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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

トランプ氏の演説 虚構に満ちた空々しい茶番<一般教書演説とは、崇高でありながら馬鹿げたものである!だがトランプ氏は格別に馬鹿げている!飛びぬけて、気分は移ろいやすく、誓いは空々しい!>

2月9日付朝日新聞朝刊13面に、「コラムニストの眼」という欄がある。筆者は、フランク・ブルーニ氏だ。

今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「ドナルド・トランプ大統領が初めて行った一般教書演説を聞いてみていて、繰り返し頭に浮かんだ言葉は「ふり」だった。

 トランプ氏が賢明な政治家の「不利」をすれば。私たちはそれに合わせた「ふり」しなければならない。

 まるで、これまでの何百もの(ツイートを加えるなら何千もの)下品で、浅はかで、対立を引き起こす言動が、その主張と矛盾しないかのように。

 私たちは、かれが多少なりとも節度を持っているかのようなふりをせねばならない。

 そんなものは、演説原稿に映すプロンプターが消えるのとほぼ同時に亡くなってしまうのだが。昨日と矛盾することを今日言っていても、それが明日話すことにも何かしら意味があるかのようなふりをするのだ。

 大統領は、砂と風と見せかけでできた世界に生きている。

 そこでは、ちょっとした突風がすべての形を変えてしまう。

 だから、火曜日の夜の一般教書演説、とりわけ「歩み寄り」を求める訴えや、「ひとつの米国の家族」として、「我々はみな共にある」というビジョンは、移ろい、宙に浮いたごとき空想の文脈で理解すべきだ。

公平を期すために言うと、大抵の一般教書演説はあくまで願望だ。

 ジョージ・W・ブッシュ氏は、来し方行く末について、私たちに目くらましをかけた。

 バラク・オバマ氏は、すべての子どもに就学前教育とコミュニティー・カレッジを、という到達しえぬ旗印を掲げた。

 一般教書演説とは、崇高でありながら馬鹿げたものである。」と切り出した。

 続けて筆者は、「ただトランプ氏は中でも格別に馬鹿げている。飛び抜けて、気分はうつろいやすく、見せかけの態度ははかなく、誓いは空々しい。

 昨年2月に上下院の合同会議で行った施政方針演説では、冒頭の数分で公民権を強く支持し、反ユダヤ主義を非難して、「私たちはいかなる形の憎悪や悪にも一致して立ち上がり非難する国である。」と高らかに宣言した。

 そしてバージニア州シャーロッツビルで起きた暴力事件では、その場にいた白人至上主義者やネオナチの中にも「至極まっとうな人」もいたという主張を展開した。

 民主党のチャック・シューマー上院院内総務は、トランプ氏と交渉するのはゼリー菓子と交渉するようなものだと表現した。

 食べ物に例えて、大統領を好意的に解釈して見せたのだ。だが、トランプ氏は実はもっとねちねちしていて、ずっと刺激が強い。

 彼と交渉するのはきっとサワークリームと交渉するようなものだろう。

 火曜日の夜のトランプ氏は、失業者数や株式市場の動向などいくつかの経済指標について誇らしげに延々と述べ、勤勉な国として生まれ変わりつつ、突然大金持ちになって浮足立つ米国を演出した。

 しかし私たち米国人はそれほど浮き足立ってはいない。ダウ平均株価2万5000ドルを上回るよりも多くのことを今なお国と大統領に期待している。だからこそ、トランプ氏の支持率40%を下回っているのだ。

 彼は、各種規制や銃所有の権利、対外援助、「宗教の自由」などについて、はっきりと共和党の見解を示した上で、民主党に対してあえて「手を開いて」差し伸べているふりをした。

 側近たちが恐れてきた火山のような激しい気性をみじんも感じさせることなく、悠々とこれをやってのけたのだ。

 彼の演説には大間違いがたくさんある。

 「米国民は国を愛している。見返りに同様の愛と忠誠を示す政府がふさわしい」と彼は言った。

 2016年大統領選でのロシア介入疑惑を軽視しておいて、(さらには事実関係の捜査を妨害いしておいて)、どうやってそんな政府を実現するのでしょうか。」と指摘した。

 最後に筆者は、「作り話も多い。「昨年は国民と政府の信頼回復に努めた」と彼は力説したが、違う。トランプ氏は、ご同輩のスティーブン・ムニューシン米財務長官、その妻のルイ―ズ・リントン氏、そしてトム・プライス前厚生長官(覚えているだろうか?)は、政府の小銭であちこと目的もなく出かけては自己アピールなどをしたが、政府の基準に照らしてもそのすべてが桁外れだった。

 火曜日の晩トランプ氏は、移民制度改革とインフラ整備を最優先課題に位置付けた。

 でもいずれの公約も信頼することはできない。

 まぜなら彼自身、自分が何を考えているのか、よく分かっていないからだ。

医療であれ、減税であれ、肝入りの国境の壁であれ、トランプ氏は、複数の異なる見解を同時にもしくは立て続けに主張する。

 マイクに向かって何か話したかと思ったら、結局全く別のことをつぶやくといった具合だ。

 側近たちは時に、万人にすべてを知らせず気をもませるという取引の名手のやり方だと説き聞かせようとするが、じっさいには単にへまばかりしていることを露呈する政策立案の素人のやり方である。

 抑制が利いた状態のトランプ氏とやりたい放題のトランプ氏との間にある隔たりが、火曜日の夜のような演説をひときわ空虚は茶番にしている。

 米ニュースメディア「アクシオス」のジョナサン・スワン記者は、トランプ氏に近い人物の話としてこう書いている。「大統領は、自分自身を欺かざるをえないのだ、と彼はいう。「トランプ氏は現実に向き合っているわけじゃない。彼は、自分だけの現実を作り出しているのだ」」

 彼の演説はそうやって作られたものだ。

 でなけらば、彼の政治家としての経歴をすべて水に流し、全くの別人であるかの見なければならない。

 私はそんなふりをするのが苦手だ。」として締めくくった。

(2018 THE NEW YORK TIMUS)(NYタイムズ、1月31日付 抄訳)

 読んで勉強になった。

 「一般教書演説とは、崇高でありながら馬鹿げたものである。ただトランプ氏は中でも格別に馬鹿げている。気分はうつろいやすく、見せかけの態度ははかなく、誓いは空々しい」とのこと、全く同感だ。

 「米ニュースメディア「アクシオス」のジョナサン・スワン記者は、トランプ氏に近い人物の話としてこう書いている。「大統領は、自分自身を欺かざるを得ないのだ、と彼は言う。「トランプ氏は現実と向き合っているいるわけじゃない。彼は、自分だけの現実をつくり出しているのだ」」

とのこと、そうかもしれないと思った。

 そして、アメリカの人々は、そんな人物が「核兵器発射のボタン」を押す地位にあることに、日々危機感を感じないのだろうか、不思議な気がした。トランプ氏の危うさは、アメリカの危うさであり、地球の危うさだ。
 また、トランプ氏にべったりの安倍総理は、今日の地球的危機回避に何の役にも立ちそうにないことが、残念だ。


by sasakitosio | 2018-02-17 07:08 | 朝日新聞を読んで | Trackback