カネといのち <先週末の千葉地裁の判決、「回避措置をとったとしても事故は回避できなかった可能性あり」と国への責任追及を回避した!人命よりカネ、裁判所の判断である!!>
2017年 09月 28日
9月26日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。 筆者は、ルポライター・鎌田慧氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「先週末、二つの裁判があった。東電原発被害訴訟の判決と電通過労自殺裁判の初公判。
原発の安全神話をバラまいてきた政府と東電、それで大もうけした電通。 おなじ紙面に掲載された。
「常習的犯行で、刑事責任は軽視できない」とは電通への検察論告。危険無視、利益優先は電通ばかりか、原発会社特有の行動様式である。」と切り出した。
続けて筆者は、「国は原発を国策として誘導する政策を次々に打ちだして、現在ばかりか,遥か彼方の未来にわたる重大な危険を招いている。
そればかりか、電力会社を使嗾して核発電をさせ、核兵器に転用されるプルトニウムを備蓄している、と海外から疑われている。
福島の事故のあと、地震大国での原発再稼働は無謀、と分かったはずだ。
使用済み燃料ひとつとってみても解決策はなく、原発稼働は「人格権の否定」(福井地裁判決)として、人間と核との対立の認識が深まった。」と指摘した。
最後に筆者は、「ところが先週末の千葉地裁判決は、原発避難者への賠償には一定の理解を示しながらも「回避措置をとったとしても事故は回避できなかった可能性もあり」と国への責任追及を回避した。
原発事故は不可抗力というものだが、それだったら、健康、人命、仕事、ひとの繋がり、故郷、そのすべてを破壊する犯罪的行為の責任を、誰も取らなくてすむ。人命よりカネ。裁判所の判断である。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「先週末、二つの裁判があった。東電原発被害訴訟の判決と電通過労自殺裁判の初公判。」とのこと、
「「常習的犯行で刑事責任は軽視できない」とは電通への検察論告」とのこと、
「先週末の千葉地裁判決は、原発避難者への賠償には一定の理解を示しながらも「回避措置を取ったとしても事故は回避できなかった可能性もあり」と国への責任追及を回避した」とのこと、等々を知ることができた。
筆者も指摘する「原発事故は不可抗力というものだが、それだったら健康、人命、仕事、ひとの繋がり、故郷、、そのすべてを破壊する犯罪的行為の責任を、誰も取らなくてすむ」ことになる千葉地裁の判決は、なんとも納得できない。