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憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

核兵器のむごさ 射るまなざし<林京子さんは「原爆は即死がいい」「なまじ一、二日生きのびたために苦し紛れに自分の肉を引きちぎった行員がいた」「人間を殺すためになぜここまで峻烈な兵器が必要なのか」という>

 11月12日付朝日新聞朝刊3面に、「日曜に想う」という欄がある。筆者は、編集委員・福島申二氏だ。

 今日はこの筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「表情ゆたかなその顔を、春先からニュースで何度も見た。13歳の時に広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんである。

 12月にはノーベル平和賞の授賞式でスピーチするというという。

 サーローさんは、今年の平和賞を受ける国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の「顔」として国際会議で発言し続けてきた。3月に国連本部で語った証言は忘れがたい。「広島を思い出すとき、認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた4歳だったおいの姿が、脳裏に最初によみがえります」。

 核兵器のむごさをこれほどに訴える言葉があるだろうか。

 同僚の記事で読み、かってどこかで似たような言葉と行き会ったように思い、記憶をたぐってたどり着いたのが、林京子さんの小説[祭りの場]の一節だった。長崎原爆のすさまじい体験を、30年の歳月を経て紡いだ芥川賞受賞作には、こうあった。「原爆は即死が一番いい」

 「なまじ1.2日生きのびたため苦し紛れに自分の肉を引きちぎった行員がいた」と

文章は続いていく。いったんは助かったと思った者も、急性原爆症に苦しみ抜いて次々死んでいった。

 林さんは14歳で被爆した。「人間を殺すのになぜここまで峻烈な兵器が必要なのか」。

 むごい描写のなかに差し挟まれた言葉には、尊厳をはぎ取られたおびただしい死を見た人の、核兵器の非人道性に向けた眼差しが光る。」と言いり出した。

 続けて筆者は、「その峻烈きわまる兵器の開発をリードし「原爆の父」と呼ばれたのは、米の物理学者オッペンハイマーだあった。

 この人には、しかし悔恨があった。

 戦争が終わってホワイトハウスにトルーマン大統領を訪ねた時「自分の手が血に染まっている気分です」と訴えた。大統領はハンカチを取り出して、「拭いたらどうかね」と差し出したという。

 この場面の子細は文献によって異なるが、ともあれトルーマンはオッペンハイマーの「良心」が気に食わなかったらしい。

 のちに国務省の高官にあてた書簡で「泣き虫科学者」とこき下ろした。

 科学者の葛藤と政治家の冷酷、と言った分かりやすい話ではあるまい。立場の違い以上に、二人の人間の想像力の違いだったかもしれない。

 それから時は流れて、いま、このシーンにいやでも重なる人物がトランプ大統領である。

 訪日中は上機嫌だったが、笑顔の下から鎧がのぞいている。おそらくは核をも含めた兵器や武器を、自国の雇用を広げて経済をうるおす「金のなる木」と見ているのは記者会見からも明らかだ。

 銃問題に対する氏の持論から察するなら、「武器を持ち悪いやつを止められるのは、武器を持つ良いやつしかいない」の論法になるのだろうか。

 北朝鮮に対して力ずくとなれば、深刻なダメージを受けるのは日本や韓国だが、安倍政権の追従ブリを見ると大事な時に「ノー」といえるのか心配になる。トランプ氏への忖度か、この政権は核廃絶への姿勢も被爆地を怒らせるほどに後ろ向きだ。」と指摘した。

 最後に筆者は、「長崎への原爆投下の翌日、オッペンハイマーはふさぎ込んで、同僚にこう問いかけた。

 「広島や長崎を生き延びた人は、死者を羨むだろうか」。

 落とした者の思念と、落とされた者の地獄がここに重なっている。

 「原爆の父は」はキノコ雲の下の非人道性を正確に想像していた。

 今年の2月18日はオッペンハイマーの没後50年となる命日だった。あくる19日に林京子さんは世を去った。亡くなったあと、文芸評論家の富岡幸一郎さんが本紙への寄稿文で、林さんからお聞きした言葉を紹介していた。 

 「わたくしはいつも思うの、わたくしのものを読んで下さる方は、もうすでに読まなくてもいい人たちなんです。でも、引っ張ってきてでも読ませたい人たちは読んでくれないいんですね」

 遺された言葉は、核兵器をめぐる一つの真実を静かに照らしている。読ませたい人々の顔が心に浮かぶ。核に対するモラルをこの国で緩ませないためにも。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「13歳の時に広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんは、12月にノーベル平和賞の授賞式でスピーチする」とのこと、

 「3月に国連本部で語った証言は忘れがたい。「広島を思い出すとき、認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた4歳だったおいの姿が、脳裏に最初によみがえります」。」とのこと、

 「林京子さんの小説「祭り場」の一節に「原爆は即死がいい」「なまじ一、二日生きのびたために苦し紛れに自分の肉を引きちぎった工員がいた」と文章は続いていく。」とのこと、

 「林さんは14歳で被爆した「人間を殺すのにここまで峻烈な兵器が必要なのか」。むごい描写のなかに差し挟まれた言葉には、尊厳をはぎ取られたおびただしい死を見た人の、核兵器の非人道性に向けたまなざしが光る。」とのこと、

 「長崎への原爆投下の翌日、オッペンハイマーはふさぎ込んで、同僚にこう問いかけた。「広島や長崎を生き延びた人は、死者を羨むだろうか」」とのこと、

 「林京子さんのことば「わたくしはいつも思うの、わたくしのものを読んで下さる方は、もうすでに読まなくていい人たちです。

 でも、引っ張ってきてでも読ませたい人たちは読んでくれないんですね」」とのこと、等々を知ることが出来た。

 私は、新潟県の田舎にいて、当時2歳だった。新潟に原爆が落とされていたら、火ぶくれになって水を欲しがっていたのは自分かも知れないと思うと、ぞっとする。

 戦争をなくして、兵器をなくして、原爆を不要にしなければならない、と思った。

 でないと、原爆で人類は地球上から絶滅しいなくなることになる、と思った。


by sasakitosio | 2017-11-19 16:44 | 朝日新聞を読んで | Trackback