時代、戦争になれば島々は壊滅するだろう。軍隊は住民を守らない。守れない。沖縄戦の教訓だ。これは対岸の火事ではない。あなたの頭上にも、もう「戦雲」が湧き出ている。」と指摘した。 筆者の指摘に賛同し共鳴しながら、考えた。 日本には原発が全国にある。戦争になって原発をミサイル攻撃されたら、大変だ。 日本の指導者は国民の命と暮らしを守るためには、絶対に戦争をしてはいけない、と私は思う。アメリカ軍がどんなに強くても、自衛他の装備をどんなに整えても、それでは国民の命と暮らしを守れない、ということを、日本の為政者は肝に銘じてほしい。 日本の為政者には、戦争放棄の日本国憲法を世界に広め、世界から戦争をなくすることに、命懸けで臨んでほしいと、思っている。]]>
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