追悼・太田昌秀< 太田氏は、自らの戦争体験を「平和の哲学」に昇華させた!いかなる状況においても軍事力を行使すべきでないという立場を徹底していた!絶対平和の理想を説いた!>
2017年 06月 17日
6月16日付東京新聞朝刊27面に、「本音のコラム」という欄がある。
筆者は、作家で元外務省主任分析官・佐藤優氏だ。
今日はこの筆者に学ぶことにした。
まず筆者は、「12日、元沖縄県知事で琉球大学名誉教授の太田昌秀氏が亡くなった。
太田氏は沖縄久米島出身で、私の母(佐藤安枝、旧姓上江洲)とはおさななじみだった。
筆者は子ども頃から「久米島出身で昌秀兄さんというすごい人がいる」という話を母から何度も聞かされた。
過去10年に筆者は太田氏と約20回会っている。沖縄に対する構造化された差別を脱構築するための戦略を一緒に考えた。
ただし、外交・安全保障政策では意見が一致しない部分が多かった。
太田氏は、自らの戦争体験を「平和の哲学」に昇華させた。いかなる状況においても軍事力を行使すべきではないという立場を徹底していた。」と切り出した。
続けて筆者は、「大田氏は筆者の日米安保観や地政学的外交戦略論を正面から批判することをせずに、軍事力に依拠しない絶対平和の理想を説いた。
対談後、ホテルのバーや居酒屋で酒を飲みながら話をすることもよくあった。
大田氏は好物の豆腐をつまみにシーバスリーガルの水割り(それもダブルかトリプルの濃い者)を飲みながら、「きみのような沖縄の血が流れる外交官の経験を持つ作家が平和について根源的に考えないでどうする。お母さんの思いを継承せよ」と筆者を諭した。
大田先生、先生から出された宿題に僕は真剣に取り組みます。
天国でゆっくり休んでください。」として締めくくった。
読んで勉強になった。太田昌秀さんとは、氏が国会議員として柏へ遊説に来られた時、夕食会でお話したことを思い出した。
大田氏が「いかなる状況においても軍事力を行使すべきでないという立場を徹底していた」、「絶対平和の理想を説いた」とのことを知ることができた。
不思議な巡り合わせだが、今日は「寶井講談・修羅場塾の第65回目の講演会」が10時から「お江戸日本橋亭」が開催される。私はそのプログラムナンバー13で、「内村鑑三伝」を演じることになっている。神田照山師匠のCDで勉強し、お墓参りをし、集会に参加し、ネットで徹底的に調べて、内村鑑三という人が、「戦争ほど、人にとって最大の罪悪はありましょうか」と言ったとのことを知った。
戦争を、罪悪と言い切った内村鑑三は、絶対平和の理想を実践した人だった。この思想を具体化するのは、世界から国家をなくし、世界連邦を構築するしかないような気がしている。