預金封鎖の真の狙い<1946年2月16日夕、渋沢敬三蔵相はラジオ放送でこう演説した!手元の円が通用するのは本日限り!約半年後、財産課税が断行され、封鎖預金も充当された!!>
2018年 02月 16日
2月15日付東京新聞朝刊29面に、「本音のコラム」という欄がある。
筆者は、日本総研上席主任研究員・河村小百合氏だ。
今日は、この筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「今から72年前、1946年2月16日夕、渋沢敬三蔵相はラジオ放送でこう演説した。
手元の円が通用するのは本日限り。翌日から通用するのは預金から新たに引き出し,証紙を貼った新円だけ。引き出せるのは世帯主月三百円、それ以外は月百円に限る。
翌日からの預金封鎖と新円切り替えを突然、通告した。」と切り出した。
続けて筆者は、「この預金封鎖、渋沢蔵相は悪性インフレ―ションを抑えるためと演説したが、実はもう一つの隠れた狙いがあった。
敗戦時の国の借金残高の国民所得比は約260%。
国債の大半は日銀と預金部(後の資金運用部、今の財政融資資金)が引き受けていた。いずれも今に通ずる状況だ。
敗戦で財政運営は完全に行き詰まり、当時の政権と大蔵省は「とるものは取る、返すものは返す」という道を選んだ。
内国債の債務不履行は回避しつつも、それに匹敵する過酷な負担を戦後の焼け野原で疲弊した国民に貧富を問わず、財産税で負わせることを決めた。他に方法はなかった。」と指摘した。
最後に筆者は、「それに先立ち、課税資産を預金封鎖で差し押さえ、タンス預金の抜け道も完全に塞ぐという荒業に出た。
約半年後、財産税課税が断行され、封鎖預金も充当された。
「昭和財政史、終戦から講和まで」が語る財政ファイナンスに手を染めた国の末路だ。
昨年からは財務省HPに全巻がアップされている。」として締めくくった。
読んで大変勉強になった。
「1946年2月16日夕、渋沢敬三蔵相はラジオ放送で「手元の円が通用するのは本日限り。翌日から通用するのは預金から新たに引き出し、証紙を貼った新円だけ。
引き出せるのは世帯主月三百円、それ以外は月百円に限る。」と演説し、翌日からの預金封鎖と新円切り替えを突然通告した」とのこと、
そして「この預金封鎖、渋沢蔵相は悪性インフレーションを抑えるためと演説した」とのこと、
「敗戦時の国の謝金残高の国民所得比約260%。国債の大半は日銀と預金部(後の資金運用部、今の財政融資資金)が引き受けていた。いずれも今に通ずる状況だ」とのこと、等々を知ることが出来た。
では今日まで積みあがった国の借金、その解決策も、同じ手口なのだろうか?いや同じ手口しかないのだろうか?筆者にそこを是非聴きたいと、思った。
また、「内国債の債務不履行は回避しつつも、それに匹敵する過酷な負担を戦後の焼け野原で疲弊した国民に貧富を問わず、財産税を負わせることを決めた。」とのこと、
「それに先立ち、課税資産を預金封鎖で差し押さえ、タンス預金の抜け道も完全にふさぐといい荒療治に出た。約半年後、財産課税が断行され、封鎖預金も充当された」とのこと、等々を知った。
「「昭和財政史、終戦から講和まで」が語る財政ファイナンスに手を染めた国の末路だ」と筆者は指摘する。その経過と結果の責任を取った為政者・責任者が存在したという話を寡聞にして聞かない。