公正世界信念< わかりやすく言えば「世の中公正にできていて、悪いことをしなければひどい目に遭わない」と信じること!?因果応報と同じ??照見五蘊皆空が度一切苦厄の道では!?>
2018年 02月 13日
2月12日付東京新聞朝刊23面に、「本音のコラム」という欄がある。
筆者は、看護師・宮古あずさ氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「患者さんは症状が悪くなると、なぜそれを医療関係者のせいにするのか。
最近この疑問に答える心理学の論文を読んだ。
キーワードは、公正世界信念という概念。
わかりやすく言えば、「世の中は公平にできていて、悪いことをしなければひどい目に遭わない」と信じること。
これを成立させるには、無理にでも原因を探さなければならない。」と切り出した。
続けて筆者は、「これを病気に当てはめてみると、まず患者さん自身が不摂生を周囲から過剰に責められる。これは節制していれば病気にはならない、との公正世界信念。
そして、患者さん自身も、適正な治療がされていれば悪くならないと信じたい公正世界信念があり、病状が悪くなるとそれを医療者の落ち度として責めるのだ。
また、本来なら同情されるはずの犯罪被害者や、独裁者に迫害される抵抗者も責められる。
通り魔に襲われのは人通りのない道を歩いたせい。誤った思想をもつから、罰せられて当然。
落ち度がなければ安全と信じたい人が、被害者を責める構図がある。」と指摘した。
最後に筆者は、「実際の社会は、暖かい人柄の人が苦しんだり、時に通り魔に襲われる理不尽に満ちている。
公平世界信念には無理がある。
ほどほどに諦め、誰が悪くなくても悲しいことは起こると認められたら。
不安と引き換えに、私たちはもっと互いに優しくなれるのではないだろうか。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「「公正世界信念」という言葉があり、その意味は「世の中は公正にできていて、悪いことをしなければひどい目に遭わない」と信じること。」とのことを初めて知ることが出来た。
筆者は、「公正世界信念には無理がある」と指摘する。
そして「ほどほどに諦め、誰が悪くなくとも悲しいことは起こると認められたら、不安と引き換えに、私たちはもっと互いに優しくなれるのでは」とも筆者は言う。その通りだ。
自分に起こった不都合を他人のせいにして気楽になるのは、他人迷惑というものだ。何事も人のせいにしてはならないし、また自分のせいと、じぶんを責めるのもいかがなあものかと、おもう。
70過ぎたら、自分のまわりで起きたことは、そのまま受け止め、その時その時、自分の全力を尽くして、最前の選択・対処をする。
そしてその後のいかなる結果にも、決して後悔をしない。
いずれにしても今は、まな板の鯉の心境で、何事にも、じたばたしないことにしている。