教える喜び<「手を合わせ祈る姿が仏なり!」、「十字切り祈る姿に神宿る!」、「身を投げて祈る姿に神宿る!」、「壁に向かい祈る姿に神宿る!」。エルサレムで真摯な祈りを見て、思った!?>
2017年 07月 15日
7月14日付東京新聞朝刊25面に、「本音のコラム」という欄がある。
筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「京都の同志社大学神学部で行っていた「佐藤優氏と考える現代社会とキリスト教」と題する集中講座が終わった。神学部でもキリスト教の洗礼を受けていない学生が9割いるので、神学と基礎をていねいに教えた。」と切り出した。
続けて筆者は、「受講生の中で、二回生(現役なので20歳)だが神学的センスが極めて優れた女子学生がいる。
神学や哲学の専門科目だけでなく、英語や数学もよくできる。
この学生はキリスト教徒ではない。
好奇心が抑えられなくなり神学部に来た理由についてメールで尋ねた。二回生から「私が神学部を志望した動機はなりたい職業もなく、法学を極めたい、などの特定の学びたいことも決められなかったときに、必修科目が少ない神学部の存在を知り、元から世界史が好きで世界の宗教戦争などに興味があったので、宗教について学びつつ、幅広い学問を学びたいと思ったからです。
高校の先生には就職はどうするの、など言われたのですが、大学は就職予備校ではないから、好きなことを学ぶべき、という父の言葉に後押しされて神学部に来ました」という返信が来た。」と教えてくれた。
最後に筆者は、「こういう優れた父親の背中をみて育ったので、娘にも知識人の気構えができたのだ。
この学生の影響を受け、周囲の学生も神学を本気で勉強し始めた。私としても教える喜びを感じている。」として締めくくった。
読んで勉強になった。
「京都の同志社大学神学部で行っていた「佐藤優氏と考える現代社会とキリスト教」と題する集中講義が終わった」とのこと。東京都内で、佐藤優氏の神学講座があれば、是非受講してみたいと、思った。
社会人となってから、知人の勧めで曹洞宗のお寺での「座禅会」に参加する機会があった。その時に僧侶から、お経はお釈迦様が書いたものではない、と聞いてビックリした。その時、聖書もキリストが書いたものではない事を聞いて、びっくりした。また、論語も孔子が書いたものではないことを知り、ソクラテスにも本人が書いたものが無いことも知った。
なぜか?4人とも文字を知らなかったのか?、文字がなかったのか?、言葉だけでの伝承にこだわったのか?、等々をネットで調べても、自分には分からなかった。
そこで、ソクラテスの居たアテネ、釈迦の居たブッタガヤ、孔子の居た曲埠、キリストの居たエルサレムを、歩き回り時空を超えて、ソクラテス・釈迦・孔子・キリストとの出会いの旅に出かけることになった。
歴史と遺産は歩いてこない、だから自分で歩いていって、何か感じたい、という単なる好奇心だったのかもしれない。いずれも、感動的な旅だったことは確かだ。