憲法の良いとこ発見しませんか?


by sasakitosio

生きる権利 <その人だけのものである命=魂はいくらお金を積んでも複製できない!!あなたの命も私の命も、比較できないし、してはいけないんじゃん!!>

7月29日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。

 筆者は、文筆家・師岡カリーマ氏だ。

 今日は、この筆者に学ぶことにした。

 まず筆者は、「私が育ったエジプトでは、全国民がイスラム教徒かキリスト教徒だという前提ですべてが営まれ、学校でも宗教の授業がある。

 一神教を絶対的真理とする教育は、一つ間違うと思考停止や宗教的優越意識を生む弊害もあるが、やまゆり園事件の植松被告のような神を気取る思想を許容する余地がないという利点もあった。」と切り出した。

 続けて筆者は、「一神教において、ある人が障害を持つのは全知全能である創造主の意志だ。

 その命の価値をうんぬんする資格は人にはなく、同じ神の意志で(自力ではなく)健常者に生まれたものにとって、彼らを差別する理由がない。

 こうしてすべてを「神の摂理」で説明できる精神的温室で育ったから、被告が本紙への書簡でつづったような、障がい者の生きる意義を否定する差別思想にどう立ち向かえばよいのか、私には分からない。

 被害者一人一人の人生や想いを伝えた本紙の特集は、その意味で一つの道標を示しており、奪われた命の重みが改めて心に刻まれた。」と指摘した。

 最後に筆者は、「「重い障害でも生きる価値がある」と証明しようとすればするほど、能力で人命を値踏みする被告や同調者らの論理に私たちも引きづりこまれそうで不安になる。

 価値と字の通り、計ったり比べたりできるものだ。その人だけのものである命=魂はいくらお金を積んでも複製できない。あらゆる価値を超えて不可侵なはずだ。」として締めくくった。

 読んで勉強になった。

 「エジプトでは、全国民がイスラム教徒かキリスト教徒ということが前提ですべてが行われ、学校でも宗教の授業がある」とのこと、

 「一神教を絶対的真理とする教育は、一つ間違うと思考停止や宗教的優越意識を生むなどの弊害もあるが、やまゆり學園事件の松井被告のような、神を気取る思想を許容する余地がない」とのこと、等等を知ることができた。

 ただ、今日の世界は、一神教の世界が、一つ間違って「思考停止」や「宗教的優越意識」を生み、格差とテロを生み、暴力とテロを正当化しているような気がしてならない。

 お互い様、お陰様、という日本における生活慣習からしても、決して他人の命を「生きる価値のない命」と決めつけることはないのではないか、とおもっている。そしてテロは、単なる殺人で犯罪行為以外の何物でもないのではなかろうか?

 

 


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by sasakitosio | 2017-07-30 19:25 | 東京新聞を読んで | Trackback