5.15事件と民衆心理<「東北地方の飢饉を聞いて、国軍存続の為にも一時も早く現状打開の必要を感じ・・」など被告の心情が報じられると、減刑嘆願書を出すのが国民運動になり、嘆願書の数実に百万超!>
2017年 08月 27日
8月22日付東京新聞社説に、「政治と世論を考える②」というシリーズがある。
今日はこの社説を学習することにした。
まず社説は、「5.15事件。1932年(昭和7年)5月15日に官邸にいた犬養毅首相を海軍将校らが暗殺したテロ事件に対し当然、当時の新聞も厳しい論調で向かった。
「「日本新聞通史」(春原昭彦著)は「かなり大胆にファッショを排撃した。とくにその論旨が厳しかったのは、東西朝日、新愛知(現中日)、福岡日日(現西日本)」と記している。」と切り出した。
続けて社説は、「新愛知(中日新聞)の社説は、第二、第三のテロの出現を予測している。
そして「武器を所有する者が、赤手空拳にして何らの防備をも有せざるものに対する場合、それは武力を有するものが、勝つに決まっている」と記す。
だが、それは「物質的な勝利」にすぎないのであって、「人間の意思が暴力でどうすることもできない」と書き進む。そしてーー。
「いわんや立憲政治がピストルの弾の10や20のため、そのたびにぐらぐらしてたまるものではないということは、常識のあるものは誰だって知っている」
大正デモクラシーの息を吸った立憲政治はそれほど強固だと考えられていたのだろうか。
だが、事件後、政党内閣の慣例はもろくも打ち破られてしまう。」と指摘した。
さらに社説は、「もう一つの異変は世論の動向である。
国民は何とテロの実行犯に同情的に変化するのである。
33年になると、軍法会議が始まり、新聞に裁判記事が載った。
「東北地方の飢饉を聞いて、国軍存立の為にも一時も早く現状打破の必要を感じ・・・」など被告の心情が語られると、国民は将校らに清新さをを覚え、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となった。
嘆願書の数、実に100万を超えたという。
将校らの行動は「義挙」だと国民は感じたのだ。その変化はやはり新聞報道に起因するところが大きかったようである。
判決はこの国民感情をに応えたように軽いものとなる。
首相暗殺でも刑はたった禁錮15年。しかも、38年には仮釈放である。」と教えてくれる。
最後に社説は、「立憲政治はピストルの弾でぐらつかなかったかもしれない。でも、そこに熱せられた世論が入ると、予期せぬ化学反応は始める。暗殺を義挙だと変換する世論に支えられていれば、暴力は大手を振って闊歩し始める。
今年7月亡くなった犬養毅の孫道子は当時小学生。母親はコメを買いに行っても売ってくれなかったそうである。
遺族をも白眼視する、倒錯した群集心理はいつの世も抱え込んでいるのではないか。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「5.15事件。1932年(昭和7)年5月15日に官邸にいた犬養毅首相を海軍将校らが暗殺したテロ事件に対し当然、当時の新聞も厳しい論調で向かった」とのこと、
「だがこの事件後、政党内閣の慣例はもろくも打ち破られてしまう」とのこと、
「もう一つの異変は世論の動向である。国民は何とテロの実行犯に同情的に変化するのである」とのこと、
「「東北地方の飢饉を聞いて、国軍存続のためにも一時も早く現状打開の必要を感じ・・」などの被告の心情が報じられると、国民は将校らに清新さを覚え、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となった。嘆願書の数、実に百万を超えたという」とのこと、
「将校の行動は「義挙」だと国民は感じたのだ。その変化はやはり新聞報道に起因するところが大きかったようである」とのこと、
「判決はこの国民感情に応えたように軽いものとなる。首相暗殺でも刑はたった禁錮15年。しかも、38年には仮釈放である」とのこと、
「暗殺を義挙だと変換する世論に支えられていれば、暴力は大手を振って闊歩し始めるのだ」とのこと、
「今年7月に亡くなった犬養毅の孫道子は当時小学生。母親は米を買いに行っても売ってくれなかったそうである」とのこと、等々を知ることができた。
なかでも、驚きは、5.15の犯人に対し、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となり、嘆願書の数が実に百万を超えたことであった。
そして、首相暗殺でも刑はたった禁錮15年で、38年には仮釈放になったこともショックだった。
この現象が、2.26から太平洋戦争へとつながったと思った。車も歴史も、急には止まれないということか!?