幸福願い戦争を描く 俳人・渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句!!近ごろ、その気配がよみがえって、ふと見ると戦争が立っている!!??>
2017年 12月 21日
12月19日付東京新聞朝刊1面に、「「戦える国」に変質 言わねばならないこと」という欄がある。筆者は、映画作家・大林宣彦さんだ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「日本人はどこか付和雷同で、国家権力の奴隷になってしまう。
僕ら昭和10~15年生まれの「敗戦少年」世代は、大戦中に子供だったからこそ、上の世代が実は戦争に反対していたこともよく知っている。
でも、みんな戦争を受け入れざるを得なかった。
俳人・渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句を、ぼくなんかは実感した。
代々医者で、百人近くが出入りする家で、人けのない廊下を見ると、満州で死んだ隣のおじちゃんらが立っている。戦争の気配とともに暮らしていた。」と切り出した。
続けて筆者は、「近ごろ、その気配がよみがえって、ふと見ると、戦争が立っている。死んだ親父だったり、檀一雄さんだったり。それが見える時代になったからこそ、映画「花筐/HANAGATAMI」(公開中)を作らなくてはいかんと思った。
約40年前、肺がん末期だった(原作の)檀さんに映画化の了承を取り付け、脚本を書いたが、誰にも相手にされなかった。
日本人には経済の発展しか頭になくて、戦争のことなんかみんな忘れたふりをしていた。
1年4か月前、映画の全スタッフ会議の2時間前に「肺がん第四ステージ、余命半年」と言われ、無性にうれしかった。
これで檀さんの痛みとつながった。親父たちが語ろうとしなかった「断念と覚悟」を描く資格をもらったってね。
映画を見た人から「戦争の気味悪さが、ずしんとくる」と感想を聞く。次代がそういう映画を生んでしまったと感じる。」と指摘した。
最後に筆者は、「今の政治家や経済界のリーダーは戦争の実態を知らない。ひどい目にあった僕らの世代は、そこにおびえている。日本人は過去から学ぼうとしない。いやなことはすぐ忘れ、目の前の楽なことだけを追いかける。
18歳で選挙に行けるようになり、駅前でビラを配る中高生たちによく会う。
「私たちは戦前派です。これから来る戦争に対し、自分で自分を守る。大人は信用できない」と。
僕らが居なくなったら戦争が伝わらないと思っていたが、戦後と戦前がつながれば、過去の戦争が今につながる。今の中高生がそうしう皮膚感覚を持ち始めている。
過去から学ぶことで世の中よくなる。そのために映画は過去のアンハッピー(不幸)を描いてハッピー(幸福)を願う。僕らの意図をくんでくれる中高生が出てきている。
やはり、映画をつくることで戦争がない時代は必ず来る。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「今の政治家や経済界のリーダーは戦争の実態を知らない。ひどい目にあった僕らの世代は、そこにおびえている」とのこと、
「過去から学ぶことで世の中は良くなる。そのために映画は過去のアンハッピー(不幸)を描いてハッピー(幸福)を願う」とのこと、等々を知ることが出来た。
また筆者の「日本人は過去から学ぼうとしない。いやなことはすぐ忘れ、目の前の楽なことだけを追いかける」との指摘は、耳の痛い話だ。
映画を作る人が映画で反戦を訴える、歌を歌える人は歌で反戦を訴える、絵を描ける人は絵で反戦を訴える、講釈師は講談で反戦を訴え、落語家は落語で反戦を訴える、それぞれのプロがプロの技で反戦を訴えることが出来たら、戦争好きな為政者も戦争で儲かる軍事産業の経営者といえども、国民を騙して戦争を始めることはできないのではないか、と思った。